創造的破壊

2023年9月19日 (火)

探究とか総合型選抜とか~「経験する自己」と「物語る自己」の接点を見つける

★探究とか総合型選抜とか、極めて重要な学びの活動であるにもかかわらず、疑問を持つ人も少なくないですね。この疑問を持っている人は、必ずしも知識詰込み型教育オシの方ばかりではない。一般選抜オシの方ばかりでもないのです。この疑問に応えられるかどうかはわからないのですが、ユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」に書かれている「経験する自己」と「物語る自己」という2つの自己の関係の着想はそのヒントになると思います。

71q4mhtmpbl_sy466_

★もちろん、私の理解は、ハラリの意味するところとは違うかもしれません。あくまで、ハラリの着想を自分なりに転用して話をしたいと思います。物語る自己とは、端的に言うと事実から離れて物語という幻想を創り出す自己です。神話などは物語る自己によるものでしょう。また、ハラリは、ダニエル・カーネマン教授のピーク・エンドの法則も持ち出しています。

★たとえば、行列ができるラーメン屋。行列ができるからと高揚感をもって並ぶわけです。並ぶのは結構つらいですよね。しかし、終わり良ければ総て良しという言葉もあります。並んだすえについにおいしいラーメンにありつけた。その最後の喜びがいいわけです、並んだ時の経験は忘れ、ピークの高揚感とエンドの喜びが、そのラーメン屋の物語を生み出すのです。

★しかし、そもそもそんな行列に並ぶことよりも、自分でおいしいラーメンをつくる経験で十分幸せという人もいます。こちらを「経験する自己」と呼びましょう。ハラリがそう考えているかどうかは、ちょっと不明ですが、私は、「物語る自己」と対照的に「経験する自己」という位置づけにしました。

★「物語る自己」は、成長し続ける神話を生み出します。成長が崩れそうになるとカンフル剤を打ち続けます。要するに対症療法になりがちです。「経験する自己」は自分の経験という事実から物事を積み上げていきます。ですから、そのような対症療法にはならない可能性が大ですが、物語る力がないと組織を生み出すことができません。市場を創ることができません。

★根本的な問題を発見していながら、解決できないで時間は過ぎていきます。

 

Photo_20230919120101

★やはり、社会課題は協働して根本問題を発見し、改善していかなければ、やがて社会は悪化し、衰退していくでしょう。「物語る自己」と「経験する自己」が協力し合うことが大切だということになりそうです。

★探究や総合型選抜がどこか疑わしいと懸念する人がいるのは、経験する自己のない物語る自己だけが活動したり論文を描いたり志望理由書を描いたりするケースを心配してのことでしょう。

★では、経験をすればよいかというと、物語る自己は、ピークエンドの法則が作動することが多いのです。この経験ああおもしろかったとなるわけですね。

★経験も、世界と自分が切実に結びつくAwe体験のようなものが必要だということでしょう。そのとき、経験する自己は、リフレクションし、いったい自分が経験したことは世界にとってどう転用できるのか抽象化することになります。つまり、物語る自己にシフトするわけです。

★このとき、探究や総合型選抜は、ようやく意味のあるものになるでしょう。

★しかし、これは探究や総合型選抜だけの話ではないのです。あらゆる政治、経済、制度などの枠組みも同じことが言えるのです。経験する自己と物語る自己は2つであって1つであるというコトですね。なんかオチが平和すぎますかね。

|

2023年9月11日 (月)

私立中高の広報室がIR室と同じ機能を持っている学校はサバイブできる

★2024年は大学全入時代だと警鐘が鳴らされて久しい。その危機を乗り越えるため、日本の大学は21世紀にはいってIR(Institutional Research)の重要性を論じてきました。今では、40%がIR室を設置しているというのが大学の現状のようです。IRというのは、大学の独自の創意工夫ですが、米国では学問として成立しています。その成果を活用しているのが日本ですね。

Ir

★実は1999年にNTS教育研究所を設立した時に、当時の同僚と一発目に行ったセミナーが「エンロールメントセミナー」です。2日に分けて行う程多くの学校の先生方が集まってくれました。ほとんどが当時の広報部長とか室長でしたが、今思えば、このときのエンロールメントセミナーはたんなる広報戦略セミナーではなかったですね。その証拠に、そのとき集まった広報リーダーは、その後校長、教頭にどんどん進化していったのです。

