創造的対話

2026年1月 5日 (月)

2026年のビジョン ポスト・メタモダニズム?

★欧米では1960年代から動き出し、日本では1980年代に、現代思想ブームとなって、モダニズムを批判し、ポストモダニズムの価値観が広まりました。しかしながら、確かに一つの大きな物語に支配されているモダニズムから個々人の価値観中心に動き出した社会は新自由主義によって危うさを感じたというより、空白の経済社会を生み出し、ポストモダンの次が模索されはじめました。その次の世界を何と呼ぶか?ポスト・ポストモダンということなのでしょうが、名称は定まらないまま、21世紀を迎えました。

Metamodernism

(ポスト・メタニズムはまだ始まったばかり、意外と日本から誕生するのかもしれません)

★21世紀は、モダニズムとポストモダニズムとポスト・ポストモダニズムが同時並行的に進み、教育の世界では、ようやくポストモダニズム的な価値観で進み始めているのが日本の現状です。しかし、「主体的・対話的で深い学び」とか「協働的な」学びとか、個々の主観的な価値を大切にしながらも、協働主観的な価値観も実はベースになっていて、すでにポスト・ポストモダニズムに突入しているのですが、いまだモダニズムVSポストモダニズムの枠組みで教育が捉えられています。

★ところが、このポスト・ポストモダニズムに対する名称を2009年ごろから「メタモダニズム」と名付け、明快にメタモダニズムの特徴を示していったのが、欧米です。

 ★ティモテウス・ヴェルメーレンと仲間たちがウェブジン『Notes on Metamodernism』を2009年から2016年まで運営したのが有名らしいです。日本では、まして日本の教育界ではあまり関心を持たれている雰囲気はありませんね。

★その欧米の動きは、ポストモダンの枠組みではもはや説明できず、別の批評的言説――すなわちメタモダニズム――によって構想される必要のある、21世紀文化の展開を記録する長期的・学際的・国際的研究プロジェクトの一部であったようです。

★『Notes on Metamodernism』は2009年5月にティモテウス・ヴェルメーレンとロビン・ファン・デン・アッカーによって創設され、ナディーン・フェスラー、ヒラ・シャハル、ルーク・ターナー、アリソン・ギボンズとともに編集されたようです。7年間の運営期間中、このウェブジンには約50名の批評家や理論家が参加し、時事、ネットワーク文化、現代建築、デザイン、ファッション、アート、音楽、文学、演劇、パフォーマンス、写真、映画・テレビ、理論における動向や傾向について執筆したらしいです。

★メタモダニズムという名づけはしていませんでしたが、この文脈で❝21世紀型教育❞を2011年から仲間たちと提唱し自薦してきたことに今になってようやく気付きました。名づけはしませんでしたが、21世紀型教育とメタモダニズムは呼応していた可能性があります。

★ウェブジンは数十万の読者に届き、世界中の大衆メディアで取り上げられ、各国の国立図書館や研究図書館にインデックスされ、Google Scholar を含むさまざまな引用指標にも登録されているということです。

★しかし、10年前でこのウェブジンの運営は止まっています。その後多くの研究者が論じているということで、ウェブジンの歴史的役割はいったん終えたということかもしれません。

★ところが、日本の教育ではまだウネリにはなっていません。いくつか目に見えない壁があるからでしょう。一方で、落合陽一さんや安宅和人さん、マルクス・ガブリエルさんなどすでにメタモダニズムすら超えているということもあるかもしれません。

★つまり、ポスト・メタモダニズム?かもしれません。21世紀型教育が22世紀型教育にシフトしようという動きがあるのも、少し早すぎますが、彼ら知のイノベーターや世界の動きとシンクロしているのかもしれません。

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2026年1月 4日 (日)

問いは命がけ トゥーランドットの3つの問いともう1つの問い

★新春恒例「NHKニューイヤーオペラコンサート」を見ました。いや聴きましたかな。第68回目ということを知り、日本にオペラを広める努力が続いていることにちょっと感動。しかも今回のテーマは「歌がえがく 心のかたち」というのですから、目に見えないものを言葉と音楽とアーティスティックな時空でデザイン。何か感じるかもと初めてまともに見ました。

