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2024年9月

2024年9月30日 (月)

2027年に向けて動く世界と私立中高一貫校(5)筑駒の国語の問題に誰もが学ぶと新しい何かが見えてくる

★2024年の筑駒の国語の問題のうち詩の問題はぜひ子供も大人も考えてみて欲しい。それだけで、リベラルアーツ的な学びを深く体験できてしまうからです。中学受験が過熱過熱と加熱するような感じでメディアはいうけれど、このような問題を解いてみて欲しいものです。たしかに学びにとってあまりふさわしくないと思われる入試問題もあります。そしてそういう問題に限って難しくて、難問とかいってもてはやされます。でもそれはすべてではまったくないのです。今年の筑駒の詩は、文章の中に2編の詩があるものです。いや散文詩の中に2編の自由詩があるといったほうがよいかもしれません。

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★児童文学作家である斉藤倫さんの詩集から出題されています。ある少年が筆者のところにやってきて、テストを返してもらったんだけれど、作者の気持ちがわかっていないとフィードバックされてしまったと少し落ち込んでいたというところから出発します。筆者は作者の気持なんかわかんないでしょう。あったこともないのだからと。少年は驚きます。そしてさらに会ったとしてもわからないものでしょうと言われ心が揺さぶられるわけです。まさに詩ですね。

★そこからは問題をご自身で読んでもらいたいのですが、筆者は少年と対話しながら、ことば通り読んでも、実はいろいろな意味やイメージや気持ちがわいてきて、どれが正解か一人ではわからにということを、独りぼっちの詩とわいがやの詩2編を開いてその少年と読みながら対話していくのです。

★わかると思っている先生とわからないと思っている筆者。少年はその二つの意味を詩と筆者との対話を通して、自分なりになにかつかんだようなところで文章は終わっています。

★初期のヴィトゲンシュタインなら言葉の限界が世界の限界だといい、晩年はそこを突破していくのですが、そんな難しい哲学の文章ではなくても、この短い散文詩と自由詩で、その言葉の謎めいたことを子どもと考えていけるのです。

★それにしても中学受験の国語の問題で、登場人物の気持ちを答えなさいとか説明的文章で筆者の言いたいことを要約しなさいとありますが、実はそれは文章に書かれている文字を整理しているにすぎず、本当はわからないのかもしれないと筑駒の先生は問いを投げかけています。

★そして、だからといって斉藤倫さんはわからないものなのだとは結論付けないのですね。言葉と主観と客観とその二元論的な枠組みで理解されている言葉の前提を破壊的創造する文章を提示しているわけです。

★まさにリベラルアーツ的な視点とか発想を筑駒の詩の問題は投げかけてきます。こういう問いに慣れ親しんできた生徒が筑駒に入学するわけです。前回紹介したように、国立ですから湘南白百合のように多様な経験の教育環境をデザインするには限界がありますが、その限界を超えて挑戦をしていくエンジンを自分の中に持っている生徒が入学してくるわけです。全部記述式の問題なので、そういう生徒以外は考え抜けないでしょう。

★そうであるから、このような言語の捉え方を持っている生徒は受験学力に終始することはおそらくないでしょう。

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2027年に向けて動く世界と私立中高一貫校(4)筑駒湘白型学力モデルもまた魅力的

★超先進4校のような学びのモデルも文句なく魅力的ですが、いわゆる偏差値の上位の生徒が志望する筑波大附属駒場や湘南白百合はいわゆる学歴社会を相対化できる創造的才能者が志望するし育つわけです。

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★いわゆる多様で多角的で多次元の学力・資質・能力が、超先進4校のようにグローバル教育×STEAM教育×教科教育×WMWの融合教育によって在校生全員が創造的才能者に変容していくシステムになっているわけです。多様で多次元の経験をシステム化し、そこで自分のやりたいことを見つけた生徒がそれを実現するために必要であれば受験学力もトレーニングしていくのです。

★一方いわゆる高偏差値の学校の場合は、受験学力を身につけるのに抵抗はないのです。しかし、創造的才能者たらんとするかどうかはまた別問題なのです。高度な受験学力者と高度な受験学力も持ち高次元の創造的才能者でもある在校生と二分するのが一般的です。

★ところが筑駒や湘南白百合は、高度な受験学力だけという生徒はほとんどいません。みな高次元の創造的才能者であろうとするし、受験学力もトレーニングします。したがって、ざっくり上記のような分布になっていると思います。

★3つの領域がありますが、どこからでも東大は入ります。同時に20%の領域にいる在校生が、試験直前に経験スイッチを押すか受験スイッチを押すか間違えてしまうと東大ははいらないけれど、東大にはいる実力以上であるという生徒はいるものです。

★筑駒と湘南白百合では、この創造的才能者になるシステムは大きく違います。筑駒は国立ですから、ある程度限界があります。あとは自分で挑戦してということになります。

★湘南白百合の場合は、そこを丁寧に徹底的にサポートするシステムがエンリッチメントなのです。だから、いわゆる偏差値で65以上の生徒が湘南白百合に入学すると日本の教育だけではなく世界の教育のリーダー校になるでしょう。

 

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2027年に向けて動く世界と私立中高一貫校(3)STEAM教育×グローバル教育×教科教育×World Making Wisdom(民主主義的智慧)を融合しているかどうか

★超先進4校は、STEAM教育×グローバル教育×教科教育×World Making Wisdom(WMW:民主主義的智慧)を融合しています。外から見ていると各校独自テーマやツールを使っていますが、先生方や生徒のロールや言動のルールは共通しています。その共通している部分を抽象的に図式してまず並べてみます。

【STEAM教育】

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★肝は次の3つのフレームです。「思考実験型問い」と媒介項として「手を動かしながら思考し創り出すためのテクノロジーやエンジニアリングの活用」、思考方法はindutionとdeductionとabductionの三角ロジックを変幻自在に生徒が活用しているということです。そのフレームの中のプログラムのプロセスは、PBL型ですが、オレンジの次のステージに移行する時に、リアリスティックエバリュエーションをするということです。ここでは互いに最近接発達領域を探し出しているということですね。これがなかなか授業を見ていて見えにくいところです。4つの大まかな流れは、だいたいどこでも行うPBLに近いプロセスです。このプロセスだけが、メディアでは注目されます。生徒の没入時と開放の時のそれぞれの表情が実に絵になりますから。それは極めて大事ですが、その表情を表出する内的なメカニズムを教師が推理し試行錯誤し検証しながら経験値として蓄積していっているかどうかです。

【グローバル教育】

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★グローバル教育も構造的にはSTEAM教育とは似ていますが、端緒となる問いが違うし、媒介項も違います。思考方法は同じですね。またフレーム内のプログラムのプロセスはほぼ同じです。ただ、3番目のステージの制作物が違います。

【教科教育】

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★教科教育もSTEAM教育と同じような構造ですが、要素が違いますね。端緒の問いがいわゆる教科の問いですし、媒介項も違うし、思考方法も三角ロジックというよりロジカルシンキグが中心になってしまいます。知識の定着と知識の共約性と新しい知識編集というプロセスの第3と第4ステージはやはり違いますが、基本PBL型です。

【WMW】

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★WMWは、新しい封建制に陥らないような根本的な問いから出発します。この手の問いは、従来の学校教育ではなかなか取り扱われませんでした。今NHKの番組「ニュー試」で取り扱われている、海外の大学、特にケンブリッジやオックスフォード、ミネルバ大学の口頭試問で出題されている問いがそうです。IBのTOKで出題される問いがそれに近いですが、奇想天外ではまだまだありません。

★媒介項は、対話学と発想のテクノロジーということになりますか。フレーム内のプロセスはPBL型ですが、数理モデルや価値の発見という第3ステージと第4ステージは違います。そうそう思考方法には、グッドマンモデルが付加されます。トウールミンモデルがわりと人文系的アプローチであるのに対し、グッドマンモデルは数理×芸術的なアプローチです。つまり、両思考方法の融合が新しいリベラルアーツというわけです。リベラルアーツがなければ実は民主主義と資本主義は支えられないのです。

★以上のような説明だとまたまた何を言っているのかわからないといわれうかもしれません。時間があったら、一つ一つ説明していきますね。今は、似ているけれど、少しずつ違っていて、これらが融合できるのは、構造が似ているからだということを言っておきたかったのです。

★そして、このような4つの学びの融合体を実施している学校をみなさんが探せな、市場のニーズに応えるように学校は覚醒していくでしょう。受験生・保護者の慧眼と見識が良き教育を生み出していくのは常なのです。

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2027年に向けて動く世界と私立中高一貫校(2)受験生・保護者のみなさんの二通りの学校選択の志向性

★現在、受験生・保護者のみなさんが学校を選ぶ際の根本的な選択志向性は2通りです。どちらを選ぶも私事の自己決定です。志向性の価値のどちらがよいかは自由です。それを前提に、1つの志向性は、東大をはじめとする難関大学や医学部合格を目指し、2050年までは止まらない新しい封建制の中で勝ち組になることを目指すというものです。もう一つの志向性は、同時並行で進んでいるのですが、新しい封建制度に代わるウェルビーイングな善き社会を自らが創っていく進取の気性に富んだ創造的才能を発揮していき、新しい封建制の中の上位層に従属して自分の価値を抑えていく人生から脱出する道を拓くというものです。

★今、東大をはじめとする難関大学を目指し、あるいは医学部を目指すことを固い決意をもって中学受験に臨んでいる受験生・保護者は本ブログを見る必要はないし、おそらく見ていないでしょう。それで、いやそれが良いと思います。今後の社会は2050年までは、そう簡単に格差社会がなくならないですから、その中で上位のポジションを獲得しようという価値観はあって当然だからです。

