21世紀型教育

2024年9月 5日 (木)

2050年社会をユートピアにするかディストピアにするか(04)工学院・聖学院・文大杉並 世間から見えない次元の教育をしているワケ

★工学院、聖学院、文大杉並(五十音順)の3校は、塾やメディアなどを含む世間からは見えない次元までの教育を実現している。もちろん、21世紀型教育の牽引校で、海外大学もたくさん合格しているということは世間から十分に見えている。しかし、3校を選ぶ受験生や保護者はそれ以上のsomethingを感じ取っている。

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★東大や経団連が提唱していることも2030年社会から2050年社会の次元だから、世間はそこも見えていないが、それ以上の次元の教育を行っている3校の本質的で根源的教育はなかなか世間には見えない。

★本来メディアやジャーナリストはそこを見抜いて、その意義や重要性を語り、時代を超える天才B3C3のポジションに現れる個人を見つけるはずだ。学校にかかわりなく、そこに現れる個人はいるものだ。しかし、この複合的リスクの時代、1人その天才児だけが活躍するわけではない。

★あの20歳でなくなったガロアは数学を超える数学を発想した天才で、今もその発想は拡大している。しかし、それにはガロアと共感共鳴共創できる精神と技術のある人材をたくさん生み出す学校が必要なのだ。

★その学校の象徴が工学院、聖学院、文大杉並である。ガロアがどんな偏差値があったというのだろう。計算が苦手だったというから、とても開成学園には合格できなかっただろうに(微笑)。

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2024年9月 2日 (月)

ドラマエデュケーション これからどんな展開になっていくのか?

★平田オリザさんの演劇教育について、東洋経済education×ICT2024年9月2日掲載されています。「平田オリザ、なぜ「演劇教育」が主体的・対話的で深い学びの実現に有効なのか演じる、フィクションの力を使った学びの効能」がそれです。私は、ドラマエデュケーションについてはその歴史や変遷や各分野への広がりについてリサーチしたことはありません。ですが、重要なのだろうなあというのはいろいろな学校の様子を見ていて感じてきました。

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(作成はBing)

★もうずいぶん前ですが、平田オリザさんが実際に訪れてドラマエデュケーションを行い、今でもオリザさんのお弟子さんたちが毎年引き継いで、その学校でドラマエデュケーションを行っています。その学校とは海城学園で、説明会では必ずこの教育の意義について語られます。

★文化学園大学杉並のDDコースで行われるPBL型授業では、一つのトピクの授業が終わるときにプレゼンテーションを行いますが、スライドでスピーチをしてもいいし、絵で表現してもいいし、ドラマで表現してもよいという、多様なプレゼンテーションを選択できるようにしているのをみて、ここでドラマなのかあと妙に感激したことを覚えています。

★昨年も東京私立中学校演劇発表会で特別賞を受賞したのは、工学院大学附属です。その存在について知ったのは、10年前の2014年の学校説明会に行ったときのことでした。OGがたまたま来ていて、演劇部だったことを話してくれました。演劇部が、自分の価値観や創造性や人間関係づくりを育んでくれて、それが学びにも大いに役立ったと。八王子のあの公立大学で学んでいたのを覚えています。

★聖学院の英語の授業は、よくロールプレイとして寸劇を創って表現する授業が展開していました。フランスから来た友人が学校を視察したいというので、聖学院の英語の先生に頼んだら快諾していただけたのです。シナリオを作成するときにフランス人の友人もある一つのチームにファシリテーターとして参加していました。彼女は多言語主義者で、日本語も話せますが、そのときは英語でコミュニケーションをとっていました。

★パロスバーデス(米国)のプレップスクール2校を視察に行ったとき、驚いたのは、両校とも演劇専用のホールが建設されていたのです。体育館やグラウンドとは別にあるのです。両校とも、今でいうPBLは当たり前での学校だったからかもしれません。

