PBL

2019年8月16日 (金)

PBLの世界(16)高校生の「学習離れ」を解決するには?

8月12日の日本経済新聞の記事≪2020年度の大学入試改革 高校生「学習離れ」防げず≫によると、「浜中淳子早稲田大学教授は、大学入試を変えることで高校教育を変えようという手法には限界があると指摘する」とある。6月に浜中教授が執筆(共著)した「大学入試改革は高校生の学習行動を変えるか:首都圏10校パネル調査による実証分析 (MINERVA社会学叢書)」を読まなければ、その根拠が詳しくはわからないが、重要な指摘だ。

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★中堅高校の生徒までもが、学習から降りてしまっていることが、調査の結果わかったというのが前提で、浜中教授は次のような論点を明快にしている。

≪確かに、グローバル化への対応や表現力や思考力、主体性の育成というのは重要な観点なのかもしれない。しかしそれ以前に目を向けなければならないのは、学習から降りてしまった高校生たちの存在である。高校生の基礎学力の習得と学習意欲の喚起を目的に「高校生のための学びの基礎診断」というテストも導入されはしたが、大学受験や就職試験に必須でないこともあり、期待できる効果には限界がある。

私たち大人は、疑いもなく「大学入試を変えれば、高校生の学びは変わる」と語ってきた。しかしそれは「真」なのだろうか。実は、大学進学者層のほんの一部に影響を与えるにすぎないのではないか。そもそも四年制大学に進学しない、あるいは進学できない高校生たちも相当数に上るのである。

高校生の学びを豊かにするために効果的な施策は何か。日々の学校生活をどう構築するか。入試改革に飛びつく前に、エビデンスと現場の声に真摯に耳を傾けながら、吟味することのほうがよほど大事な課題であるように思われる。≫

★僕がかかわっている私立中高一貫校では、別に中堅校以上とは限らないが、ここまで学習から降りてしまっているという現状はない。しかし、「モチベーション」や「自己肯定感」を高めるために、涙ぐましい努力が、中堅かどうかいかんに関わらず、どこでも、学校全体で取り組まれている。

★したがって、「モチベーション」や「自己肯定感」が狭義の受験勉強ばかりでなく、広義の学びにおいて、高まらない社会的な構造を明快にする方が、浜中教授らの成果はより効果的になるだろう。生徒個々人の心理的反応を引き起こす社会的構造の影響は大きいはずだからだ。

★学問的エビデンスは重要だし、この出来上がってしまい閉塞した社会構造を変えるには、それはますます大切だが、僕は1地球人として、社会構造上、一握りの層にひと・もの・かね・情報とそれを回す化石燃料が集中していることが問題であることは、先人たちの成果からすでに明らかなので、どうやって、その社会構造内の一部の層に集中している力を解き放つかを論点にしている。

★そのために、いつの時代にもある革命という手段をとるのか、身近な制度のマイナーチェンジを積み重ねるのか、トロイの木馬を構造内にインストールするのか、やり方はいろいろある。浜中教授のように、学問的エビデンスを現代の社会構造のルールにのっとって提示し、検証し、だから変えなければならないというやり方ももちろんあるし、それは正統派だ。

★しかし、ルールは、不思議なもので、集中している力に有利に働く場合がある。いや往々にしてそうだ。大学入試改革も、本来は社会構造の閉塞部分を解消する予定だったが、違う力が働いて逆説的にも閉まってしまったということもあろう。

★現状の法制度は、悪法も法である。法制度を超えた力で悪法を是正することは民主主義ではない。悪法を変えなければならない。時間がかかる。そして、法制度を超えた力を使えば、革命になる。もちろん、法制度内に抵抗権を埋め込んでおけば別だが、日本社会の法制度にはそれはなさそうだ。明治期に政府官僚にルソーが排除されたのは、そういうことを意味しているだろう。

★そんなわけで、法制度にのっとって、法制度そのものを変える方法をとらざるを得ない。それがデビッド・ボームやピーター・センゲやガードナー、レズニック、古くはデューイなど、多くの見識者が語ってきたことだ。何せ、法体系にルソーはいないが、表現や言論の自由いルソーはちゃんと生きているのだから。法制度というのは摩訶不思議である。

★しかし、世の中は、彼らのノウハウを摘み取り、そのような魂を置き去りにするのが常である。PBLは、彼らの魂を高校生に限らず、そこに参加する人々と共感する場=トポスである。その本来性に気づく動きがようやくシリコンバレーやボストンあたりで生まれてきたという時代なのだろう。

★もちろん、常に自家撞着で、魂はそれらのエリアでも忘却されるものだ。それゆえ、最近では、その魂は、今度はベルリンに飛翔している可能性があるといわれている。あるいは、大企業のコンサルティング部隊が提示しているものとはまた違い、北欧で新たな本来的なサイキュラーエコノミーとして活動が始まっているのかもしれない。

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2019年8月12日 (月)

学校選択保護者であるサバイブ世代の子供たちはZ世代。

★1980年代を初等中等教育という青春時代として生きた新人類世代と1980年代から1990年代にかけてその青春時代を生き抜いたサバイブ世代。今これら2つの世代から中学入試に立ち臨む子供たちが誕生しているが、実は新人類世代のうち1965年生まれの家庭からZ世代が誕生している。1965生まれの新人類は、今や54歳だから、中学入試の家庭層としては年齢は高め。やはり中学入試を考える保護者はサバイブ世代に移行していると考えることができる。ともあれ、中学入試に挑む子供たちは、デジタルネイティブとしてのZ世代なのである。

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★ところが、このサバイブ世代、世の中では一般に、氷河期世代とかロスジェネとか失われた世代とか呼ばれている。僕は世代論をサブカル的なアプローチのみでみようとはしていない。ただ、戦後日本は、大学進学率も右肩あがりで、疑似的であるかもしれないが、偏差値スコア信頼システムが成立してきたから、どの世代も青春時代にこのシステムに遭遇し、それぞれがそれぞれの葛藤を起こしている。

★そして、その葛藤の時代要因は変わらないものもあるだあろうが、変わる要素もあまりに多い。だから葛藤の中身が世代によって違いがでてくるのは否めない。また、その葛藤を乗り越えるも、距離を置くも、逃走するも、解決しようとさらなる葛藤に立ち臨むも、そこに政治経済サブカルの相互影響は避けられない。

★1980年代以降は、この相互影響にグローバルな動きが入り込んできたのは、すでに紹介したとおりだ。僕が、氷河期世代を、中学入試においてサバイブ世代と言い換えているのは、戦後の中で、社会に出るやそれまでの高度経済成長やバブル社会は目の前で崩壊し、いきなり就職氷河期が訪れ、それまでにない社会変動の動きを身をもって体験した世代であり、その中で必死の思いでサバイブしなければならない世代という部分を前面に出してみた。

