創造的対話

2024年5月24日 (金)

湘南白百合 学びのニューコモンズの拠点(1)今までとは違う私立中高一貫校

★本日、湘南白百合で教育関係者対象の学校説明会がありました。同校は、ここ数年神奈川エリアの私立学校の中で最も重要で本質的なことを真正面から唱え、なおかつその本質を実現るために新しい教育環境デザインをし、生徒たちも自らの才能や能力を自ら見出し自ら開発し、その結果社会に貢献するマインドとスキルを見事に実装しています。

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★そして、今年も着々と不易流行よろしく、進化が続いています。そんなとき、今春4月新校長岩瀬有子先生が就任したと聞き及び、これ以上何が始まるのかと不思議に思っていました。教頭水尾先生にいつも同校の現在進行形の不易流行をお聞きしていて、十分凄すぎると思っていただけに、いったい何がさらに起こるのだろうと。

★水尾先生とはいつもバーチャル上で出会っていたので、リアル湘南白百合の教育環境の中でお聞きしたいと思ったのです。

★というわけで、久しぶりに訪れて、やはり改めて驚いてしまいました。予定より1時間30分前(意外と近かったのです)に着いたので、最初の30分くらいは入口から事務室までのキャンパス内にしばらく佇んでいました。すると「あめのみつかい」と「キリエ」などミサ曲が響いてきました。トビの鳴き声も響いていて、音楽と自然の豊かさにしばらく癒されていたわけです。

★社会課題を扱う探究が充実していて、言語活動の視野が広く深いのは知っていました。また学芸大の先生方と幾つかの私立学校とコラボして数理モデルのシミュレーションをする問い作りをしていることも水尾先生からいつも教えて頂いていたので、言語、数学、そして音楽がこんなに豊かに循環している学校なんだと、つまりリベラルアーツが通奏低音としてい響いている学校であることを実感した30分間でした。

★そんなことを想いながら、会の始まるのを楽しみに待っていたのです。そして始まるや、非常にフラットに岩瀬校長が話をはじめました。フラットでフェアでフリーといった感じのプレゼンテーションに、いわゆる古いカトリックの学校の校長とは全く違う雰囲気に驚きました。水尾教頭も同じ雰囲気ですから、これは2025年度入試も湘南白百合はまたまた高人気だろうなあと思いました。

★それにしても、学びのニューコモンズとAIと数学的ものの見方・考え方について自然体で語っているのは、実に興味深かったのです。これは、一般に校長が紋切り型の未来ビジョンを語るのとは全く違うのです。ついにこういう校長がカトリック校からも現れたのかと感動しました。

★金融機関のSEも経験していて、社会課題を考える過程の中で数理モデルを生徒と共に創ってきたという探究活動も実際にやってきたうえで、しっかりAI時代における新しい教育として、キャンパス、教育プログラム、メディアスペースとしての図書館、新しいコンピュータ室、教科の授業は1人1台のクロムブックをグループワークで結んで個別最適化とコラボレーションができるICT環境を創り上げています。自然と社会と精神の分断が起きている現代社会の課題を解消するための学びのニューコモンズが湘南白百合全体の教育環境デザインとしてトータルに構築されているのです。

★このようなニューコモンズのコンセプトは、一般に今の学校の理事長・校長はほとんどもっていないでしょう。情報として知っていて話すことはできても、そのコンセプトを社会実装している校長はレアケースです。しかし、これからはどんどん出てくるのかもしれません。

★ニューコモンズの発想は全球的なウェルビーイングの発想と通じるものですが、コモンズの悲劇と言われるように、倫理が崩れる時、恐ろしいことが訪れます。ですから、学校で実践するのは難しいのです。しかし、湘南白百合はカトリック学校です。エシカルな教育は十八番なのです。ですからパラドキシカルですができるのです。

★一般の学校なら、まずはルールはどうするセキュリティはどうするという議論が先で、なかなか進まないでしょう。

★ですから、岩瀬校長がAIを使って学びのニューコモンズで生徒たちが学んでいる様子をさりげなく語っていたのは、極めて革命的です。そしてそれをすでに具体的に実践して成果をあげていく現場の教員と校長のコンセプトを架け橋する水尾教頭。最強ですね。