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★しかし、いわゆる偏差値で55に満たない受験生・保護者でそれ以上の中学を受けようとする受験生と大競争をするのははたしてよいのかどうか少し立ち止まって考えてもよいかもしれません。もちろん、偏差値が50でも果敢にチャレンジしてそのような学校に入り、中学に入ってから英語と数学という別世界で花開く生徒もいます。ですから、それを信じて立ち臨むのももちろん構いません。私事の自己決定が民主主義であり資本主義の世界の大原則ですから。

★でも、偏差値に関係なく、東大とか難関私大も含めて海外大学という選択肢にチャレンジでき、また今目立たなくても2050年にはあのミネルバ大学や国際大学、APUのように力を見せつける大学もでてくる情報をしっかりリサーチしている私立中高があれば、そのような中高を視野に収めておくことも必要だと思うのは私のおせっかいでしょうか。いやまさに、そうかもしれませんね。

★しかし、人生というのは、計画的偶然性とか偶然の必然という言葉がある通り、何かに向かって真剣に臨んでいると、自分が気づいていなかっただけのすばらしい才能が開花するということは大いにあるのです。そんな事例は周りを見ればあふれるほどあります。ただその自覚はない控えめな方が多いし、学歴社会によるゴーレム効果は凄まじいですからそうなってしまうわけです。

★むしろ、東大に合格する話なんて、全国の同学年の0.3%の話です。もちろん希少価値ですが、それに比べて自分のような自分がほかにいないないことの方がよほどレアケースなのです。東大に合格した人間とそうでない人間は、その点において等しくかけがえのない価値があるわけです。こんな当然の権利の話を無視する価値観が学歴主義ですね。

★ですから、その自分の価値を無限に広げられる学校を探すのもよいのではないでしょうか。そのことに徐々に受験生・保護者が気づき始めていて、だんだん難しくなっている4校の超先進校は前回紹介しました。この4校の先生方の授業を実際に見たりヒアリングをしたりリサーチを長年してきた結果、超先進校の条件を仮説としてですが見つけました。

★なかなか説明会だけでは見えないし、具体的な授業をみているだけではいい雰囲気は伝わってきますが、その良い雰囲気の次元の違いはなかな可視化しにくいですよね。ですから、私なりに仮説を立ててみました。このスコープで超先進4校以外もみていけば、2050年社会までに新しい封建社会の中で上位層に従属して、自らの無限の価値に気づかないまま生きていく人生から脱出できると思います。

★それにすでに新しい封建性とウェルビイングな善き社会は並行進化的に形成され始めています。2011年くらいまでは、圧倒的に新しい封建制を目指す動きが大勢を占めていたのですが、2011年3.11の根源的人間の存在の共通体験から徐々にウェルビーイングな善き社会を目指す人々が多くなってきました。

★マイケル・サンデル教授の白熱授業ショックはその動きを反映しています。システム思考やSELやデザイン思考やアート思考などのベースにあるPBLというデューイルネサンスも影響があったでしょう。IB200校計画も逆説的ですが一翼を担ってはいます。落合陽一さんやマルクス・ガブリエルさんが表舞台にでてきたということもその動きを象徴しているかもしれません。

★遠くあの時代モーツアルトが脚光を浴びましたが、それは一つの象徴であって、多くのモーツアルトが同時に生まれています。同じように、今挙げた方々の背景には少しずつ違いますが、ウェルビーイングな善き社会を目指す人々がたくさん存在しているものです。

★そしてこの動きを決定づけたのはパンデミックでしょう。

★いつものように枕が長くなってしまいました。次回からはその超先進校の条件を図を描きながらいっしょに考えていきましょう。

★いずれにしても新しい封建制を引き受けているのに教育改革だと語っている方もいます。それは、その枠組みの中で勝ち組になるための教育改革です。もう一つの教育改革は、そのようなシステムに巻き込まれないように生徒自身が自ら考え意思決定し、仲間と共感して行動できる才能や価値を拡大できるという意味での教育改革です。一般メディアが中学受験過熱だと報道する時、自分たちがどちらのシステムを広報活動しているか明らかにしていないのですが、最近メディアとして自戒をこめて襟を正していきたいというキャスターが多いですよね。それはどういう意味か「主体的・対話的で深い学び」を行うならば、いやそんなことを行うまでもなくわかってしまうことでなのですが。。。。

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2024年9月29日 (日)

2027年に向けて動く世界と私立中高一貫校(1)聖学院・文大杉並・工学院・和洋九段女子

★「PLURALITY(プルラリティ) 協働テクノロジーと民主主義の未来オードリー・タン (著), E・グレン・ワイル (著), 山形浩生 (翻訳),」が、サイボーズブックスから今年の12月31日に出版されます。同書は5月にすでに英語で出版されていますから、内容についてはメディアでも取りあげられているし、多くの方が知っている通りです。

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★同書のおもしろさは、伊藤穣一さんのいっているようなWeb3.0は実際に動いていて、デジタル民主主義やユニバーサル・ベーシック・インカムのようなニューコモンズも夢ではなくとっくにスタートしているということを再確認できることです。

★日本も2027年には少しずつそちらの方向に動いていることは確実です。世界同時的にパンデミックを乗り越えようとしたときに加速したということのようです。

★今回の東京都知事選や自民党総裁選でも、実はこのことを強力に推進する若い知事や総裁は生まれませんでしたが、そのような志向性の若き候補者がいたということは、彼らが将来知事になったり総裁になったりしないかもしれませんが、そのマスタードの種は小さくともやがて大きな樹になることでしょう。

★そして、そういうマスタードの種は民間セクター、非民間セクターでは驚くほど活発です。大学も一部は動いていますが、ミニストリーの力を忖度しつつ、どこがしたたかに転換するかは興味深いです。

★そして、大学よりもさらに比較的ミニストリーのルールを遵守しつつも自由度の高い私立中高一貫校、特に東京の知事と良好な関係である東京の私立中高一貫校は、そのような各セクターと協働して、STEAMという名を使ってデジタルネイチャーという世界をクリエイトしている学校が出現してきました。

★これができるには、実はグローバル教育が相当破格でないとできません。プルラリティは、テクノロジーだけではなく世界共通言語を持っている必要が今のところ必要だからです。

★もっとも2027年以降は、言語支援テクノロジーが急激に進化しますから、残るは「発想」ということです。

★その発想のおもしろさは、本当に身近なところか世界や宇宙につながっていくオードリー・タンさんやグレン・ワイルさんの発想は大いに参考になります。

★そして、同じような発想で動いているグローバル×STEAM融合教育×民主主義発想の融合を行っている超先進校は聖学院、文大杉並、工学院、和洋九段女子なんです。

★破格のグローバル教育を行っていて世界の民主主義のリーダーを育てようとしている学校もあります。そこはテクノロジーに関する準備もしているので、あっという間に超先進4校と肩を並べるでしょう。

★破格のグローバル教育とSTEAM教育をやっているところもありますが、民主主義的発想の融合にいたっていない場合、イデオロギーの問題が学内にある可能性が高いですね。保護者も実はグローバル富裕層でありますから、学内は居心地がとてもよいはずです。しかし、パラドキシカルにも、それが次の転換を阻むアンコンシャスバイアスとなる可能性があります。このような学校は、トレンドを気にしますから、グローバル×STEAM×民主主義、グローバル×民主主義の学校が成功すれば、乗ってくるでしょう。

★それは現状の日本の政治と同じ感覚ですね。新総裁が、そこを突破してくれることを期待しつつ、待っていないでどんどん進みたいと思います。

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2024年9月26日 (木)

建学の精神のインパクト(1)ICU中嶌校長語る

★東京教育研究所のブログで、ICUハイの校長中嶌裕一先生が、同校の建学の精神についての論考が掲載されています。研究所は一般財団法人東京私立中学高等学校協会に所属する部署ですから、私立学校の教育研究を発信しています。そして、その発信対象は東京の私立学校の先生方です。ゆえに受験市場にウケルような話題を提供しているわけではありません。しかし、それがゆえに、私立学校の新たな面を発見することができるかもしれません。ぜひご覧いただきたいと思います。

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★学校説明会で、建学の精神についてだけ、これほど多角的に深く語られることはありませんから、目からウロコということもあると思います。受験市場で建学の精神を発信する場合、その文言と意味内容を伝えるのが精いっぱいだと思います。

★しかし、中嶌校長の論考を読むと、建学の精神をめぐる多様な方向性やパワーがあることに気づきます。そもそもなぜ戦後にICUが創設されたのか?ここには、戦後という時代を超えてその存在理由ともいうべき原点があります。

★また、創設当初から昨今のグローバル教育だとか探究のような教育はすでに行われていてその先見性に驚愕しますが、そもそもそれは建学の精神から生まれているのです。

★そして、ICUで育成された精神が卒業して以降も連続していることの証明もされています。

★さらに、建学の精神を教育の中で具現化し、その先に、建学当初から想定していた社会の在り方を映し出すインパクトがあるということに改めて気づき、感動的です。

★同協会には、自分の学校だけではなく私学のために役員を引き受けている理事長校長、研修の委員会をサポートしている理事長校長がいます。研究所のメンバーがいっしょに仕事をするときに理事長や校長にインタビューしていきながらブログをまとめていくということです。受験生・保護者の方々にとって新たな情報の発見につながれば幸いです。

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聖学院 の驚きのImmersion教育 世界の痛みを引き受ける

★山本周先生のSTEAM授業を見学しにいったとき、その合間に同じ時間で展開している高1のImmersionの授業も拝見しました。一瞬で、世界の痛みを引き受け真剣に世界を救うソリューションを議論し考えているということが了解できました。

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★オールイングリッシュの英語の授業なわけですが、模擬国連をロールモデルにした授業でした。現在のウクライナの状況を平和に導くために、各国に分かれて、それぞれの国ならどのようなソリューションを提示するのか仮説推理(abduction)をしながら議論を進めていきます。最終的にはプレゼン(もちろん英語で)もするということです。