★「勝ち組み負け組み」という言葉は、1990年代のテレビ番組で登場していたが、それは明治維新のときの「富国強兵」「殖産興業」の正当化理論であった「優勝劣敗論」とはまた違う。この「優勝劣敗論」は今でも学歴社会の中では続いているというパラドキシカルな現象もあるが、失われた経済時代の「勝ち組み負け組み」は、何が「勝ちなのか」ゆらいでいた時代である。ただし、テレビ番組の意義づけは、サブカル的なそのゆらぎを前面に出すことはなく、むしろ「優勝劣敗論」をわかりやすく表面的に取り扱った。

★実は、21世紀になって、この負の影響が、サバイブ世代の中からあふれはじめた。一見遠いが、9・11から始まるテロもその影響の可能性がある。テレビ番組の構成は、意外と世界共通というか、互いにアレンジしまくっているから、そこから発信される情報はグローバルに似通ってしまうのかもしれない。

★1995年の地下鉄サリン事件からはじまり、不条理な凄惨な事件は、最近も止まることをしらない。そこで、内閣府はソサイエティ5.0の一環として、彼らの言う「就職氷河期世代の支援策」を実施するというのだ。

★1990年代の失われた経済の時期にうちだせばよかったものを、そのときは大企業や都市銀行の倒産も救わず、終身雇用の終焉をうたい、大リストラを定着させた。その抑圧的なバブルが、ここにきて弾けているとみることもできる。

★しかし、山本直人氏の「世代論のワナ」ではないが、一つの世代を一面的にみてそこをデフォルメしてわかりやすく表現することは危うい。だから氷河期世代というネガティブな面を強調する言い方より、戦後はじめて直面する大きな生活危機の状況の中で、サバイブした世代と言った方がよいかなと思ったのである。

★そして、電博やリクルートの奥の院にいる人材の武器は、ポストモダンを牽引する現代思想だった。1980年代を席巻したこの現代思想は、大学入試の国語や社会の素材でも活用された。学歴社会システムに、誰が巧んだのかわからないが、現代思想というトロイの木馬をインストールして、そこから大手広告代理店やリクルートなどの大手人材活用ビジネスやベネッセなど大教育産業に人材を送り込んだ。

★そしてこれら産業は当然IT産業とコラボした。サバイブ世代の中で生き残り組は、「勝つ」という概念をモダニズムではなく、ポストモダニズムの現代思想的にもっと主観や欲求に求め始めた。これがまたヤヌスなのだが、それはともかく、こういう新しい教養に大学入試という学びから影響を受けたスタッフは、当然組織論は今ではティールだとかいわれているが、1990年代の用語では「リゾーム型組織」とかライフスタイルは「ノマド」(このことばも現代思想用語)が流行る。

★コンピテンシー論も、今はやっているが、1990年代に現れた人材開発論の1つだ。

★こうしたライフスタイルの象徴が、いまGAFAと言われているシリコンバレーである。もっとも、今のように巨大化しているシリコンバレーというより、草創期のヒッピー起業家精神の集積場としてのシリコンバレーだっただろうが。

★もちろん、サバイブ世代は、次の世代のデジタルパイオニア世代とは違い、全員がICTに長けているとは言えない。ヘビーユーザー側ではあるが、クリエイターではないだろう。しかし、サバイブ世代で成功している人たちは、マネジメントというこれまた1990年代に生み出された新しいマーケティング理論を活用して、そのような才能者とコラボして新市場を創り出すのは得意だ。

★実際、僕の周りのサバイブ世代は、実に巧みだ。もちろん失敗から学んでいてまさにサバイバーで、しらけ世代の高齢者の僕だが、脱帽せざるを得ない。そんな彼らが、デジタルパイオニア世代とコラボし、Z世代の子どもを眼に入れてもいたくないほど愛しているのだ。

★したがって、モダニズム的指標で私立中高一貫校を選ぶはずはないのである。最近は校長もデジタルパイオニア世代の学校もあるし、教頭、教務部長クラスにデジタルパイオニア世代がいる学校が増えてきた。シリコンバレー系だったり、21世紀型教育系だったり、共感的コミュニケーションというポストモダン的な発想を組み込む学校が出現してきた。

★2022年は、1980年代から始まった社会変動の地殻変動が大地震となる可能性がある。そのときにどうするかサバイブ世代は、自分の生活と子どもの未来をどうするか決断するわけだ。

★ところで、その先はどうなるのか?AIシフトとは何を意味するのか。AIシフトは、産業革命以来続いた政治経済社会を大転換すること示唆している。つまりモダニズムの大転換。それはポストモダンで大転換したのでは?いや、ポストモダンは、モダンの延長上で、根底は変わっていない。ソサイエティ5.0は、内閣府や経産省は表には出していないが、日本の野望がおそらく隠されている。

★表に顔を出さない、官僚の奥の院に内側から変えるという高橋是清のDNAを持った部隊がいる。表に顔を出すのは、勝海舟のDNA部隊だ。なんで、そんなことがわかるのか?見たこともないのに。

★もちろん、独断と偏見である。ただ、≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫は、実は明治維新の時、政治に経済に官僚の中にヤヌスとして埋め込まれたのである。明治の偉人の中には、大河ドラマで頻繁に扱われる人物だけではなく、小栗忠順のような未来を予測しながら実践力を発揮した人物がいる。すでにグローバルな精神を持った恐るべき賢人である。新政府は、勝海舟は政府側に取り込んだが、小栗忠順は、生かされなかった。それほど怖ったのであろう。

★のちに、小栗忠順のDNAは≪私学の系譜≫に受け継がれることになるが、それは歴史家や歴史小説家によろしくお願いしたい。

★話は拡散してしまったが、要するにサバイブ世代の中の進取の気性に富んだ保護者は、Z世代の自分の子供たちの未来を見据えて学校選択をするということが言いたかったのである。そして、このZ世代こそ産業革命以来続いた強欲奪取型近代社会を循環型近代社会に転換する才能とICT秘術と平和を生みだす寛容性をグローバルネットワークを張り巡らしながらいかんなく発揮することになる。

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2019年8月10日 (土)

PBLの世界(15)中学入試は、留学生受け入れ政策とコンピュータ進化と国際経済の変動の三つ巴の象徴[了]

★3回にわたって、1980年代に始まった社会変動を象徴する中学入試の変容を描いてみたつもりであるが、それを表にまとめてみた。

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★そして、社会変動の完成には少なくとも半世紀は必要だろうから、2021年から2030年までを勝手気ままに予測してみた。とはいえ、いろいろな見識者がすでに未来予想をしているので、独自の予想ではないが。