★このような組織は、当面首都圏の私立学校では出現しないので、中学入試市場で圧倒的な支持を確立することでしょう。

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東京私立中学高等学校協会 定期総会 開催 東京私学の意義

★昨日(5月23日)、一般財団法人私立中学高等学校協会の定期総会が開催されました。東京の私立中学と私立高校合わせて424校が一堂に会し、東京の私立学校の教育の質を高め東京、日本、世界に貢献する役割を果たす理念を共有する会です。

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★東京の私立学校は、一つの都市に私立の中高が400校強もある世界でもたいへん珍しい存在です。特に東京の公立高校と私立高校に通う生徒は、私立学校の方が多いのです。したがって、知事所轄の私学ですから、都政における教育においても私立学校の教育のビジョンや質は良い影響を与えています。

★東京というグローバル都市と私学のグローバル教育は、相乗効果を生み出しています。また、政府も文部科学省も東京にありますから、国の政策に対しても影響力があります。

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★高い学力を生み出すだけではなく、グローバルリーダーを生み出し、世界と日本の架け橋を構築していく高いレベルでの人材育成の拠点ともなっています。

★そして、それを実現するために、私学助成法にのっとって、助成金や多様な補助金の交渉を、父母の会、私学部、私学財団など多くの団体と協力し提案をしていきます。その意志を確認し、一丸となるために、大きな総会が年に二回開催されています。

★常任理事会と12支部(東京は12エリアに分かれていて、密に情報共有ができるようになっています)の代表が集まる理事会は、月に2回行われ、各支部の会議が月に一度開催されています。

★したがって、受験市場から見ているような、偏差値競争をしているのではなく、互いに高め合い、東京私学全体の質を維持し、未来のグローバル人材がトビ立てる拠点を一丸となってつくろうとしているのです。

★受験生の保護者には、この部分が見えにくいので、受験市場がつくる情報で学校選びをされることが多いでしょう。しかし、それはほんの一部の情報である可能性があります。

★では、どこを見ればその姿がわかるのか?それは、年に3回国際フォーラムで行われる合同相談会などに足を運んでいただけるとありがたいですし、協会の部署である東京私学教育研究所のサイトを見て頂ければ、東京の私学の先生方が協力して創り上げている研修の様子がわかります。ここは、私学の教育の粋を集めた教育プログラム作りや経営のあり方を考える場です。私学の先見性・先進性の動向がわかります。

★そして、各私学の説明会に足を運んでいただければ、その先見性・先進性を共有しながらも、各学校の建学の精神という魂を土台に独自の教育が成立していることが了解できるはずです。

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2024年5月23日 (木)

1%の世界で起きていること 中高の大学化(3)ヘルバルト主義からデューイ主義へ

★100年以上前に、J・デューイ自身が、ヘーゲルからプラグマティズムに発展し、ヘルバルト主義からデューイ主義を確立していきました。この動きは、法律にもあてはまります。当時はドイツでは、ヘーゲルは近代国家の哲学的礎には実はなっていなかったのですね。哲学者はその後も今もヘーゲルを引きずっている方もいますが、もはや法実証主義がベースなのが特に日本ですね。したがって、日本の教育の制度的枠組みは、見えないところで法実証主義です。

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★ところが、教育哲学者は、カントやヘーゲルをベースに、法実証主義の制度を問い返すことなく、思想を広げます。その思想は別に問題ないのですが、現場では実態として有効ではないのです。

★民主主義を維持する制度として、ヘーゲルやカント、もゥ少し遡るとルソーなどの啓蒙主義などの制度構築だけではなかなかうまくいかないのですね。そのことをデューイは民主主義を形成する教育を考えていったとき気づいたのでしょう。

★法実証主義の教育的置換は当時も今も実はトレンドであるヘルバルト主義です。デューイは最初大いに刺激を受けます。ヘーゲル主義を改めていくのは、ヘルバルト主義の影響もあったかもしれません。しかし、ヘーゲルを離れるけれど、かといって法実証主義的な権威主義が拭えない枠組みでは、民主主義は形成できない、そう考えたのでしょう。

★それゆえ、今の指導案のような予め設計して授業を行うのは、「教師の学び」であり「子どもの学び」ではないのだとPBL型の経験や対話、生産をする学びに変えていったのでしょう。そして、その際に「道具」を活用します。ノートと黒板と教科書もツールではありますが、そこには対話を促進する「道具」がないのに気づくわけです。

