2027年に向けて動く世界と私立中高一貫校(了)2050年以降の社会は、だれもが創造的才能者になる
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★本シリーズでいろいろな角度から見てきた(とはいえご紹介した具体例は少ないのですが)2027年にむけて動く世界を見据えた教育を簡単にまとめると次のような図になります。
★それぞれの要素の多少具体的な内容は、今までのブログを見て頂きたいのですが、ここでようやく明らかにしたいのは、私見ではありますが、PBLのPは、プロジェクトという意味もあるし、プロトタイプという意味もあるし、パテント(特許)という意味も含んでいます。さらにプロジェクトは研究という意味を含んでいます。
★というのも、2027年に向けて動く世界とは、2050年以降の社会にむけて動くということだからです。
★中高生、特に高校生は、18歳成人を迎えます。金融教育だとかデータサイエンスだとか必要だと言われています。それらは、まさにプルラリティ社会を想定しているからでしょう。
★であるなるならば、プロジェクト×プロトタイプ×パテントである必要があります。学び即アントレであることが、ユニバーサル・ベーシック・インカムなプルラリティ社会の基礎になるからです。
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★前回ご紹介したように筑駒は入学段階で創造的才能を開花することに抵抗を感じない生徒がはいってくる入試問題の仕掛けがあるわけです。入学後も当然そうなるわけですが、高大連携や多次元の経験は、湘南白百合に比べれば限定的です。しかし、創造的才能の素養があることが前提になっています。一方湘南白百合は、丁寧で高頻度で行う説明会で、そのような生徒に期待をかけると同時にそうでない場合も入学後自分で創造的才能を開花できるのだという証明をしていきます。
★ですから、湘南白百合の場合は、国語と算数の一教科入試や英語入試、4科目入試など多様な入試のラインナップを用意しています。筑駒湘白型の教科教育は、上記のような図で示せると思います。筑駒の場合は、湘南白百合と比べると媒介項として「高大連携」と「多次元の経験」については限定的で、もっとやりたければ、生徒が自分で探してやればよいという感じですね。ここは国立と私立の差異かもしれません。
★一方いわゆる高偏差値校の教育は、教科教育がメインですね。筑駒湘白型の教科教育と比べると微妙なそして大きな違いがあります。フレームのうち媒介項が違います。高大連携も経験もやはり手厚く実施しますが、湘南白百合に比べるとやはり限定的です。筑駒よりは多様だと思います。ここが国立と私立の差異だし、私学同士の差異でもあるわけです。
★また、思考方法も、ロジカルシンキングが中心です。理数系が中心で、まだ文理融合というところまでは越境しようとはしないので、そうなります。文理融合を実践するには、思考方法を三角ロジックに切り替える必要があります。しかし、ロジカルシンキングで東大は十二分に合格できます。
★湘南白百合は、教科教育以外は、超先進4校と同じようなプログラムを多次元に設定しています。ここがフェリスや横浜共立、横浜雙葉と違うところです。いわゆる高偏差値校で、そこまでやる必要はないのではと思われがちですが、いわゆる高偏差値校は筑駒のように在校生全員が創造的才能を発揮するようにはなっていないのです。それは入試問題が筑駒のようになっていないからです。
★したがって、上記のような図になります。つまり、筑駒湘白型もいわゆる高偏差値型も、在校生の偏差値は高いのですが、在校生全員が創造的才能を開花させているかさせようとしているかは違いがでてきます。
★もちろん、生徒1人ひとり創造的才能者です。しかし、植物と同じように条件がそらわなければ、創造的才能は開花しません。ですから大学に行ってから花開く場合もありますから、それは初等中等教育の役割ではないのだと考えることもできますが、幼児期からに非認知能力を育てることが必要だという言われる時代です。
★そして、リチャード・フロリダ教授や落合陽一さんが語っているように産業構造が第4の産業としてクリエイティブクラスが誕生している時代です。それをうけてSOCIETY5.0の時代が着々と進んでいる時代です。東大をはじめ経団連など高度人材の素養を持った学生を大学入学時から求めている時代です。
★超先進校や筑駒湘白型学校のように、私立中高一貫校が進化していくのは止められないでしょう。
