入試市場

2021年9月16日 (木)

多層的・多極的課題意識 総合型選抜の要 工学院型

★大学入試は、推薦入試や総合型選抜の準備がピークを迎えようとしています。志望理由書や小論文について、勤務校の教員も日々面談対策で対話が溢れています。私も時々手伝いますが、学年団や担任、進路指導部の教員の情熱や行動力、サポート力に頭が下がります。

★そんなこともあり、9月24日のGLICC Weekly EDUでは、工学院で出会った仲野想太郎さんと同番組主宰の鈴木裕之さんと総合型選抜について対話します。

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★仲野さんとは幾度かZoomで対話してきて、それについて、本ブログでも触れています。仲野さんの課題意識の分厚さには圧倒されるのですが、そのイメージは次の図のネットワーク型モデルです。

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★志望理由書には、好奇心や興味・関心について当然触れるのですが、それが階層モデルで言えば、どこまで深堀しているのか、ネットワークモデルでは、どれぐらい多角的あるいは多極的な意識のアプローチがあるかによって、課題意識の分厚さ、質の高さが決まります。

★小論文にしても、与えられる社会課題を自己課題と照らし合わせて考えていくのか、多層的あるいは多極的に捉えていくかでは全く違います。

★そして、生徒と対話する時、論述する時は、順序づけが大事なので階層モデルになりがちですが、対話は多極的に対話してみるとその生徒の根源的な志向性が現われてくる場合が多いです。

★階層モデルを使うと、深堀するのは時間がかかり、時間切れで途中で終わったままになりがちです。

★授業も結局講義形式だと深堀出来ず、知識習得で終わりがちです。やはりPBL型が必要です。

★仲野さんは、工学院の21世紀型教育本格推進一期生で、総合型選抜をネットワークモデルの環境で学びました。工学院型の総合型選抜準備をしてきたスーパーモデルです。24日に対話できるのが楽しみです。

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2021年9月 5日 (日)

首都圏模試、2024年、2027年の市場変容に向けてダイナミックに動きを作っています。抑圧市場からウェルビーイング市場へ

本日9/5(日)に首都圏の25会場で首都圏模試センターの小6第3回・小5第2回「合判模試」が開催されています。合わせて20,000人弱の受験生がチャレンジしていると思われます。そして、ここに驚嘆すべき情報誌が配布されています。それは今までとはパラダイム転換を果たしている<shutomo>です。首都圏中学受験生の20%強の受験生の家庭に3年後の2024年、6年後の2027年に中学入試市場が2段階で大変化することをアブダクション的に大胆に推理・編集して、共有しているのです。

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★今までの情報誌と言えば、偏差値動向、入試要項変更情報、学校の教育情報、大学合格実績情報が中心で、情報編集の方法は演繹的な論理が中心でした。しかし、今回のパンデミックで、今まで語られてきた予測不能な時代というのが遠くの話ではなく、いまここで起きてしまっているため、帰納法的論理やエピソード推理以外に、新しい学びである探究で浮上してきた仮説推理(アブダクション)という予測を立てる推論方法も付加した編集になっています。

★同誌は、思考コードを始め新しい評価あるいは推論のモノサシの記事も多角的に掲載しています。その思考コードの眼鏡で見れば、知識・理解中心のA軸や論理中心のB軸を活用した編集から、B軸とクリティカル&クリエイティブシンキングを活用するC軸を活用した編集にシフトしているともいえるでしょう。

★そして、教育出動の大きなウネリとして、親のマインドセットの方法について、教育ジャーナリストでマザークエスト代表の中曽根陽子さんが執筆している論考を掲載しています。親がどのような価値観をもって子供の学びの環境を整えるのか、その学びの環境を有している私立学校をどのような観点から選択するのかについて詳細に論じています。

★昨今の市場の潮流は学歴社会の価値を重視するコンサバ志向と未来の市場で勝ち組になればよいという損得勘定をベースとしたリバタリアン志向の価値観以外に、競争主義ではなく、地球市民が包摂的にウェル―ビーイングになる解決策を探究する学びを重視するリベラリズムや弱者の立場から物事を考え社会全体が最高善としての黄金律を内側で共有する価値観をベースにするコミュニタリアン志向が加わっています。

★今回のパンデミックで、サンデール教授のように、メリトクラシー(日本では学歴社会志向性や勝ち組負け組志向性)を生む社会や考え方を悪とまで言い切るウネリが生まれています。

★中曽根さんも、OECDのPISAから生まれてきた2030年の社会のあるべき姿を目指しているラーニング・コンパスの考え方やSDGsの潮流の話題も紹介していますから、コンサバでもリバタリアンでもないでしょう。やはりリベラリズム的な発想をもとに論考を描いていると思います。

