聖パウロ学園

2021年12月 7日 (火)

放蕩息子のたとえ話 芸術・文学・心理学・政治経済学のプロトタイプ 新しいカトリック学校のために

★カトリック学校の一つの課題は、聖職者の高齢化問題があります。勤務校のように、神父、シスターが常駐していないカトリック学校が増えていくという問題です。それでも、多くの学校の校長は信者であるという場合が多いのですが、それも必ずしもそうでないというケースも増えてきています。勤務校の場合は、ミサや宗教の時間はありますし、校長をはじめ理事会メンバーは全員信者ですから、カトリック学校の最小限の条件は満たしているかもしれません。しかし、大事なことは教育活動全体にカトリックの精神が染みわたっているかです。

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★さて、それをどうするか。このような課題は、常にイノベーションを起こします。今までは、ミサは神父様のネットワークに頼んで、宗教の先生にカトリック精神はお願いするというカタチをとってきました。それを、学内全体で広めるにはどうしたらよいかとなりますと、当然対話を巻き起こります。これがやがてイノベーションにつながります。

★勤務校の場合、聖書の中の黄金律をスクールモットーにしているため、学内で広めることに対する姿勢ははじめからあります。NY国連でもノーマン・ロックウェルのモザイク画をディスプレイしています。黄金律を謳っている作品です。そして、これはキリスト教のみならず、民族も、人種も、宗教の違いを超えて共通するルールだと国連はみなしています。

★したがって、信者であろうとなかろうと、黄金律を尊敬し実行することは、グローバル市民として大切なことなのです。グローバル教育を行う基礎には、この精神があることは大切です。したがって、教師は、この精神を胸に、生徒と対話し、小論文指導をし、進路指導をします。医療関係や介護の道に進む生徒は、今回のパンデミックで、この精神の重要性を深く受け止めて取り組みます。

★上智や南山大学などのカトリック大学に進む生徒も、神学部に進む生徒のみならず、経済や経営に進む生徒も、強欲資本主義ではなく黄金律的配分の正義に基づいた経済社会システムを考えるチャレンジをします。そして、カトリック大学ではなくても、法学部や政治経済学部に進む生徒も、ニューコモンズの新しい流れを黄金律的な発想と重なることに気づいて、構想を練ります。

★カトリック学校に進む生徒や新しい経済や都市構想を考えている生徒、SDGs関連や哲学に進む生徒の中には、私に問答をして欲しいと訪ねてくるので、対話をします。

★そんなことをしているうちに、いっしょにワークショップをしてくれる教師もでてきました。今では、その教師は複数いて、自分の授業でも創意工夫しています。カトリック精神の分有が生まれてきたとき、私たちは自己変容型マインドを共有することになります。

★それは、エンカレッジコースでも同じです。10月以降各学年各クラス、後期の特別講座を2回ずつ受け持つのですが、学年の先生方や日大文理学部のインターンの学生のみなさんとコラボして行っていきます。

★通奏低音のテーマは自己認識とアガペーです。表のテーマは、物語分析方法を学ぶです。前期はダ・ヴィンチの最後の晩餐をメインに暗号解読的アプローチで、表現を読み解く作業をしました。後期は、聖書を物語としたとき、物語分析をどうしていくのかをメインに登場人物の感情分析曲線をツールとして介してワークショップを行いました。参加した教師もインターの学生も、生徒と一緒に分析します。

★昨日は3年生の最終講座だったので、「放蕩息子のたとえ話」を使いました。勤労・勤勉・倹約と自由奔放贅沢三昧の対比や嫉妬と改心と愛が凝縮された物語で、後世の芸術や文学、心理学、政治経済学のプロトタイプになった有名な箇所です。

★ですから、即興劇を演じてもらうところから始まりました。兄と弟と父とナレーターを買って出てくれる生徒がいたので、配役はすぐに決まりました。他のメンバーは、全員友人だったり、祝いの席のメンバーだったりと教室全体がインプロ劇場です。

★そのうえで、感情分析曲線で分析する個人ワークをします。物語を読むだけではなく、ロールプレイをしていますから、当事者意識が広がっています。ここは以前と比べ物にならない程のスピードでできたので、自分のシートを語るダイアードを行いました。語り合うのではなく、語る人と傾聴する人の役割を明確にわけるペアワークです。シャッフルしていくので、仲間の考えや感じたことを共有できます。他者との違いをリスペクトすると自己の考え方や感じ方をリフレクションすることができます。自分で自分に即して感じる機会を創りたかったわけです。

★でも、直接自分を見つめることは避けています。感受性豊かな生徒が多いので、直接そこには向かいません。あくまで、自分で自分に寄り添う姿勢を大事にします。

★そのあと、心理学でもこの物語は活用されるという体験をします。兄と弟のメンタルモデル分析です。そして、そのあとに父の役割について考えます。一般の物語や小説では、このような父はいないので、バッドエンドになりがちです。聖書は救いが明示されているので、そこはたしかに心理学の肝かもしれません。もっとも、フロイトの流れでは、この父はまた別のキャラに読み替えられるわけで、複雑です。

