入試市場

2021年10月27日 (水)

麻布大学 江口祐輔教授 地球共生系の発想をパウロの森でも生徒と共有

★本日午前中、麻布大学生命・環境科学部教授江口祐輔教授が、聖パウロ学園に御来校。理科の澁谷先生といっしょにパウロの森に分け入り、イノシシの生態のリサーチのための仕掛けをしてくださいました。いずれ探究ゼミのメンバーである生徒と調査するためにです。江口教授によると、パウロの森は宝の山だそうです。最近自然と共生する都市づくりや社会づくりというのは注目されていますが、それをつくる前に私たちが動植物に対する先入観を実体験をしながら払拭する必要がそもそもあるそうです。たしかにそうですね。多くの話をたくさん聴きながら、頭で考えている自分を反省しました。

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★江口教授は、島根県のフィールドワークセンター(島根県美郷町)長でもあります。NHK「サイエンスZERO」にも出演しています。このフィールドワークセンターについては、麻布大学のサイトでは次のように記述されています。

<本学生命・環境科学部は美郷町の協力により、フィールドワークセンター(場所:島根県美郷町粕渕)を開設し、動植物のフィールドワーク、野生動物を用いたジビエ料理の加工技術、食品衛生管理の国際基準「HACCP」などの教育・研究を実施します。麻布大学は獣医系・生命科学系大学としての特色を活かし、有害鳥獣被害対策の指導・支援の拠点として、地域連携による新たな教育・研究を展開していきます。>

★食や動植物の新しい価値を見出し、新しい自然と社会と精神の循環を生み出すセンターということでしょう。

★パンデミックで、この循環がいかに重要であるか、世界中が身に染みています。

★今後このような研究はますます注目されるでしょう。

★美郷町のようにはいかないでしょうが、パウロの森もそのような新しい循環を見出す場となればと思います。そして麻布大学の教授と学生の皆さんとその場に立ち会えるパウロ生に未来の希望を期待したいです。

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2021年10月26日 (火)

人気上昇座標 聖学院、八雲学園、かえつ有明、和洋九段女子の位置の意味

★前回、人気上昇の理由は2つあると紹介しました。1つは革新価値志向性、もう一つは学歴価値志向性。そして、革新価値志向性が理由で人気上昇の学校を見出すには、首都圏模試センターのデータが有効だと述べました。しかしながら、学歴価値志向であれ、革新価値志向であれ、倫理を有するかしないかの2通りあるのですが、そこまでは読み取れないと。ともあれ、前者を倫理経済乖離市場価値、後者を倫理経済合一市場価値と呼びましょう。それで、座標を描くと次のようになります。

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★リーマンショックの後からダボス会議で新しい資本主義が論じられています。その新しい資本主義は、革新価値の領域ではありますが、脱階層システムの方なのか、well-beingシステムの方なのかは、議論の分かれるところです。今回のパンデミックでも新しい資本主義は謳われていますが、やはりどちらかは、明快ではありませんが、マルクス・ガブリエルさんや落合陽一さんは、どうやら倫理資本主義の立場のようですから、well-beingシステムを模索しているのかもしれません。

★さて、受験生の保護者の中で、well-beingシステムを望んでいる保護者は、聖学院、八雲学園、かえつ有明、和洋九段女子を選びます。

★この4つの学校は、建学の精神から教職員が筋鐘入りのwell-being派です。人気上昇校101にも入っています。革新価値を求めながら伝統価値とのバランスをとる学校もあります。この学校も、well-beingを標榜するのですが、伝統価値と倫理経済合一価値の差異を意識していないので、教職員が2分しています。どちらの勢力が強いかで、well-being派か弱者救済派かに分かれます。

★弱者救済派は、前提が強者と弱者です。慈善家は、基本勝ち組です。ですから、みながwell-beingとは限らないのです。

★つまり、4つのシステムとはどのような存在者を尊重するかという違いがあるのです。

★学歴価値システムは、学歴階層構造の中の上位層=ファーストクラスを尊重します。格差社会ですね。

★脱階層システムは、コンピテンシー格差社会です。テクノロジー重視社会ですね。GAFAが目指す社会です。テクノロジーを習得している存在者が尊重されます。

★弱者救済システムは、カリスマ主導の配分社会です。配分する側と配分される側が前提ですから、カリスマ存在が尊重されます。

★well-beingシステムは、すべての存在者がクリエイティブクラスです。

★現実は、こんなに簡単に分けられませんが、システムを構成するメンバーが、ファーストクラスを尊重したり憧れたりする存在者、テクノロジーを有する人材を尊重する存在者、カリスマを尊重する存在者、クリエイティブクラスを尊重する存在者のうちどの存在者の割合が多いかで、そのシステムの種類が決まるのでしょう。

