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2021年3月14日 (日)

wish自由とwill自由(01)争い事と交渉事

★世の中は、いつも自由と規制の葛藤で混乱を生み出します。これは解決困難で、できたためしがありません。ですから昔から種類や方法は千差万別ですが、争いごとは絶えないわけです。しかし、同時にそればかりだと、人類は滅んでいますからそうなっていないということは、交渉をしながらなんとか均衡を保つ時間があるということです。

★そのうちに、解決する争い事もあれば、別の新しい争い事が起きることもあるというわけです。再び交渉がはじまるわけです。壮大な歴史も人生としての歴史も、争い事と交渉事の連続であるわけです。それゆえ人生は物語そのものなわけです。そして、この交渉事が対話術によって行われる時、均衡の時間は長持ちします。これについては、いずれ述べます。

【図1】

Wish

★さて、争いが絶えないのは、個人が普遍と特殊をどう考えているか違うからです。普遍を社会、特殊を個人と置き換えたとき、社会の中の個人としてとらえることもできるし、その社会の中に納まっているのは窮屈だ、そんなの関係ないと社会と個人は別々だと捉えることもできます。

★この考え方の違いで争い事が起こるわけですね。中世以来の普遍論争という哲学的闘争もその一つです。哲学論争であれば、それは議論として尊重していられるわけですが、ことそれが戦争となるとただ事ではないのです。この違いが宗教戦争を起こしていたことは、世界史を見れば明らかです。

★ですから、議論や戦争に一定の解決策を講じるために交渉をする時間というのが必要だったのです。デイヴィッド・ヒュームが倫理の条件に時間をセットしたのは、まさに当時の経験の観察からでてきたのでしょう。ヒュームに限らず、哲学者たちは、戦争とパンデミックにいつも迫られていたからです。そして、この環境は今も続いていることは、いまここで私たちが実感していることです。したがって、この倫理と時間の問題は現代社会でも継承されています。交渉にかける時間を重ねることの重要さですね。

★授業は交渉というより、対話ですが、この対話なき長時間の講義形式の授業は、実は倫理上問題だという気づきも生まれつつあります。オンライン授業の中に対話のシステムがなく、オンディマンドだけだと何か変だと大学の学生はクレームをあげます。今回のパンデミックで、それはメディアでもSNS上でもあふれました。これを無視すると倫理上の問題が起こることは、もはや説明するまでもないでしょう。

★何か事件が起きたとき、初期対応で謝罪が送れると、法律上の訴訟はあまりおきませんが、倫理上の問題は追究されます。この謝罪が交渉術的にとらえるか対話術的にとらえるかで、また問題の現れ方は違いますが、それについては、また改めて。ともあれ、時間というの概念は、たんなる物理的な意味だけではなく、倫理的なそしてもちろん感情も関係しているわけです。このような時間概念をもつかどうかで人間かそうでないかが区別できるかもしれない程です。

★というわけで、上記の【図1】のように、普遍と特殊の集合論的な関係は、対話によって循環するわけです。この図の中には、3つのタイプの関係があります。違うタイプの考え方をしている社会と社会、個人と個人、社会と個人が対立するわけですから、交渉によって、つまり、この考え方をグルグル回していくうちに3つ目にステップアップすることで、普遍性と特殊の共通点を見出すことができます。ここでようやく、妥協していくというわけです。こうして、自由の安心安全が紡がれるわけですが、これはしかし、油断していると、もとに戻ってしまい、また交渉するということの繰り返しになるわけです。

★元の木阿弥なんて言葉がすでに存在しているわけですし。

★これは、常に一つのタイプを続けていると自由になりたいという意志がこみあげてくるからですね。この自由を私はwish自由と呼びたいと思います。今の束縛、つまり共通性という普遍性から逃れたいという自由ということです。

★これに対し、wish自由はローカル普遍に自分を適合したいとか適合させたくないとか、普遍に適合させる自分の自由にこだわっているのに気づき、なんだそもそもローカル普遍を見直して、新しい普遍を創ってしまえというのが、will自由です。

【図2】

Will

★【図2】のように、wish自由の循環から飛び出るわけですね。起業家精神が大事だなんていうのがトレンドなのは、wish自由からwill自由へということでしょう。創造思考が大事だとかアート思考が大事だとかプロジェクト思考が大事だとかいうのもそうですね。

★wish自由循環は、演繹推論と帰納推論で正解がある程度あります。しかし、will自由は、正解はありません。あくまで仮説推論です。したがって、wish自由論者から見れば、訝し気に思われてしまうのは、will自由論者の運命なのです。

