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2025年10月12日 (日)

哲学対話や哲学教育がトレンドになる理由 創造的破壊

★思想10月号や田村耕太郎さんの新刊、多くの私立学校や教育機関で英語で哲学を教えているアレックス・ダッツン先生の人気は、日本の教育に哲学対話や哲学教育が浸透していることが象徴されている動きとして捉えることができます。

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★仮に哲学という言葉を使わなくても、探究でまず身近なところから始め、問い返しながら本質を見出したり、矛盾を解き明かす挑戦をしたりというのは、すでに哲学的行為といっても言い過ぎではないでしょう。

★このことは哲学対話で全国を回っている永井玲衣さんが「水中の哲学者たち」の中で語っている「手のひらサイズの哲学」といえるものと同値かもしれません。

★ただ、永井さんは「わかる」と「わからない」は連続しているものだと捉えています。「わかる」と思っているものは、実は「わからない」と気づくこともあるし、「わからない」と思っていることが、わからないままではあるが、相互に納得いく対話に行きつくときもあるというまさに「手のひらサイズの哲学」なのですが、今はやりの探究のように問題解決に到達してわかったと思うのは、どうやら哲学的ではなさそうです。

★だから、私は、哲学的対話は必要だけれど、探究活動とはまた違うものだと思います。哲学者は哲学対話は教育において、進路などの目的の手段になるジレンマを感じると「思想10月号」の中で口々に語ります。

★それを何とかしたいという真摯な思いに感銘をうけますが、哲学とはそういうものでよいと私は思います。AI時代、最後は工藤直子さんの詩「てつがくのライオン」のごとく「てつがくのわたしたち」でよいのでしょう。わかったと到達したらAIに取り込まれてしまいます。AIは回答をだそうとしますからね。そこが「てつがくのわたしたち」と違うところです。

★だから探究は哲学的な部分があってよいのですが、同時に実利的でもよいのです。目の前のことにこだわるのは対処療法で、もっと先を考えよといわれるかもしれないけれど、今目の前で困っている人を見て、長期的に見れば、このように困っている人が生まれる制度や社会の構造をなんとかしなくてはと咄嗟に考えますか?

★もしそれが哲学だとしたら、たんなるアホですね。目の前のことを何とかしようと、自分なら何ができるのか、できない自分を責めて絶望するんです。そこからどうやって立ち臨むか。そんな勇気こそが地味で手のひらサイズの人間の思考と行動と意志と情緒の塊でしょう。

★それゆえ、哲学といっても哲学対話をして気づくだけの哲学以外に、実利的なプラグマティックな発想と創造力も必要なのです。そして実はこれもまた新しい哲学です。

★哲学はおそらく学問であってはいけないんだと思います。哲学者は学問としてあるのはもちろんよいのです。ただ、AIを駆使してなるべく働かなくても生活を維持でき、余白の時間がいっぱいあって、そこで個人の主観を豊かにしていく生活を創るというライフキャリアの思考力が哲学であればよく、学問である必要はないのです。もちろん、人生哲学のことを言っているわけではありません。

★かつて、ソクラテスやプラトン、アリストテレスなどが、AIの代わりに奴隷制度によってその余白を享受しました。その意味で、私は古代の哲学者の発想に諸手を挙げて賛同できません。

★現代においては、余白そのものが仕事として成り立つ組織やチームを作ることが、新しい哲学を生み出すことができると思っています。手のひらサイズの哲学というよりは、自分とチームが日々の中で地味に創り上げる新しい哲学です。

★実はカントやヘーゲルだって、そうだったのです。彼らの哲学の権威は後世の人がつくりあげていったのです。彼らだって、ぎりぎりの生活を維持する仕事をしながら、余白をどう生み出すかへの挑戦をしていたのです。

★近代以降はその権威を大学という組織で作り上げていったのです。しかし、だから人類全員が余白を享受できるようにするには、知を権威から解放して等しく人類みなに分かち合える必要があるのです。

★そのために、AIは欠かせないし、閉塞した権威に有利な状況を創造的に破壊するためにグローバルな対話が必要なのです。

★そこまでの過渡期として、今哲学対話や哲学教育、手のひらサイズの哲学は必要でしょう。限られた資源を公平に分けるのは確かになかなか大変です。権威競争や戦争にまで発展してしまうのですから。

★ですが、知は限られた資源ではないのです。限られた資源にしているのは権威なのです。そうしないと自分の身が危険だからです。生成AIは、限られた資源としての知を無尽蔵の知に変換します。活用しようと思えば、だれでもが活用できるようになるのです。

★この世界を作るためになら哲学対話は歓迎ですが、そのための手段として哲学対話を使うのはジレンマだと哲学者がいうのは、その人が哲学者だからです。わたくしは一市民だから、哲学対話が、人類すべての人が無尽蔵に知を活用できるようにする目的のためであれば手段でもよいと考えます。

★本質というのは、哲学の本質的な使い方なのか?人類のみながウェルビーイングになるためなのか?それは私事の自己決定ということでお願いしたいのです。

★この新しい哲学という意味で、子供から大人まですべての人が哲学を楽しめ深めることができる思考実験をしているのがアレックス・ダッツン先生です。対話のアウトサイドとインサイドを往還する思考のメカニズムを個人が開発できるのです。哲学者のアシストなくしてできるようになるメカニズムです。

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