★今でいう、FabラボやICTは学びのツールです。そしてPBLですから協働的な学びです。チームビルディング。なんとも民主主義です。それにinter-esseを大事にしました。学びは興味関心という関係性が本質なのだと。

★100年以上前にデューイ(もちろん、パースやジェームズやキルパトリックや多くの進歩主義者がかかわっています)が考えたことは不易流行として一部の学校では継承されています。東京の私立学校だと30%は、デューイ型教育を継承しています。

★もちろん、意識はされていないかもしれません。システム思考とかMITメディアラボの方法が継承されているというのが現代的ですが、おそらくデューイのように、欧米の学問的成果をインテグレイトしてプラグマティックな理論と実践を創り上げているのと同じで、広く深い融合的な理論と実践をしているのだと思います。

★デューイの理論というより、デューイのこのような学問の融合という発想に基づいている教育をデューイ主義と呼んで起きます。逆にそのような複雑な理屈ではなく、今でいうPDCAのような設計や計画主義の発想がヘルバルト主義だと呼んでおきましょう。

★こうして考えるとデューイの学びは、リサーチ(研究)型です。ヘルバルトは、配列型で、大学に接続するように合理的に階段を上っていく発想なのです。大量生産型のT型フォード主義といってもよいかもしれません。

★デューイ主義の学びを行っているとしたら、中高でも大学レベルの学びを行っているということになります。

★探究は、実はヘルバルト主義でも行えます。ただし、問いは設定されているので、リサーチ型ではない場合が多いのです。したがって、雑駁ですが、ヘルバルト主義とデューイ主義を対比しておくと1%の動きが見えやすくなります。

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2024年5月22日 (水)

1%の世界で起きていること 中高の大学化(2)哲学対話を生徒と共有してしまう田中歩先生 工学院大学附属中学教頭

★東京で私立中高一貫校と言えば、23区が活況を帯びています。しかし、東京の西の都「八王子」に、驚きの私立中高一貫校があります。そしてその中学の教頭田中歩先生は、さりげなく風のように小さな旋風を巻き起こしています。やがてトルネードになるでしょう。

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(22世紀型教育研究センターも立ち上げた。所長田中歩先生)

★今や21世紀型教育というと当たり前のことばになりましたが、このことばを前面に出して学校の改革を行って世の中の教育の転換にインパクトを与え成功した学校が10校あります。その学校の1つが工学院大学附属で、2013年から11年目の今春、海外大学合格者や医学部に進む生徒が多数出ました。別に大学合格実績を目的にはしてこなかったのですが、自分を深く見つめ、そのやりたいことを6年かけてやってきたらそれを実現するための機関としてそういう大学があったということなのでしょうが。

★田中歩先生は常識はことごとくあっさり覆していきますが、質の高いコモンセンスの持ち主です。アダム・スミス流の心の基準がしっかりあります。英語の教師でもあるし、Aレベルやラウンドスクエア環境を整備する尽力もしました。ですから、実にイギリス的啓蒙主義者、あるいは市民性主義者でもあります。ちょこんと髭がありますが、実にイギルス風ですよね。

★授業も自らIBLを行っています。同校では、プロジェクト型学習は授業や多様な行事で展開されていますから、そのコアになる対話型思考力・判断力・言動力を生徒自身が内蔵してしまうような学びです。

★英米の分析哲学的な背景をもっているので、対話の中でおこるヘーゲリアン的な弁証法的な圧はないのが大きな特徴です。

★生徒も教師も共感し合いながらも、コンフォートゾーンで満足するわけでもないのです。

★自分を見つけるには、一人自分の中にもぐるのではなく、いっしょにいろいろな体験をしながら思考することによって自分とは何者か、他者とは何者か、社会とは何者か、それらすべてを包括する世界とは何者かなどの経験値積み上げていきます。そうして自分の好きな分野に向き合っていくわけです。

★生徒中心主義なので、それを阻害する権威に対しては無手勝流でいつの間にか退けていきます。

★偏差値大好き、権威主義者、学歴主義万歳の方々には遠く理解が及ばない学校です。

★それでいて、難関大学に進学できてしまう生徒のみなさん。

★英語を自在に活用し、ICTも当然使いこなし、対話はアートそのものなのです。アートは共感を呼びながら世界の痛みを共有し、払拭する創意工夫を発案していきます。

★もし、政府が高度人材が足りなくてなんとかしたいと思うのなら、工学院をリサーチすることをお勧めしますが、大事なことは見ても見えないものです。権威主義を払拭できる普遍的市民性の心の眼があればみえるかもしれません。