★ミュンヘンのシュタイナー学校を訪れたときも、当然ながらドラマエデュケーションは盛り上がっていました。

★社会学者のゴッフマンが、演劇から社会を考察する手法をとっていたので、そのアプローチからドラマエデュケーションを考察するのも一案だと思っていましたが、未だにやっていません(汗)。ただ、ゲームのRPGや最近Youtubeで、ゲームの世界を異世界転生に置換えている作品をみると、見事に役割演技が仕組まれているし、麻布の国語の入試問題で出題される物語の構造も、それに重なるなあと感じています。

★カトリック学校では、中学ぐらいまでは、「聖劇」を行っているところも多いですね。

★サイトで語源辞典などを調べると、ドラマも演劇もその語源はギリシャ語のようですから、ドラマというか演劇の歴史は世界史をたどれるレベルです。ドラマは結局「行為」がその原点で、演劇はシアターですから劇場という「空間」がその原点です。

★平田オリザさんが、演劇教育が「主体的・対話的で深い学び」に重要な影響を与えると考えているのには、オリザさんの独自の手法とその根底に自由でありながらシナリオのある創造的な「行い」とそれを生み出す「空間」の仕掛けがあるからでしょう。

★AI社会にあって、「行い」と「空間」の意味付けがリアルとサイバーとで多次元になります。リアルな空間でのビジネスとサイバーでのビジネスがハイブリッドになっていくSF的な(あのマトリクスみたいな)ドラマエデュケーションに着々と進行しているのでしょう。

★その中で変わらないものは、「行い」と「時空」です。その意味と組み合わせはどんどん変容していくのでしょうが。

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2024年8月31日 (土)

聖パウロ学園高等学校 愛ある若き教師チーム(2)生徒1人ひとりの思考動のコンセプトレンズが生まれる愛の教育

★聖パウロ学園高等学校は、中学はありません。したがって、3年間で私立中高一貫校以上の教育を行うにはどうしたらよいのかを小島校長は試行錯誤/思考錯誤しています。その気概を愛ある若き教師チームも引き受けているということを、WSを通して改めて知り、頼もしいと感じました。

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★私立中高一貫校以上の教育になる必然性は、入学してくる生徒の思考動(想いやものの考え方、行動力)の資質能力が、圧倒的に潜在的な状態であるからです。偏差値はどうでもよいのですが、わかりやすいので偏差値でこの状態を考えてみましょう。中学受験の偏差値というのは、同年代の小6の10%の母集団が対象です。高校受験の偏差値はのこりの90%の母集団が対象です。するとたとえば、偏差値50前後というのは、中学受験と高校受験では同じ生徒のレベルを現しているわけではないのです。

★よく中学受験の時の偏差値50は、高校受験の時には65以上だといわれるのはそういうわけです。

★聖パウロ学園は、このような格差をふっとばすために、3年間で生徒の思考動を図にあるように拡大します。そのためには、一方的に知識を教え込んでいたのでは、何も変わらないのです。

★そこうで思考動を揺さぶる教育を行い、思考動を駆動させるコンセプトレンズを、生徒1人ひとりが見出し組み立て磨いていく教育環境デザインを小島校長率いる教師集団が創意工夫し世界を奔走してつくっているわけです。

★それには、愛と経験と挑戦が必要なのだと若き教師チームは熱く語るのです。そして、それを実現する多様な授業デザインや探究プログラムなどを日々追究しているわけです。

★この思考動のコンセプトレンズが駆動すれば、私立中高一貫校の生徒以上に想いやものの考え方や行動力がパワフルになるのです。もちろん、私立中高一貫校がこの思考動コンセプトレンズを身につけられる環境をつくれば、それは可能ですが、まだまだこの存在に気づいている学校は少ないのです。IBスクールは、この思考動コンセプトレンズを身につけるコアカリキュラムがありますが、聖パウロ学園にも同じような教育環境デザインが今組み立てられています。

★もっとも、このことは、パウロの先生方は自分たち自身では気づいていないのですが、高大連携のプログラムを実施していく中で、そこに立ち会った大学教授や有識者の方々に指摘されてハッとするようです。私がいくら言っても、身内ですから誰も納得しないのですが(汗)。

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2024年8月29日 (木)

