創造的対話

2019年8月14日 (水)

石川一郎先生との対話 思考の軸の差異に気づく A3B3の罠に陥らないために

★昨日、21世紀型教育の旗手石川一郎先生と電話で対話をした。経産省の「未来の教室」などに招聘されたり、東北の学校に招かれたり、相変わらず多忙な8月のようであるが、その合間で、第3の思索プロジェクトに取り組んでいて、お盆休み返上ということだった。

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★21世紀型教育機構(当時は「21世紀型教育を創る会」)を発足したころは、PBLとかアクティブラーニングというのは、わからない、意味があるのか、大学入試に対応できるのか、評価はどうするのか、そんな質問ばかりだったが、今はそれはなくなり、むしろ受け入れている現場が多くなったと。

★ただ、問題は、思考の軸の差異を意識しないから、A軸、B軸でおわって満足してしまうのが、もったいない。

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★クリエイティビティも重要だということは、現場でも広がっていると。しかし、問題は、A3とB3の領域に到達すれば、創造性を養っていると錯覚しているところは、問題だという。

★たしかに、知識の背景の関連事項を広げて行ったのを、コンパクトにまとめる変容というのは創造的に思える。複雑で冗長な論理をメタファやアナロジーに置き換えて変換するB3というのは、創造的なように感じる。しかし、それはいわゆる地頭がよいというA軸B軸のパワフルな脳の働き。

★新しい知識やアイデアを生み出しているわけではない。メタファーやアナロジーは、ロジカルな思考スキルであって、それは誰でもが学べる。

★だから、そこを学ぶプログラムが肥大化して、それが探究だということになる。しかし、2020年から始まる難局と、それを乗り越えることによって新しい世界が広がる時代の転換期にあって、新しい知識の創造、アイデアの創造は喫緊の課題。

★それはしかし、ある意味教育文化で、今後Z世代が、そこをベースにしていくというウネリを生むような学びの環境を創るしかないわけですよね。

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★ま、しかし、本間さんだって、僕だって、Z世代ではなく、そこに気づけるわけだから、若い世代に任せるだけではなく、自分たちも気づくことができたら、それにこしたことはないでしょうと。さすがは、ミッショナリー。

★だから、講演や執筆、コンサルの活動に石川先生は奔走しているのですよね。そうなんだけれど、そんなふうにB3的なまとめ方をされると、それはそれで違うかなと。

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★贅沢な悩みですね。そうかもしれない。9月1日、と10月のお披露目まで、もう少し深めておくことにするよ。という感じの知の限界をどうクリアするのかという地的刺激を共有できる対話だった。時代を変える人、世界を開く人は、高次レベルの差異に気づける人だ。たしかに皆気づくことが大事だが、だれもが石川先生のようにはいかない。それがまた、石川先生の魅力なのである。

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2019年8月 7日 (水)

C世代への対話(1)佐野先生との対話

★先日「PBLの世界(11)2021年以降サバイブするかえつ有明」という記事をホンマノオト21に掲載してfacebookのタイムラインに投稿したら、かえつ有明の副教頭の佐野和之先生がシェアして、次のようなコメントを投稿してくださった。

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≪小さく始めたグリーンな世界が少しずつ広がり始めている。少しずつ、でも確実に。それぞれの緑が他の草原や木々と結びつき始め、新たな循環態系を形成していく。その世界を維持するにはそれぞれがその世界との繋がりを回復して、部分と全体を一致させていく不慣れな作業に意識を向ける必要。弱肉強食の世界で培われたメンタルモデルに自覚的になり、慣れ親しんだその世界観を手放す覚悟を持たないとグリーンな世界に生きられないどころか、その世界の存在にすら気付けないかも。ここからが自分自身のあり方を試されるところ。≫

★今かえつ有明で広がっている世界を、佐野先生は「グリーンな世界」と表現されている。それは広がり「新たな循環態系」を形成していく。それぞれの世界との繋がりの回復と部分と全体の一致が拡張していくというのだ。

