創造的破壊

2019年8月23日 (金)

令和元年度福島県私学教育研修会(1)想い

★2011年3月11日のあの東日本大震災と「フクシマ」という想像を絶する自然災害と科学神話の崩壊。未だ解決されず、復興へ向けて福島県、もちろん日本全体が尽力している。2020東京パラリンピック・オリンピックは、震災復興も含んで行われる。

★福島県の私立学校も、当事者であり、教育において新しい東北を創っていく人材を育てる教育をという想いは共通している。その想いを共有して、福島県私学教育協会研修会も、5年前にその質を大きく転換したと同協会会長の森涼先生は語る。

★昨日22日(木)、「第45回福島県私学教育研修会」が、そんな想いを参加者1人ひとりが改めて感じながら始まった。

Dsc00180

★開会式の後、すぐに、森会長からこの1年間の教育関連最新情報が報告された。世界の動き、日本の動き、福島の動きと丁寧にいまここで自分たちが日々挑戦していることが、いかに県全体、日本全体、世界全体とつながっているのか、膨大な資料を提示しながら、簡にして要を得た名プレゼンテーションをされた。

Dsc00187

★そして、参加された先生方は、私立学校の教師として、私学の助成の現状も共有すべく、精緻なデータを読み込む方法も語られた。教育の倫理と経営の論理の複眼思考の共有を森会長は目標としている。教育が社会にインパクトを与えるには、経営という感覚も必要だからだ。

Dsc00193

★私学の経営視点は、時代の精神を読み解き、入試市場の動向を見極め、政府や自治体との助成金の交渉する論点を開発することが重要なのだということが明快に論じられたプレゼンテーションだった。

★新しい東北は、あまりにも大きな根源的な問題から出発するがゆえに、実は新しい日本、もしかしたら新しい世界のお手本を意味しているのかもしれない。

|

2019年7月11日 (木)

水都国際の教頭太田先生の広く深い見識

★大阪市立水都国際中学校・高等学校(以降「水都国際」と表記)の高等学校の教頭太田晃介先生を訪ねた。南港ポートタウン線に乗って、ポートタウン西で降りて、そこから800メートルくらい歩いた。

Dsc08707

★なんだか、豊洲のかえつ有明に臨海線でいくときと同じような感じだった。私立と公立の違いはあるが、豊洲は2020年東京パラリンピック・オリンピックの良好な影響を受け、水都国際は2025年予定の大阪万博の良い影響を受けるだろう。両校とも、グローバル教育や哲学教育とかTOKとか共通する本質的な教育もある。

★水都国際の役割は、今まで私立学校で自由闊達に行ってきた良質教育を、公立学校でもできることを証明したということだろう。日本の教育の良質さが、一部の学校に集中するのではなく、日本全体に広がる可能性がでてきたのは、たいへんよいことである。もちろん、教育行政は政治経済の影響を受けるから、そう単純ではないが。

★今回、太田先生は理科だけではなく、IB全体の教育の概要からその根底にあるIBの教育の本質についてまで、わかりやすく説明してくれた。

Dsc08676

★特に、教科とコアの学びであるTOK、CAS、EEとの関係について、実質的な対話ができた。おそらく、長年いっしょにPBLの学びの構造を思考コードと思考スキルと世界コード(これは未完で終わったが)でアプローチして創ってきたため、私が理解できる言葉に置き換えて説明してくれたから、ありがたいことに共感できたと思う。

★今学校現場は、教科と特別教育活動と探究とキャリア教育をつなぐ「X」なるものを形式知化できていないが、IBにおいて、太田先生はその「X」なるものの奥義を理解し、学内でマトリックス化して共有しているということだ。

Dsc08688

★IBは、認定校以外にはそのような根源的な情報は公開していないので、そこからは、今まで太田先生と協働してきた学びの方法論で洞察するしかないのだが、かなり直観的に理解できたような気分になった。

