文化・芸術

2023年10月 9日 (月)

『学びとビーイング』が新しく開くコト

★「学び―イング・リアルライブミーティング 第1回」に参加して、感動したことを本ブログに書き込むと、安さんから丁寧なコメントが共有されました。一部引用させていただきます。

10月1日に本間さんとひさしぶりに少し長くお話をして、思い出したことがあります。本間さんと私は、30年近くまえにある企画をして一緒に本をつくったことがあります。『子どもと本 31人からのメッセージ』という児童文学、小学国語の可能性を探った本で岡田淳、山末やすえ、さとうまきこ、佐藤宗子、藤田のぼるなどの諸先生方に参加していただきました。この仕事は、いまでも私のなかに脈々と息づいています。
そして気づいたのですが、本間さんに「ほめて」いただいた『学びとビーイング』のコンセプトと30年近く前の児童文学の本には、類似点があるなあと。

★そうでした。私たちの児童文学との出会いを一つの本にしてみようという試みだったと思います。当時の私たちが所属していたあるグループ団体は、結構教育の本質について語り合う熱い組織でした。安さんはその出版部門のリーダーでした。私は教務で好き勝手なことをやらせていただいていました。

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★出版と教務ががっちり結合していたそういうグループでした。教務の方では、心理学はピアジェとコールバーグについて読書会が行われていました。児童文学の最盛期だったかもしれません。それでフィリップ・アリエスの「<子ども>の誕生」や河合隼雄さんの「子どもの宇宙」も読んでいました。

★20世紀の3大発見は「子ども」「狂人」「未開人」だと言われていたころです。心理学、精神分析、文化人類学がトレンドになっていたときだったと思います。

★そして、アルビン・トフラー夫妻が、そのグループの1つ渋谷の施設を電撃訪問し、風のように去っていったこともありました。立ち会えなかったのは残念でしたが、ちょうどそのとき、教務の仲間と、彼らの新刊「パワー・シフト」を読んでいたところでした。

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★21世紀は、軍事力から経済力、そして教育(知の)力へパワー・シフトする世紀だというのです。まだまだ途上ですがそういう気配はたしかにありますね。<子ども>の誕生から子どもの宇宙、そして子どもの世紀へ。児童文学はそのビジョンを輝かせてくれました。

★当時は子どもたちの校内暴力や引き続き学級崩壊がニュースになっていた時代です。河合隼雄さんは、それがどうして起こっているのかその宇宙を解明していました。そして変革の子どものテーマで研究は広く深まっていました。

★私は、子どもの成長をハーバーマスのコミュニケーション行為をヒントとしていました。社会学的な視座も必要だと思っていたからです。子どもに問題があるというより、子どもの才能の広がりに壁になっている環境や大人の偏見があるということを、アリエスや河合隼男さん、ハーバーマスに学びながら、それについて子ども自身が気づくコミュニケーション能力を児童文学を基盤にデザイン出来たらと思っていました。

★当時のカリキュラムコンセプトは、自己中心的コミュニケーションから創造的コミュニケーションへで、自己中心にさせるそして創造性に壁をつくる権力的コミュニケーションを払拭する言語の役割を学ぶというシンプルなものでした。

★その方向性は、今もあまり変わっていません。幼児から高校生に成長するにつれて、主体的に学校や地域、世界を「共に創る」OODAbleな能力を発揮できる環境をと。

★しかし、その環境は一つの学校や団体で完結できないことは薄々感じていましたが、今回のミーティングに参加して、それを確信しました。そして、私自身、自分のビジョンそのものがさらに変容していかざるを得ないのだろうなあと。またも未知のワクワクするような宇宙が広がる可能性が大なる安さんの智慧とアクション。楽しみです。

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2023年5月 7日 (日)