★学歴主義や偏差値主義などコンサバ、リバタリアン的な発想とは違うようです。

★また、さらに驚嘆すべき論考が掲載されています。それは、一般財団法人日本私学教育研究所理事・所長であり、東京私学教育研究所の所長でもある平方邦行先生の論考を掲載しているのです。タイトルは、<『21世紀型教育』と思考コード>です。平方先生は東京のみならず、私学全体の多様な教員研修を全国で展開するプロデュースをしている先生です。

★21世紀型教育の理念は、ニューヨーク国連が掲げているワン・アースの黄金律men for othersです。国連は、この黄金律は、キリスト教のみならずすべての宗教、民族、人種の差を無化する共通の理念だとしています。

★ほとんどの私学の建学の精神はこのmen for othersと通底する理念をもっています。

★そういう意味では、21世紀型教育は、リベラリズムやコミュタリアンのような発想がベースです。

★中学入試市場は、学歴主義の中でいかにサバイブするか、その抑圧的な雰囲気の中で傷ついてしまう子供たちは根性がないとかやる気がないとか精神的に弱いという抑圧市場だったのです。私もそのような市場でクリティカルシンキングを発動しないで生きてきました。しかし、みなさん、そのことをいっしょに振り返り、回心しようではありませんか。

★そういう抑圧市場をウェルビーイング市場にパラダイム転換しようというのが首都圏模試センターの30周年ビジョンだと思います。みなさんこの方向をいっしょに歩みましょう!

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2021年9月 4日 (土)

World Makingの時代 覚書(03)12人の生徒×2人の教師×教室空間×サイバー空間×付箋紙×三角ロジック×思考コード×解決視点×世界制作方法 小さくてダイナミックなワールドが映し出される

★ダ・ビンチの最後の晩餐。あのシーンから、2001年目、世界人口の30%はキリスト教の宗教コードを持つ時代になっています。12人から始まっているのです。裏切り者のユダも出ますが、ちゃんとその席を埋める新しい使徒も誕生します。そのうちの1人がパウロです。

★そんなわけで、14の探究ゼミのプロジェクトチームは生徒が12人前後です。ラウンドテーブルと呼ばれているソクラテスメソッドの対話の手法が、米国のエスタブリッシュスクールで行われていますが、やはり生徒は12人ぐらいですね。なぜか12というのは、生産的・創造的で思いやりあふれるマインドフルネスが生まれやすいのです。そんなわけで、勤務校の探究ゼミも1プロジェクト基本12人で構成しています。

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★伊東教諭とコラボしているセカサク(世界の作り方)ワークショップが、昨日から始まったのですが、ワークショップは、基本アーキテクチャーあるいはアフォーダンスあるいはナッジというファシリテーションデザインで行います。

★そのアーキテクチャーの構成要素は次の9つで、掛け合わせます。12人の生徒×2人の教師×教室空間×サイバー空間×付箋紙など学習ツール×三角ロジック×思考コード×解決視点×世界制作方法。足し算にはしません。

★ですから、生徒が教室にはいってくると、机には学習ツールやテキスト、アドレス、そして上記の写真のような雑多な札がおいてあり、生徒はそれぞれ1つずつとって、自由にすわります。すでに伊藤×本間(IH)のセカサクワークショップに参加したことのある生徒は、自由に座っても、どうせ移動することになるということを知っていますから、すんなり座りますが、初めての場合、どこにするか迷います。

★すでにここで生徒の行動と意志と情緒、思考があらわれでていて、それぞれの世界がちらちらします。

★せっかく席についたところで、番号札が同じ数字の生徒がチームであることを告げ、席を移動します。

★この体験が大事ですね。デザインの構成要素を足し算にすると、たんなるチーム分けになります。

★掛け算にするには、あとで議論や三角ロジック400字論述を行うので、そこにうながるような問いを投げます。「チーム分けを<作る>にはどうやってやったらいい?」と。ゴツゴツした文ですが、<作る>という言葉を挿入することもわすれてはなりません。何せセカサクですから。

★生徒はいろいろ言いますが、だいたいゲーム感覚です。ルールとか制度をつくってとか。具体的にはジャンケンとか整列してとかでてきます。

★自由でいいじゃんというのもでますか。だいたいその二つのパターンです。で、今の札で分けられてしまったというのはどういう意味があるのか問います。ルールや制度でもあるけれど、何か違うなあとキョトンとしています。そこでAmazonで購入したことあるとか、アプリの話とか、マックの昔の椅子の話とか投げます。これはメタファー推論を促す問いです。