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★オペラは「神話」か「恋と死の物語」ばかりだからで、音楽性と物語性の価値のギャップがあると思い込み、全曲を聴くということはしてこないで生きてきました。今回それは機会損失だったなと思い知りました。パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスという三大テノールのオペラのハイライト曲集しか聞いてこなかったのです。彼らが日本に公演しに来た時、チケットを購入したいくらいですから、オペラの音楽的な可能性は感じていましたが、全く浅薄でした。

★ニューイヤーオペラコンサートも全編はとても時間が足りないので、各作品の超要約版でした。しかし、物語の価値を高めるような演出にちょっと驚きました。特に最後の「トゥーランドット」のパフォーマンスはすてきでした。トゥーランドット姫が異国の王子にほかの王子の求婚の時と同じように、3つの謎を問いかけます。答えられなければ死です。異国の王子はすべて解いてしまいます。トゥランドットの心はとり乱れます。そこで、異国の王子は明日の朝までに、自分の名前をあてられたら、私は死にましょうと問いかけます。ここらへんの異国の王子を愛して名を言わぬまま死んでいく従者の娘のことは、心痛め泣いてしまい、身勝手なアッパークラスの行為に怒りを感じますが、そこはともかく、最後はハッピーエンドです。詳しくはググっていただければと。

★私がこの「問いの試練」という物語の構造は、結末や犠牲者という登場人物がいろいろ違いますが、たくさんあるなあと。この認識は発見ではなく、多くの人が語っていることです。研究論文にもなっています。竹取物語やスフィンクスの神話などそうでしょう。

★そう思うと、ユングやフロイトなんかも物語や神話を心理学的に分析していたなあと。言語学でも物語の構造として研究がされていたでしょうし、社会学的にも文化人類学的にもこの構造をどうとらえるか研究はなされているはずです。

★どの視角や視座から分析するのか実に興味深いですね。心理学的には、おそらく拒絶という「自己防衛」や「恐怖」「不安」などの象徴でしょう。同時に解かれた時の「解放感」「癒し」などが対になっているでしょう。なるほど、正解のない問いが世の中的に人気がないのは、結構命がけだからですね。

★また、自分を理解してくれる人の探索の象徴でもあるかもしれません。解けなかったら死だというのは、ちょっとサディスティックだったり、孤独の極致ですよね。誰もどうせ理解してくれないという。

★社会学的には、階級格差の象徴でもありますね。入試問題の問いが、選別の手段として使われていると思ってしまっているところに、現代社会の危機が潜んでいるかもしれません。問いの重要性をこの視角で捉えることはリスクがあるかも。もちろん、リスクは危険であると同時に好機でもあります。ただ、だれにとって好機なのでしょう。

★文化人類学的にはイニシエーションの象徴かもしれません。古い自分を捨て新しい自分になる儀式は、文化人類学の一つのテーマでもあります。

★神話という物語構造としては、聖域の境界線を象徴しているかもしれません。結界とか。異世界転生が流行るのも、もしかしたらこういう構造が時代を超えて受う継がれているからかもしれません。

★こうしてみていくと、問いの重要性とは、多様な視角からとらえても、抽象的には変容や解放を生み出す発想ですね。

★そして、問いは、選抜や研究に限定されるのは、もったいないですね。もちろん、資格を得るわけです、階層構造の上位を目指すわけですから、それもまた社会学的には問いの一つの機能でしょう。しかし、最近注目されているSTEAMというイノベーション教育は、もっと多様な問いの大切な働きを取り戻す教育なのかもしれません。

★つまり、この中にAという芸術があるからです。アートの奏でる問いは、自己変容であり、社会変容であり、世界変容を問いかけているのかもしれないからです。通過儀礼だとしたら、それは自分を変えるけれど、それは秩序を守るメンバーになれるかという問いです。変わるのは自分ですが、自分の内面から変わるかどうかは「?」です。

★自分を変え、社会も変え、世界も変える。なぜ?これがトゥーランドットの異国の王が投げかけた問いの解答かもしれません。

★問いについては、いろいろな視角や視座で考える必要があります。もしかしたら、これが「探究」の最終的な問いかもしれませんね。

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2026年1月 1日 (木)

【謹賀新年】判断のコンパスは変幻自在だけれどフレームは変わらない

★年末、佼成学園の山本亮先生がfacebookで紹介されていた本が気になっていました。それで、元旦の午前中お雑煮を食べながら、ピアニストのガルシアさんのNHKの番組を見て感動しながら、読みました。山田和雅さんの「戦略デザイナーが伝えたい、システムのデザイン( 2025/12/12)」がそれです。ガルシアさんが、嵐山の寺という自然と寺とピアノが一体となった時空で生み出す響きや能登半島の震災でようやく仮設で暮らせるようになった方々とピアノを通して希望を共有している響きを聴きながら、斜め読みでしたが、山田さんの森羅万象を見据えてシステムのデザイン思考という多様な発想をマッシュアップ(私は最近フュージョンという言葉を使っているのですが)のアイデアと実践例にインスパイア―されました。山本先生ありがようございます!