建学の精神と学校の時空 荒川修作の<意味のメカニズム>がヒントになるかも

★2023年4月22日から10月9日まで、セゾン現代美術館で「荒川修作+マドリン・ギンズ 意味のメカニズム 全作品127点一挙公開 少し遠くへ行ってみよう」が開催されています。私が中学生のころに出版された「意味のメカニズム」。書籍なのかアート作品なのか。そこの二項対立を超えているところが荒川らしさということでしょうが。

★ともあれ、認知科学のアフォーダンスの実験的な作品を制作しているといえば、荒川修作という想いがあったので、荒川の作品のコンセプトが「意味のメカニズム」らしいと思うや行きたくなって、GWの機会に訪れてみました。

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★同美術館の庭園には、川を挟んで、イサム・ノグチの2つの彫刻があります。川の流れが、2つを分離しているというより、共振させている感じなので、ここに立ち寄るとしばらく魅入ります。

★イサム・ノグチと荒川修作は二回りぐらい歳が違いますが、同時代人であるし、コスモポリタン的なところも似通っているし、実際空間のデザインという点で、それぞれパースペクティブや思想は違うのでしょうが、どちらも共感するアーティストです。

★学校空間を考えたり、実際S建設と協働した時など、フランク・ロイド・ライトやヴォーリズ、バウハウスだけではなく、この2人のアーティストに学びました。フランク・ロイド・ライトやヴォーリズ、バウハウス、イサム・ノグチは、実際に現地に見学にいったりしたのですが、荒川修作は、原美術館で鑑賞したぐらいで、全貌がわからず、書籍での情報で済ましていました。しかし、私学の教育環境デザインについて考える時、いつも荒川修作的着想がでてきました。もちろん、独りよがりな妄想です。

★そこで、「一挙公開」という表現に魅せられて、訪れたわけです。

★で、衝撃的でした。「言葉の意味」というのは、どことなく「病い」が影にちらつくので、ずっとそれを解体しようと、いろいろなテキストにチャレンジしてきたのですが、私が考えるまでもなく、荒川修作はそれをアートにまで表現していたからです。

★ドットやラインに分解したものが、最終的に二枚の絵(それぞれ50号くらいの大きさ?)にシンボライズされているのです。膨大な意味を生み出す諸関係の分解の集積の後に、あっという間に一つの意味に収束するのです。

★最後の2枚から逆走すると、「意味の病という執着・固執」が解体される程の諸関係が氷山モデルさながら、水面下を可視化しているのです。

★パートナーである詩人でアーティストであるマドリン・ギンズとの共創でもあるので、言葉とアート作品の境界横断的な時空が広がっていました。

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★特に説明もなく、英語ばかりでしたから、あとで図録を購入すればと思っていましたが、図録は用意していないのだと。もっとじっくり見るべきだったと反省。お盆休みにもう一度訪ねようと。ショップで「三鷹天命反転住宅 ヘレン・ケラーのために」という作品の図録的な書籍があったので、購入して美術館を去りました。

★「ヘレン・ケラーのために」という表現が妙に気になっていたから、購入したのですが、読み始めて、なるほど「意味のメカニズム」が荒川修作の全作品のコンセプトでもあるのかもしれないと。そしてそれがなぜヘレン:ケラーなのか。夏訪れるまでに考えてみようと思います。

★何せ、ラウンドスクエアが、バラザミーティングを開催するのですが、そのバラザの時空を表現する時に、ヘレン・ケラーの言葉が引用されているのです。

★コンセプトというのは、学校空間やWSの空間では、建学の精神の住まう時空です。荒川修作の「意味のメカニズム」という書籍でありアート作品は、この建学の精神の住まう時空の読み直しのヒントになる予感がしているのです。

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2022年3月 5日 (土)

ハンドベルの響きで世界の痛みをケア

2022年3月19日(土)、聖パウロ学園のハンドベルクワイア卒業記念公演を実施します。15時00分~、18時00分~の2回公演。場所は、グランドビクトリア八王子です。