聖パウロ学園高等学校 愛ある若き教師チーム

★聖パウロ学園は、夏期講習の真っ最中。9月の学校説明会の参加者も満員御礼。15時までの講習授業が終了後、若き5人の教師と小島校長とパウロの教育や授業の相互主観を生み出すワークショップを行いました。70近い私がファシリテーターでしたから、先生方の気遣いは身に染みました。

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★聖パウロの教育の特色をグルグルアクティビティで、1人ひとり語り続けていきます。聞く側の寛容な姿勢が、パウロの教師らしいなと思いつつ、ウェルビーイングの主観的な想いや哲学的な側面や公衆衛生的な側面から、各教科の専門領域からアプローチして語っていきました。

★こうして言語化を共有することで、相互主観の質が深まっていきます。

★トウールミンモデルをプロンプトエンジニアリングで活用したり、三角ロジックのうちアブダクションを共有したり、思考のスキル的なことも少し共有しました。

★しかし、そのスキルも愛というマインド以上のマインドがあるから、単なる技術として授業で生徒と共有するわけではない本質的な淵にたどりついたところで、チェックアウトとなりました。

★今回のワークショップの雰囲気自体がウェルビーイングな状態でした。本当にありがとうございました。

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2025年中学入試 次の次元に進む私学(06)八雲学園 父親も感動する学校

★私学展の八雲学園のブースを訪れた後、知り合いにバッタリ。八雲学園の娘を通わせている父親です。つもる話を一通りした後、そうそう娘に「お父さんありがとう。八雲学園を見つけてくれて」と言われてねと、目が潤んでいるので、それはよかった、本当によかったと共感を表現しながら、なにかあったのですかと尋ねてみました。

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★すると、中学3年生でサンタバーバラの研修から帰ってきた時、娘の中で世界が何か広がったようなのですと、その感動を伝えてくれたんですよと。

★私立学校とは、生徒にとってのみならず、父親にも、もちろんふだんは母親といっぱい話しているのでしょうが、感動が伝わっていくものなのだと改めて感じった瞬間でした。

★しゅとも9月号には、八雲学園のイエール大学との国際音楽交流についての記事が載ります。9月1日に是非見てください。

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2024年8月28日 (水)

2025年中学入試 次の次元に進む私学(05)富士見丘 グローバル教育の真髄

★東京国際フォーラムでの私学展でもたくさんの受験生・保護者が富士見丘のブースに並びました。7月に行われた首都圏模試センターの合判模試の志望校データでも、冨士見丘は昨年比増だと聞き及んでいます。人気の秘密は、グローバル教育に欠かせない部活動の強さです。テニスは中学でも高校でも全国で優秀賞を獲得するほどです。少林寺拳法も強いですし、模擬国連部も全国大会で活躍しています。

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★そして、多様性の受容システムが凄まじいわけです。留学生や帰国生は、英語は抜群ですが、日本語は不得意という場合、個別最適化のサポートが手厚いわけです。逆に日本の生徒の場合は、英語が得意でないという場合があります。英語のサポートも個別最適化なわけです。そして、英語が得意な生徒にはネイティブスピーカーがさらにその言語の才能を伸ばす個別最適化のサポートをする体制ができています。それは国語が得意な生徒に対しても同様です。

★つまり、富士見丘にとって、英語も日本語も言語としてサポートする個別最適化のシステムがあるわけですね。

★英語や日本語を、学習指導要領の教科の枠組に収めていると、このようなサポートは放置されます。

★教科横断とか学際的という言葉は、今の学習指導要領で注目されているのですが、まずは、指導要領が規定しているカリキュラム越境型ができるかどうかなのですね。教科横断型だけでは、学習指導要領内で、グローバル教育にはマッチングできないのです。この生徒の具体的な才能に応じた個別最適化は、世に言われているものよりもはるかに痒い所に手が届く大胆で細密な学びの環境なのです。これぞグローバル教育の真髄です。

