創造的破壊

2020年1月19日 (日)

自由と市場と組織と国家(26)意味の強迫観念から解放される自由

★外延と内包の関係は、相互に入れ替わり、多様な内容があります。にもかかわらず、固定し、多様性を排し、一義的な方向に導く教育やビジネスや行政が行われる時、その一義性の獲得の優勝劣敗主義に陥ってしまいます。実際、そういう強迫観念が、教育を画一化し、ビジネスの低迷をもたらし、行政の実施に非公正をもたらしています。

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★森田真生さんの著書「数学の贈り物」の中に「意味」という章があります。そこで、数学というのは、意味がわからないから嫌いだとかわからないとかというケースがあることについて述べられています。「意味」がわからなければ、先に進めないと思うのは、まさに意味偏向主義、意味の強迫観念ですね。

★森田さんは、数学は、歴史の始まりにおいて、土木における測量や星の位置を測る実用的な意味があったと。しかし、計算などの操作という行為が意味を超えて、新たな意味が、数学的な操作という行為、幾何やグラフへの置き換え行為のあとで生まれることもあろうと。

★たとえば、-1×-1=1という操作行為が一体何を意味するのか?とりあえずないというのだ。でもそれは、上記のような分配法則の操作行為によって、証明されるのだと。

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★実は、人間が生きて行く基礎となる根っこの思想、つまり野生の思考というのは、記号という外延表現には、「意味」や「行為」や「言葉」や「情意」や「対象」など無限の要素が内包されています。

★そして、あるときは「言葉」と「記号」が入れ替わる時があります。そのとき「言葉」が外延的表現で「記号」は他の要素同様内包的な内容になります。

★しかし、いつのまにか、「言葉」の外延的表現が内包するものは「意味」だけになってしまうのです。ここから偏向主義や強迫観念が生まれます。科学主義によるレトリックの排除が工業化時代で起こったわけですね。

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★森田さんのように、「記号」という外延的表現が内包する内容が、はじめに「意味」ありきではなく、数学的置き換え操作(計算)行為から始まってもいいのです。

★これが多様性の本質だし、共感的コミュニケーションの本質です。同じ「意味」のみを共有することが共感的コミュニケーションなのではありません。それは全体主義に通じる偏向主義です。

★工業化時代の先鋭化した20世紀末社会は、「意味」の病に陥っている鬱屈する心が拡散しましたね。今もしています。自己肯定感が低いというのは、まさにこの状態です。

★数学的世界は、人間が生まれる以前から存在しているというところから出発し、主観と客観や自然と社会やモノとココロなど二元論的な意味の病いからいかに解放され得るのか、挑戦がなされています。

★昨日実施された最後のセンター入試の現代文の素材は、そのような新しい哲学的世界を提唱している河野哲也教授の「境界の現象学」から出題されていました。

★すでに10年くらい前に、河野さんの「意識は実在しない」というスリリングな著書から東大と早稲田大学が出題していました。20世紀末の大学入試で一世を風靡したポストモダンの現代思想の次の発想が出題されているということは、何か意味があるのかもしれませんが、その意味は、いわゆる後付けでしょう。初めにそういう意味があったわけではありません。

★もっとも、河野さんの子どものための哲学や哲学的対話のアクターネットワークであるプラットフォームはその10年くらい前から多様化し拡大しています。豊島岡女子でも河野さんは哲学的対話の授業を行ったり、私立学校の協会の各部会にも招かれたりしています。

★予測不能で不確実性の高いリスク社会において、生きて行くにはこんな基礎思考が必要です。STEAMのうちのA=アートやM=数学が示しているのはこういう20世紀社会=工業化時代の呪縛である意味の病いからの解放を意味していたのはないでしょうか。もっとも、このような意味付けもまた、STEAMという行為が学校現場から生まれてきたからできることなのですが。

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2020年1月18日 (土)

自由と市場と組織と国家(25)スカパーCMの<外延と内包>の使い方

★昨年「第56回ギャラクシー賞」で、堺雅人、小池栄子、鈴木梨央が出演するテレビCM「スカパーJSAT 基本プランシリーズ『スカパー!堺議員シリーズ』」がCM部門の大賞を受賞しました。この一連のCMの中の「すごいシリーズ」もおもしろいです。

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★わずか30秒で、おもしろさを喚起する仕組みは、わりと単純です。①何をみて3人は楽しんでいるのだろうという仕掛けと②3人が同じ番組という対象をみているにもかかわらず、好みの視点が違うという仕掛けです。

★もちろん、出演者のキャラクターも大事です。

★①は省略というレトリックです。②は「すごい」という外延的表現に対し、「歌がうまい」「イケメン」「のどぼとけ」という内包がそれぞれ違うという<外延と内包>の差異のレトリック。

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★メディア市場の広報戦略として成功しているのでしょう。しかし、この成功が意味することは何でしょう。プロデューサ―と消費者の情報差があるということです。

★このレトリックの情報は、作成者側にとっては編集知として当たり前ですが、消費者はそこをあまり意識していないでしょう。

★広告のCMは、この編集知の情報の差異が購買力に影響するわけです。これは資本主義の市場システムの原型をつくったメディチ家の適正価格に内包する利益の正当化に相当するメカニズムです。

★もちろん、このスカパーのCMには何の問題もありません。編集知を持っている者と持たざる者がいるのは、テレビを持っていて見ている消費者という限定的な世界では、気づくか気づかないかは個々人の問題です。