★世界作りには、エピソードやレトリック(メタファー)は欠かせません。つまり、チームを作るところからセカサクは始まているのです。

★そんなわけで、自由とかそうでないとかという話は、「道徳的視点」だねとか、みんなは「ルール」の視点を活用したねとか、それから、番号に値段がついていたらどうなるとかいうと、それは取り合いになるかもと。つまり「市場」の視点で分けることもできると。そして、そう今回のは単純すぎるけれどアーキテクチャーの視点だねと。

★問題を見つけて、解決策を考える時、多くの場合、意識や道徳レベルで終わってしまうので、気づくのをまつのもよいのですが、高校段階ですから、あまり時間もないので、そこは対話しながら誘導してしまいます。ここはインストラクションですね。ただ、対話はします。思考実験的な体験を何度も繰り返すことによって、学際的・教科横断的な視点が芽生えてもきます。

★というわけで、足し算ではなく掛け算だというメタファーを使ったわけです。

★で、こんな些細な3人チームを4組<作る>こともセカサク(世界作り)なんだよとリフレインレトリックを使います。ああ~という視線を投げてくる生徒とまだピンとこない表情の生徒もいますが、そこはそっとしておきます。

★かくして、セカサクは、フィールドワークや外部の方々と結びつくことも貴重な体験ですが、小さな動きも体験として意味を含む仕掛けをします。教室で、2089年の世界作りができるのです。というか、2089年からバックキャスティングすれば、フィールドワークもチーム作りも五十歩百歩です(笑)。尺度やモノサシのパラメーターを変えてデザインすることが必要です。

★日本の学校教育は、どこまでいっても算数で数学に変換しないんです。素朴と言えば素朴でよいのですが、ダイナミズムは指数関数的に変容しますから足し算では解決できませんね。

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World Makingの時代 覚書(02)プロセスフォリオがまだオンラインでできないわけ 技術の進化が追いついていないだけ

★セカサク(世界の作り方)ワークショップを勤務校の数学科の伊東教諭と協働しているわけですが、1人でやっているとなかなかできないプロセスフォリオのモニタリングが手に取るようにわかるのです。写真にあるような成果物や最後に書く三角ロジック400字論述は、あくまでポートフォリオです。

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(伊東教諭とコラボ。セカサクワークショップで、「トリアージ」の思考実験を行ったときの成果物の一部。)

★プロセスフォリオとは、それぞれの成果物を創っているとき、思考・情緒・行動の3つの過程や絡み合いをモニタリングするわけです。すると、生徒1人ひとりの才能が見え隠れします。最終的な三角ロジック400字論述も、その論述の添削だと、書き方の学びに終わってしまう場合もあります。そのような論述になったのは、

❶マインドセットの過程

❷リサーチする過程

➌議論する過程

❹問題を発見する過程

➎問題を解決する過程

➏プレゼン成果物を編集する過程

➐プレゼンしている過程

➑フィードバックの過程

★このような8つの過程のそれぞれを形成的評価をしていくわけです。その形成的評価のルーブリックは、思考コード(勤務校の場合は、Paul Learning Code)でフィードバックしていくわけです。

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★すると、各課程9つのコードで見ていきますから、9の8乗通りの視点が必要になります。また、一つの過程で組み合わせが複数ありますからたいへんです。ルーブリック使用だと、固定されてしまい。生徒の才能がみえてこないのです。

★そして、1人でワークショップをやっていると生徒のフロー状態に巻き込まれるので、俯瞰できません。ある生徒が考え込んでいる時、他のメンバーはどんな心情でいるのか、どんな行動をとっているのか、察知できません。まして、オンラインになるとそれは技術的にまだ無理です。

★写真や動画、テレビが断片情報しか流せないのと同じです。もちろん、そこから推理すればよいのですが、不確実すぎます。

★伊東教諭とコラボしながら改めてわかったのは、

1)思考コードをルーブリックとして使うより、学習の行動を変幻自在に生徒が自然と変容させるアーキテクチャーとしての使い方が有効だということ。

2)オンラインでは、まだまだプロセスフォリオはできないということ。たんに技術の進化の問題だったり、機材の複雑性・高コストだったりしますが。

3)よってICTやAIによる個別最適化は、今のところ21世紀型教育ではなく、あくまで20世紀型教育の領域でしかできないということ。

★しかし、広報的には、このことを表現するのは難しく、スモールサイズだからこそ、参加する生徒の実感が、じわじわと浸透していくのであって、大規模校だと、心ある教師が何かやっている程度で終わるということもわかりました。

★カリキュラムマネジメントとマーケティングの両立はいかにしたら可能か?まだまだやらなければならないことはあるなあと。チャレンジングな局面が立ち上がってきたわけです。

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静岡聖光学院 突き抜けた21世紀型教育 SGM星野校長のマネジメントの本質がわかります。