Dsc08705

★9月から大学生とIBの具体的なシステムを共有することは15回の講義では無理なので、何をトピックにするかまだ詰め切れていなかった(シラバスは作ったが、魂はまだ書いていない)が、IBから接近する「教育学」を講義できるなと直観した。太田先生、本当にありがとうございました。

|

2019年7月 7日 (日)

「ナレッジキャラバン in 大阪 2019 夏」新たな自分を見つけられる。

★水都国際の熊谷先生(苦悩のIBコーディネーターを支援するIBコーディネーター)とその仲間たちが、学校も世代も立場も超えて、フラットでしなやかな学びの会を創っている。今回は、2019年8月25日(日)、大阪女学院で、「ナレッジキャラバン in 大阪 2019 夏」を開催する。

Photo_20190707114901

※ナレッジキャラバン in 大阪2019年の詳細は→コチラ

★熊谷先生の呼びかけに応じて、全国からおもしろくて深い学びのプログラムを共有したいという教師が10人以上も集結する。IB教師が中心だが、イエナプラン教育など他の新しい学びを披露する先生もいる。

★新学習指導要領が想定している世界標準の対話型思考型の学びを体験できる。しかもどこの学校を選択しようが、どこの学校で教えようが、学校外で実践しようが、そのような学びに興味と関心があれば体験できる。

★今、このような知の体験が、世代を超えて多様な垣根をとっぱらってボランティア的に開催されるようになってきた。中高生と、生徒が教師に披露する自分たちが受けたい授業モデルをSGDsの一環として提案するアイデアについて議論も始まっている。

★熊谷先生とその仲間たちの動きは、このようなウネリにコレクティブインパクトを与えてエールを贈ることになろう。

|

2019年7月 4日 (木)

学校雰囲気(05) 学校雰囲気進化論 あなたの選ぶ学校はどの段階?

★学校雰囲気というのは、学校内の教師と教師、教師と生徒、生徒と生徒・・・などのコミュニケーションが生み出す。そのコミュニケーションが創造的であればあるほど清浄の空気を生み出すが、ただの事務的なコミュニケーションだけだと重たい空気が流れる。

★創造的になるならないは、実は理事会の影響力が強い。校長は理事である場合が多いから、校長のビジョンや方針が理事会と同じだと普通は考えてよい。しかし、実際はそうでない悲劇的な場合も多い。

Photo_20190704132301

★しかし、ここでは、校長=理事会としておこう。すると単純ではあるが、理事会と学校内の関係は4つのタイプがある。理事会も学内組織も極めて保守的で、大学合格実績も良好という学校は定番。この組織で成績上位者は明るいが、そうでないと重たい。ここにはピラミッドができるので、重たい雰囲気が支配する。しかし、学校側は、上位層しか見ないから明朗な雰囲気しかみえていない。

★そんな事実に心を痛める教師が何人か協力して、なんとか改革しようと動き出す。しかし、出る杭は打たれるで、そのような変化を抑圧する空気が流れる。大学合格実績がよいうちは、その抑圧は強烈なので、そのような改革派のメンバーは他の学校に出ていく。そして、そこで彼らが活躍する。そのような話は世に広まる。

★すると、その変化抑圧型の学校は、危機感をもつ。真っ先に理事会が、やはり変わらなくてはならないのかと、しかし、世間の事情や情報に精通していない抑圧型学校の教師は、動こうとしない。理事会が変化を叫んでも、学内は全体としては動かない。

★しかし、出ていった改革派を密かに憧れていたメンバーが、理事会と呼応していくつか動き始めるチームがでてくる。そのような理事会に対しても改革派教師に対して、頑迷固陋な教師陣の割合が多い場合は、今度は変化に対して防衛機制を作動させる学校雰囲気が漂うようになる。

★ところが、そのような学内の険悪な雰囲気は生徒募集に響いたり、進路指導に影響を与え、危機が本格的に訪れる。

★そこで、理事会も学内も一気呵成に改革モードにチェンジする。頑迷固陋なメンバーの退職率が上がる。というわけで、創造的破壊型学校雰囲気があふれ出る。生徒の応募も一気に増える。