★これは、学校の組織だけの話ではありません。企業や、行政、社会、世界においても同じです。

★したがって、人気上昇校のうち、well-beingシステムの学校が選ばれれば選ばれるほど、社会には希望がともる可能性大なのです。だって、選択者がそもそもクリエイティブクラスだからです。

★この4座標をみなが意識すると、well-beingシステムへと変容するシフトがでてくるかもしれません。今までは、意識していなかったので、well-beingだと思っていたけれど、実際は脱階層システムだったり、弱者救済システムだったりしてきたわけです。

★ただ、はっきりしていることは、学歴階層システムだけは、well-beingシステムだと間違いようがないということです。白熱教室のサンデル教授も、最近そうはっきり断言する著書を書いているぐらいです。メリトクラシーは悪なのだと。ちょっと驚きです。

★世の中の多様性とは、このような互いの価値の均衡点を巡る関数関係ということでしょうか。結局は、存在者の意志の力によるのでしょうか。ニーチェ的ですね。。。

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2021年9月25日 (土)

PBLからWML(World Making Learning)へ。「こころ」に流れる近代的自我をZ世代が捉え返すことの意味。

★勤務校の国語の授業を見学しました。デジタル・ネイティブであるZ世代の生徒が、夏目漱石の「こころ」をどう読み解くのか興味津々でした。そして、結論から言って、驚愕でした。繊細かつ大胆でした。Kにすでに則天去私的な兆しのあるのを見抜いている生徒がいたり、女性の深層心理と表層心理のパラドクスについてウィットに富んだプレゼンをしていた生徒がいたりしたのです。明治の女性のまさに「こころ」の近代的自我を掘り起こす視点です。ああ、近代的自我は男性原理に偏った見方をしていたのかもしれません。それゆえ、Kに対する見方も別角度になったのかもしれません。

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(国語科の高橋教諭)

★高橋先生はICTを駆使したPBL型授業です。源氏物語や枕草子の人間像や芥川竜之介や夏目漱石を通しての近代的自我を、いわゆる読解ではなく、学習者中心主義的な読み取りを優先します。

★文章に即して構造をなぞる読解もしますが、むしろメタファーや書いてない深層心理について仮説的推理(アブダクション)をしていく読み取りです。

★文学ですから仮説的推理(アブダクション)は、検証しにくいですが、中世の人間像や現代的人間像、未来の人間像(自分たち自身を念頭に置いています)と比較することによって関数的な諸関係の場から近代的自我の特徴を推理することはある程度可能です。その比較のためのデータは、ある意味検証の材料です。そして、そのデータは日常の授業で蓄積されているわけです。

★また、高橋先生は小説を書く授業も展開しています。そこでは、自分とは何かをストーリー化する自己存在の編集を行うわけです。

★さらに、推薦入試や総合型選抜の志望理由書のチュータリングも行っています。

★スモールサイズの学校がゆえに、多くの生徒が高橋先生のワールドで学ぶコトができます。このワールドは、結局自分とは何か?自分の価値とは?自分の役割とは?自分の感情とは?・・・という「自分の存在」と「人間の存在」との諸関係を思いめぐらす時空を<共に>するわけです。

★そうこの<共に>が肝心です。生徒は、グーグルクラスルームで作品を共有したり、グーグルフォームで相互にフィードバックします。つまり、ピアサポートのチームができます。

★「自分の顔は自分で見ることはできない」というのは、哲学の1つのテーゼでもありますが、それを解決するには「対話」が大切だというのも世に知られていることです。しかし、それが授業の中でできるというのが、ICTを駆使した高橋先生のPBLでしょう。もちろん、自分の世界をつくるには、基礎知識も大切です。高橋先生は、当然グーグルフォームでミニテストをサクサク行っていきます。すぐにデータ化されて共有できるので、作品のプレゼンだけではなく、基礎知識も、インプロリフレクションができてしまいます。

★たしかに、高橋先生の授業すべてを俯瞰すると、自分づくりというPBLになっています。しかし、自分という世界だけではなく、人間像や社会像、なんといっても感情のシステムをつくることになっています。

★サルトルや東浩紀、もっとさかのぼるとルソーもそうですが、自分の思想という世界を小説という世界に置換える、思想をストーリーに置換えることによって、世界観を生み出し、読み合ったりフィードバックしたりして共同編集して、協働世界作りをする。これが高橋先生の授業の構造だと感じ入りました。