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★ミニ模擬国連の手法ではありますが、そのベースには前回ご紹介したICEモデルが機能しています。徹底的にウクライナ現状や各国の現状を地政学的な多角的なアプローチでリサーチし、課題を見つけていきます。そしてその課題解決のために論理的につなぎ合わせるのですが、それは分析哲学者のトウールミンモデルが使われていることは明らかでした。仮説推理をするということはトウールミンモデルに内蔵されている三角ロジックが回転しているということですから。

★英語で、地政学的視点で、分析哲学的視点で、ディスカッションやダイアローグを回転させながら行われる授業が、インターナショナルスクールや欧米のIB校さながら行える教師と真剣なまなざしでその思考世界に没入する生徒。

★控えめに言っても驚きです。世界の未来は彼らの希望の手にあります。

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2024年9月25日 (水)

聖学院 新しい教育は発展し続ける~驚きのカリキュラムマネジメント

★昨日久しぶりに聖学院に立ち寄りました。GIC(Global Innovation Class)のSTEAM教員である山本周先生のプロデュースしているSTEAM授業(もはやプロジェクト)を見学しに行きました。随分緑深くなった心癒されるキャンパス空間にしばし足を止めながら校舎に入りました。

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★事務の方の丁寧なご対応に恐縮しながら約束の時間よりかなり早めに着いて座して待っていたのですが、すぐに山本周先生が飛んできて、授業まで少し時間があるのでと、GICのカリキュラムについて丁寧に情熱的にそしてクールにプレゼンしてくれました。

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★そして、一気に聖学院のカリキュラムマネジメントの凄さが伝わってきたのです。このプレゼン力は、聖学院の生徒とも共振しているなあと思いながら、わかりやすく常に同校の理念がやわらかく相手を見守るような雰囲気で話されるのです。

★それもそのはずです。1週間の授業のうち20%強が教科以外のSTEAM教育、Project、Immersion、Liberal Artsの授業が展開しているのです。この柔軟なカリキュラムマネジメントは、アイデアとその企画実現力が群を抜いている証なのです。次期学習指導要領に先立ちこの4月に省令改正で、柔軟なカリキュラムを組めるという法令がわざわざ規定されたのですが、どこの学校も動けそうにありません。

★ところが聖学院は4年前からGICを立ち上げて、柔軟に学内外のリソースと連携してプロデュースしているのです。そんなワクワクするような内容をプレゼンするのですから、山本周先生の表情が柔らかく、それでいてシンプルに言葉がアウトプットされるはずです。

★それから、その時間割の授業数に対し10%が礼拝に充てられ、生徒の皆さんはその都度教育理念に還って自分を振り返えるのです。つまり、教育活動の30%くらいは、柔軟な学びの時空に浸っているのが聖学院生なのです。そして、当然そのすべての学びの時間がフュージョンしています。

★20%の影響力は、よく言われます。まして30%なのです。その仕掛けをカリキュラムマネジメントしているのですから驚きです。

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★そして、なぜ融合が可能なのか?それは山本周先生によると、すべての教育活動でICEモデル(PBLの1つのタイプ)を共有しているからだというのです。

★要するに、対話をしながら基礎的な知識をつなげる発想を転移して多様な世界で生かしていく価値創出をする学びの環境を聖学院の先生方が共有できるカリキュラムマネジメントをしているということでしょう。

★その共有が可能なのは先生方も生徒も決定的な5Tを有しているからでなのです。5Tとは何か?それはいずれ述べたいと思います。

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2024年9月24日 (火)

東京の私立学校の信念(4)大学受験とキャリアデザイン

★東京の私立学校は、進学指導に関しては多次元の関係を統合しています。現実社会は改善すべき点は多いのですが、いますぐ改善されるわけではありません。矛盾やジレンマがあふれています。競争社会である性格もそうです。ですから、それを回避することができない場合、その中でどうサバイバルするか受験勉強だってするわけです。

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★そして、ただそれだけの次元でキャリアデザインのサポートするのではなく、新しい社会をつくるための学問をする場の選択肢の一つとして大学進学の指導もします。

★しかし、新しい社会はいろいろな考えがあって、その多様な社会観の間で葛藤もあるでしょう。したがって、その葛藤をさらに超えるためには、やはり最適最強の学問をしなくてはなりません。その学問を開いている大学はどこかリサーチする次元にも立っています。

★ですから、海外大学なども視野に入れるのですが、それでもない場合どうするのか?新しい大学を創ればよいのです。その動きが今溢れるほどある高大連携です。玉石混合ですが、新しい学問が生まれる可能性はあります。

★それに、私立学校の先生方は大学の講師も兼任する場合が多いし、大学の先生に移籍する場合もあります。大学が新しく体質改善する可能性も大なのです。

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2024年9月23日 (月)

東京の私立学校の信念(3)文科省が今後の教育課程であえて語らないこと

★先週文科省は「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会 論点整理」を公開しました。たまたま私は電話でですが文科省の教育課程担当の1人の方と話をして、次期学習指導要領はいつ公開かなど尋ねました。すると歴史を振り返っていただければわかるように、いつもようなスケージュールだと思いますが、具体的な年月はまだ決まっていないということでした。それはそうだろうと思いながら、変わるべき学習指導要領の内容はどうなっているのか?今回の新学習指導要領のときのように、国立教育政策研究所は、学習の方法、評価などについて各国のリサーチを盛んに行っているという雰囲気ではないですね。むしろ現行の学習指導要領をもう少し実施ししながら、その質を高めたり、普通高校のあり方や不登校の問題などにかなり議論を重ねているようですがと尋ねると、概ねそういうことでしょうが、具体的なことは何も語れませんが、本間さんが言うような内容に有識者検討会の資料もなっていますから、そちらをご参考くださいということでした。

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★前述の今後の教育課程についての論点整理は、これからの社会像の整理から始まっています。簡単にまとめるとこんな感じです。

「これからの社会像は、人口減少や少子高齢化、地球環境の有限性を踏まえた持続可能な社会の構築が求められます。一人一人の可能性を開花させ、資源や環境を考慮しつつ、環境・福祉と経済の両立が必要です。多様な子供たちが豊かで幸福な人生を送れるよう、教育的支援を強化し、グローバルな協働を進めることが重要です。生成AIの発展に伴い、生涯学び続ける姿勢が求められ、質の高い知識が社会の革新を支えます。」

★より良きウェルビーイングな社会ということでしょうが、こんなふんわりとした社会像を文科省が描いているはずがありません。というのも、今回の論点整理は、今までと違って読みやすいし、会議の中でプレゼンした有識者の分厚い資料がPDFですぐに開くことができるようになっています。

★この会のメンバーではないのですが、招かれた二人の教授の資料も掲載されています。広井良典教授(京都大学人と社会の未来研究院副研究院長・教授)と安宅和人教授(慶應義塾大学環境情報学部教授)がその人です。お二人の著書は、私も参考にしていますが、その中では、現実社会の改善だけを示しているわけではなく、もっと根本的な議論を展開しています。

★しかし、この論点整理では、2030年ころまでの話で終わっているのです。不思議だなと思い、ムーンショット目標について今度の改訂学習指導要領では何か言及があるのですかと尋ねてみました。するとそれはお答えできませんと。

★たしかに、今度の学習指導要領の改訂実施は、2027年から2030年ころの話ですから、まだSDGsの延長上です。ムーンショット目標は2050年の話です。そこを通り越して回答することはできないというのは少し考えると当然ですが、実際には東京大学でも経団連でもその目標に向かって動いています。実は、いくつかの学校では、このことについての説明ワークショップを生徒向けに行っています。当然文科省が支援していることです。

★それでもあえてそれは語らないという姿勢なのです。しかし、昨年末話題になり今年の春に10番目にムーンショット目標が追加されました。それはフュージョンエネルギーの開発です。この開発は、SDGsの目標どころから新しい社会のさらに向こうを拓く決定的な出来事なのです。

★まあ、しかしそれは予測不能の部類ですから、次期学習指導要領に盛り込む必要はないと。やりたければ、探究を大いに活用してということでしょう。倫理資本主義が必要なのは、まさにこれによってもたらされるニューコモンズの悲劇をおこさないためなのです。広井さんは資料の「補足」のところで、そのビジョンを明快にではないですが暗示しています。

★安宅さんはそもそもAI時代とはそういうことですよとさらりと言っているので、それが2050年の話につながる決定的な変化なのだと読み込まれていないかもしれません。

★東京の私立学校では、夏の初任者研修をはじめ、いろいろな研修ですでにムーンショット目標の情報を共有し、実際に開発している教授と対話もしています。もちろん、知のニューコモンズの悲劇を起こさないために。

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東京の私立学校の信念(2)マインドベースラーニング

★マインドの時代を提唱するマルクス・ガブリエル。京都大学の哲学アドバイザーになっています。ドイツ哲学界の若き俊英で、日常生活で使われる日本の精神の意味とドイツの精神の意味が含んでいるsomethingがどこか親和性があると感じていて、日本によく訪れています。そんなわけで京都大学と結びついたのでしょう。最近「倫理資本主義」を日本から発刊しています。脱資本主義とか、社会主義や共産主義とかにユートピアを見つけるのではなく、資本主義の中のユートピアを考案しています。なんといっても「自由=民主主義」が人間1人ひとりが有している価値を無限に創出する泉ですから。

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★教育の世界では、実はとっくに精神の時代です。ただ、世間的には、教育の世界における精神は、どちらかというと「不安」に置換えられて行政政策が講じられています。不安は人間の根源的な存在の声ですが、それをうまく聞き取れないのが現実社会における人間関係やその関係が織りなすシステムです。ですから、不安が生まれる人間関係やシステムのエラーを修復する政策が日々目白押しです。

★不安の生まれる大きな原因の一つに、何かと何かのジレンマや葛藤です。その「何かと何か」がはっきりしないまま、ジレンマや葛藤が生まれる物事を排除するあるいは抑えるというのが、行政の仕事です。行政の担当者は、1人ひとりの心の中の「何かと何か」を知る由もないからです。ですから自ずと対症療法となるわけです。その集積に現場の先生も翻弄され、大変です。