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★2024年の筑駒の国語の問題のうち詩の問題はぜひ子供も大人も考えてみて欲しい。それだけで、リベラルアーツ的な学びを深く体験できてしまうからです。中学受験が過熱過熱と加熱するような感じでメディアはいうけれど、このような問題を解いてみて欲しいものです。たしかに学びにとってあまりふさわしくないと思われる入試問題もあります。そしてそういう問題に限って難しくて、難問とかいってもてはやされます。でもそれはすべてではまったくないのです。今年の筑駒の詩は、文章の中に2編の詩があるものです。いや散文詩の中に2編の自由詩があるといったほうがよいかもしれません。
★児童文学作家である斉藤倫さんの詩集から出題されています。ある少年が筆者のところにやってきて、テストを返してもらったんだけれど、作者の気持ちがわかっていないとフィードバックされてしまったと少し落ち込んでいたというところから出発します。筆者は作者の気持なんかわかんないでしょう。あったこともないのだからと。少年は驚きます。そしてさらに会ったとしてもわからないものでしょうと言われ心が揺さぶられるわけです。まさに詩ですね。
★そこからは問題をご自身で読んでもらいたいのですが、筆者は少年と対話しながら、ことば通り読んでも、実はいろいろな意味やイメージや気持ちがわいてきて、どれが正解か一人ではわからにということを、独りぼっちの詩とわいがやの詩2編を開いてその少年と読みながら対話していくのです。
★わかると思っている先生とわからないと思っている筆者。少年はその二つの意味を詩と筆者との対話を通して、自分なりになにかつかんだようなところで文章は終わっています。
★初期のヴィトゲンシュタインなら言葉の限界が世界の限界だといい、晩年はそこを突破していくのですが、そんな難しい哲学の文章ではなくても、この短い散文詩と自由詩で、その言葉の謎めいたことを子どもと考えていけるのです。
★それにしても中学受験の国語の問題で、登場人物の気持ちを答えなさいとか説明的文章で筆者の言いたいことを要約しなさいとありますが、実はそれは文章に書かれている文字を整理しているにすぎず、本当はわからないのかもしれないと筑駒の先生は問いを投げかけています。
★そして、だからといって斉藤倫さんはわからないものなのだとは結論付けないのですね。言葉と主観と客観とその二元論的な枠組みで理解されている言葉の前提を破壊的創造する文章を提示しているわけです。
★まさにリベラルアーツ的な視点とか発想を筑駒の詩の問題は投げかけてきます。こういう問いに慣れ親しんできた生徒が筑駒に入学するわけです。前回紹介したように、国立ですから湘南白百合のように多様な経験の教育環境をデザインするには限界がありますが、その限界を超えて挑戦をしていくエンジンを自分の中に持っている生徒が入学してくるわけです。全部記述式の問題なので、そういう生徒以外は考え抜けないでしょう。
★そうであるから、このような言語の捉え方を持っている生徒は受験学力に終始することはおそらくないでしょう。
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★超先進4校のような学びのモデルも文句なく魅力的ですが、いわゆる偏差値の上位の生徒が志望する筑波大附属駒場や湘南白百合はいわゆる学歴社会を相対化できる創造的才能者が志望するし育つわけです。
★いわゆる多様で多角的で多次元の学力・資質・能力が、超先進4校のようにグローバル教育×STEAM教育×教科教育×WMWの融合教育によって在校生全員が創造的才能者に変容していくシステムになっているわけです。多様で多次元の経験をシステム化し、そこで自分のやりたいことを見つけた生徒がそれを実現するために必要であれば受験学力もトレーニングしていくのです。
★一方いわゆる高偏差値の学校の場合は、受験学力を身につけるのに抵抗はないのです。しかし、創造的才能者たらんとするかどうかはまた別問題なのです。高度な受験学力者と高度な受験学力も持ち高次元の創造的才能者でもある在校生と二分するのが一般的です。
★ところが筑駒や湘南白百合は、高度な受験学力だけという生徒はほとんどいません。みな高次元の創造的才能者であろうとするし、受験学力もトレーニングします。したがって、ざっくり上記のような分布になっていると思います。