★しかしながら、運命に身を任せていると、will自由論者は独善的・独裁的になりがちです。万能感に溺れると大変なことになります。自分ひとり溺れているうちは問題はありませんが、普遍性を創るわけですから、周りも巻き込まれます。それゆえ、クリエイティブシンキングには、クリティカルシンキングが欠かせないということです。2つのWと2つのCがダイナミックに交差するのがシステム思考なのです。

★完璧なwill自由とか完璧なクリエイティブシンキングとか、多/他から独立したものを求めると、関係を断ち切る要素還元主義に自ら陥没していくのです。

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2019年11月16日 (土)

八雲学園のグローバル教育(01)国際的教育ネットワークのビッグバーン

★八雲学園が、ラウンドスクエアの加盟校として大活躍していることが、様々なメディアで取り上げられるようになりました。

読売新聞:国際私学連盟「ラウンドスクエア」で世界に触れる…八雲学園

首都圏模試センター:ラウンドスクエアに正式加入で、世界中の学校とつながる

進学通信:ラウンドスクエアで実践「使う英語」の力を伸ばす - 八雲学園

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(順天の未来の学校を創るフォーラムで、近藤隆平先生は八雲学園の加盟しているラウンドスクウェアの意味について語った。)

★ラウンドスクエアには、世界50カ国のエスタブリッシュな私立学校180校強が、加盟しています。このエスタブリッシュが示唆するのは、日本では想像もつかない凄い教育を意味しています。なんといっても、高邁な精神的エリートが巣立つという意味では、東大エリートを生み出すことを目的にしている高偏差値校の日本の私立学校とは違います。

★この景色が全く違う国際的教育ネットワークの中で多くの学校と絆を深め広げている八雲学園の教育も、多くの刺激を受けて、破格のグローバル教育が進化しています。そしてその進化は止まりません。

★これは、ある意味国際的教育ネットワークのビッグバーンが八雲学園で生まれていることを示唆しています。

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(国際的教育ネットワークのビッグバーンを仕掛けている同校英語科主任の近藤隆平先生)

★前日に米国の新しいネットワークをリサーチしに行き、帰国したばかりの近藤隆平先生に話を聞きました。今八雲学園で行っているC1英語を学ぶ環境づくりやICTを活用したPBL授業は、日本ではまだまだ広まっていませんが、世界のエスタブリッシュスクールでは当たり前の環境だということです。

★しかも、STEAM教育も相当ハイレベルで進んでいるということです。無人自動車のプログラミングまで行い、都市化する国際社会の環境をいかに持続可能にするか中高生が研究していて、日本から世界を見ているだけではわからないことだらけだということでした。

★ラウンドスクエアに加盟したことで、すでに日本からみらたグローバル教育をはるかに超えていたと自負をしていたけれど、そのネットワークに実際に入り込んでみて、新しい気づきや発見だらけだそうです。

★このような教育に刺激を受けて八雲学園の教育もダイナミックに変わっていますが、自前ですべてを実施することはできないので、どんどん連携していきたいということです。八雲学園の日本の文化に接する機会が多い教育やマインドフルネスな教育は、海外の学校からも人気で、毎月のように加盟校の留学生がやってきます。それに、八雲学園のすべての生徒が英語でコミュニケーションをとれる環境になっているため、そこで躓くことがないそうです。したがって、相互連携はどんどん広がっていきます。

★一方で、おもしろいのは、加盟校以外に存在するエスタブリッシュ校との出遭いです。ラウンドスクエアはある意味強烈な理念共同体で、極限の自然体験や自己犠牲も顧みないボランティアなどの経験を大切にする教育コミュニティです。

★ですから、世界のすべてのエスタブリッシュスクールが加盟しているわけではありません。しかしながら、加盟校出身の教師が、やはりそのようなエスタブリッシュスクールで勤務している場合も多く、ラウンドスクエア出身の教師ネットワークは、ラウンドスクエアを超えて広がっています。

★今回も、近藤隆平先生がリサーチに訪れた学校は、ラウンドスクエア加盟校ではないけれど、その学校の教師の1人が、ラウンドスクエア加盟校であり、八雲学園の姉妹校でもあるケイトスクール出身者で、現職のケイトスクールの教師とも当然知り合いだったりと、なんだかずっと前から交流があったかのごとく、コミュニケーションができたというのです。

★八雲学園の生徒は、これからどんどん国際的なネットワークをつないでいきます。歴史は繰り返します。このようなネットワークが、世界を創り、変えていく力になるのは推測に難くありません。

 

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