★繋がりの回復や部分と全体の一致の作業を「不慣れな作業に意識を向ける」と表現されている。いかに自分たちは、分断と要素分解に慣れ親しみ、全体や背景を見てこなかったのだろう。そのようなルーチンの空間を「弱肉強食の世界」と佐野先生は明言する。

★そんなメンタルモデルを互いに打ち明け、シェアし、そんな根源的なアイデンティティと思ってきた幻想を払拭して、グリーンな世界で生きる本来的なアイデンティティに立ち還るところから佐野先生は、かえつ有明の先生方と≪対話≫してきたのだ。

★それは、たしかに小さく始めたグリーンな世界だった。それが広がった。その推進力は、実はZ世代の生徒だった。デジタルネイティブで、グローバルネットワークを大切にしながら、実は個人の才能や性格や想いをとても大事にする世代にとって、鋼色の抑圧と効率性の世界は息苦しい。

★そんなときに、自分の学校にグリーンな世界があるのだと気づくや、実にその行動は早かった。自分たちで生徒募集を行うワークショップを企画し、異業者交流を企画し、起業のシミュレーションもやった。大学も国内にとどまらず、海外にも目を向けた。

★今もその広がりは他校とのネットワークを広げる動きになっている。どこまでも広がり、ケアフルな仲間とそれらを全部内面化する個人という新しい人間観と新しい世界観が、かえつ有明のグリーンな世界から生まれている。

★進取の気性に富んだ保護者は、自分の子どもがZ世代であることを自覚している。鋼色の分断の世界よりグリーンな繋がりが循環している世界こそ、Z世代には必要だと了解している。それゆえ、佐野先生のいるかえつ有明を選択する。

★しかし、佐野先生は、グリーンな世界の次の世界をおぼろげなら構想している。ダライラマ的世界観。それは宇宙への繋がりの世界だ。自然と社会と精神のグリーンな地球的(グローバルな)世界の復権の次は、循環態の地球の存在を支える宇宙という全体に視野が広がる。世界から考えるから宇宙から考えるへ。そんな世界観が、Z世代の次の世代のC世代には大事なのだろう。

★佐野先生の投稿を拝読して、そんな感想を抱いた。

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2019年7月14日 (日)

神崎史彦先生の大学入試 志望理由書のルールブックの意味

★神崎史彦先生が新刊を出す。「ゼロから1カ月で受かる 大学入試 志望理由書のルールブック」( KADOKAWA 2019/7/20)がそれだ。Amazonより先に昨日先生から郵送して頂いた。心から感謝いたします。

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★本書は、もちろん大学入試におけるAO入試や推薦入試にダイレクトに役に立つ良書である。大学入試とはそもそも何かと迷っている受験生、志望理由の捉え方というものの見方・考え方を知りたいという受験生、自分はどう生きるかと悩みながら大学入試に臨んでいる受験生、自分のやりたいことを見つけたいと思っている受験生、大学に進む意味をどうつかんだらよいのか足踏みしている自分を変えたいと思っている受験生、ただ大学入試を受けるのに志望理由書が必要だからと実用的に考えている受験生、合格答案を知りたいという受験生・・・などどんな角度からでもよいから接近して読んでみることをおススメする。

★というのも、きっかけが目先の利益のためであっても、情熱がないけどとりあえず合格するためでも、自分のやりたい学問を追究するためでも、志望理由書に取り組む意識の低い高いにかかわりなく、視野が狭い広いにかかわりなく、とにかくまず読んでみて欲しい。

★すると、目先の利益を超えて自分にとって意義あることが向こうに見えてくるし、情熱がなかったはずが、内側からウゴメく響きを感じるようになるし、学問に対する自分の考えがまだまだ浅薄だったことに気づくだろう。