★どうやら、PBL(Project based Learning)からWML(World Making Learning)へという事態が勤務校では生まれ始めているといえましょう。これは、新しい気づきです♪

★なお、勤務校の授業は20%ルールというのがあって、思考コードのB軸(論理的思考)かC軸(創造的思考)の思考の機会を20%以上設定することがお約束になっています。高橋先生の場合は、20%をはるかに超えた授業デザインになっているわけです。授業の魅力は学校の魅力でありますが、同時にそれは教師及び生徒の魅力が花開いているからだということに、改めて気づくことができました。ありがとうございました。

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2021年9月16日 (木)

多層的・多極的課題意識 総合型選抜の要 工学院型

★大学入試は、推薦入試や総合型選抜の準備がピークを迎えようとしています。志望理由書や小論文について、勤務校の教員も日々面談対策で対話が溢れています。私も時々手伝いますが、学年団や担任、進路指導部の教員の情熱や行動力、サポート力に頭が下がります。

★そんなこともあり、9月24日のGLICC Weekly EDUでは、工学院で出会った仲野想太郎さんと同番組主宰の鈴木裕之さんと総合型選抜について対話します。

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★仲野さんとは幾度かZoomで対話してきて、それについて、本ブログでも触れています。仲野さんの課題意識の分厚さには圧倒されるのですが、そのイメージは次の図のネットワーク型モデルです。

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★志望理由書には、好奇心や興味・関心について当然触れるのですが、それが階層モデルで言えば、どこまで深堀しているのか、ネットワークモデルでは、どれぐらい多角的あるいは多極的な意識のアプローチがあるかによって、課題意識の分厚さ、質の高さが決まります。

★小論文にしても、与えられる社会課題を自己課題と照らし合わせて考えていくのか、多層的あるいは多極的に捉えていくかでは全く違います。

★そして、生徒と対話する時、論述する時は、順序づけが大事なので階層モデルになりがちですが、対話は多極的に対話してみるとその生徒の根源的な志向性が現われてくる場合が多いです。

★階層モデルを使うと、深堀するのは時間がかかり、時間切れで途中で終わったままになりがちです。

★授業も結局講義形式だと深堀出来ず、知識習得で終わりがちです。やはりPBL型が必要です。

★仲野さんは、工学院の21世紀型教育本格推進一期生で、総合型選抜をネットワークモデルの環境で学びました。工学院型の総合型選抜準備をしてきたスーパーモデルです。24日に対話できるのが楽しみです。

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2021年9月 5日 (日)

首都圏模試、2024年、2027年の市場変容に向けてダイナミックに動きを作っています。抑圧市場からウェルビーイング市場へ

本日9/5(日)に首都圏の25会場で首都圏模試センターの小6第3回・小5第2回「合判模試」が開催されています。合わせて20,000人弱の受験生がチャレンジしていると思われます。そして、ここに驚嘆すべき情報誌が配布されています。それは今までとはパラダイム転換を果たしている<shutomo>です。首都圏中学受験生の20%強の受験生の家庭に3年後の2024年、6年後の2027年に中学入試市場が2段階で大変化することをアブダクション的に大胆に推理・編集して、共有しているのです。

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★今までの情報誌と言えば、偏差値動向、入試要項変更情報、学校の教育情報、大学合格実績情報が中心で、情報編集の方法は演繹的な論理が中心でした。しかし、今回のパンデミックで、今まで語られてきた予測不能な時代というのが遠くの話ではなく、いまここで起きてしまっているため、帰納法的論理やエピソード推理以外に、新しい学びである探究で浮上してきた仮説推理(アブダクション)という予測を立てる推論方法も付加した編集になっています。

★同誌は、思考コードを始め新しい評価あるいは推論のモノサシの記事も多角的に掲載しています。その思考コードの眼鏡で見れば、知識・理解中心のA軸や論理中心のB軸を活用した編集から、B軸とクリティカル&クリエイティブシンキングを活用するC軸を活用した編集にシフトしているともいえるでしょう。

★そして、教育出動の大きなウネリとして、親のマインドセットの方法について、教育ジャーナリストでマザークエスト代表の中曽根陽子さんが執筆している論考を掲載しています。親がどのような価値観をもって子供の学びの環境を整えるのか、その学びの環境を有している私立学校をどのような観点から選択するのかについて詳細に論じています。