★一つだけ独自のものらしいものとは、新しい経済システムが生まれてくるという予想である。

★これはあまり多くの人は予想しない。どうしても今の延長で考えがちであるから、しかたがないが、それは化石燃料ベースで考えるからである。

★エネルギーのベースが、化石燃料から人工光合成にシフトしたらどうなるかを考えるとワクワクしないだろうか?まさか人工光合成などできないだろうというところから考えるのではなく、もし人工光合成ができたならというところから考えてみるといかがだろうか。

★もちろん、これとても私が考えたことではない。すでにこのプロジェクトは始まっているようだ。未来はやはりデストピアよりユートピアをつくりたいじゃないか。

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PBLの世界(15)中学入試は、留学生受け入れ政策とコンピュータ進化と国際経済の変動の三つ巴の象徴③

★留学生10万人計画は順調に伸び、2003年に達成してしまった。これは、バブルを迎えていた日本に魅力もあったからだろうし、はじけてもIT革命の影響を日本もうけていて活況を帯びていたことはたしかである。

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★しかしながら、2003年までに、順調に同じ構造で伸びたわけではない。1997年・1998年に若干減速している。これは日本の経済構造の大きな転換期を示している。倒産するはずがない大企業や大手銀行が国の支援を得られず、見捨てられた事件が起きた時期である。

★この時期に、僕は教務から入試情報センターに異動になり、学校と社会で何が起きているのかリサーチすることになる。本社の方も、ホストコンピュータ時代からダウンサイジング時代に移行する波を避けられず、開発費がそちらに投資されることから、教務の開発事業は以前ほどではなくなったということもある。

★IBM・富士通・NECの時代も停滞し始めた。マイクロソフトの個人化戦略の幕開けである。それとともに、インターネット時代が訪れる。しばらくネットスケープを使いながら仕事をしていたが、それもまもなく過ぎ去り、マイクロソフトの時代になった。

★日本の経済の空白を乗り切るために、低賃金の労働市場を目指して、グローバリゼーションは広がらざるを得なかった。それに乗じてBRICsの台頭もあった。留学生はうなぎ上りに増えていった。当然増えると質の問題があちろこちらで頻発した。

★21世紀に入って9・11をはじめ軍事力はテロ対策時代に移行した。金融工学や脳科学、医療関連などあらゆるところでICTは欠かせなくなっていった。そこにSNSがはいってきて、スマホ時代が訪れる。世界中が1人1台PCに実質なった。

★中学入試に投資していた新興富裕層・準富裕層は、もはやジャパン・アズ・ナンバーワンでなくなった日本社会を支える学歴社会にこだわることはなくなり始めた。しかし、彼らは、2000年生まれの自分たちの子どもが2012年になるまでは、なかなか動けなった。僕の方は社内ベンチャー的に教育研究所を1999年に主宰させてもらい、PBL開発の準備にはいった。こういう新しい学びに興味と関心をもち、コラボする大企業が現れたということもある。しかし、なかなか広まるわけではない。本社の方の反ゆとり路線と教育研究所の総合学習をPBL化しようという動きは、当時はうまく両立できなかった。

★ところが、新興富裕層・準富裕層の中で、2013年ころから、英語とPBLとICTを活用したデジタルネイティブである自分たちの子どもにあった学校が誕生するや学校選びに変化が起きた。また、新興富裕層・準富裕層の消費経済を支えてきた旧富裕層・準富裕層も、そもそも自分の仕事自体、おしりに火がついてきた。中学入試において、帰国生入試のみならず、英語入試や新タイプ入試という思考力重視の試験も現れたのはこの時期である。

★もはや新興か旧かは問題ではない。マーケットを海外に広げ、インバウンドをどう誘致していくかが重要課題になった。これは世界的な動きで、2008年に政府官僚は、留学生30万人計画を開始した。2020年までに達成するのだと。しかし、あっさり2018年に達成してしまった。

★当時大学教授で、今は静岡県知事の川勝平太氏は、その当時から留学生100万人計画という大胆な提言をしていたが、それには日本の大学が準備ができないという理由があったのだが、どうやらまったなしということだろう。

★それに、SNS時代からクラウド時代になり、いよいよAIシフトの時代に突入する時代だ。大学が変わらないわけにはいかない。いずれにしても留学生だけではなく、入管法も改正され高度人材の受け入れ態勢も整えようとしている。もちろん、整備がうまくいかないこともたくさんあるだろう。

★留学生10万人計画の時のように、日本語習得マストの時代は突破され、英語でOKという時代もやってこよう。日本の企業もZ世代にまかせようという動きが活発になってきた、若くても年収1000万から4000万は可能だという制度設計もし始めている。でなければ、外国人の高度人材は寄り付かない。対価に応じたコンピテンシーとそれに基づいたテクノロジーがあればよい。

★仕事は1人ではもはや成り立たない。よってコミュニケーション、リーダーシップ、人間関係創造力、アイデアを生み出すチームワーク力などのコンピテンシーとそのアイデアを実現できるテクノロジーが重要になったのである。

★英語とPBLとICTと哲学が必要だという時代なのだ。つまり人間とAIの共生なのだが、いずれにしてもコーディングというデータ化は避けて通れない。信用はスコア化されるから、その使い方が間違えられると、人間はAIを通して一握りの人間に支配されるデストピアに突入する。すでにそういういことが問題なりニュースでも取り上げられている時代だ。もちろん、使い方によっては、すでに19世紀末にウィリアム・モリスが描いたが「ユートピア」が到来する。

★ちなみに、僕は2007年に会社を辞めて独立した。伝統と革新のバランスが伝統に傾き始めたとき、辞めざるを得なかった。伝統と革新のバランスが、革新よりを欲求する場が現れたからだ。そこで僕はどう役に立てるのか。そのことが、子供たちが世界を変えたり、世界を創ったりすることにどうかかわれるのか。僕自身は、それをPBLのトポスという世界を通じてみてみたいと。

★2020年は、1980年代に始まった社会変動の到達点であるが、それは旧体制の限りなく没落を導く。半分以上がその体制を引きずりながらここまできたわけだから、革新勢力だけで、今の経済システムを維持することはできないだろう。

★サバイブするには、新しい道を準備するしかない。つまり、強欲近代社会(その修正主義として再帰的近代社会)から循環型近代社会へのシフト。僕のやっているささやかなことが、その新しい道を準備することになっていれば幸いである。

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PBLの世界(14)中学入試は、留学生受け入れ政策とコンピュータ進化と国際経済の変動の三つ巴の象徴②

★かくして中学受験専門塾に入社したのは、1985年9月からなのだが、入社早々驚いたのは、社内は当時の中曽根政権の臨教審批判が舞い上がっていて、それが取締役の人達によって論じられていた。もちろん、現代化カリキュラムという落ちこぼれがたくさん生まれてしまった学習指導要領の改訂は公立学校には重要だが、私立学校は、現代化カリキュラムの継続をという論だったと思う。中学受験受験専門塾としては当然の理屈だった。