★そういう本間には見えるのか?と言われるかもしれません。カントのものそれ自体と同じで、見えないけれど在るのです。大事な物とはそういうものだと歴代の偉大な思想家たちも考え続けているわけですよ。

★そうそう、海外の大学って田中歩先生のような対話が当然のようにあるところが多いですね。

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1%の世界で起きていること 中高の大学化(1)新しい高大連携 富士見丘とか湘南白百合とか

★高大接続改革、高大連携、IB、AP、Aレベルなど大学と中高の接続が激しく変化しています。大学側からは学生数の確保、高度人材の確保、中高側からは、進路指導先の確保、生徒の能力を高める機会など多様な考え方が絡み合っています。しかし、一方で、なかなか国内における大学と中高の関係は変わりません。

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★それは偏差値と学歴社会が強く結びついているために、多くの才能や能力が覚醒しないまま終わっているという知のリソースのもったいない状況が続いているからです。

★しかし、この鉄鎖を砕く動きが出ているのも確かです。それは、富士見丘や湘南白百合など中高がすでに日本の大学の1年なみの学びの基盤を創っているからです。イギリスでいえば、ギャップイヤー段階のものだし、アメリカでいえばリベラルアーツなみのものです。

★大学を目指して階段を上っていくというような感じではないのです。すでに大学なみのリサーチを行っているわけです。

★高大連携という名称でくくられてしまうと、大学を目指して階段をステップバイステップという感じでしょうが、学問的リサーチの基礎を中高で学び、しかもそこに大学の教員や大学院生もかかわっています。

★もはや、これは大学のゼミに相当する動きです。中高の先生方が名付けているゼミではないのです。そこに大学の教員がかかわるのです。大学院生がチュータリングをするわけです。

★外から見ていてはおなじような高大連携に見えます。IBやAPと同じように、大学を目指して階段を上がっていくように見えます。IBやAPは、難関大学のための階段をのぼっていくプログラムです。

★ところが富士見丘や湘南白百合は、すでに大学のゼミ形式の高大連携が根付いているのです。

★同じような動きをしている学校が首都圏には30%ぐらいはあります。

★首都圏の私立中学受験者は、全国の同学年の人口の3%ですから、そのような動きをしている学校に通う生徒は、さらに1%の動きです。

★この1%に希望があるのです。小さな動きが、世界を大きく変えるのは歴史の法則ですね。

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2024年5月20日 (月)

2025年からはじまる越境的リサーチの広がり 中高大の動き

★東京の私立中高一貫校を眺めていると、70%は東大を頂点とする学歴社会を無視できないカリキュラムマネジメントをせざるを得ない状況であり、30%は世界的視野をもってカリキュラムマネジメントする私学が出現しています。世界的視野をもったからといって、何か善なる理想に燃えているかというと、もちろん燃えていますが、70%の学校だって理想に燃えています。ただ、30%の学校が実行していることは、その理想に水をかけたり、歩むべき道の障害になったりするもの=アンコンシャスバイアスを無化しようというアグレッシブな動きだといういことなのです。

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(共愛学園前橋国際大学のサイトから。同大学のデジタルグリーン学部の新設は文科省も特筆すべきと評価している)

★その障害となっている壁は、もちろん制度的なものもありますが、その制度さえもアンコンシャスバイアスによって言説化され構築されているという側面もあるくらいですから、たとえば、大学が「女子枠」を設けなくてはならい、それを文科省も推奨するのは、ジェンダー問題に潜むアンコンシャスバイアスを払拭しようという動きとセットになっているわけです。

★ですから、私立学校もそこに思い切りチャレンジすればよいのです。30%の学校はそうやって、偏差値や学歴社会を無化する動きにでてきたのです。もちろん、それは私立中高だけのチャレンジではないのです。総合型選抜の動きや大学・高専機能強化支援事業など文部科学省も高等教育機関を支援し始めているということもあるでしょう。