★しかし、この外延と内包という関係は、ここで終わっているうちは確かに問題はあまりないのですが、大事なことは外延と内包が入れ替わるのが無限大だということなのです。ここを巧く使うと、機会均等という公平性の中で非対称性が知らぬ間にできあがっているのです。リベラルアーツの一教科である「修辞学」つまり「レトリック学」は、特に日本では、近代以降の科学主義によって排除されてきました。

★したがって、日本の大衆や消費者は、このリベラルアーツ格差が前提になってしまっているのです。クリティカルシンキングは、レトリック学が雄弁術としてキケロの時代に実学として継承されていたぐらいですから、レトリックのシステムを学ばなければ身につくのはなかなか難しいのです。

★欧米の高大接続段階では、レトリックはリベラルアーツや哲学という分野の中で学ぶチャンスがあります。日本の新学習指導要領はそこを明確にしているでしょうか?改訂学校教育法で、創造性を養うという条項が加えられましたが、現場でそれは進まないし、評価ができないとかいうことでスルーされがちです。

★しかし、それは現場の責任ではなく、学習指導要領がマイナーチェンジばかりで、リベラルアーツ的基盤をきちんと表明しないからですね。

★科学主義者はレトリックをエビデンスや検証ができないからというのですが、実は主義をとった真正の科学という学問は、レトリックを大いに活用しているという認識があるのです。分子や陽子のモデルや図を見たことがあると思いますが、あれはあくまでモデルです。モデルはメタファーです。

★新物質を生み出す化学反応そのものは、たしかにレトリックは関係ないのですが、その最初の発想はトポロジーという置換レトリックを活用するケースも少なくありません。日本の数学教育では、柔らかい幾何学であるトポロジーはそもそも排除されています。もっとも現代化カリキュラムでは取り扱われていたのですが。。。

★現代経済学は、数学的関数で置き換えますが、それを科学的だと称するわけですが、自然科学と違ってレトリック的な側面が強いので、最近批判されてもいます。というのも、この巧妙な置換レトリックが、実は<外延と内包>の置換によってなされたとき、その複雑系を見破れる人と見破れない人との間で非対称的な関係うを生み出すからです。

★その悲劇の典型的なケースが、リーマンショックに象徴される恐慌です。これは最近の話だけではなく、近代の進化の中でたびたび起こってきたし、今後も起こるわけです。おそらく起こるというより、わかっていて金融商品をプロデュースする一握りのエリートがいるのです。

★今も世界中で、リーマンショック再びが噂されています。クリティカルシンキングの残念なところは、それを見抜いただけでは、クリエイティブに解決できないという点です。

★創造的思考力を発動できないように学習指導要領がしているとしたら。。。しかし、文科省もそれはわかっています。だから「探究」という表現で「レトリック学」を現場が扱うことを期待しているのです。しかし、それを明言しないから、現場では結局取り扱わないのです。

★いわゆるダブルバインドですね。創造的思考をやりなさいと学校教育法では条文化している。しかし、やろうとすると武器がない。やりたくてもやれないというダブルバインドを解決するには、グレゴリー・ベイトソンではないですが、その枠組みをエーイとばかり捨てることです。

★バリ島の魔女ランダの物語は、インドネシアの(といってもこの国は多様なのでバリ島だけのことかもしれませんが)教育観のベースだとベイトソンは語ります。勉強しないでのびのびと遊びなさいと母親が言うから、遊ぶと、こんどは遊びすぎだから勉強しなさいと言う。勉強していると勉強しすぎよ、自然と戯れなさいと。じゃあ遊ぶと・・・というダブルバインド状態が続くのですが、子供ははやく自律して、そのダブルバインドの枠組みを乗り越えようとする成長物語が教育観です。

★日本は、このダブルマインドを自分で乗り越えるパワーを育てているでしょうか。就活スーツは着る必要はない。そうしたいが、結局スーツをみな着てしまう。そのダブルバインド状況の中で我慢して、そのはけ口を競争主義、優勝劣敗主義でガス抜きをする。負け組は自己肯定感の低下、鬱屈、病い、そして・・・。

★ここを脱するには、ブルームの3つのタキソノミー(認知・情意・精神運動)が役に立ちます。でも初等中等教育の学習指導要領では、ルーブリックという中立的表現でぼかします。現場では、タキソノミー?ハーあっということになります。ここにも<外延と内包>のレトリックで巧みに逃げられる道を用意するという戦略がとられています。

★医療教育や看護教育の領域では、この3つのタキソノミーが現場では意識され始めています。チーム医療とかコミュニケーションに力点が置かれているのはその証拠かもしれません。しかし、文科省は医療教育のコアカリキュラムのモデル(ある意味初等中等教育の学習指導要領に相当するものですが)の文書では、そのことをボカシています。チーム医療やコミュニケーションという外延表現は入っていますが、その内包分は大学や現場に任せると。そこは選択の自由、市場の原理ですよねということなのかもしれませんが、その選択判断が公正なものであるかどうかは誰がチェックするのでしょう。良識ということでしょうか?

