大学入試

2024年7月 6日 (土)

2026年中学入試も大学入試も、MIGRIT型に変貌する!?総合型選抜が全く違う意味で重要になる。

昨日GLICC代表鈴木さんと対話しました。日本の政治経済のみならず世界も変動しているのは、今が困った状態だからなのは言いうまでもありません。身の回りで、価値が急上昇しているものとそうでないものが現れていて、多くの市民にとっては、よい状態ではない。でもある限られた層は安泰というのが、あからさまになっています。こんな露骨な格差の状況の中で、サバイバルマインドとサバイバルスキルを身につけることが教育に求められはじめているのは当然だよねという対話でした。

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★配信終了後、二人でリフレクションして、同じことを言っているつもりでも、どこか違いがあったようなという対話になりました。私が中学入試のルール内で話している帰国生入試や英語入試の話が、鈴木さんのグローバルアドミッションから見ると狭いわけです。

★その違いはどこから来るのだろうかという話になっていたと思います。そこで気づいたのは、鈴木さんは、大学入試における帰国生入試から中学入試の帰国生入試や英語入試を見て語っているということに気づきました。

★大学の帰国生入試は、アフターコロナになって大きく変わっています。早稲田大学と慶應義塾大学で、帰国生入試を縮小や廃止する学部もでてきたわけです。両大学は来年2025年からそうします。大学入試における帰国生入試は、外国の高校を卒業することが条件です。ところがコロナによって阻まれ、海外就学経験はあるが卒業できなかったという生徒が増えているわけです。

★そこで、海外就学経験者に早稲田の政経は「グローバル入試」、慶應義塾大学の経済は「PEARL入試」といういわば総合型選抜を設けているわけです。これは国内生でもハイレベル英語学習経験者であればチャレンジできます。

★中学入試の帰国生入試は、大学の場合とは違い、一定期間海外就学しているということが条件で、海外の小学校卒業は条件にはないわけです。東京の場合は、公立と私立などの間で紳士協定があって、国内の英語学習経験者は、帰国生入試を受験する資格はありません。

★鈴木さんのグローバルアドミッションからすれば、大学は、帰国生入試を減らして、グローバル入試などの総合型選抜に変わっていく。そこにおいてはハイレベル英語学習経験者で創造的思考力などのクリエイティブな才能とそれを生み出してきた体験が重視されるというわけです。

★ハイレベル英語力と高度思考力と豊かな経験。その経験は文理融合的なものです。

★すると、中学入試も、その影響が大きく出てきます。2025年の早稲田大学と慶應義塾大学の帰国生入試と総合型選抜を融合した新しい入試への移行。海外就学体験者であれ、国内でハイレベル英語学習体験者であれ、区別なくチャレンジできる入試が注目を浴びます。同じようなタイプが2027年東大でも行われます。

★中学入試は、今まで2科・4科テストと新タイプ入試というように分けられてきましたが、2026年には、その区別はなくなり、要するに自分の得意な入試科目は何かという入試になるでしょう。大学入試はすでにそうなってしまっています。

★これは、まさにMI(多重知能)のどれか一つでも得意=好奇心旺盛な学びができ、その姿勢がGRIT(やり抜く力)であることを要求するという入試概念に中学入試も大学入試も変わっていくということです。これが確立したら順次高校入試も変わるでしょう。すでに適性検査型に変わっているので、あっという間だと思います。

★このようなコンセプトの入試をMIGRIT入試とでも呼んで起きましょう。そしてこれによって生徒1人ひとりの3Tが実現するわけです。タレントである才能はすべての生徒がオンリーワンのものをもっています。それが市場で売れるかどうかは、本人のアイデアと仲間力にかかっています。テクノロジーはICTのみならず感情や思考や行動、組織をマネジメントできるかどうかというスキルです。その道具として生成AIをはじめとするICTは今後は欠かせないでしょう。そしてトレランスという寛容性。こんな複雑な世界は、ひとりではサバイバルできません。仲間と共感し、自然と共生し、社会と共創するしかありません。多様な価値観やものの見方が衝突する世の中です。トレランスという寛容な心の余白が必要でしょう。