★3つの領域がありますが、どこからでも東大は入ります。同時に20%の領域にいる在校生が、試験直前に経験スイッチを押すか受験スイッチを押すか間違えてしまうと東大ははいらないけれど、東大にはいる実力以上であるという生徒はいるものです。
★筑駒と湘南白百合では、この創造的才能者になるシステムは大きく違います。筑駒は国立ですから、ある程度限界があります。あとは自分で挑戦してということになります。
★湘南白百合の場合は、そこを丁寧に徹底的にサポートするシステムがエンリッチメントなのです。だから、いわゆる偏差値で65以上の生徒が湘南白百合に入学すると日本の教育だけではなく世界の教育のリーダー校になるでしょう。
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★超先進4校は、STEAM教育×グローバル教育×教科教育×World Making Wisdom(WMW:民主主義的智慧)を融合しています。外から見ていると各校独自テーマやツールを使っていますが、先生方や生徒のロールや言動のルールは共通しています。その共通している部分を抽象的に図式してまず並べてみます。
【STEAM教育】
★肝は次の3つのフレームです。「思考実験型問い」と媒介項として「手を動かしながら思考し創り出すためのテクノロジーやエンジニアリングの活用」、思考方法はindutionとdeductionとabductionの三角ロジックを変幻自在に生徒が活用しているということです。そのフレームの中のプログラムのプロセスは、PBL型ですが、オレンジの次のステージに移行する時に、リアリスティックエバリュエーションをするということです。ここでは互いに最近接発達領域を探し出しているということですね。これがなかなか授業を見ていて見えにくいところです。4つの大まかな流れは、だいたいどこでも行うPBLに近いプロセスです。このプロセスだけが、メディアでは注目されます。生徒の没入時と開放の時のそれぞれの表情が実に絵になりますから。それは極めて大事ですが、その表情を表出する内的なメカニズムを教師が推理し試行錯誤し検証しながら経験値として蓄積していっているかどうかです。
【グローバル教育】
★グローバル教育も構造的にはSTEAM教育とは似ていますが、端緒となる問いが違うし、媒介項も違います。思考方法は同じですね。またフレーム内のプログラムのプロセスはほぼ同じです。ただ、3番目のステージの制作物が違います。
【教科教育】
★教科教育もSTEAM教育と同じような構造ですが、要素が違いますね。端緒の問いがいわゆる教科の問いですし、媒介項も違うし、思考方法も三角ロジックというよりロジカルシンキグが中心になってしまいます。知識の定着と知識の共約性と新しい知識編集というプロセスの第3と第4ステージはやはり違いますが、基本PBL型です。
【WMW】
★WMWは、新しい封建制に陥らないような根本的な問いから出発します。この手の問いは、従来の学校教育ではなかなか取り扱われませんでした。今NHKの番組「ニュー試」で取り扱われている、海外の大学、特にケンブリッジやオックスフォード、ミネルバ大学の口頭試問で出題されている問いがそうです。IBのTOKで出題される問いがそれに近いですが、奇想天外ではまだまだありません。
★媒介項は、対話学と発想のテクノロジーということになりますか。フレーム内のプロセスはPBL型ですが、数理モデルや価値の発見という第3ステージと第4ステージは違います。そうそう思考方法には、グッドマンモデルが付加されます。トウールミンモデルがわりと人文系的アプローチであるのに対し、グッドマンモデルは数理×芸術的なアプローチです。つまり、両思考方法の融合が新しいリベラルアーツというわけです。リベラルアーツがなければ実は民主主義と資本主義は支えられないのです。
★以上のような説明だとまたまた何を言っているのかわからないといわれうかもしれません。時間があったら、一つ一つ説明していきますね。今は、似ているけれど、少しずつ違っていて、これらが融合できるのは、構造が似ているからだということを言っておきたかったのです。
★そして、このような4つの学びの融合体を実施している学校をみなさんが探せな、市場のニーズに応えるように学校は覚醒していくでしょう。受験生・保護者の慧眼と見識が良き教育を生み出していくのは常なのです。