★この分析もダイアードで盛り上がりました。

★時間がなかったので、「放蕩息子のたとえ話」は政治経済的アプローチではどうなるかについては、講義で終わってしまいましたが、サンデル座標で分析してみました。

★来年の高校の新学習指導要領では、各教科は、自然現象や社会課題にどう結びつくのか、社会実装としてどう役に立つのかが問われます。だとするならば、聖書も解釈にとどまらず、社会の制度設計にどうすでに役立っているのかを学ぶ機会を増やしていくことは重要です。

★新しいカトリック学校は、あらゆる分野ですでに社会実装されている聖書の発想を取り出して共有することとその発想でさらなるイノベーションを生み出す機会をデザインするということではないかと思っています。

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2021年12月 4日 (土)

存在の意味の創造(01)生徒理解における相互のズレの軌道修正の過程 超越論的PBLのビジョン

★勤務校のエンカレッジコースで教師及び生徒と対話していると、教育とは人間存在の意味を創っていく生き生きとした体験を生み出していくことだと身に染みて感じます。どうしてそう感じるかというと、エンカレッジという教育の場がそもそもそうなっているからです。そこには、「教える」「ケア」「才能を生み出す」とい3つが統合されて生徒1人ひとりの存在を共に織りなしている場となっているからです。

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★教師は教える過程で、生徒1人ひとりが、ネガティブな感情やポジティブな意志、ネガティブな言動、ポジティブな言動の関係態に触れます。この組み合わせは生徒によって違います。したがって、たとえば、教師は、ポジティブな言動をとっていても、ネガティブな感情を実際には持っていたりする存在に寄り添うことになります。

★3年生の総合型選抜や指定校推薦のときの指導では、ネガティブを受け入れながら、それをポジティブに転換できる可能性を懸命に探ります。しかも、教師は押し付けることはしません。押しつけると、開かれた才能が一気に閉じてしまうという経験を何度もしているからです。

★しかしながら、あるところまでくると、教師と生徒は強い信頼関係の場の中にいることになり、それに気づかないので、生徒は教師は決して押し付けているのではないのだという理解に到達します。こうして相互に理解のズレの軌道修正が行われていきます。

★ところが、今度は、教師は、もしこれが外の世界にでたときに、再び理解のズレが起こり、ネガティブ感情や言動がうまれるのではないかと心配になります。そこで、内部内外部である私と生徒の対話をセッティングします。

★とはいえ、私だってケアの精神を背景に有しながら対話するわけですが、そのことが直接言葉で表現されていなくても、生徒が察知する感受性を育んできたときに、響き合いますし、その響きの音を実際の外界に出たときにも、絶やすことはないだろうという確信を共有しあえたところまでいけるとよいなあと思っています。

★もちろん、大事なことは、理解のズレから対話は始まるものだという真理を共有することが大事だなあと最近は思っています。

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★上の表は由佐美加子さんと天外伺朗さん共著の「ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジ 2019/8/31」からヒントを得て作成しました。実際の生徒と対話するときに生徒の存在の意味の理解の糸口をみつけるときに活用知すようにしています。

★また、エンカレッジの教師は、日大の文理学部の教授や大学院生、学生と連携して生徒理解をフッサール現象学に基づいて展開しています。生徒の存在の意味を現場と研究の成果を結び付けながら行っています。

★私もそのチームの1人土屋弥生先生(日本大学文理学部准教授)にアドバイスをもらっています。特に「生徒理解におけるフッサール現象学の意義」(「臨床教育学研究第9巻」2021年3月31日)で展開されている理論には啓発を受け、エンカレの教師(フッサール現象学を基礎とした体育教育の実践をしている)に教えを乞うてもいます。

★同論文のビブリオの中で扱われているマックス・ヴァンマーネン,著「生きられた経験の探究―人間科学がひらく感受性豊かな“教育”の世界」2011/5/1も、刺激的でした。

★ただ、ヴァンマーネンの教授法はへルバルト主義を暗黙の了解としているため、プラグマティズム流儀のPBL主義者である私にとっては、受け入れる時に組み替えなければなりません。そのうえで、エンカレの教師と対話する時は、逆に私の流儀をいったんヘルバルト主義に差し戻して理解のズレを修正するという対話をしています。

★そうすることで、今度はPBLをエンカレの教授法の中に活用してもらえるシーンも出てきました。

★勤務校の2つの学校を往復している私にとって、今までのPBLのあり方は、万能でないことが了解できたし、ヘルバルト主義とプラグマティズムを統合する超越論的PBLの必要性に気づきました。

★この視点からすると日本の教育はまだまだ抑圧的であり、その中での手法論や学習理論は、抑圧をフラットという言葉で転移的強化をすることになりかねないといくことも了解できました。