★この2026年のMIGRIT入試コンセプトの移行を、中学入試において促進するきっかけは、来春豊島岡女子が実施する算数×英語資格利用入試と八雲学園が実施するすべての2科・4科テストに英語資格利用を導入するということでしょう。

★自分の得意教科をいかし、自分なりの3T能力を磨ける学校探しが始まります。その学校探しを可能にするのは、MIGRIT入試です。もちろん、この言葉は使われないでしょうが、実質広がっていくということになります。

★大学入試において、総合型選抜がますますMIGRIT入試コンセプトが濃厚になっていくことは間違いありません。

★そうそう、このMIGRIT入試をすでに実施しているところがあります。それが湘南白百合と工学院大学附属です。

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2024年6月30日 (日)

デザイン思考そのものは終焉しないけれど・・・ 龍安寺石庭で

★先週の金曜日に京都で研修が終了して、久々に幾人かの友人と会い、飲みました。友人と言っても教育関係者ですから、結局はこれからの学校の新しい姿を描く話ですが。リアルには、限られた友人なのですが、並行してSNSで他の知人や友人から情報が上がってきますから、その情報も交えながら対話します。直接ビジネスの話ではないので、あくまでフレームストーミングで、次元をいかに変換していくか。対話の次元を上げるという発想も、その対話の中から生まれてきて、なかなかよい余白でした。

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★だいぶ飲みすぎたので、そのことを予め予想して、チェックアウトが11時までOKという宿をとっていました。何せ、新幹線も混んでいて、夜になるとたいへんだろうと思いながら、チェックアウトしたら早々に帰ろうかと。とはいえ、京都の北エリアの寺は一つみたいなあと。金閣は外国の方でいっぱいだと聞いたので、友人と龍安寺の石庭で待ち合わせました。

★本当は龍の和室から見たかったのですが、はいれません。外国人の方と並んで、私たちも縁側に座って1時間以上対話してしまいました。お昼時だったので、なぜか空いていたのです。近況について語りながら、どうしても私たちの考案している(すでに特許はとっています)学びのコンセプトの通用性や汎用性、レバレッジポイントになるかどうか等々話していました。

★その一方で、私は、昨年末米IDEOの事業縮小・日本やミュンヘン撤退の報道があってから、「デザイン思考終焉論」がメディアで語られていることが気になっていて、時々この方丈庭園を数学的思考で解き明かすとどうなるのかねと友人に尋ねたりしていました。幾何的な話や視点の話など、それから庭園上空が昨日の大雨と打って変わってさわやかだったので、そっちの話になったり。特に正解は、いつもながらないのですが。

★ただ、おもしろかったのは、方丈全体の絵柄は、15個がいっぺんに見えないねという定番の話をしながら、小さな砂のような白い石が敷き詰められ、宇宙的な模様が描かれているのが、やはりこれはアート思考だなと。

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★そして、一つ一つの島のような石を眺めているうちにこのフォーカスされた造作はデザイン思考だなと。そして石庭の上空は、人工的な石庭を包むような大空と雲がくっきり。水蒸気と湿度と気温が京都の琵琶湖とつながっている地下水脈と循環しているのが描かれている驚きのシーンが石庭とマッチしているのに二人で感動していました。

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★これはシステム思考のアナロジーになるなと。アート思考もデザイン思考もシステム思考も世界の切り取り方がちがうだけで、その切り取られた世界を認識したり、あるときは石庭や寺の杜のように人工的に創ったりするときに、それぞれの切り取られた世界ごとに適切な方法なのだと。

★よって、なぜIDEOが撤退するのか、わかりませんが、デザイン思考そのものがなくなるとかという話ではないだろうなあと感じた次第です。ただ言えることは、今トレンドの探究ですが、デザイン思考だけで押し通すことはやはり限界があります。それはアート思考もシステム思考も同様です。

★学びの系譜をたどっていくと、やはり方法は多様ですから組み合わせることが大事です。

★ただ、問題はこの組み合わせるアイデアが何であるのか?私たちは、そこをコンセプトレンズと呼んで、細々とずっと高校生や先生方とワークショップを行ってきました。アブダクションして、モデルをつくり、実際に授業などやってみて、テストをして。。。あれッ?デザイン思考使っていますね(笑)。

