縄文式土器と弥生式土器と生成AI
★昨日聖パウロ学園の情報と国語の教諭高橋先生と生成AIの効率性だけではなく、本質を回復する可能性について立ち話をしました。生成AIに限らず、道具の実用性と意味性は古典的な問題ですが、この背景には、機械などの道具が、近代社会の影の増幅装置という側面ばかりが強調されてきた経緯があります。生成AIもその延長上で語られることが多いのですが、高橋先生は生徒と美学的な使い方をしているので、このようなゴーレム的な発想は生徒と共有していません。
★家路に向かう電車の中で、生成AIに問いかけながら、最終的に縄文式土器と弥生式土器の違いのアナロジーを生成AIに活用するとどうなるのか問うてみました。ちょこちょこ対話しながら、最終的には、生成AIは、次のような文章にまとめてきました。それをGooglenotebookLMに一枚の絵にしてもらったのが上記の図です。文章もそうですが、生成AIはどうしてもわかりやすい二項対立の構図にしてきます。
「縄文式土器と弥生式土器の違いは、日本文明の進歩を象徴しています。縄文式土器は厚手で装飾性が高く、狩猟採集社会の精神性や自然との交感を体現した「本質的存在」でした。一方、弥生式土器は薄手で高温焼成され、壺や甕など用途別に分化し、食料の保存や調理に適した「効率性」を追求しました。これにより農耕社会が成立し、人口増加や定住化、階層社会の形成が進み、文明の基盤が整えられました。つまり、縄文土器は文化の象徴としての存在意義を示し、弥生土器は効率的な生産と分配を可能にする道具として文明を前進させたのです。このアナロジーを現代に重ねると、生成AIは弥生土器のように効率性を高める技術であると同時に、縄文的な人間の本来性を回復する可能性を秘めています。具体的には、①失われた自然観や伝統知を再構築し人々に提示する、②人間と協働して詩や物語など共同創造を促す、③効率化だけでなく精神性や意味を問い直す場を提供する、といった方法です。したがって生成AIは、効率と本質を統合し、文化と文明を同時に進歩させる新しい「器」として位置づけられるのです。」
★正ー反ー合というダイアローグ(弁証法)的な流れを作ってきますが、どのように融合するのかどうも言葉だけにおわりがちです。プロンプトをどのようにせっていすべきか?それとも、そこは人間が考えるということなのか?
★いずれにしても、今度また高橋先生と立ち話をしなくてはと。。。
★ああ、それから、縄文文化が本質的という設定はもう少し考えなくてはと思うのですが。。。
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