★今のところ、これについて対話できる仲間はまだ少ないのです。というのも、超越論的PBLについて新しい言葉を私自身がまだつくれていないので、対話ができていないということです。

★これから精進していきたいと思います。

※異なる主義や理論を組み換える超越論的な方法は、成城学園の青柳先生から教えて頂いた三角ロジックの弁証法的な展開を活用します。弁証法的な展開は三角ロジックの連鎖をつくることなのですが、それを行う時に、deduction、induction、abductionという3つのdutionという数学的推理方法を活用します。

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2021年11月26日 (金)

水平思考とチャンスクエスチョン機能

★聖パウロ学園の探究ゼミ。遅ればせながら私のゼミにもようやく風が吹き始めました。探究の時間を全部ゼミに充てるのではなく、人によって違うのですが、私の場合は、1コマ50分で7コマ。この短い時間で世界を創る体験を果たせるか?今日で5回目。ポストイットや多様なワークシートを使ってやってきたけれど、内側からあふれでてくるものがなかなかない。連続7コマではなく、9月から2月にかけて7コマだから飛び飛び。

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★何か一つのテーマに絞って、調べながら深めていくというBig Questin型は、今回あえてとりませんでした。have toではなく、want toでいきたいからです。よく興味と関心があるものとか好奇心旺盛になるテーマと言いますが、生徒は意外と心底という物に出会っていないものです。おそらく、自分でも気づかないwant toがあるはずです。

★自分の顔は自分で見ることはできないというテーゼがあるのですから、心底興味と関心のあるものはなかなか気づかないものです。

★そこで、今回は1枚のA4に三角ロジックのエッセンスを書き込み式の表にしてみました。そして、テーマやタイトルはあとで書き込もうということにして、データから書いていきました。いっぱいの蕎麦のデータです。全体で7分くらいの作業です。データを書き込むと、言いたいことや疑似主張が生まれてくるので、それを書く欄に書き込みます。次にそう主張したい理由。

★疑問や調べたいことを書く欄も埋めていきます。そうしてようやくタイトルを考えます。これは実は世界のコンセプト作りです。

★スムーズに全部書き込めませんが、おっ、これは政治的な視点が生まれたね。国際問題に発展したね。農業問題だなあ。健康の話だね。権力問題。ああ、戦争にならないようにしてよ。

★とかミニフィードバックをしていきます。自分の顔は自分でわからないので、ディスカッションの時間を設定すればよいのですが、時間がないので、1人1回はフィードバックをしていきます。それは自然と共有されていくので、一杯の蕎麦から始まって多角的な世界に広がるのをみな共有します。

★一杯の蕎麦の先入観を開いていく作業ができました。できたワークシートは全員プレゼン。

★自分の考えに潜むコンセプトに気づく。コンセプトを与える垂直思考ではなく、考える過程である水平思考からコンセプトに気づく。ワークシートに書き込む作業が、実はチャンスクエスチョンになっていたということに気づきました。

★夏休みの集中連続講座1コマ90分で4コマでやってうまくいったことを、探究ゼミでやろうとしてうまくいかなかkったのですが、引き算の美学で、1枚のワークシートに水平思考とチャンスクエスチョン機能を埋め込むことによって、蕎麦が多様な世界にジャンプするチャンスを生み出したわけです。

★問いが命と言われますが、ワークシートそのものが問いの機能を有するという方法もあったわけですね。

★没入と解放の50分。校長の探究ゼミは難しい!という声も聞こえてきます。自分でテーマを決めるのは、生みの苦しみですから、そうなります。しかし、だからといってテーマを決めてやることはしないで行こうと決めています。その代わりサポートツールは何が最適か。夏のメンバーとは違うツールを開発しようと。

★問題を与える個別最適化の誘惑に負けず、あくまでチャンスクエスチョン機能(関数ということ)のツールでサポートしようと。ツールというファシリテーションを創ることがファシリテーターの役割だとようやく実感した次第です。

★青柳先生、三角ロジックをチャンスクエスチョンシートに変換してみました。あのときの対話でヒントをいただき、ありがとうございました。今度お見せします。

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2021年11月24日 (水)

聖パウロ学園の若き教師の情熱 やれる気しかしない自己肯定感を内側から燃やす

★昨日23日聖パウロ学園は説明会を開催。4回目になりますが、定員は今回も満席。参加してくださった受験生・保護者の方々、そしてサポートしてくれた生徒と全員で対話型のウェルカム精神で自分たちの教育を熱く語り、論より証拠とミニPBL型体験授業を実施してくれた教員に感謝しています。

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★高校入試は、中学入試と違い、完全に入試のマーケット機能が働いているわけではないので、この状況を人気があるとかないとかそういうマーケティング的な発想は馴染まないなあと最近気づきました。首都圏の中学入試は、全国の小学校6年生約100万人のうちの5万人の話です。その多くが大学進学実績という外在的モチベーションで学校は選択しなくなってきましたが、とはいえ一定の有名大学に進学する層なわけです。