★ともあれ、なんか幸せな気分だったので、京都駅にまっすぐ向かい、久々に食したいと思っていた東洋亭の「まるごとトマトサラダ」つきランチを食べて新幹線に乗りました。やはり混んでいましたが、なんとか座席は確保できました。帰宅したら、孫が玄関から飛び出て歓迎してくれました。いっしょに風呂に入り、寝床でカブトムシやクワガタ、スズメバチなどについて描かれているドラえもんの漫画を二人で読んで、はしゃぎました。3歳の孫は、カブトムシになったり、クワガタになったり、スズメバチになったりして、布団の上を跳ね回り、私のお腹に勢いよくぶつかってきます。

★文字など読めないはずなのですが、絵を見ながら勝手にス―トーリを描きながら飛び跳ねているのです。のび太やドラえもんの表情や行動から推測しているようです。すでにコンセプトレンズは作動し始めているなあと思ってふと横を見ると睡眠の世界に没入している孫でした。

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2024年6月27日 (木)

Deschool化進む向こうはどうなるのか?独り言

★イギリスのパブリックスクール、インターナショナルスクールが日本にどっとやってきていますが、一方でN校は、S校に続きR校をつくるということです。さらにいくつかの自治体で公営塾をAIを使って開始しました。文科省も、現行学数指導要領を実施するのお並行してIB200校計画を実施してきたし、今年の4月から、省令改正で高校の74単位のうち36単位を柔軟に活用できるようにしました。今や日本の学校は脱構築の過程を歩み始めているのです。このことを「Deschool化」と呼びましょう。

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(制作はBing)

★この動きは、明治以来の国が主導の学校制度の制度劣化を補完する動きとして始まっているのでしょう。しかし、国による教育改革ではなく、現実の問題に対応するために、また問題があるから、そこから、いろいろな動きが生まれているのですから、教育改革というよりは、なし崩し的に生まれているのです。それゆえ、Deschool化と私の独断と偏見ですが呼んでいるのです。

★この流れはどういう方向に進んでいくのでしょう。善い方向に進むことを期待しますが、歴史は紆余曲折あります。その過程は結構悲惨な状況が起こるのも歴史のセオリーです。そこで、私立学校はこの絶望的状況を希望に変える不易流行を保守していくでしょう。

★一方公立学校は、教師不足、財政不足が深刻です。私立だって同じですが、経営時の自由と教育の自由があります。したがって何とかしよと各学校が動けます。

★しかし、公立学校は、自治体次第です。公設民営の学校はすでに生まれています。今始まっている公営塾は、やがて、教師不足ですから、午前中、体験ベースの授業が行われ、午後からは公営塾に知識の理解と活用を委ねるでしょう。財政的支援はするものの少ないですから、公営塾はAI教師と少ないスタッフで賄っていくでしょう。この先は、公立学校全てが公設民営という流れだってあるわけです。

★一方N校のような通信制高校は、もはや一つの自治体の高校生を集めているようなものです。もっと加速するでしょう。もはやデファクトスタンダードは確立されていますから、大学によっては、IBやAレベルを認定するように、N高卒業資格(必ずしも文科省が規定している日本の現状の卒業資格ではなくなるかもしれません)を入学試験の条件に入れるところがでてくるでしょう。これを決めるのは、大学次第です。

★文科省の制度の及ばないところで、つまりそれは法律で禁止されていないという論法で、Deschool化が進んでしまうのです。

★しかもグローバルと生成AIを活用することによって日本ではいろいろあるのですが、世界の学校はダイレクトに結びついてしまいます。

★私立学校自身も、学習指導要領をちゃんと守りながら、発展的なことをすでに行っています。善い意味でのDeschool化を行っているのです。

★そもそも、「探究」だとか「主体的・対話的で深い学び」とか「CEFRベースのCLIL」だとか導入したのは国です。Deschool化の多様化の時代はそこから始まっている、いや仕掛けていると言っても過言ではないでしょう。

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2024年6月21日 (金)

中学入試で「シンプルな考え方=コンセプトレンズ」を身体化する学びができる

★中学入試準備の学びはいろいろなやり方があります。中学入試問題から逆算して、小学校低学年にもできるようにブレイクダウンして、徐々にハードルをあげるカリキュラムデザインが一般的でしょう。これはできる子にとっては、どんどん難問に挑戦していき楽しめます。しかし、一方で、躓き始めると、進めなくなります。ここで必死になるわけですから高ストレスになるのは当然です。