★「エンロールメントストラテジ」というのは当時米国で流行っていた広報戦略の学問だったので、今でいうTTP(徹底的にパクる)セミナーだったのかもしれません。しかし、それを東京の私学の先生方と学び、飲みながら日本流儀に落とし込んでいったのを想いだします。

★そのエンロールメントマネジメントの一環として、おそらく当時の他社のシンクタンクと違ったのは、「授業」の中身や質を広報しようということを中心にしたことでした。新しい授業、今でいうPBLを創っていこうと勉強会を先生方と結成しました。

★つまり、広報戦略は、入学の宣伝や入試問題の領域だけの話ではなく、入試は学校の顔として位置付け、入学後生徒がどんな授業を受け、どのように成長していくのか、今でいう3ポリシーのストーリーを実装する戦略を練ったわけです。

★一方生徒獲得戦略は、世界の教育情報を収集し、保護者の志向性をマイニングするマーケティングも行っていきました。今思えば、最近はやりの大学のIR室と同じような位置づけの広報戦略室がいろいろな学校に生まれた時期でした。

★ただ、エンロールメントなんて言葉を使う本間はカタカナ語が多いと揶揄もされました。しかし、今では当たり前の世界になりました。上記の4ポイントをトータルした戦略を練ることが、私立中高の広報室の役割というところが多いですね。

★ですから、広報部長や広報室長が教頭レベルの経営的視野をもった人的資本が兼ねているという場合が多いですね。

★私が、私立学校の教師は全員が経営者だよと言っているのは、上記の4ポイントの知見を磨くという意味です。特に人的資本を豊かにするのは、教師のためのみならず、それは生徒にとっても同様なのです。

★そして、その4ポイント領域に関しては、統括的なデータが創られることを望みました。校長時代普段私も授業を見て回るし、保護者と対話もします。それは、先生方が出すデータとマッチングすることによって、私なりの勘を磨くためでもありました。

★この時期から生徒募集の手ごたえが、時系列比でデータ化されていきます。進路の行方も現実的になります。さらに文化祭、修学旅行、探究活動等の教育活動が活発になります。生徒募集の時に生徒がプレゼンするときに、そこに投影される活動記録は質的データです。

★量的データと質的データとリアルな実感の勘をすり合わせて、理事会と掛け合う資料作りなどをしていきながら、学校を先生方と運営する時期です。データや資料は自分でも作りますが、それぞれ先生方が深く広く創りますから、ここはどういう状況か教えてよと聞きまくります。

★そして、各先生方が作成したデータや資料について、レクチャーを受ける対話を日々していきます。それを理事会に報告する資料に挿入していきます。そして、そのデータによるアイデアが通ると、人的資本が豊かになっていくでしょう。

★学校にとって理事会は、コンクール審査会のように使っていくと、理事会も教育に興味を持ってくるわけです。

★IR的な情報収集と分析とビジョン操作は、私立中高でも行われているわけですね。データ作りはICTシステムがとても重要なのは言うまでもありません。一元管理ができるほどのシステム化はまだまだ私立中高では遠いですが、DXの進化によってそれはやがて果たされるでしょう。

|

2023年9月 8日 (金)

「教師のためのChatGPT入門」福原将之さんの新著

福原将之さんが、新著「教師のためのChatGPT入門(単行本)」を出版しました。 2023年9月15日予約販売が設定されています。福原さんは宇宙物理学が専門で、科学カフェを運営し、多くの子どもたちや先生方に、宇宙についてサイエンスコミュニケーターよろしく活躍しています。一方で、中学受験業界や学校においてICT関連のコンサルティングでも活躍しています。ご自身が私立学校出身で、東大の大学院で研究もしていましたから、中学受験生のナビゲーターも行っています。子どもたちや学校の先生方とコミュニティをつくり、コミュニケーションをとっています。そうそう元祖起業家でもあります。今では中高の教育においてもアントレプレナーシップを行うように文科省も旗を振っているぐらいですが、ずいぶん早い時期から起業しています。先見の明ありです。そんな福原さんだからこそ、未来のAI地球時代からバックキャストして、生成AIの入門書の松明を教師に手渡そうとしたのだと思います。