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★昨年度から2027年度にかけてフュージョン教育研究会を開いています。また株式会社ONETESの代表山下一さんとは「思考コード」をどう拡張転移していけるのか対話を続けています。山田さんの同書は、この文脈と共振し、次のような感想を抱かせてくれました。

「私たち人間の命は、思考活動や表現活動が、森羅万象と複雑だけれど適切な関係を生成することによって支えられています。森羅万象は刻々と変化するけれど、人間のみならず地球全体のそれぞれの生命の平衡を維持するように動いています。
 ですから、私たちの思考活動や表現活動は、そのつど生命を守る判断を求められ続けます。選択肢に直面したり、適切な選択肢がなくて創るときがあったりするのです。
 森羅万象は地球環境すべてというマクロレベルな動きと制度で構築されている社会というメゾレベルでの動きと個々の単位であるミクロレベルの動きがダイナミックにつながるように動きます。
 しかし、この適切な循環というエコシステムは普段は複雑すぎて見えません。それゆえ、適切でない判断がエコシステムにダメージを与えることはしばしばです。というより、近代社会は壊し続けてきたというのが本当のところかもしれません。今この破壊を止めるべく、マクロレベル、メゾレベル、ミクロレベルをつなげようとするエコシステムを創っていく判断基準の3つのレベルを通して一貫して有機的につながるチャレンジがされています。そのチャレンジの中で、ざっくりとした基準フレームは、縦軸がマクロ、メゾ、ミクロの次元、横軸が過去、現在、未来という時間軸のマトリクスになっています。
 その縦軸と横軸のフレームは変わりませんが、森羅万象の複雑な変化によって、個人や組織や地球は調整転移して判断基準をつくり、そのコンパスを頼りにして思考活動や表現活動を遂行し、命を守っています。9つのドメインを創るフレームは変わらないのですが、その縦軸と横軸の各次元は変わります。
 判断のコンパスは変幻自在だけれどフレームは不変なのです。」

★これをGooglenotebookLMで絵にしたのが次のイメージです。

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★思考コードは、この判断のコンパスの相対的に具体的な姿であるということがわかりました。今年は、この「判断のコンパス」を手がかりに、活動していこうかなと。

★さて、これから親族と新年を祝って飲みましょう。無目的な集まりは共愉ですね。

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2025年12月30日 (火)

【今年を振り返って➋】グリコのおまけにヒントあり?旧友がお前の話は「おまけ」の比率が高すぎるぞと。

★毎年この年末あるいは年始の時期は30年以上の付き合いのある友人とじっくり対話します。もちろん、特にテーマもなにもないし、それぞれの仕事は利害関係もないので、とっちらかった話なのです。ただ、家族の話や自分たちの老人にありがちの病気自慢話には花が咲きます(微笑)。友人との出会いは、米国とノートパソコンでした。いっしょに仕事をしはじめて、教育業界で、米国の学習理論とノートパソコンを活用した情報収集やプレゼン資料を作りまくっていました。

★そして、話だけではおもしろくないので、ちょうどHISの海外の格安チケット販売がブームになってきたときだったので、20世紀末に、格安で米国に視察に行き、ノートパソコンでインターネットを活用する環境をつくりました。2007年までは、海外を共に経めぐりながら、ITの可能性を探りました。グローバル教育とイノベーション教育の発想はそのとき以来続いています。しかし、友人は社会学的発想をおもしろがっていたし、こちらは哲学的発想をおもしろがっていたので、そこからは別々の道に進みました。ソフトパワーの重要性は共通認識だったのですが、捉え方が違っていたからです。

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★それでも、へーゲリアンウェイやプラグマティズムについては捉え方はだいぶ違いますが、共通しているので、年に1,2度の対話は続いています。今年も相変わらずものの見方は違いますが、最終的には、新しい方向性のヒントをもらいます。もらうのはいつも私の方なのです(汗かつ微笑)。

