入試市場

2021年4月 2日 (金)

2021年度の教育動向(04)続々ウネリの予感

★昨日4月1日は、2021年度が本格的に動き出しました。私自身も、いきなり20名以上の他校の先生方とZoom越しで出会ったり、同時並行的に、盟友の先生方から電話があって、プランも何も通り越して、Doingの話だったり急転回の話が多く、私の新しい日常の中と違う空間で起こっていることを察知しながら始まりました。メールでも移転先や異動の知らせが届き、動いている手ごたえを感じました。

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★上記の写真は、横山大観が使っていた茶室の跡地です。私はいつもここに佇み、あるいはすわりながら、日本庭園の人間の手が入りながらも自由に息吹いている小さな自然の響きに耳を傾けています。不思議と岡倉天心が、住まう空間とは壁や屋根のことを言うのではないのだ。虚空を意味するのだという旨を語っていたのを思い出します。

★この限られた物質的空間から虚数空間をイメージするように、限られた情報から外のウネリにイメージを飛ばしながら、新しい日常を過ごしています。ところが、この新しい日常には、まるで碁石をうっていくように、一瞬の永遠の点を見出していく作業があります。

★その点を見つけることが、世界をイメージすることであると実感する連続です。

★そんなホームベースから外を見ると、確かに新しいウネリが2021年度の教育の世界には生まれています。リバタリアンリバタリアンのような動きは教育の世界ではさすがにみあたりませんが、リバタリアンパターナリズムは躍動しています。

★リバタリアンでありながらパターナリズムというダブルバインドを他者に背負わせるウネリです。教育専門集団が子どもたちを今の不自由な世の中から解放してあげようという構えの運動体です。

★この動きは、生徒だけではなく、現場の教師にも救いの手を差しのべます。ですから、ムーブメントを起こす可能性があります。ただし、根本的には成功主義者ですから格差や権威主義はなくなりません。Old Powerに対するルサンチマンがエネルギーになっている場合が多く、偏差値に代わるコンピテンシー主義が厳しい序列を生みだします。

★しかし、人はルサンチマンやトラウマを共有することは共感することだと思い、いきなりムーブメントが生まれるのです。この動きは様々ですが、多くの現状の教育改革者はリバタリアンパターナリズムという点では似て非なるのものではなく、その逆です。違っている装いをしているけれど、中身はいっしょ。

★このようなリスクはあるものの、このウネリは止まることはありません。歴史のダイナミズムとはそういうものです。

★ですから、リバタリアンパターナリズムには属さないリバタリアンコミュニタリアニズムという新しいウネリも必要です。主体は専門家ではなく子供だというのがこのもう一つの新しいウネリです。権威主義ははねのけます。言うまでもなく、こちらは、大きなウネリにはなりにくいですね。しかしながら野の菫の存在は確かに必要だし、なかなかどうして生命力があります。

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2021年3月15日 (月)

wish自由とwill自由(02)前橋のタイガーマスク運動の価値 focメカニズムの発見

★よく学校で、factとopinionを区別するようにと学びます。これは客観と主観を分けるようにという話です。次に、fact(f)とopinion(o)を統合して論述を書きなさいとなります。ここらへんは、何気なく行われているし、言語技術や受験テクニックだとあっさり思われています。

「focメカニズム」

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★欧米の教育でも、このfとoは、大切にされているし、言語技術の中で必ずトレーニングされます。この強調というかリマインダーは欧米の教育はたぶん日本に比べて大きいと思います。しかしながら、欧米の場合は、fとは何か?oとは何か?という捉え返しというか、リフレクションがすさまじいわけです。

★アイデンティティとフェイクの問題を、ライティングではかなりつっこんでやるわけです。おそらくIBのTOKはここをしっかりやっているわけですね。知識とは何か?知識とはいかにして成り立つのか?知識とは客観的なのか?主観的なのか?そして。それはいかにして認識できるのか?認識のアプローチが歴史や文化人類学的に行われるのと哲学で行われるのと、政治経済学で行われるのとではいったい何が違うのか?