★昨今の市場の潮流は学歴社会の価値を重視するコンサバ志向と未来の市場で勝ち組になればよいという損得勘定をベースとしたリバタリアン志向の価値観以外に、競争主義ではなく、地球市民が包摂的にウェル―ビーイングになる解決策を探究する学びを重視するリベラリズムや弱者の立場から物事を考え社会全体が最高善としての黄金律を内側で共有する価値観をベースにするコミュニタリアン志向が加わっています。

★今回のパンデミックで、サンデール教授のように、メリトクラシー(日本では学歴社会志向性や勝ち組負け組志向性)を生む社会や考え方を悪とまで言い切るウネリが生まれています。

★中曽根さんも、OECDのPISAから生まれてきた2030年の社会のあるべき姿を目指しているラーニング・コンパスの考え方やSDGsの潮流の話題も紹介していますから、コンサバでもリバタリアンでもないでしょう。やはりリベラリズム的な発想をもとに論考を描いていると思います。

★学歴主義や偏差値主義などコンサバ、リバタリアン的な発想とは違うようです。

★また、さらに驚嘆すべき論考が掲載されています。それは、一般財団法人日本私学教育研究所理事・所長であり、東京私学教育研究所の所長でもある平方邦行先生の論考を掲載しているのです。タイトルは、<『21世紀型教育』と思考コード>です。平方先生は東京のみならず、私学全体の多様な教員研修を全国で展開するプロデュースをしている先生です。

★21世紀型教育の理念は、ニューヨーク国連が掲げているワン・アースの黄金律men for othersです。国連は、この黄金律は、キリスト教のみならずすべての宗教、民族、人種の差を無化する共通の理念だとしています。

★ほとんどの私学の建学の精神はこのmen for othersと通底する理念をもっています。

★そういう意味では、21世紀型教育は、リベラリズムやコミュタリアンのような発想がベースです。

★中学入試市場は、学歴主義の中でいかにサバイブするか、その抑圧的な雰囲気の中で傷ついてしまう子供たちは根性がないとかやる気がないとか精神的に弱いという抑圧市場だったのです。私もそのような市場でクリティカルシンキングを発動しないで生きてきました。しかし、みなさん、そのことをいっしょに振り返り、回心しようではありませんか。

★そういう抑圧市場をウェルビーイング市場にパラダイム転換しようというのが首都圏模試センターの30周年ビジョンだと思います。みなさんこの方向をいっしょに歩みましょう!

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2021年9月 4日 (土)

World Makingの時代 覚書(03)12人の生徒×2人の教師×教室空間×サイバー空間×付箋紙×三角ロジック×思考コード×解決視点×世界制作方法 小さくてダイナミックなワールドが映し出される

★ダ・ビンチの最後の晩餐。あのシーンから、2001年目、世界人口の30%はキリスト教の宗教コードを持つ時代になっています。12人から始まっているのです。裏切り者のユダも出ますが、ちゃんとその席を埋める新しい使徒も誕生します。そのうちの1人がパウロです。

★そんなわけで、14の探究ゼミのプロジェクトチームは生徒が12人前後です。ラウンドテーブルと呼ばれているソクラテスメソッドの対話の手法が、米国のエスタブリッシュスクールで行われていますが、やはり生徒は12人ぐらいですね。なぜか12というのは、生産的・創造的で思いやりあふれるマインドフルネスが生まれやすいのです。そんなわけで、勤務校の探究ゼミも1プロジェクト基本12人で構成しています。

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★伊東教諭とコラボしているセカサク(世界の作り方)ワークショップが、昨日から始まったのですが、ワークショップは、基本アーキテクチャーあるいはアフォーダンスあるいはナッジというファシリテーションデザインで行います。

★そのアーキテクチャーの構成要素は次の9つで、掛け合わせます。12人の生徒×2人の教師×教室空間×サイバー空間×付箋紙など学習ツール×三角ロジック×思考コード×解決視点×世界制作方法。足し算にはしません。

★ですから、生徒が教室にはいってくると、机には学習ツールやテキスト、アドレス、そして上記の写真のような雑多な札がおいてあり、生徒はそれぞれ1つずつとって、自由にすわります。すでに伊藤×本間(IH)のセカサクワークショップに参加したことのある生徒は、自由に座っても、どうせ移動することになるということを知っていますから、すんなり座りますが、初めての場合、どこにするか迷います。