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★現在、受験生・保護者のみなさんが学校を選ぶ際の根本的な選択志向性は2通りです。どちらを選ぶも私事の自己決定です。志向性の価値のどちらがよいかは自由です。それを前提に、1つの志向性は、東大をはじめとする難関大学や医学部合格を目指し、2050年までは止まらない新しい封建制の中で勝ち組になることを目指すというものです。もう一つの志向性は、同時並行で進んでいるのですが、新しい封建制度に代わるウェルビーイングな善き社会を自らが創っていく進取の気性に富んだ創造的才能を発揮していき、新しい封建制の中の上位層に従属して自分の価値を抑えていく人生から脱出する道を拓くというものです。
★今、東大をはじめとする難関大学を目指し、あるいは医学部を目指すことを固い決意をもって中学受験に臨んでいる受験生・保護者は本ブログを見る必要はないし、おそらく見ていないでしょう。それで、いやそれが良いと思います。今後の社会は2050年までは、そう簡単に格差社会がなくならないですから、その中で上位のポジションを獲得しようという価値観はあって当然だからです。
★しかし、いわゆる偏差値で55に満たない受験生・保護者でそれ以上の中学を受けようとする受験生と大競争をするのははたしてよいのかどうか少し立ち止まって考えてもよいかもしれません。もちろん、偏差値が50でも果敢にチャレンジしてそのような学校に入り、中学に入ってから英語と数学という別世界で花開く生徒もいます。ですから、それを信じて立ち臨むのももちろん構いません。私事の自己決定が民主主義であり資本主義の世界の大原則ですから。
★でも、偏差値に関係なく、東大とか難関私大も含めて海外大学という選択肢にチャレンジでき、また今目立たなくても2050年にはあのミネルバ大学や国際大学、APUのように力を見せつける大学もでてくる情報をしっかりリサーチしている私立中高があれば、そのような中高を視野に収めておくことも必要だと思うのは私のおせっかいでしょうか。いやまさに、そうかもしれませんね。
★しかし、人生というのは、計画的偶然性とか偶然の必然という言葉がある通り、何かに向かって真剣に臨んでいると、自分が気づいていなかっただけのすばらしい才能が開花するということは大いにあるのです。そんな事例は周りを見ればあふれるほどあります。ただその自覚はない控えめな方が多いし、学歴社会によるゴーレム効果は凄まじいですからそうなってしまうわけです。
★むしろ、東大に合格する話なんて、全国の同学年の0.3%の話です。もちろん希少価値ですが、それに比べて自分のような自分がほかにいないないことの方がよほどレアケースなのです。東大に合格した人間とそうでない人間は、その点において等しくかけがえのない価値があるわけです。こんな当然の権利の話を無視する価値観が学歴主義ですね。
★ですから、その自分の価値を無限に広げられる学校を探すのもよいのではないでしょうか。そのことに徐々に受験生・保護者が気づき始めていて、だんだん難しくなっている4校の超先進校は前回紹介しました。この4校の先生方の授業を実際に見たりヒアリングをしたりリサーチを長年してきた結果、超先進校の条件を仮説としてですが見つけました。
★なかなか説明会だけでは見えないし、具体的な授業をみているだけではいい雰囲気は伝わってきますが、その良い雰囲気の次元の違いはなかな可視化しにくいですよね。ですから、私なりに仮説を立ててみました。このスコープで超先進4校以外もみていけば、2050年社会までに新しい封建社会の中で上位層に従属して、自らの無限の価値に気づかないまま生きていく人生から脱出できると思います。
★それにすでに新しい封建性とウェルビイングな善き社会は並行進化的に形成され始めています。2011年くらいまでは、圧倒的に新しい封建制を目指す動きが大勢を占めていたのですが、2011年3.11の根源的人間の存在の共通体験から徐々にウェルビーイングな善き社会を目指す人々が多くなってきました。
★マイケル・サンデル教授の白熱授業ショックはその動きを反映しています。システム思考やSELやデザイン思考やアート思考などのベースにあるPBLというデューイルネサンスも影響があったでしょう。IB200校計画も逆説的ですが一翼を担ってはいます。落合陽一さんやマルクス・ガブリエルさんが表舞台にでてきたということもその動きを象徴しているかもしれません。
★遠くあの時代モーツアルトが脚光を浴びましたが、それは一つの象徴であって、多くのモーツアルトが同時に生まれています。同じように、今挙げた方々の背景には少しずつ違いますが、ウェルビーイングな善き社会を目指す人々がたくさん存在しているものです。