★実際近代哲学は、この議論を連綿として行ってきたし、捉え方によっては、第二次世界大戦まで引き起こしてしまうという経験をしているので、欧米ではものすごい内省と学問的蓄積があります。そして、それが民主主義と教育という領域で投影され続けています。

★日本も他人ごとではなく、自分たちが明治以降に世界大戦に参戦したし、引き起こしています。にもかかわらず、言語の理解の仕方を間違えるととんでもないことになるという議論はされないし、それが学校で語られることもほとんどありません。不思議です。しかし、fとoについては、語り継がれているわけです。そこから広く深く考えることを誰も禁じてはいません。ですから、すすめればよいだけです。

★なぜ禁じられているかのようなイリュージョンがあるのか?それは昔話と同じ構造なのでしょうが、そこを追究する時間は私にはあまりないので、それより、さっさと広く深くそこを洞察し、fとoが生み出すメカニズムを組み立てることを先に進めたいと思います。

★そんなことが頭の中でぐるぐるまわっていたとき、NHKの番組を見ていたら、前橋で、焼肉店店長栗原さんが、今回のパンデミックで臨時給休業せざるを得ないという事態に直面した時、10年前群馬県で生まれたタイガーマスク運動を思い出し、生ものが故に廃棄しなくてはならない食材で弁当をつくり、無料で困っている方々に配る活動をしようと意志決定したというニュースが流れました。

★あっ、これだと思いました。

★栗原さんが、苦境に陥ったとき、その状況というfactをしっかり認識し、自分なりのopinionをもったわけです。しかし、その苦境は、自分だけではなく、同業の人びとや町の人びとも同じでした。そのような社会の背景(backgraound)で、痛みをシェア(sharing the pain)したわけです。

★それゆえのopinionだったわけです。多くの人々が同じ事態といfactに対してopinionを持つわけですが、痛みをシェアし、この前人未到の状況を乗り越えるにはいかにしたら可能かというBig Questionに行き着いたから、栗原さんは思ってもいなかったタイガーマスク運動が広がり、NHKにも取り上げられるようになったわけです。

★このとき、しかし見過ごしてならないことは、全く違う状況でも、10年前に群馬県からタイガーマスク運動という社会現象が起きていたということです。この運動に栗原さんの行動がつながりました。

★10年前伊達直人と名乗って、子どもたちの困窮した状況というfactを見て、自分のopinionを持った方と栗原さんと仲間はシンクロしたのです。それは、時を超え、情況を超えてつながったわけです。「タイガーマスク運動」というconceptの源泉にたどりついたわけです。

★このconsceptは古くからあるmen for othersというマインドです。NYの国連のギャラリーにも、民族や宗教、人種などの違いを超えて共通するマインドだと考えて、ロックウェルのモザイク画が掲げられていますね。

★このようにfとoは大きな問いにつながり、それはコンセプトにつながります。コンセプトは誰かが与えてくれるものではなく、あくまで多くの人々のfactとopinionのシェアによって、生まれてくるものですが、その生まれたものが普遍的であるとき、大きな運動になるということでしょう。

★かくして徹底的に特殊を追究していくと、いつの間にか普遍に行き着いてしまうのです。ところが、普遍を追究しても、特殊がつながってこないのです。不思議ですね。

★理論と実践の一致とか、理想と現実の一致とか、理性的なものは現実的なものとか、よくいわれますが、そのメカニズムは、ふだんのfactとopinionの学びが出発点だったのです。もちろん、背景がくっつかないと運動はおこりませんが。

★このような学びを「focメカニズム」と呼びたいと思います。wish自由がwill自由にシフトするには、このfocメカニズムが必要なのかもしれません。

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2021年3月14日 (日)

wish自由とwill自由(01)争い事と交渉事

★世の中は、いつも自由と規制の葛藤で混乱を生み出します。これは解決困難で、できたためしがありません。ですから昔から種類や方法は千差万別ですが、争いごとは絶えないわけです。しかし、同時にそればかりだと、人類は滅んでいますからそうなっていないということは、交渉をしながらなんとか均衡を保つ時間があるということです。