昨日9月3日(金)、GLICC Weekly EDU 第44回「静岡の地から21世紀型教育を発信ー静岡聖光学院の躍進を支えるニューリーダー星野明宏校長先生との対話」がありました。突き抜けた21世紀型教育を実践している静岡聖光学院のスーパーグローバルマネージャー(SGM)星野校長の話は目からウロコ、納得、覚醒の連続でした。詳しくはぜひYoutubeをご覧ください。

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★21世紀型教育機構にSGT(スーパーグローバルティーチャー)が育つのは、SGMが学校マネジメントを多様に多角的に本質的に行っているのだとしみじみ感じ入りました。

★それにしても、星野校長のストーリーは説得力があります。たとえば、20世紀型教育と21世紀型教育と対立させたかと思うと、統合するのです。ストラクチャーとアンストラクチャーをぶつけたかと思うと循環させるのです。

★コーチングとファシリテーターの差異を語ったかと思うと究極のメンターの覚醒の重要性を語るのです。

★このダイナミックなダイアローグによって、1つひとつのオチが即本質に行き着くので、聴き手を一瞬にして深い世界に巻き込みます。ダイブ感がすさまじく、ジェットコースターに乗っているスリリングな高揚感があります。

★21世紀型教育機構の加盟校がそれぞれ持っている特色をすべてそろえてしまっているのも、同校の突き抜けているところです。ダブル・ディグリーあり、Aレベルあり、STEAMあり、キリスト教ミッションあり、マインドフルネスあり、グローバルイマージョンあり。そしてすべてにワクワクドキドキのPBLが浸透しています。

★その話を矢継ぎ早に聞いていくと視野が急激に広がり天空に膨らんでいきます。かと思うと、ワン・ワンの深い対話があり、すべての人が持てっているコンプレックスや弱みにどこまでもよりそいケアしていくメンター的なマインドが本質的に深く、天空から心のコアに向かって一気にダイブしていくのです。

★ラガーマン(星野校長はイートンが認めるラガーマンです)の特質かもしれません。そういえば、八雲学園のラガーマンである菅原副校長もTの字型トークが得意です。広げるだけ広げて急激に深堀していく。SGMの真骨頂を聴くことができました。すてきな体験をありがとうございました。この体験をYoutubeで共有したいと思います。ぜひご覧ください。

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2021年8月14日 (土)

【響】<14>New Nature Cityへ フィリップ・デスコラ beyond レヴィ=ストロース

★自然と文化を分断する自然主義に対して、新しい自然を捉え返している落合陽一さん。デジタル・ネイチャーというと自然と文化をつなげるイメージがつかないという人も多いでしょう。しかし、あらゆるものは化学変化であり、化学変化は電子や陽子、粒子が交換される過程だからたしかに、自然であれ人間であれデジタルから見れば差異は解消します。

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★一方、クロード・レヴィ=ストロースの弟子フィリップ・ディスコラは、レヴィ=ストロースの野生の思考を内面性の類似性と身体の類似性のに軸で創る座標によって、一つの思考様式として、師を乗り越えようとしているかのようです。

★この座標によって、実は落合陽一さんとは違って宗教文化人類学的に従来の「自然」概念を乗り越えていきます。これによって、日本のようなアニミズムが原始宗教から新アニミズム論に変容します。

★何々、おもしろいじゃないかと、ネットサーフィンしていくと、eストニアに行きつきました。人口200万人に満たない国で、地政学的にロシアやドイツ、デンマークによって支配されたり独立したりを繰り返してきたバルト三国の一つですが、外務省のデータによると無宗教になっています。

★スカイプ開発の国エストニアなのでeストニアと呼ばれているそうですが、実は無宗教だけれど、若者の50%は土着のアニミズム的な宗教に親和性を感じているというような話もでています。デジタルとアニミズムはなるほど親和性があるのかとさらに検索していくと、またまた文化人類学に戻ってきて、どうもレヴィ=ストロースはソシュールの言語記号論に影響を受けていたらしいけれど、師を乗り越えるために、ディスコラは、パースの記号論を活用したらしいということになり、驚きました。

★そして、パースの記号論は、その後、意味論・統語論・語用論という領域に発展していったのだということも。なんと、1985年代、大ブレイクした池上嘉彦先生の記号論に戻りました。実は中学入試がムーブメントになったこのミレニアム世代誕生の時代に重なり、開成をはじめ、多くの学校が池上嘉彦先生の記号論の中学生向けの文章を出題しました。そうかあ、ミレニアム世代は、パースに親和性があるのかあ。

★当時は、入試問題出題時の著作権問題は緩く、それゆえ、池上嘉彦先生を尋ね、先生の文章を使った開成の入試問題を見せて、今後の言語や記号論、受験業界の行方についてインタビューする企画を実行できました。それをきっかけに、開成の先生方ともよく議論しました。授業研究もして、大いに勉強になったものです。懐かしい。。。