★人生は、自分が思っている自分以上の自分を感じるターニングポイントが幾つも訪れる。しかし、その転換点は自ら気づこうとしなければ手にすることはできない。

★そんな気づきを得るにはどうしたらよいのか。常に自分とは違う考え方や価値観や感じ方を有する人々や事象と関係を結び付けてみることだ。そういう意味で、本書は、受験生にとって、自らを自らだと思う自分に対する常識を揺さぶり、未知なる自分を新しい世界に連れて行ってくれるルールブックであり、ついには、そのルールの枠を破る境地に立ち、ようやく人生の新たな道が開かれるだろう。

★そして、また大学を卒業する直前に読んでみるとよい。新しい世界で行動しているはずの自分が再び常識の徒と化していることに気づき、再び自ら創ったルールの枠を壊す必要性を感じるだろう。そして、様々な組織の中で、自分のプロジェクトを広げようとしたときに、三度本書に立ち還ってみよう。またも常識化した自分と対峙する挑戦をする人であることの必要性を感じるだろう。

★そして、そのとき、学問とは象牙の塔で研究することではなく、世界を問う学びを生涯続けることであることに気づくだろう。学問とは大学教授という資格が必要なのではなく、世界を問う学びの構えこそが必要なのである。しかし、そのことを知るには、知るための成長物語としての条件が必要である。

★その成長物語の主題は、いつも自ら常識化してしまった自分を創造的に破壊することであり、その苦しみが訪れる時熟によって、ようやく真理がちらりと向こうにみえるのである。そして、また見えなくなる。それゆえ、再び成長物語が始まる。成長物語とは自己変容の無限の螺旋階段である。

★本書は、ゼロから1カ月で受かる導きの書であるが、同時に生涯をアップデートするたびに反復して読まれる書なのである。

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2019年6月29日 (土)

教師の雰囲気(04)かえつ有明の無私で穏やかな教師チーム③

★かえつ有明のドルフィン(図書館)は、アクティブラーニングのための空間が4箇所(1つは情報の部屋)ある。私が見学した5時間目と6時間目は、すべて使われていた。定期試験直前だというのに、その対策授業はやらないのだなあと。

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★他の教室はどうなっているのかと思って、合間を見て覗いてみた。篠原先生の技術の時間では、生徒たちはラジオ作りに没入していた。古賀先生の地理の授業は防災教育もかねてハザードマップやビデオまで活用していて興味深かったし、防災グッズの着用などもあり、かなり実用的な(オーセンティックというのだろう)授業が展開していた。

★実験室では、青木先生が静かに笑みをうかべながら歩いていた。生徒たちのプレゼンする声があちらこちらから染みとおってくる。定期テスト直前だから、テスト範囲の中で、自分たちが探究した内容のポートフォリオを使って、チーム内で発表していたのだ。

★青木先生は、生徒のそのポートフォリオをみせてくれた。自分から働きかけるのではなく、生徒の主体性に任せながら、絶妙なタイミングでフィードバックしていく静かでケアフルな教師の雰囲気が生徒の好奇心を探究心に変えていくのだろう。

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★再びドルフィンに戻ってくると大木先生の「羅生門」の文学授業が佳境に入っていた。

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★主人公の運命の分かれ道での葛藤やその境界線のゆらぎについて生徒は議論していたようだ。生きることと倫理のせめぎ合い。極限の状況をどう自分たちは受けとめれれるのか。そこから出発しなければ、羅生門の世界に入り込むことができない。文学を読むことのもどかしさ。論理的に読む以上に、極限の状況をどう理解できるのか。

★芥川龍之介の命がけのプロジェクトを、大木先生は生徒と共感できるのかどうか、ここにも、生徒ばかりか、教師も悩む姿を見ることができた。共感的コミュニケーションとは、このような苦悩をもともにできるということなのだろう。

★乗り越え難い苦悩を隠すことなく、生徒と共有する教師は、実は最強である。

 

 

 

 

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教師の雰囲気(03)かえつ有明の無私で穏やかな教師チーム②

★かえつ有明のキャンパスは、尖塔があって。その中を螺旋階段が走り、各階につながっている。その階段には、各ステップごとに壁の穴があって、そこに図書館司書の方々のメッセージが一定期間ごとに陳列される。ちょっとした知のギャラリー。