★高大連携の広がりもあります。もちろん、学生の人口減少に対する生徒獲得戦略としてのねらいもあります。しかし、リベラル資本主義の国であれば、経営のことを考えるのはむしろ当然です。補助されるのが当然だという権威主義的なものは、無化しなければというのが、資本主義のそもそも原理で、そのプリンシプルを追究しているだけでしょう。

★ただ、このリベラル資本主義がエシカル資本主義になるかエゴ資本主義になるかは、人間次第なのです。シンプルにそうです。エゴ資本主義は権威主義になっていきますから。

★だから、偏差値や学歴社会を無化する動きは大事であると同時に警戒もしなければなりません。その外皮をかぶりエゴ資本主義を進める可能性もあるからです。

★さらに、この権威主義的な偏差値や学歴社会を無化する動きが私立中高や文科省の推奨する高等教育の制度の枠組以外から起こってもいます。

★それは、

①インターナショナルスクールが続々日本に上陸

②ミネルバ大学が日本をフィールドワークの場とする

➂ZEN大学の開校予定

★インターナショナルスクールは、富裕層の私立中高からのシフト。ミネルバ大学は高度英語の学びに拍車をかける。ZEN大学はN高などの通信制高校の新しい道をさらに開くという動きを作っています。

★インターナショナルスクールに対しては、私立中高は、その機能を超える教育を開発するようになっています。むしろメリットの方が多いですね。外国人日本人という教育インバウンドにも拍車をかけるでしょう。そして、これは明らかに海外大学への道が大幅に広がります。

★ミネルバ大学は、私立中高の教育にC1英語とPBLとSTEAMを盤石のものにする影響を与えてきました。フィールドワークとオンラインというハイブリッド空間での教育に拍車をかけるでしょう。メリットの方があります。

★ZEN大学が本当に稼働するとしたら、私立中高にも既存の大学にも打撃を与えます。もはや高校卒業資格に74単位も必要がなくなるし、大学もミネルバ大学のオンライン教育をデフォルメするわけです。政府のムーンショット計画の時空を超える生活というものとマッチしてしまいますから、従来の学びや研究の常識を覆すことになります。これはだれにとってメリットなのかデメリットなのか熟慮・熟議するのが良いでしょう。未来はしかし、この方向を進める可能性の方が大です。

★そこで全日制は、74単位のうち36単位は柔軟に活用できるようになりました。しかし、まだ実際には動けていないですね。もっとも、柔軟にせざる得ないでしょう。

★このような時代です。経済道徳合一説の≪私学の系譜≫が再び動き出しています。社会の不安や壁を無化し希望に変える私立学校の動きです。

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2024年5月19日 (日)

立教大学 2026年度から環境学部を新設 文理融合、国内外のフィールドワーク、リベラルアーツ、リーダーシップ、etc.

★今月、立教大学は、2026年度から「環境学部」を新設するとリリース。文理融合ということですが、理系的技術というより理系的発想がベースのような感じです。文科省の理系人材不足解消の政策「大学・高専機能強化支援事業」の一環でもあります。

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★グローバルリスクの中の地政学リスクや気候変動リスク、またそれらも含む複合的な理由による「不安」に囲まれた人間関係のハラスメントリスクなど解決が切迫しています。新設の環境学部は、環境分野のリーダーシップを発揮できる人材の育成を目的にしているようですから、これらすべてのリスクを回避する政策やアクションを想定しているでしょう。

★したがって、国内外のフィールドワークも予定されていて、本格的なリサーチ・リーダーシップを発揮しようという学生が集まってくる期待が高まります。

★香蘭女学校は、すでに立教大学と系属校推薦における推薦枠数を2025年度立教大学入学予定者から160名に増員する締結をしたことを発表しています。1年タイミングがズレていますが、香蘭女学校にとっても環境学部新設は知の選択肢が増えるのですから大歓迎でしょう。

★文理融合というのは、リベラルアーツ的発想が前提ですから、立教大学にとっても、文科省の政策は大歓迎ということでしょう。

★これで、ますます中高時代は、PBLなどによるリサーチの基礎、高度英語力、ICTなどDX力などは盤石にしておく必要があるということでしょう。できれば、PBLはリベラルアーツを背景に埋め込んでおいて欲しいということでしょう。

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経済の世界でも現代思想がわかりやすい社会を読み解くコンセプトレンズになっている 教育の世界でも