★一般的なグローバル教育はマニュアル的なプログラムが多く、富士見丘のようなグローバル教育の真髄を見落としがちなのです。AIやOCTで個別最適化などと言っていますが、それは教科書内の話で、教科書越境型の対話ベースの個別最適化は、生成井AIでもまだまだできないのです。当面2050年までは、ここは教師の腕の見せ所ですが、富士見丘のような教師陣はなかなか得難いのです。

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2024年8月27日 (火)

SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)感性知の共創施設 疾風怒濤の現代化

★SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)は、渋谷スクランブルスクエアの15階に位置する感性知の共創施設です。産学からの多様な人々が交差・交流し、新たな価値を生み出す拠点になっています。本日東京私学教育研究所の公民の委員会が企画した見学研修会には、20人弱の先生方が集いました。
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(17階の展望カフェから)

★渋谷キューズエグゼクティブディレクターの野村幸雄さんがレクチャーと施設案内をしてくださいました。先生方は、QWZが単なるCOワークスペースではなく、産学から集まった多様な知が越境し交差し協働知をつくることによって、世界を変えるエネルギー態としての新しい価値を生み出す場なのだと興味津々でした。

★QWZは会員制のスペースで、多様なバックグラウンドの人々が集まっています。企業の新規事業担当者、社会起業家、NPO、自治体、学生、クリエイター、ベンチャーキャピタル、大学研究者など、幅広い層が集まっているのです。それに、感性知をゆさぶるアフォーダンスとしてのユニークな空間デザインはクールです。「リフレーミング」というコンセプトのもと、空間に“違和感”をちりばめることで、訪れる人の感性を刺激する設計と渋谷を一望できるランドスケープが地平線から非日常の感性知を運んできます。

★その会員メンバーが多彩なイベントとプログラムを生み、社会貢献活動や起業を生み出していく拠点でもあり、先生方は生徒を巻き込むには資金面ではどうするのか野村さんに質問していました。オーディションや奨学金のようなシステムに相当する設定があり、それを活用したり、3人以上でチームをつくれば、1人あたりの会費がリーズナブルになるので、さっそくチームを創ろうという動きをとる先生方もいました。

★それほど、魅力的な感性知の共創拠点です。

★野村さんのレクチャーの中で、リチャード・フロリダ教授の「クリエイティブクラス」の話がでてきました。彼らが創り出すクリエイティブシティが渋谷の再生のコンセプトのようです。

★このクリエイティブクラスの概念いついては、落合陽一氏も注目しています。

★今後世界の70%は都市化すると言われていますが、その都市のコンセプトデザインをどうするのか、アイデアと高度技術が交差する感性知が生まれる渦が巻き起こっています。

★理性よりも感性を重視したドイツの疾風怒濤時代や野生の思考を生み出した文化人類学の時代のフュージョンがこのQWZにはあるような気がしました。

★このような拠点で教育がときどき展開していくことは面白いし、今回集った先生方は、これからの教師像のロールモデルだと感じる感性を持ちえていました。

★すでに聖学院や実践学園女子はQWZを活用しています。なるほどなと改めて腑に落ちました。

★問いの感性を磨き、世界を変えるバタフライ効果を生み出すとは聖学院の伊藤校長の発想でもあります。伊藤校長は、この感性を磨き世界を変えるメタ感性としての感性知を実は日々言語化しています。

★産学共創のこのQWZの多様な対話の向こうにこの感性知があるし、その感性知が問いを生み出します。感性だけだと得意不得意がやがて生まれ、共創が競争になります。そこのところをしっかり見据えているのが聖学院の感性知です。

★でも、そこに気づく人はわずかでよいのです。要は楽しくてインパクトのある感性の問いが生まれてくることがイノベーションを生みだすレバレッジポイントであることは間違いないでしょう。とはいえ、イノベーションは必ずしも善ではないのです。この人間の不可解さ。エラーもあって人間です。AI社会にあってこの不可解さは許容されるでしょうか。

★リチャードフロリダは、タレント、テクノロジー、そしてトレランスがクリエイティブクラスには必要だと。マルクス・ガブリエルの「倫理資本主義」と親和性のある構想を描いていますね。

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2024年8月26日 (月)

