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2025年11月29日 (土)

AI時代の判断力

★AI時代は、AIにすべて任せるか、AIをサポートの道具として使うのか見極める判断が大切だと言われています。AIと人間が協働して取り組むと、実はAIだけでやるより成果などが劣ってしまうという場合もあるようです。まるで、大人が子供の学びに介入すると思わしくなくなるというのと似ていますね。

I-as-we-think-so-t-am

★そこで、そのように見極める「判断」を人間がしていくことが重要になるというわけです。では、その判断はどうやってできるのか?

★基本は、大所高所から眺め、具体的な状況を見定め、近視眼的にならず展望を持ちながらも、いまここで、最優先に状況を改善する道を選択判断する。

★問題は、個人の判断は、主観とその主観が集めた限定的な情報を客観的に扱い、論理的合理的に考えながら、倫理的な価値や審美観的な価値という感情をどうマネジメントするのかも合わせて判断する必要があります。

Iwe

★しかし、一方で、社会という組織もまた論理的合理的思考をするし、社会で広がる感情にも対応していく。組織によって主観的な要素もあるし、個人以上に収集集積した客観情報もあります。SNS上では、それがかなかうまくいかないで炎上することがあるわけです。これは、個人の判断と社会の判断がつながることによって、平衡関係を生み出すことがなかなか難しいことを象徴しています。

★なんとか平衡関係をつくりたいのです。そのためには、個人と社会=主観と客観という図式を調整する必要がありそうです。つまり、この思考と感情、主観と客観の座標を個人も組織も持ち、両者が個人と社会という軸と思考と感情という軸で構成する座標系を作り出すと考えてみてはどうかというわけです。これは、京大の出口康夫教授の「WEターン」という発想から考えてみたことです。

★このI as WEという考え方は、アリストテレスが人間は社会的存在だといったときから、ずっとあったのですが、ポスト資本主義にあっては、WEがぬけおちたIというイメージが広がったかもしれません。それにWEのリアルな範囲や関係性が、ギリシア時代、中世、近世、近代、現代ではずいぶん変わりました。

I-as-we

★立ち戻ってこの座標で考えてみる価値はあるかなと考えています。その座標系でどのような関数方程式を創造するのか。これが最終的な判断方程式になるのではと。判断はIという個人が行っているようでもその背景にはWE(人間だけではなく自然も含める)と相互に関係しあっている。WEとしてのIが判断するメカニズムを構築することが複雑で予測不能なAI時代には必要になりますが、どうやって方程式を生み出すのか?結局省察(デカルトいう意味でのmeditation)付き対話を続けることで。

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