大学入試

2023年12月 1日 (金)

2024年中学入試(01)國學院久我山中 理科の入試問題 骨太に進化

★國學院久我山中学校のサイトにに入ると、「国学院大学久我山中学校入試 理科変更点」というページにすぐに進めます。<入試問題作成のコンセプト>は次の通りだということです。


中学・高校で理科を学ぶために必要である学力を問う
1 小学生が学ぶ理科の知識の定着
2 文章やデータをしっかりと読み取り、理解することができる読解力や思考力
3 2で理解した事象の定性的に説明できる表現力と定量的に求めることができる計算力

★そして、2と3に力点を置くと読み取れる変更内容が先のページで書かれています。また変更と対策に関する動画もリンクされています。

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★STクラス入試の説明箇所で、「令和4年度入試から大学共通テストで問われる「思考力」を問いたいと、作図・説明の記述・グラフをかくなどの問題を出題している」と注意書きがあるくらいですから、骨太の科学的なリテラシーや思考力を問う問題が出題されると推察できます。

★また、一般・CC クラス入試の出題形式は、「大問1にあった小問集合をなくし、大問数を4題とする。これまで大問1で問うていた知識問題
を、これらの大問の中で出題する。そのため大問1題につき小問を1~2問増やす。」となっています。知識と定性的・定量的洞察力を関係づけた総合的な科学的リテラシーや思考力にシフトするということでしょう。

★今のところ大学入試は、学推薦型入試を行う学校が増えたとはいえ、定員枠で行けばまだまだ一般選抜です。ですから、同校は、その実態に沿った学ぶ力を身につけるカリキュラムをマネジメントしているのでしょう。ですから、中学入試問題の教科試験の中に、将来さらに増えるかもしれない総合型選抜にも対応できる素養を身につけてきて欲しいというメッセージを反映することになるのだと推察します。

★さらに、AIの時代到来ですから、理数的知性は大切です。大学進学を超えて、生徒の未来に役立つ知性を磨きますよというメッセージも今回の理科の入試問題の骨太進化にはメッセージが込められているのでしょう。

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どうする東京の私立学校2024

★学校法人北里研究所と学校法人順天学園の合併の協議にはいるというプレスリリースはものすごい反響です。1つは医学部のある大学と附属という最強の連携だし、順天の破格のグローバル人材輩出力と豊かなケアの精神を育む中等教育との新結合はようやく日本の従来のピラミッド型の大学階層構造が世界の大学に追いつけない壁を破壊的創造する大きな契機になるからです。

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★最近、来年以降の私立学校のチューニングを上記のような表で示して、「どうする東京の私立学校2024」をお会いする方と「問い合い」をしています。順天の学校長長塚先生とも昨日「問い合い」ました。長塚先生とは、久しい間コンピテンシーベースのルーブリックと私たち仲間がアップデートし続けている「思考コード」との関係性を「問い合って」きました。回答はそれぞれの識者や学校が創造していくので、私は「問い合い」でよいと思っています。

★長塚校長は、この方向性も当然含んだうえで今回の合併はいくのだと、具体的には今までの成績スコアではなく、コンピテンシーでつながるようにするのだと。だが、この考え方はなかなか広まらないから、待っていないで、自分たちの新しいカタチを創っていくのだと今後の統合体の新しいステージの創造に意欲と気概を示していました。

★昨日は、日私教研&東私教研所長の平方先生(わが上司)ともこのWMS(Worid Making System:教師と生徒の内的知のメカニズム)実装したグローバル市民としての日本の子供たちと共有していく運動体の基礎作りを来期以降していこうと議論しました。結構長い時間ディスカッションしました。

★東京の私立学校の教育市場は、実は、県外の通信制学校がサポート校を東京に設置して、東京都と東京の私立学校のさまさまな紳士協定を無視する傾向が強まっています。東京の教育コモンズに侵入してきています。そしてそのような動きを礼賛する県外の私立学校の有名校長もいます。さて、「どうする東京の私立学校2024」なのですが、制度的正当性を教育行政としての政治力学を生み出しながら動くことと何より豊かで強靭で人類愛に満ちた教育力で世界の自由と平和と公平性を牽引するグローバルリーダーシップを私立学校出身者が各界で発揮でいるスキルとマインドとコンピテンシーが身につく機会と環境をデザインする以外にないと。

