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2024年9月13日 (金)

幼児教育の新たな展開 みずき野幼稚園の挑戦 

★2022年7月、文部科学省は「中央教育審議会 初等中等教育分科会 幼児教育と小学校教育の架け橋特別委員会」を設けて、人口減に備えるためにも日本の未来の人材の質を幼少期から考えようという政策を展開しています。もちろん、否定はしませんが、人間というのは、生まれる国を選べません。だからといって国のための人材ではありません。よりよい社会をつくろうとしたとき、その国がよりよい社会になろうとしないどころか、真逆の場合もあるのは、毎日世界の情報が流れているのを見聞して了解できるはずです。だから、国の前に一人ひとりの人間なのです。

★しかしながら、この当たり前のことについて私たちが身に染みて理解できるのは、幼子を目の前にした時なのです。私自身、2つの国籍を持っている4歳の孫を目の前にした時、国の前に、まず孫自身がどのように育っていくのかであって、どちらかの国に合わせた人間力を身につけてほしいとは思えません。子供と教育の根源的な在り方について、これほど純粋に考えられるのは幼児期の教育です。そして、それを忘れない初等中等教育をいかにつくっていくか、結構本質的な問題がまだまだありますね。

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(写真は同幼稚園サイトから)

★そこにいくと、内田真哉理事長のみずき野幼稚園は、子供一人ひとりの人間の在り方が根っこから生み出されていく環境が充実しているし、日々新たなりなのです。

★子供たちは、部分から全体ができあがっていくように育つわけではないというのが、内田先生の考え方なのでしょう。孫をみていていつも思うのですが、立派に意志を持っているし、欲求を満たすために主張もするし、作戦も立てます。その遂行の技術の拙さや、言葉もまだまだです。ですが、もうやりたいことをやりぬこうとするし、邪魔されれば抵抗もします。だからといって、わがままかといったら、そんなことはありません。

★普段甘え切っている母親に対しても、母親が具合が悪いときは、いたわります。それはいたわる道徳的な目的ではなく、自分を大事にしてくれる人が具合が悪いと、自分にとって居心地が悪いからなのかもしれません。

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(内田理事長自ら窯をつくっています。同幼稚園サイトから)

★しかし、その感覚や感性の価値の重みづけは、無自覚ではなく、意外と自覚しています。ただ、言語化はうまくできないだけです。言語化できないから無意識とか無自覚とかそういうことはありません。むしろ、こういう人間の本来的な在り方を見逃して私たちは大人になり、無自覚とか追う言葉で、大事なものを勝手に忘却しているのかもしれません。

★みずきの幼稚園では、子供たちは環境と多様な手段でコミュニケーションをして、そこからおもしろいことやりたいことを全身で受けてめていきます。その環境として畑や花壇や園庭やなんと窯など内田理事長をはじめ先生方はデザインしていきます。

★そして、先生方はそういうデザイナーだったり、環境を配置するファシリテーターだったり、子供の健康やメンタルなどのサポーターだったり、イベントのプランナーだったり、陶芸家だったり、保護者にのメンターだったり、マルティロールプレイをします。

★文科省の先のワーキンググループは、資料にこんなことを書いています。「認知能力とは知的な力で、知識・技能、思考力等を含む。非認知能力は、意欲・意志、自覚し見渡す力、人と協力する力等を含む。乳幼児期・学童期・思春期を通して育つ。認知と非認知は相互に関連し、支え合って育っていく」と。たしかにそういう面もありますが、このモデルは、常に元気な子供の様子しかとらえきれてないのです。子供は必ずしもいつも元気なのではないのです。エネルギーが切れて不機嫌になることもあるし、おなかがゆるくなることもあります。そこで子供が体全体で表しているものは、認知能力とか非認知能力とか要素還元的なものではないのです。

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(2019年ころの聖学院でいっしょにワークショップをやっていた時の写真。このころからU理論やEQなど議論していました。左から内田先生、児浦先生。両先生は、それぞれ幼稚園と大学で子供たちといっしょに未来を生み出しています。)

★元気が良いときもそうでないときも連続した存在全体です。それを丸ごと受け入れ、その存在の在り方全体が一人の子供にとって無限の価値を生み出すあり方になてっくれればという同幼稚園の先生方の想いが、忙しい毎日の中でEQの研修を行うことにまでつながっています。

★幼稚園の教育を内田先生方と多くの人が学ぶ時が来たと思います。多くの中高大学の先生方もその学びに参加してほしいと願います。根源的な領域を再び経験するために。

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