★友人が言うには、おまえの話はいつもグリコの「おまけ」の部分の比率が高すぎる。もっとバランスは考えないのかと言うのです。そういわれて、たしかにいつも「おまけ」をどう新しくするかばかりを考えて、小さい動きですが実行しています。

★実際には、友人の方が「おまけ」大好きです(笑)。ただ、実生活においては「おまけ」と「実質」のバランスを計算していますね。ところが、私は計算はしていますが、「おまけ」ばかり見ているような気が確かにします。同僚からも、今は本間さんの話にかかわらないですよ。目の前の仕事やりますからねとよく言われます(笑)。

★しかし、友人の話はそれで終わりではなかったのです。「おまけ」と「実質」をつなぐミッシングリンクが何かだろうよと。友人はその回答は言いません。聞いてもわからんなあと言うでしょう。もし回答したら、それいいねやろうよとなるのは見えているからです。やるんならお前が自分で考えて勝手にやりなということです。

★で、頂きました(笑)。そのミッシングリンクが何か?それが2026年の探究ではなく探求・冒険のテーマとして降りてきました。もちろんグリコのおまけの話はメタファーです。その前にグリコのおまけの歴史もググってみました。壁打ちにして最終的にこんな回答に落ち着きました。

「グリコのおまけは、100年以上にわたり子どもたちの「わくわく」をつくり続けてきた存在です。最初の絵カードから始まり、時代ごとにフィギュアや組み立て玩具へと姿を変えながら、開ける瞬間のドキドキを大切にしてきました。そこには「おいしさと健康を届け、子どもの成長を応援する」というグリコの変わらない思いが込められています。現在のおまけは環境に配慮した木製素材を採用し、日用品と組み合わせて遊べる仕掛けが施されており、子どもたちが自由に発想を広げられるよう工夫されています。こうした遊び心あふれる進化は、グリコのおまけが単なる付属品ではなく、世代を超えて創造力を刺激する小さな冒険の入口であり続けていることを示しています。」 

★このグリコのおまけの歴史を知ったうえで、友人は語っていたのだと、改めて感服。

★そうそう、友人は英語が堪能でPBLも得意でICT(生成AIはもちろんんこと)の実装力もすさまじい。そこに「おまけ」をちょっと付け加えると、22世紀の世界を開いていく人間像に近い姿になります。今も世界を飛び回り、世界の同じような質感の教師たちと子供の才能の「おまけ」と「実質」を引き出す方法を交換し共有している教育的な知的好奇心の塊です。

★そして、友人の隣人には、この「おまけ」も兼ね備えた教師もいます。その教師とも10年以上の交流をさせていただいていてよく対話するのですが、不思議と3人で対話したことはないのです(笑)。

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2025年12月29日 (月)

【今年を振り返って】学校選択の決め手:対話をするとき3タイプの理解方法を柔軟に融合する教師がどれくらいいるか?

★学校の授業や多様な教育活動において、教師と生徒、生徒と生徒が対話をする環境をデザインすることが求められています。その象徴的な手法が「主体的・対話的で深い学び」です。これを実行しようとする、対話は欠かせないのですが、互いが主体的に対話する必要があります。もしどちらかが受け身だとそれは対話ではなくなりますから。また、対話は自分と他者の化学反応を引き起こします。それが深い学びになります。

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★ということはその前提に互いの違いというものがあります。ものの見方や考え方、感じ方などの相違点と共通点があるからこそ第三のアイデアが生まれ深い学びが加速します。

★このような違いや共通点はどこからうまれてくるのでしょうか?それは以外にも思考の方法の特徴が違うので、ものの見方に違いが生まれ、ものの見方の違いは、感じ方の違いにも影響します。もちろん、ものの違いが違うから、考え方の違いや感じ方の違いに影響を与えるという循環が起こっているわけです。

★とはいえ、ものの見方や感じ方は複雑です。ところが思考方法の違いはだいたい3つくらいです。したがって、その3つの思考方法のタイプを確認するところからはじめたらよいのではないかと。

★一般に、人が何かを知ろうとすると、まずは物事を理解します。それが一つの事実としての理解になります。その事実を他の事実と結びつけるときにロジカルに因果関係を積み上げていくタイプと幾つかのアナロジーでつなげていくタイプとメタファーでいきなり結びつけるタイプと3種類あります。