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★コロナ禍にあって、どこの学校も行事は、思うようにはいきません。それは聖パウロ学園も同様です。マスク装着、アルコール消毒、3密回避、そして黙食など感染対策を徹底しながら、対面型でできる授業や行事は制約の中できるだけ実施してきました。

★そんな中で、ハンドベルクワイアの活動は、声を発したり、息を使う楽器を使用しないため、活動が可能な時には挑戦してきました。

★入学式、卒業式、地域でのクリスマスコンサートなど響き合いを通して、ミッションを果たしてきました。

★そのミッションとは、このコロナ禍で世界中の人々がそれぞれに抱えた痛みや困窮を少しでも和らげてくれたならという祈りの響きを奏でることです。

★ハンドベルの演奏ハーモニーは、人々と響き合い、心の平和の共感を広めます。まさにいま世界にとって大切な想いです。

卒業生の部活の最後のミッション遂行であり、同時に卒業生と在校生のさらなるミッションの始まりです。さらに世界のために・人のために貢献できる内面の響きを演奏し続けていけるきっかけになってほしいのです。ぜひご参加ください。

 

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2021年12月16日 (木)

SHIBUYA AWARDS 2021 も実はNFT活用

★FDesign株式会社の社長本間ナナの作品が、「SHIBUYA AWARDS 2021」に入選。なんでも、電子署名をしたというから、それってNFT?なのと尋ねるとそうだということです。NFTについては美術手帖にも記事が載っていて、アート市場では大騒ぎのようです。今年の夏に小学校3年生のデジタルアートがものすごいお金に化けたというのは記憶に新しいですが、その母親というのも芸大出身者で、そもそもサイバースペース上のアート市場に興味をもっていたらしいのです。

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★日本のアート市場は、ニューヨークやロンドン、東南アジアに比べ小さくて、アーティストは苦労しながら活動を続けています。しかし、このサイバースペース上のNFTは、新たな市場創出になるというので、話題騒然のようです。

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★本間ナナは、女子美の大学院で染物やフレスコ、油絵などを、芸術文化人類学や欧米の新しい哲学者の視点に学びながら作品を描いてきました。ふだんは子供のための絵画教室をボランティア的に実施しています。世田谷美術館で、女子美の大学院生と子どもたちの作品をコラボ的に展覧会も実施したりしています。

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★作品は市場で評価されることも大事なので、ギャラリーで共同展示もしているようですが、なかなか。そんなときに、SHIBUYA AWARDS 2021が、web上で目に入ってきたようです。しかも、NFTとしての企画でもあります。はたしてどうなるか(笑)。

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FDesign株式会社は、本間ナナとメイとで運営しています。アートボランティアには、女子美のメンバーがサポートしてくれています。それぞれに活動をしていますが、特にメイの活動はめちゃくちゃコラボレーティブです。

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★日本でも東大や京大出身の若いアートディレクターがアーティストとコラボして、美術展を行っていますが、メイやナナの活動は、今後メタバースの中でNFTを活用した新たなアート市場創出のウネリの予兆でしょう。日本のアーティストのクリエイティブクラスとして仕事が成り立つ時代がやってきているのかもしれません。

★つまり、美大に行っても食えないよという時代は20世紀の話で、21世紀は個を追究してクリエイティブな活動をしている人材の道が開けたということでしょう。

★そういうえば、私立中高一貫校の女子美も人気です。その理由は、こういうところにつながるのかもしれません。まだ気づかれていないことですが。

 

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2021年1月 4日 (月)

「教育とは生き方そのもの」へシフト(01)グレートリカバリーの意味

★昨日、NHKの「ズームバック×オチアイ」を見ました。タイトルは<新春SP 「2021 大回復(グレートリカバリー)への道」>でした。「グレートリセット」ではなく、「グレートリカバリー」にしたのが、NHKらしいし、落合陽一さんらしいなあと、どんな展開になるのか興味があったからです。