★そしてこの動きを決定づけたのはパンデミックでしょう。
★いつものように枕が長くなってしまいました。次回からはその超先進校の条件を図を描きながらいっしょに考えていきましょう。
★いずれにしても新しい封建制を引き受けているのに教育改革だと語っている方もいます。それは、その枠組みの中で勝ち組になるための教育改革です。もう一つの教育改革は、そのようなシステムに巻き込まれないように生徒自身が自ら考え意思決定し、仲間と共感して行動できる才能や価値を拡大できるという意味での教育改革です。一般メディアが中学受験過熱だと報道する時、自分たちがどちらのシステムを広報活動しているか明らかにしていないのですが、最近メディアとして自戒をこめて襟を正していきたいというキャスターが多いですよね。それはどういう意味か「主体的・対話的で深い学び」を行うならば、いやそんなことを行うまでもなくわかってしまうことでなのですが。。。。
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★「PLURALITY(プルラリティ) 協働テクノロジーと民主主義の未来オードリー・タン (著), E・グレン・ワイル (著), 山形浩生 (翻訳),」が、サイボーズブックスから今年の12月31日に出版されます。同書は5月にすでに英語で出版されていますから、内容についてはメディアでも取りあげられているし、多くの方が知っている通りです。
★同書のおもしろさは、伊藤穣一さんのいっているようなWeb3.0は実際に動いていて、デジタル民主主義やユニバーサル・ベーシック・インカムのようなニューコモンズも夢ではなくとっくにスタートしているということを再確認できることです。
★日本も2027年には少しずつそちらの方向に動いていることは確実です。世界同時的にパンデミックを乗り越えようとしたときに加速したということのようです。
★今回の東京都知事選や自民党総裁選でも、実はこのことを強力に推進する若い知事や総裁は生まれませんでしたが、そのような志向性の若き候補者がいたということは、彼らが将来知事になったり総裁になったりしないかもしれませんが、そのマスタードの種は小さくともやがて大きな樹になることでしょう。
★そして、そういうマスタードの種は民間セクター、非民間セクターでは驚くほど活発です。大学も一部は動いていますが、ミニストリーの力を忖度しつつ、どこがしたたかに転換するかは興味深いです。
★そして、大学よりもさらに比較的ミニストリーのルールを遵守しつつも自由度の高い私立中高一貫校、特に東京の知事と良好な関係である東京の私立中高一貫校は、そのような各セクターと協働して、STEAMという名を使ってデジタルネイチャーという世界をクリエイトしている学校が出現してきました。
★これができるには、実はグローバル教育が相当破格でないとできません。プルラリティは、テクノロジーだけではなく世界共通言語を持っている必要が今のところ必要だからです。
★もっとも2027年以降は、言語支援テクノロジーが急激に進化しますから、残るは「発想」ということです。
★その発想のおもしろさは、本当に身近なところか世界や宇宙につながっていくオードリー・タンさんやグレン・ワイルさんの発想は大いに参考になります。
★そして、同じような発想で動いているグローバル×STEAM融合教育×民主主義発想の融合を行っている超先進校は聖学院、文大杉並、工学院、和洋九段女子なんです。
★破格のグローバル教育を行っていて世界の民主主義のリーダーを育てようとしている学校もあります。そこはテクノロジーに関する準備もしているので、あっという間に超先進4校と肩を並べるでしょう。
★破格のグローバル教育とSTEAM教育をやっているところもありますが、民主主義的発想の融合にいたっていない場合、イデオロギーの問題が学内にある可能性が高いですね。保護者も実はグローバル富裕層でありますから、学内は居心地がとてもよいはずです。しかし、パラドキシカルにも、それが次の転換を阻むアンコンシャスバイアスとなる可能性があります。このような学校は、トレンドを気にしますから、グローバル×STEAM×民主主義、グローバル×民主主義の学校が成功すれば、乗ってくるでしょう。
★それは現状の日本の政治と同じ感覚ですね。新総裁が、そこを突破してくれることを期待しつつ、待っていないでどんどん進みたいと思います。