★一方で、東京の私立学校は、建学の精神のメカニズムをもっています。その明らかにされていない「何かと何か」の内容を対話によって解明し、生徒1人ひとりのアイデンティティと世界のアイデンティティの合力を生み出す対話をします。これは建学の精神という世界精神軸を持っているからできるわけです。これが建学の精神のメカニズムのシンプルなシステムです。

★ただ、この対話は一足飛びに自分のアイデンティティと世界のアイデンティティの合力ベクトル(これがよく自分軸といわれているののですね。men for othersとかともいわれています。)にはならないのです。現実社会が生み出すジレンマを認識し、その生み出す原因をまず回避するところからはじめます。それが心理的安全の場をつくるということです。

★そのために、宗教系の学校は、祈ったり、坐禅をしたりするのですが、宗教系の学校でないにしても、瞑想やマインドフルネスなど自らの世界に没入する多様な機会を作っているし、そのための空間も作っています。

★そして、そのようなマインド=建学の精神を授業や部活や生徒会活動、探究などあらゆる教育活動に浸透させています。それゆえ、現実社会が生み出すジレンマや困りごとを解決する学びを通して、新しい社会の着想が生まれてきます。そのとき、ジレンマが新しいより良き社会へ転換するエネルギーになります。

★こうして、建学の精神のメカニズムは生徒の発達を生み出す働きもするわけですが、学校自体が常になんらかの過剰なこだわりや保守的な鎧で固めないようにいつもシステムの枠をモニタリングし、頑迷頃になったらそれを破壊的に想像するdeフレームマインドを大切にしています。それが建学の精神を大切にする本意でしょう。

★そのような建学の精神に基づいた学びを「MBL:マインドベースラーニング」と呼んで起きましょう。「PBL:プロジェクトバースマインド」の大前提にこのMBLがあるのが東京の私立学校です。

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2024年9月22日 (日)

東京の私立学校の信念(1)社会と教育を考える次元が違う

★先週木曜日、市ヶ谷の私学会館で、一般財団法人東京私立中学高等学校協会は、「理事長校長会」を開催しました。東京の私立中学校と高等学校424校の理事長校長が一堂に会しました。現状の人口動態、私学をめぐるガバナンスをはじめとする法改正問題、高校入試における公私協議会で何を論点に議論をしているか、文部科学省が考えている教育行政、都が私学を支援してくれる進捗状況など多肢にわたる情報が共有され、そのうえで、さらに東京私学が官民と適切な協力関係をつくりながら、建学の精神に基づいてさらなる先見性・先進性を発揮し独自の教育を発展させていくことを誓いあったわけです。

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★文科省が次期学数指導要領で実施しようとしていることは、東京私立学校は、すでに着手済みで、同省の各ワーキンググループが課題として取り上げていることも、すでに東京私学教育研究所の各委員会の研修ですでに織り込み済みで、それをどう解決していくか着実に歩を進めています。

★そのうえで、プロジェクト部会などでは、新しい社会像をリサーチしています。文科省が提示している社会像は、現実社会の改善点をあげ、それを一つ一つ解決していくやり方で、もちろんそれは重要で、東京私立学校もそれには協力しています。

★しかし、現状の社会のあり方が生み出している問題は、その根本的な課題は、それを生み出す社会の仕組みそのものを改善しなくてはならないというのを、探究などで、すでに生徒自身が気づいていて、そこを大切にするところ(建学の精神の構え)から、先見性・先進性が生まれてきます。

★ですから、今協会の役員及び委員会の先生方の中の理事長・校長とそこらへんを時々対話しています。

★すると、教育が変われば社会が変わるというのは、現実社会の改善という次元だけではなく、新しいパラダイムの社会の到来(建学の精神の中にすでに在る)を研究し、その社会を実現する教育をやっているという自負があるということがわかってきました。

★そこに向けて、私学経営権を保守する法律問題、財務問題など理事長校長は話し合っているわけです。そこに向けて先生方は独自の教育環境デザインを行っているのです。グローバル、探究、STEAM、産官学・非民間セクターなどとの協働はすでに当たり前です。

★DXやGXのベクトルも当然歩んでいますが、そのベクトルの先が現実社会の改善というB軸(ロジカル知)レベルにとどまるのではないのです。

★新しい社会を構築するC軸(クリエイティブ知)レベルに立っています。

★そして、A軸(理解知)レベルからC軸(クリエイティブ知)レベルを柔軟に体現できるX(トランスフォーミング知)レベルを内包しているのが東京私立学校の経営と教育です。

★私たち仲間が、多くの教育関係者と話す時、相手の方がA、B、C、Xのどの次元の視点で話しているのかまずは耳を傾けます。Aであれば、そこから対話して、次元を開いていく対話をしていくわけです。もちろん、その作業はそう簡単ではありません。受験市場における私学の経営者の顔と教育形成コミュニティで見せる顔は、当然違います。

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2024年9月21日 (土)

和洋九段女子 グローバル教育とSTEAM教育とPBLのフュージョン教育

昨日GWEで和洋九段女子の校長中込先生と理科教諭の小仲井先生とオンライン上で対話しました。同校はPBL型授業をベースにしてグローバル教育が充実していることで有名ですが、一方でSTEAM教育も注目されているのです。中込校長は教科書も執筆していますし、大学でも教えています。東京都の都立高校の先生方がSTEAM教育を学ぶ会にも、お二人は招かれ、リーダーシップを発揮しているぐらいのその道の重鎮なのです。

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★今回お話をお聞きして、驚愕したのは、グローバル教育とSTEAM教育とPBLが越境という次元をさらに超えて融合しているということでした。

★グローバルコースの生徒がPBLやSTEAMと親和性があるのを、中込先生は、グローバルマインドがあるからだと仮説を立てています。ですからサイエンスコースでも、本科コースでもPBL型授業がすべての教育活動で展開しているわけですから、帰国生子女でなくてもグローバルマインドが養われるという循環が起こっているようです。

★そして、このグローバルマインド(それが何であるかは動画をご視聴ください)に基づいて、小仲井先生が実験を生徒と共に行いながら科学的思考活動を行っていくのですが、その実験がSTEAM活動になっているように組み立てているのです。

★摩擦や水平飛行の物理現象を観察し分析し考察するのに、手を使いながら実験用の道具を実際に作りながら考えていくのです。

★科学者やエンジニアがそして哲学者なども、実は仮説を証明するために思考実験を行います。たとえば、有名な思考実験は囚人のジレンマとかチューリングテストとかシュレディンガーの猫とかいうものです。しかし、これは頭の中で組み立てています。ところが、小仲井先生の場合は、実際に手でつくることができる思考の実験装置なのです。

★こういう表現は私の造語ですが、Thinking hands-on Mechanismとでも呼べそうです。

★中込先生が和洋九段女子のSTEAMはEが中心ですということはこういうことだったのですね。ロボットをつくるというのは、発想というテクノロジーとプログラミングとかデータサイエンスとかたしかに、SやTやAやMは使うのですが、実際にロボットを組み立てる多様な要素である道具をつくることはしません。エンジニアリングとはこのロボットという道具の道具をつくるところからはじめるわけです。

★人間の身体全体がロボットだとすると、iPS細胞を生み出すのが道具の道具をつくるエンジニアリングということでしょうか。

★ロボットコンテストなどもSTEAM教育の一環ですが、それはマクロのSTEAMで、和洋九段女子の場合はミクロのSTEAMです。目に見えない部分に入り込んでいくわけです。これぞPBLや探究の妙技です。

★iPS細胞は、たしかにプリミティブですが、その能力は万能です。和洋九段女子のフュージョン教育おそるべしです。

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2024年9月20日 (金)

順天 2026年北里研究所の付属校になる準備着々 中学応募者数増やす

★2026年から順天中学校・高等学校が北里研究所の付属校になるという話題は、衝撃的で、昨年末から教育界や受験業界で注目を浴びています。そして、いよいよその具体的な準備が動き始めました。それ以前から、探究=研究というプログラムやプロジェクトが多数実施されていますから、文理融合と理数系的な学びは加速しているようです。

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(写真は順天サイトから)

★驚きなのは、ミュオグラフィの原理を活用するプロジェクトに参加している生徒もでてきていることです。レントゲンと同じ発想なのですが、X線の代わりにミュオンを使うので、世界中どこでも同じ装置で透視をすることが可能だというのです。エジプトのピラミッドが透視できるという最先端のテクノロジーで話題を呼んでいますが、火山、原発など人間が近寄れないところを透視できるようになります。

★とはいえ、まだ大掛かりな装置が必要で、どこでもだれでも活用できるようにしたいというデザイン思考さながらの発想で挑戦しています。他の学校も参加しているプロジェクトチームで、今スイスに行って学んでいるようです。

★このような高度なテクノロジーをイメージするアイデアは、高校になってからでは、大学入試の準備もありますから、そう簡単ではありません。やはり中高一貫ならではの中学から探究活動をじっくり行っていく必要があります。

★したがって、中高大一貫校として出発するにあたり、その準備として中学の定員を増やし、となると高校の定員を減らすという学則定員の変更をするようです。同校サイトの中学募集要項では、来年から中学の応募者数を30名増やし、1クラス増を予定しているとあります。

★2027年には、15歳人口は急激に減少すると予想されていますから、その対策としても有効でしょう。

★しかも、予定されている定員120名のうち、60名は4教科入試ですが、50名は国語と算数の2教科入試、10名は多面的入試で募集します。これは何を意味するのか?