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★今回は、2階から3階に移動するときに最初に出遭ったのは、ブラックハットだった。

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★いきなり否定的思考に出迎えられギクッとしたが、ついにかえつ有明は、強いハートも生成し始めたのだとすぐに感じた。Six Thinking Hatsという6つの思考のアプローチによるディスカッションのメタ認知を活用しているのだなと。階段をあがっていくと、次々と違う思考様式が現れた。おもしろいなあ。

★もし、ブラックハットを装着するよと宣言しないと、否定的なことを言いやがってと、そのつもりもないのに、そこにルサンチマンが生まれる。だから共感的コミュニケーションを行うには、思考のアプローチを見える化し、できればロールプレイを行っていけば、そういうっているのは、ロールであって、メンタルモデルのせいではないということがわかる。はれものをさわるような気遣いも無用だ。

★人の性格や権威や肩書に思考のアプローチが属するのではなく、あくまでロールに帰着する。

★そして、このあと共感的コミュニケーションはしなやかで強くなっているのだなと実感する機会が訪れた。

★それにしてもBig 6といい6 Thinking Hatsといい、タキソノミーといい、かえつ有明は3の倍数で一貫している。ハートとプラグマティズム。この秘密は、意外と知られていない。

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教師の雰囲気(02)かえつ有明の無私で穏やかな教師チーム①

★年に1,2度かえつ有明を訪れる。同校は有機体的な進化をしている貴重な学校がゆえに、その発展からいろいろ気づきがある。今回もいろいろと学ぶことができた。今は東大で研究している金井先生もときどきかえつ有明で研修などサポートをしているが、私が佐野先生を訪ねたときもちょうどやって来ていた。

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★二人が中心になって立ち上げた高校生のプロジェクト科の授業を佐野先生が行うというので、ゲストという役割で参加していたようだ。

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★2時間続きで、チームでテーマを探しながらプロジェクトを実行していくそのブレストの段階だった。この時期に発進するとは、何かがある。

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★柔らかいチームで、最初にメンバーが決められているわけではない。自分のやりたいことをアウトプットしながら、合意形成をしながらチームがナチュラルにできていくというスタイルなのだろうか。

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★だから、途中で別のテーマが見つかったメンバーは、離脱してまた別のチームに参加するも、新しいチームを創るのもまったく問題がなさそうだ。問題がないというのは、途中でやめるのかと非難されることもないし、新しいチームをつくるなんてとルサンチマンが生まれるわけでもないということを意味している。

★ある意味好きなようにやっていよいけれど、互いにその自由な感覚を大事にしようよというマインドセットがされているわけだ。

★4月に高2のプロジェクト科がはじまって、2カ月が経ってから、プロジェクトづくりのブレストが行われるというコトは、この2カ月の準備が実に巧みになされていたということだろう。精神のメカニズム。何かにこだわったり固執したりしない状態、共感し合える関係、創造的な人間関係ができる状態など、佐野先生や金井先生が大切にしている共感的コミュニケーションができる状態を、高2になってもう一度確認する時間をとっていたのだろう。

★こだわりを捨てることができる無私で穏やかな雰囲気がそこにはあった。

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2019年6月27日 (木)

学校雰囲気(04) 湘南学園のESD教育が身近なところから世界の雰囲気を変える

★「WEB料理通信」に、<湘南学園の中学生が取り組む「幸せを届けるチョコプロジェクト」>という記事が掲載。受験情報WEBではないサイトに掲載されているというところがすごい。「WEB料理通信」は、「食で未来をつくる・食の未来を考える」をテーマとした、みんなでつくるプラットフォームというビジョンを持っている。

★湘南学園のチョコプロジェクトは、まさにチョコに注目することで未来をつくるビジョンが広がり、食という生活の未来を創り出すきっかけになると「WEB料理通信」の編集者は確信したのだろう。