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★落合さんは、リチャード・フロリダの「クリエイティブ・クラス」という言葉を、「働き方5.0」でキーワードとして使っているので、「グレート・リセット」を書いたフロリダの書にちなんで、「グレート・リカバリー」と名付けたのかと思っていたら、それもあったでしょうが、それだけではなく、今年のダボス会議のテーマ「ザ・グレート・リセット」と重なるのを避けたかったのでしょうね。

★というのも、ダボス会議の背景には、GAFAがいるので、番組の中でも語っていますが、GAFAという帝国には少し距離を置かなくてはということのようです。落合さん自身はデジタルという新しい自然と旧来の物質的自然をどう融和させるかを「働き方5.0」の中で追究していますし、デジタルアーティスでもあるわけで、テクノロジーを否定することはありません。

★それは友情出演してきたマルクス・ガブリエルさんも同様です。二人とも今ある世界が存在するのは、もともとあるのではなく、創っているからあるのであって、歴史的に多くの人々の協働物語作品だと。それこそが存在であって、はじめから存在しているのではないのだと。これは、デューイともシンクロします。

★だから、有ると思って、油断していると、ミヒャエルエンデの「果てしない物語」のように、その世界ファンタ―ジェンは虚無に飲み込まれるよと。そうならないように、世界を楽観的に創っていこうよというのです。デストピアのシナリオではなくユートピアのシナリオを描こうよと。

★まさにプロジェクト学習ですね。

★私がPBLを学校の先生方と行っているのは、まさにそういう意味です。教育は大学進学のための準備期間ではありません。生き方そのものの学びであって、学びは生き方そのものです。どう生きるかそれを学ぶには、PBLだよねとデューイは語り続けたのです。

★教育と市民社会が、民主主義を創り続ける2極であり、それは引き合っているわけです。そういうわけで、シカゴにラボラトリースクールをつくったのです。

★この学校は、今年創立125周年を迎えます。しかし、それがデューイが求めたものであるかどうかはわかりません。デューイが行っていたのは9年です。資金調達がたいへんだったということです。デューイは「学校と社会」の印税を資金に当てていたらしいですね。その当時にPBLなんて受け入れられなかったからでしょう。

★デューイが「民主主義と教育」の中で、自分の理論とはなぜ違うのかと論理的にヘルバルト主義を批判しているのですが、この構図は21世紀型教育と20世紀型教育の違いに重なるのです。パンデミックで、21世紀型教育はポジショニングを得ましたが、デューイの時代は、パンデミックも世界大戦もあった時代です。

★国家のために戦う人材を生産しなければならにときに、そんな悠長なことは言ってられないという古いパラダイムがあったのだと思います。

★しかし、今もパンデミックはまだまだ猛威をふるっているし、油断すれば世界戦争も起こりかねない緊張状態を持続しているわけです。ただ、、デューイの時代と違うのは、化石燃料の覇権争いから新しいエネルギー創出の時代に変わってきたということでしょう。

★インターネットやコンピュータの発達が、遺伝子工学や生命科学を爆発的に発展させ、エネルギー再生の新しい道がどんどん生まれています。

★しかし、パンデミック以前は、既存の経済システムが、それを歓迎してこなかったのです。既得権益が、大量消費、大量生産、大量移動、大量情報の歯車の回転を止めようとしなかったのです。

★ところが、パンデミックは、この歯車を世界同時的に止めてしまいました。それでも、人間は生きなければならないのです。SDGsはパンデミック以前は、大量消費・大量生産・大量移動・大量情報を止めるのではなく、それらが引き起こす負の部分を抑制する方向で動いていました。

★しかし、今回のパンデミックで、大量消費・大量生産・大量移動・大量情報そのものを見直す、つまりグレート・リセットし、グレート・リカバリーしよというわけです。

★まだまだ、エネルギー問題は好循環になっていません。それゆえ、経済とニューノーマルな生き方はジレンマを解消できていません。

★にもかかわらず、ここを突破するには、私たちは新しい経験と新しい自然に対する考え方を生みだす必要があります。デューイは「経験と自然」という書で、すでにその方向性を語っています。なるほど、ローティが、デューイを読み直して、新しいプラグマティズムの道を開いたはずです。