★この違いを互いにリスペクトしながら対話していくとおもしろいものや発想が生まれ、それを実装にもっていこうとすると因果関係を積み上げていくことが重要になります。いずれにしても、エビデンスを見つけたり検証したりするときは、因果関係や相関関係が必要です。ただ、その因果関係だけだと新しいものや発想が生まれにくいということもあります。因果関係を積み上げるロジカルタイプとアナロジータイプやメタファータイプのコラボレーションが重要だということです。

★そして、さらにコラボレーションできるには、3つをつなぐ判断基準が必要です。それは直観的にということもあるでしょう。論理的にということもあるでしょう。身体的にということもあるでしょう。この判断基準の精度をあげていくには、経験しかないのかもしれません。同時にそれを見える化する方法のあくなき追究も必要ですが、これはもしかしたら学問や研究の重要な意味なのかもしれません。中高教育ではシンプルなリフレクションルーブリックの作成ということになるかもしれません。

★実は、今年、このような話をして意気投合してしまう校長先生や教頭先生に複数出会いました。また、このような話には興味がないという表情をされる方とも会いました。意気投合する校長や教頭のいる学校は、この対話の間口の広さと奥行きの深さを組織として創り上げています。よって、人気があります。

★逆に興味がないという校長や教頭がいる学校も、別の基準で人気がある学校もあるし、その別の基準は競争の尺度なので、負け組になるところもあります。

★学校選択は私事の自己決定ですから、選択の自由です。ただ、未来にかけてサバイバルする学校は、対話のシステムが立体的にデザインされているところです。競争的価値観は相対的で移ろいゆくものだからです。ただ、対話のシステムのデザインがされているかどうかは、なかなか目に見えるものではありません。説明会でお話をする校長先生をはじめ、多くの先生方や生徒の皆さんの対話の雰囲気を感じる以外になさそうです。

★とはいえ、それをなんとか言語化したり図式化したりすることにチャレンジし始めている学校も増えています。そのような学校と出会えるとよいですね。

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2025年12月28日 (日)

2026年中学入試(16)国立音楽大学附属「KUNIONミライ探究」 学際的プログラムのエンジンに音楽の響き

★shuTOMO 第34号(2025年12月14日発行)に、国立音楽大学附属中学校・高等学校で行われている「KUNIONミライ探究」という画期的ゼミ活動の記事が載っています。副校長の滝澤秀先生によると、この探究は生徒が自ら考え行動する力を育てることを目的に始まり、現在は12のゼミに広がっているようです。

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(副校長の滝澤先生と二人の生徒さんの対話が感動的です。貴重な動画をご覧ください)

★芸術祭で、生徒たちが探究の成果を発表している様子も載っていました。自然農法を研究するAさんは、虫の減少への危機感から環境に優しい農業を学び始め、和紙を使った土壌改善など具体的な実践を紹介していました。英語圏児童文学を学ぶBさんは、作品を読み返す体験を通して、自分の気持ちを言葉にする力や対話の大切さを実感したと語っています。

★また、探究と音楽の関係について尋ねると、Aさんはジャズの即興演奏と探究のプロセスが似ていると話し、Bさんは文学と音楽を「形を変えた言葉」と捉え、互いに影響し合うと述べていました。

★生徒の興味から広がる学びが、音楽を軸に多様な分野へつながっていく「KUNIONミライ探究」。未来を自ら切り開く力を育む取り組みとして注目されます。

★そして、音楽のデザインの仕掛けが多様な探究領域の学びの仕掛けと共振することを証明している唯一無二の学校。それがKUNIONなのでしょう。

 

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2025年12月19日 (金)

2026年中学入試(07)文大杉並の帰国生応募者数高め安定の理由

★文大杉並の入試広報部長西田先生から、今年度の中学の帰国生入試の最終結果の連絡をいただきました。トータルで117名という大人数です。首都圏の中学受験生数の3%弱が帰国生人口ですから、この人数がいかに多いか、そして文大杉並が注目されているかがわかります。

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★2023年は109名、2024年は79名、2025年は141名(首都圏模試センター出願倍率速報による)ですから、多少昨年より減ったと言っても高め安定です。それはなぜでしょうか。