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★これは実は何も中学入試に限らず、大学入試準備の学びも一緒です。つまり、学習指導要領も同じなのです。ですから、個別に補習することが必要だったり、ピアインストラクション(PI)などの創意工夫がされています。あっ!PIは意外と実施されていないかもしれません。

★もしPIをやると、考えるコツみたいなものがそれぞれの生徒の中に宿り始めます。身体化されるわけです。ただし、これは、自分でどんどんできる子も宿っています。PIによって宿ることもあります。個人指導でも宿ることはあります。

★しかし、このコツ、つまりシンプルな考え方=コンセプトレンズを身につけられるようにというビジョンがあれば、多くの生徒が自覚的に身体化していくことになります。

★そして、このコツは、1人ひとりによって微妙に違います。最大公約数の5つの視点はあるのですが、それを教えても身体化しないのです。

★3歳の子どもがラジコンスタントカーで楽しんでいる場合、ここに「0」「1」の真偽の計算を自動化しているなと教師が意識し、コントローラの操作を対話しながら、楽しみます。もちろん、真偽の論理を教えるわけではありません。

★小学5年生とスマホの通信の波形を見える化して、直角三角形とどうかかわるか尋ねてみたりしてみます。別に三角関数を教える必要はありません。しかし、この教師の意図は、やがて真偽の論理や三角関数を理解できるようになることではないのです。その単元に出会ったときに、経験が結びついたり、結構シンプルな考え方で解けるなという感覚が身に付くことが必要なのです。

★この感覚が、あらゆる局面で活用できるようになることがポイントです。もし、それができるよういになったら、コンセプトレンズが見事に身体化したことになるでしょう。身近なものには、電子顕微鏡にそのコンセプトレンズを装着して考えるとよいし、遠くのものには電子天体望遠鏡にそのコンセプトレンズを装着するとよいわけです。

★そんな自分なりのコンセプトレンズを身につけることを、GLICCでは、国語と算数と英語で学びながら実施しているのです。本日21時から、盟友のGLICC代表鈴木裕之さんと対話します。GLICCで学んでケンブリッジや東大、一橋、早稲田などに進学した帰国生が身体化していったコンセプトレンズですね。

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2024年6月17日 (月)

文大杉並、和洋九段女子、駒沢学園女子 思いがけず利他

★先週、文大杉並のキャリア探究オープニングイベント、和洋九段女子のPBL体験、駒沢学園女子校長土屋先生がプロジェクトリーダーをしている研修を見学しました。この3つに何か共通しているコトがあるなと日曜日は孫と遊びながらモヤモヤリフレクソロジー状態でした。そうしているうちに、ふと孫が主体で私は受け入れているけれど孫が楽しくなくてはその受け入れはハッピーではないという状態は、まさにこの3つのイベントでの先生方の役割に通じるのではないかと感じたのです。

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★そんなとき、偶然にも東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授中川岳志さんの「思いがけず利他」という著作に出会ったのです。まさに❝思いがけず❞でした。

★中川さんは、「リベラル保守宣言」という著作も随分前に描かれていて、私学の精神とは親和性があります。そう感じたのは、ここのところ「リベラルアーツ」ということについて思い巡らしていたということもあるかもしれません。

★この著作の中で、与格構文についてのエッセイがあります。中川さんはヒンディー語も学ばれていたようで、この言語では主格構文と与格構文を使い分けているというのです。私がコントロ―ルできないことについては、私に与えられたという感じの与格構文で表現するというのです。

★コントロールできないということは、「思いがけず」出会ったり、直面したりということです。こういう状態を与格構文で表している状況を中川さんは「思いがけず利他」と呼んでいます。

★ああ、これだなと。どの国でもこの与格構文的な発想はあるけれど、文法として、つまり言語文化として身体的にルールになっているというのは確かに珍しいかもしれません。

★なんでも「私が~、私が~・・・・」は、ウンザリします。しかし、それは私たちが主体構文と与格構文を使い分けていないから起こることだったのかもしれません。ファシリテーターは与格構文的「思考動」の役割を果たしています。しかし、何か危機が訪れると、それはリスクマネジメントは自らが動かなければなりません。