★これぞWMSのミッションです。

★このミッションについて東私教研(東京私学教育研究所)のリーダー佐瀬さんとも「問い合い」ました。3時間くらいのディスカッションとなりましたが、方向性は一致しました。どのような研修プログラム(東私教研の研修は年に約80種類あります)になっていくかは、東私教研のサポートする各研修委員会の東京私学の先生方(委員のメンバーである東京私学の先生方は120人くらいかかわっています)との対話によってデザインが形になっていきます。今年度も画期的なプログラムが増産されています。新しい研修スキルやマインドが共創されています。今後がますます期待できます。

★そして、夜、21世紀型教育機構の教育研究センターの主任研究員の田中歩先生(工学院教務主任)と同機構参与の伊東竜さん(日私教研メンバー)と21世紀型教育機構のSGTとWMSを共創する活動をしようよという結構具体的なプロトタイプをメールで「問い合い」ました。お二人とは、様々なプロジェクトの同士なので、これまですでに試行錯誤してきた生徒の才能を開いていく知の実装の統合体としてのプログラムであることが阿吽の呼吸で理解し合え、新たな展開を「問い合う」ことができました。対話ベースの学びが、CEFRや思考コードと関連し、生徒の問い生成の自走、生徒の哲学シンキングの自走を支える「問い合い」コミュニティができるというイメージを共創できました。

★このWMSは、地球上のすべての子どもたちが実装できる最小で最大の効果を生み出す知の内的なメカニズムです。ノートパソコンとスマホと自分という身体があり、リアルスペースとサイバースペースの往還をしながら、哲学的で共感的な対話ができれば成り立ちます。もちろん生成AIは善きパートナーです。

★おそらく優勝劣敗主義者には、理解されないだろうというのは、私たちは重々承知です。しかし私立学校の使命は、優勝劣敗ではないのです。もちろん、思考コードやこのようなミッションを、かげでまやかしだと叫んでいる人もいます。明治の日本の教育は東大の初綜理の優勝劣敗宣言からその部分は変わっていないので、そのような思想に汚染され続けてきたというのも歴史的な流れでしょう。しかし、その初綜理の考え方に真っ向から「否」を唱え、私立学校を創設した私学人がたくさんいて、そこから連綿と続いているのです。

★私は、戦後教育基本法改正前夜、麻布の前校長氷上先生にその≪私学の系譜≫を学び、それ以来受け継ごうとしてきました。それが私の「私立学校研究家」というライフワークの名称で、これは私の無形資産だと思っています。

★それを仲間と形にしたのが21世紀型教育機構です。いまでは、誰でもが21世紀型教育と語ります。私たち仲間は、自分たちが起爆剤になっていることを静かに内的誇りにしています。21世紀型教育機構の同盟校から輩出される哲学的起業家たちの活躍を誇りに思っています。

★次のステージは、WMSを目指します。海外の大学にいくと日本の学歴社会を超えられるなどというアホな考え方は私たちはしていません。だいたい、世界の大学で学んだエリートたちが治めていても、ウクライナやイスラエルのような問題がおきているし、核の問題も気候変動の問題もなんら解決していません。

★しかしながら、WMSを実装した世界中のグローバル市民はいます。そのような問題の氷山モデルの海面の目に見えない根本問題を見ぬき、どうしたらよいか問い合いながら対処療法もしながら、根本的な解決を求めて考動しています。

★そのような市民が増えることがレバレッジポイントになります。私立学校の人的資本経営は、そのような人々を増やす仕掛けづくりなのです。

★21世紀型教育機構が軌道に乗るに8年(2011年から2019年)かかりました。パンデミックに突入して、21世紀型教育の有効性に多くの人々が気づいたというのは、なんか皮肉なことですが、リスボン大地震のときに啓蒙思想が開花したのと同じような感覚です。

★生成AIが世の中の表舞台にでてきたので、8年はかからないと思います。WMS実装の時代は3年くらいで軌道に乗るといいですね。

★1995年のウインドウズ95が世に出てから、2010年まで15年で、新しい教育の転換意識がやっと広まり、それをテコに21世紀型教育が8年かけて広まったわけですから、次のステージは5年くらいかかりそうですが、生成AIのスピード感はさらに速いので、期待しています。

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2023年11月15日 (水)

哲学シンキングの希望

★長い間生きていると、いろいろな方々とネットワークができます。そのネットワークの中でもいくつかのグループはそれぞれ独立しているのですが、私の中では比較的強く(相手はそうは思っていないかもしれませんが・・・汗)つながっています。もしこれらのグループがつながれば、大げさに言えば人類の希望の光が生み出されるなあとずっとモヤモヤしていたわけです。