★公立小学校と私立中高一貫校が紳士協定を結んでいるということはなく、中学入試の生徒募集は、塾市場のニーズとどうマッチングさせるかということです。受験生も強気で受けて、万が一の時は、公立中学に行くことができますから、人生の進路を阻むものはありません。ある意味、自由に受験できます。もちろん、必ず私学にという場合は、偏差値に合わせてあるいは偏差値より生徒の個性を重視する新タイプ入試などを受験すれば、ほぼ私立学校にはいけます。垂直的序列の市場と水平的多様性の市場の両機能が今では働いています。

★ところが、高校は、今や98%が進学します。高校浪人はなるべくさせたくないというのが公立中学の指導だし、高校側も100万人の行方を垂直的序列競争をさせるより、水平的多様性を大事にし、それぞれの居場所になるように考えているし、教育行政もそのように働きかけていますから、中学入試のような競争市場にはならないのです。

★もちろん、そうはいっても現実は偏差値輪切りの配分になっているということもあります。聖パウロ学園は、偏差値でいえば100万人の真ん中です。生徒が一番多くかたまっているボリュームゾーンにあります。

★そうなってくると中学側が無理をさせずにといっても、逆に選択肢がたくさんあるソーンなので、熾烈な学力競争にならないのですが、生徒自身の想いと学校のエッセンスやビジョンなどのものの見方・感じ方が適合するかどうかという教育の質のマッチング競争にはなります。

★ですから、グローバル教育部長の大久保先生が語るように、弱みを強みに変える(学園の守護聖人パウロ自身のモットーでもあります)対話型教育に共感する受験生がたくさんいるということが、毎回たくさん参加してもらえる条件なのかもしれません。

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★大久保先生は、毎日生徒と対話し、生徒にやる気を出す行動を押し付けるのではなく、内側から自然と行動ができるようになるマインドセットを重視しています。グローバル教育部長として英語科主任として学年主任として先生方と対話する時も同じことです。21世紀型教育が目指すナチュラルリーダーとして面目躍如です。

★パウロ自身、ルターやカントに影響を与えた書簡を描いているわけですが、それは目からウロコというコペルニクス的転回を大切にしています。大久保先生をはじめ、パウロの教師は、たとえば、ネガティブ思考をポジティブ思考に転換させる価値認識の変容、つまり簡単に言えば、自己肯定感を高めることを生徒と共に日々対話しているわけです。

★内側の価値認識モデルづくり、数学科の先生方は、それを関数モデルで生徒と対話してくれているわけですが、日々それを基本的共通目標としているわけです。聖パウロの校長は、事ある度に話をするのですが、いつでもどこでも持ち時間は3分なのです。ですから、手を変え品を変え、価値観を変える見通しとそれを実現する実際的な内燃エンジンの話をするだけです。

★エンカレでも、特別授業をやるのですが、最近では、先生方がワークショップのファシリテーターをやってくれ、私の方はそのワークショップが、価値認識の転換という意味があるということを手を変え品を変えやはり話すだけです。

★弱い情況だからこそ強くなれる。自分の強さを知って怖気つくこともあるだろうと生徒と共有して、そのときはじめてエールを贈る共感的対話(腹痛が痛いと同じ表現ですが)ができるのですが、それを大久保先生をはじめ、パウロの教師は実践しています。

★対話は常に価値認識の変容とそれを実現する行動を導く認知と感情と行動が統合された行為です。ヨハネにある「はじめにことながあった」とはそういう意味です。そして、そのことは人間存在がwell-beingをゲットする最強の方法だと学園生活の中で確信しています。感謝。

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2021年11月19日 (金)

世界モデル作りの話は、多様なWhatの構成で。

★学校は、現状の世界理解だけ対話しているわけではありません。これからの世界作りの対話もします。しかし、そのときなかなかスリリングなのは、現状の世界理解の対話と決定的な違いがあるからです。現状の世界理解は、その世界を表現する既存の言葉があります。しかし、新しい世界作りには、そのための言葉を見つけなければならないのです。

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★新しい世界づくりをするために新しい世界言語を創るわけにはいいきません。ですが、既存の言葉で新しい世界作りを表現すると、いつの間にか古い世界に戻っていたりします。そこで、モデルをつくってシミュレーションするわけです。

★そんなとき、寺田寅彦のエッセイは大いに役に立ちます。特に、上記の本の中の「茶碗の湯」はいつも活用します。しかもこの気候変動の重要性を身に染みてわかっている≪Z世代≫と対話する時は、今も生き生きと光り輝いているエッセイです。

★ホワイトボードに、Uの字を描いて、お湯をここまで注ぐよと線を引きます。これ何?科学の話は、実はWhy?から入ることはないので、対話もリラックスできますね。なぜ?は価値観を含むので、いきなり重たいのです。世の中のなぜ?はしかも本質的なものではなく、因果関係を聞いているだけなので、視野狭窄になりがちです。そして、それがいつの間にか価値になるのです。視野狭窄が生み出す価値はイデオロギッシュで、抑圧的なので実はしんどいですね。