★そのうちに、解決する争い事もあれば、別の新しい争い事が起きることもあるというわけです。再び交渉がはじまるわけです。壮大な歴史も人生としての歴史も、争い事と交渉事の連続であるわけです。それゆえ人生は物語そのものなわけです。そして、この交渉事が対話術によって行われる時、均衡の時間は長持ちします。これについては、いずれ述べます。

【図1】

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★さて、争いが絶えないのは、個人が普遍と特殊をどう考えているか違うからです。普遍を社会、特殊を個人と置き換えたとき、社会の中の個人としてとらえることもできるし、その社会の中に納まっているのは窮屈だ、そんなの関係ないと社会と個人は別々だと捉えることもできます。

★この考え方の違いで争い事が起こるわけですね。中世以来の普遍論争という哲学的闘争もその一つです。哲学論争であれば、それは議論として尊重していられるわけですが、ことそれが戦争となるとただ事ではないのです。この違いが宗教戦争を起こしていたことは、世界史を見れば明らかです。

★ですから、議論や戦争に一定の解決策を講じるために交渉をする時間というのが必要だったのです。デイヴィッド・ヒュームが倫理の条件に時間をセットしたのは、まさに当時の経験の観察からでてきたのでしょう。ヒュームに限らず、哲学者たちは、戦争とパンデミックにいつも迫られていたからです。そして、この環境は今も続いていることは、いまここで私たちが実感していることです。したがって、この倫理と時間の問題は現代社会でも継承されています。交渉にかける時間を重ねることの重要さですね。

★授業は交渉というより、対話ですが、この対話なき長時間の講義形式の授業は、実は倫理上問題だという気づきも生まれつつあります。オンライン授業の中に対話のシステムがなく、オンディマンドだけだと何か変だと大学の学生はクレームをあげます。今回のパンデミックで、それはメディアでもSNS上でもあふれました。これを無視すると倫理上の問題が起こることは、もはや説明するまでもないでしょう。

★何か事件が起きたとき、初期対応で謝罪が送れると、法律上の訴訟はあまりおきませんが、倫理上の問題は追究されます。この謝罪が交渉術的にとらえるか対話術的にとらえるかで、また問題の現れ方は違いますが、それについては、また改めて。ともあれ、時間というの概念は、たんなる物理的な意味だけではなく、倫理的なそしてもちろん感情も関係しているわけです。このような時間概念をもつかどうかで人間かそうでないかが区別できるかもしれない程です。

★というわけで、上記の【図1】のように、普遍と特殊の集合論的な関係は、対話によって循環するわけです。この図の中には、3つのタイプの関係があります。違うタイプの考え方をしている社会と社会、個人と個人、社会と個人が対立するわけですから、交渉によって、つまり、この考え方をグルグル回していくうちに3つ目にステップアップすることで、普遍性と特殊の共通点を見出すことができます。ここでようやく、妥協していくというわけです。こうして、自由の安心安全が紡がれるわけですが、これはしかし、油断していると、もとに戻ってしまい、また交渉するということの繰り返しになるわけです。

★元の木阿弥なんて言葉がすでに存在しているわけですし。

★これは、常に一つのタイプを続けていると自由になりたいという意志がこみあげてくるからですね。この自由を私はwish自由と呼びたいと思います。今の束縛、つまり共通性という普遍性から逃れたいという自由ということです。

★これに対し、wish自由はローカル普遍に自分を適合したいとか適合させたくないとか、普遍に適合させる自分の自由にこだわっているのに気づき、なんだそもそもローカル普遍を見直して、新しい普遍を創ってしまえというのが、will自由です。

【図2】

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★【図2】のように、wish自由の循環から飛び出るわけですね。起業家精神が大事だなんていうのがトレンドなのは、wish自由からwill自由へということでしょう。創造思考が大事だとかアート思考が大事だとかプロジェクト思考が大事だとかいうのもそうですね。

★wish自由循環は、演繹推論と帰納推論で正解がある程度あります。しかし、will自由は、正解はありません。あくまで仮説推論です。したがって、wish自由論者から見れば、訝し気に思われてしまうのは、will自由論者の運命なのです。