★そして、そのときに、池上嘉彦先生が詩学だよこれからはと。パースの記号過程が生み出す存在のカテゴリーの2つ目でもなく、3つ目でもなく、1つ目に相当するのではないかと、当時は思っていたので、その時は理解ができなかったんだと思います。しかし、今なら、それは、アニミズムの新しい捉え方だよとと新しい発想を示唆していたということがわかるような気がします。池上先生の最終講義は、民俗学的な民話の伝承・伝播の話でした。なんと、すでにソシュールからパースへと池上先生は展開していたのかもしれません。

★池上先生から、直接それは聞いていませんが、先生はエーコの「記号論」を翻訳しています。エーコは、ソシュールとパースの記号論をベースに発展させているらしいので、池上先生はそういう着想を持っていたのだと独善的ですが予想しています。

★そんなことを思い出しながら、この記号をデジタルに置き換えたら、なるほど落合陽一さんとディスコラはつながるし、今パースが情報学で見直されているのもわかるような気がします。

★最近よく使うトルーミンモデルである三角ロジックも、結局はパースの記号の三項図式と親和性があります。そういえば、パースを活用したコミュニケーション論は、ベイトソンも展開していました。ベイトソンは、私の学習理論の大事な発想の源です。

★しかしながら、そんな中で、座標モデルをディスコラは使います。宮台真司さんなら四肢的構造というかもしれません。

★3なのか4なのか、それはともかく、メタ思考という世界作りのパースペクティブは、コードを自在に自分で創れるかですね。もはやα世代にとては、コードを自分で描く時代だし、コードをパッシングする時代でもあるのかもしれません。

★PBLの私の枠組は、レヴィ=ストロースとピアジェ的MITモモデルを活用してきましたが、それ自体20世紀型であるということに気づきました。beyond レヴィ=ストロース、MITメディアラボ、そしてブルームでした。

★思考コードのB軸とC軸をMIT型学習理論やブルーム的に読むのか、パース型文化人類学的に読むかで、読み方が違います。ああ、これが編集者が理解できないとモノ申してくる壁なのだと、対話にならない差分だったということがやっとわかりました。今後はここを丁寧に対話していけばよいのだと。とはいえ、膨大な時間が。。。

★なるほど、それで、仲間とワークショップ言語という新しい記号論過程を生み出そうとしている自分がいるのかもしれません。

★ハイブリッドな孫の動画を見ながら、α世代の未来を妄想し始めたわけです(笑)。

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2021年8月13日 (金)

【響】<13>New Nature Cityへ 着々

★今や多様な未来が描かれていますが、その全体集合はあるのでしょうか。全体集合があれば補集合もありますから、未来を描くのはなかなか大変んですけれど、描いてみたいと思うのはなぜでしょう。それはシンボル的なものに興味があるからともいえるし、胃袋で考えると未来を描きたくなるとも言えるし、身体性と内面性の相互座標にあてはめて考えてみたくなるからともいえる。。。卯田宗平さんが編者の「野生性と人類の論理」を斜め読みしてそう感じました。

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★この本のテーマの野生性とドメスティケーションの関係は、人間と自然の関係のみならず、人間と人間の関係も示唆していていつもとは違うアプローチがおもしろいのです。レヴィ=ストロースを相対化しているので、読んでもみたかったのです。

★そして、9月から開く探究ゼミの大前提の理解や表現の枠組を少し広げておく準備にはちょどよい本だなと思っています。

★しかしながら、この本のテーマが全体集合になるわけではありません。

★もう一冊、落合陽一さんの「デジタルネイチャー」を論じた本は、今語られれている未来ビジョンや構想のすべてを包摂しています。凄い発想ですね。ゼミでは、同書の一部をどのようにイメージするかから対話しようと思っています。

★パウロの森を里山資本主義的にとらえるわけでも環境物理学や生命科学的にとらえるわけでもなく、もちろんそれぞれは大事なアプローチですが、全体集合ではないので、生徒自身が探究するのは構わないのです。というよりも、それぞれが自分の興味でどのアプローチをするのかは自由です。

★私の方は、ファシリテーターとして、それを包括する全体集合の枠組を創っておいて、そう、この枠組み=ファシリティーズ=枠組的道具ですが、生徒たちが立ち向かう探究の行手の壁となったりあるいは逆にテコになったりする枠組的道具を創るというファシリテーターをやるわけです。

★現状の探究がなんか物足りないという先生方もいます。それは、その足場が20世紀型枠組的道具だからです。それはすでに乗り越えられている部分が多いので、その枠組的道具では探究にはならないのです。