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(オレンジは、基本書やセミナーなどで習得したスキルを組み替えて活用している。黄色は、原典から紐解いて独自のアイデアを生み出している。)

★そんなとき、「哲学思考」という吉田幸司さんによる新刊に出遭いました。ずっと以前に購入していた「哲学シンキング」を読んだ時は、多様な思考の型の1つとしてリスペクトしていましたが、あえて「哲学思考」とタイトルがつけられているので、なにゆえ?と思い、吉田さんの出版記念セミナーに参加させていただきました。そこで哲学シンキングのWS型セッションを体験できたわけです。

★そこで、確信!が降りてきました。私の知り合いのグループ(濃い絆もあるし数度対話した程度のものもありますが)は、互いにまだ結びついていませんし、これからも融合や統合はないかもしれませんが、「哲学シンキング」の世界にダイブすることはできる方々です。

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★ダイブしたり、掘ったりしながら、内的メッシュワークができればまずはそれが第一段階だなと思うわけです。

★今学校の現場では、教育課程に余白がないために、教科授業と探究の接点をみつけると、そこに余白ができるなあとか、そもそもどうつなげるのか、教科横断型的発想とは何かなど日本全国の先生方がモヤモヤしているわけです。

そこを突破するのは、「哲学シンキング」なのだと。本を媒介に内的メッシュワークでつながり、次の段階で顕在化したメッシュワークに転換していくということになるでしょう。

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2023年11月 6日 (月)

真下峯子校長 今だから女子校の重要性 現状の社会構造を変える役割

★日本教育新聞(2023年10月23日号)に昭和女子大学附属昭和中学校・昭和高校の真下峯子校長のインタビュー記事が掲載されています。

★3校の女子高で校長を務めていますし、共学校でも教鞭をとった経験もあるそうです。何よりご自身女子校出身、そして奈良女子大理学部生物学科卒です。

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★現状の日本の社会構造やその多大なる影響を受けている現場のジェンダー問題をリアルに公平に捉えています。中高時代は、ジェンダー問題について理解を深め、世界的な視野でリサーチして解決策を探る学びのプロセスの時期、その時期にすでに環境がジェンダーギャップ当たり前という状況であるとすると、ジェンダー問題をとらえる公平公正な目や深い問題意識が中途半端になる恐れがあるということです。

★この強烈なリアリティに説得力があるのは、真下先生の人生そのものが証だからです。

★性別の違いで、社会活動の役割が固定されてしまうことは、実は世界を狭くしてしまうことだというのが真下先生の問題意識であるようです。ですから、中高の別学と大学の別学は同じように捉えてはいないのです。

★女子高で公平公正な目を備え深い問題意識を備えても、大学に進んだとき、共学でないとさらに広く深い議論ができない可能性があると語ります。現状の社会構造では、女子大の価値もまだまだあるけれど、中高の教育次第では、大学は思考の壁をつくるようなシステムはどうなのかということでしょう。

★結局、大事なことは「男女共同参画を進めるためには、男子校でも女子高でも共学校でも、異性について学び、尊重する姿勢を養うことが欠かせません」ということです。ただし、人間は現実の環境=社会システムの影響を受けるから、意識してその影響を受けないように、つまりメタ認知することが必要なのですが、メタ認知の用意ができていない段階でそのような社会システムに入れるのは現実的ではないでしょう。

★では、男子校と女子校がよいのか?いや女子と男子では、格差をつけられる側とつける側という違いがそもそもあるので、男子校は逆にこのシステムを強化するシステムになってきた歴史があります。

★このことについては、開成の野水勉校長が、日本経済新聞(2023年10月29日オンライン)で論じています。男女共同参画を進めるために共学化も考えなければならないが、現状ではまだ機が熟していないと。現状の男子だけの居心地のよい男性社会に女子生徒をすんなり迎え入れることの危うさについて野水先生は熟慮しているのでしょう。

★男女別学か共学かの問題は、理想と現実の社会システムのギャップ問題を政策担当者が考える必要があるのですが、それがなかなかうまくいかない歴史的経緯があります。その複雑で政治力学的なところまで、一私立学校の力ではどうしようもありません。各学校が現状のシステムを良い方向に変えられる人間力を生み出す教育力をまずは強化することが優先順位として高いということなのかもしれません。

 

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2023年10月 9日 (月)

『学びとビーイング』が新しく開くコト

★「学び―イング・リアルライブミーティング 第1回」に参加して、感動したことを本ブログに書き込むと、安さんから丁寧なコメントが共有されました。一部引用させていただきます。