Img_5261

 教師のためのChatGPT入門 単行本 – 2023/9/15

★もうずいぶん前に、福原さんとは出会い、21世紀型教育機構を創っている最中に協働してセミナーや研修を行ったものです。みなさんにとっては、福原さんのような先進的で聡明な人物ともはや老兵の僕がコラボしていたなんて信じられないかもしれません。でも確かに昔々そういうことがあったのですよ(笑)。

★ずいぶん長い間、いっしょに仕事をしていないし、頑固なアリストテレスーコミュニタリアンである私とは価値観が違うにもかかわらず、men for othersというか義理難いというか、店頭販売前に、送っていただきました。

★同書の5分の4は、入門書ですから、ChatGPTの使い方です。しかし、そこは先生方と日ごろコミュニケーションをしていますから、ビジネス的なアプローチではなく、あくまでも教師が現場でどう使えば効率的で合理的かということを丁寧に具体的にまとめています。一般的なハウウーではなく、それを現場におとしこめるのは福原さんならではですね。

★道具というのは、ユーザビリティーであることは大切です。福原さんのまとめ方は、教師にとってとてもわかりやすいユーザビリティが創意工夫されています。

★朝永博士と共にノーベル物理学賞を受賞したファインマンは、今でいうチョロQを使ってサイエンスの話をしたことがあります。チョロQをチョロQとして説明するのみならず、チョロQを通して自然界の生態系の循環と太陽エネルギーの関係を小学生ににもわかるように語ったのです。

★福原さんも科学者ですから、同じ資質を持っています。入門書ですが、生成AIを生成AIとして説明するだけではなく、生成AIを通し、未来の希望とデメリットも残りの5分の1で語っています。ここは、「応用編」として続編が出版されることになるでしょう。

★それから、なぜか教育界では、この話をすると無視されてしまうのですが、NHKでも松尾教授もこれからの最も先鋭的な生成AIの使い方が話題になっています。その大事な生成AIの使い方は、学校の働き方改革を物理量からではなく、質的な側面から変えてしまいます。ただ、相当学校の機能は変化します。そこに恐れを抱いて、現場では防衛機制が無意識のうちに作用するのでしょう。シャッターガラガラ(汗)。

★しかし、多様性の意味が拡張され深化しているので(この意味を明快に論じると現状の学校現場ではなかなか対応が難しいので興味のある方は、ご自身で文科省の最新のページをサーチしてみてください)、文科省も生成AIのガイドラインはヴァ―チョン1.0ですから、さらに次を想定しています。

★それに気づいている先見性のある先生方は結構いて、その学校の未来を創造的に破壊するキーワードを使わずに着々と授業を創意工夫しています。希望ですが、どうなるかは予測不能です。

★日本私学教育研究所も私の所属している東京私学教育研究所も、その未来の学校のユートピアとディストピアの情報を収集し、10月から始まる秋の陣の研修会で備えていきます。

★福原さんの新著も、入門書でありながら、この領域でも共振しています。ぜひ応用編、発展編でそこを書いていただき、AI地球時代を創る今の子どもたちのための、またその子どもたちを支援及びケアする教師を導いて欲しいと思います。

★AI地球時代にはもはや役に立たない頑迷固陋なアリストテレスーコミュニタリアンは、それを大いに期待しています。献本、本当にありがとうございました。

|

2023年9月 5日 (火)

女性の覚悟は世界市民の覚悟

★坂東眞理子先生(昭和女子大学総長・理事長)の「女性の覚悟」を少し読みました。50歳以上の女性のお話のようですが、前期高齢者であるd男性である私が読んでも身に染みました。感動したのは、教育界から、「無形資産」「稼げる力」が説かれていたことでした。

31ds6px3ywl_sy346_

★金融教育とかアントレプレナーシップとかいう言葉はまるでバズワードさながら教育界では使われるのですが、なぜか1人ひとりが「無形資産」を生み出せる教育をという言い方はあまりしません。ましてアントレと言いながら「稼げる力」を育てようと歯に衣着せぬ言い方はしませんね。

★それを坂東先生がずばりおっしゃるのですから、痛快でした。

★同書は、50歳以上の女性の本であり、万人の書です。ぜひ教育界の方々は読んで、目先の有形資産に走るだけではなく、将来を見越した無形資産(教養資産と言えば通りがいいのでしょうか?)を育成するカリキュラムデザインをするとよいのではないかと思うのです。