★リスクによっては、コントロールできず、主格構文が与格構文的な最悪な事態になってしまうこともあるでしょう。

★したがって、中川さんは利他=善という図式はとりません。

★心地よい学校とは、学校の教師が主格構文と与格構文という両方の発想の平衡感覚が優れているということだと感じたのです。

★経営陣は、リスクマネジメントという安心安全な組織を形成し、その中でその平衡感覚が教師にも生徒にも保護者にも共有されていることがすてきな学校だなと。

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2024年6月14日 (金)

一部の生徒しか得意でないからそのカリキュラムはダメだというパラドクス

★以前から結構耳にする言葉「一部の生徒しか英語ができないようなカリキュラムはだめだ」「一部の生徒しかICTのスキルが向上していないようなカリキュラムはだめだ」というのは、ちょっと考えるとどこかがおかしいと思いませんか?

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★世の中、英語やICTだけではなく、国語でも数学でも、化学でも、歴史でも、みんなができるカリキュラムなんてあったためしかないのですから、もし先の言葉が本当なら、みなダメなカリキュラムですよね。でも、そんなことをいう人はこれまたいないのです。

★思考というのは、「置き換え」が得意なので、その視点で見ると、実は、「英語ってそんなに必要なのか」とか「ICTってそんなに必要なのか」といいたいところ、「公平性」というウケのよい考え方を部分的に適応して語っているレトリックにすぎないのです。

★そんなにすぐれたカリキュラムやプログラムだって、生徒によってはうまくいく場合もそうでない場合もあるわけです。

★だって、生徒一人ひとりは個性もあるし、才能もあるからです。個別最適化というのは、本来その生徒一人ひとりの個性や才能に合わせた学びの環境をデザインすることなのでしょう。

★ところが、個別最適化によって、デコボコの学力をみな同じにしようというようなお話ですから、個別に面倒を見て画一的な学力を身につけようという逆説的なお話に聞こえるのは私だけでしょうか。

★たとえば、ハワード・ガードナー教授による8つの多重知能は、みな8つの知能を高めようというわけではないのです。得意不得意があるよというはなしですよね。それをどのようにミックスしていくかは、本人や教師のサポートによって様々でよいはずです。

★資質・能力についてだって、多様であって、そのすべてを高めようというわけではないはずです。

★ところが、実際はそうなってしまうのが「公平性」という罠なのかもしれません。

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グローバル教育を実施している私立学校はリベラルアーツが前提

★グローバル教育を行って海外大学進学の成果を上げている学校は、国内の大学に入らないということはまったくないのに、そういういう先入観や偏見をメディアの中には流してしまうところがあることに、受験生・保護者はお気を付けください。

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★私立学校は建学の精神という価値を大事にし、そこから時代のニーズや新しい方法、そしてモノやコトをつくったりゲットしたりできる全人的な人間教育を行っています。

★英語資格入試を行ったからと言って英語の学びしかしないということはないのです。完全インターナショナルスクール的な話でもないのですから、英語がうまくいかなければ、その他の得意な学びや探究を生かせるクラスやコースに変更してもらう相談もできるはずです。もしも、完全インターナショナルスクール風の学校があるとしたら、それは例外ですから、その学校を選ぶときには、ちゃんと覚悟した方がよいということです。

★すべてのグローバル教育を行っている学校がそうなのではありません。

★それに私立学校である限り、上記の図のような総合的な教育を行っているのです。

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★それから、グローバル教育を行っている学校は英語が世界共通言語だなんて考えていません。リベラルアーツ(この用語を使わないにしても)という言語・数学・芸術・体育というトータルな学びが、世界共通の教養だと考えて教育を実践しています。その世界共通の教養があるから自然科学や社会・人文科学などを学際的に統合できる新しい研究視点を身につけられるのだと。

★そうそう、STEAMという言葉を掲げて教育実践をしているところも、これはリベラルアーツの現代版ですから、結局グローバル教育を行っているのです。

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2024年6月 9日 (日)