★それは言うまでもなく高校のDD(ダブルディグリー)コースに向けた全学的な文大杉並のグローバル環境が最高に魅力的だからです。帰国生にとって、海外の経験を日常の学園生活の中で継続できるのです。

★中学3年生になった時点で、準一級以上の生徒が20%弱、2級以上だと50%弱の生徒が取得しているのです。日本の大学入試では、英検2級あればかなりアドバンテージが高いというのは周知の事実ですが、それが中学の段階で約半分が到達できてしまうのです。

★しかもこれは年々右肩上がりになります。いずれ学校全体がほぼバイリンガル状態になるでしょう。

★したがって、帰国生入試の難度は当然爆上がりになるわけです。そうなると、当然、敬遠組もでてきますから、今回のように高め安定という状態が続くでしょう。

★そうそう、文大杉並の外国人教師の数は20人以上です。DDコースがあるので当然ですが、まさに海外の高校の環境があるわけです。ちなみに、東京の私立学校で20人以上の外国人教師がいる学校の割合はどのくらいかわかりますか?実はたったの2%です。

★帰国生に人気があるのは当然なのです!そして、その帰国生の活躍が、国内生のイノべーティブな活躍と相乗効果を生み出し、文大杉並の雰囲気はよくなる一方なのです。

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2025年12月16日 (火)

縄文式土器と弥生式土器と生成AI

★昨日聖パウロ学園の情報と国語の教諭高橋先生と生成AIの効率性だけではなく、本質を回復する可能性について立ち話をしました。生成AIに限らず、道具の実用性と意味性は古典的な問題ですが、この背景には、機械などの道具が、近代社会の影の増幅装置という側面ばかりが強調されてきた経緯があります。生成AIもその延長上で語られることが多いのですが、高橋先生は生徒と美学的な使い方をしているので、このようなゴーレム的な発想は生徒と共有していません。

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★家路に向かう電車の中で、生成AIに問いかけながら、最終的に縄文式土器と弥生式土器の違いのアナロジーを生成AIに活用するとどうなるのか問うてみました。ちょこちょこ対話しながら、最終的には、生成AIは、次のような文章にまとめてきました。それをGooglenotebookLMに一枚の絵にしてもらったのが上記の図です。文章もそうですが、生成AIはどうしてもわかりやすい二項対立の構図にしてきます。

「縄文式土器と弥生式土器の違いは、日本文明の進歩を象徴しています。縄文式土器は厚手で装飾性が高く、狩猟採集社会の精神性や自然との交感を体現した「本質的存在」でした。一方、弥生式土器は薄手で高温焼成され、壺や甕など用途別に分化し、食料の保存や調理に適した「効率性」を追求しました。これにより農耕社会が成立し、人口増加や定住化、階層社会の形成が進み、文明の基盤が整えられました。つまり、縄文土器は文化の象徴としての存在意義を示し、弥生土器は効率的な生産と分配を可能にする道具として文明を前進させたのです。このアナロジーを現代に重ねると、生成AIは弥生土器のように効率性を高める技術であると同時に、縄文的な人間の本来性を回復する可能性を秘めています。具体的には、①失われた自然観や伝統知を再構築し人々に提示する、②人間と協働して詩や物語など共同創造を促す、③効率化だけでなく精神性や意味を問い直す場を提供する、といった方法です。したがって生成AIは、効率と本質を統合し、文化と文明を同時に進歩させる新しい「器」として位置づけられるのです。」 

★正ー反ー合というダイアローグ(弁証法)的な流れを作ってきますが、どのように融合するのかどうも言葉だけにおわりがちです。プロンプトをどのようにせっていすべきか?それとも、そこは人間が考えるということなのか?

★いずれにしても、今度また高橋先生と立ち話をしなくてはと。。。

★ああ、それから、縄文文化が本質的という設定はもう少し考えなくてはと思うのですが。。。

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社会的ラベリングを拡散するゴーレム効果を払拭する心理的安全な環境をデザインする教師はたくさんいる

★次の文章をGooglenotebookLMで一枚の絵にしてもらいました。漢字が若干変なところもありますが、イメージはこんな感じでかなと。

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★今日というか久しい間そうなのですが、教師の仕事や価値を貶める言説が横行しています。そんなことを広める評論家、学者、メディアなどが、あたかもすべての教師がそうであるかのような社会ラベリングをしているのに、そのことに気づかないで批判という名の非難をしているのによく出くわします。