★この記事の内容については、ぜひ読んでいただきたい。ここで解説することは不遜だ。

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★私がここで確認したいことはただ一つである。それは同校のESD教育が教科教育からグローバル教育、キャリア教育など多様な教育活動を有機的につないでいることの一環として、ナチュラルにこのプロジェクトが立ち上がっているということである。

★ユネスコスクールでもあり、SDGsの取り組みも授業においてもなされている。多くの学校では、これらの教育活動はたいていはバラバラで、いろいろやっているというだけで終わっている。ところが湘南学園の多様な教育活動は、ESD教育として有機的に循環している。

★このチョコプロジェクトも清水先生の地理の授業から生まれ、記事にあるように世界に広がっていった。清水先生は、同記事の中でこう語っている。

――「社会への不安が先行し、無関心になることが多い中、子どもたちには社会の構造を理解し、課題を正確に捉えることで、希望を見出し、主体的に行動できるようになってほしい。僕は距離を保って支えるだけなんです」と。

★「社会の構造」とは、ここではフェアトレードの概念の中にある「適正価格」のメカニズム。これはヨーロッパ中世からルネサンスに移行する段階で、すでに大問題になっていた。キリスト教における利息の問題の浮上で、「適正価格」というキーワードが広まるというコトは、そこに「適正価格」でない現状があふれていたことを示唆している。

★中世の遠隔地商人が自由都市に持ち込んだ貿易商品の適正価格をいかに設定するのか?資本主義の萌芽である。そこから近代世界の広がりとともに、適正価格は格差を覆い隠す資本主義のメカニズムとして、市場の価格にシフトしていく。

★チョコプロジェクトは、発展途上国と先進諸国の関係の格差の問題に気づき、問題解決のためにアクションを起こしている。しかし、それを生み出しているメカニズムは、実は自分たちが日々生活している政治経済社会そのものの中に構造的に埋め込まれていることにやがて気づくだろう。

★それは、世界を変える根源的な気づきであり、ここに到るESD教育のような環境が在る学校こそ開かれた世界の論理を土台にしている本物教育を形作っていると言えるのではないか。

★同校は、中学入試においても、深い問いを考えるESD入試という新タイプ入試を開発してもいる。このような一貫性のある教育こそ質の高い教育と呼ぶにふさわしい。

※ESD教育とは、同校サイトにはこうある。「ESD(Education for Sustainable Development)は、「持続可能な開発のための教育」と訳されます。これは、私たち(まだ生まれていない、私たちの子孫も含めて)が生きていくことを困難にするような問題について考え、立ち向かい、解決するための学びです。即ち、「持続可能な社会の担い手を育成する教育」といえるのです。」

 

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学校雰囲気(03) 2つの聖光学院が世界の雰囲気を変える

★今、静岡聖光学院と横浜の聖光学院の生徒合わせて4人が、マレーカレッジ国際サミットに参加している。東南アジアの国々から集まった学校の生徒が参加している。昨年、静岡聖光学院がマレーカレッジと国際交流を開始することがきっかけとなって参加を促されたようだ。STEMをベースとしたキーノートスピーチ、アクティビティ、ワークショップ、プレゼンテーション、エキシビジョンなど1週間続くプログラム。

★2つの聖光学院は、修道会が同じなので、学校法人としては独立採算なのだろうが、教育活動の連携はとりやすいのだろう。

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(写真は、すべて静岡聖光学院のサイトから)

★静岡聖光学院のサイト【聖光見聞録特別編~マレーカレッジ国際サミット6日目】によると、静岡聖光学院は、静岡市が誇るがタミヤ模型と連携したプログラムを披露したようだ。タミヤの模型を組み立て、改良を試み、高性能のマシンにしていく過程をSTEAM教育として実施している。同サイトのぺージにはこうある。