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★その正当化理論の1つを支える本がJ.S.ブルーナーの「教育の過程」で、科学の最前線も、子供たちがわかるレベルで教えるも、そのエッセンスである理論の構造は維持せよというのが肝で、その塾の新カリキュラムも、その「構造」というものを発見して、それをベースに創るのだと取締役陣がほえまくっていた。

★その構造の仮説を実証するためにも、学力調査レポートを毎年だしていた。11月3日の無料テストを、子供たちの知の構造をつくるデータ収集として位置付けていた。ふだんのカリキュラムテストや模擬試験にも、その構造の構成要素を教科コードとして体系化し、検証する研究もした。

★そうはいっても、現場は生徒があふれ、実際に合格率をあげるためにのみ動いていたから、本部で行っていることは顧みられることはなく、新カリキュラムができたころには、合格実績も右肩上がりということもあり、データ至上主義から研修体験主義に向かっていった。

★教務情報は、それ以降ルーチン化し、開発費もかけなくなっただろうが、入試情報センターは、その後も大活躍し、中学入試の黄金期をつくるのに大いに貢献した。

★1980年代は、ホストコンピュータ時代、教育改革のゆとり化、しかし同時に国鉄の民営化など、マーケット経済の動きが闊達になり、教育もその例外ではなかった。なによりも、1985年は、レーガノミクスでプラザ合意がなされ、為替の変動相場制の爆発が起こるグローバリゼーションの時代の到来の鐘を鳴らした。

★そんなとき、中曽根政権は臨教審だけではなく、留学生10万人計画をたて、国際理解教育に門戸を開放するのである。留学生を受け入れるというのは、教育制度だけではなく、外交関連法規の整備も必要であるし、何より国内外の雇用の問題をどうするか議論がはじまったのもこのころだろう。1ドル360円時代は去ったわけだから、海外に続々進出しはじめる動きも大きくなった。バブルが到来するのも必然だったのである。

★そこでうまれた新興富裕層が、1979年に発刊された「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の国で学歴トップを勝ち取るために、教育投資先として私立中学を選択することは当然だった。

★このような世界的な社会変動が、1980年代後半に、ペレストロイカやベルリンの壁崩壊に至ったのは必然的だったのだろう。中学入試は、この動きで活躍する新興富裕層・新興富裕層の投資先になり、さらに彼らを支える消費経済を生み出す国内富裕層・準富裕層の子弟の投資先にもなった。ジャパン・アズ・ナンバーワンを支える日本企業村の学歴構造はさらに強化されていった。

★臨教審は、当然世界の大学の大衆化の流れにも乗っているから、留学生10万人計画とともに、大学も改革が余儀なくされ、大学進学率も上昇し、教育の自由化、公平化とは真逆の学歴社会が堅固になっていくのである。社会の変動と教育改革の遅れというパラドクスは、1980年代にこうして生まれたのであろう。

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PBLの世界(13)中学入試は、留学生受け入れ政策とコンピュータ進化と国際経済の変動の三つ巴の象徴①

★2020年の大学入試改革とそれに伴う学習指導要領改訂、そして2020東京パラリンピック・オリンピックは、1980年代から大きく変わる社会変動の流れの第1到達点である可能性がある。そして、その1980年代から急激に拡大する中学入試は、社会変動の象徴である可能性もある。

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★1980年代≪から≫ということを、もう一度思い巡らしてみようと思ったのは、昨日紹介した小熊英二氏の著者を斜め読みしたことがきっかけ。明治以来積み上げられてきた堅固で改革をよせつけない日本の社会のしくみが、1980年代から変わり始めたという指摘を眼にしたからだ。妙なところで、私の感覚と一致を見たので、ちょうど世の中お盆休みになり、しばらくデスクワークが続くから、その合間に整理してみようかと。整理といってもざっくりだし、1980年代から僕自身の人生も変わったので、学問的整理ではなく、経験的整理にすぎない。

★僕自身は、1980年前までは、この学歴社会が象徴する官僚や企業ピラミッド型社会の中で、椅子取りゲームを楽しんで生きてきた。というより、楽しまないとサバイブできなかった。高度経済成長期に小学生時代を送ったから、北海道、東京、兵庫県、再び北海道と企業戦士のおやじの転勤ごとに転校した。小学生ながら、内地と外地の格差意識を押し付けられ、今思えばいじめに何度もあったと思うが、野球というクラスを超えたチームに入っていたから、クラス内のいじめはクラス外の友人によって撃破され、サバイブしていたと思う。

★小学校高学園から中学までは、釧路で感性豊かな環境を謳歌したが、東京―兵庫県からやってきた賢いヤツと神童扱いで、おやじの仕事も釧路の産業界でも幅を利かしていた時期だから、もともと僕は道産子なんだといってもとりあってもらえず、生徒会長をさせられたり、できたばかりの教育大附属中学に受験することを勧められたりした。相変わらずデブだったので、鼓笛隊で大太鼓をもたされて、釧路の祭りのたびに練り歩かされた。

★いやがることもなく、楽しむことにしていたが、とにかく脱出したいという想いがつよく、幸い中学は高校で札幌で過ごせる見識をもった先生方がたくさんいて助かった。

★1970年代半ばは、かくして札幌で下宿生活を大いに楽しんだ。学生運動の名残もあったし、下宿では娯楽といえば読書とラジオと国家論や哲学を交わす先輩たちに部屋は占拠されていた。

★北海道に残るなら医者か東京に出て東大かという先輩ばかりであったが、今思えば中公の思想全集かブルーバックスを読み漁っている教養人でもあった。本間は企業戦士の息子で、そこから脱却して自分とは何かをもっと考えて行動しないとダメだ。現体制の擁護論ばかりではないかと、今思えば洗脳?だったのかもしれないが、そんな彼らは立派に医者をやっているし、東大を出た先輩は大企業の研究員になっている。

★1970年代後半から1980年代前半までは、東京で寮生活や一人暮らし。そこでは、やがてカトリックの神父になる友人と多くのカトリック学校出身の友人と出遭い、なぜか自由闊達な神父と出遭い、トマス・アクイナスやヘーゲルの洗礼を受けた。

★大学・大学院では、市民社会法の教授と法哲学の助教授と出遭い、世界思想と法制度、法思想の影響を受けた。

★ときは現代思想全盛時代で、法哲学の助教授は廣松渉シューレだったし、なぜか自分が属している学部でないが隣の哲学棟によく遊びに行っていた。生松敬三、丸山圭三郎は、まだ健在だったし、木田元の弟子たちとはよく飲んだ。そんなわけだから、ルソー、ヘーゲル、マルクス、ウェーバー、ソシュール、ハイデッガー、レヴィ・ストロースの議論は日々盛り上げっていた。