★それは、バランスよく基礎学力をしっかり勉強する生徒のその才能も、国算や英語は学ぶけれど、社会と理科の入試勉強の時間を自分のすきなことにつかう才能も受け入れるという入試システムであることを示唆しています。

★もともと同校は系統的知識の学びと経験的な学びの両方のベクトルの合力を大切にしています。ですから、どちらかが得意な生徒がバランスよく集まってくればその合力は思いもよらぬ化学変化を起こすわけです。

★それは同校はすでに経験済みです。ですから、中高大一貫に移行する機会に、思い切って中学の応募者数を増やしたのでしょう。

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建学の精神の時代(01)学校における「建学の精神メカニズム」と「ルサンチマンメカニズム」

★私立学校の理事長・校長と対話しているとその覚悟が違う。建学の精神の文言はそれぞれ違うが、そのメカニズムはどうやら同じだ。というのも、建学の精神をベースにすることで生徒1人ひとりの才能価値を無限に生み出し、その生徒がより良き社会をつくっていくことになるという確信を抱いている。そういう信念の覚悟がる。

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★そして、どの時代も大きな問題があり現実社会はそれに翻弄されるが、その嵐の中で、生徒の才能を育み、未来をよりよい社会にするためにいまここで大いに学べる環境を守り続ける信念。だれも未来をディストピアにしようとなんて思っていない。だが、ユートピアはともすればたんなるバラ色の夢の世界であると誤解されかねない。だから、表向きは、極めて慎重である。

★現実社会の課題を見定め、そこを解決するために目の前の問題に対応すべく対症療法をするときが多い。しかし、それでも、ディストピアにはしないという覚悟がある。対症療法と根本的解決はプロセスで連続しているものだ。

★私は、無粋だから、そこを尋ねてしまう。だから、中には何をそんな難しい話をという理事長校長だっているが、その理事長校長が信念の人であることは行いを見れば了解できる。そういう場合は、そのような理事長校長については遠くから眺め、好き放題言って凄いんだよと言うことにしている。迷惑そうな顔をするが、ウソを言っているわけではないなあと思ってくれている(だろう)。

★しかし、私立学校から外に目を向ければ、大競争社会の中で、他者と比較し、妬み、嫉み、羨み、怨念、妄執と化しているリーダーもいる。そのようなリーダーは、自分を正当化するために高度ないいわけをする。だから、世間は、そのもっともらしさに騙されることもあるだろう。こうういう組織はルサンチマンメカニズムが働いている。

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★成果主義や能力主義は、このルサンチマンメカニズムが作動しているから、そこに属するメンバーは、知らず知らずのうちにゴーレム効果に陥っていく。悲惨だ。そこは、すでにディストピア的組織になっている。高度な合理化防衛機制が働いているので、誰もがなかなか気づかない。

★そのような組織が悲惨な事件を引き起こしているのは、日々ニュースで映像が流れている。しかし、それがルサンチマンメカニズムだと抽象化し、リフレクションモデルにすることはあまりない。そこは専門家に任せてしまう。だから、世間はいつまでも判断基準がない。ただ共亜kンすることはできるから、そのようなニュースをみてハッとする。

★AI社会になると、ますます合理化型の防衛機制が、リスクマネジメントと見分けがつかなくなって、蔓延するだろう。私立学校の建学の精神メカニズムを体現し続けることは重要な時代である。

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2024年9月18日 (水)

建学の精神ありきのバックキャストとそうでないバックキャスト

★私立学校は、建学の精神に基づき独自の先見性・先進性を発揮するとはだれも否定しない。建学の精神とその独自性は不易で、先見性・先進性は流行という感じもだいたい共有している。そしてその流行の部分はテクノロジーのアップデートをおおよそ意味する。しかし、建学の精神とはどういうシステムなのかということは、歴史のシステムを過去の知識の集積ぐらいにしかとらえられていない。ところが建学の精神は超時空性なのだ。過去にも現在にも未来においても不変であるという意味で、必然的に超時空性のシステムなのだ。

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★明治時代だろうが令和時代だろうが、その時代その時代でバックキャストして近未来を展望し、それを実現する実定法的手続きを介して開発が官民共同して行われてきた。だから、建学の精神なきバックキャストは、その時代その時代の現実社会を支えたり改善したりしてきた。そして、その実定法が超時空の中で相対化されて無秩序化すればディスとピアが常に生まれてきた。

★建学の精神とは、実定法やバックキャストが織りなす現実社会をモニタリングし、精神なき超時空化の中でカオスになるアナーキズムもモニタリングしてきた。

★しかし、最近デヴィット・グレーバーの理屈が浸透してきた。特にパンデミックによってそこにマルキストが融合してきた。人新生と資本論を論じる有識者もでてきた。それに対し、マルクス・ガブリエルが倫理的資本主義を唱えて、一定の理解者を有している。

★グレーバーやマルキストは、建学の精神のような精神を否定するから、現実社会を脱するのだが、常にそこはディストピアで、グレーバーやマルキストにとってはユートピアであるが、多くの人間にってはアンハッピーである。

★マルクス・ガブリエルは、マルクスという呼び名を冠しながらも、カール・マルクスとは真逆である。

★おそらく私立学校の建学の精神のシステムと親和性があるだろう。

★とはいえ、ある一定の社会システムをユートピアとして描いているのが私立学校の建学の精神ではない。もっと自然な人間論である。神様ではないのだから、妬みもするし、怒りもするし、不寛容な場合だってあるのだ。でも、そこを脱することができるという絶望を希望に変える精神が建学の精神のシステムなのである。

★それはリベラルアーツというシステムで、バックキャストもするからそれはコンヴィヴィアル・テクノロジーを背景にしたリベアルアーツである。

★仲間のM氏は、グレーバーの流れの学者もコンヴィヴィアルという言葉を語っているのが不思議だと。まさにその通りで、現実社会においてもコンヴィヴィアルを否定などしていないのに、その共同的な行為や想いを搾取しているという理屈になるらしい。

★現実社会はそんなに弱くはない。頑迷固陋という側面ももちろんあるが、現実社会の中で自浄作用があり、それがディストピアにはしないリスクマネジメントになる。そしてユートピアを現実社会に取り組みながら、まだ向こうにユートピアはあるとなると、そこには建学の精神と同じ精神が作用し始める。しかし、安定するとその精神は再び邪魔になる。

★現実社会は権力の暴走が作動するのが常だからである。それを抑えるのが建学の精神の持ち主たちだ。しかし、かれらは精神の足をユートピアに置きながら、頭と行いは現実社会で働くのである。この状態をよくグローカルという言葉で表しているのかもしれない。

★建学の精神なき現実社会は、未来は常に悲観的だ。絶望的だ。ディストピアにシフトするからだ。

★建学の精神ありきの現実社会は、ユートピアを志向し、現実社会を日々アップデートしていく。

★これが建学の精神の循環システムである。あるいはテクノロジーである。これを不易流行というのだろう。

 

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駒沢学園女子 永平寺参拝研修 世界精神をうたう

★土屋校長から駒沢学園女子の生徒が永平寺参拝研修に行ってきたエピソードを聞き感動しました。そもそも私立学校の建学の精神が生き生きと響いている感動的なシーンは、生徒一人一人が創立者の精神に触れるイベントです。たとえば、麻布学園の場合、創立者江原素六の墓参に沼津まででかけるイベントがあります。女子学院のようなキリスト教の学校の場合だと礼拝堂で聖書の言葉に触れ祈るイベントがそうでしょう。世田谷学園のような仏教の学校の場合は、坐禅堂で坐禅をするときのあの静寂な中の息吹に命の響きを感じます。それは同じ曹洞宗の駒沢学園女子も同様です。

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(写真は土屋校長から頂ました。)

★ところが、驚いたことに駒沢学園女子の生徒は永平寺に研修に行くというのです。海外から多くの外国人が訪れる名所でもありますが、観光旅行に行くのではありません。修行に行くというのです。

★永平寺の僧侶の皆さんが生活する一挙手一投足のすべてが修行です。当然坐禅もあります。素人がこんなことをいうと叱られるかもしれませんが、永平寺で暮らすということは完璧なエコシステムに身を投じるということです。食事も精進料理でしょう。食べた後の洗い物からトイレなどのすべての循環がエコシステムです。

★その中にゆだねることは身体が自然とつながる自覚が生まれてくるでしょう。自然に触れ精神は健全になり、地球及びその向こうの宇宙とつながっている経験を坐禅によってさらに強めるでしょう。

★わたしたちは能力主義の大競争社会で人間らしさを失っています。勝った負けた、悔しい羨ましい、どうせ自分はと妬み、恐ろしい言葉や気分が自分を包み、SNSではそんな恐ろしい雰囲気が臭気を放っています。

★そんな社会から自分を仲間を家族を社会を守る世界精神である仏教の宇宙観。

★どこにでもあるわではありません。だからそんな希少価値を求めてGAFAMの人々はZENやマインドフルネスに救いを求めているのが現状です。

★だから、写真にあるように、駒沢学園女子の生徒が「永平寺賛歌」を斉唱したとき、何が起きたのか?そこに自分がいたとしたらどうなると思いますか?想像してみてください。そうです。僧の方が涙を流して聞き入るのです。そして観光に訪れた外国人の皆さんも感動するのです。

★駒沢学園女子のそんな得難い希少価値に感動しない人はいないでしょう。

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2024年9月17日 (火)

藤田真央さんのショパン 低音の響きが心身をゆさぶる

★藤田真央さんの新レコード「72 Preludes - ショパン/スクリャービン/矢代秋雄: 24の前奏曲(ソニーミュージック)」。3人の作曲家の24のプレリュード全72曲。おしゃれな選択だし、日本人の作曲家「矢代秋雄さんの作品などは日本初のレコーディングということもあり、購入してみた。ところが、ある曲のところで先に進まなくなった。

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★それは、ショパンのプレリュードOp.28の24番目の最終曲を聞いたら、もう何度も聞きたくなりオートリバース状態になっているからだ。この曲、ショパンにしては珍しいニ短調の曲で、なんかシンプルでいかにも最終曲という劇的な曲で、なんか無理矢理だなあとかつては思っていた。