★しかしながら、運命に身を任せていると、will自由論者は独善的・独裁的になりがちです。万能感に溺れると大変なことになります。自分ひとり溺れているうちは問題はありませんが、普遍性を創るわけですから、周りも巻き込まれます。それゆえ、クリエイティブシンキングには、クリティカルシンキングが欠かせないということです。2つのWと2つのCがダイナミックに交差するのがシステム思考なのです。

★完璧なwill自由とか完璧なクリエイティブシンキングとか、多/他から独立したものを求めると、関係を断ち切る要素還元主義に自ら陥没していくのです。

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2021年3月11日 (木)

New Power School(04)工学院の進化 多様なPBL&そのわけ

★昨日、工学院に伺い、多くの先生方と対話ができました。期末試験の時だったということもあるのでしょうが、こんなに一遍に話す機会が巧まずして生まれたのは、実は、これが初めてでした。今までも、多くの先生方と一堂に会してはいたのですが、廊下で、対話スペースで、研修スペース、Fabスペースでと、それぞれの先生方のテーマで話を半日で聞くことができました。

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★しかも、そのテーマはそれぞれなのにもかかわらずコアのテーマというかコンセプトに結びついている感じがしたのです。このコアのテーマは、教務主任の田中歩先生が、先生方とこだわってきた生徒中心主義に収束するのですが、そこへのアプローチが実に多様であり、先生方も生徒もそれぞれのプロジェクトを立ち上げて工学院という学びの場を多面的にそれでいて有機的につながるように創っているということが身に染みました。

★こういう学校づくりをするにはいかにしたら可能か。工学院とは違う学校の場合は、その学校の条件がまた別ですから、工学院の方法論をそのまま持ち込むことはできないでしょう。

★ただ、コンセプトは共有できます。生徒中心主義と多様なPBL。それのカギはリアリスティックなリフレクションと共感的なコミュニケーションです。このこのコアを共有し、それぞれの学校の条件にマッチングさせていくわけですが、その接着になるのが、多様なPBLの適用です。

★工学院の場合、レクチャーオンリー形式の授業は7年前に決別しました。しかし、レクチャーとディスカッションやワークショップ型グループワークとのコンビネーションは柔軟です。これが多様なPBLを生み出しているのです。

★しかし、さらに教師と生徒をつなぐ論理的推論方法が3種類あるということも田中歩先生と進路指導部主任の鐘ヶ江先生と教頭の奥津先生と別々に話しながらもつながりました。

★鐘ヶ江先生は、70%が理系進学で30%が文系進学で、理系は、医歯薬系と建築、生命科学が人気なのだというのです。そして、これと文科系の進学が文理別々ではなく、つながっているというのです。なるほど哲学だとか探究だとか行っていると、そこはつながるなあと。

★一方で、田中歩先生は、論理的推論方法は、演繹的と帰納的な方法があり、その過程を大切にする授業が理数系の教科で、言語や社会科はどちらかというと正解のない仮説的推論で、結論が確からしさや正当性、信頼性をどう評価するかというリフレクションにポイントを置いた授業になるというのです。どちらもPBLの授業になるけれど、この3つの推論を1人の教師がすべて使うわけではないというのです。それは多様でよいのだけれど、どうやったらもっと有機的に3つがつながるかが今後の課題なのだと。

★奥津先生は、数学の教師でありながら、3つを場合に応じて使い分けます。数学の授業を行う場合は、演繹と帰納の両方を往復させます。しかし、ちゃんと最後には正解に行き着くわけです。プロセスがPBLの醍醐味です。

★ところが、グローバル交流会を英語を駆使しながら奥津先生はやってしまうのですが、そのときのプログラムは仮説的推論というか創造的推論のシークエンスでシナリオを描いていきます。先日パンデミックのためできなかった合唱祭の代わりに行った映像祭の運営も、まさに創造的推論思考を活用されていました。