「問いの力」AI社会でも変わらないコンセプトレンズ創出力~福島県私学教育研修会でWSを実施して

★8月22日・23日郡山で、福島県私学教育研修会の「教育課程部会」で、5時間のWS(ワークショッ)型研修を実施しました。主催の福島県私立中学高等学校協会の教育課程部会の大テーマは「新学習指導要領とこれからの授業デザイン」です。それをうけて「問いの力~授業と探究と教育活動を有機的に結合する」という小テーマに焦点をあてて、5時間先生方と楽しみながら深まっていきました。

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★かつて聖パウロ高等学校で校長をやりながら当時の企画戦略室室長・広報部長・数学副主任の伊東竜先生(今は互いに違う教育研究所に勤務)とコラボして「数学の時間」や「探究の時間」、「総合型選抜WS」、「保護者との対話WS」を実施しながら、トリニティークエスチョンを、生徒自らが解決したり、自らそのようなクエスチョンを創ったりするメタ問いであるコンセプトレンズとしての「問いの力」を見出すWSを教育一般化して開発したプログラムを、福島の先生方が受け入れれくださり、行えました。

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★今年ムーンショット目標に10個目「フュージョンエネルギー(核融合エネルギ)」が加わり、いよいよ2027年以降の新学習指導要領の方向性が見えたこともあり、身体を動かしたり(ロボットアクティビティ)、クロスクエスチョン(トリニティクエスチョンの1つ)を考えたりとチームで行いながら、なおかつ、参加者一人一人が幾度も「プロンプトエンジニアリング」をしながら、WSを進めました。

★昨年プロンプトエンジニアリングはまだ活用しなかったので、参加者は少し腑に落ちない部分もあったようでしたが、今年リピートしてくださった先生からは、非常に腑に落ちたとフィードバックをもらえました。

★プロンプトエンジニアリングはセルフPI(ピアインストラクション)で、リアルPIとディスカッション、アクティビティという協働的な活動の中に織り込むことによって、参加しながら自分の軸が見えてくるようです。

★それも伊東さんが、グーグルフォームなども使いながら、生成AIのアドバイス(初めて活用される先生もいました)をしながら、スマートに進めてくれたからです。私は東大や京大などの先生方との経験やリベラルアーツ的な知の背景をゴツゴツした感じでところどころ講義をするだけでした。30歳の教師と70近い元校長とのコラボなのですが、その知性の新しさと古さの違いが分かり、それも参加した若い先生方に希望と勇気を抱いてもらえたのではないでしょうか。

★伊東さんと私の共通点は、数学的思考(コンセプトレンズの根っこ)と対話型授業を楽しめるということです。そして「思考コード」を共有しています。それがなければ、こういうコラボは続かなかったでしょう。そこに生成AIの登場です。それが使えたので、WSでの思・考・動(情緒と思考と行動)の回転速度を加速でき、この類のWSを開発できたと思います。来年は、さらにおもしろいことになりそうです。

★私自身は、青山学院大学教授の若き俊英香川秀太教授の研究に親和性を感じています。別の研修にもご登壇いただきました。そこに参加した聖パウロ学園の小島校長も共感し、さっそく学内の研修でお招きする話が進んでいます。

★AI時代になっても変わらない生き方があるというのが、香川教授の軸ですが、先生自身最先端の情報分野で研究されています。そして商業経済と人間経済との循環というか融合のアイデアを持っています。生成AIやICTをどこまで道具として人間は活用していけるのか?を研究テーマの一つとしていると勝手に思っています。

★私は人間の最高の道具は「記号(言語と数学の両方の言葉)」だと思っています。私たちは自在に使う言語を道具だとは意識しないでしょう。手などもまたものを掴む道具でありながら同時に私自身のアイデンティティの1つのあり方です。

★しかし、一方で私たちは自分の言葉に溺れ、数学的思考を日常生活では関係ない道具としてみなしてしまうことがあります。それはAIやICTについても同様です。そうなってくると、人間自身の本来的なあり方を創出していく「問いの力」もまた消失するでしょう。そのとき人類は危ないですね。ですから、そうならないようにウェルビーイングな地球を問い続けていける「問いの力」を多くの方といっしょに探していきたいというのが伊東さんと私の願いです。