★ここは、実は問題を生み出す盲点です。道徳教育の強化は、ここをシステム化するのではなく、心根で勝負しようというわけですね。なおさら3つのタキソノミーが必要です。でもそれは使う確率は低い。なんというダブルバインド!真の問題は、ほとんど人が気づかない盲点として微差異なところにちゃんとあります。クリティカルシンキングが発動するのはこの微差異であり、解決する創造的思考が必要なのはもはや言うまでもないでしょう。

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2020年1月14日 (火)

シンポジウム「探究的学びと高大接続」の感想

★昨日順天堂大学A棟講堂で、シンポジウム「探究的学びと高大接続」が開催されました。溝上慎一桐蔭理事長と日野田直彦武蔵野大校長が登壇するということ、文科省と森上教育研究所が後援し、NHKがEテレ「TVシンポジウム」で放送するということもあって、出かけてみました。

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★というのも、高校から始まる「総合的な探究の時間」を文科省や経産省はどのあたりを目標にしているのか雰囲気がわかると思ったからです。NHKも組んでいるし、良識派の森上教育研究所も後援していますから、突飛なアイデアというより、まだ「探究」の授業がイメージできない教師や保護者にモデルとして提示するというのが、このシンポジウムのねらいにあるでしょうから。

★しかしながら、テレビ番組にするのだから、レベルが低いものは困るという配慮もあったのでしょう。「探究」をこれから本格的に取り組みたいという教師にとっては、そのねらいは目的を達成したし、教育の変化に関心がある保護者にとってもイメージはわかりやすく伝わったと思いますが、学校経営者にとっては、どれも難しかったと思います。

★というのも、武蔵の例も、武蔵野大学の例も、桐蔭学園の例も、北原さん(子どもの理科離れをなくす会代表)がコーディネートしている明法の例も、学校経営者にとって、学校全体を考えたり、カリキュラムマネジメント全体を考えると、どれもハードルが高いものばかりだったのです。

★武蔵の例は、武蔵という学問的な授業やゼミの伝統がすでにベースになっているので、それをすぐに真似することはできないでしょう。武蔵野大学の魅力的な外部団体と現場の教師の協働活動も、コストと人材育成のことを考えれば、なかなかハードルが高いわけです。

★桐蔭学園の例は、すべての教科の授業に「習得・活用・探究」という学びのループを埋め込み実施するというものです。ですから北原さんのような高度な課題解決型の探究を目的にしていないわけですが、すべての教科の授業にという発想は、組織的な壁があり、すべての学校でいますぐ行うのは難しいですね。

★北原さんの高校から大学へ接続するのではなく、大学から高校へ接続する学術的な基礎研究を前提にするプログラムは、魅力的だし、AP的発想だから実におもしろいのですが、どこの学校でもすぐに真似ができるわけではありません。

★佼成学園の理科の探究授業と佼成学園女子のグローバルな探究の例もビデオで流されました。登壇者はすばらしいといいつつ結構ここは違うと言っていましたが、おそらくこの両校の取り組みが最も導入しやすいモデルだったでしょう。

★川添健教授(慶応SFCの総合政策部前学部長)は、今回の高大接続改革にあたって、今の高校の授業を変えなければならないという前提で立ち上がったのが探究で、そもそもその前提でよいのかねと半分いいかけて、NHKの番組になるということを意識してかすぐに穏やかに、どのモデルもすばらしいと切りかえしていました。その刹那がおもしろかったですね。番組ではどう編集されるのでしょう。

★川添教授のような改革の枠海の設定を問い返して、探究のプロトタイプを作成しているということをわざわざ表明する登壇者が1人もいなかったのは、彼らがそれを考えていないということではなくて、文科省、経産省、NHKのねらいという前提があるからやむを得なったということかもしれませんね。

★いずれにしても、探究とかPBLがオプションで行われるにしても、各教科の授業全てで行わるにしても、こんなに広がったのだという雰囲気は、2011年に21世紀型教育機構(当時21世紀型教育を創る会)を発足した当時の事を考えれば、隔世の感があります。明らかに現場も大きく変化しているのです。

★そして、同時に、同機構の加盟校のPBLや探究活動は、今回拝見した例に比べ、ずいぶんクオリティも高くハイレベルだなと改めて確認できました。もちろん、これは比較優位の事をいいたいのではないのです。なぜ高くなるかというと、今の日本の大学に合わせて高大接続を考えると、脱工業化時代に突入できないまま日本の国力が下がるのは目に見えています。

★そこをなんとかするためにはPBLや探究の活動は世界的水準をもとめなくてはならないし、スタンフォードやMITを崇め奉っていてもしかたがないでしょう。世界中の情報を収集し、フィールドワークをし、世界にインパクトを与えるソフトパワーがあふれでる新しい学びの経験に挑戦するしかないでしょう。

★もっとも、日野田校長は、こういう言い方に対し、もっとカジュアルにワクワクするようなやり方でいきなはれと言うでしょうね。まあ、それは生き方の違いだし、価値観の違いですからどちらでもいいでしょう。Hard Funで進みたいし、学術的なコトを大学に任せる時代も終わったでしょうから、GAFAの風も10年前とはだいぶ違うでしょう。

★いずれにしても、新しいステージが急務であることを改めて確認できる機会をいただくことができました。

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2020年1月13日 (月)

自由と市場と組織と国家(24)聖学院と工学院の思考力入試の新市場創出の革新性 麻布と東大帰国生入試の知のフラット化へ立ち臨む ③

★聖学院の思考力入試は3種類あります。その中で難関思考力入試は、①未知のものに遭遇した時、興味と関心を生み出す問い。②テーマやターゲットを多角的にアプローチするグラフや写真などの資料の提供。③「比較・対照」スキル、「相関関係」スキル、「置き換え」スキルを活用する問い。④①から③まで考える時、レゴに変換して自らの内側から生まれた感じたことや考えたことを可視化するようにする活動。➄創造的問題解決のための問いとその解答を200字で記述する問題。