★教務主任、進路指導部主任、教頭という役割があるから、このような3つの推論思考を有機的に結びつけて運営していくわけです。医歯薬系と建築、生命科学などの自然科学と哲学や探究が、相互に関係する知の世界が共有され、そこからそれぞれのキャリアデザインが描かれる。これを1人ひとりひとりの教師や生徒自身ができるようになるにはいかにしたら可能かという新たな課題と同時に工学院のさらなるアップデートのステージのビジョンが映し出されました。そんな思いを馳せる機会をいただき、心から感謝です。帰りのバスの中で、7年間の先生方との対話から生まれる螺旋の上昇気流に思いを馳せながら帰路につきました。

★4月からは、また新コミュニティシップづくりをよろしくお願いいたします。本当にありがとうございました。

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2021年3月 6日 (土)

GLICC Weekly EDU(25) 静かに変わる大学入試問題 思考型問題の構造は中学入試の思考力入試と同型。構成主義がゆえに。

★昨日、主宰の鈴木さんと対話しました。詳しくはぜひGLICC Weekly EDU 第20回「2021年大学入試問題を通して今後の大学進学準備教育について考える」をご覧ください。今年の一橋の帰国生入試の小論文のテーマから話しが始まりました。そして、このテーマが、一橋の今年の問題の特徴というより、もっと普遍的で、特に今回のパンデミックにおいて問い返されるテーマなのではないかと気づきました。そこで、早稲田や慶応大学、浜松医科大、一橋大学などの一般入試における論述型問題を見ながら、通奏低音であることを検証していくこととなりました。

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★一橋の帰国生入試の課題文は、上記の書から引用されていました。SNSの世界などでフェイクが横行し、分断が進んだここ数年の世界の動きを、個人の知の限界が生み出す誤謬の世界だから、コミュニティ(時代を超えて)に相互に切磋琢磨するコミュニティの知にもっと目をむけようという箇所でした。

★要約などの記述の問いが出題されたうえで、個人の知や知能が重視され、コミュニティの知が軽視されてきたのはなぜか、ケースを挙げながら自分のオピニオンを論述する問題が出題されていました。

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★この個人の知とコミュニティの知のジレンマという構造をいかにつかみ、構成するかということですが、これは慶応の環境政策でも同様でした。早稲田の政経でも同じでした。

★東京医科歯科大学や浜松医科大の実験や治療法を開発する論述も、ジレンマではないですが、矛盾が生じないように検証やモニタリングを実験や開発プロセスの中に求めていました。

★一般入試の限界もあり、ジレンマや矛盾を自分の体験から発見するプロセスは踏まないし、具体的な政策や開発の実効性など深く論述するところまではいっていないのですが、それでも、要約して終わりという問題を超えて考えるところまで求める傾向がでてきたわけです。

★早稲田の政治経済学部がそのような新しい動きを出したということは、たいへん意義のあることです。もちろん、そのような問題を出すというサンプル問題を何回か公開した結果、敬遠されて出願数が減ったということで、来年続けるかどうかは、注視するところではあります。

★もうひとつ、早稲田の政経における独自入試は総合型問題一本でしたから、課題文は日本語と英語でした。

★したがって、早稲田の政経の総合型問題は、一般入試において、今後言語はバイリンガル以上になり、思考力も個人の知からコミュニティ知にシフトし、ロジカル&クリティカルシンキングまで求められるようになってきたという傾向の象徴といえるでしょう。

★これは、中学入試においても同じことが起きています。

★今回一橋の出題した課題文を執筆したスローマンさんは認知科学者です。認知科学の特徴は、科学の最先端の知見も、専門家ばかりではなく子供も理解できる構成主義的な授業デザインができるということです。

★中学入試や大学入試も思考型の問題になると、そこに差があっては科学的とはいえないので、少し考えれば当たり前です。この思考のメカニズムを、今回は思考のサーキュレーションという図でまとめました。詳しくは今後また語っていきたいと思います。

★今月の末、大妻中野の教頭諸橋先生がご登壇されます。大妻中野は早稲田の政治経済の入試問題に先駆けて新しい英語や思考力入試問題を開発しています。New Power Schoolのリーダーシップを発揮しています。