Photo_20190704133801

★しかし、それは理事会の見せかけで、理事会は学内の活性化をマネジメントしただけで、自分たち自身は変わろうとしない学校もある。そのような場合、改革的な雰囲気が、どことなくフェイクのように感じてしまう部分もでてくるものだ。

★こんなに単純ではないはずなのだが、意外にもこんな感じで学校雰囲気というのは進化するのである。

★保守型学校雰囲気の段階の進学校を選べば、大学合格は安心安全である。創造的破壊型学校雰囲気の段階の学校を選べば、生徒は大学合格どころか未来をみずから開く才能まで獲得できるだろう。問題は過渡的な段階の学校である。

★そのような学校が保守型雰囲気に逆戻りするのか創造的破壊型の学校になるのかは、カケであるが、戻るか戻らないかは、理事会の判断一つなのである。校長と理事会の関係が良好であるかどうかはチェックすべきだろう。

|

2019年6月 4日 (火)

【思考力革命02】いよいよ局面が変わる雰囲気か?

★いつも会っているし、この間もカウンシルですれ違いながら対話していたが、3人だけで晩餐をするというのは、令和になって初めてだった。不思議と、こういうときは、互いにアポをとるのが、一発で決まる。

Photo_59

★4時間以上対話していたから、話は、多岐に渡ったが、話の軸は、時代の雰囲気を読むというコト。最初は、いまここのリサーチ結果を持ち寄りながら、その背景にある通時的視点を見出すために、それぞれの知恵をメタダッシュボードに入れて、がちゃがちゃ振り回す。

★そのうち通時的視野と共時的視野の交差点がいくつか見え始める。

★鈴木さんは、デューイやローティの系譜で語るし、僕はフッサールやピアジェあたりから、しかし二人はガードナーで合流する。石川先生は、その流れの中にクリティカルシンキングを挿入し、自分たちがイメージしている思考力や対話の意味を問い返し、ああでもないこうでもないと盛り上がる。

★3人の原点は、2009年あたりだ。それ以前から互いに情報交換はしていたが、3人がいっしょに共創造をするというのは、そのあたりからだった。今のかえつ有明とか宝仙理数インターとか少し遅れて広尾が立ち上がり、そろそろキャズムを迎えるという局面で、3校のみならず、多くの学校が突破口を見出そうとしていた。2006年・2007年と教育基本法や学校教育法などが改正され、今の大学入試改革の準備が国立教育政策研究所でスタートしていたころだった。もっともきっかけは経産省の動きだったが。

★官の動きを気にしていたわけではないが、もともとOECD/PISAの問題と分析をリサーチしていたこともあって、同研究所がリサーチしていることが、たしかに時代をつかもうとしているということだということは感覚的につかんではいた。21世紀型スキルという名のコンピテンシーやブルーム→アンダーソン→マルザーノのタキソノミーのバージョンアップなどが研究対象になっていたのは、なぜかシンクロしていたのを思い出す。

★一方で、私立学校は経営上の問題があるから、その一環として生徒募集をなんとかしなくてはならない。その当時はアドミッションポリシーとかカリキュラムポリシーとかディプロマポリシーという言葉はまだトレンドになっていなかったが、入り口ープロセス―出口という表現を使っていて、入り口だけではなく、くし刺しするアイデアを議論していた。

★つまり、外部の市場や学内の内部、そして社会との接点の関係総体を変えるものはないかと。点だけの変更という対処療法はなるべくとらないようにしようと。もちろん、現実的にはそういういときもあったが。そうして生まれたのが「思考力入試」だった。しかし、予想通り、塾には一笑に付され、「思考力なんて昔からあるでしょう」と言われたり、「こんなもんですか」と言われたりした。

★3人は、この言葉がでてきたら、キター!と思う。コペルニクス転回とかコロンブスの卵とは、世の人がそういう捨て台詞を吐いてくれた時やってくる。まあ最初は、「思考力入試」というネーミングは学内でも塾の対応をおもんぱかって却下され、「作文入試」というネーミングで行った。