★などが、すべて統合されています。他のものづくり思考力入試は、②と④が中心に問いがデザインされ、M型思考力入試は、①と②が中心に問いがデザインされていると思われます。すべての思考力入試の最終問題は気づきや問題解決方法などを記述する200字記述の問題が出題されます。

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(クックパッドの本社キッチンホールで、企業と静岡聖光学院と聖学院がコラボして料理について考えるワークショップを実施。思考力入試の問いのデザインは、このような外部との連携のプラグラムにも応用が可能であることが証明された。)

★それから大切なことは、問いの配列は思考過程をサポートするストーリーになっているということですが、直線的に考えていく必要はありません。写真やレゴが挿入されているので、そこはシナリオプランニングは、あくまで生徒自身ができるようになっています。

★前回ご紹介した東大の問題は、いきなり骨太な問いがバーンと出題されます。麻布も最終問題に到達するまでに幾つも問いがありますが、最終問題にいきつくまでの思考過程のサポート問題ではなく、最終問題に関連する知識問題が中心です。テーマに対して多様なネットワークを拡散して最後に一気に収束するというスタイルです。

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★東大の問題にしても麻布の問題にしても、その問いを考えるには、自分で多角的にアプローチし、まとめていかねばなりません。難しいのはいうまでもありません。ところが聖学院の場合は、その多角的アプローチは、最終問題に行き着くまでにステップバイステップで出題されるので、考える足場が組まれます。東大や麻布は、思考の足場から組み立てていきますが、聖学院は問いにしたがって考えていくと、足場ができてしまいます。

★この足場ができてしまえば、東大であろうと麻布であろうと聖学院であろうと工学院であろうと、生徒は考えたりアイデアを出したりできるのです。何を言っているんだ?足場を自分で作れるかどうかが重要なんだろうと。今まではそうだったかもしれません。だから0.01%の生徒しかできなかったのです。

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(内田先生は、他校の先生方と聖学院の≪Z世代≫世代生徒といっしょに新しい学びのプログラムづくりのワークショップを実施。外部ネットワークとZ世代を結びつけるプラットフォームの可能性を証明したのです)

★工業化時代や修正工業化時代の感覚では、そう感じるかもしれません。しかし、本格的な脱工業化時代は、足場をつくる技能部分は、脱技能と化するのです。実はこの技能は、環境差なんです。中高時代の前の家庭や小学校、就学前の学びの環境がどうだったかというのは、知る由もないはずですが、その環境差を選抜するのか、同環境という条件を整えて、思考力を選抜するのか、それは学校が選べばよいことです。

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★それなのに、その環境差を見る視点だけで入試問題を作成してきたことが格差社会をつくってきたことの原因でないわけではないのです。内田先生はシステム思考やSELを研究し、新しい評価システムを探究してきたわけです。

★AI社会は、その脱技能を促進し、思考力やアイデアを互いに出し合う次元にシフトします。聖学院の思考力入試は児浦先生と内田先生の外部ネットワークや本格的な学習理論や心理学の導入によって、東大や麻布という0.01%の世界を多くの生徒とシェアする学びの世界を生み出しているのです。

★これによって、市場の非対称性の解消、組織の強い階層構造の緩和に影響することでしょう。軍事力から経済力へ、経済力から知の力へと近代化の進化は展開しています。21世紀は知の力ですが、修正工業化社会の段階では、まだ知の格差が残ります。しかし、脱工業化時代には知のフラット化が起こり、世界中の子供たちがそれを共有化できます。

★そのうえで、個々の才能が多様に開花するわけで、この段階をもってして個別最適化の学びということになるわけです。

★まずは東京の私立学校が、このような思考力と共感的コミュニケーションを育成する場をコアコンセプトとしてプラットフォームを広げていく希望を、児浦先生と内田先生が創出しているのです。

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自由と市場と組織と国家(23)聖学院と工学院の思考力入試の新市場創出の革新性 麻布と東大帰国生入試の知のフラット化へ立ち臨む ②

★たぶんザッカーバッグも、私たち日本人も首都圏、特に東京に私立中高一貫校が200弱集積している事態を知らないでしょう。そしてこのことの未来への歴史的意味を考えることもあまりしないでしょう。実は毎年、東京の私立中高一貫校(高校からの入学はここでは除きます)最低でも250億円が注がれています。6年間だと1500億円が投資されています。各私立学校もそのことを意識はまだしていません。

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★なぜなら、大学合格実績ランキングという優勝劣敗主義の暗黒面に足元をすくわれているからです。本来は柔らかい理念共同体というのが私立中高一貫校の特徴で、それぞれの理念や校風の精神が私学のコアマインドで、その差異で生徒や保護者は学校を選んできました。もちろん、それは戦後新自由主義へ収束するリバタリアン社会では通用しないので、地と図をひっくり返して、大学合格実績を図として前面にだし、精神を地として背景に沈めました。

★そんなことをやっているういちに、すっかり暗黒面に支配されるようになりました。そんなとき、聖学院が光と共に現れたのです。

★また、本間は妄想を語るのか!と一蹴されるかもしれませんが、ちょっとだけお時間をください。上記の昨年の東京大学文Ⅱの問題をまずみてください。エッ!東京大学ってこんな問題を出題していたのと思うかもしれませんね。昔から出題していたのです。でも東大にたくさんいれる学校の先生方もスルーしてきたでしょう。