★研究者が、すでに発見や開発されているものやコトを研究することはないでしょう。リサーチとして確認することはあっても、それを乗り越えようとします。探究も似たところがあります。学者ではなくまだ高校生ですから、新らしい研究分野をというわけにはなかなかいきませんが、どんなパラダイムをつくるのかは、大事です。

★一般にあまりおもしろくない探究は、パラダイム、私の言葉で言えば枠組的道具が20世紀型だからです。ザッカーバーグさんも、それに気づいて、ユニバースからメタバースだと語り始めています。

★未来はようやく自然と社会と精神は循環する方向に向かっていますが、落合さんのように、その自然をデジタルネイチャーと読み替えることによって、枠組的道具立てが変わります。

★卯田さんの本も、野生性に憧れていた私の20世紀型枠組的道具をぶち壊してくれました。もちろん、家畜化や養殖化、栽培化などのようなドメスティケーションがよいというわけではありません。そもそも野生的思考はあるのか、ドメスティケーションはあるのかという問い返しです。

★最適化や、最高善という表現も、そもそも最適化とか最高善とは何だろうというのはわからないわけで、それは乗り越えられる枠組的道具です。コーチングは目標が物質的に明らかです。それが精神的なものでも物象化して目標化します。ファシリテーターは、その目標を捉え返す、枠組的道具を配置します。それをデザインと言えばデザインですが、デュシャンが美術館に泉と称して便器を芸術作品として枠組的道具をつくり、設置したのと同じで、どちらかというとアート的設置がファシリテートではないかと最近思っています。

★だから、教えないと言えば教えない。でも、枠組的道具は創作するわけです。たしかに授業のストーリーをデザインしないと言えばしないのです。しかしながら、枠組的道具はデザインするわけです。

★おそらく、この考え方はZ世代よりも、次の世代のα世代の発想に近いのでしょう。というのも、ストーリーのデザインはAIがやってくれますからね。

★AIが計算する枠組みを壊す枠組的道具立てが必要なわけです。つまり、AIの計算を部分集合として枠組的道具を全体集合とする。もっとも、それとて、AIはすぐに包摂し、部分集合にしてしまうんですが。ここらへんは、すでに落合陽一さんが語っています。落合さんや卯田さんを超える枠組的道具立ては難しいわけですが、現状はNew Nature Cityとしてしておきましょう。デジタルネイチャーとアンチ野生的かつアンチドメスティケーション的自然の融合体という感じでしょうか(汗)。

★もうすこし考えてみます。いつも定義をしないので、申し訳ございません。どうも演繹推理や帰納推理を丁寧にしないのは、私の弱みです。そこを仮説推理で巻き返すように実践で努力してみます(汗)。

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2021年8月 5日 (木)

【響】<10>総合型選抜の意味 men for others としての<自分>とは何かへの道

★勤務校における夏期講習中は、特別講座を同僚と協働して実施したり、推薦入試の志望理由や小論文の書き方について対話する日々を送っています。専門的な知識や技術的なことや具体的な志望理由書や小論文作成については各教科の先生方や担任の先生方がトレーニングしたりコーチングしたりしていますから、私自身は、ものの見方や考え方・感じ方を広げ深めるワークショップ形式の対話を行っています。とはいえ、三角ロジックと3ダクションの推論は共有します。

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(勤務校の教室から見える景色)

★人数的には、3学年合わせて25人くらいです。小規模校だと、1人の生徒は授業で10人くらいの教科の先生と対話できます。講義を受けるというより、対話型の授業ですから、客観的な知識のシャワーを浴びつつ、一方で、生徒の主観的な価値の形成に良い影響を与える対話ができます。

★良い影響とは、教師が<men for others>の価値を共有していますから、生徒の主観的価値と教師の主観的価値の相乗効果が生まれるということです。これを善なる協働主観の形成と言ってもよいかもしれません。

★それ以外に12人マックスの探究ゼミや個人面談が頻繁にあります。平均すると教師1人が教科の授業以外に深く対話する生徒数は20人前後です。したがって、1人の生徒は部活や生徒会・各種委員会の活動もありますから、複数の教師と深い対話ができます。

★私が今回25人(3学年合わせた)の生徒と対話するというのも、以上のような教師一人当たりが深い対話をする生徒数がそのぐらいであるという教育環境が日常であるからだということであり、特別なことではありません。小規模校の教育づくりの一環であり一貫性というわけです。

★私は、ワークショップの後、400字の小論文を課します。ワークショップの単なるまとめというのではなく、ワークショップの中で生徒自身が暗黙知として見つけた問いを形式知に転換して出します。そして、必ず、その問いを考えることが自分にとってどんな意味があるのかを条件として付け加えます。self sense makingは世界作りのコアです。