★それはさておき、この線の下と線の上で何が起きているのか?と問います。対流と蒸発とと即答。ですから、サイクルの矢印と温泉マークみたいな線を書き込みます。次に、ガラス板で蓋をするよとまた線を引きます。眼鏡をしたままお風呂に入ると何が起きると聞きながら、ガラス板がどうなるか問います。当然くもると即答ですよね。曇っている様子をズームアップすると?水滴がとなります。ですからガラス板を表している線に粒々を表す小さな〇を並べていきます。

★で、この粒はどうなるのと。落ちていくでしょうと即答ですよね。

★で、今度は隣に日本列島と太平洋描いて、暖流と寒流の交差する潮目を描きます。ここらへんまでくると当然生徒は、茶碗の湯の「事実」は、地球規模の自然現象を表現する「見立て」の話だったのかあとなります。

★かくして、whatだけで対話をしていきます。そして、ファクトをメタファーに置換えます。科学の話は、便宜上理由は聞きますが、それはすべて時間と空間と離散集合の関係であって、そこに価値は入らないのです。でも、その関係に興味を持ったり好奇心を抱くとき、価値が生まれてきます。それはなぜか?わかりません。

★なぜ地球があるのかわからないのと同じです。でも、ファクトを描くメタファーというモデル作りをすると、価値が生まれて来るという事実があるのです。

★ただ、世界を闇雲につくっていても、疲弊感が漂うだけで、価値がある行為であっても、価値を感じて生きていくことができない場合が多いですよね。

★世界作りは、どうやらまず世界モデル作りからかもしれません。そして、その世界モデルを現象に当てはめてみる。するとそこに世界が出現します。次にそのことについて対話します。すると、そのモデルで説明ができないことに気づきます。

★再び、モデルを作り直します。すると、また新たな世界が生まれてきます。スリリングですよね。

★現状のモデルの理解確認しかしない人は、現状のモデルの正当性をマウンティングするために、なぜなぜなぜを連発します。同調世界を押し付けます。なぜが好きな人は変化を好みませんね。ここらへんが、総合型選抜のトレーニングの時のジレンマです。新しい世界を創りたい生徒はいっぱいいるのに、大学がどこまでそれを求めるかは予測不能です。ただ、わかることは、なぜですか?という問いは多いので、やはり圧倒的に既存の世界理解の問題が多いということです。小論文であっても。

★もちろん、大学や学部学科によって違いますから、そこをリサーチ分析して、生徒とは相手をみて、互いにまずは理解し合える関係づくりをしようと作戦をたてています。

★というのも、新世界ばかりが世界ではありません。なぜという因果関係を確認して現状理解をすることと諸関係を見出すモデル作りをすることのバランスが大切です。これが世界ですから。生きるということですから。

★昨日もエンカレッジの2年生12人と、茶碗の湯の話からはじまって、気持ちを読み取る関数グラフモデル作りをして、四コマ漫画に適用したり、即興ロールプレイをして、そこに現れる気持ちの変化をモデルを活用してそれぞれチームに分かれて対話しました。

★言葉だけで対話するのは難しい刻々変化する気持ちの世界も、世界モデルを自分で創って、それを媒介として対話すると、いい空気が生まれます。その空気こそが価値なのでしょうね。

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2021年11月17日 (水)

教育の2022年問題 パンドラの箱を開けた改革かもしれない。。。

★不動産の2022年問題は、東京の私立学校にとっては経営上警戒しなければなりません。すでに今回のパンデミックで国も東京都も財政は潤沢でないことは明らかですから、ここのところスクラム組んで私立学校関係者は議員に訴えかけていますが、それ以上に経済的には危ういですね。スタグフレーションもやってきているようですから、トリプル経済不安定要素が忍び寄っています。

★1986年以降の中学受験の大衆化は、バブルがはじけて長引く経済の空白の影響で、1998年・1999年にいったんストップがかかりましたが、脱ゆとりの波に乗って、再び右肩上がり。しかし、リーマンショック以降2013年まで下降します。経済要因は私学経営にはストレートに影響します。しかし、2022年に高校の新学習指導要領が本格実施することで、2013年から始まった新しい学びの教育改革は初等中等教育すべてにわたって行き届くことになります。この流れに乗って、いやこの流れを牽引して中学受験はそれ以降右肩上がりを続けています。

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★ところが、その2022年本格実施の高校の新学習指導要領は、どうやらパンドラの箱を開けてしまいました。2022年は経済的にも教育的にも危うさがあるわけです。それはともかく、新学習指導要領は、全ての教科等を、①知識及び技能、②思考力、判断力、表現力等、③学びに向かう力、人間性等の3つの柱で再整理したわけです。この3つの柱を実践するために「主体的・対話的で深い学び」という名のアクティブラーニングやPBLをやるのです。