★なぜなら、これはいわゆる帰国生の入試問題だからです。帰国生はこのような思考力問題にむけて学ぶ環境があるわけです。しかし、一般生は、今までなかったのです。

★この問題は、IB(国際バカロレア)のDPプログラムを経て東大にチャンレジしてくる生徒を意識して東大は作成しています。このような問題に向けて学ぶ経験をする生徒は、日本の同世代(全国の高3生)の0.01%です。これは麻布の入試問題を学ぶ環境を中学受験時代に体験している生徒もやはり同世代の0.01%です。この0.01%の中からさらに選抜されるのです。

★今、公立中高一貫校などでもIBコースを創ています。その他IBコースを持っている学校も含めると140校弱ですが、IBのDPコースで学んでいる生徒はやはり同世代の0.02%くらいでしょう。

★そんなところをだれが関心を持つでしょう。余程のエスタブリッシュな家庭でなければ見向きもしないでしょう。実は私立学校同士でも、麻布の入試問題をみてみようなどという教師は存在してこなかったことでしょう。だって、0.01%でなくても、2%の生徒が選択する学校ですから。危機感ないですね。大学合格実績ランキング競争をしていればよかったのです。

★ところが、やはり20世紀末から黒船はやってきたのです。日本人のタンス預金をねらって、海外大学が進出しようとしてきました。なかなかうまくいかなかったのですが、諦めません。

★1989年以降、グローバル社会の浸透力が広がるのにしたがって、日本にやってくる留学生も、紆余曲折ありましたが、増えています。同時に海外で活躍するグローバル企業が増え、帰国生も増えています。

★日本の各大手塾が、焦って、海外で塾を開設し、帰国生を中学入試に接続しはじめたのも、21世紀になって激しくなりました。2010年ころまでは、帰国生であるにもかかかわらず、日本の学歴社会になじもうと、海外で日本の受験システムの延長上で学んでいました。というか、それは塾予備校の囲い込み戦略です。

★ところが、9.11やリーマンショックや3.11が起こるにつれて、日本のシステムでいいのかというクリティカルシンキングを発動する帰国生やグローバルな家庭層が増えてきました。

★そうはいっても、海外でずっと暮らすわけではない帰国生家族が大半ですから、上記の東大の問題を考える論理的・批判的・創造的思考力を学べる新しい環境がある私立中高一貫校がないか探しはじめました。21世紀型教育を創る会(現「21世紀型教育機構」)が発足したのも2011年でした。

★また、海城が高校生募集を廃止し、その30人分を中学の帰国生入試に切り替えたのもこの年でした。

★ここから、帰国生の中には、偏差値をあまりきにしない生徒・保護者が増え始めました。偏差値を気にしても、現地校で学んだ思考力をベースにした学びの環境のある海城学園のような学校を探しはじめました。

★そしてあれから10年経とうとしていますが、海外大学へ進学する傾向はいろいろな私立学校で増えてきたのです。湘南白百合や海城からもハーバード大学進学者が出るようになりました。しかし、聖学院や工学院からも世界大学ランキング100位内の海外大学に進学する生徒が輩出され始めたのです。

★このことが意味していることは何か?なのです。実は昨年の春の聖学院の思考力入試問題と麻布の社会の入試問題は、上記の東大の帰国生入試問題と同じテーマを扱い、同質の問題が出題されているのです。

★この意味は、0.01%の生徒にしか関係なかった思考力の学びの環境をフラット化させるダイナミズムを聖学院が生んだということを意味します。もちろん、工学院もそうですが、特にここにきて、聖学院の思考力入試はそのことを鮮明に表現し始めたのです。

★もし、このことをザッカーバーグが知ったら、なんだ思考力プラットフォームを私立中高一貫校で創って、1500億円を有効活用したほうがいいんじゃないというでしょうね。そんな知の集積場と資金集積場が一致している場所は、世界でも類例を見ないのだから、もったいないでしょうと。

★いわれるまでもなく、聖学院の児浦先生と内田先生は活動を開始しています。工学院の田中歩先生とも協働しながら。新タイプ入試の中でも「思考力入試」のミッションは、私立中高一貫校のコアマインドを理念だけでなく、大学合格実績だけでなく、「高次思考と共感的コミュニケーション」マインドでプラットフォームを創る次の次元に移行することであり、「思考力入試」にこだわってはいませんが、広く新タイプ入試をコアシステムとして首都圏中学入試の市場の新しい価値を見出そうとしてしている首都圏模試センターとシナジー効果を生みだしているのです。

★実は聖学院も工学院も首都圏模試センターもそれぞれ独自の「思考コード」を作成し、形成的評価ができる準備もしていますから、なおさらです。

★そんな馬鹿な?0.01%の話だろう?と言いますかね。もう捨てませんかそんな視野狭窄的なものの見方。世界のエスタブリッシュな学校やカナダのBC州の公立学校、フランスのリセなどでは、上記の東大の帰国生入試のような思考力入試問題、つまり麻布の入試問題、聖学院の思考力入試問題むけて学ぶのは、あたり前の学びです。

★それでも、まだまだエスタブリッシュな話ではないか?と言いますかね。もうよしませんかそんなルサンチマン。フィンランドの教育がいいとか、シリコンバレーのHTHがいいとか、言っているくせに、なぜ日本の教育を直視しないのです。フィンランドの総人口は600万人もいないのですよ。