★舟津昌平(東京大学大学院経済学研究科講師)さんの新刊「Z世代化する社会: お客様になっていく若者たち」が軽快なノリで、社会の深層にダイブしているのがおもしろい。そして、そのときの切り口を表現するコンセプトレンズが、かつて小難しいと思われていた現代思想の切り口を表現することば(記号)。

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★著書のサブタイトルが、すでにボードリヤールの「消費社会の神話と構造」を思わせないでもない。1970年代以降の哲学や社会学ではやった現代思想のことば(記号)が、経済学や経営学、最近では田内さんのように金融教育でも軽快に活用されている。

★舟津さんは、「ニーズ」とか「欲求」から組み立てられる経済や経営を「不安」というハイデガー的な雰囲気のことば(記号)をつかって読み取っていく。その際、経済や経営を取り巻く社会を構成している「言説」に巻き込まれているZ世代のことばや行い、感情を現代思想のことば「記号」をコンセプトレンズとしてぶつけて、その「言説」のリバタリアン的資本主義の構造を暴いていく。

★私の周りにいる、Z世代は、舟津さんが描くような考え方も感じ方もしないけれど、コスパやタイパ意識は、働き方改革やライフシフトの文脈で自分なりのアイデアをもち、意志決定しながら学んだり生活しているから、同書と必ずしも共振も共鳴もするわけではない。

★ただ、一般的にはたぶんそうなのだろうと了解しながら、そのZ世代のメンタルモデル的な定義よりも、世界で20億人いるZ世代とその0.8%くらいしかいない日本のZ世代との違いには興味と関心がある。舟津さんも最後に語るが、あくまでZ世代を通して現在の社会の構造を見抜くことが目的だということには、それはそうだと思う。

★その際に、その見抜くコンセプトレンズとして、現代思想のことば(記号)を軽快に活用するのがおもしろいのだ。1970年代以降の世界の現代思想は、20世紀の社会構造とその構造を作る側だったり巻き込まれる側だったりという人間の現存在のあり方を分析し、その背景にある、あるいは深層にある本来的な存在を明らかにしようとした。

★しかし、それは哲学者や社会学者の言論の枠組に収容されていて、世間一般では通用されていなかった。むしろ社会は「英語」を広げることで手いっぱいで、20世紀社会の社会課題はファクトとしてつかみ、それに対する対症療法的な小論文構造で語って満足してきた。多少倫理的な正義は付加され、実はそれがぎりぎり社会秩序を維持するエッジだったともいえるかもしれないが。

★公共的な情報提供も、そのファクトがベースで、その背景の根本的な課題について語ることは一般にはなかった。それはあくまで、哲学や社会学でのお話で、一般的な世間という世界では、顧みられてこなかった。

★したがって、21世紀になって、特に文化人類学的なフィールドワークとインタビュー形式のリサーチがおそらく世間にもわかりやすくうけいれられていったということもあって(「探究」という学びはまさにそれを地でいっている)、現代思想のことば(記号)の両義性などの小難しさは括弧に入れられ、わかりやすく哲学と社会学の領域を越境して活用されるようになった。

★アンコンシャスバイアスなどという言説も広く使われるようになり、おそらくそのルーツであるフッサールの現象学的還元などという小難しいことば(記号)が簡易化されてきたということもあり、心理学や経済学というより経営学や金融工学に拡散されていった。

★それに、SNSの功罪として、20世紀ではまだまだ神秘のベールに収まっていた「無意識」のケイオスの状況が、可視化され、サイバースペースに拡散された。それゆえ、そこを世間もどうとらえるか緊迫状況が生まれ、同時に「不安」の生まれるシステムも可視化され、対応方法について誰もが語り得る状況になってしまった。

★それゆえ、それを捉えるアイテム言語として、現代思想のことば(記号)がようやく活用されるようになったのかもしれない。

★1989年生まれの舟津さんの生きた青春時代は、まさに現代思想がファッショナブルになっていく時代でもあり、Z世代誕生前夜時代でもある。

★最近ようやく教育界でも、30代後半から40代前半の教師が、「グローバル」や「探究」プログラムのリーダーシップを発揮するポジションにつきはじめ、田内さんや舟津さんの活用する現代思想のことば(記号)を活用するようになってきている。