学校法人石川義塾中学校・石川高校の教育システム その私学ならではの独自性 生徒が7つの習慣×ルーブリックを実装❶

★一般財団法人日本私学教育研究所が福島で開催した私学経営研修会では、全国から理事長校長(財団の役員も含め)が100人強集結しました。前回までにその模様の一部のメモをご紹介しました。さて、ここでは学校法人石川義塾中学校・石川高校(以降「学法石川」)の視察で気づいたことをメモします。今回の視察は、驚愕でした。というのも学法石川は、2時間で教育システムをすべて見せてくれたからです。

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★132年の歴史のある学校です。創設者は森嘉種。当時の石川町長吉田光一と協力して石川町の発展のため教育を通して貢献してきました。それは今も4代目理事長校長森涼先生によってさらに進化し続けられています。森嘉種は、石川藩の武士でした。ですから、儒学や仏教などの日本の学問をベースに、明治維新ではいってきた西洋の学問も習得して、世界学問を目指していました。欧米の教育は世界基準において大きな価値を占めていますが、最近は文化人類学者の知見が広まり、経済社会の考え方がより広くなっています。その中に当然江戸時代の日本の学問も射程に入っています。

★教育界で講演者として引く手あまたの田内学さんの金融教育論にもそれは反映していますね。欲望の資本主義から贈与論的資本主義とか倫理資本主義とかというわけです。また海城学園の校長大迫先生も欧米中心のIBに日本的な学問や文化、哲学を融合させる教育を実践しているのもおもしろい流れです。その流れを学法石川は132年前から生成していたのですから驚きです。

★学法石川が私立学校として出発する際に、あの澤柳政太郎と森嘉種との対話が転換点だったようだという話も同様です。視察の時に、すべての授業がアクティブラーニングで展開していたのですが、澤柳政太郎は、当時のデューイをはじめとする進歩主義的な教育を取り入れのちに大正自由教育の大きなウネリを生み出した立役者の一人です。学法石川の新しいアクティブラーニングも、そんな歴史を継承しているのかと歴史の重さと進取の気性の壮大な統合を目の前で見て、ワクワク、クラクラしました。

★明治時代はサミュエル・スマイルズの「セルフヘルプ(自助論)」と福沢諭吉の「学問のすすめ」がベストセラーだったと言われています。現在の学法石川は、フランクリン・コヴィーの「7つの習慣」と森嘉種以来の建学の精神と新しい学力のコンセプトを反映した学法石川独自の「ルーブリック」を掛け合わせて、すべての教育活動で、生徒1人ひとりが内省できるシステムを構築しています。

★実際「7つの習慣」を身につける授業も見ることができました。また「ルーブリック」もすべての授業の展開の中に織り込まれていました。ただし、それは授業では目に見えない大事な視点として扱われていました(これについては生徒の内省用のノートでは見える化されています)。

★欧米の先端的な教育「7つの習慣」と江戸から未来に向けてインド、中国、欧米の教育を融合した学法石川の独自の精神「ルーブリック」を見える化することで、教師も生徒も全員が共有する骨太な精神軸を形成しているのに参加者はみな驚愕したことでしょう。

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2024年6月 7日 (金)

私学経営研修会 in 福島県石川町 人的資本教育スマート都市づくりに貢献する

★福島県石川町の八幡屋で全国の理事長・校長が集まって研修を行っているのですが、意見交換会やパネルディスカッションを聴いていて、東京の私学よりも偏差値のこだわりを捨てているということに気づきました。基本公立高校が優位ですから、そこと偏差値で競うのは、経営戦略的には優れているとは言えません。

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(bibg作成)

★それに藩校の継承とか藩の軍師が創設したとか、筋金入りの建学の精神に基づいた独自性を出そうという気概が凄まじいのです。東京の場合は、公立vs私立というより、私立vs私立という受験市場が拡張しているので、どうしても偏差値を無視できません。独自性だけでは偏差値のクビキから逃れられないのです。そこで、その受験市場の枠組み自体をフレームストーミングする必要があったのです。

★それがグローバル教育だったし、海外大学進学準備教育だったのです。要するに偏差値というドメスティック基準から、学習歴を土台に人間力を判断するルーブリックという世界基準というグローバルフレームで教育をする戦略です。

★ところが、福島にきて、グローバルだとかICTだとかは当たり前なのですが、地域との信頼関係や地域貢献の意識が相当高いのです。したがって「グローカル」という気概であふれています。