★聖学院の当時の校務部長の平方先生が、だったらウチでと、「思考力入試」というネーミングを使ってくれたことを契機にかえつ有明も「思考力入試」というネーミングを使うコトができた。やはり協力関係は必要で、それがきっかけで、2011年に発足した21会で共通のネーミングで進撃することにした。聖学院の校務部長だった平方先生が、工学院の校長に就任したらすぐに「思考力入試」を実施することを決めたから、新タイプ入試の一角を占めることができた。

★デューイやフッサールやもっと前から哲学的な「思考力」というパースペクティブでみている私たちと、「思考力・判断力・表現力」というカントの「認識・実践・美学」に重なる意味での学習指導要領の言説である「思考力」とでは、その歴史的文化的構造的意味が違うのは当然で、同じ「思考力」という言葉を使っていても、対話が成立しないのは当然である。

★しかし、それを逆手に取れば、外部・内部の変容を生みだせるし、局面を変えられる。そこで「思考コード」という基準に準拠した思考力入試を軸にしたのだった。「思考コード」のコードは基準とかルールという重たい意味をカジュアルに表現しておこうという作戦だ。

★コードには「法典」という意味もあり、ローマ帝国の成立史の要件にあるインフラというコード、ローマ法というコード、パックスロマーナ精神というコード、ラテン語という言語コードなどを、もちろんその背景には軍事力という」コードがあるから、そのまま鵜呑みにはできないが、アイデアを転用した。それはプラトンやアリストテレスだってそうだ。奴隷制の上に成立していたから、そこを無視して転用できない。

★ともあれ、学びのあるいは人材育成のコードをきちんと脱構築するコトがミッションだった。

★21会がC1英語とかPBLとかICTとか思考コードにこだわるのは、その背景には、現状の強欲社会システムをwell-beingに変容する基準・ルール・法典の考え方のコペルニクス的転回=思考力革命を生み出すことだった。

★鈴木さんが、今月実施されるかえつ有明の思考力対策講座である「思考力のトレーニング講座」は、24時間で定員の50名が満たされたという話をしながら、2009年に行ったときは、石川先生は、最初は5人でもいいから集まって欲しいといっていたのを思い出しますと感慨に浸っていた。すると、石川先生は、でもそれは初回でしょう。11月以降はその当時から50名くらい集まっていたわけで、だから各校に思考力入試をやる価値があると啓蒙しているわけで、今もそれは同じですよと。するとすかさず、鈴木さんも、でしたねと、じゃあやりますかと。

★そこで、やはり思考力革命の流れは来ているわけで、こうなったら、局面を変えることを次元を変えて創りますかということになった。時代が変わらない理由をああでもないこうでもないといっている時間がもったいない。だったら創ってしまえばよい。思考力入試対策講座で「信長とジョブス」の対話を創作するプログラムをつくって、在校生の皆さんと事前シミュレーションした時のことを思い出した。アクティブラーニングの実験も石川先生はそのときから実施していた。

★2009年、2011年、そしてしばらくマイナーチェンジで進行してきて、2019年、三度新次元を創る話に盛り上がった晩餐だった。

 

|

2019年6月 3日 (月)

【思考力革命01】学びの組織を選ぶあるいは創る時代 well-being=CCTCと自然と社会の循環

★クリティカルシンキングやクリエイティブシンキングの思考の構造(CCTCと呼ぼう)が身体脳神経系全域に張り巡らされることが要請される時代。このことの良し悪しは論じたければ、それはお任せする。

★そして、この身体脳神経系に張り巡らされたCCTCは自然に結びつきAI社会にも結びつく。CCTCと自然とAI社会と有機的に結合し循環することによってwell-beingが到来する。つまり、well-being=CCTC×自然×AI社会という関数でビジョンを描いておく。