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★山本周先生のSTEAM授業を見学しにいったとき、その合間に同じ時間で展開している高1のImmersionの授業も拝見しました。一瞬で、世界の痛みを引き受け真剣に世界を救うソリューションを議論し考えているということが了解できました。
★オールイングリッシュの英語の授業なわけですが、模擬国連をロールモデルにした授業でした。現在のウクライナの状況を平和に導くために、各国に分かれて、それぞれの国ならどのようなソリューションを提示するのか仮説推理(abduction)をしながら議論を進めていきます。最終的にはプレゼン(もちろん英語で)もするということです。
★ミニ模擬国連の手法ではありますが、そのベースには前回ご紹介したICEモデルが機能しています。徹底的にウクライナ現状や各国の現状を地政学的な多角的なアプローチでリサーチし、課題を見つけていきます。そしてその課題解決のために論理的につなぎ合わせるのですが、それは分析哲学者のトウールミンモデルが使われていることは明らかでした。仮説推理をするということはトウールミンモデルに内蔵されている三角ロジックが回転しているということですから。
★英語で、地政学的視点で、分析哲学的視点で、ディスカッションやダイアローグを回転させながら行われる授業が、インターナショナルスクールや欧米のIB校さながら行える教師と真剣なまなざしでその思考世界に没入する生徒。
★控えめに言っても驚きです。世界の未来は彼らの希望の手にあります。
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★昨日久しぶりに聖学院に立ち寄りました。GIC(Global Innovation Class)のSTEAM教員である山本周先生のプロデュースしているSTEAM授業(もはやプロジェクト)を見学しに行きました。随分緑深くなった心癒されるキャンパス空間にしばし足を止めながら校舎に入りました。
★事務の方の丁寧なご対応に恐縮しながら約束の時間よりかなり早めに着いて座して待っていたのですが、すぐに山本周先生が飛んできて、授業まで少し時間があるのでと、GICのカリキュラムについて丁寧に情熱的にそしてクールにプレゼンしてくれました。
★そして、一気に聖学院のカリキュラムマネジメントの凄さが伝わってきたのです。このプレゼン力は、聖学院の生徒とも共振しているなあと思いながら、わかりやすく常に同校の理念がやわらかく相手を見守るような雰囲気で話されるのです。
★それもそのはずです。1週間の授業のうち20%強が教科以外のSTEAM教育、Project、Immersion、Liberal Artsの授業が展開しているのです。この柔軟なカリキュラムマネジメントは、アイデアとその企画実現力が群を抜いている証なのです。次期学習指導要領に先立ちこの4月に省令改正で、柔軟なカリキュラムを組めるという法令がわざわざ規定されたのですが、どこの学校も動けそうにありません。
★ところが聖学院は4年前からGICを立ち上げて、柔軟に学内外のリソースと連携してプロデュースしているのです。そんなワクワクするような内容をプレゼンするのですから、山本周先生の表情が柔らかく、それでいてシンプルに言葉がアウトプットされるはずです。
★それから、その時間割の授業数に対し10%が礼拝に充てられ、生徒の皆さんはその都度教育理念に還って自分を振り返えるのです。つまり、教育活動の30%くらいは、柔軟な学びの時空に浸っているのが聖学院生なのです。そして、当然そのすべての学びの時間がフュージョンしています。
★20%の影響力は、よく言われます。まして30%なのです。その仕掛けをカリキュラムマネジメントしているのですから驚きです。
★そして、なぜ融合が可能なのか?それは山本周先生によると、すべての教育活動でICEモデル(PBLの1つのタイプ)を共有しているからだというのです。
★要するに、対話をしながら基礎的な知識をつなげる発想を転移して多様な世界で生かしていく価値創出をする学びの環境を聖学院の先生方が共有できるカリキュラムマネジメントをしているということでしょう。
★その共有が可能なのは先生方も生徒も決定的な5Tを有しているからでなのです。5Tとは何か?それはいずれ述べたいと思います。
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