★諸橋先生とは、その開発当初から語り合ってきました。大妻中野の教育が本質的だからこそ、この普遍的な思考型のあるいはコミュニティの知への動きと結びついているのでしょう。というよりも、牽引しているのでしょう。その本質的な教育について語り合えるのを楽しみにしております。

 

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2021年2月27日 (土)

GLICC Weekly EDU(24) GLICCの中国人スタッフのオリビアさんとの対話 東大の地理の問題とシンクロ

★昨日、GLICC Weekly EDU 第19回「グローバル教育について考える-中国人留学生チョ・テンジョさん(Oliviaさん)とともにこれからのグローバル社会を考える」がありました。そのときは、まだ今年の東大の地理の問題が公開されていなかったのですが、今みてびっくりです。留学や言語について鈴木さんとオリビアさんが対話した内容が、地理の設問Bで出題されていたのです。

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★インターネットの重要性や日本の留学生のほとんどがアジアからだということなど対話していったのですが、そのことについて論述する問題が出題されていたのです。

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★GLICCのスタッフは、留学生が多いのですが、日ごろ対話されている内容は、リアルな問題が共有されています。

★また、留学生は、東工大や東大などで研究しています。東工大の大学院で研究しているオリビアさんは持続可能な環境をつくることに企業が投資するESG投資やグリーンポンドの評価について研究するプロジェクトを実施しているそうです。

★経済活動がSDGsを達成していく可能性、社会的インパクトについて研究しているスタッフがGLICCには存在しています。大学入試問題を考えるリアルな人材がいるという場は、得難い塾です。

★英語と国語と算数という科目設定ですが、実際には言語と思考のプログラムがメインストリームです。いまのところ、日本語を使わざるを得ませんが、いずれは、英語と思考のプログラムだけの塾になっていくのでしょう。

★なぜなら、大学入試問題が、そうならざるをません。

★東工大のオリビアさんの研究室は50%が留学生だそうです。今後は大学院だけではなく、大学もそうなっていくでしょう。

★なぜか?おそらくESG投資やグリーンポンドへの投資が脱炭素スマートシティー構想と結びつき、そのモデルづくりの拠点が東京シティそのものがなるからです。

★トヨタとホンダが静岡と埼玉で、それを行っていますが、その成果は結局東京シティに転移されるようになります。そのとき、海外からの留学生がたくさん集まってきます。

★インバウンドの質の大転換がいよいよ起こるなあとしみじみ感じた対話となりました。

★日本語はどうなるのか?それは源氏物語を学ぶように、文化言語として学びますが、日常語というか公用語は英語にならざるを得ないでしょう。

★英語×思考×スマートシティ=ガーデンシティというのが、実はGAFAが考えている構想です。

★じゃあ、日本のアイデンティティは?イギリスがポンドを守り切ったように、日本は円を守るということでしょう。

★かりにデジタル通貨になっても、円という名前は残すでしょう。

★もし、それもなくなったとき、それはグローバリズムとナショナリズムの二項対立を超えた第三の世界の登場です。それがハイブリッドガーデンシティということになるでしょう。

★New Power School市場の登場は、実は東京シティの大きなモデルチェンジの兆しだということなのでしょう。

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2021年2月20日 (土)

沖縄インターナショナルスクール PYP探究学習発表会 日本の教育のこれからを考える大きなヒント

★本日20日(土)、午前中、沖縄インタナショナルスクール(以降「OIS」と表記)は、国際バカロレア プライマリー・イヤーズ・プログラム最終学年の5年生による学習発表会(エキシビション)が行われました。自分たちが関心のある社会問題について探究した内容を発表。Zoomで行われました。

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★テーマも〈新型コロナウイルス 〉・〈絶滅危惧種〉・〈アート〉・〈ゲーム中毒〉・〈インターネット〉・〈宇宙ごみ〉・〈再生可能エネルギー〉と日本の教育の小学校5年生を完全に突き抜けていました。

★それにしても、開会あいさつの知念理事長も来賓あいさつをされた瑞慶覧長敏(ずけらん ちょうびん)市長も英語と日本語のバイリンガルプレゼンテーションでした。もちろん、子どもたちも全員バイリンガルプレゼンテーションです。