★それゆえ、こういうCCTCと自然とAI社会の循環のシミュレーションができる学びの環境を組織する必要が、今の子供たちにはある。もはやたしかに、それは従来の学校でなくてもよい。スーパーアスリートのように、学校に行かなくても(高校卒業資格がまだ必要な社会だから、そこは通信制高校などを活用するが)、チームでサポートして学びの組織を創り上げるのでもよいだろう。資金があればできてしまう時代だ。

★学びの組織は、自前で創り上げることができる時代である。

Photo_58

★しかし、資金がなかった場合公立学校にいけばよいし、年間1000万くらい学費を払うことができなくても、その10分の1は投資できるというのであれば私立学校を選べばよい。ここに学びの組織を選ぶという選択肢もある。

★学校は、今改革を行っていて、公立学校もラジカルな校長が脚光を浴びている。私立学校はどんどんCCTCを学べる環境を創っている。しかし、まだまだ公立学校は改革が広まっているわけではない。だから、それを補完するために、新しいCCTCを養う塾が必要となるだろう。少しずつでき始めている。

★塾に行く資金を、私立学校に回して、CCTCを養う学びの組織がある私立学校を選ぶこともできる。ただし、私立学校もまだまだ上の表にあるように、Aタイプのような国内大学進学準備だけの組織もあるし、ある程度才能のある生徒にとっては、Bタイプのような学びの組織を選べば、生徒が勝手にCCTCを開花するという学校もある。ここはまだ国内大学進学準備教育しか行っていない。

★学校に入る前は、まだどういう才能が開花するかわからないが、子供の才能を見出したいと思う場合は、才能はすべての子供たちにあるから、一人一人の才能を一緒に見つけ、学びの組織によって花開くようになるCタイプの学校を選ぶということもできる。CCTCを大切にする場合、このような私立学校を探すとよい。

★自らCCTC×自然×AI社会の学びの環境を創るか、そういう環境を選択するか。未来における子供たちのかけがえのない価値を生み出す準備はいまここから始めるのがよいのではないかと思うのである。それがようやくできるというCCTCベースの思考力革命が今起きているのだ。

|

2019年4月27日 (土)

未来を創る教育<05>自然法の存在を学校に発見 「規律と自由」の枠組みを創造的に破壊。

★学校では、いや世の中もそうだが、いつも規律か自由か、規制か緩和かという話が出てきては、いつも曖昧のまま終わったり、規律や規制を強引に押し付けられたりしている。自由というのはどうも分が悪い。

★ところが、いくつかの学校では、規律ではなく、ルールを自らのシステムとして内面化している生徒たちが、非常にオープンな感じで、きちんと自分の想いを言葉で語っているすてきな雰囲気が広がっている。決められた問いに紋切り型に答えたり、楽しかったです、わかんないですと対話を切ってしまうこともない。

Photo_25

★なるほど、デビッド・ボームの語る対話の一貫性」というものが見えた気がした。実は、コミュニケーションのルールは、もちろん安心安全な状況を創ったり、寛容な姿勢が大事だということや、傾聴するだとか、根拠を語るだとか、他者の良い点を察知するだとか、・・・諸々ある。しかし、それだけではなく、身体感覚の駆動させるセンサーと脳内物質の量、スピードなど身体メカニズムというルールにもつながっている。

★コミュニケーションは社会生活のWell-beingを創り出すシステムにも転換してそのルールはそのまま生きる。

★もしこのルールがなければ、人間関係や社会や精神はズタズタになるだろう。このあらゆる人間の言動と自然のメカニズムと社会システムが一貫したルールによって動いている場合、良い雰囲気=Well-beingを生み出すことになる。

★その状態は当然自由を担保する。しかし、そうはならないのが、世の常であるから、それを是正するために学びではなく規律で抑圧する。しかし、多くの場合、その規律が、前述のルールと真逆の自分の都合の場合が多く、つまりそこに権力や権威が誕生し、暗黒面の支配と相成るのである。