★しかしながら、それは哲学の牙城の中での話で、社会実装に開かれていたわけではないのです。

★それがマルクス・ガブリエルさんと落合陽一さんが出現して、そこを実装段階にするわけですね。

★私たちは、それを教育で行うとしています。シカゴのラボラトリー・スクールは、デューイをどのように継承しているかはわかりませんが、「教育は人生の準備ではなく、人生そのものだ」というデューイの言葉を大切にしています。それゆえ、人間は常にそして死に至るまで学び続けるのですね。

★教育も学びも人生そのものです。だとしたら、教育や学びの機会は学校だけのものではありません。道端の石ころからでも学べるとは詩人の言葉でしょうが、人生は、自らの才能を自ら見つけ開いていくことです。それはいまここにいる瞬間も同じです。ですから、あらゆる時間あらゆる空間が学びの過程なのです。ただ、自分のことは自分でわからないという哲学命題もあります。日々そこには黄金律があるわけです。つまり、あなたのしてほしいことを他者にもしなさいという対話という存在者がいるわけです。

★デューイがこの対話をinteractionではなくtransactionと語ったのは慧眼だったということですね。

★そして、人生そのものの教育や学びであるには、ヘルバルト主義はうまくいかないのです。PBLがキーになるわけです。ヘルバルト主義は近代国家主義的教育です。PBLを提唱し実践したデューイは、市民社会を念頭に置いていたでしょう。グローバル市民とはそこに位置づけられているわけです。

★日本の私立学校が、明治期にヘルバルト主義の官学と対峙しデューイ的なPBLを受け入れようとしていたのには重要なお意味があったのですね。戦後再び、ヘルバルト主義的に陥る私学もありましたが、2021年は、再びにデューイに立ち還るという動きが起きているのでしょう。マルクス・ガブリエルさんと落合陽一さんは、それが文化と倫理の復権という新啓蒙主義だと、番組の中で語っていました。

★大きな方向性が生まれました。同時に大事なのはそれぞれが自由に学ぶことです。人生は誰かに支配されるわけにはいかないのです。しかし、自分では自分のことはわからにのです。協働するしか誠の道はなさそうです。それには文化と倫理が確かに必要です。もちろん、自由を束縛するのではなく、自由を生み出す世界を創るために。

★そうそう、そして、脳科学のパラダイムが、同時に変わります。ニューロンだけが脳の働きを支えているのではなく、ニューロンとニューロンの間にある部分が大量に発見されたのです。従来の顕微鏡で覗くとき、そこにある液体が流出して、その存在を確認できなかったというのです。

★毛内拡さんの「脳を司る脳」は必読です。デューイは19世紀後半から20世紀前半まで92歳まで活躍していましたから、パンデミックも世界大戦も経験しています。それを民主主義と教育でなんとか問題解決しようというのがプロジェクトでした。ノイマンコンピュータも験しているし、そもそもライプニッツが計算機の土台を創っていますから、デジタルな自然も予感していた可能性があります。とはいえ、ノートパソコンを見たわけではありませんから、落合陽一さんの考える新しい自然概念までは到達していなかったでしょう。

★ですが、自然概念を広げる論を展開はしていたのです。

★ヘーゲルを超えようとしていたのは、まさにマルクス・ガブリエルさんと同じ発想です。

★しかし、さすがにIT発達に伴う脳科学の躍進までは捉えていなかったでしょう。

★デューイに還るも、さらに新しいプロジェクトが立ち上がるという意味が教育におけるグレート・リカバリーの意味だと思います。リカバリーとは、意味を創ること、世界を創ること。それがファンタ―ジェンを持続可能にするでしょう。

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