★人的資本とは何か?内生的成長とは何か?無形資産とは何か?ライフシフトとは何か?経済領域だけではなく、教育領域でも考え実践する時代が来たのでしょう。ぜひ坂東先生の「女性の覚悟」をみんなで読んで欲しいものです。

|

2023年9月 3日 (日)

私立学校の役割 社会を変えるコレクティブインパクトを創る越境をデザイン

★森の中で、ひさびさザッピング読みをしました。ルソーの人間不平等起源論と西研さんのルソーのエミール論。起源論は、鹿狩りの寓話が掲載されている章を、西研さんのは、たぶん最終章。エミールが22歳になって、ルソーが社会契約論で描いている理想の国がどこにあるか旅をする箇所。いずれも、ドネラのクマのブラックジョークに通じる話で、私立学校が明治から立ち上がった時、ルソーにも影響を受けていたのはしっくり。もちろん、ロックやアダム・スミスにも影響をうけています。

Img_5247

★だから、ご承知の通り、啓蒙思想といっても、ルソーのようにコミュタリアニズム傾向とロックやアダム・スミスのようにリバタリアニズム傾向といろいろあるため、簡単には論じられないけれど、教育と経営の両輪の私立学校は、それらを独自の発想で建学の精神として統合していた感じですね。

★そして、その当時の私立学校って、社会を変えるコレクティブインパクトを生み出すデザインをしていたのだと想いを馳せました。明治は何せ民主主義や近代国家を作り出そうとしていました。それは政治だけではなく、経済も然り、教育も然りで、総がかりでやっていたわけです。元祖コレクティブインパクトを生み出していたということでしょう。

★だから学校が変わるだけでは、社会は変わらないのは、今もそうなのです。今の多くの私立学校が外部団体と連携しているのは、まさに社会を変えるコレクティブインパクトを生み出す教育デザインをしていることになります。

★ルソー的には「一般意志」を構築する一つの役割を担っているわけですが、それには外部団体と越境して協力態を形成するということですね。

電通報2023年7月7日の井口理さんの記事<社会を変える「コレクティブインパクト」の担い手は誰か?~予算とノウハウで勝る大企業、目的とビジョンに集う草の根運動の差~>というのは、まるで現代版啓蒙思想ですね。ルソー的でもあるし、ロックやアダム・スミス的でもある発想を融合した感じの動きがでています。

★井口さんはこう語っています。

「コレクティブインパクト」とは、特定の社会課題について、行政や企業、NPO、基金、市民などが組織を超えて協力し、解決に向けて取り組むこと。この概念をベースとすれば、先にも述べたように、その取り組みのそれぞれの役割に最適なスキル・ノウハウを提供できる存在が参画することが重要だ。そして、その参画への後押しになるのが“共感”であり、すなわち人はビジネスプランではなく思いやビジョンに対し集まるということを理解する必要がある。この思いやビジョンに人は引かれ、ついたぐり寄せられてしまう。

本カンファレンスで頻発するキーワードに「越境」というものがあったが、あらゆる垣根を超えた人の思いが、そしてつながりが、社会課題解決を促進する大きな原動力になるのは間違いない。そしてそれは個々の人の思いがつながることがベースであり、その意味でこれまで言われていたような「草の根運動」の実行力は、一昔前のそれとは桁違いに強くなっているのを感じた。一方で、初期段階から企業が参画するには微細な領域もあるようだ。そこをきちんと発見し、顕在化させ、社会に問うていく、そのスタンスは草の根だからこそできることでもあるだろう。

ただし、企業がそのスキル・ノウハウで大きなサポートを提供してくれることももちろん大歓迎なのだという話は各所で頻出した。

★草の根運動の生み出す「共感」が大事な媒介項なのですが、大企業もそれを支えることができる。むしろ支えて欲しい。越境と共感。

★ルソーは、「憐みの情」と訳されている「共感」をめちゃくちゃ大切にしています。また「一般意志」は、階級や男女、民族などの差を越境して対話関係をつくることなのだと西研さんはご自身のエミール論で語っています。

★3.11の経験を通して、東浩紀さんは「一般意志2.0」を書いています。おそらく、AI時代の今日はこの流れが具体的な活動になっていくのでしょう。コレクティブインパクトの活動も一つの分水嶺をたどる流れでしょう。やがて、それは他の分水嶺をくだってくる流れと合流し新たな大海を作り出すのでしょう。

|

2023年8月30日 (水)