★日本は少子高齢化と言えども、まだ一学年100万人はいるでしょう。この100万人全体が0.01%の知を共有できるシステムを創る動きをしたほうがよいのではないでしょうか。日本は昔から物理的資源がないから人材育成だと言われてきました。その人材育成を高次思考力と共感的コミュニケーション育成にアップデートしましょうよ。

★どうやって、児浦先生と内田先生、田中歩先生などとプラットフォームを創出すればそれはできます。権威者や偉い人を集めるプラットフォームは旧態依然としているからスルーしたほうがよいですね。文科省や経産省も、無駄な税金の使い道を細工するのではなく、どーんとこのプラットフォームに投資したほうがよいですよ。具体的にどんな案がるのか?まずは視察するところからははじめるのをおススメいたします。

★もっとも、クックパッドなど民間がすでに動いていますが。

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2020年1月12日 (日)

自由と市場と組織と国家(22)聖学院と工学院の思考力入試の新市場創出の革新性 麻布と東大帰国生入試の知のフラット化へ立ち臨む ①

★昨日11日、聖学院と工学院は中学校説明会を開催。同時開催で、それぞれ思考力セミナーと思考力入試対策講座を実施しました。聖学院は今回は本橋先生が、工学院は有山先生がファシリテーターの役を果たしていました。本橋先生と有山先生がそれぞれ思考力入試に今もかかわっているというかますます進化しているのは、私個人としては感無量です。

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(聖学院の思考力セミナーの様子。写真は同校サイトから)

★というのも、聖学院は2013年度から思考力入試問題を開始し、工学院は2014年度から思考力入試を開始しましたが、それぞれその当時の制作やセミナー運営をリードしていたのが本橋先生と有山先生でした。つまり、「思考力入試」と名付け開始したファーストペンギン的存在は本橋先生と有山先生という女性の教師だったのです。ここに「思考力入試」の21世紀を拓く女性の叡智の歴史的意味があるのです。

★また、両校とも21世紀型教育機構(当時「21世紀型教育を創る会」:今でも略称は「21会」)の加盟校でしたから、2013年から数年間の21会のセミナーやシンポジウムで行う21会思考力セミナーは、お二人の先生方が協働して制作・運営していました。

★その活動の種まきが、今や多様な新タイプ入試として首都圏中学入試の一大新市場として花開いているのは、歴史の生き証人みたいな感じで、私には感涙ものです。

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(有山先生はファシリテーターをしながら思考力入試の本番さながらの対策講座を開催)

★しかしながら、実は女性が思考力入試を開始したという外延的な意味だけを言っているわけではないのです。本橋先生は、数学の教師で、数学的思考ベースの問いの構造を組み立てていますが、表面的には言語ベースなので、国語の入試問題に見えます。だから、ある大手進学塾やある大手通信添削会社のお偉いさんに呼ばれて説明したとき、国語の問題とどこが違うのだと一笑に付されたのを思い出します。論理的思考も創造的思考の違いも判らず、日本語と記述問題だと認識するや浅薄な判断をした彼らのドヤ顔を思いだすたびに少々怒りが込みあがてこないこともないのですが、しばらくしてあのときに組んでおけばよかったという噂を耳にしたとき、思考力入試は広がるなと確信したことも同時に思い出し、今ではすてきな思い出の一コマです。

★その後、児浦先生や内田先生が現れ、本橋先生と伊藤豊先生とスクラム組んで、思考力入試は大進化しました。思考力入試については今でもある大手進学塾のように冷ややかにみたり好きでないと揶揄する人もいます。しかし彼らは、脱工業化時代の新しい学びの経験を生み出す世界標準の文脈を見ようとしない視野狭窄的なかつ学歴主義擁護というナションリズム的エゴイズムである言動をはいていると地球市民的見地からみなされていることに気づいていません。

★しかし、今や首都圏模試センターの懐の深い中学入試のパラダイム転換のミッションとシンクロし、新タイプの1つである思考力入試の支持者もかなり増えました。

★そうそう、本橋先生と有山先生という女性の先生がファーストペンギンだったことの意味を考えている途中でした。話を戻しましょう。実は本橋先生は数学の教師ですが、高校から大学まで米国で暮らした留学生です。英語力は抜群で、英語教師もできてしまうでしょう。なおかつ東南アジアの諸国をフィールドワークする多言語主義的文化人類学的素養ももっています。さらに、トポロジーと黄金比と白銀比の発想を古都を巡りながら神社仏閣を訪れ、広め深める「道」の人でもあります。今でいう多重知能の「探究」の人だったのです。

★有山先生も、多重知能の「探究」の人です。国語の教師ですが、図書館司書教諭で、大学院で学び続け、したがって英語もできますが、大学でも講義をしています。図書館という人類の知と感性の集積をどのように多くの人と共有していくのか研究しているのでしょう。その研究のメソッドの1つである「デザイン思考」は、工学院の講座として有山先生は開講もしているぐらいです。工学院の図書館をアナログとデジタルの交差する知のスクランブル集積スペースに大転換させていもいます。

★おわかりでしょう。思考力入試を揶揄したり嫌いだという人は、このような多重知能の「探究」の人ではないから嫉妬しているのです。しかも、この嫉妬は個人的なものでありながら、放置しておくとルサンチマンとして時代のネガティブな気分をつくり、Z世代の生徒の未来の希望を打ち砕く暗黒面を造り出します。