★すでにここで生徒の行動と意志と情緒、思考があらわれでていて、それぞれの世界がちらちらします。

★せっかく席についたところで、番号札が同じ数字の生徒がチームであることを告げ、席を移動します。

★この体験が大事ですね。デザインの構成要素を足し算にすると、たんなるチーム分けになります。

★掛け算にするには、あとで議論や三角ロジック400字論述を行うので、そこにうながるような問いを投げます。「チーム分けを<作る>にはどうやってやったらいい?」と。ゴツゴツした文ですが、<作る>という言葉を挿入することもわすれてはなりません。何せセカサクですから。

★生徒はいろいろ言いますが、だいたいゲーム感覚です。ルールとか制度をつくってとか。具体的にはジャンケンとか整列してとかでてきます。

★自由でいいじゃんというのもでますか。だいたいその二つのパターンです。で、今の札で分けられてしまったというのはどういう意味があるのか問います。ルールや制度でもあるけれど、何か違うなあとキョトンとしています。そこでAmazonで購入したことあるとか、アプリの話とか、マックの昔の椅子の話とか投げます。これはメタファー推論を促す問いです。

★世界作りには、エピソードやレトリック(メタファー)は欠かせません。つまり、チームを作るところからセカサクは始まているのです。

★そんなわけで、自由とかそうでないとかという話は、「道徳的視点」だねとか、みんなは「ルール」の視点を活用したねとか、それから、番号に値段がついていたらどうなるとかいうと、それは取り合いになるかもと。つまり「市場」の視点で分けることもできると。そして、そう今回のは単純すぎるけれどアーキテクチャーの視点だねと。

★問題を見つけて、解決策を考える時、多くの場合、意識や道徳レベルで終わってしまうので、気づくのをまつのもよいのですが、高校段階ですから、あまり時間もないので、そこは対話しながら誘導してしまいます。ここはインストラクションですね。ただ、対話はします。思考実験的な体験を何度も繰り返すことによって、学際的・教科横断的な視点が芽生えてもきます。

★というわけで、足し算ではなく掛け算だというメタファーを使ったわけです。

★で、こんな些細な3人チームを4組<作る>こともセカサク(世界作り)なんだよとリフレインレトリックを使います。ああ~という視線を投げてくる生徒とまだピンとこない表情の生徒もいますが、そこはそっとしておきます。

★かくして、セカサクは、フィールドワークや外部の方々と結びつくことも貴重な体験ですが、小さな動きも体験として意味を含む仕掛けをします。教室で、2089年の世界作りができるのです。というか、2089年からバックキャスティングすれば、フィールドワークもチーム作りも五十歩百歩です(笑)。尺度やモノサシのパラメーターを変えてデザインすることが必要です。

★日本の学校教育は、どこまでいっても算数で数学に変換しないんです。素朴と言えば素朴でよいのですが、ダイナミズムは指数関数的に変容しますから足し算では解決できませんね。

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World Makingの時代 覚書(02)プロセスフォリオがまだオンラインでできないわけ 技術の進化が追いついていないだけ

★セカサク(世界の作り方)ワークショップを勤務校の数学科の伊東教諭と協働しているわけですが、1人でやっているとなかなかできないプロセスフォリオのモニタリングが手に取るようにわかるのです。写真にあるような成果物や最後に書く三角ロジック400字論述は、あくまでポートフォリオです。

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(伊東教諭とコラボ。セカサクワークショップで、「トリアージ」の思考実験を行ったときの成果物の一部。)

★プロセスフォリオとは、それぞれの成果物を創っているとき、思考・情緒・行動の3つの過程や絡み合いをモニタリングするわけです。すると、生徒1人ひとりの才能が見え隠れします。最終的な三角ロジック400字論述も、その論述の添削だと、書き方の学びに終わってしまう場合もあります。そのような論述になったのは、

❶マインドセットの過程

❷リサーチする過程

➌議論する過程

❹問題を発見する過程

➎問題を解決する過程

➏プレゼン成果物を編集する過程

➐プレゼンしている過程

➑フィードバックの過程

★このような8つの過程のそれぞれを形成的評価をしていくわけです。その形成的評価のルーブリックは、思考コード(勤務校の場合は、Paul Learning Code)でフィードバックしていくわけです。

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★すると、各課程9つのコードで見ていきますから、9の8乗通りの視点が必要になります。また、一つの過程で組み合わせが複数ありますからたいへんです。ルーブリック使用だと、固定されてしまい。生徒の才能がみえてこないのです。

