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2024年9月30日 (月)

2027年に向けて動く世界と私立中高一貫校(5)筑駒の国語の問題に誰もが学ぶと新しい何かが見えてくる

★2024年の筑駒の国語の問題のうち詩の問題はぜひ子供も大人も考えてみて欲しい。それだけで、リベラルアーツ的な学びを深く体験できてしまうからです。中学受験が過熱過熱と加熱するような感じでメディアはいうけれど、このような問題を解いてみて欲しいものです。たしかに学びにとってあまりふさわしくないと思われる入試問題もあります。そしてそういう問題に限って難しくて、難問とかいってもてはやされます。でもそれはすべてではまったくないのです。今年の筑駒の詩は、文章の中に2編の詩があるものです。いや散文詩の中に2編の自由詩があるといったほうがよいかもしれません。

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★児童文学作家である斉藤倫さんの詩集から出題されています。ある少年が筆者のところにやってきて、テストを返してもらったんだけれど、作者の気持ちがわかっていないとフィードバックされてしまったと少し落ち込んでいたというところから出発します。筆者は作者の気持なんかわかんないでしょう。あったこともないのだからと。少年は驚きます。そしてさらに会ったとしてもわからないものでしょうと言われ心が揺さぶられるわけです。まさに詩ですね。

★そこからは問題をご自身で読んでもらいたいのですが、筆者は少年と対話しながら、ことば通り読んでも、実はいろいろな意味やイメージや気持ちがわいてきて、どれが正解か一人ではわからにということを、独りぼっちの詩とわいがやの詩2編を開いてその少年と読みながら対話していくのです。

★わかると思っている先生とわからないと思っている筆者。少年はその二つの意味を詩と筆者との対話を通して、自分なりになにかつかんだようなところで文章は終わっています。

★初期のヴィトゲンシュタインなら言葉の限界が世界の限界だといい、晩年はそこを突破していくのですが、そんな難しい哲学の文章ではなくても、この短い散文詩と自由詩で、その言葉の謎めいたことを子どもと考えていけるのです。

★それにしても中学受験の国語の問題で、登場人物の気持ちを答えなさいとか説明的文章で筆者の言いたいことを要約しなさいとありますが、実はそれは文章に書かれている文字を整理しているにすぎず、本当はわからないのかもしれないと筑駒の先生は問いを投げかけています。

★そして、だからといって斉藤倫さんはわからないものなのだとは結論付けないのですね。言葉と主観と客観とその二元論的な枠組みで理解されている言葉の前提を破壊的創造する文章を提示しているわけです。

★まさにリベラルアーツ的な視点とか発想を筑駒の詩の問題は投げかけてきます。こういう問いに慣れ親しんできた生徒が筑駒に入学するわけです。前回紹介したように、国立ですから湘南白百合のように多様な経験の教育環境をデザインするには限界がありますが、その限界を超えて挑戦をしていくエンジンを自分の中に持っている生徒が入学してくるわけです。全部記述式の問題なので、そういう生徒以外は考え抜けないでしょう。

★そうであるから、このような言語の捉え方を持っている生徒は受験学力に終始することはおそらくないでしょう。

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