10月1日に本間さんとひさしぶりに少し長くお話をして、思い出したことがあります。本間さんと私は、30年近くまえにある企画をして一緒に本をつくったことがあります。『子どもと本 31人からのメッセージ』という児童文学、小学国語の可能性を探った本で岡田淳、山末やすえ、さとうまきこ、佐藤宗子、藤田のぼるなどの諸先生方に参加していただきました。この仕事は、いまでも私のなかに脈々と息づいています。
そして気づいたのですが、本間さんに「ほめて」いただいた『学びとビーイング』のコンセプトと30年近く前の児童文学の本には、類似点があるなあと。

★そうでした。私たちの児童文学との出会いを一つの本にしてみようという試みだったと思います。当時の私たちが所属していたあるグループ団体は、結構教育の本質について語り合う熱い組織でした。安さんはその出版部門のリーダーでした。私は教務で好き勝手なことをやらせていただいていました。

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★出版と教務ががっちり結合していたそういうグループでした。教務の方では、心理学はピアジェとコールバーグについて読書会が行われていました。児童文学の最盛期だったかもしれません。それでフィリップ・アリエスの「<子ども>の誕生」や河合隼雄さんの「子どもの宇宙」も読んでいました。

★20世紀の3大発見は「子ども」「狂人」「未開人」だと言われていたころです。心理学、精神分析、文化人類学がトレンドになっていたときだったと思います。

★そして、アルビン・トフラー夫妻が、そのグループの1つ渋谷の施設を電撃訪問し、風のように去っていったこともありました。立ち会えなかったのは残念でしたが、ちょうどそのとき、教務の仲間と、彼らの新刊「パワー・シフト」を読んでいたところでした。

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★21世紀は、軍事力から経済力、そして教育(知の)力へパワー・シフトする世紀だというのです。まだまだ途上ですがそういう気配はたしかにありますね。<子ども>の誕生から子どもの宇宙、そして子どもの世紀へ。児童文学はそのビジョンを輝かせてくれました。

★当時は子どもたちの校内暴力や引き続き学級崩壊がニュースになっていた時代です。河合隼雄さんは、それがどうして起こっているのかその宇宙を解明していました。そして変革の子どものテーマで研究は広く深まっていました。

★私は、子どもの成長をハーバーマスのコミュニケーション行為をヒントとしていました。社会学的な視座も必要だと思っていたからです。子どもに問題があるというより、子どもの才能の広がりに壁になっている環境や大人の偏見があるということを、アリエスや河合隼男さん、ハーバーマスに学びながら、それについて子ども自身が気づくコミュニケーション能力を児童文学を基盤にデザイン出来たらと思っていました。

★当時のカリキュラムコンセプトは、自己中心的コミュニケーションから創造的コミュニケーションへで、自己中心にさせるそして創造性に壁をつくる権力的コミュニケーションを払拭する言語の役割を学ぶというシンプルなものでした。

★その方向性は、今もあまり変わっていません。幼児から高校生に成長するにつれて、主体的に学校や地域、世界を「共に創る」OODAbleな能力を発揮できる環境をと。

★しかし、その環境は一つの学校や団体で完結できないことは薄々感じていましたが、今回のミーティングに参加して、それを確信しました。そして、私自身、自分のビジョンそのものがさらに変容していかざるを得ないのだろうなあと。またも未知のワクワクするような宇宙が広がる可能性が大なる安さんの智慧とアクション。楽しみです。

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2023年10月 3日 (火)

探究と教科授業の結合って、遊びと科学の結合ということ?❷自分事になるにはラインを取り払う

★探究と教科授業が結合されないと、つまりそのようなラインがあると、今はやりの言葉「自分事」に生徒がならないというようなことを無意識のうちに先生方が語っているのに遭遇します。その先生は無意識かもしれないけれど、ラインを越境すると生徒が「自分事」として知識を活用し始めることに気づいています。このような先生と会うと感動します。この感動の機会が増えていることにまたまた感動する日々です。

★自分事というのは当事者意識にも置き換えられますが、要は、自分が直面した知識、事柄、現象、課題などが、自分にかかわっているというコトに悲喜こもごもの感情が生まれてくることでしょう。

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★エッ?知識が自分事?そうなのです。思考と知識を分ける人がいます。知識がなければ思考ができないという方もいます。知識は干物になって思考液が乾燥したものにすぎません。思考液を取り戻せば、知識は生きた関係性を生み出す「考動」を動かしはじめます。知識と思考はルビのツボさながらなのです。