★2030年になると転がるように15歳人口は激減カーブを描きます。東京と決定的に違うのは、限界集落都市になることを意味します。するとどんなに独自の魅力的教育を行っていても、生徒がいなくてははじまりません。

★したがって、地方創生への貢献を私立学校はしなくてはならないのです。そういう人間力を育てなくてはならないのです。つまり人的資本教育スマートグローカルシティーですね。

★大学と中高は連携し、人的資本教育を自然と経済と精神が循環するスマートシティ。しかも少子化は回避できませんから、海外の学習者を集める努力です。それには大学という知のハブとの協力が必要です。日本だけではなく、世界の都市化現象は進むといわれています。

★それを日本各地でロールモデルをつくる。そのとき私立学校が大きく力を発揮するわけです。

★もちろん、このロールモデルは、海外にだけ効果があるだけではなく、日本の公立学校にも役に立つでしょう。ただ、グローカル教育に関しては、世界の人脈とつながらなければなりません。この人脈は実はプライベートでありパブリックである両義性のバランスが必要です。

★日本の生徒や学生が海外で学ぶことは、実はこのねらいがあります。明治維新も戦後も日本を救ったのは、海外の人脈をプライベートにもパブリックにも持っていた人物です。

★地方創生とは、かくして地域に根差しながらも教育の基準を世界基準に合わせ、さらにそのルールを自ら創る力量を発揮しなければなりません。

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私学経営研修会 in 福島県石川町 「教育政策と私立学校」 衝撃走る 少子化の本当の意味

★長塚篤夫先生(日本私立中学高等学校連合会常任理事・運営役員、一般財団法人日本私学教育研究所副理事長/順天学校長)からは、「教育政策と私立学校」というテーマで、目が覚めるような新しい価値創造をする時がすぐそこに迫っている希望と警鐘についてスピーチがありました。

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★全国から集まった理事長・校長は、2030年に急カーブで下降する15歳人口の少子化の問題や助成金の問題に関してはかなり創意工夫、新しいアイデアを持っています。それは講演の後の意見交換会で改めて了解できました。

★したがって、長塚先生の、少子化の問題や助成金の問題に関しては、共感し、理解をさらに深めていました。

★しかし、その少子化が何を意味するのか、UNESCOの世界の大学生の数の比較の話に移ると、衝撃が走りました。というのも、世界の大学生の数は2億5000万人強(2022年現在:UNESCCO調べ)。中国とインドとアメリカでその半分弱を占める。そんな中で日本は1.5%。

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★人的資本経営という流れは、最近ようやく日本の経済界でも言われるようになりましたが、世界はとっくにそうなっています。その中で、大学生の数(大学院生も含めます)は、減っていくし、世界で太刀打ちできない知的財産の劣化の可能性があるわけです。

★量で勝負できなければ、質で勝負するしかないのですが、その質を創り出す新しい価値転換はいかにしたら可能か?呆然とせざるを得ないわけです。

★そこで長塚先生は、ご自身もワーキンググループのメンバーですから「高等学校教育の在り方ワーキンググループ中間まとめ」からこれまた衝撃的な内容について語ったのです。それは高校卒業資格の74単位のうち36単位は、サイバー上の学びや通信制高校と連携するなどによって単位取得ができるように、省令改正があったというのです。学校教育法施行規則96条の規則改正です。すでに今年4月1日から施行されています。

★36単位を柔軟に対応できる機会ができたわけですが、それを各学校がどんなビジョン、どんな目的で対応するのか、にわかには動けないのは現場の事情を想えば、それは明らかです。

★しかし、ここに創発的な高い理想とそれを実現するスキル実装のチャンスがあることも直観的には了解できます。

★目の前の生徒募集や大学実績も大事です。しかし、それだけに集中して何も手を打たなければ、2030年から限界集落化する都市がどんどんでてきて、どんなによい教育を創っても、それを享受できる生徒がいなくなっているのです。

★そして、そのことは世界の知性から遠のく日本の教育の姿が出現し、それは同時に政治経済力の劣化を招くことになるでしょう。

★ここをどうするか希望の生まれるチャンスであると同時に、そのハードルの高さにどうしたらよいかわからなければ、希望は急に絶望になるのです。希望と絶望のアンヴィバレントな衝撃的な長塚先生のスピーチでした。

 

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