★エチュード「革命」のように激しいけれど、そんな光り輝く感じではないのだ。

★ところが、藤田真央さんのこの曲の演奏は、あまりに丁寧に低音をハートとボディーの両方をゆさぶるように響かせてくる。音が軽やかに転がるような藤田真央さんのいつもの弾き方とは違う。

★地を這う低音がハートとボディーを揺さぶるのである。

★いつもは、発想は頭上から降りてくる感じなのだが、この演奏は、胃袋から湧いてくるのだ。

★ちょっとイメージしにくいかもしれないけれど、腹の底から響いてくる。理想と現実を融合させるような響き。胃袋でものごとを考えているそんな感じ。そんなわけで、いつもとは違う角度からもののを見る力をもらえる。

★ただ3分弱の瞬間的な作品だから何度も繰り返し聞かなくてはならない。発想が生まれるまでには、3分ではなかなか難しい。

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私立学校の教師の特徴

★東京私学教育研究所が実施する教務運営研究会の委員の先生方は、私学の教育の魅力を表現しようと新しい研修会を今月末に実施します。私学の教師というのは、いうまでもなく学校に所属しています。たいていの専任の教員は、所属している学校で生計を立てています。民間企業とそれは同じですね。しかし、決定的に違うことは、自分の才能の価値を無限に広げて、つまり学校の価値以上のおもしろいことをもちろん組織のルールを守ってですが、取り込むことができます。

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★教員のイメージって、学校に所属し、学校のルールに従って自由度が低い仕事のように思えますが、生徒が成長するのに画期的なアイデアをほしいままに活用し創り出すことができるめちゃくちゃクリエイティブな仕事です。

★タレントとテクノロジーとトレランス(寛容)の3Tが揃っているクリエイティブクラスなのが私立学校の教師です。テクノロジーはエンジニアリングも含みますが、エンジニアリングで実現するための発想を生み出す技術が大事です。問いを立てるというのはテクノロジーがサポートできます。

★だから、デザイン思考だ、SELだ、システム思考だ、アート思考だ、グローバルアントレだ・・・・と生徒がワクワするような学びをどんどん取り入れて、生徒が自らおもしろいことやりたいということを発見できる機会をどんどんプロデュースします。

★もちろん一方で現実社会の格差社会で負けないようにサバイバル能力を鍛える名コーチングだってやってのけます。できれば、その格差社会を是正して欲しいと願いながら。

★前々回ご紹介した金子孝太郎先生をはじめ、思いつくまま並べてみると、文大杉並の染谷先生、工学院の田中歩先生、八雲の近藤隆平・嘉彦先生、富士見丘の佐藤一成先生、水都国際の太田先生(今年校長になってしまったけど)、成立の宇田川先生、武蔵の赤間先生、多摩大目黒の川端先生、成城学園の青柳先生、佼成学園の上野先生、聖学院の山本周先生、和洋九段女子の小仲井先生、湘南白百合の水尾先生、海城の中田先生、日本私学教育研究所の伊東竜先生(元聖パウロ学園)・・・などまだまだあげればきりがないのです。

★そして、それぞれの先生方は同じような仲間とそれぞれ100人以上コネクテッドしているんです。そして、その100人の中にはつながっている方々もいるのです。

★すごいワクワクするような智慧のリソースが広がっています。すてきな「コンヴィヴィアル・コミュニティ」です。

★そうそう、そんなことはない。こんなにクリエイティブな価値を広げたいのに、それがなかなかできないという場合もあります。そのような教師を生み出している学校があったとしたら、受験生。保護者はそのような学校を選ぶ場合、ちゃんとリサーチしたほうがよいかもしれません。

★本当にその教師がクリエイティブなのか、そうでないならきちんと対話をして覚醒する人間関係やシステムをその学校が創っているのか、そこはなかなかリサーチは難しいのですが、不思議なもので説明会にいくと、雰囲気で概ね察知できるものです。

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新しい社会の在り方を「人間—テクノロジーー世界」の多様な関係性でとらえる世代

★東京私学教育研究所の理事長校長会でお招きした青山学院大学の香川秀太教授の講演を聞いた何人かの先生方が、教育の中に新しい社会のとらえ方のスコープを埋め込み始めています。まだまだリアルな領域の話ですが、それは学校という器の今のところ限界です。学校はプロトタイプで終わらせることはできず、プロジェクトにして実践しなくてはならない宿命があるからです。

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★ところが研究所の場合、プロジェクトを実施する前のプロトタイプ段階で終えなくてはなりません。プロジェクトはあくまでも学校の先生方が実施するからです。

★ところが、プロトタイプでよいのであれば、メタ的な絵柄を生み出せばよいわけで、リアルな学校の器を越境して社会の在り方のモデルを創れます。香川秀太教授の講義の中からコンヴィヴィアルという概念に共鳴した研究所の若い世代のM氏が、緒方壽人さんの上記の書籍を引っ張り出してきて、新しい社会の在り方のヒントになりますよとメールを送ってくれました。

★デザインとテクノロジーを結びつける集団が存在していて、テクノロジーといえば、ハイデッガーをどう読み解くかなんだとかいう話になって、哲学がまさにSTEAMに大いにかかわっていることがわかりました。

★M氏は、このコンヴィヴィアルテクノロジーについて総務省も研究しているとメールをくれ、イリイチの考え方を企業や官が取り入れているとはなんて時代なのだろうと改めて驚きました。

★文部科学省のいう「主体的・対話的で深い学び」や「個別最適な学びと協働的学びの一体化」など、「テクノロジーからの哲学」で考察すれば、なんて先進的なことを行っているのかということに驚きます。

★STEAMが教科と探究をつなぐんだというようなことも言っていますが、コンヴィヴィアルテクのロジーという言葉を学習指導要領の中に引用や参照するだけで、あっさり次の次元に学校は飛べるのに、わざわざ新しい漢字交じりの日本語フレーズに変換して、今やっていることは、まるでそこに行くのを回避するように誘導しているかのようです。

★一体文部科学省は何を隠そうとしているのでしょうか。すでに大学や民間でこのコンヴィヴィアルテクノロジーをとりまく技術と実践と哲学が三位一体になる研究や商品開発がどんどん進んでいるのに、そこに追いつかないSTEAM教育や探究の成果を発表しあって満足しているとはどういうことなのでしょう。

★文科省は知っているのに、それをなぜ隠すような日本語で学習指導要領を編集しているのは一体なぜでしょう。実に不思議です。

★まあ、それはともかく、東京私学教育研究所のM氏のように学校に所属していないことで、その隠されている大切なビジョンを見抜くことができるというそういう場で、この年寄りが若き世代に刺激を受けて学ぶことができるなんて、とても幸せなことです。

★M氏とは、ここを掘り起こす作業を地道にやっていくことになりました。

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金子孝太郎先生との対話から気づいたこと

★前回、教師における「人的資本」とか「クリエイティブクラス」とか「創造的才能者」について書きながら、ふとある先生のことが思い浮かびました。それは東京私学教育研究所の研修委員会の1つ「教務運営委員会」でもお世話になっている金子孝太郎先生(本郷中学校・高等学校の教頭補佐)です。

★金子先生は数学教師としてプロフェッショナルですが、教科や学校の枠を越境して教務運営委員会の研修のコーディネートに協力してくださっています。研修を実施されているとき、大変忙しい中、ときどき対話をしていただきます。

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★ほんの数分ですから、瞬間なのですが、最も重要なポイントをご教示いただけます。委員会のときもそうです。対話や議論は結果的にコアとバッファーの内容に整理されますが、最初は何がコアでバッファーなのかはわかりません。いや最後までよくわからないで終わる対話というより具体的状況の情報共有で終わることもしばしばです。

★このような情報共有は共感や共振しますから、充実感があります。しかし、次のステージやビジョンが見えずに終わりがちです。いまここでマインドフルネスであることは、仕事に忙殺され、高ストレスになっている現代人にとってとても大事です。

★しかし、金子先生のようにその共感共振した具体的な状況をコアとバッファーに分ける仮説(コアの正解はないので)を立てながら、プロジェクトを共に進行していくチーム作りは、試行錯誤の醍醐味だし、質的変容と成果を生み出します。

★おそらく金子先生の思考様式は、具体的状況を収集し、コアとバッファーに分けて、その過程で問いを立て、その解決のためのプロジェクトを遂行しながら、そのコアのさらなる世界共通性という抽象度が高品質のコンセプトレンズに仕立て上げていくタイプです。

★抽象度が高品質とは、そのコンセプトレンズから多様な具体的な状況が生まれ、その信頼性・正当性・妥当性が保証されるということです。もちろん、絶対的ということはないので、研修委員の先生方と対話を継続しながら修正し研磨していくのでしょう。

★かくして、プロフェッショナルな教師であると同時、学校を超えて教育を豊かにしていくための学校では不足しがちの社会のリソースをコネクテッドするパワーがあるわけです。コネクテッドするには、互いに根本的なところでつながっている必要がありますから、高品質な抽象思考が欠かせません。

★金子先生と対話すると、この高品質の抽象思考の部分を開いてくれますから、一瞬にして本質的なコアの部分を見通せるのです。そして、その見通しの向こうにビジョンが光り輝いているのです。

★世の中、たしかにSTEAM教育やグローバル教育など色とりどりのおもしろいプログラムが生み出されています。それは大いに結構なことなのですが、それらを丸かじりする高品質の抽象思考の育成が生徒にとっては大事です。もちろん私たち大人にとってもそうです。

★金子先生は、本郷にとって重要な「人的資本」だと思います。そして、東京のいや日本のいや世界の教育界にとっても得難い重要な教師です。未来の子供たちにとって希望の存在です。

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2024年9月15日 (日)

