★一般財団法人日本私学教育研究所は、全国の私学を13ブロックに分けて、毎年初任者研修を行っています。先日13ブロックの初任者研修の委員長(校長が中心)がアルカディア市ヶ谷私学会館で一堂に会しました。東京私学教育研究所もその中の1ブロックです。
★2025年度の初任者研修を終えて、各ブロックのミッション、目的、プランニングの方法、プログラムの内容、次年度の課題などについて報告し、全国私学で共有します。
★各ブロックの特徴的なねらいや創意工夫があり、多様なプログラムが実施されていますが、共通の基盤は、座学のみならずなんらかのディスカッションや対話をプログラムに織り込むということです。
★今では当たり前かもしれませんが、最近までは座学が中心の初任者研修が多かったのですが、ここ3年くらいでついに全国でディスカッションや対話を導入するようになったのは、画期的です。
★知識や技術の注入だけでは、AIの時代には、研修として成り立たないという意識も明確にあったのには驚きでした。

(このアイデアは英語で哲学を教えているアレックス・ダッツン先生の授業から刺激を受けて)
★そして、次の段階ではディスカッションや対話の質です。ここをどうするのか?そこで哲学対話やデザイン思考、システム思考、IBL(探究ベースの学び)などの多様なPBLのスタイルが行われることになるのです。
★このことだけで、教師は十分に世界を広げ思考を深めることができます。しかし、これを教室現場にもっていくとどうなるかというと、いくらディスカッションや対話をしても授業としては満足度は高いのですが、生徒一人ひとりひとりの世界が広がり思考が深まるかはまた別問題です。世界が広まり思考が深まる生徒もいれば、そうならない生徒もいるのです。
★このため、教室現場では、結局知識を注入し、チェックテストなどで定着させる方法がどうしても多くなります。このことをもって教育や授業はなかなか変わらないのだと言われるわけです。ディスカッションや対話などのPBLは、おしゃべりで終わり、身にならないから、結局大学入試に役立たないと。
★一方で、探究などPBLを究める生徒もいて、総合型選抜や思考型の一般選抜で成功を収める生徒もいるため、効果がないということではなく、やり方次第なのだと反論もあるわけです。しかし、なかなか納得されず、変わらなければとかそんな必要はないとか平行線が続きます。
★学習指導要領も長年この両極を振り子のように揺れ動きました。しかし、現行学習指導要領に続き、次期学習指導要領もこのディスカッションや対話を導入するPBL型の学びはやめるつもりはなさそうです。
★なぜなら、インターナショナルスクールやイギリスのパブリックスクールなど続々日本に上陸し、それらの学校はIBやAレベルを行っているので、ディスカッションや対話を授業のベースにしています。やはりPBL型の授業は効果があるのだと、それがエビデンスなのだと言うわけでしょう。
★しかし、だからといって、このタイプの授業を行っても、やはり世界を広め思考を深める生徒は全員というわけではありません。
★インターナショナルスクールやイギリスのパブリックスクールや米国のプレップスクールでは、もちろん全員というわけではありませんが、そのタイプの授業環境の中で世界を広め思考を深める生徒が育つ確率は日本に比べ高いのは確かでしょう。
★いったいその差はどうしてできるのでしょう?それは意外とシンプルな回答です。知識や技能を注入する授業は、確かなあるいは固定的なパターンを反復練習し、テストでチェックし、スコアというデータ化ができているのです。つまり方法論が熟成しているのです。
★一方、日本では、ディスカッションや対話による授業で、世界を広め思考を深める知性と感性を生徒一人一人が生み出す方法が確立されていないし、それをチェックし、スコア化するような方法論がまだ確立されていません。
★知識・技能の獲得もできる生徒はできるけれどそうでない生徒もいますが、そうでない生徒を導く方法論があるわけです。
★ところが、ディスカッションや対話の授業では、それがないので、なかなか導けないのです。ルーブリックを作ったところで、達成していないことは分かったけれど、そのゴールに向かうにはどうすればよいのかという方法論を生徒自身が自分で工夫できるかというとまだその段階にはないのです。
★ところが、インターナショナルスクールやパブリックスクールやプレップスクールではそれがあるのです。
★それは何かというと、日本の場合は、ディスカッションしたり対話をしたりした場合、そこで終わりがちです。生徒にとって、それが内面にどのように定着しているかはあまり問題視されません。リフレクションもしますが、世界を広めたり思考を深めたりするメカニズムのチェックではなく、気づきが何かを出し合って終わることが多いのです。