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2024年8月19日 (月)

2025年中学入試 次の次元に進む私学(01)文化学園大学杉並

★2日目の私立学校展早朝、準備のため会場を歩いていると、文化学園大学杉並のブースで理事長松谷先生と入試広報部長の西田先生がスタンバイしていました。ダブルディプロマに中学から接続できる体制を整え、非認知能力も認知能力も、メタ認知能力も身につけて、社会の困りごとを生徒の興味関心ある学びの分野で解決してくリーダーがたくさん輩出されている学校として、人気が高い学校です。

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★現行学習指導要領に変わる議論が行われる前夜である2013年あたりを機に、私立学校は、難関大学に合格するための知識力という認知能力を豊かにする学びだけではなく、モチベーションや情熱、考える力、行動する力といった思・考・動の非認知能力やメタ認知能力を豊かにする学びも開発していきました。

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★文大杉並も同様です。生徒がⅠの教育環境の中で学び時期は、久しくたちました。

★ですから、同校は、このⅠの領域を足場に、いよいよ新たな次元にシフトする準備ができたと認識しているようです。それが何であるかは、これからのお楽しみだそうです。それにしても、不易と流行の循環が次元を変えていく広がりに転ずる仕組み、そのコアは何でしょう。松谷理事長は、1つは何といっても人材戦略ですねと語る。確かに、今人的資本を豊かにすることは、教育の世界を超えて共通の課題です。

★私立学校の経営者として松谷先生の手腕はさすがです。

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2024年8月16日 (金)

極めて当然だけれど改めて重要な「個性」の質の大きさ フュージョンの時代へ

★工学院大学附属の教頭田中歩先生が同校中3のオーストラリアの研修から帰国して、メールを頂きましたが、やはり生徒のリアルな成長がすばらしかったようです。今度詳しくお聞きしますが、歩先生の生徒中心主義的な学習観(学習者中心主義と学校の公式用語では言っていますが、歩先生の教育活動は先鋭的な生徒中心主義だと勝手に思っています)はゆるぎないなあと感じました。徹底的に生徒が成長がする教育環境デザインをするのだけれど、歩先生の「知」は教師側から見た「学校知」ではないのです。経験的な知も学校知に回収されがちですから、そのような経験も大切にしていますが、学校を超える“One Earth”としての「超学校知」の環境もデザインしています。

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★学校知はクリエイティブティを支える基本的な世界の原理を学ぶところです。学習指導要領だけでは足りないので、工学院は破格のグローバル教育やSTEAM教育を実施しているし、その両方を探究活動にうまくつなげています。その基本原理を使うわけですから、生徒は同じように思い、考え、行動するはずなのですが、当然そうはなりません。

★それぞれ個性がありますから、それぞれ独特の思いと考えと行いが表出してくるのです。そこにクリエイティビティが生まれているわけです。しかし、学校知はやはり日本の国の制度的な制約は免れません。しかし、海外大学など進学する時、それ以外の知が必要になります。

★しかし、それは世界の基礎原理が足りないということではないのです。原理は世界共通ですから。では何が違うのか、それは「個性」です。当たり前のことを言うようでなんだということなのですが、でも実際は、その個性は主観的なことで、客観的な原理を優先するというアンコンシャスバイアスが意外とあるものです。

★歩先生は、生徒中心主義という活動を身体を張って遂行しているのは、この「個性」の質の大きさを大事にしているからです。だから、オーストラリアで成長する生徒の姿に感動できるのでしょう。もちろん、オーストラリアにもオーストラリアの学校知があるのですが、日本とはまた違うところもあるのです。世界を経めぐる工学院は、このズレを生徒が感じ取る対話力を育てています。

★このズレの融合体が、「超学校知」になるわけです。超学校知×学校知が、個性と社会貢献を生み出す工学院の教育なのだと改めて感じるわけです。フュージョンの時代です。

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