★児浦先生や内田先生は、ジェダイマスターとして、この暗黒面と勇猛果敢に闘っているわけです。ある意味首都圏模試センターもそうでしょう。暗黒面の暗闇を払拭する歴史的意味がまずは、思考力入試のミッションだったのです。

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2020年1月11日 (土)

自由と市場と組織と国家(21)和洋九段女子のPBL 新しい女性の世界を生みだす拠点

★和洋九段女子のように、女子校で、ここまで徹底してどの教科の授業でもPBLを貫徹しているところはありません。PBLは、互いに考え方や見方が違う生徒同士が議論し、気づきを得ます。そしてその気づきを論文やプレゼンに必ずまとめるので、視野の広い感性や知性、そして高次思考力を育成します。

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★1人1台タブレットを有していますから、高度な編集スキルも自由自在です。

★そして、まだ21世紀型教育改革を行って3年しかたっていないので、大学進学実績には直接は結びついていませんが、海外のAPプログラムのコミュニティに加盟し海外大学への学びも射程に入れています。海外大学への学びは、PBL環境が最適だからです。

★また、SDGsの活動も盛んです。SDGsに取り組んでいる企業や国連などの団体と連携してSDGsを学び、どう社会に活かしていくかその活動領域を広げています。

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★そして、その広がりは、当然海外にもつながるので、同校のもともと行ってきたグローバル教育とのシナジー効果も生まれています。

★各教科のPBL授業の中で海外大学に進学する骨太の学びの構えができ、国際貢献に自ら乗り出す新しい女性が生まれる機会に満ちている雰囲気も和洋九段女子にはあるのです。

★世界経済フォーラム(WEF)が毎年報告している男女格差ランキングによると、日本は153カ国中121位で、昨年110位から下降し、過去最低となったと昨年末報道が流れました。

★日本がますますひどくなったというより、海外の動きがジェンダーギャップを解消する動きに出ているのに、日本社会は動いていないということなのでしょうが、このまま放置しておくわけにはいきません。そんなとき和洋九段女子の生徒が国内で創造的活動をするだけで、実は国際貢献をしてしまうという状況が日本固有の特徴としてあるのです。

★女子生徒は、このまま日本社会の男女格差を甘んじて生きて行くのか、世界を巻き込んで問題を創造的に解決して生きて行くのか。女子生徒にとって、中学入試は、大きな選択意志決定の機会です。

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自由と市場と組織と国家(20)桐朋女子の中学入試問題 思考力の根本から出発

★いかなる悪条件下にあろうと、悪循環の事態が起こっていようとも、そこで鬱屈することなく、屈することなく、諦念することなく、希望を、生きる意味を見出せる創造的な才能が、新しいシステムを創り出す才能が、周りを巻き込み、新しい世界に導くリーダーシップがあれば、Z世代の未来が拓く希望はあるでしょう。

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★何をそんなに大げさなと言われるかもしれませんが、世界はリスク社会の大膨張時代にはいっています。ことは日本の事だけではありません。むしろ、日本にだけ目をむけていると、このリスク社会大膨張時代の事態に気づかないかもしれません。

★しかし、そんな窮屈なリバタリアン社会だからこそ、逆手にとって、自由な空間を創ることはできます。私立学校だったり、塾だったり、学びの場を創り出すことはできます。リバタリアンは、自由は大好きです。でもそれが非対称的な格差を生み出すことには無関心です。そこは極めて問題だし、その中で、優勝劣敗主義で生きて行くと、悪循環のシステムにからめとられていきます。

★自然破壊は相変わらず放置され、学歴社会のような格差社会は強化され、人間精神は崩壊していきます。そして世界に目を向ければ、そんな日本は国際社会から評価されず、非難され続ける存在になるでしょう。

★ここを抜け出るには、しかし、強い監視社会や権力行使社会ではないので、自ら自由な空間を創ることはできるのです。その空間を創っているのがいくつかの私立学校ですが、桐朋女子もまた、この悪循環社会を脱する社会をデザインできる知を生み出す自由な創造的な空間を創っています。

★それは、桐朋女子の中学入試問題を解いて考えてみればわかります。知識がなければ解けない問題を出題するのではなく、ない場合でもどうやって考えていくのか思考の根本に立ち戻るところから出発する問いが投げかけられているのです。

★私は、この≪自由な創造的空間≫を創っている私立学校の先生方や塾の先生方とこの思考の根本から出発できる能力を子供と生徒と共有できる≪新しい学びの経験≫を生み出していますが、そんなときのテキストとして、桐朋女子や麻布の中学入試問題だったり、聖学院や工学院の思考力入試のメソッドも参考にします。

★最近、いくつかの私立小学校の先生方や私立中高の先生方とは、これらのメソッドをベースに、ハーバード大学の知見や文化人類学の知見などをICTを介して生み出す活動をしています。

★また、GLICCで鈴木氏、福原氏、神崎氏と協働してクリエイティブコースを開設しています。そこで、桐朋女子の中学入試問題を活用する時もあるのですが、たとえば「一定」という概念を、身体感覚をまず通して直観に変換する思考の根本から出発していることに気づかされます。これを麻布の入試問題と掛け合わせると、「限界」という概念を直観化できます。そのとき数学的思考の「=」ということについて考えることにもなるのですが、小学校4年生といえども、複眼思考を嬉々として発揮するのです。