★なんだ本間が日ごろ言っていることじゃないか、何が問題なんだといわれるでしょう。たしかに、そうなのですが、指導要録において、各教科の3観点で評価する段になって、急に<「学びに向かう力・人間性等」に示された資質・能力には、感性や思いやりなど幅広いものが含まれるが、これらは観点別学習状況の評価になじむものではないことから、評価の観点としては学校教育法に示された「主体的に学習に取り組む態度」として設定し、感性や思いやり等については観点別学習状況の評価の対象外とする必要がある>というのです。

★つまり、「学びに向かう力、人間性等」=「主体的に学習に取り組む態度」+「感性や思いやり等」として、「感性や思いやり等」は観点別学習状況の評価から外すとあるわけです。

★要は、客観的に評価しづらい主観的なものは外すということです。これが、総論賛成各論反対となり、新しい学びを進めない大きな理由です。進もうかなと思ったら、でもやっぱり評価は客観的でないととなるわけですから、好奇心や興味・関心は大事だよと言いながら、現場では評価しないわけだから、結局はやらないわけです。

★いや、やっているつもりでも、そこを評価しないので、結果的に元の木阿弥だということです。

★しかし、感性や思いやり等についてその育成をやめるとは言わないわけです。となると、評価しないわけですから、この部分の研究はストップします。何が問題か?

★研究はしないけれど、実際には主観が現場で溢れるということです。現場では、今までの客観と主観の図式で捉えるしかないですわけで、主観は抑圧するか野放しにするかどちらかの指導になるわけです。

★このことがパンドラの箱を開けたことになるのですが、そのことにピンとこないのが世間なのです。GIGAスクール構想って喜んでいると、実はどんどんパンドラの箱は広くのです。SNSの光と影がここから生まれている可能性が大なのです。いよいよ、世界の終わり。。。

★現場では、今、大急ぎで、パンドラの箱が閉じられる前に、最後に箱に残される希望をつかみとろうと必死です。

★この希望をつかめば、客観と主観の近代の生み出した効率的なものの見方だけれど、矛盾をたくさん生み出したアポリアを解消することができるかもしれません。村上春樹さんが1985年に描いた世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドの最初のページにはこんなことばがあります。

<ただ前後の状況を考えあわせてみて、エレベーターは上昇しているはずだと私が便宜的に決めただけの話である。ただの推測だ。根拠というほどのものはひとかけらもない。:村上春樹. 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上下)合本版(新潮文庫) (p.13). 新潮社. Kindle 版. >

★推理はするけれど、根拠は実のところない。それでも・・・・。そういう不安定な時代の世界の終わりは、新しい世界の誕生となるのでしょうか。村上春樹さんがこの本を出版した頃、すでに哲学や社会学、文化人類学、心理学などでは、この客観と主観の図式を解決するアイデアがたくさん議論されてきました。

★その必要性が、教育現場にもようやく降りてこようとしているのか、スルーしてしまうのか。今のところここを現場レベルで議論している教育学者やコンサルタント、ジャーナリストの方はいないですね。そんな本書いたら売れませんからね。もちろん、評価の方法を書いている本はいっぱいあるのですが、現場で起こっていることにマッチングするものはなかなかありません。ほとんどがノイズです。でも、売れれば、経済が循環するから、それはそれでよいわけですが。

★ノイズを遮断し、いまここに現場にある本物のシグナルを察知する仲間が増えることをただただ期待しています。

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2021年11月 6日 (土)

工学院 高2探究論文発表会~文化としての思考コード

★工学院大学附属中学校高等学校(以降「工学院」)で、高2探究発表会が行われたようです。同校のサイトにバーンと掲載されていました。閲覧していると、発表者の1人が、「たくさんの人に共感してもらえた」と振り返っている言葉が目に飛び込んできました。こういう言葉をすんなり生徒自身が使っているところに、共感的コミュニケーションが同校の文化になっていることがわかります。

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(写真は、工学院の先生方がファシリテーターを行ったセミナーのプリントスクリーンと同校サイトの写真から作成)

★それから、たくさんのポスターセッションの写真が掲載されていますが、どれも魅せるプレゼンを行っている様子が映し出されています。思考コードでいえば<C3>領域で行われていることは明らかです。

★しかしながら、このコードを生徒が意識してつかっているかというと、工学院の場合は、この探究論文をすでに8年くらいやっていますから、もはや意識の中の文化として形成されているのだと感じました。

★文化としてというのは、もはや当たり前になっているということです。

★写真だけでなぜわかるんだと言われる方もいるかもしれませんね。たしかにそうです。実は、この間、工学院の先生方と、対話を積み重ねてきたからそれがわかるのです。

<GLICC Weekly EDU 第51回「工学院×聖パウロ 好奇心からWorld Making Learning作りへー希望の教育がここにある」>で、工学院の先生方と対話をして、その先生方がセミナーでファシリテーター行ったのですが、それにも参加して、そう感じたのです。