★そして、1人でワークショップをやっていると生徒のフロー状態に巻き込まれるので、俯瞰できません。ある生徒が考え込んでいる時、他のメンバーはどんな心情でいるのか、どんな行動をとっているのか、察知できません。まして、オンラインになるとそれは技術的にまだ無理です。

★写真や動画、テレビが断片情報しか流せないのと同じです。もちろん、そこから推理すればよいのですが、不確実すぎます。

★伊東教諭とコラボしながら改めてわかったのは、

1)思考コードをルーブリックとして使うより、学習の行動を変幻自在に生徒が自然と変容させるアーキテクチャーとしての使い方が有効だということ。

2)オンラインでは、まだまだプロセスフォリオはできないということ。たんに技術の進化の問題だったり、機材の複雑性・高コストだったりしますが。

3)よってICTやAIによる個別最適化は、今のところ21世紀型教育ではなく、あくまで20世紀型教育の領域でしかできないということ。

★しかし、広報的には、このことを表現するのは難しく、スモールサイズだからこそ、参加する生徒の実感が、じわじわと浸透していくのであって、大規模校だと、心ある教師が何かやっている程度で終わるということもわかりました。

★カリキュラムマネジメントとマーケティングの両立はいかにしたら可能か?まだまだやらなければならないことはあるなあと。チャレンジングな局面が立ち上がってきたわけです。

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静岡聖光学院 突き抜けた21世紀型教育 SGM星野校長のマネジメントの本質がわかります。

昨日9月3日(金)、GLICC Weekly EDU 第44回「静岡の地から21世紀型教育を発信ー静岡聖光学院の躍進を支えるニューリーダー星野明宏校長先生との対話」がありました。突き抜けた21世紀型教育を実践している静岡聖光学院のスーパーグローバルマネージャー(SGM)星野校長の話は目からウロコ、納得、覚醒の連続でした。詳しくはぜひYoutubeをご覧ください。

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★21世紀型教育機構にSGT(スーパーグローバルティーチャー)が育つのは、SGMが学校マネジメントを多様に多角的に本質的に行っているのだとしみじみ感じ入りました。

★それにしても、星野校長のストーリーは説得力があります。たとえば、20世紀型教育と21世紀型教育と対立させたかと思うと、統合するのです。ストラクチャーとアンストラクチャーをぶつけたかと思うと循環させるのです。

★コーチングとファシリテーターの差異を語ったかと思うと究極のメンターの覚醒の重要性を語るのです。

★このダイナミックなダイアローグによって、1つひとつのオチが即本質に行き着くので、聴き手を一瞬にして深い世界に巻き込みます。ダイブ感がすさまじく、ジェットコースターに乗っているスリリングな高揚感があります。

★21世紀型教育機構の加盟校がそれぞれ持っている特色をすべてそろえてしまっているのも、同校の突き抜けているところです。ダブル・ディグリーあり、Aレベルあり、STEAMあり、キリスト教ミッションあり、マインドフルネスあり、グローバルイマージョンあり。そしてすべてにワクワクドキドキのPBLが浸透しています。

★その話を矢継ぎ早に聞いていくと視野が急激に広がり天空に膨らんでいきます。かと思うと、ワン・ワンの深い対話があり、すべての人が持てっているコンプレックスや弱みにどこまでもよりそいケアしていくメンター的なマインドが本質的に深く、天空から心のコアに向かって一気にダイブしていくのです。

★ラガーマン(星野校長はイートンが認めるラガーマンです)の特質かもしれません。そういえば、八雲学園のラガーマンである菅原副校長もTの字型トークが得意です。広げるだけ広げて急激に深堀していく。SGMの真骨頂を聴くことができました。すてきな体験をありがとうございました。この体験をYoutubeで共有したいと思います。ぜひご覧ください。

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2021年8月14日 (土)

【響】<14>New Nature Cityへ フィリップ・デスコラ beyond レヴィ=ストロース

★自然と文化を分断する自然主義に対して、新しい自然を捉え返している落合陽一さん。デジタル・ネイチャーというと自然と文化をつなげるイメージがつかないという人も多いでしょう。しかし、あらゆるものは化学変化であり、化学変化は電子や陽子、粒子が交換される過程だからたしかに、自然であれ人間であれデジタルから見れば差異は解消します。

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★一方、クロード・レヴィ=ストロースの弟子フィリップ・ディスコラは、レヴィ=ストロースの野生の思考を内面性の類似性と身体の類似性のに軸で創る座標によって、一つの思考様式として、師を乗り越えようとしているかのようです。