★中身の濃さはいうまでもないのですが、探究のプロセスを明らかにしながらプレゼンしていく姿は、結果や成果を急ぐ日本の教育とは全く違う雰囲気でした。

★しかも、ペーパーを見ないで、プレゼンしています。質問にも大いに柔軟に考え回答していました。もちろん英語でしていたのです。

★要するにミニTEDでした。

★プレゼンは、視聴者を巻き込むパフォーマンスも行われ、それぞれ楽しかったですね。

★踊ったり歌ったり、動画づくりやサイト作りなどプロダクトまであるわけです。

★視聴者は100人以上だというのですから、それもまたすごいわけです。

★PYP→MYP→DPとIB一貫小中高のOISです。これからが楽しみです。

★この歳になると、小学校3年生の時に出会った子どもたちが、今では、医者、弁護士、起業家、看護師、科学者など世界に貢献する仕事に携わっています。子どもの成長の予言などできるはずもないのですが、ああやっぱりそう成長したかと思うこともしばしばです。

★だから、Zoom越しでしたが、自分の考えをしっかり持ち、ユーモアも交えながらプレゼンしていた様子から、彼らがグローバルリーダーとして活躍している未来の姿が思い浮かびました。

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GLICC Weekly EDU(23) 麻布と開成の算数の入試問題の比較スタディーを通して見えるコト シンプルな学び方と思考の癖

★昨日のGLICC Weekly EDU 第18回のテーマは「2021年中学入試問題分析3-開成中と麻布中の算数の出題を比較し、その共通性や違いに迫る」でした。GLICCの数学科主任の申先生による麻布と開成の比較スタディーを通して、算数や数学のシンプルな学び方あるいは思考の癖を形づくることが大切であり、何も難しいことではないことが了解できました。

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★シンプルな学び方というのは、「思考実験」ということです。試行錯誤をしながら、ルールやパターンを見出していく、そしてそれを公式化する。そのルールやパターンが隠されている現象を分析する。また新たにパータンを発見する。といった「思考実験」です。

★それが、「思考実験」をせずに、公式やパターンを覚え、それを適用するトレーニングばかりしていると、自らパターンを発見できなくなる可能性があると申先生は語ります。

★思考実験のプロセスは、適用できることばかりではなく、適用できない失敗を重ねその経験が直感的にこのプロセスで行くとうまくいかないという非適用パターンも身体化するということでしょう。

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★思考実験によって、「適用」と「非適用」の経験の両方を積むことが学び方の本意ですが、中学入試では、この「思考実験」をしなくても条件反射的にできる、つまり公式や既習パターンを適用するだけで解けてしまう問題もたくさんでます。

★入試という局面だから、それでよいのだけれでも、授業で学ぶときは、あくまで、思考実験というプロセスを前提として、適用パターンのトレーニングをするということです。

★思考実験とトレーニングの両方が必要です。トレーニングだけになる学び方では、入試を突破できないということ以上に、中高大そして社会に進んでいく中で、躓きが多くがなるということでしょう。思考実験ありきのトランジションの必要性ということなのです。

★この算数・数学の学びは、実は言語の学びにおいても同じことが言えます。これは、構造主義→生成文法→認知言語という流れの中で創られていますが、申先生の数学的な思考実験の方法論と重なるところが多く、驚きました。

★GLICCの代表鈴木さんが教科横断型のクリエイティブコースを創っている意味は、この学びのフレームあるいは思考のフレームが共通しているからできるという意味だったのです。

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2021年2月18日 (木)

新しい教育社会(29)New Power School市場をつくる工学院

★昨夜というか真夜中、工学院の教務主任田中歩先生とZoom対話をしました。振り返りと逆振り返りをしていました。もうすぐ高3生が卒業するのですが、この学年は、工学院の21世紀型教育改革の本格実施の1期生です。中1から入学した生徒も、高1から入学した生徒もいずれも新しいコースで出発しました。

