梶谷真司先生の哲学対話(02)哲学対話が生み出すこと
★梶谷先生のお話は、柔剛一体のスピリットがあります。哲学対話を無理やり学校や社会に浸透させる行動はとりません。運動体という無理強いはしないけれど、ムーブメントに自然になっていくことは歓迎ということです。しかし、哲学対話が成立する諸条件を学校や社会が満たしているのではなく、むしろ真逆の条件がそろっているわけです。
★その真逆の条件の文化の中で哲学対話をするのですから、嵐が起こります。この嵐が哲学対話を受け入れる条件をつくるきっかを創る人を組織の中に20%でも生み出せばかなりの可能性が開かれるということのようです。
★しかし、その状況を創る具体的な困難はちょっとリアルなので、ここでは控えましょう。いずれにしてもリアルな対話が原点なので、梶原先生と先生と一緒に仕事をしている研究員やお仲間と全国で対話の会を開いているというのです。
★それが新しい文化を生み、岩波の「思想」で特集が組まれるようにまでなっています。
★私は「哲学」というイメージが現状の学校ではネガティブなイメージがあるから、エッセンスをPBLなどのディスカッションに埋め込んでいく戦術だと語ったら、あえて哲学対話と表現することで、たんなんるおしゃべりには終わらない可能性があるから、むしろポジティブな意味での「哲学」というスピリットを共有する意味でも哲学対話を取り入れていることを表明した方がよいとアドバイスをうけました。
★PBL自体そのルーツがデューイだとしたら、プラグマティックな哲学から生まれているので、あえて哲学を表明しなくてもいいのではないかと思っていた私ですが、なるほどなと刺激を受けました。
★ただ、学校文化との不整合を引き起こし、学校文化が変わっていく方法論を私自身はおそらくとらないでしょう。ただ、強力な意志を哲学対話という哲学に感じました。
★不整合の中で自由に問いを生み出すのか?不整合なものを生み出す目に見えない壁を見つける問いを生み出すのか?どちらも同じ道なのか、どこかで交差するのか?それとも相いれないのか?
★仲間と今後対話しながら、道を選択するか作り直していくのか?次のステージに進むときがきたことだけは確かだと確信しました。
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