★ルール共有ではなく規律抑圧の組織の雰囲気がよいはずはないし、そこからクリエイティビティはうまれにくい。もっとも、その規律抑圧を創造的に破壊しようとする真正のクリエイティビティが生まれるのは、歴史のパラドクスでもある。

★いずれにしても、規律ではなく、ここでいうルールは、啓蒙思想家が提唱してきた自然法である。自然法はルソーとしては自然状態のものであるが、実際には国家法以外の日常生活を生きる人間の内面に現れるものであるということに気づいた。ある意味、学校は社会と隔絶している部分もあるから、そこが自然状態になっているのかもしれない。

|

2019年4月26日 (金)

未来を創る教育<04>アサンプション国際小学校 感動の学校雰囲気

★アサンプション国際小学校は、21世紀型教育を導入し、共学化、校名変更をして3年目を迎えた。改革は紆余曲折、試行錯誤様々な局面に遭遇する。先生方にとっては、未知の局面に何度もぶつかっただろうし、不確実な事態を目の前にもしたことだろう。

★しかし、先生方は一丸となって乗り越え、そのような変化のダイナミクスによく耐え、逆にそれをテコに新しい世界にジャンプした。そして、今日、感動しないではいられないほど、学校の雰囲気が良い。

Dsc00604

★授業における先生と生徒のコミュニケーション、フィールドワークの時に身体感覚を研ぎ澄ます感性、あいさつをするときの心の温かさ、社会に興味をもつ姿勢、あらゆるものにワクワクして立ち臨む好奇心旺盛さ、友達をいたわる優しさ・・・あらゆるシーンで、一貫したルールが響いている。

★ルールが響き渡っているのに、開放的な雰囲気が染みわたっている。また、いろいろなことに驚き、不思議に思い、好奇心を旺盛にする真理への自由の翼が広がっている。これはちょっと考えると凄いことだ。

★なぜなら、ルールと言えば、規則とか、校則とか、決まりとか、道徳とか、守らねばならない強制力というイメージを、たいていの場合はいだくだろう。しかし、アサンプション国際小学校のルールは抑圧とか強制とか規律とかいう意味とは全く違うものだ。それは平衡というバランスを生み出すメカニズムを意味している。

★規律か自由かとよく問題になるが、アサンプション国際小学校では、内なるルールはあらゆる局面で精神を開放的にする自由となっている。アサンプション国際小学校の雰囲気のよさは、まさにこの平衡を生み出すルールとしてのメカニズムなのではあるまいか。

★ちなみに、OECD/PISAでは、学校教育の質を表現する指標の一つに、この「雰囲気」がある。「学級雰囲気」がよくない国に日本は挙げられている。アサンプション国際小学校の「雰囲気」が良いということは、世界から見れば、日本の教育を変えるヒントがあるということだ。これもまた、気づかれざるアサンプション国際小学校のすてきな点なのである。

|

2019年4月25日 (木)

未来を創る教育<03>数学がリベラルアーツの現代化で必要なわけ

★AI社会に加速している現在、産官学あらゆる領域で、リベラルアーツが必要だと叫ばれていることは、周知の事実だと思う。あのスティーブ・ジョブスが、Appleでリベラルアーツを大事にして商品を開発・デザインしていたのはあまりに有名だ。しかし、かといって古代ギリシア時代に戻ろうとは言っていないだろう。

★Appleに限らず、今やIT産業の開発デザインしているデバイスは、ネットワークにつながってはじめて効果を発揮するから、たとえば、タブレットやラップトップは、優れた学習ツールであると同時に学ぶべきオブジェでもある。リベラルアーツとは、数学や音楽、体育、レトリックのような学びの道具でありながら学ぶべき対象であるという二重性を理解する哲学的な着想が肝である。

Photo_24

★古代ギリシアにおいて、リベラルアーツは、学びの道具であり、つまり思考の道具であり、同時に思考の対象であるという領域を見事に見つけた。しかし、その両義性を明確に意識していたかどうかはわからない。その意識化は、もしかしたら森田真生さんの発見かもしれない。森田さんは、「数学する身体」を 2015年10月に出版した。最近も新著「数学の贈り物」を発刊している。森田さんのファンが増えているということであり、それは数学を基礎としたリベラルアーツの現代化の潮流が水面下でウネリ始めたということかもしれない。森田さんは「数学する身体」の中でこう語っている。