人的資本の学校経営 桜美林新宿キャンパス文大杉並WSで出会ったある先生から感じたコト

★教師のことを「人的資本」というと教育界では、少しひかれます。かといって、創造的才能者とかクリエイティブクラスというとドン引きされます。面倒見がいい先生とか教師力という表現だとおちつくみたいです。どれも同じ意味で私は使いますが、無限の価値を生み出すエネルギッシュな意味を付加するには「人的資本」とか「創造的才能者」とか「クリエイティブクラス」とかいう方が伝わるかなと。

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★そんな中で、文大杉並の理事長松谷先生は、「人的資本」を大事にすることだよ、クリエイティブクラスいいじゃないか、創造的才能者はうちにはたくさんいるよとニコニコしながら話してくれます。

★実際クリエイティブクラス集団はどんどん豊かになり拡大し、今では学校をはみ出し、越境して多次元多層な団体や人々と結合することによって新しい次元の教育を生み出しています。このエネルギッシュなクリエイティブクラスに引き付けられて多くの生徒が同校にチャレンジしてきます。人的資本やクリエイティブクラスは、新しい価値を次々生み出します。各人の才能や思考力や人としての魅力があり、時代の最先端のテクノロジーを法令遵守しながらフル活用します。

★この活動自体がSTEAMだし、PBLだし、グローバルだし、探究だし、哲学だし、学問だし、遊びだし・・・・簡単に言うと「ワクワク」するわけですね。

★そういうわけで、昨日桜美林新宿キャンパスで行われた文大杉並の博学連携というグロバール・STEAM・探究・PBLが最強の正四面体結合を生み出すWSに参加しました。他にもおもしろそうなWSがあったようですが、私はその一つしか目指さず、妻とのイベントがあったので、終了したらすぐに車で会場に向かいました。

★ですから、そんなピンポイントな時空で、しかも20人参加したらパンパンになる教室ですから、ますます知人に出会うという確率はめちゃくちゃ低いはずですが、なんとそこに現れた一人の探究やSTEAMを牽引するK学園のU先生が現れたのです。

★そのK学園も「人的資本」とか「クリエイティブクラス」は豊かでたくさん存在しています。その1人で、なおかつ探究において学内だけではなく学外でも活躍されているU先生。

★思わず、目が合ったときに「そういうわけですね」と声をかけると、「そういうわけですね」と回答がすぐにありました。

★私のむかしからの知人安修平さんがりょうゆう出版を立ち上げ、ワークショップを行うという連絡がはいったので、参加した時があります。そのWSのチームで、U先生と出会いそこで対話をしたのですが驚きました。この方はまさしく豊かな「人的資本」だし、「クリエイティブクラス」だと感動したのを思い出します。

★というわけで、ときどきその活躍の様子を眺めていたわけです。U先生の所属しているK学園も躍進しています。グローバル・STEAM・探究の塊の学校で、もちろん大学合格実績もすばらしいわけですが、文大杉並同様、その成果は生徒のキャリアデザインの1要素で、大事なことはもっと総合的なものです。

★文大杉並の活動に同じような感性でU先生も私も引き寄せられたのかもしれません。ふだんはそれぞれの職場で仕事をしていても、こうして文大杉並の先生方とU先生と出会えるのです。共感共鳴共振している価値の創造磁場みたいなものが世の中にはやはりあるのだと。その磁場がこうしてどんどん強くなっているという実感は、まさに希望です。

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2024年9月14日 (土)

湘南白百合 多次元多層なプログラム 半年でバージョンアップするワケ

★昨日オンラインで湘南白百合の教頭水尾先生からお話を伺いました。2月にお話しいただいたことが半年の間にさらに破格にバージョンアップされているのに驚愕!でした。あまりに多次元多層なプログラムの中身でしたので、まとめきれません。詳しいことは、動画をぜひご覧ください

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★とにかく、時間も空間も内的世界も言語もあらゆる領域を越境していく同校の生徒さん。越境は同時に結合することでもあるので、確かに化学変化が爆発している感じなのです。水尾先生は、この化学変化をシナプスがつながると表現します。こういう「ことば」を選択する視座がすてきなのですが、「転生」ということばも使っています。

★今、「転生」という次元を越境して成長していく主人公たちのアニメがTVや動画の中でトレンドでもあります。

★この越境やトランスフォームの言葉は、かつては数々の小説で「変身」文学として表現されていましたが、最近ではアニメにシフトしています。

★水尾先生のアカデミズムからサブカルまでの広い視野は、たしかに生徒にとって魅力的です。

★多次元で多層なプログラムを横断する生徒の皆さん。結果的にプログラム同士も越境しつながり化学変化が起こります。半年後、どんなバージョンアップになっているのでしょう。すでにその予告も話されています。ぜひご覧ください!

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多層性のレッスン 奥山恵著 児童文学の中の根源的問い

★安修平さんが代表をしている「りょうゆう出版」から児童文学研究者で、自ら子どものための本屋も経営し、幾つかの女子大でも講師をしている奥山恵さんの著書「多層性のレッスン」が出版されました。安さんから送っていただきました。ありがとうございます。

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★私が20代から30代の10年間、中学受験の仕事をしていた時があります。1985年代から1990年くらいまでに、今江祥智さんの本が理論社からどっと出版されていたこともあって、中学受験の国語の入試問題の課題文として、今江さんの物語をはじめ児童文学がたくさん出題されていたことがあります。

★同時に言語学者で詩学に興味をもたれていた池上嘉彦さんの「ふしぎなことばことばのふしぎ」という中学生向けの本も出版されていて、その本も中学入試の課題文としてたくさん出題されました。

★現代思想では、物語論もはやっていて、私立学校の国語の先生方が、記号論や物語論をベースに児童文学を素材に問いを立てていました。

★そんなこともあって、当時別の出版社の編集長だった安さんに協力して頂いて、児童文学を知ろうという活動をした時があります。

★しかし、1990年代半ば以降は、あさのあつこさんや重松清さんにトレンドがシフトし、私も教育研究所設立へシフトしていきましたから児童文学へのリサーチは遠くなってしまいました。

★ただ、物語論の背景にある記号論や言語論、コミュニケーション論は、国語というより学校の授業デザインの中のコアに転移していて、今も私たち仲間のPBL型授業の大切な泉です。

★その泉は、「問いの問い」を生徒自身が自ら生み出せるのかというのがいつもディスカッションの話題になるのですが、要するに根源的な問いなのですが、どうもそれは幼児教育の時にすでに子どもたちが生み出していて、それが初等中等教育で消えていくのはなぜかという議論にもなっているのです。世の中非認知の能力を幼児期にという流れでもあります。その非認知の能力の中に論理的思考になる前の根源的問いがあるのではという仮説ですね。

★そんな思いで、昨日友人が理事長をしている幼稚園の教育についてメモ書きしていたちょうどそのときに、同書が届きました。安さんはあの当時から奥山さんと出会っていて、安さんご自身も出版社を経営し、奥山さんも書店を経営するという創造性と経営の両輪を動かす波長が合ったのだと思います。

★それがこのような形に結実したのだと思います。それにしても、ページを開くと、子どもは哲学者であり、根源的な問いを生み出している、それが児童文学の中にあるのだという論が飛び込んできて、これは何かの啓示かと感動してしまいました。

★児童文学の世界は、多層という多くのレイヤーがあり、それぞれの層が形成されてきたシステムの光と影を解き明かしていくのが各層の児童文学であり、その各層のつながりこそが、私たちが忘却してしまった根源的問いへ再び出会うスクラブル交差点に迷い込む児童文学の世界。

★4,5年前まで、ときどき魔女の宅急便とナルニア物語、佐藤さとるさんの物語は、小学校低学年のこどもたちと読む機会がありました。なぜ魔女の宅急便とナルニア物語と佐藤さとるさんなのか深く考えたことはありませんでした。たんにファンタジーと創造性とそれを支える論理構成を共有できればよいなあと。もちろん楽しめる本であるということが一番の理由なのですが。

★奥山恵さんの「多層性のレッスン」を手に取って、そこには根源的な問いを共有する道が開かれるということだったのかと。ザッピング読みの私ですが、来月新幹線で大分の研修に行く時に読書をしながらと思っていました。「多層性のレッスン」を旅の道標にしたいと思います。

★奥山恵さんの書店の名前が「ハックルベリーブックス」だそうです。「ハックルベリー・フィンの冒険」はまさに、破天荒なマークトウェインの子供の成長物語の原型です。今学校や教育がワクワク楽しくなくては問われていますが、それは根源的な問いを開こうよとトム・ソーヤたちが向こうで誘っているかのようです。

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2024年9月13日 (金)

幼児教育の新たな展開 みずき野幼稚園の挑戦 

★2022年7月、文部科学省は「中央教育審議会 初等中等教育分科会 幼児教育と小学校教育の架け橋特別委員会」を設けて、人口減に備えるためにも日本の未来の人材の質を幼少期から考えようという政策を展開しています。もちろん、否定はしませんが、人間というのは、生まれる国を選べません。だからといって国のための人材ではありません。よりよい社会をつくろうとしたとき、その国がよりよい社会になろうとしないどころか、真逆の場合もあるのは、毎日世界の情報が流れているのを見聞して了解できるはずです。だから、国の前に一人ひとりの人間なのです。

★しかしながら、この当たり前のことについて私たちが身に染みて理解できるのは、幼子を目の前にした時なのです。私自身、2つの国籍を持っている4歳の孫を目の前にした時、国の前に、まず孫自身がどのように育っていくのかであって、どちらかの国に合わせた人間力を身につけてほしいとは思えません。子供と教育の根源的な在り方について、これほど純粋に考えられるのは幼児期の教育です。そして、それを忘れない初等中等教育をいかにつくっていくか、結構本質的な問題がまだまだありますね。

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(写真は同幼稚園サイトから)