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――今回のプレゼンテーションでは、タミヤ模型の代表作でもある「ミニ四駆」を用い、モーターやギア比の関係から、どういう組み合わせがマシンを早くさせるか、またMaBeeeという特別な電池と組み合わせることで、プログラミングの要素を組み込んで作動するミニ四駆をテーマにプレゼンテーションを行いました。MaBeeeを用いることで、様々なモノがIoT化していきます。そこにミニ四駆の、仕組みは簡単ながらも工夫によって機能が向上するマシンを組み合わせることで、新たな価値の創造を感じさせるプレゼンテーションとなりました。

★横浜の聖光学院の生徒のプレゼンテーションとエキシビジョンについてこうある。

――共に参加した聖光学院の生徒はSuperScienceHighscool(SSH)に指定されていることから、SSHでの活動でもある「聖光塾」についての説明を行いました。横浜の聖光学院は、日本でも東大合格者の数はトップレベル。堂々としたプレゼンテーションを行うことができました。・・・聖光学院のブースでは、LEGO®️SERIOUS PLAY®️のメソッドを用いて、これからの日本の社会のあり方について表現したり、参加者の個別の振り返りをしました。

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★静岡聖光学院もLEGO®️SERIOUS PLAY®️のメソッドを普段は使っている。かくして、2つの聖光学院は、大学合格実績を競う枠を越えて、もっと大きな目的のために教育活動を行っている。このマレーカレッジ国際サミットの例は氷山の一角で、両校の日本における普段の教育活動がすでに開かれた世界の論理を土台に行われているからこそ、語学研修ではなく、STEMベースの国際サミットで、活躍できるのであろう。

★静岡聖光学院は、51年前に創設された当初から学習指導要領を超えた学問領域を自由に学ぶことが伝統であり、横浜の聖光学院は17年前に教科のカリキュラムを超えた知のプログラムを大学や企業など外部団体と連携して行うプログラムを充実させてきた。

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★日本の中にいると、STEAM教育の全貌はまったくみえていないがゆえに、その重要性にはまだまだ気づかれていない。しかし、世界から見ると、日本の学習指導要領だけでは、未来は開かない。STEAM教育の実施は喫緊の課題である。

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★2つの聖光学院は、先進的教育と日本の文化の奥行を、東南アジアで共有している。この活動は、東南アジアと日本の関係を新たな教育で結ぶ。したがって、世界が変わる契機が生まれる。東南アジアの世界におけるプレゼンスは日に日に高まってきているから、その拠点との連携が世界をいかに変えていくのか楽しみである。そして、2つの聖光学院の4人の生徒はそのビジョンを確かに見通せただろう。

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2019年6月26日 (水)

学校雰囲気(02) 麻布の自由に学べるかどうか。

★麻布と言えば、偏差値も高いし、大学合格実績も誰もが認める成果を挙げている。しかし、大学合格実績を最終的に目的にしているわけでも、強者の論理がその文化のベースにあるわけでもない。

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★麻布のOBが、麻布の遺伝子をサイトで継承している「麻布流儀」というサイトがある。その中で、「平校長のインタビュー」が掲載されている。平校長のAコードとCコードの話など他の学校では想像もつかないような抱腹絶倒のエピソードなどがあり、おススメのページであるが、その中で次のような箇所がある。

「麻布の自由は入学すればすぐわかると思います。私服だったり、休み時間にコンビニに行ったり、髪の毛を色々な色に染めたり。授業中はダメだけどスマホなんかを持ってきてもOKだし。いわゆる校則がない自由がクローズアップされがちだけれども、むしろ精神の自由だとか、内面の自由を大事にしている。学園紛争のあった1970年前後で、今までの制服が標準服になり私服もOKになったのだけど、ただそこで求めていたのはそういった外面的な部分ではなく、受験に役立つような授業だけではなく、本当の学問を教えて欲しいと求めた生徒もいたし、それまであった校則の意味を問うなど根源的な問いかけがあり、それが麻布の自由につながったと思います」

★まさに、大学合格実績の枠を超えた大きな人間的存在理由をベースにした学校の1つであることを示唆している。

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★制度としての自由を生み出す精神の自由や内面の自由を大事にしているというのは、開かれた世界の論理がベースというコトも意味しているだろう。