★つまり、トリックアートのような遊びを科学することで、好奇心は生まれてきます。あらゆるコトが自分と他者と社会と自然と関係があることが自分の内外に見えた時、自分事になっているでしょう。

★知識を学ぶ余白とは、思考液を知識がたっぷり含む時空をデザインするということでしょう。

★ファインマンさんは、その天才だったわけですね。もちろん、ファインマンのように〇〇劇場で研究論文を書こうという激しいロックン・ロール魂を真似しようというわけではありません(汗)。

★ともあれ、考える余白といわれるものは、遊び心ですよね。それがある探究は思考液というか泉がコンコンとわいてくるのです。でもですよ。それだけでは、流れてしまうでしょう。枯れてしまうかもしれません。知識というカプセルあるいは細胞が必要になります。

★体験が必要なのは、つまり遊びが必要なんですが、なんだかよくわからないけれどおもしろいし、頭が回転するわけです。でもそれを知識というカプセルや細胞に格納しないとせっかくのアイデアも忘却の彼方です。

★調べて自分のアイデアを格納する知識がないときは?新しく知識を創るわけです。あとから、すでに誰かが言っていたというコトになっても、その段階では大興奮ですよね。そして、あとから落胆するかもしれないけれど、そうやって創造は生まれてきます。この創造の過程こそが「自分事」だと思います。

★「自分事」という言葉は、実はとても深刻な局面で使われる場合が多いのです。それは差別に気づかずに、意気揚々と生きている場合、「他人事」から「自分事」に転換できるかというとても大切な問題だからですね。

★そして、探究と教科の分断は、実は、そのような差別を生み出す発想に陥っていることに気づかないケースが多いのです。探究やっているといい大学に入れないともしも思った瞬間、そこにはアンコンシャスバイアスがありますよね。学歴社会にはそんな格差のアンコンシャスバイアスがあるんです。

★逆に授業なんて知識を詰め込むだけだという場合も同じように差別を生み出す発想があるかもしれません。そこをチェックする「自分事」。これはもう科学の出番です。

★フッサールの次の言葉。認識を思考体験と置き換え、対象を知識と置き換えると、遊びと科学が一体となっている内省的仕組みの理解のヒントになるかもしれません。

「認識は(一面においては) 自然の一事実であり、認識する有機体の体験であり、心理学的な一事実である。従って他のあらゆる心理学的事実と同じように、認識についてもその種類や関連形式を記述し、その発生状態を究明することができる。しかし別の面からみれば、認識は本質的に対象の認識である。しかもこれは認識自身の内在的意味によることであり、認識はこの内在的意味によって対象性に関係するのである。」 (『 理念』 H. II, 19)エトムント・フッサール. フッサール・セレクション (平凡社ライブラリー659)

★こんなことを書きたくなったのは、I.N大高等学校のY校長とあって、フッサールの研究者で生徒理解を現象学的に解き明かしている土屋教授が、共通の知り合いであったことを知りその延長線上の教育の問題について語り合えたからです(笑み)。

 

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2023年9月 8日 (金)

リベラルアーツ 理数教育 探究 AP 高大連携

★昨日は一般財団法人東京私立中学高等学校の常任理事会と理事会でした。毎月2回あるのですが、8月はありませんでした。久しぶりということもありますが、各私学は、2024年度を見据えて秋の陣に進みますから、会の合間の立ち話で、臨場感ある次の計画の話題が盛り上がります。いつも研修ですれ違っているある校長と瞬間的でしたが対話ができました。AP化する高大連携から始まり、リベラルアーツや探究の学際的統合の話やそうなることによって総合型選抜というよりAP的な明確なプログラムができるとか、いわゆる受験のためではない理数教育の流れとか、ビジョンレベルではなく来年から進めていくという実装段階の話になったり、今度そのリアルなシーンを見学させてくださいとか盛り上がりました。

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★この手の話は、いつもは結構ひかれてしまうのだけれど、勇気をだしてリクエストしてみると、意気投合となったので、台風のこともあったのですが、夢の中でモヤモヤしていました。

★そんな状態で今朝目覚めてスマホをチェックすると、東洋経済ONLINE(2023年9月8日)の記事「現代の高校生がわからなくなった数学の基本問題 「p⇒(ならば)q」の否定文から考える数学教育」が目に入りました。

★研究所の同僚で数学委員会をサポートしているメンバーにすぐにシェア。すぐに同僚もこの記事を書いた芳沢 光雄先生(数学・数学教育者。東京理科大学理学部教授、桜美林大学リベラルアーツ学群教授などを歴任し現在、桜美林大学名誉教授)のほかの著作を読んでみたいとなりました。

