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2025年11月29日 (土)

教育言説から抜け出る目で学校選択をすることもときには大切

★教育言説。学校や教育関係者が使う教育の中だけで通用する言葉があります。教育関係者や学校では、疑いもなく使われています。たとえば、絶対評価なんて言葉は、学校や教育領域の外で使われているとしたら、いろいろな問題が起こるでしょう。「絶対」という意味が学校と社会では少し違いますよね。相対評価にしろ絶対評価にしろ、生徒自身が自らを評価し、絶望を希望にかえる努力を抑えてしまう場合もあります。評価とはもちろん改善のためのモニタリングの基準ではありますが、それはそこで終わるのが目的ではないのです。

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★自己効用感とか自己肯定感とかも心理学の言説だったのでしょうが、今では教育言説です。疑いもなく、効用感や肯定感を上げようとします。もちろん大切なことです。しかし、その効用感や肯定感は、相対評価や絶対評価からはなかなか生まれてこないのです。学校評価は、基本客観的と言われています。この客観的という言葉も実は教育や学校で使われるとき、言説になっています。学校教育において、科学的客観性の高いものは意外と少ないのです。本来は質的評価しかできないのに、定量的に評価し、数字になるから客観的だとなりがちです。

★自分はいったい何者なのかを判断するのは、論理的合理的思考だけではないのです。善き雰囲気や審美観的感情や多くの人が国を越えて持っている倫理観みたいな言語化が難しいものもあります。

★それらを感じるには、自分一人だけではできないし、誰かが作った基準に従って自分を知ることもできないはずなのです。ですからできないのだから、それを謙虚に受け入れ、仲間と自然と歴史と本を通して先人と・・・・・対話をしながら自分知っていくのです。主体的というとき、主語は「私が」でしょう。でも本当は「私たちが」という感じかもしれません。

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★リフレクションをしながら、そこは教育言説を改めて問い返している先生方がいる学校があります。そこで学ぶことはもしかしたらハッピーかもしれません。リフレクションすら今や教育言説です。ですから、デカルトのようにあらゆることを懐疑し探究し続ける「省察(meditation)」をしている教師がいる学校を探してみる余裕も必要かもしれません。

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★国語、英語、探究も今や教育言説です。国語は教科書を学ぶことではないし、英語は英検の級を上げるためのものでもないでしょう。探究もスタートアップするためのものではないでしょう。

★もちろん。それはそれで問題ないのですが。言語の意味や探究の意味を生徒自身が自ら複雑な人間の心情や思考、自然のシステムと社会のシステムの複雑な絡み合いなどを紐解いていくスキルやツールを自分の身体に適合させていく環境もまた必要でしょう。未来はもっと複雑になるのです。しかし、一方でその本質を洞察するシンプルな自分の基準やスキル、判断の経験を積み上げていくことなく、外部のツールや情報、テクノロジー、システムに動かされていく疑似アクティブな主体性を行っても、そしてそれを相対評価や絶対評価をしても、その生徒の内側に身体に何が蓄積されるのでしょう。

★教育で使われる言葉が、生徒自身の魂を豊かにしていく糧であるか、生徒自身の魂を小さく押し込めてしまう教育言説になっているのか、見極めることはおそらく重要です。

★あらゆる問題は、教育言説に従う環境で起こっている可能性があるのです。

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