生徒と共に学びも学校も創るプロジェクトの成果➌ 対話の7つのシーンが変幻自在に現れた

★21会のSGTも生徒も、生徒が主語で学んでいきたいと語りながら、成果発表の会を行っていました。プレゼンを見て終わりではなく、自分たちのモチベーションや関心がどこからきたのか、リサーチする際にどんな難関があったかなども互いに振り返りながら会は進みました。SGTも第三者として参加した先生方も、意味付けというフィードバックや2チームのテーマの違いではなく、もっと決定的な違いは何か問いかけたり。。。

Img_5168

★対話が充満していました。そのベースの心理的安全性や共感的コミュニケーションが広がっていたのはいうまでもありません。そこには、コンフィデンスという互いの信頼と自己へのメンタルモデルへの信頼という自信がありました。

Img_5173

★そして、おもしろいことに、この雰囲気をサイエンスコミュニケーションとか哲学的対話などと呼ばれるような対話のシーンが生まれていたのです。よく観察していると、対話の7つのシーンが変幻自在に結合されていました。

1)ブレスト

2)リサーチ

3)リフレクション

4)フィードバック

5)ブレイクスルー

6)ディコンストラクション

7)メタローグ

7scene

★いろいろな学校でも対話をベースにした授業は行われていますが、2)3)4)が中心で、他の4つの対話のシーンはあまり前面に出てきません。課題が最初から設定されていますから、他の対話のシーンはあまり機能しなくてよいからです。それは教科の授業としてはとてもすばらしいものです。

★一方、このような7つのシーンが自在に結合する対話は、グローバルアントレプレナーシップを発揮したりチェンジメーキングするときには、現れてきますね。

★もちろん、時間の制約もあるので、すべての7つのシーンが全開だったわけではありません。強弱はあります。ただ、すべて現れていたのには驚愕でした。

★そして、この7つのシーンが自在に現れてくるには、シンプルな創造的思考とか数学的思考の思考のコンセプとレンズとそのレンズの中で機能している9つの発想のスキルを掘りあてる二重構造になっている創造的思考=数学的思考が機能しているのです。

★もちろん、現段階では、生徒はそれは暗黙知として育っている過程ではありますが、この7つのシーンを自在に組み合わせる対話の環境を持続可能にしていくとそれは暗黙知として豊かに育っていきます。機能的になるといったほうがよいかもしれません。

|

2023年8月29日 (火)

生徒と共に学びも学校も創るプロジェクトの成果➋ 決定的!5つのシステムの結合を生成する対話環境

★工学院、聖学院、文化学園大学杉並、和洋九段女子(五十音順)の生徒が協働して行った1年がかりの探究活動が生み出したものは何でしょうか?

★それは、究極のシステム同士の化学反応です。教科横断とか学際的というのかもしれませんが、もっとそのプロトタイプで、市民科学者と専門家をつなぐ関係態です。

Img_5142

★世界は「自然×社会×精神」の循環を1972年以降希求してきました。「成長の限界」のメイン執筆者であるドネラ・メドウズが考案して教育に浸透させた「システム思考」とその中のメンタルモデルは「SEL」として発展しました。今。システム思考とSELは、言葉を使っていないとしても、探究やPBLの中には盛り込まれています。

★そして、今回の4校の生徒のみなさんの活動は、このシステム思考とSElを発展させ、「One Earth」「Society」「Innovation」「Mind」「New Liberal Arts」という5つのシステムを結合して、この5つのシステムがつながらないために起こっている課題を解決するシステムや提案を道具化する実装までに至っています。

5dialogue

★この5システム結合生成の探究活動は、今後、世界の学校も求めるロールモデルになるでしょう。そして、この結合活動(すでにイノベーションですね)を生成する対話=Dialogueのシステムも、今回のイベントの流れそのものに部分的に可視化されていました。説明するのはちょっと難しいですが、いずれチャレンジしたいと思います。

|

2023年8月13日 (日)

「歴史総合」を大学入試という側面から考えるか世界に向き合う自分として捉えるか、両方をめざすのか?