★おそらく、この身体感覚で全体感を感じ取り、それを身体化し直観に転換するスピードはAIもまだまだ追いつかない思考の根本かもしれません。

★レヴィ・ストロースに言わせれば「野生の思考」ということでしょう。≪自由な創造的空間≫の≪自由≫とは、工業化時代における非対称性を生み出す層の「自由」とはわけが違います。悪循環社会を好循環社会に変える≪自由≫です。権力者のための自由ではなく、希望の自由です。

★桐朋女子の自由をベースにした教育は、この希望の自由を教師と生徒が大事にしていく教育でしょう。その一つのエビデンスが同校の中学入試問題です。やはり入試問題は学校の顔なのです。

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2020年1月10日 (金)

自由と市場と組織と国家(19)八雲学園G-STEAMに突入。e-sports部設立の動き。

★八雲の変容が激しい。もちろん、伝統は日々変化にチャレンジすることによって守れるのだという信念があるのは、このシリーズで紹介しているのですが、そう書いているうちに、またまた進むというのが八雲の特徴ですね。

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(写真提供は菅原先生から)

★何が起こったかというと、高等部長菅原先生によると、「共学1期生(中2)の男子が、以前近藤校長にe-sports部発足の直訴プレゼンをしたという話をこの間したと思いますが、ついに本日我々教員全体の前でプレゼンするという機会が訪れました」というのです。

★八雲学園は、グローバル教育を突き詰めて、ラウンドスクエアなどのネットワークで、頻繁に交換留学などしているわけですが、そこで生徒が刺激を受けて、いろいろな要望をうったえてきます。そのとき先生方はどう対応するか議論していくのです。こうして、いくつかの要望が実現していくのですが、今回もまさにSTEAM領域の要望でした。

★近藤隆平先生は、八雲学園でSTEAM教育すべてをできないので、STEAM留学をしかけていくと昨年12月に話していたばかりです。そのときは、グローバルの次にSTEAMを整えていくのにすこし時間がかかると語っていたのです。

★それが共学1期生の中2の男子がいよいよ動き始めたわけですね。速い!プレゼンテーションは普段の授業で八雲学園が力を入れているので、このような活動を行うのは、本人としては当然なのでしょうが、菅原先生によると、「本人は、肩に2tくらい何か乗っかってます…と言って緊張もしていたようですが、なかなかどうして初めての大勢の大人の前でのプレゼンにしては立派にこなしていたように思います」ということでした。こう語るときの菅原先生の温かい笑顔が思い浮かびます。

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★また、「彼は3月にはRound Square地域会議で韓国に派遣される予定になっています。こうした経験がいい積み重ねになってくれればな…と思います」ということでした。G-STEAMの体現者が共学一期生の男子から誕生したわけですね。

★それにしても、e-sports部のメリットや目標は、ネット上で海外の仲間と英語でコミュニエーションする効用や思考力・判断力・瞬発力を鍛える点などをきちんと説明していたようです。また、男女の体格差に関係なく同じルールでスポーツができるというジェンダーギャップの壁をぶち破るビジョンも有していたということです。共学化の大きな成果でしょう。

★イエール大学との国際交流が、ミュージカル部である「グリー部」誕生の契機になりました。部活が軌道に乗るまで2,3年かかりましたから、e-sports部も、まだまだ説得活動やロビー活動、仲間を巻き込むなど起業家精神を鍛えながら成立していくのでしょうが、貴重な経験であることは間違いありません。八雲学園の≪Z世代≫生徒の今後の活躍に大いに期待しましょう。

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2020年1月 9日 (木)

自由と市場と組織と国家(18)創造主義志向の意志そして実現力が生まれるエネルギーが充満し始めた聖学院

★予測不能な事態だろうが不確実性の状況だろうが、どんな悪循環の矛盾した社会だろうが、いやだからこそそこに勇猛果敢に立ち臨む勇気を揮い世界を変える人材が育つ学校があります。聖学院がそれです。

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★この勇猛果敢な勇気ある高邁な精神こそ内面からほとばしる賜物であり、それは超自然の力の働きかけに日々触れることによって生まれ出るのです。世にいう「主体的対話的で深い学び」とはまだまだエゴの範囲からでるものではありません。

★主体は内面から生まれる自分軸などではないのが聖学院。主体とは内面に働きかける人知を超えた語り得ないものとの出会いからほとばしるのです。対話は、自分を超えるとてつもない大きなエネルギーと語ることによって、自らのミッションが内面の光となるのです。深い学びとは、果てしない本質の森を無限に歩み、悩み、友と出会い、賢者に導かれ、再び孤独になり、疲れ果てて地に伏してしまうでしょう。しかし、ふと顔をかなたに向けたとき、一筋の「道」が開けるのです。その道は、そして、果てしない旅を導く光と化します。

★リバタリアンな新自由主義的市場やそこを欲しいままに私物化する一握りの組織が牛耳る世界。そこを全く別次元の世界に導くジェダイマスターとジェダイジュニアが集結する前代未聞の聖なる学校。また本間は妄想を語っているのだと思う方も多いでしょう。あなたは、しかし本物の存在を見ようとしない。ただ自分事という言葉遊びをしているだけです。たんにエゴという話でしょう。そう言ったら怒りますか?もし怒りを感じれば、それはやはり自分事ではなかったということです。

★自分事とは自分を超える人々と共にあり、その奇跡を感じることができる存在に出遭うことだからです。

★2020年、聖学院に集まる清く強く隣人愛にあふれるフォースを感じることになるでしょう。光あれ!あなたの目が開きますように。

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