★そんな中で、なんでトマス・アクィナスなんて古臭い神学をやるんだといつも突き付けられ、答えるのに苦労したが、当時東大の大学院だった友人が労働経済をやっていて、正義論から交換経済への移行期の研究をしていて、中世の都市経済にすでに、その根っこの理論を形成したトマス・アクイナスの僕の修士論文を読んで、結構凄い発見だと思うよと元気づけてくれた。彼は後に横浜国大の教授になり、最初の著作に未公開論文として僕の修士論文も引用してくれた。学者の道を続けろとエールを起こってもらったが、それにはまったく応えられなかった。

★その中世の都市に資本主義の萌芽が在るかもしれないという発想自体は、シュンペーターとマルク・ブロックに影響を受けた。当時大学院には法哲学というカテゴリーはなく、法哲学の先生がまだ助教授だったこともあり、民事法の法制史の教授に師事したわけだが、歴史と哲学では相容れないところが多く、アナール学派は、受け入れられず、葛藤もあった。

★まして、現代思想はまったく受け入れられなかった。なんで自然法論と現代思想とが親和性があるのかと。またその教授の弟子たちは、だいたい自然法なんて存在しないだろう。神がいないんだから自然法もないだろうと、議論ができなかった。

★説得できるだけの理論を持ちえなかったし、何せラテン語とギリシア語とフランス語とドイツ語を自在につかわなくてはならない学問領域がゆえに、こりゃ無理だと修士論文を書いて外に出た。教授にも、テーマが広すぎるし、おまえの思想なんて100年早いと言われ、ますます学者として無理だなと。

★しかしながら、今思えば、こんな雰囲気から脱出したいと思っていた個人的な経験は、ちゃんと時代の精神に影響を受けていたミーハーな僕だったわけである。つまり、組織論がピラミッド型で抑圧的なシステムが批判され、ゆらぎはじめた時代で、そのゆらぎの先に魅了されていた僕だった。

★そして、同時におやじの会社も右肩下がりになりM&Aの憂き目にあい、おやじは社内ベンチャーで隆々としていたが、子会社のガス爆発事故の責任をとって辞めた。株を全部本社に売り、当時としては高額の退職金をもらって、悠々自適の生活を送るはずだったが、よせばよいのに、バブル突入時期だったので、株に手を出し、あっというまに紙くずになった。

★かくして、僕もおやじも野に放たれた1980年代なのである。しかし、なぜか北海道は生け花全盛で、大師匠のおふくろは飛ぶ鳥を落とす勢い。イタリアにドイツにと、札幌市の国際交流で活躍したり、なぜか自衛隊に招聘されて、米国の部隊と日本文化交流で生け花のワークショップを行ったり、札幌のグローバルスーパーマーケットの福利厚生のために生け花を教えるなどしていた。

★おやじは、自分はスッカラカンだったが、おふくろはいい迷惑だっただろうが、プロデューサ―然として運転手もやりながら全国をついてまわった。大学時代バスケット部のキャプテンだったということで(それを知ったのもそのときはじめてだったが)、当時の部員たちが集まっては飲めや歌えで、東南アジアツアーにも飛び回り、最後は肝臓がんで大往生だった。企業戦士が、社内ベンチャーを経て、フリーターになり、仕事などまったく考えず、飲めや歌えで、病院でもわがままし放題で、友人たちにみとられて大往生。葬式は静かにやるつもだったが、社内ベンチャー時代のスタッフがおしかけてきた。実は本社リストラ社員をひきとってベンチャー企業をやったというのが真相だったという。

★なんと、1980年代は、僕自身やおやじの生活そのものが、社会変動の渦にちゃんと巻きこまれていて、その渦に飲み込まれるか、飲みこまれないように脱出をいかにするか考え行動するかという選択の時代にいたのである。

★そして、僕自身は、大学院時代にバイトをしていた小さな塾を辞めて、しばし何もせず、廣松渉の著作を読み漁り、ある程度開眼するまで働かない宣言をして、部屋に閉じこもった。その小さな塾でおこっていたことは、町田エリアで頻発していた校内暴力や学校の荒廃で、塾に助けを求めてきた生徒たちとの交流だった。塾の中でもそういう生徒を抑圧する経営陣と僕は生徒との狭間にたって葛藤したが、担当した生徒がなんとか卒業したのを見届けて辞めた。

★結婚して一年目の美術教師の妻は、しかたがないねえと。生まれたばかりの娘は、そんなことは知る由もなく、安心してよく泣き、よく乳をのみ、夜はぐっする眠っていた。金じゃない、思想なんだと青臭いことをいって、妻を呆れさせていた日々だったが、その後中学入試の風を思い切りつくった中学受験専門塾に入ることになる。

★要素還元主義から関係総体主義へという輪郭がみえたところで、さすがにそうはいっても稼がなければと。最初は、講師をやりながら有り余る自由な時間を自己沈潜する予定だったが、偶然にも職員にならないかと声をかけられ、その理由がまったく新しいカリキュラムを開発することとホストコンオピュータと模擬試験を関係させて新しい評価システムをつくるのに、力を貸さないかと言われたからだ。

★法哲学の主流は実は当時は言語で、自然言語と人工言語の関係とトポス論がはやっていたということもあり、コンピュータを活用して新しいシステム=ルール(トポスう)を創るというのは興味深かった。塾のイメージがまったく違って見えた。

★中学入試にお金が流れ込む時代だったわけだが、バブル期に富裕層や新興富裕層が子どものための投資先となったのが、1980年代である。この新興富裕層・準富裕層の存在こそが、1980年代の社会変動のプレイヤーだったわけである。もちろん、この新興富裕層・準富裕層の消費活動を支える層もまだまだ活躍していた時代であり、かれらは伝統的な中学選びを支えるプレイヤーだったのである。

★当時は、そんな意識はせずに、とにかく今までにない仕事を創りたいという一心だった。しかし、どうやら1980年代は、社会変動の兆しが身の回りに現れていた時代だったのであろう。

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2019年8月 9日 (金)

PBLの世界(12)小熊氏の「日本の社会のしくみ」を思考力革命からみた感想

★小熊英二氏の新刊本「日本社会のしくみ」(講談社現代新書2019年8月)を例によって斜め読みした。ビブリオを含め601ページのボリューム満点の本で、とても精読の時間がない。しかし、日本の社会のしくみが改革を起こせない歴史的、社会構造的、心理学的、比較研究的な多様なアプローチを小熊氏の独自の切り口に融合しているため、学問的価値以上にグローバル市民が携帯すべきリソースであろう。

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★私は、グローバル市民というより1地球人にすぎないから、地球人としてこの本を楽しみたいなあと。地球人は、自然と社会と人間の精神の循環を大切にしている。この循環は、時代によって違うし、その時代の終末時には、循環は崩れがちになる。しかし、そのたびに、その循環を新しい制度とイノベーションが、新しい循環として蘇生する。