★2022年から高校の学習指導要領は新課程になっていて、「歴史総合」などの新教科が必修科目になります。旧課程の「世界史B」など山川の教科書1冊の中に収められてきた近代から現代までの歴史が1冊として独立するわけですから、単純に知識量が激増するのは火を見るより明らかです。共通テストでは、世界史を選ぶ場合「歴史総合+歴史探究」となるわけですから、大学入試という側面から考えると、暗記ではなくコンピテンシーベースだなだといわれても、ふざけるな!となります。

Photo_20230813204001

★しかしながら、第二次世界大戦後、軽視されてきた世界と向かい合う自分が世界実践をしながら生活していくものの見方や考え方を身に付ける学び方に転換すると捉えた場合、小川幸司さんの書籍にあるように極めて意義ある機会になるわけです。

★しかし、両者の考えはどちらも一理ありますよね。東洋経済education × ICT編集部2023/08/12の次のような記事「大学入試は「歴史総合」が潮目、高校授業に期待する「歴史実践」の神髄は ルーブリック採点など工夫、正解つくると危険」などは後者に偏っているので、後者の考え方をする先生にとっては我が意を得たりという感じでしょうが、前者の考え方をする先生にとっては、現場とか現実を知らなすぎるということになります。

★私は、生徒が上記の写真にあるような本を読みながら、暗記するのなら、暗記も大いに有効ではないかと考えます。そもそも暗記は思考作用の1つですから。暗記というより記憶ですね。短期記憶がなければ、生活できないでしょう。私はついに65歳を超えていますから、この短期記憶機能が落ちているのに生きることの不安を感じないわけではありません。中長期記憶も必要ですが、こちらはいわゆる論理的思考とか言われる方の記憶作用でしょう。

★脳科学からみれば、暗記というレトリックで表現されている脳の作用を行う部位は使わないと脳機能は劣化するし、思考というレトリックで表現されている部位についても同じことがいえます。

★教科書は、脳作用を効果的に使う素材や材料です。脳の作用を多角的な刺激を与えるために、教科というのがあるのでしょ。言語知、数理知、アート知、社会知、時空知。。。いろいろあるでしょう。社会科は、どちらかというと社会知や時空知かもしれません。そしてその学びの過程でツールになるのが言語知だったり、数理知だったりするのでしょう。

★脳の作用として知があり、その知は脳の作用を促す道具に転換する時もあります。

★共通テストも人間力のうちの脳の作用を多角的に刺激する機会であるというわけです。

★別に大学に行かなくても、脳の作用を刺激する機会は多様にあります。進路を考える時、大学にこだわるのは、ざっくり高校生の50%です。残りの50%の生徒は、何も歴史総合という材料をすべて活用する必要はないのでしょう。

★教育改革者や大学入試改革者は、その多くが大学出身者ですから、そうでない生徒のリアリティを見ていないのは、しかたがないことかもしれません。

★大学に行くにしても何も一般選抜でなければならないということはないのです。でも共通テストを前提にして議論される時は一般選抜の話が中心です。

★いわゆる超難関国公立私立大学を受験する高校生にとって、「歴史総合+世界史探究」などの勉強は得意不得意はあっても、実はあまり問題ではないのです。歴史観や歴史の捉え方をそもそも自ら創ってしまえる環境がありますから。新書や大学の1年くらいのテキストを読むことも苦でないわけです。先ほどの東洋経済の記事もそのような生徒を想定しているわけでしょう。

★しかし、そうでない、つまり偏差値でいえば50いかない生徒の場合はどうしたらよいのでしょう。そもそもなぜ50に手が届かないかというと、小中学校の時、あまり読書の習慣がついていなかったというだけのことなのです。でも、この習慣がないと、茶の世界史や砂糖の世界史、チョコレートの世界など「社会史」的あるいは「文化人類学」的あるいは「アナール派」的な世界史のものの見方や感じ方を読み解く忍耐力がないのです。

★でも、その能力をもっていないかというと、そんなことはないのです。ただ、新書を読む習慣が身体化していないのです。大学に行ったら、それはちょっと困りますよね。そういう場合は、「社会史」「文化人類学」「社会学」「哲学」などなどのものの見方や考え方をトレーニングするといいのです。それが文献を読んでいく足場づくりになります。

★もちろん、一般選抜に間に合わない場合があるので、総合型選抜でいくということも考慮に入れます。さて、ものの見方・考え方・感じ方をどのようにトレーニングするか。

★歴史総合は「近代化」「国際秩序の変容と大衆化」「グローバル化」の3領域を学ぶことになっています。したがって、この3領域に共通するものとその変化(パラダイム転換)について、どう考えるのかワークショップを行っていきます。