★芹沢先生は、桜美林で、リベラルアーツ学群に所属していたので、昨日のリベラルアーツと理数教育の話と結びつきました。しかも、同記事でこう語っています。

「数学についての理解力は個人個人で大きな開きがあるので、早く進む生徒もいればゆっくり進む生徒もいてよいはずだ。横一線の教育を見直し、文系・理系を問わず、誰もが個人個人に見合った数学の教育を受けさせてあげたいと考える。それが、技術立国日本の再生につながることであろう。」

★ますます興味津々。次のような書籍も書かれていて、暗記算数や暗記数学をクリティカルシンキングされているようです。

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★今のところ生成AIはリベラルアーツの幾何などについてはまだまだ対応できないといわれています。海城や武蔵、成城学園のように、幾何を幾何として学ぶのではなく、それ以上の発想を学ぶのがリベラルアーツ的な発想でしょうから、生成AIにとっては難問かもしれませんね。

★ようやく学校教育法51条を実現する世の中になってきたようです。

 

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2023年9月 2日 (土)

Well-Being教育=創造的才能教育~多くの若い校長・教頭が動き出している

★今、多くの学校の若い校長・教頭が中心となって、Well-Being教育=創造的才能教育を推進しています。幸せは、やはり自ら創り出したモノやコトが世の中に役立った時に生まれます。このことは誰も否定しないでしょう。

★そして、これに挑戦している若い校長(若いと言っても40代から50代ですが)・教頭(30代の教頭もたくさんいますね)の中には、自分の学校だけがそうなってもしかたがない。日本のひいては世界の学校すべてがそうならないと生徒も私たちも幸せではないだろうと。

★ドネラ・メドウズのメンタルモデルである「自分だけがなんとかなればよいのではなく、みんなで立ち向かおう。競い合うのではなくみんなで困難に立ち向かおう」が広がっているのは喜ばしいですね。SDGsの生みの親といっても過言ではないドネラのメンタルモデルは大事ですね。

★今、探究で、システム思考だとかデザイン思考だとかSELといわれている手法を使わない教師はいないでしょうが、それはドネラの発想から流れ出ているものでもありますから、着実に広がっています。

★1972年以降、ドネラは仲間の研究者たちと「成長の限界」を世に示し、警鐘を鳴らしましたが、さらに、ドネラは解決するシステムを多くの仲間と協力して創ってきたわけです。世界の小学生から高校生までの教育にも影響を与えたのはよく知られていることですね。

★日本もその影響を受け、積極的にがんばってきています。日本のローマクラブへの貢献とその功績はすばらしいものです。しかしながら、それが教育の現場に影響を与えるのは、少し遅かったかもしれません。1998年の学習指導要領から「総合的な学習の時間」が導入されました。導入時は、この世界の流れがあることを現場ではあまり意識できませんでした。必ずといっていいほど、大学入試が変わらなければ総合的学習は意味がないとなっていたのは記憶に新しいでしょう。

★実際、暮超有名大学の若手助教授も、高校時代に知識と論理的思考さえ学んできてくれれば、あとは大学で学べばよい、君はくだらないことを言っていると、そこまで厳しく言わなくてもと思った経験があります。

★当時は、ローカルというより、ドメスティックという感じだったと思います。ローカルはグローバルと表裏一体ですから。

★それでも、その辺りから、総合的学習は、創造性が必要になってきますから、教育界は「創造的才能教育」について研究し語りはじめます。そんな本も出ましたが、私も少しかかわりました。そのためもあって、私自身も「創造性」を養う教育に一挙に目覚めました。学校の先生方と「総合的学習」の授業の勉強会を定期的に行い、共著を出版したりしました。

★そして2003年から2008年にかけて学習指導要領はさらに改訂され、反ゆとりを掲げながらも「思考力・判断力・表現力などの育成のバランス」という考え方も盛り込まれました。当然、その背景には創造性が必要です。仮に思考力がロジカルシンキングに限定されていたとしても、判断力や表現力には創造性は必要だからです。

★そして、ついに2007年に学校教育法が改正され、51条第一項に創造性条項が盛り込まれたのです。文部科学省は、この創造性条項を無視するわけにはいきませんから、段階的に学習指導要領を改訂していきます。