★ありもしない学校改革を挑発しているのか、それとも自己のルサンチマンの責任転嫁でもしようというのでしょうか。そんなゴーレム効果の連鎖を拡大し、そこに子供を追い詰めようとでもいうのでしょうか。

★教師に限らず、そんな社会的ラベリングをする人は、多くの人を貶めます。なぜそんなゴーレム社会を捏造しようというのかわかりませんが、世の中、ピグマリオンよりゴーレムの方が好きなようです。

★したがって、むしろ教師の多くは、そのようなゴーレム社会の汚染を払拭するために心理的安全な環境をデザインしているのです。ある意味、ヒーローアカデミアなのです。

★このような教師の仕事や価値をリスペクトできるメディアが必要です。

★そう言うと、ネガティブな側面を見ないようにしているのはいかががなものかという方も結構いますよね。

★そうではないのです。人権を遵守するのは大前提なのです。だから心理的安全なのです。ゴーレム社会は、人権の侵害につながる場合多いかもしれませんよ。ハラスメントが生まれる寸前が社会的ラベリング行為なのですから。

★人権を守る毅然とした構えこそポジティブな側面にきちんと光をあてます。そこに希望があるのです。

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2025年12月15日 (月)

京華女子 本質から学ぶシステムを土台に「国際」と「教養」の教育

京華女子の教務主任二俣先生、進路指導部主任高岡先生から、同校の本質を土台にしている教育についてお話をお聞きしました。本質というと精神的な側面が強いと思われるかもしれませんが、そのコアの精神を実践に浸透していく緻密なシステムができているということです。このことは、一般的にはなかなか実現できないことですから、驚愕でした。マインドとシステムが循環しているというのは、日本の教育において稀有なことなのです。

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★そして、新校舎になってから、京華学園は、ワンキャンパスとして、男子校の京華も商業の京華も女子と同じく正門やグラウンドなどを共有しているということです。授業そのものは完全に女子と男子は別ですが、英検対策のときなど女子と男子が同じ講座に出ることもあるそうです。

★男女別学の新しい文化が生まれているということでしょう。

★女子校の特色は、「国際」と「教養」の教育が、本質を土台にしているということもあり、この新しいワンキャンパスや男女別学の新しい文化も「国際」教育を支えるものの見方・考え方として教養教育の環境になるようです。

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★京華女子の「国際」の意味は、その根っこに世界に通じる「教養」という異文化を理解する力や共感する力、何より批判的思考という自分の軸を世界に通用する確固たるものとして磨き上げながら、複雑な世界の情報を鵜吞みにせず、自分の眼と足で判断できる力を身につけることが土台にあるということです。

★では、その教養を磨き上げるにはどうしたらよいのか?それは「対話」を大切にするということです。ですから、同校の授業ではどの科目もどの教育活動でも「対話」が広がるデザインがされているということです。

★そして、その「対話」のシステムは、各教科単元などコンテンツは違っても、共通構造としての思考力・判断力・表現力を回転させるルーブリックが出来上がっています。

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★このルーブリックは教師のみならず、生徒自身も自分に向かい合い内省するときに活用しているということです。建学の精神とそれを実現する複眼的な視点が共有されているのです。

★このルーブリックをベースに自分の学びや進路を内省していくことで、自分が未来に向かっていまここで何をするるのか明らかにしていけるのです。

★京華女子が、年々人気も高まり、進路実績も右肩上がりなのは、このマインドとシステムが回転しているからですが、大切なことは、1学年の定員が60名という少人数教育だからこそ可能だということなのです。

★ルーブリックという発想は、そもそも一クラスの人数が30人以下の海外の教育システムの中で生まれています。そして少人数教育だからこそそれは効果的であることは実証されているのです。従来の5段階や偏差値という総括的評価は、大人数の評価をするのには効果的であったわけです。ただ、教養のような正解のない探索し続けるような力を診断すつことはもともと目的ではなかったのす。ところが、今後は、教養が重要になってきます。そこを見るには少人数教育できめ細かくルーブリックで教師と生徒が共に内省しながら資質能力を豊かにしていく環境デザインが必要になってきます。

★そのような豊かな教育は一朝一夕にはできません。それなのに京華女子は、すでにできているのです。ずいぶん前から積み上げてきた結果であり、それがゆえに、今や未来の新しい女子校の教育の先駆けとなっているのでしょう。

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