★小熊氏自身は、601ページのそのほとんどを、1980年代までに形作られた、強いそれゆえに改革しがたい企業メンバーを大切にすることが中核となった社会制度の形成過程を紐解くページに割いている。

★これを読むと、雇用者側も組合側も、各家族のための自己防衛運動はしたが、社会運動につながらなかった、つまり改革を拒むシステムが共謀共同的に出来上がったことが検証されていることに気づく。だから、読んだら、ムカつくかもしれない。

★しかし、1980年代から、この堅固な企業村社会システムにグローバルな波が押し寄せ、一部の企業を除き、破壊されつつあると小熊氏は指摘している。

★この辺は、現代社会論者とあまり変わらない視点である。それもそのはずだ。小熊氏は、この堅固なシステムが壊れつつ、しかし、限定的に強固な企業村社会システムが継続する動きについて書いているページは、601ページのうちの3%しか割いていない。未来を論じるのは、学者としてのは自分の使命ではないのだと。ただ一つ言えることは、「透明性」を貫徹することなのだと。

★これは、ようやく3%ではあるが、知識・論理的思考力どまりであった企業村社会システムベースの日本社会に、創造的思考力という思考コードでいうC軸思考が生まれてきたことを示唆してもいる。つまり、いよいよAB軸思考(知識・論理思考)からBC軸思考(論理・創造的思考)へ移行する思考力革命が生まれ始めている。

★それにしても、最終章で披露されている非正規雇用の賃金政策についての小熊氏の3つの政策カテゴリーは、コンサバ、リバタリアン、コミュニタリアンの正義でつくられている。つまり、サンデル座標のうちリバタリアンを除いた正義観。

★小熊氏自身は、AB軸思考をベースに学問していることを結果的に表明しているわけだ。地球人としてBC軸思考を使う目的は、たとえば、サンデル座標をどう乗り越えるかなのである。というのは、サンデル座標は、普遍的座標ではなく、あくまで強欲近代社会やその修正主義である再帰的近代社会を考える際の正義論なのである。ところが、小熊氏が3%割いているこれからの社会は、循環型近代社会にようやくシフトしようとしている。

★その循環型近代社会において、サンデル座標は成立しない。AIシフトの時代にあって、産業革命以来変わらなかった化石燃料の覇権をめぐる奪取競争がなくなるからだ。正義とは、希少資源の配分政策であり、格差の正当化理論である。

★循環型近代社会は、AI科学による化石燃料からの解放である。格差なき社会である。そこで正義は作動しない。自然法というシンプルな循環型近代社会ルールが残るだけである。そのルールは人が決めるものではない。循環型社会が成立する自然法則なのであるから。これが透明性の貫徹の行き着く姿である。

★いすれにしても、この循環型近代社会形成のための知=BC軸思考は、PBLで生まれることは間違いない。PBLが行われるのは、もちろん、学校に限らない。あらゆる領域でPBLが広がる。このPBLの拡大こそ思考力革命の運動態なのである。

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2019年8月 6日 (火)

PBLの世界(11)2021年以降サバイブするかえつ有明

★今年の10月から2020年東京パラリンピック・オリンピック終了頃にかけて、日本の経済減速が懸念されている。隣国のみならず世界の貿易戦争という経済戦争やドイツ銀行破綻の噂や米国のサブプライムローンを思い出すような危うい債権が売られているなどの影響に日本経済は耐えられないかもしれないと警鐘を鳴らす世界的投資家もいる。

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★国家―中央銀行の権力の低下が、AI社会シフト共にやってくるとも心配されている。それはGAFAの動きと国家権力とのせめぎ合いをメディアが取り上げれば取り上げるほど信ぴょう性を帯びてくる。

★そういう中で、進取の気性に富んだ保護者者は、経産省や文科省の政策に右顧左眄することなく、未来を予想し、時代の動きを見ながら、自分の子孫の繁栄を計算する独立者だ。コスパが良くてインターナショナルスクールや世界のエスタブリッシュスクール並みの教育を実践できる学校がサバイブするというのは、彼らにとっては当たり前だ。

★そして、彼らがサバイブできると考える学校のモデルとは、シリコンバレー流儀の学校であることはたしかである。HTHがその代表例であるが、必ずしもHTHだけではない。米国のホームスクーリング、HTHのようなチャータースクール、バウチャーで選択される学校、米国のインディペンデントな私立学校である。

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★つまり、どこか1つをモデルにするというよりは、これらの学校に共通するメタモデルを描いている。

★では、そのメタモデルとは、何か。その典型的なモデルは、「今」のかえつ有明である。かえつ有明は、イギリスなどの研修旅行や長期留学や生徒が主体的に外部団体と連携する活動など頻繁に行われる。

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★それは、他の学校と同様、現状の経済状況で可能であるから問題ないのであるが、経済状況が右肩下がりになり、世界がテロなど治安維持の危機的な状況になたとき、いまここで学校が何ができるかというところが極めて重要になる。

★かえつ有明は、英語とPBLとICTが充実している。他の学校だってそうやっているではないか?そうやっているところもあるが、それは少ない。そして、大事なことは、英語もPBLもICTを活用している生徒の存在である。その生徒は、英語を活用する時に哲学的な世界存在をイメージし実現する活動をする存在なのである。そして、その世界を探り広げ創り出していく思考活動こそPBLで、英語とPBLは関係しているのだ。さらにそのときにサイバー体験ができるようにICTというマシーンを生徒は使う。人間とマシーンは今後共生していくことは必須であり、AIはすでにタブレットやラップトップに搭載されている。

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★生徒は、この英語とPBLとICTを活用する関係態としての存在を形成していく。このことが、海外に研修しにいったり、PBLを推進している団体に研修しに行くだけでは、ツールとしての英語とPBLとICTを学んできているにすぎず、関係態としての人間存在として身体化された英語とPBLとICTを生みだしているわけではない。

★かえつ有明は、この英語とPBLとICTを身体化し、身体脳神経全体として人間存在を形成している。それが学内でできてしまう環境になっている。それゆえ、サバイブできる学校として、進取の気性に富んだ保護者の間でがんがん口コミになって広がっているのだ。

★もちろん、かえつ有明だって、まだまだ進化できる。英語を帰国生に頼るだけではなく、生徒全員がハイレベルで活用できる程身体化するのは、これからだろう。PBLだって、来週テストだから、テスト対策のためPBLはやらないなどということが、今後はなくなっていくだろう。ICTももっとグーグルドライブやクラスルームのようなプラットフォームを充実し、海外の学校とプラットフォームで議論し合うことになるだろう。

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★だから、アプリも世界で通用するアプリが選択されていくようになるだろう。学校の中で完結するプラットフォームは、コストの無駄なのだという発想になっていくだろう。

★進取の気性に富んだ保護者にとって、かえつ有明を選択することは、自分の子どもの未来の投資になるのである。未来において子供がバリューを高められるということは、市場価値がグローバルシチズンによって認められるということなのだ。