★この座標によって、実は落合陽一さんとは違って宗教文化人類学的に従来の「自然」概念を乗り越えていきます。これによって、日本のようなアニミズムが原始宗教から新アニミズム論に変容します。

★何々、おもしろいじゃないかと、ネットサーフィンしていくと、eストニアに行きつきました。人口200万人に満たない国で、地政学的にロシアやドイツ、デンマークによって支配されたり独立したりを繰り返してきたバルト三国の一つですが、外務省のデータによると無宗教になっています。

★スカイプ開発の国エストニアなのでeストニアと呼ばれているそうですが、実は無宗教だけれど、若者の50%は土着のアニミズム的な宗教に親和性を感じているというような話もでています。デジタルとアニミズムはなるほど親和性があるのかとさらに検索していくと、またまた文化人類学に戻ってきて、どうもレヴィ=ストロースはソシュールの言語記号論に影響を受けていたらしいけれど、師を乗り越えるために、ディスコラは、パースの記号論を活用したらしいということになり、驚きました。

★そして、パースの記号論は、その後、意味論・統語論・語用論という領域に発展していったのだということも。なんと、1985年代、大ブレイクした池上嘉彦先生の記号論に戻りました。実は中学入試がムーブメントになったこのミレニアム世代誕生の時代に重なり、開成をはじめ、多くの学校が池上嘉彦先生の記号論の中学生向けの文章を出題しました。そうかあ、ミレニアム世代は、パースに親和性があるのかあ。

★当時は、入試問題出題時の著作権問題は緩く、それゆえ、池上嘉彦先生を尋ね、先生の文章を使った開成の入試問題を見せて、今後の言語や記号論、受験業界の行方についてインタビューする企画を実行できました。それをきっかけに、開成の先生方ともよく議論しました。授業研究もして、大いに勉強になったものです。懐かしい。。。

★そして、そのときに、池上嘉彦先生が詩学だよこれからはと。パースの記号過程が生み出す存在のカテゴリーの2つ目でもなく、3つ目でもなく、1つ目に相当するのではないかと、当時は思っていたので、その時は理解ができなかったんだと思います。しかし、今なら、それは、アニミズムの新しい捉え方だよとと新しい発想を示唆していたということがわかるような気がします。池上先生の最終講義は、民俗学的な民話の伝承・伝播の話でした。なんと、すでにソシュールからパースへと池上先生は展開していたのかもしれません。

★池上先生から、直接それは聞いていませんが、先生はエーコの「記号論」を翻訳しています。エーコは、ソシュールとパースの記号論をベースに発展させているらしいので、池上先生はそういう着想を持っていたのだと独善的ですが予想しています。

★そんなことを思い出しながら、この記号をデジタルに置き換えたら、なるほど落合陽一さんとディスコラはつながるし、今パースが情報学で見直されているのもわかるような気がします。

★最近よく使うトルーミンモデルである三角ロジックも、結局はパースの記号の三項図式と親和性があります。そういえば、パースを活用したコミュニケーション論は、ベイトソンも展開していました。ベイトソンは、私の学習理論の大事な発想の源です。

★しかしながら、そんな中で、座標モデルをディスコラは使います。宮台真司さんなら四肢的構造というかもしれません。

★3なのか4なのか、それはともかく、メタ思考という世界作りのパースペクティブは、コードを自在に自分で創れるかですね。もはやα世代にとては、コードを自分で描く時代だし、コードをパッシングする時代でもあるのかもしれません。

★PBLの私の枠組は、レヴィ=ストロースとピアジェ的MITモモデルを活用してきましたが、それ自体20世紀型であるということに気づきました。beyond レヴィ=ストロース、MITメディアラボ、そしてブルームでした。

★思考コードのB軸とC軸をMIT型学習理論やブルーム的に読むのか、パース型文化人類学的に読むかで、読み方が違います。ああ、これが編集者が理解できないとモノ申してくる壁なのだと、対話にならない差分だったということがやっとわかりました。今後はここを丁寧に対話していけばよいのだと。とはいえ、膨大な時間が。。。

★なるほど、それで、仲間とワークショップ言語という新しい記号論過程を生み出そうとしている自分がいるのかもしれません。

★ハイブリッドな孫の動画を見ながら、α世代の未来を妄想し始めたわけです(笑)。

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2021年8月13日 (金)

【響】<13>New Nature Cityへ 着々

★今や多様な未来が描かれていますが、その全体集合はあるのでしょうか。全体集合があれば補集合もありますから、未来を描くのはなかなか大変んですけれど、描いてみたいと思うのはなぜでしょう。それはシンボル的なものに興味があるからともいえるし、胃袋で考えると未来を描きたくなるとも言えるし、身体性と内面性の相互座標にあてはめて考えてみたくなるからともいえる。。。卯田宗平さんが編者の「野生性と人類の論理」を斜め読みしてそう感じました。

