★今メディアは、毎日のように、学校現場におけるいじめの問題やカスハラなどの問題を取り上げています。問題は複雑で多面的ですが、何らかのハラスメントが発端です。マルトリートメントという言葉が扱われるようにもなってきています。一見ハラスメントのように思えない程度の圧が加わるコミュニケーション文化がある場合のことをいうわけですが、これは外から見ているとなかなかわかりません。

(リフレクションによって、個人の民主主義対する視野を広げていきます。そして、1にとどまらないように同時に5にならないようにするリスクマネジメントとしてのセルフリフレクションのメカニズムも大事ですね)
★しかし、その学校が、このようなハラスメントを撲滅しようとしているかどうかは、説明会や入試問題を見えればある程度わかります。もしかしたら、かなりわかるかもしれません。
★基本的に、学校は民主主義的な組織になっていますが、実際には、組織ごとに民主主義の作り方は違います。シンプルに、公平と自由と友愛を生み出す方法が違うと考えるとよいと思います。
★この民主主義の3条件を、理事会がつくっているのか、教職員が作っているのか、教職員と保護者、生徒が協力して作っているのかによって、だいぶ学校の民主主義の在り方は違ってきます。
★そして、学校組織の民主主義の在り方と、自治体などの社会が作っている民主主義もまた必ずしも同じではありません。教育行政とそれをさせる予算がかかわってきますから、その配分は、自治体によっても違います。
★さらに学校の民主主義の在り方と社会の民主主義の在り方と国家の民主主義の在り方も必ずしも同じではありません。国家の民主主義の在り方も政権が異なればまた変わります。
★どの組織も公平と自由と友愛を持続可能にするための基本的な国会を通じて決定される法律は同じです。しかし、それが具体的に適用されるときに、理念は同じでも具体的条件は違ってきます。
★そして、この違いは、解釈によってもさらに異なります。したがって、公平や自由や友愛を尊重しながらコミュニケーションをとっているにもかかわらず、行き違いが起こります。学校で起こるのは、この法律に違反した非民主主義的な活動は当然それは迷うことなく違反ですが、学校に限らず、組織によって自治体によって国によってその違いによっておこる葛藤や矛盾が解決されないまま放置されることによって法的な問題になる場合が実はハラスメントによるここ数年の学校の法化現象の傾向なのです。
★価値観や法律やルールの解釈の違いはあるのが当然です。それが民主主義社会です。そして同時に、その違いを越えていくあるいは解決していくのも民主主義社会です。どうやってか?それは対話によるしかないのです。
★ですから、この対話を行っていることがわかるのは、説明会や入試問題なのです。そしてその対話が、単に情報提供の場ではなく、事実と意見とデータサイエンス的な根拠が丁寧に共有されるものであるかどうかが大事です。
★説明会では、授業の中でそのような対話が行われているかどうかが意外とわかるものです。また、入試問題も意見を求める記述式問題や論述式問題が出題されているかどうかで、意外とわかるものです。
★そして、その対話に「リフレクション」メカニズムをアップデートし続けているかがとても重要です。リフレクションしていますだけではんかう、そのメカニズムを可視化している学校かどうかということですね。
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