★このような保護者は、バリューを権威によって評価されることを求めない。それはしょせんパワハラであり、マインドに病を取り込むリスクがある。もちろん、その市場は、今の権威や権力がコントロールしているような市場ではない。早晩、この市場は衰退する。今の権力者から見たら、これからの日本や世界の経済は低迷する。

★しかし、進取の気性に富んだ保護者がプレイヤーになる新市場は、権力の支配からは解放されている。そこでバリューを高める力が身に着く学校の1つがかえつ有明であるということだろう。

★世界全体が右肩下がりになるのではない。そういう従来の部分もあるだろう。しかし、同時に新しい経済システムが誕生する。

★従来の経済システムで椅子取りゲームをやって競争で勝ち抜いてきた権力態は、沈みゆくその経済ステムと共に滅んでいく。しかし、進取の気性の保護者は、そこにはいない。新しい経済システムを作る側にいる。すなわちかえつ有明は、その新しい経済システムを生成する人材の学びの場として歓迎されるのである。それがかえつ有明のサバイブする意味である。

 

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PBLの世界(10)教育改革は、経産省と文科省のダブルバインドとダブルスピークから脱出できるか

★2020年から2040年にかけて、大学入試改革や学習指導要領改訂、未来の教室、ソサイエティ5.0など文科省と経産省は、教育改革のシナリオプランニングを描いている。

★教育とは必ずしも、政府と官僚主導によるものではないはずだが、90%は、ナショナルカリキュラムによってコントロールされているために、そうでない姿をイメージできにくい。それをイメージしやすい立ち位置にいる私立学校でさえも、なかなか自分の立ち位置を全うすることは難しい。

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★というのも、経産省は、文科省に改革情報を与えながら、文科省と違う路線を用意しているからだ。それは、文科省は90%の公立学校をコントロールするのに対し、経産省は、教育界とつながる企業やNPOをコントロールし、その団体と公立学校をジョイントさせるようにしている。そのジョイントの方法の1つが、企業やNPO団体との連携プロトタイプづくりを私立学校と行うという方法。

★もちろん、経産省と連携する企業やNPOの多くは、自分たちがコントロールされているのではなく、あくまでもコラボしているのだと考えているだろう。そこにかかわる私立学校もそうだ。しかし、今回も未来の教室の取り組みを行っている団体の面々をみていて、ああ、ちゃんとそれを自覚していて、コントロールとコラボレーションという置換という情報操作、つまりダブルスピークを戦略的に活用しているところがあるなあと。

★そのことを具体的に指摘すると、炎上しそうなので、具体名はだすのはよそう。まだホンマノオト21は、この国の危うさを発信していく必要があると勝手に思っているし、その危うさを再帰的近代によって回収し再生産するのではなく、循環的近代によってリスク浄化持続可能性を実践する方法論を模索している私立学校の応援もしたいと思っている。私自身もその方法論を実践する団体をつくっている最中ではある。

★ともあれ、経産省と連携しているというダブルスピークを見破っている団体とそうでない団体は、まず私立学校と組んでプロトタイプをつくり、公立学校に事例として流し込んでいる。

★だから、この政財官学の一蓮托生空間はかなりどうしようもない。

★しかしながら、ダブルスピークを活用する経産省と団体の連携は2通りある。経産省の恐ろしいところは、その両方を仕切っている点だ。もちろん、仕切られている方はそんな自覚はないだろうが。

★どうも経産省のミームには勝海舟のマインドがある。改革を推し進めながら、失業した武士を救済するために動くのだ。だから、改革を推し進めるも、いつのまにか旧体制のメンバーで改革がまことしやかに運営されてしまうのである。

★今回も教育改革をおしすすめながらも、文科省によって変われない保守的な現場を救済する動きをとるように動いている。その象徴がアクティブラーニングを「主体的対話的で深い学び」という言い換えだ。これによって、現場は、一方通行的講義形式から問答型の講義を行えば、対話は保てるし、問答という対話によって主体性も養えるし、問答は深い学びを誘発するとなって、何も変わらないということになるのである。変われと言いながら変わるなというダブルバインド状態が現場では生まれるのである。

★ただ、経産省が流し込んだプロトタイプによって、またエドテックを中心とするそれを推し進めた外部団体との連携によって、教えない授業という置換え表現で、アクティブラーニングを行う学校も出てくるから、経産省としては成功したわけである。

★しかし、経産省は、それで満足するわけではない。今度はアクティブラーニングをPBLと置換え表現してまたダブルスピークを行うのである。これが未来の教室事業の流れである。

★文科省は、この動きは、またPBLと置き換えたダブルスピークだから、自分たちと同じ方向性だと安心しきる。

★そこが、経産省の思うつぼなのだが、経産省のこのダブルスピークは、変わろうとする現場と変わらない現場との格差を鮮明にしようというシナリオなのである。現場では、このことはあまり問題ではない。というのは、統廃合は少子化によってしかたがないから抵抗できないし、あとは税金が形式的平等によって配分されるからである。ここが守られていれば、問題はない。

★しかし、特区活用だとか学校教育法の改正によって、合法的に、公立学校でもほんの少し配分優遇されるところも出てきている。プロトタイプを提供してきた私立学校の中には、この動きに経営上圧迫されているところもでてきているぐらいの本当はすごい勢いなのだ。

★経産省のねらいは、この改革格差を税金配分格差にもっていこうとしているわけである。しかし、これは一気にやるとさすがにヤバイ。そこで、ゆっくり見えないところで迅速に行っている。

★未来の教室では、HTHをモデルに多くの団体が動いている。しかもその象徴がPBLなのだ。そして、探究を中心とする教育活動をPBLの場とすることによって、このような外部団体が学校に入り込めるようにしたのである。探究の授業と教科授業が結びつく図式がシンボライズされているが、本当のところは結びつかないし本当に結び付けようなどとは思っていない。結びつける≪媒介項≫を作ろうとしないのが証である。もっとも外部団体は、HTHのPBLにあるこの≪媒介項≫を認識するフィルターをもっていないから、行動心理学的にアクティビティのつなぎあわせのパッチワークでPBLを構成するから、結びつけると言いながらそうしないダブルスピークをここでもうまく活用する。

★経産省と連携する団体には、二通りあり、改革を推し進めながら、現場は変わらないというダブルバインド状態をつくりだし、そのサポーターとして公立学校に入り込み税金の回収装置をつくろうとする企業が1つ。これはこれで経産省が描いている格差を生み出すシナリオとして必要なのであるが、もう一つが経産省はやりたいのである。そしてそれを自覚している団体がある。この団体の動きはかなり大きい。

★私立学校にとっては、少しヤバイ。特にその団体と同業の団体がバックにはいっている私立学校はイイトコどりされて、気分が悪そうだ。しかし、そこも大学合格実績を出せといわれる塾に占拠されているから、新しい動きは鈍ってしまう。