★そして、現在施行されている新学習指導要領を議論する中で、創造的思考だとか、創造的に思考・判断・表現するコンピテンシーなどという文言が登場するようになるのです。

★ですから、多くの学校の若い校長は、俄然動きやすくなり、創造的才能教育を偏差値の高い生徒だけではなく、すべての生徒に開いたとすると、それはWell-Bing教育になるとなったわけです。

★このWell-Being教育は、実は2007年改正学校教育法の創造性条項にちゃんと含まれているのです。ですが、その文言が、Well-Beingにつながると明快になったのは、世界同時的パンデミック体験を通してでした。

★したがって、現在では、1997年ごろに教育学会で議論されていた創造的才能教育は、Well-Being教育と結合して、次のような図で描くことができると思います。

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★今でも、基礎学力が大事だと、その基礎学力=受験学力だというバイアスがかかった状態で詰込み現実主義的になりがちな促進教育(アクセラレーション教育)に偏る考えも当然あります。保守的な考え方はいつの世にもあるものです。

★一方で、知識ではない、創造性なのだと極端な牧歌的な理想主義に傾く拡張教育(エンリッチメント教育)に偏る考え方も当然あります。特に経済社会の動向を無視した理想主義的教育提唱者もまたいつの世にもいるものです。狂信的な改革者も現れるのは歴史に学べば、驚くことではありません。

★そういことを冷静に観察し洞察しすべての生徒に寄り添いながら理想と生きるすべという現実主義の両方を統合する若い校長・教頭がたくさん生まれてきています。彼らは、自分こそが改革者だとは言いません。先生方、生徒のみんな、保護者の方々と協力していっしょにやっていこうとみんなのニーズを汲み取りながら共に新しい教育を創っていっています。それに参加するメンバーはみんな創造的だし、それはWell-Beingな状況を生み出しています。

★もちろん、そのような校長・教頭だけではなく、広報部長も、教務部長も、一人ひとりの先生方も活躍しています。若い校長・教頭は、そのような自由に互いに発想を言える心理的安全性をつくりだす組織作りをしています。それは生徒においてもそうなっています。

★このような流れは、起業家がたくさんでてきた日本の経済社会全体にもいえることです。学校が変われば社会が変わるとは標語としてはいいのですが、実態は、そのような動きを学校だけではなく、いろいろな団体がしているから、社会は変わるのでしょう。

★互いにそのような起爆剤になっていく流れがうまれているのだと思います。

【学校教育法】
第五十一条 高等学校における教育は、前条に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 義務教育として行われる普通教育の成果を更に発展拡充させて、豊かな人間性、創造性及び健やかな身体を養い、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。
二 社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な知識、技術及び技能を習得させること。
三 個性の確立に努めるとともに、社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、社会の発展に寄与する態度を養うこと。

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2023年8月30日 (水)

めちゃくちゃおもしろいサイエンスコミュニケーションWS!

8月28日(月)10:30~15:30、立教池袋中学校・高等学校4階 地学実験室で、理数系教科研究会(理科・生物)の「実践研修会・講演会」がありました。テーマは『カーボンニュートラルを通じて科学と社会の繋がりを考える』。昼食を挟んでの一日がかりの研修会でしたが、めちゃくちゃおもしろいサイエンスコミュニケーションのワークショップ(WS)でした。時間は快速。あっという間でした。

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★講師は、古澤 輝由先生(立教大学 理学部 共通教育推進室(SCOLA)特任准教授 サイエンスコミュニケーター)と高橋 良子先生(立教大学 理学部 共通教育推進室(SCOLA)教育研究コーディネーター)。

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(古澤先生と高橋先生の講義と授業を融合するとこんな感じか?)

★古澤先生のサイエンスコミュニケーションとは何かというゲームをしながらの興味深い講義と実際に立教大学の街路樹の木々のCO2吸収量を計測するフィールドワーク(調査)とその結果分析という授業がDNAのように結合しておもしろい研修会となったのです。

★高橋先生の授業は、立教池袋の中3の授業で実際に行われた事例でもありました。10時間のプログラムで、同校の教諭であり、この委員会の委員である吉井佑介先生とコラボもしていました。

★高橋先生は、その事例を3時間くらいでコンパクトに行いつつレクチャーも行ったわけです。立教大学はキャンパスに、エコシステムを導入しています。まさにSDGsキャンパスですが、生徒はふと立教大学の街路樹の木々はどのくらいCO2を吸収し、炭素を固定化するのだろうと思うわけです。

★そこで、どのくらいカーボンニュートラルになるのだろうと。高橋先生と街路樹のCO2吸収量を測定するわけです。木々の胴回り、高さを計測し、その数値を入力すると、その量がわかる海外の無料のサイトに入力して出すのです。英語のサイトです。