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★その成果が多方面にわたってでたわけですから、その振り返りとさらなる飛躍のための対話でした。自分の学校だけではなく、御三家ピラミッド市場に対し、New Power School市場をつくるのに大きく貢献しました。

★これは画期的なことなのです。今まで注目されてきた新興勢力の学校といえども、偏差値競争の御三家ピラミッド市場の中でポジションゲームをしてきたわけです。

★そこでの問題は、近代文明が引き起こしてきた問題と同様の構造があるのはいうまでもありません。むしろ、その象徴でしょう。

★それに対し、その引き起こした問題を回避する新しい子どもたちの居場所をつくらなければならないというNew Power Schoolをつくることを今年の卒業生を迎え入れたときに断行したのが工学院です。聖学院をはじめ10校強の仲間とコミュニティをつくりNew Power School市場形成のインパクトを生み出してきました。

★途中、謎の学校とか、PBLやICT教育をやって大学受験がうまくいくのかとか揶揄されましたが、生徒が生き生きと活躍している姿をみて、だんだん市場の理解がちがってきました。御三家ピラミッド市場からNew Power School市場に参画した大妻中野などの勢いもまたすさまじいものでした。

★御三家ピラミッド市場に押し込めれ、その中で偏差値という尺度だけで教育を語ることに真っ向から反対し、受験市場の中で孤軍奮闘していた桐朋女子なども、再びこのNew Power School市場拡大の過程の中で脚光を浴びています。

★工学院の経営陣がビジョンを掲げ、田中歩先生をはじめとする先生方がワンチームになって、生徒と一緒にNew Power School市場をつくってきた動きが、ウネリを生み出したわけです。

★同校の高3の仲野さんや郷野さんと対話して、たしかに、彼ら高3生が、工学院の新しい歴史のページを描いたと同時に、彼らは意識していないかもしれませんが、多様な尺度で才能をエンパワーする成長の基準(思考コード)が生かされるNew Power School市場づくりに貢献したのです。

★御三家ピラミッド市場が生み出してきた、あるいはこの市場を支える日本社会。この社会が変わることは時代の良心の野望です。その声に耳を傾けて、それぞれがアクションを起こしているNew Power School市場。

★しかしながら、歴史というのは、デストピアエネルギーとユートピアエネルギのぶつかり合いが生み出す化学反応の軌跡ですから、タフにNew Power School市場を広げる覚悟が必要なのだと田中歩先生は語ります。

★そのための構想をいろいろ対話しました。4月以降の田中歩先生のさらなる活躍をご期待ください。

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2021年2月17日 (水)

新しい教育社会(28)制度的変革より、1人ひとりの魂から

★40年前に、東京カテドラルで、マザー・テレサを目の前にしました。4000人が訪れていたので、ほんの一瞬でしたが、インパクトはありました。それから私の魂は紆余曲折、迷路と眩暈の旅の日々でした。今もたぶんそうだと思います。世俗にまみれ、とてもマザー・テレサに合わせる顔はありません。しかし、ここ10年は、すばらしい人々に出会い、支えられながら生きている実感を得ながら、何をしようかと未だに歩きながら考えいます。

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★このままではいけないと仲間と共にトランスフォーメンションを合言葉に行動してきました。それは今も変わりありません。しかし、最近、写真の本の翻訳者であるシスター渡辺の次の言葉に行き着いたなあと強く感じます。

なぜ政府に働きかけて社会変革を推進しないのかという問いかけに、マザーは静かに答える。「私は福祉活動をしているのではありません。私にとって大切なのは、群衆としての人々ではなく、個々の魂なのです」

「マザー・テレサ 愛と祈りのことば」 翻訳 渡辺和子 (PHP文庫) (Kindle の位置No.46-48).  

★制度改革ではなく、1人ひとりの出会いの中で、互いのタレントを顕在化する対話こそ、トランスフォーメンションが生まれるのだと。十牛図の十番目の境地なのだと、これぞマインドフルネスなのだと。

★しかし、マザーはきっと言うのでしょうね。トランスフォームを目的とするのではなく、1人ひとりの魂に集中しなさいと。

★まだまだ、旅は続きそうです。

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