★15回×90分やれば十分ですが、その3分の1でも開花する生徒はいます。

★たとえば、15世位くらいのフィレンツェの社会状況の断片情報を出して、ラテラルシンキングの方法で対話をしていきます。大航海(世界貿易)、遠隔地商人と金融業の市場、都市の政治と教会法のぶつかり合い、マキャベリの思想の背景やマキャベリの理想の君主モデル、ルターの宗教改革おこるきっかけ、オランダとイギリスの台頭などが、集約された時代です。ダ・ビンチやラファエロ、ミケランジェロもでてきます。

★シュンペーターではないですが、13世紀から15世紀にかけて、すでに近代の世界システムが芽生えている可能性大なので、大塚史観やウェーバー、アナール派、社会史、社会学、文化人類学、哲学など持ち出さなくても、生徒なりに理論を生み出します。

★もちろん拙いものがほとんどですが、自分なりにレンズをつくるのです。仲間と対話しながら、Peer Effectは増大して、そのレンズを再構築していきます。

★1689年、1789年、1889年、1989年という100年刻みで起こることが、すでに13世紀から16世紀に蓄積されています。そう考えるのも一つのものの見方にすぎませんが、専門家になるわけではないのですから、自由なものの見方を自ら創ることが興味と関心を抱くことにつながります。

★世界に向き合う自分を見るには、そういう妄想だったり独善的だったりするレンズが必要です。ただし、対話によってそれを脱構築していくマインドセットは必要ですね。

★もちろん、歴史学者になるのなら、妄想であってはだめでしょうけど。しかし、一般選抜で暗記の方法なんていうのは、それぞれコツがあって、独自のものでしょう。なぜ思考だけが独自のものであってはいけないのでしょう。そんなことないですよね。

★ルーブリックのデメリットは、この自由を奪うことですね。正しいとかいう表現でものの見方や考え方を押し付けかねないのです。

★それなら、暗記をする学びの方がよほど自由ですよ。とはいえ、暗記も覚えたこと以上に何も生まないという場合の方が多いので、それはそれは困ったものです。

★そうそう、歴史総合において、「新しい学校のリーダーズ」という日本の4人組ダンスボーカルユニットのエンターテイメント市場の新しい意義を、そのビジネスモデルを解明しながら考えることはいかにしたら可能かから始めても面白いかもしれません。彼女たちのグローバルな活動はまさに歴史実践の1つです。グループのコンセプトは「模範的なヤツばかりが評価されるこの時代、くだらない不寛容社会から、個性と自由ではみ出していく」。そのようなことが人気を持続することが可能だとしたら、この現代の歴史をどう受けとめたらよいのでしょう。

★一遍上人の発想に、現代の盆踊りを重ねる歴史家や民俗学者がいるように、彼女たちの芸能活動が、グレタさんの活動と重なるかもしれません。アプローチは全く違うけれど。

|

2023年8月12日 (土)

グローバルアントレプレナーシップというグローバル教育の時代 21世紀型教育の場合

★国際理解教育、国際教育、グローバル教育という概念は、ユネスコや米国で生まれたとされています。また、教育課程上は、「国際科」などで使われる「国際」は単位が関係する高等学校の学科の名称として使われています。高等学校設置基準とうい文科省の省令で規定されいるものです。グローバルコースといっても、あるいはインターナショナルコースといっても、それは私立学校などによる教育上の名称で、単位については全日制の枠内であることに変わりはありません。

Photo_20230812115101

(図の背景はBing作成)

★したがって、言葉は同じでも、使われ方は領域によって、人によって違います。ですから、21世紀型教育を推進している学校で「グローバル教育」については、定義づけとまではいきませんが、どんな意味で使っているのか明快にしておく必要はあります。

★今、21世紀型教育を推進していると明確に標榜している学校(「以降「21校」)のグローバル教育の共通点をまとめたものを図解すると上のようになると思います。

★21校は、体験やフィールドワーク、実験などに浸ることを重視しています。言語化や可視化する前に、五感を研ぎ澄まして、身体と共振する循環を探知します。冒険やボランティアや研修プロジェクトが多様です。