★もう一つ世代前だと、その言葉を哲学や社会学の領域の専門用語として幻惑的に活用していたから、広まることはあまりなかったが、それぞれの領域の説明用語として専門的な言説で固められてきたいわばダンジョンを攻略するためのアイテムとして現代思想のことば(記号)を活用するようになったのが、今の30代後半から40代前半の世代だろう。

★それが、今教育界でも水面下ではあるが、ようやく広まっている。まだ、舟津さんのように教育を語る書籍には著わされていないが、もうすぐその時代もやってこよう。

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2024年5月18日 (土)

八雲学園からリアル・グローバルリーダーが広まるわけ

★最近の八雲学園は、その柔らかさと気魄の合力が凄まじいと感じないわけにはいかないのです。教師も生徒も実にウェルカムの精神を大切にしているのですが、その一方で世界を見据えている目線の高さが形づくる凛とした姿勢の気魄は、空手部だけのものではないのです。

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★昨日開催された八雲バラザミーティングを見学(その様子は21世紀型教育機構のサイトにも掲載されています)に行きました。そのときに、八雲学園の榑松先生から少しお話をお聞きすることができました。榑松先生は、RSの名誉会員(世界でも数名しかいません)ですから、RSの国際会議に八雲学園の生徒たちといっしょに行って、多くの加盟校の先生方と対話をして、八雲学園にそのネットワークを強くつないでいきます。

★いっしょに行った生徒たちは、その後ろ姿見ていますから、オープンに自らRSの会員校の生徒たちと対話しネットワークを創る動きをするようです。深圳のグローバル会議で見た榑松先生の姿は、すさまじかったようです。

★おそらく、今回彼らがRS運営委員会を結成し、八雲バラザ会議を再生したのは、その姿がロールモデルだったのかもしれません。

★それは、どんな様子だったかというと、RSの最も大事にしているバラザの機能をもっと活発にして欲しいと提案したことだそうです。榑松先生は、「これは今回に始まったことではないのです。世界的に、リベラル資本主義が少し分断気味で、自由な発言というより権威主義的な構えを作る方向性が少し強くでている傾向があります。バラザは、本来このような風潮を打破するために、IDEALS(Internationalism,Democracy,Environmentalism,Adventure,Leadership,Service)という理念を掲げ、それを各加盟校が実践しようというコミュニティです。ですから、私が感じたことをオープンに言えるわけです。そうするとやはり一緒に来ていた他の学校の先生も同感だと主張し、一気呵成にバラザ活性化の動きが生まれ、最終的に国際会議は目的を十分に果たすことができたのです」と。

★IDEALSという理念を貫徹するためには、反論もお互いにリスペクトすると同時に、であるならばどうするのかすぐに動くという言葉と行いの両立が重要だというのです。

★その加盟校の先生方の姿を見たし、そのリーダーシップを榑松先生がとったのを見たわけです。八雲学園の生徒は、自分たちがバラザミーティングを主催し、IDEALSを学内外に広めていきたいと思い行動に出たのでしょう。

★八雲学園で、RSのIDEALSについて熱く語るのは、副校長の菅原先生です。今回も、こうやってリアル・グローバルリーダーがたくさん育っていくように私たちも尽力するのだともの凄い気概を体中から放っていました。

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2024年5月10日 (金)

成長する組織の「対話学」⑧倫理的あり方か功利主義的あり方か

★最近、エシカル経済が話題になるようになっています。ステークホルダー資本主義がダボス会議で提案され、世界の大企業や政治家や官僚はこの延長線上で語られています。岸田政権の「新しい資本主義」もそうかもしれませんが、日本の場合は、明治時代の私学人渋沢栄一の「道徳経済合一説」があるので、その回帰かもしれません。このエシカル経済も、渋沢栄一的な発想があるかもしれません。

★単に利益を追求するのではなく、地球環境や社会全体の福祉を考慮に入れた持続可能な発展を目指すものですし、企業だけでなく、消費者もまた、購入する製品やサービスの背景にある倫理的な価値を重視することが求められます。これにより、経済活動が社会的、環境的な問題解決に貢献することが期待されているのです。シカルな消費行動は、SDGs(持続可能な開発目標)の達成にも寄与するとされています。