★工学院の先生方はPBL型授業を自然体で行いますから、思考コードはすでに当たり前のように意識の中で自動化されています。グローバルプロジェクトや今回の探究論文もプロジェクト型であります。したがって、思考コードは文化として通奏低音を響かせているのは当然でしょう。

★行事等でルーブリックとしての「思考コード」として活用する時もあるでしょう。評価目標を分析的に明らかにするために「思考コード」を活用する時ももちろんあるでしょう。しかし、心身化し文化としての「思考コード」が最強です。

★文化としての思考コードは、デザインとしてのアフォーダンスやマーケットにおける意欲を生み出すナッジとかと同様の機能を果たしているのかもしれません。

★教育目標としての思考コード、評価としての思考コード、学びの文化としての思考コード。使われ方は多様です。考えるとか感じるとか判断するとか、そんな簡単なわけはないということでしょう。

★わかりやすさは氷山の一角で、その水面下では複雑なループが絡み広がっているということでもありましょう。

★わかりやすさだけで、その背景は空っぽということもあります。工学院とは真逆の学校もあります。勤務校もそうならないように、工学院の先生方に学びたいと思います。

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2021年11月 2日 (火)

死者のためのミサ 亡くなった愛する人及びコロナ禍にあって犠牲になった方々を想い生きることの精神とは何かを捉え返す機会 

★今、モーツアルトのレクイエムを聴きながら、今日の勤務校での死者のためのミサを思い出しています。Requiemとはラテン語で、安息をという意味。鎮魂歌と訳されますが、死者の安らぎを祈るためのミサ曲といった感じです。レクイエムと言えば、モーツアルト、ヴェルディ、フォーレが有名ですが、フォーレは祈りというか観想の雰囲気のある柔らかい質感です。一方、モーツアルトとヴェルディは、結構激しいですね。フォーレはいきなり死者の安息へと誘いますが、特にモーツアルトは、死者の生前の嵐の中を通り抜ける生きざまを想起させるような曲想です。レクイエムなのに、静かになるどころか、自らの生を奮い立たせ、凄まじい生き様を生き続けよと逆にエールを贈られるかのようです。

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★多くのカトリック学校では、節目節目でミサを行うでしょう。プロテスタントの学校では、聖学院や女子学院のように毎朝礼拝を行っているところもあります。特にクリスマスや復活祭は大切な祈りの機会となるのでしょう。

★しかし、教会歴の11月の死者のための月に、信者あるいはその学校関係者という限定つきで行うことはあるかもしれませんが、それを超えて世界の人びとのことに思いを馳せることはそう多くはないかもしれません。

★カトリック学校といっても、今やどこも信者の生徒は多くはありません。今回も聖体拝領にならんだのは、数人の信者の生徒と上智の神学部に進むことが決まっている生徒たちでした。

★しかし、クリスマスなど、信者であろうがなかろうが、世界規模で行われる行事ですから、死者のためのミサも、もはや信者であるかどうかは問題になりません。

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★むしろ、コロナ禍及び気候変動による環境悪化、テロや専制的な圧政下で、苦しんでいる人々に<関心>の想いを馳せ、自分は生物学的あるいはフィジカルな生をいかに捉え返し、意味を見つけ、アクションを起こしてその意味を永遠の精神に持っていけるのか、生き様を描き続けることができるのか、関谷神父の言葉を借りれば、死ぬことによって永遠の命を生きるというパラドクスを解いてみせるのかに想いを寄せる機会となればよいと思います。

★不思議なことに、夏期講習以降、総合型選抜などの推薦型選抜の準備を契機に、生徒とスクールモットー(黄金律)をベースにした経営や哲学、正義論、法律論などについて対話する機会が増えます。いろいろな本や資料を読んだり、ミニ小論文をもとにピアレビューの昼休みを過ごしたり。

★生徒にとって、授業や部活、行事以外に、パウロの森やミサという体験も、宇宙規模の包括的な世界観作りのチャンスになっている可能性があるということを感じた日でした。

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2021年10月29日 (金)

学校林パウロの森で自然体験や生態系探究

★聖パウロ学園は、学校林パウロの森で、生徒が自然体験や生態系探究、イノシシと闘いながらの畑づくりなどをしています。このパウロの森は、八王子市の北高尾山地に位置し、23ha(東京ドーム5個分)の広大な面積を有しています。乗馬クラブもあり、生徒は体育の時間に馬術体験もしています。2007年に国土緑化推進機構のモデル学校林に認定されましたから、パウロの森くらぶが組織され、森の保全や整備をしています。そして、学園と連携してパウロ自然体験(PNP)もロングホームルームや探究の時間で実施しています。