★麻布のような学校になることは、様々な条件が違うから不可能であるが、その精神の自由が成立する教育環境や学びのメカニズムを学ぶことはできる。

★そのメカニズムを研究するには、「論集」や「麻布の中学入試問題」を読み解くところにヒントがあるだろう。

★新タイプ入試のトレンドが2020年中学入試でもさらにダイナミックになる。その中で「思考力入試」というタイプの試験があるが、その試験を最初に作った学校は、公立中高一貫校の適性検査ではなく、麻布の入試問題に学んだ。その学校の今の先生方は、そのときに立ち会っていないから、そのことはもう忘れ去られているだろうが、新タイプ入試にも麻布流儀が影響していることをここに刻んでおきたい。

 

 

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学校雰囲気(01) 生徒応募者数の増減に影響

★学校の雰囲気は、生徒が集まるかどうか相当影響する。何かデータ的な根拠があるのか?そんなのはない。経験的な勘だが、少なくともこの話をして、雰囲気は関係ないでしょうという懐疑的な学校は、やはり生徒募集に苦心しているところが多い。

★ただし、その雰囲気は質の良さかどうかというより、明るいか暗いかだ。そんな安易なものなのか?と反応される時、明るいか暗いかという分け方が安易だという価値観が入っている。この論理が暗さを醸しだす。よって、生徒は集まらない場合が多い。

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★学校選択指標に偏差値は関係ない。でも関係ある。学校の理念がどんなに高邁でも、それが国内の大学合格実績の枠内の場合、そこは競争主義だから、理念はスローガンとなる。しかし、市場は、強い者が好きという価値観がある。たとえば、よしあしは別として、新自由主義が席巻しているのがその証拠だ。だから、高偏差値で大学合格実績が良い学校で、この合格実績枠内の競争を勝ち抜くことに存在理由を見出している学校は、常に強気だし、大学入試改革がどうあれ関係ないという強者の論理がその根底にある。

★この強者の論理が大好きな消費者はいる。どんなに批判しようが、警鐘を鳴らそうが、ここに超富裕層がしっかりといるから、そう簡単に崩れはしない。

★一方で、大学合格実績の枠を超えて、もっと大きな人間としての価値に存在理由を見出している学校は、そもそも偏差値を重視しない。というのも、偏差値は大学合格実績とも連動しているからだ。

★だから、自分の学校の偏差値が高かろうが低かろうが、大きな目的の前には、自分のミッションを追究するのみなので、非常に明るい雰囲気が学校に充満している。ここには、したがって開かれた世界の論理がある。偏差値の壁などあっさり超えている。

★強者の論理も勝ち誇った笑みを隠しながらスマシてはいるが、強い者の自信が明るさとなって文化になっている。同じ明るさでもたしかに違うのだが、消費者の方は、その臭いをかぎ分けることができる。明るいけれども、強者の論理が好きなタイプと開かれた世界の論理が好きなタイプは、明るさの質の違いを間違うことはない。

★しかし、低偏差値の学校で、なんとか大学合格実績で巻き返したいという、やはり競争主義的な存在理由が基礎になっている学校は、どうせうちは偏差値が低い学校だからとか、偏差値のせいで、自分の学校に人が集まらないとか、うちの生徒は偏差値が低いから創造的問題などできないとか、責任転嫁とコンプレックスの塊みたいな言動に満ちている。よって暗い。コンプレックスの論理が満ちていて、何かと人のせいにする。本物を見せてくれといいつつ、自分たちのやっていることだって本物なのに人が集まらないのはなぜなのだと悶々としている。

★すべての問題は、自分の中にあるのだという覚悟が決まらない。そのような学校には生徒が集まらないのは、世の常だ。

★強者の論理が生み出す明るさか、開かれた世界の論理が生成する明るさか、どちらを選ぶかは、すでに消費者自身の中に回答がある。

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