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★この本のテーマの野生性とドメスティケーションの関係は、人間と自然の関係のみならず、人間と人間の関係も示唆していていつもとは違うアプローチがおもしろいのです。レヴィ=ストロースを相対化しているので、読んでもみたかったのです。

★そして、9月から開く探究ゼミの大前提の理解や表現の枠組を少し広げておく準備にはちょどよい本だなと思っています。

★しかしながら、この本のテーマが全体集合になるわけではありません。

★もう一冊、落合陽一さんの「デジタルネイチャー」を論じた本は、今語られれている未来ビジョンや構想のすべてを包摂しています。凄い発想ですね。ゼミでは、同書の一部をどのようにイメージするかから対話しようと思っています。

★パウロの森を里山資本主義的にとらえるわけでも環境物理学や生命科学的にとらえるわけでもなく、もちろんそれぞれは大事なアプローチですが、全体集合ではないので、生徒自身が探究するのは構わないのです。というよりも、それぞれが自分の興味でどのアプローチをするのかは自由です。

★私の方は、ファシリテーターとして、それを包括する全体集合の枠組を創っておいて、そう、この枠組み=ファシリティーズ=枠組的道具ですが、生徒たちが立ち向かう探究の行手の壁となったりあるいは逆にテコになったりする枠組的道具を創るというファシリテーターをやるわけです。

★現状の探究がなんか物足りないという先生方もいます。それは、その足場が20世紀型枠組的道具だからです。それはすでに乗り越えられている部分が多いので、その枠組的道具では探究にはならないのです。

★研究者が、すでに発見や開発されているものやコトを研究することはないでしょう。リサーチとして確認することはあっても、それを乗り越えようとします。探究も似たところがあります。学者ではなくまだ高校生ですから、新らしい研究分野をというわけにはなかなかいきませんが、どんなパラダイムをつくるのかは、大事です。

★一般にあまりおもしろくない探究は、パラダイム、私の言葉で言えば枠組的道具が20世紀型だからです。ザッカーバーグさんも、それに気づいて、ユニバースからメタバースだと語り始めています。

★未来はようやく自然と社会と精神は循環する方向に向かっていますが、落合さんのように、その自然をデジタルネイチャーと読み替えることによって、枠組的道具立てが変わります。

★卯田さんの本も、野生性に憧れていた私の20世紀型枠組的道具をぶち壊してくれました。もちろん、家畜化や養殖化、栽培化などのようなドメスティケーションがよいというわけではありません。そもそも野生的思考はあるのか、ドメスティケーションはあるのかという問い返しです。

★最適化や、最高善という表現も、そもそも最適化とか最高善とは何だろうというのはわからないわけで、それは乗り越えられる枠組的道具です。コーチングは目標が物質的に明らかです。それが精神的なものでも物象化して目標化します。ファシリテーターは、その目標を捉え返す、枠組的道具を配置します。それをデザインと言えばデザインですが、デュシャンが美術館に泉と称して便器を芸術作品として枠組的道具をつくり、設置したのと同じで、どちらかというとアート的設置がファシリテートではないかと最近思っています。

★だから、教えないと言えば教えない。でも、枠組的道具は創作するわけです。たしかに授業のストーリーをデザインしないと言えばしないのです。しかしながら、枠組的道具はデザインするわけです。

★おそらく、この考え方はZ世代よりも、次の世代のα世代の発想に近いのでしょう。というのも、ストーリーのデザインはAIがやってくれますからね。

★AIが計算する枠組みを壊す枠組的道具立てが必要なわけです。つまり、AIの計算を部分集合として枠組的道具を全体集合とする。もっとも、それとて、AIはすぐに包摂し、部分集合にしてしまうんですが。ここらへんは、すでに落合陽一さんが語っています。落合さんや卯田さんを超える枠組的道具立ては難しいわけですが、現状はNew Nature Cityとしてしておきましょう。デジタルネイチャーとアンチ野生的かつアンチドメスティケーション的自然の融合体という感じでしょうか(汗)。

★もうすこし考えてみます。いつも定義をしないので、申し訳ございません。どうも演繹推理や帰納推理を丁寧にしないのは、私の弱みです。そこを仮説推理で巻き返すように実践で努力してみます(汗)。

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