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★パウロの森は、近隣の小学校にもくらぶのインストラクターといっしょに自然体験の場として使われたりしています。もともと里山ですから、まさにコモンズの機能を果たしているわけです。植物や動物の生態系を麻布大学の生命・環境学部の先生方と生徒は協働して探究してもいますから、彼ら自身が、その先に新しいコモンズの世界を見通すことになるかもしれません。

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(右上左から、松本先生、大久保先生、渡邊先生。高1の担任団です。教師も生徒と共に無心で自然体験できる聖なる場でもあります)

★この時期は、中間テストが終わり、しばし秋の恩恵に浴するイベントとして、学年ごとにPNPを行います。今回高1は、インストラクターの方々と対話しながら、森のアスレティックスーペースの遊具づくりをしていました。

★一学期の時に伐採していた木材もほどよく乾いたころを見計らっての作業でもあります。

★コロナ禍でなければ、カレー作りなどもしてさらに盛り上がる自然体験です。

★このような体験ができるのも、パウロの森くらぶのインストラクターの方々のおかげです。森の知識、森の豊かさに感謝し、森の自然のルールを熟知しているからこそ、子どもたちが安心して森の中で活動できます。しかし、ルールを逸脱すると、自然は猛威をふるうというのは、自然災害が多いこの国に住んでいる私たちは知っています。しかし、最近、直接そのような自然と接する機会が少なく、すっかりネットニュースで知っているつもりになっているだけということは多いですね。

★今回のパンデミックで、そのことを思い知らされました。PNPは、そのことを感じいる学ぶ機会でもあります。エゴはどんなに小さいか、大きな存在とコミュニケーションをとることの重要性。その存在の大切さ。。。

★さて、パウロのもう一つの学校エンカレッジの生徒はジャガイモやなすび、トマト、いちごなど一年中、畑をつくっていますが、イノシシに掘り返されないように格闘しています。イノシシの被害は、今や全国的に大きな被害になっています。各自治体で対策を練っているので、パウロ生の中から新たな対策案を講じることができるかもしれません。

★それにしてもイノシシは、実に賢いということが最近の動物行動学から証明されているらしいのです。麻布大学の江口教授はその専門領域の第一人者で、お話を聴くにつれ、イノシシの人間の裏をかく戦法は、なかなかどうして地政学的です。昨今の海洋を巡る軍事力のつばぜり合いなど、なぜあのルートを航海するのか、イノシシの戦法を通して了解出来てしまいます。

★自然から学ぶとは、多くの科学者や詩人が語っていますが、まさにそれを私も実体験しています。

★パウロの生徒にとってこの自然環境は当たり前の環境です。しかし、江口教授が述べるように、宝の山です。日常の中に新しい価値や意味を見出す学びこそ探究の第一歩だし、その出発点は、結構一生ものになります。

★幸せの青い鳥とはこのいことです。たくさんの気づきを得ることを祈っています。。。ウム。祈ることももちろん大事ですが、いかに生徒が好奇心旺盛になるか、授業で刺激を生み出すにはいかにしたら可能か。先生方と対話し続けたいと思います。

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2021年10月27日 (水)

麻布大学 江口祐輔教授 地球共生系の発想をパウロの森でも生徒と共有

★本日午前中、麻布大学生命・環境科学部教授江口祐輔教授が、聖パウロ学園に御来校。理科の澁谷先生といっしょにパウロの森に分け入り、イノシシの生態のリサーチのための仕掛けをしてくださいました。いずれ探究ゼミのメンバーである生徒と調査するためにです。江口教授によると、パウロの森は宝の山だそうです。最近自然と共生する都市づくりや社会づくりというのは注目されていますが、それをつくる前に私たちが動植物に対する先入観を実体験をしながら払拭する必要がそもそもあるそうです。たしかにそうですね。多くの話をたくさん聴きながら、頭で考えている自分を反省しました。

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★江口教授は、島根県のフィールドワークセンター(島根県美郷町)長でもあります。NHK「サイエンスZERO」にも出演しています。このフィールドワークセンターについては、麻布大学のサイトでは次のように記述されています。

<本学生命・環境科学部は美郷町の協力により、フィールドワークセンター(場所:島根県美郷町粕渕)を開設し、動植物のフィールドワーク、野生動物を用いたジビエ料理の加工技術、食品衛生管理の国際基準「HACCP」などの教育・研究を実施します。麻布大学は獣医系・生命科学系大学としての特色を活かし、有害鳥獣被害対策の指導・支援の拠点として、地域連携による新たな教育・研究を展開していきます。>

★食や動植物の新しい価値を見出し、新しい自然と社会と精神の循環を生み出すセンターということでしょう。

★パンデミックで、この循環がいかに重要であるか、世界中が身に染みています。

★今後このような研究はますます注目されるでしょう。

★美郷町のようにはいかないでしょうが、パウロの森もそのような新しい循環を見出す場となればと思います。そして麻布大学の教授と学生の皆さんとその場に立ち会えるパウロ生に未来の希望を期待したいです。

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