★意外やまったく追いつかないことをしり、CO2削減のために木々を植えようとただ唱えるだけでは効果がないことに気づくのです。身の回りに課題があると実感するには、このような実測してそれからスコアに変換するシミュレーション方程式が必要なわけです。

★そのような方程式は、どのようにして専門家は作ったのかも学んでいきます。自分たちがデータを蓄積することが、その方程式の精度を上げる貢献をしているということもわかります。協働作業の意味も実感できます。

★この一連の調査は、サイエンスコミュニケーションにおいては、ゲームなのだと古澤先生は語ります。

★ゲームを通して、課題を発見する。ワクワクしながら切迫した課題を発見する。深刻だけれど、その課題を発見するモチベーションは好奇心なのだと。

★哲学対話や共感的コミュニケーションも、専門家と素人みたいな差をなくし、フラットな双方向なコミュニケーションという意味では、サイエンスコミュニケーションと共通しているとも古澤先生は語ります。

★ただ、ゲームを通して、深刻さの度合いを冷静に受け止める点では違うかなと。哲学的感動と科学的感動の違いと共通点。それは何でしょう。ワクワクしながらもディープな世界に導かれました。

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2023年7月22日 (土)

教育の世界にはメタローガーが必要 デューイとかベイトソンとかドネラとかのような

★メタローガーとは、プラグマティストやシステム思考家やベイトソンが活用するメタローグを展開し、ダイアローグのエントロピー増大を再生創造に変形する環境をデザインする存在です。日常生活の問題を解決する学者やコンサルタントは、有効なダイアローグはするのですが、専門領域を越境することができないため、結果的に対症療法になります。ですから、子供たちが成長するリアルな場(たとえば学校や家庭)では、持続可能な有効性を生み出せないのです。

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★ですから、学校の教育システムや組織システムを改善改革するとき、鳴り物入りの改革パッケージは、3年くらいしか持たないのです。ところが、メタローガーが学校の先生方と共に生み出していく改善や改革は、持続可能だし、改善や改革が自己組織化されます。

★また、その学校の教育の質の良さを受験生や保護者など外部のメンバーにつたえる時、どんなに優秀な広報部員がいても、自分の学校の教育の質を全部伝えることはできないのです。そして、受信者である受験生や保護者は、さらにその情報の一部を受け取ったり、誤解してけ受け取ったりするのです。この情報伝達のマイナスの差異が生まれないようにするにはどうしたらよいのか無尽蔵のエネルギーが使われ、常に新しいものを見せないとすぐにエントロピーは増大してしまいます。

★これは広報に限らず、理事会と現場の教職員、在校生の保護者の間のダイアローグでも頻繁に起こります。やはりエントロピーは増大します。自然の法則ですが、そこがデューイは一味違います。これは落合陽一さんも同じです。自然というものを生の自然だとはそもそも考えていないのです。それはベイトソンも、ドネラ・メドウズも同じですね。自然は精神と循環しているのであって、精神から独立した自然も、自然から独立した精神もないのです。だからリアルな自然の法則を変形できるのです。

★もちろん、この変形が正しいものであるかどうかは、メタローグが必要です。

★いずれにしても、この自然と精神が循環し、そこに社会が生まれる契機があるというシステム思考的な発想=メタローグを教育環境デザインの中に有している学校は、サバイブできます。そして、メタローガーを生み出せます。彼らが地球を救うわえけですから、とても18歳未満の児童生徒にとっては重要な環境です。

★もし、メタローガー的素養が育たないで大学や社会に出ると、すてきな対話はできるし、プロジェクトリーダーになることはできるかもしれませんが、10年くらい有効なスキルやシステムを生み出すことはできても、リスキリングを繰りかえし、全体としてはエントロピー増大に向かう社会を再生創造する発想を生み出すことは難しいでしょう。

★「主体的・対話的で深い学び」とか「探究」とか「教科横断」とかいう言葉を学習指導要領の中に埋め込んだ見識者(相当したたかな戦略)は、人知れぬメタローガーです。それは特定の誰かというより、ミームとして受け継がれているのでしょう。

★1985年、2015年、2045年、2075年、2105年と、5つの波が社会の変化をもたらし続けるのですが、そのたびに、メタローガーのミームが作動しますが、2045年以降は、それがだれか特定の集団や組織ではなく、一人ひとりがメタローガーになる時代になるでしょう。AI時代とはそういうことだと妄想しています(汗)。

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