★このディスカッションや対話のリアルな体験をアウトサイド対話としておきましょう。そして、生徒が内面でそのアウトサイド対話を丸ごと自分の内側で行うことをインサイド対話としておきましょう。
★アウトサイド対話では、仲間の中の一人として対話しています。インサイド対話では、仲間の対話も自分の対話として獲得します。アウトサイドでは、自分の見方や感じ方や考え方が投じられます。インサイド対話では、仲間の見方や感じ方、考え方を自分のものと比較しながら整理していくわけです。そして新たなものを生み出します。ケミストリーが起こるわけです。
★ディスカッションや対話で傾聴が重視されるのは、アウトサイドで行われているディスカッションや対話のやりとりをすべてインサイド対話の中で、教師なしで自分で整理をするということを行うのです。このアウトサイド対話とインサイド対話の往還がどのくらいできているかをモニタリングするのがリフレクションです。
★そしてインターナショナルスクールやパブリックスクール、プレップスクールでは、少人数のクラスなのは、そのインサイド対話の出来具合がどうなのかルーブリックで一人一人と教師が対話しながらモニタリングして定着するようにしていくのです。このようなアウトサイド対話とインサイド対話の往還と生徒一人一人がその往還でどんな知のケミストリーを起こしているか、それが世界の広がりと思考の深まりですが、教師との対話によってさらに発展していくのです。この教師とのリフレクションの対話のことをチューター制度とかメンター制度とかカウンセリング制度とか言っているのです。
★ルーブリックも教師が作って生徒にあてがっているだけでは、インサイド対話が稼働しにくいのです。先ほどの海外の学校は、教師もルーブリックを示しますが、それをモデルとして生徒は自分でアレンジをすることを行います。やがては、自分でルーブリックを作ります。
★ですから、ルーブリックを言語化するには、いつも具体的なルーブリックを見せられていては応用がききません。ルーブリックをつくるメタルーブリックのメカニズムを生徒が体得する必要があります。たとえば、工学院大学附属は、IBもAレベルも研究していますから、それをやっています。思考コードという抽象的なメタルーブリックを教師も生徒も具現化していくわけです。
★IBやAPを導入している学校も、学校全体でそのエッセンスを共有していると、やはりそのようなアウトサイド対話とインサイド対話の往還と生徒自身がリフレクションして世界を広げ思考を深める知のメカニズムを体得しています。
★IBやAPのコースでだけでそれが行われている場合は、それ以外のコースではそのメカニズムを体得している生徒は多くはないでしょう。
★そして、ここまで話していくと、座学とディスカッション型の両方の授業が必要なわけが見えてくるでしょう。座学は、端的に記憶のメカニズムの体得なのです。ディスカッションや対話型の授業は知のメカニズムの体得なのです。
★人間である限り、両方のメカニズムが必要です。たしかにAIは両方得意です。ただし、記憶のメカニズムは人間よりはるかに得意ですが、知のメカニズムはまだ人間のほうが得意かもしれません。というのもAIは既知のものを整理することは得意ですが、既知の枠組みの中でのつながりしか今のところ回答してきません。枠組みを逸脱して新たな知を生みだすことは今のところしないようになっています。というのは、逸脱したときその新たな知の正当性や信頼性、倫理的な正しさを判断することが今のところできないからです。
★ですから、12人くらいのクラスでない限り、メンターやチューターはなかなか難しいので、ある程度のところまでは生成AIをサポーターとして活用し、それで終わらせずに、マルチミニ対話をこまめに生徒としていく新しいメンターやチューターあるいは学習カウンセリングを創っていく必要があるでしょう。
★知識・技能を放課後外部の団体を入れて定着を図っているように、知のメカニズムのサポートの仕組みを作る必要があります。つまりアウトサイド対話とインサイド対話を往還しているかどうかをモニタリングし、どこまで世界を広げ思考を深めているかもサポートできる仕組みです。これをTM(Thinking Media)と私は呼ぼうと思っています。このTMについてはいずれまた。これも実にシンプルなのですが。
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