やや わかり にくい かも しれ ない が、 ハイデッガー の 言う こと を、 私 は こんな ふう に 理解 し て いる。 すなわち、 人 は 何 かを 知ろ う と する とき、 必ず 知ろ う と する こと に 先立っ て、 すでに 何 かを 知っ て しまっ て いる。 一切 の 知識 も、 なんら の 思い込み も なし に、 人 は 世界 と 向き合う こと は でき ない。 そこで、 何 かを 知ろ う と する とき に、 まず「 自分 は すでに 何 を 知っ て しまっ て いる だろ う か」 と 自問 する こと。 知ら なかっ た こと を 知ろ う と する のでは なく て、 はじめ から 知っ て しまっ て いる こと について 知ろ う と する こと。 それ が、 ハイデッガー の 言う 意味 での mathematical な 姿勢 なのでは ない だろ う か。(森田真生. 数学する身体(新潮文庫) (Kindle の位置No.283-288). 新潮社. Kindle 版. )

古代 ギリシア の 数学 者 にとって は、 数量 や 形 は、 それ 自体 が 研究 さ れる べき 対象 で ある。 彼ら は、 思考 の 手段 として 数 や 図形 を 用いる だけで なく、 思考 の 手段 として 用い られる 数 や 図形 について、 思考 する よう に なっ た。(森田真生. 数学する身体(新潮文庫) (Kindle の位置No.296-298). 新潮社. Kindle 版. )

mathematics という 言葉 は、 ギリシア 語 の( 学ば れる べき もの) に 由来 する。 それ は 本来、 私 たち が 普通「 数学」 と 呼ん で いる もの よりも、 はるか に 広い 範囲 を 指す 言葉 で あっ た。 これ を、 数 論、 幾何学、 天文学、 音楽 の「 四科」 から なる 特定 の 学科 を 示す 言葉 として 用い た のは、 古代 ギリシア の ピタゴラス 学派 の 人々 だ と 言わ れ て いる。(森田真生. 数学する身体(新潮文庫) (Kindle の位置No.272-275). 新潮社. Kindle 版. )

★森田さんの本を読んでいて、衝撃を受けたのは、このようなリベラルアーツの1つの領域である数学の両義性について気づかされたことである。

★リベラルアーツの領域の中に、たとえばAI(人工知能)というのをいれることは、リベラルアーツの現代版という言い方になるだろうが、リベラルアーツの両義性を哲学的にとらえ返すことをリベラルアーツの現代化と呼ぶのだとスッキリしたのである。

★だからSTEAM×哲学をリベラルアーツの現代化と呼んできたことの意味が、ここにきて明快になったわけだ。

★今、学習する道具はいろいろあふれている。しかし、その道具がどれほど学ぶべきオブジェであるのか。研究すべきオブジェであるのか。その度合いによって、歴史を超えて残るか残らないかが規定される。

★教育のパフォーマンスをあげるには、優れた学習道具をつかうだけではなく、同時にそれがどれだけ優れた学ぶべき、研究すべきオブジェであるのか考えてみることが必要だ。一過性のものをもたされた子供たちは、未来ではそれを応用することができない。いまここで「妥当」でも、古代ギリシアから永遠と続いているリベラルアーツのように歴史を超えた「正当性」があるかどうかチェックしたい。

★いかに「正当性」があってもいまここで「妥当性」のないものは「信頼性」がない。「正当性」「信頼性」「妥当性」のある学習するツールであるのかは重要な問いかけだ。

★数学はその問いに「然り」とシンプルに答えることができる。何せ、生まれながらに知っていながら忘却していたものを取り戻すことができる道具であると同時に、「知る」とは何かを永遠に考えさせるオブジェでもあるからだ。