★経産省が改革モデルにしているのは、シリコンバレーのGAFAである。もちろん、そう公言はしていない。OECD/PISAの情報なども流し、それを学力調査テスト→適性検査→高校入試の適性検査型化→大学入学共通テストという流れまでつくっている。

★シリコンバレーの教育改革は、思考力重視だから、この流れはよいのだと。すると、現場でも、シリコンバレーとくに、HTHはこの大学入試改革の一連の改革とシンクロしているとダブルスピークの効用が生まれているのだ。

★しかしながら、シリコンバレーは、そんな小さな思考力改革程度で満足するはずがないから、シンクロなどするはずがないのだ。経産省はそこも計算済みなのだ。シリコンバレーの仕掛け人はスタンフォードとハーバードとMITである。米国はめちゃくちゃ格差社会である。州によって教育の運営が独立しているから、教育予算としての税金回収額は、エリアの住民が富裕層かそういでないかによって想像を絶する格差がある。

★シリコンバレーエリアやボストンだけでOECD/PISAのテスト結果を出せば、フィンランドや香港など軽く圧倒するだろう。そもそも、シリコンバレーは、ボストンとも違い、PISAをはじめテストなどどうでもよい。

★HTHの事例が中心のMost likely to succeedの上映会やDVDをみて、感動する日本の先生方は、この米国の富裕層の教育改革を見て、感動しているわけであるが、現場に帰って途方に暮れる場合がほとんどだろう。もちろん、それを行えるというか現場に変容させる力をもった先生もいる。そういう先生はそのような改革を行える学校にスカウトされてもいるからなおさらだ。

★しかし、経産省はそんな変容すらも考えていない。もう一度、冷静にトニーとテッドというダブルTが書いた本を読んでみるとよい。経産省がデジタルファーストとダブルスピークで呼んでいることの、本当の姿がわかるだろう。

★いったん幕藩体制を破壊し、新体制で旧体制の人間が生きて行ける勝海舟シナリオプランニングをしているのだ。そのとき残るのは、英語とPBLとICTというあたかも学びのツールとよばれていた≪関係態≫である。実はそれだけでできてしまう学校が残るのである。しかも、それはもはや高校でも大学でもない。中世から創り上げてきた世界の大学を頂点とする教育ピラミッドシステム(もはやコスパが悪すぎる)そのものの創造的破壊がダブルTの目的であり、それはその背景にスタンフォードとハーバードの戦略がある。その戦略をうまくアレンジしたのがミネルバ大学だが。

★経産省が憧れているのは、この世界である。ただし、ダブルTと違うのは、勝海舟のDNAを継承してしまっていることだ。こうなると、俄然、勝海舟と違う路線を歩んだ、明治の私学人のDNAが、経産省とは別路線で、シナリオプランニングを果たすのである。そのような私立学校を応援するし、私も先生方といっしょに実際に創ろうと思っている。

★経産省は、再帰的近代路線がベースだが、本来の≪私学の系譜≫は、循環的近代路線である。格差による排除から、循環による関係創造へ。同じPBLでも創造するものが全く違うのである。

広島原爆の日に思う 8時15分

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2019年8月 5日 (月)

富士見丘 明海大学GMMサマースクールに参加 オールイングリッシュの大学のPBL体験(3)

★プレゼンテーションのコーディネートは、吉田成利准教授が行いました。各チームの講評は、ハワイ大学のラッセル・ウエノ教授とマレーシアのサンウェイ大学のダニエル教授をはじめ、GMMの教授陣と吉田ゼミのチューター。

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★今回のテーマは、簡単に言えば、2020東京オリンピックを契機に、日本のインバウンドをどう増やせるかということだが、富士見丘をはじめ参加した高校生は、かなり多面的なアプローチをしました。

★それは、GMMの先生方のある意味ねらい通りでした。グローバルマネージャーとは、ツアー工程やイベント業務を仕切ることもあるでしょうが、それだけが目的ではありません。ツーリズムを通して、都市や国の魅力づくり、環境問題の解決、異文化理解、国際イベントを通しての平和づくり、グローバルコミュニケーションを保障する法整備、世界の格差をいかにケアできるかNGO的なボランティアコミュニティの創設運営、産官学の協働を仕掛けて、新しい時代を拓くビジョンづくりなど、世界の平和と幸せをマネージメントしていくリーダーシップを発揮するコンピテンシーを身に着けることでしょう。

★多角的リサーチ力、世界を巻き込むリーダーシップ、ツーリズムにかかわる国内外の法の整備の知識、インバウンドを相互に生み出すための資本調達の技術などが必要になってくるです。

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★今回の高校生のプレゼンテーションは、かなりチャレンジングでした。東京オリンピックに世界の人びとを迎え入れるための、現状のデメリット・メリット分析、開催中の問題点の解決、何より終了後の経済ギャップ問題の解決についてアイデアを出し合いました。

★東京オリンピックを契機に日本の観光業を盛り上げるには、日本の文化や魅力をもっと広げることですが、そのためのSNSやアーカイブ、動画の創意工夫については、デジタルネイティブあるいはZ世代ならではの発想でした。

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★ラッセル・ウエノ教授は、プレゼンの構造(ストラクチャー)がわかりやすいとか、グラフや図など多面的なアプローチが説得力があるなどポジティブな講評をしていました。

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★ダニエル教授も、みなさんは本当に高校生ですか?大学生ではないのですねと驚嘆しながら、動画による広報などICT関連の技術について丁寧に評価しフィードバックしていました。

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★たしかに、プレゼンテーションツールの編集は、実によいデキだした。キーワードでインパクトがある表現をしていたり、動画、図、グラフなどのコンビネーションも説得力がありました。

★しかし、同時に参加者が改めて、アニメや各都市の祭りなど日本の魅力を多角的に共有できたし、英語の教育問題も思い知りました。都市の交通インフラが、まだまだ交通渋滞、大気汚染、交通事故など問題が山積し、海外に比べてWifi環境の不足など課題山積でした。2020年東京オリンピックを契機に、これらすべてはSDGsに含まれる問題ですが、その問題解決につながることこそ究極の東京や日本、そして世界の魅力を創発する試みであることが共有できたサマースクールになりました。

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★最後に、1人ひとり修了証書をラッセル・ウエノ教授から授与し、閉会になりました。

★感動の余韻に浸りながら、帰途に就いたのですが、背後でじゃんけん大会が始まっていました。さすがはグローバルサマースクール。終了後は思い切りはじけるサプライズがあったわけですね。たしかに隣はディズニーランドです。もしかしたら夏休みの特別イベントなどがあるのかもしれません。何が行われているかわかりませんでしたが、真剣に学んだあとは思い切り弾けて遊ぶのもグローバルリーダーシップの手腕です。

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