★総合型選抜に挑む高3とは、自分とは何かをストレートに問いつつ、一方で学部学科に関する問いを出します。自分と現象や事象に関する問いをカップリングしています。高1と高2には、現象や事象に関する問いの中で自分の意味を考えるようにしていて、まだ自分とは何かをストレートに考えることはしていません。

★他局面に出会ったときに自分は何を感じ、何を考え、何を判断し、何を行うのか。そのような多様性の中で、一貫した自分が見えてきます。

★したがって、総合型選抜は、高3になって突然準備するというのではなく、高校1年から多様な学びに向かい合いながら<自分>とは何かをリフレクションし続けるself sense makingのプロセスが肝要だなあと、改めて認識している最中です。実際、今の高1の学年団はすでに日々そうしています。

★そして、その<自分>がmen for othersとどう関係があるかということも当然考えていくわけです。それには、現象や事象の分析と問題点の発見というプロセスが大事だったのです。

★そのときに、men for othersを倫理的側面だけで考えないようにしています。倫理的自由論、政治的自由論、経済的自由論、法律的自由論、技術革新的自由論、生命科学的自由論、そしてカトリック校なので、スピリチュアリティ的自由論というように、多角的に問うていきます。最終的には、一貫性のある<men for others としの自分>が見えてくると思います。

★そしてそれは少なくとも4の7乗通り(これに思考コードを単純に入れるだけで、36の7乗通りになるのです)ありますから、極めて個性的な一貫性となるのです。

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2021年7月28日 (水)

【響】<06>3ダクション・ワークショップ言語 三角ロジックを出発点として①

★この夏、勤務校で学力・精神・身体・スピリチュアリティの質を総合的にアップできないか?4月から同僚とミーティングを繰り返し、ワークショップを行うことにしました。3人チームのもあるし、4人チームのもあるし、11人チームのもあります。スモールサイズの学園なので、ワークショップや探究ゼミは1人の教師に12人がマックスです。

【三角ロジックと思考スキル】

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★今まで思考コードや思考スキルを多様なアクティビティに結びつけてワークショップを行ってきましたが、成城学園の広報部部長の青柳圭子先生と対話した時、三角ロジックをピアで使いながら行う対話型論理の授業方法の成果を教えて頂き、これは今まで実施してきた多様なツールを統合してワークショップを行えるなあと思い立ちました。

★さっそく、4月から対話してきた同僚と三角ロジックと数学的思考、特に集合論や命題論と演繹推理、帰納推理、仮説推理などがどう関係するのかミニプロジェクトを形成して、仮説を立ててきました。

★そして、この夏、高1、高2や総合型選抜などに挑戦する生徒の中で、主体的に学びたいという生徒を公募して行うことになりました。最も、三角ロジックを教え込むというよりは、まずはやってみようからはじまって、写真やグラフや断片の文章をポストイットでバラバラにして、対話しながら今度は統合する過程で、何がみえてくるのか推理する体験をします。

★そして三角ロジックの3つの図(次回紹介します)をみて、自分たちがどんな推理を行ったか議論します。

★すると、三角ロジックでまとめたり読解する視点が身につきました。

★高校生にとって、実にわかりやすいわけです。パラグラフライティングではあるのですが、なぜか三角ロジックという言葉は浸透してしまうんですね。これは発見でした。青柳先生、ありがとうございます。

★その中で気づいたことは、三角ロジックの各辺の推理のときに活用する思考スキルが定まるということでした。

★まだ、生徒とは「具体と抽象」「比較対照」のスキルが三角ロジックとどうかかわるかまでしか進んでいないのですが、いずれこのワークショップ(今のところ「3ダクション・ワークショップ」と名付けようかなと)を繰り返していくと、上記の図のような三角ロジックと思考スキルが雪の結晶のように結びつくのだろうと思っています。(つづく)

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2021年7月23日 (金)

New Power Teacher(05)阿弥先生の算数の授業 言語と数学のスクランブルPBL

★今月初旬、アサンプション国際小学校の教務主任阿弥博子先生は、公開授業研究を行ったとメールをいただきました。そのときの指導案やシラバス、多様なワークシートを拝見し、感動しました。私は、以前、中学受験と大学受験の塾のアドバイザーや中高一貫校のアドバイザーを中心にやってきたのですが、小学校のアドバイザーを行ったのは、6年前のアサンプション国際小学校が初めてでした。

★そして、そのとき、阿弥先生と出会いました。当時私の言葉が、帰国生の大学入試における小論文や志望理由書のプロジェクトベースの学び(PBL)で使っていたものが多かったと思老います。つまり、高校の帰国生を対象に活用していた言葉を使っていたために、最初は阿弥先生にわかるまで質問攻めにあっていました(汗)。

