★対話は意外と難しいというのは、今始まったことではありません。しかし、あまり価値観が違ってもリスペクトしながらどちらかに合わせるではなく、新しい第三のものやことを生み出し続ける対話に慣れすぎていて、対話ができない状況やとどまっていて創造的だと勘違いしている人と出会ったとき、問題はたいていこちら側にあるといったん考え、挑むのですが、それができず、しかもいっしょに生きていこうとしているわけではない場合は、距離をあけてしまいます。しかし、それが学校だと、それができないのです。これが学校の中で対話を生み出す教師と学外の教育関係者との結構大きな違いです。

★無責任とかそういうことではないのです。毎日生徒と共にしている教師は、目の前の<生>を大切に思い続けるのはごく自然のことだからです。しかし、ここで結構しんどいことが起こります。そこで対話がしんどくてうまくいかない原因とその修復がわりとしやすい順に生成AIに並べてもらいました。こんな感じです。
❶曖昧な表現の誤解 – 「すぐ」「少し」などの抽象的な言葉のズレは、具体的な数値や時間を示せばすぐ解決する。
❷言葉の選び方の違い – 似た意味の単語でも、言い換えたり説明を加えればすぐに調整可能。
➌前提知識の不足 – 追加の情報や説明を提供すればすぐに理解が深まる。
❹ノンバーバルコミュニケーションの誤解 – 声のトーンやジェスチャーの違いによる誤解は、言葉で補えば修正できる。
➎気持ちのすれ違い – 感情のズレは、話し合いや共感を示すことで改善できる。
➏価値観のズレ – 文化や個人の経験による認識の違いは、理解に時間がかかるが、相手の視点を尊重することで少しずつ解消できる。
★なるほど、そうなるのかあ。。。平均的な回答としてはそうなのでしょうが、そうはうまくいきません。すべて、価値観のズレがかかわっているからです。
★曖昧な表現をはっきりさせたところで、それにすぐ納得がいくかというといかないのです。価値観がズレているからです。
★言葉の選び方の違いもそうですね。選択の価値基準が違うのですから。
★前提知識の不足もそうです。そもそも前提知識がなぜ違うのか、価値観が違うので、前提知識を何にするのか出発点がズレてしまいます。
★ノンバーバールのコミュニケーションは曖昧な表現と仕組みは似ていますね。
★気持ちのズレも、共感するには、そもそも価値観のなんらかの親和性が必要です。それがないから気持ちはズレてしまいます。
★価値観の違いというのが結局のところ厄介です。
★ですから、自分はこうだと語っているうちは、価値観を互いにリスペクトすることはなかなかできないわけです。
★自己表現や主体性は確かに大事なのですが、私は~が前面にでてしまうと、取りつく島がないわけです。そして、その「私」は自分では全く思っていないのに、ハラスメントになっているのです。このことはお互いに気づきにくいので、精神的なダメージがじわじわと進行するのです。
★学校ではそれが発症するまで、そこから逃げることができにくいのです。ですから、対話型組織を学校が創ることが大切なわけです。「私」を前面に出している人を受けとめ過ぎる仲間は適用障害になってしまうケースもあります。同時に「私」を前面にだしているのに、理解してもらえないという思いが強くなりすぎると鬱屈してきます。
★私は常に相互主観であるのに、単独の主観として認識されがちの現在です。アイデンティティは単独の私の中にあるのはほんの一部です。アイデンティティは相互主観をベースにした私に生まれてくると理解したほうが、ハッピーではないかと仮にですが思う今日この頃です。
★このように、学校の先生は、なかなかうまくいかない矛盾を引き受けるネガティブケイパビリティーの持ち主が多いのです。そして、その教師は(私たちとしての)私は~という主語になっているのです。(私としての)私は~という主語では、対話はなかなか成り立たないという状況が結構あるものです。非認知能力というのは、実は(私たちとしての)私は~という心的状況を生み出す能力です。
★(私たちとしての)私は~どうしが対話する時、価値観の違いをリスペクトし合える心理的安全というものができあがります。(私としての)私は~どうしが話して心理的安全が広がったと思っているとき、それは抑圧や同調を心地よいと錯覚して受け入れている状況が広がっている場合もあります。。。外から見ているとそういう現場はわかりやすいのですが、その現場を作っている人たちは、まさかそんなと思うでしょう。
★ですから、そこから解放されるのは難しいのです。しかし、にもかかわらず、やはり対話が必要なのです。自分たちの対話のシステムや意味を繰り返し対話し続けるコト。問い続けるというのは、永遠の謎を追い求めるという哲学者もいるでしょうが、(私たちとしての)私は~という主語どうしの対話が持続可能になるために問いが必要という極めて日常的なウェルビーイング維持システムなのです。
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