★そんなことを言っても、現場の授業では大学進学実績を上げるための勉強が優先してしまうのが現実だという方もいるだろう。でも、大学入試で出題されている「数の問題」を見てみよう。現実の合否を決めるための問題であると同時に、「数」とは何かを問いかけてくるオブジェでもある。いつまでも入試悪玉論を唱えるのはやめよう。たいていの問題は自分の中にあるときが多い。

★だから、最近授業リサーチをしていると、数学の先生の中には、入試問題から良問を見出し、生徒とともに解きながら、その解く過程で、数学的思考とは何か?それが解法のどこに反映しているのか無意識ではあるかもしれないが、問いかけている先生方と幾人も出遭う。

★「数」とは何かという永遠の問いを共有し、生徒も目を輝かせて考えている授業。これぞProject。Projectには研究という意味もあるから、その意味で立派なPBL型授業になっている。当事者以外世界の誰も見ることができないシーンに立ち会えたそんな瞬間、感動しないはずがない。




 

|

2019年4月21日 (日)

未来を創る教育<02>2025年問題を乗り越えて生じる格差をどうするか キャリアデザインが破綻しないためにも

★21世紀型教育の理念は、ノーマン・ロックウェルのモザイク画とSDGsのロゴと限界費用ゼロ社会に象徴される。この背景には、哲学とSTEAM教育というリベラルアーツがある。一方で現実は2025年問題を通して迫りくる2030年~2040年のデストピア問題が横たわっている。

★したがって、理念と現実の対話的一致を繰り返すクリエイティブ・テンションを生みだし、そこが起爆剤となってイノベーションを起こすダイナミクスに期待するわけだ。それによって、前回述べたように「わたしたちの地球」の好循環をもたらす。

Photo_22

★しかしながら、このようなことを行うリーダーシップは誰が発揮するかというと、AI社会は、産業革命から20世紀にかけての産業社会とは次元が異なるために、高度技術をもったAI市民が待望される。このAI市民のことをクリエイティブ・クラスという。従来の産業構造の言説の延長上で言うと、第4次産業の労働者ということになる。

Photo_21

★このことについて、さりげなく静かに公開資料で世に表し、着々と進めているのが内閣府であり、その根っこは経産省である。表にあるようにクリエイティブ・クラスとは、表現してはいないが、従来にないクラスが存在し、今までのクラスが没落するカテゴリー表になっている。

★21世紀型教育は、すべての人が一人一人の才能を見出し、クリエイティブ・クラスになる学習モデルを構築しているが、すべての学校が行っているわけではない。したがって、実践しているところとそうでないところで、「クリエイティブクラス」格差が生じてしまう。

★すでに、高度人材は大量に不足しているが、逆にその不足しているところを生める人材がクリエイティブ・クラスになる。しかも法整備の結果、そのクリエイティブ・クラスに高度外国人材が参加するようになっている。

★このクラスの多様性は、考え方や価値観、文化背景の違いにより対話的テンションがイノベーションを生むことになるから歓迎なのであるが、21世紀型教育を行っていない学校を選択すると、クリエイティブ・クラスの存在のメカニズムが見えず、たんに年収の良い仕事と思うだけだろう。

★メカニズムが見えない場合、ソフトパワーを生み出す仕事も、ハードパワーを生み出す仕事も、創造的仕事として差異に気づかない。learning by creative thinkingとlearnning by makingの違いが判然としない。

★こうして根っこの部分の差異がわからないままスタイルだけアクティブラーニングやPBLになるから、結局ハードパーワーの新機軸イノベーションに流れていく。それでも、その領域でのイノベーションが起こることはわるくない。しかし、それが多くの場合天井になり、クリエイティブ・クラスの道は閉ざされる。

★創造的人材はたくさいるが、創造的クラスに入る人材は限られることになる。これが現状の「未来を創る教育」のリスクである。さて、ここをどうするかなのである。新しい「未来を創る教育」の創造。この道以外に他はあるまい。

|