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★しかし、一方で明治の私学人には福沢諭吉もいます。イギリス経済学の考え方を取り入れていますから、どちらかというと功利主義的なあり方を重視します。かといって、功利主義は利益追求主義ではないのです。その極地はリバタリアニズムですから、福沢諭吉は儒教もベースにあるので、ミルあたりの功利主義かなあと。いずれにしても、私学の建学の精神は、渋沢栄一的な倫理的あり方ベースの市場観と福沢諭吉的な功利主義的あり方の市場観の両方があります。

★それゆえ、個人Cタイプは、上記の図のように倫理的在り方ベースのCタイプと功利主義的あり方のCタイプに分かれます。建学の精神の捉え方がこの両タイプでは異なります。

★建学の精神は変えず、時代の流行を並行して新しい価値観市場で支持を得ていくというのが、倫理的在り方に多いCタイプです。一方建学の精神の理解は未完であり、時代と共にその理解は深まり、その理解を促進するのが時代の要請に合わせた流行であるとするのが、功利主義的在り方に多いCタイプです。

★渋沢栄一は儒教とカトリックの影響を受けているので、素朴に真理は真理だ。だから正しきものは変わらない、不変だということになる。今の流行りは福沢諭吉的功利主義です。

★ただ、新自由主義的な利益追求型のリバタリアン型の功利主義は、結局そんな普遍的なものは機能していないということで、不易を見捨ててしまいます。

★私立学校は、ここは保守するのかどうか。基本自分のあり方がハッピーで、その結果組織に貢献するであれば、倫理的あり方とあまり変わらないよねと彼らは語ります。

★私は、カトリックのトミズムの流れなので、交換価値と使用価値の相互補完を考えてしまいます。倫理的功利主義なのです。。。。トミズムの祖トマス・アクイナスは、欧州では今でもものの見方や考え方は生きていますが、日本ではほとんど知られていないかもしれません。資本主義の入口を開いたのは、中世の都市における彼の市場における公正価格の近代的決定論からだと言われています。驚くべきことにそれまでは、神様が公正価格を決めるということになっていたんですが、トマス・アクイナスは神様の名前を借りるんじゃねえ!と論じたのですね。

★利子もそれまで禁止されていましたが、当時の遠隔地商人は、傭兵雇って商売やってましたから、そりゃあそれに見合う対価は支払うべきだと限定的に認めてしまった。

★すかさず、メディチ家は、限定を解除して金融資本主義の初歩的道を開いてしまった。ここらへんは、フィレンツエにおける軍事と商人と修道会のイデオロギー闘争がおもしろいところですが、結局軍事力と経済力に信念は負けてしまいます。時の修道院のリーダーであるドミニコ会士のサヴォナローラは処刑されてしまいます。禁欲なんて近代の入口ではいらないと。もっとも、プロテスタント時代に、禁欲と資本主義がむずびつくのだから歴史はおもしろい。

★この三つ巴の闘争を背景に、そのときの軍人を理想の君主として書いたのが、あの「君主論」です。そして、その軍人の軍師がダ・ヴィンチです。このとき、芸術もまた大輪の花を咲かせていました。

★今後の私学人はどんなあり方で臨めばよいのでしょう。功利主義的倫理市場で進むしかないのでしょう。諸刃の刃ですが。もちろん、啓蒙主義的な市場もありです。しかし、これもイギリス啓蒙主義なのか、フランス啓蒙主義なのか、どれにも属さないルソー的な啓蒙主義なのか。

★≪私学の系譜≫の中で、忘れてならないのは、内村鑑三ですが、彼は経済を大いに認めているのですね。ただ、それよりもっと大事なものはあるんだよと。

★歴史は繰り返します。トマス・アクイナスが壮大な理論を創ったのは、当時の巨大な勢力イスラムの思想と対峙していたからなのですね。その片方で、ヨーロッパは、覇権争いを行っていたわけです。軍事と経済と精神の関係をどう循環させるか、当時の喫緊の課題でした。そのためには、ドミニコ会士は、大学で教授になって知を広めなくてはならなかった。そこで修道士たちの養成マニュアルとしてあの壮大な「神学大全」を書いた。これが、今日のディベートシステムの元祖プログラムです。

★ともあれ、渋沢栄一や福沢諭吉、内村鑑三が生きた明治時代も、まさに軍事力と経済力と教育力の三つ巴の混迷した時代でした。

★そして、今もその構造自身は変わっていません。どうする私学人というわけですね。

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