★幼児期から蓄積してきた身体知をさらに豊かにしていくことを大事にしているわけです。この身体知は非認知能力などと言われれもしますが、もう少し広い意味で使われています。身体知は、常に自然と社会と精神がつながったデフォルトモードになっています。

★この身体知を初等中等教育で汲み上げないで知識偏重教育を行ってきたため、人間力形成にゆがみが生じてきてしまったのが20世紀型教育です。そのゆがみが明快になってきたのが、20世紀末から21世紀初頭で、特に日本では2011年3月11日にそれが明らかになりました。それゆえ、20世紀型教育から21世紀型教育に転換するダイナミズムが生まれました。インターナショナルという国境を前提にした教育から、国境なきOne Earthとしてのグローバル教育への転換が生まれたのでした。

★身体知は、幼少期から初等中等教育にも連続するというのは、先述したように、この身体知が、ローカルの時空に位置しながら、One Earthに開かれた知がデフォルトモードとして成長し続けるからです。21校が生徒の興味と関心を大事にするのは、この興味と関心こそOne Earthに開かれた生徒1人ひとりの個性である身体知が欲求するものであるからです。

★そして、このデフォルトモードになった身体知を刺激して言語化や可視化、その他の表現知に変換していくのが、アート知、言語知、数理知、時空知、社会知などです。当然これらを関係づける時にデジタルトランスフォーメンションは重要です。最近では特にAIですね。

★そして、これらの知が統合される行方は、グローバルアントレプレナーシップです。自然と社会と精神とデジタルが循環するのを妨げる社会解題を発見し、解決行動を行っていくプロジェクト。それからそれを実現する実務力も必要です。そして、これらを統合する発想力も。

★そうそう、ここで「知」というのは。「知=システム思考×SELが生み出す知性と感性の連合体」です。

★社会課題の解決は、対症療法ではなく、根本的な解決策が必要な時代です。対症療法の蓄積が社会課題を集積し、世界のネガティブな激動を生み出しているというのは説明するまでもないでしょう。対症療法も必要ですが、それだけでは困ります。そんな根本的な解決を果たすのがグローバルアントレプレナーシップというメンタルモデルを駆動力とした多様なプロジェクト出動なのです。

|

2023年8月 9日 (水)

ウェルビーイング教育についてメモ「幸せはうつる」 前野隆司教授の講演から

★先日の私立学校専門研修会・法人管理事務運営部会で、前野隆司教授(慶応義塾大学)が基調講演をされました。「幸福学から紐解くウェルビーイング実現に向けた組織と職場環境づくり」が題目です。興味深かったのは、幸福を経営学、予防医学、経済学、心理学など多角的なアプローチで論じていたところでした。

31fgujfnl_sx314_bo1204203200_

★印象的な言葉は、「幸せはうつる」でした。同時にネガティブファンタジーもまた感染していきます。幸せを学校の中に、教師の内面に、生徒の内面に生み出すのは言うまでもなく重要です。

★それにしても、経営学から見ると、人的資本の在り方に幸せがやどるようにするのが、昨今の流れだということです。学校現場では、教師や生徒のかけがえのない価値を引き出すことです。

★それには、ハラスメントや抑圧的言動は避けたいですね。

★幸福感の高い社員の創造性は3倍、生産性は31%、売り上げは37%高いということでした。

★生徒募集の時、広報のメンバーや説明会でプレゼンする生徒がウェルビーイングな様子で語る姿を見せると、まさに「幸せはうつる」で、その場でこの学校に行きたいと共感されるのはたしかにあるあるです。

★経済学のあるケースでは、年収が800万からは感情的幸福は横ばいで、それまでは相関していると。ここは経済学と教育学のちょっとした差があるかもしれません。私立学校によっては、貧しきものは幸いという精神があったりします。

★この違い、さりげないですが、近世のフィレンツエでは、大問題でした。

★このさりげない差ですが、世界に目を向けると、今でもやはり大問題ですね。

★ウェルビーイングというコトにおいても光と影があるのはしかたがないのでしょうか。人間とはなんてすさまじい劇的な存在なのでしょう。教師は、その存在のすまじさに日々向き合っています。学校におけるウェルビーイング。そう簡単ではないですね。にもかかわらず、チャレンジする。この進取の気性の精神と気概。おっせかいだとは思いますが、応援しなくては。

|

より以前の記事一覧