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★中高一貫校の先生方も最初は、わかりやすく説明して欲しいとよく質問されましたが、3カ月もするとギャップが埋まったので、同じ感覚で阿弥先生ともコミュニケーションしていました。しかし、言葉の意味の問題ではなく、生徒の発達段階に応じて、言葉を開く必要があると気づくのには時間がかかりませんでした。

★小学生に寄り添いながらPBL授業を懸命に行っている阿弥先生をはじめとする同校の先生方の姿をみていて、ストレートに小学生と共有できる言葉を見つけなくてはとハッとしたのでした。しかしながら、それは私にとっては、難しい道のりでした。ところが、阿弥先生は諦めず、PBLの授業の指導案やシラバスを単元が変わるたびに提示してくれて、それをベースにリファインしながらPBLのプロトタイプを共に創っていきました。

★阿弥先生が、小学1年生と共有できる言葉でPBL授業のプロトタイプをつくってくれるので、私は大いに学ぶコトができました。たしかに小学1年生と高校3年とでは言葉の世界が違います。その違いを無視してはアドバイスはできないと反省と気づきの連続でした。

★そんな6年間の阿弥先生との対話を思い出しながら、今回の研究の計画を拝見しました。驚いたのは、それは算数の授業だったのです。阿弥先生とはずっと国語のPBL授業をベースに対話してきたので、算数のこれほどパーフェクトなPBL授業の報告書を共有したのは、6年間の中で初めてだったからです。

★しかし、そのシラバスを見たとき、阿弥先生と子どもたちの対話や図形のデザインに嬉々として集中している様子がパッーと脳裏に広がりました。モーツアルトの楽譜を見ただけで、あのすてきな旋律が全身に響くのと同じ感覚でした。

★阿弥先生にとって言語と数学が見事にスクランブルエッグならぬスクランブルPBLになっているのです。

★PBLの真骨頂である、創造力を働かせながら三角形や四角形の合同条件を発見していくPBL授業。さらに、生徒が対話によって協働性や心理的安全性をつくっていける仕掛けも当然ありました。PBLは最終的にオーディエンスにプレゼンしますから、今回のオリ・パラのエンブレムの分析を生徒がして、新しいデザインを考案するところまで追究しています。

★小5の子どもたちがワクワクしながら表現活動をしている様子も目に浮かびます。エッシャーの絵も活用したそうです。エッシャーの絵に対して、これまた子どもたちの反応はすてきだったそうです。

★アサンプション国際は6年前に、共学化、グローバル教育、PBL、ICTという環境で、21世紀型カトリック教育を推進する改革を行いました。今では阿弥先生が同僚と協働するプロジェクトを広げ、全員がPBL授業を展開しています。

★生徒募集も良好です。やはり革新的な教育と生徒によりそい非認知的な能力をサポートする先生方の質の豊かさは、保護者に響きます。

★それにしても、阿弥先生はロイロノートなどを駆使してICTも自在に活用します。ロイロの思考ツール自体、数学的思考の発想が盛り込まれていますから、阿弥先生の言語と数学のスクランブルPBLと相性がよかったということもあるでしょうが、何より阿弥先生にとっては、生徒と知の共有の場をリアルとサイバーのハイブリッドで形成しているところがICT活用の本意でしょう。

★それから、今回の三角形と四角形の合同を扱う単元は、その伏線がきちんと小学校1年せの時から体系的に連なって阿弥先生がデザインしてきたということもポイントです。これは、生徒の発達段階に応じてですが、その体系はマシーン的な発想ではなく、成長物語というストーリー仕立てになっています。

★言語と数学のスクランブルというのが、5年になってできるのは、このような小学校1年生からの成長ストーリーが描かれてきたからでしょう。改めて教育の奥深さに気づきました。

★この6年間、多くの小学校の先生方とPBLの研修を行えたのも、阿弥先生との対話の継続のおかげです。

★今私の勤務校は高校だけですが、生徒と対話をしながら小学校1年生からどのようなストーリーで非認知能力や認知能力が育ってきたか想いを馳せることにしています。不足している部分は、高度な学びの中に、小学生や中学生とのPBLの要素を織り込むこともあります。知識を補うということより、思考のプロセスで抜けているピースを見つけて埋めていくという作業に近いかもしれません。

★今回のパンデミックで、昨年度から阿弥先生との対話はZoomやメール、チャットで行われているのですが、継続していただけることで、多くの気づきをもらいます。本当に感謝です。いつもありがとうございます。

★もう一人対話を継続している小学校の教師と阿弥先生とZoomで対話する機会を作れたら、さらなるケミストリーが起こるのではと思っています。

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