★そこにいくと、内田真哉理事長のみずき野幼稚園は、子供一人ひとりの人間の在り方が根っこから生み出されていく環境が充実しているし、日々新たなりなのです。

★子供たちは、部分から全体ができあがっていくように育つわけではないというのが、内田先生の考え方なのでしょう。孫をみていていつも思うのですが、立派に意志を持っているし、欲求を満たすために主張もするし、作戦も立てます。その遂行の技術の拙さや、言葉もまだまだです。ですが、もうやりたいことをやりぬこうとするし、邪魔されれば抵抗もします。だからといって、わがままかといったら、そんなことはありません。

★普段甘え切っている母親に対しても、母親が具合が悪いときは、いたわります。それはいたわる道徳的な目的ではなく、自分を大事にしてくれる人が具合が悪いと、自分にとって居心地が悪いからなのかもしれません。

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(内田理事長自ら窯をつくっています。同幼稚園サイトから)

★しかし、その感覚や感性の価値の重みづけは、無自覚ではなく、意外と自覚しています。ただ、言語化はうまくできないだけです。言語化できないから無意識とか無自覚とかそういうことはありません。むしろ、こういう人間の本来的な在り方を見逃して私たちは大人になり、無自覚とか追う言葉で、大事なものを勝手に忘却しているのかもしれません。

★みずきの幼稚園では、子供たちは環境と多様な手段でコミュニケーションをして、そこからおもしろいことやりたいことを全身で受けてめていきます。その環境として畑や花壇や園庭やなんと窯など内田理事長をはじめ先生方はデザインしていきます。

★そして、先生方はそういうデザイナーだったり、環境を配置するファシリテーターだったり、子供の健康やメンタルなどのサポーターだったり、イベントのプランナーだったり、陶芸家だったり、保護者にのメンターだったり、マルティロールプレイをします。

★文科省の先のワーキンググループは、資料にこんなことを書いています。「認知能力とは知的な力で、知識・技能、思考力等を含む。非認知能力は、意欲・意志、自覚し見渡す力、人と協力する力等を含む。乳幼児期・学童期・思春期を通して育つ。認知と非認知は相互に関連し、支え合って育っていく」と。たしかにそういう面もありますが、このモデルは、常に元気な子供の様子しかとらえきれてないのです。子供は必ずしもいつも元気なのではないのです。エネルギーが切れて不機嫌になることもあるし、おなかがゆるくなることもあります。そこで子供が体全体で表しているものは、認知能力とか非認知能力とか要素還元的なものではないのです。

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(2019年ころの聖学院でいっしょにワークショップをやっていた時の写真。このころからU理論やEQなど議論していました。左から内田先生、児浦先生。両先生は、それぞれ幼稚園と大学で子供たちといっしょに未来を生み出しています。)

★元気が良いときもそうでないときも連続した存在全体です。それを丸ごと受け入れ、その存在の在り方全体が一人の子供にとって無限の価値を生み出すあり方になてっくれればという同幼稚園の先生方の想いが、忙しい毎日の中でEQの研修を行うことにまでつながっています。

★幼稚園の教育を内田先生方と多くの人が学ぶ時が来たと思います。多くの中高大学の先生方もその学びに参加してほしいと願います。根源的な領域を再び経験するために。

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桐蔭中等教育学校 「新しい進学校」というパラダイムシフト完成 そしてさらにブラッシュアップ

桐蔭中等教育学校の玉田裕之校長による2025年中学入試説明会の動画が公開されています。2018年12月に当時の岡田直哉校長からお聞きした「新しい進学校」へのパッションが、ついに実現したと感動しました。

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(写真は首都圏模試センターから)

★同校は、

1)アクティブラーニング型授業×探究×キャリア教育という学びの新しい統合を果たしています。

2)この3つの循環が、6年間通して学びのストーリーを描いています。

3)そのストーリーは、世界に視野を広めるマインドとスキルを生徒が獲得し、その能力を地域の未来都市構想に活用し、最終的には自分のやりたいことの課題に絞り、解決の仮説を立て、データサイエンスに基づいて数理モデルも活用しながら論文やプレゼンをしていく生徒1人ひとりの成長物語のサポートプロットにもなっています。

4)したがって、大学に合格することがゴールではなく、社会の在り方を構想し、それを実現するために自分がどのような使命や役割を果たしながら生きていくか人生のトランジションが描かれる新しい進学校となっています。

5)何より、この「進学校から新しい進学校へ」へという学内パラダイム転換を学内の先生方が全員で意識しています。そして、そのことが日本の教育のパラダイム転換に対し社会的インパクトを果たす人間力を身につけた多くの卒業生が羽ばたいていくというコンセプトが明快で、それが今年度の共学一期生が証明するという段階に来ています。

★神奈川エリアにおいて、まだまだ進学校型学校が多い中、桐蔭中等教育学校は、新しい進学校へ誘うプロトタイプリーダー校です。

★まだ、リサーチができていないのですが、この同校の新しい進学校のストーリーをコアプロトから弾けるように創造的に生徒が成長していくには、ルーブリックができあがっているからです。

★おそらく、世の中が新しい進学校に変われないのは、このようなルーブリックがないからです。新しい進学校に変化している登校の学校では、それぞれ独自のルーブリックを持っています。

★世間がここに気づくにはしばらく時間がかかりますが、生成AIがこの問題を解決してしまうのもそう遠い未来ではありません。おそらく桐蔭中等教育学校は、その開発も進行していると思われます。同校の9つのターゲットをベースにしたルーブリックは国際比較ができるように仕上げられているからです。

 

 

 

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2024年9月 9日 (月)

2050年社会をユートピアにするかディストピアにするか(07)新しい物語を創る生徒たちのキャリアデザインへシフト 気を付けて、終焉したはずの大きな物語がゴーストとして闊歩しているライフデザインはまだ残っている

★今日は、昭和99年9月9日。来年昭和100年を記念するイベントがあるという。それは終焉したはずの大きな物語の残骸からようやく解放されるということを祝うのか、それとも大きな物語を懐かしむのか、それとも大きな物語の昭和の歴史に冷静に学ぶのか・・・いろいろな意味があるのだろう。

★ここ数日、そういう時代の変わり目ということもあってか、企業人が、このままだと日本は滅ぶとかなんとかメディアを騒がしている。今の幼児から30代までの人々がどんな社会を創ろうとしているのか?そのような社会が滅びるのか、彼らの才能を全開するのを抑えてきた日本社会が滅びるというのか、それは定かではない。しかし、こういう議論が出てくること自体は大いに歓迎である。

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★「大きな物語」とか「小さな物語」とかいうレトリックは、フランスのポストモダニズムの現代思想から生まれてきたらしい。哲学的にどう解釈されているのか、それは学者に頼るしかないが、一般市民としては、果たして、その大きな物語は本当に終焉しているのかどうか疑わしい。ただ、一方でハラスメントリスクに対して、こんなにマネジメントしようという動きは、たしかに終焉という意識から生まれていることも確かだと思う。ジェンダー問題に対しての解決に動き出しているのも同じだろう。

★たしかに、終身雇用的な抑圧的な社会を、ライフシフトや働き方改革で共感的共生的社会に変えようという小さな物語がいっぱい生まれているのも事実だろう。しかし、一方でそう言っていながら、大学受験となるとまだまだ大きな物語の残骸というかそのゴーストに囚われているケースもみられる。文系・理系というのは大きな物語の残骸なはずだ。

★しかし、いまだにそのゴーストに囚われている。自分のやりたいこと=〇〇学部というのは、その極限であり、ゴーストが微笑んでいるのに気づかない。大きな物語は一見姿を消したが、小さな物語に微分化することによって、ゴーストは姿を現すことなく結局は大きな物語に積分するのだと微笑んでいる。

★かくして大きな物語の方程式はゴーストとして目に見えない。大事なものは目に見えないと言うが、最悪なものも目に見えないのだ。

★この大きな物語の方程式を新しい物語の方程式に転換しようとしているのが、幼児から30代の人々だ。もちろん、世代で輪切りは出来ない。年齢に関係なく、新しい物語をイメージしている人々はいる。

★しかし、実際に22世紀社会を現実的に創るのは、30代までの人々だ。彼らがゴーストに囚われないような新しい物語を描こうとする環境をアフォードする役割は、40代以上の人々は多少責任がある。

★自分のやりたいこと。それは大いに結構だ。しかし、その自分は新しい物語を描く自分なのか?それとも大きな物語のゴーストに囚われている自分なのか?

★中世に生まれた大学システムはいかに変容してきたのか?あまり変わっていないという考え方もあるし、普遍的な学問の場として変わる必要がないという考え方もある。でも、そのどちらでもない場合、新しい物語のキャリアデザインにシフトする大学(それが大学なのか呼び名は違うかもしれない)が現れてもいいかもしれない。

★そして、それはすでに着々と現れている。まだ日本の従来の大学にはそれはない。新しい動きは海外からやってきているし、日本も別の場所から動き出している。

★中高生のみなさん。みなさんは、自分の中から生まれる無限の価値を信じて欲しい。あるときは文学を学び、書を綴り、あるときは医療従事者になって公衆衛生で活躍し、あるときは教師として次代をさらに解放する。一人で何役でもできる時代が2050年にやってくる。というかそうするのが皆さんだ。

★みなさんの人生を一つに決める必要は何もない。もちろん、一つを一心に追究するもよし、多様な道を歩いてもよい。それを決めるのは、皆さん1人ひとりと皆さんが創る新しい物語を共有するコミュニティだ。1人ひとり10人の仲間とコラボする10人プロジェクトにチャレンジしてもらいたい。10の十乗のエネルギーはものすごい。もちろん、その10人プロジェクトは同窓会レベルではないけれど。

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AI社会だからこそ精神の時代(03)駒沢学園女子 時空を超える美しくも凄まじい無限の価値を生み出す教育

★駒沢学園女子の校長土屋登美恵先生と桜美林の校長堂本陽子先生の対話に立ち会ったとき、私たちがふだんリスペクトしている建学の精神のさらにルーツの話が語られました。1985年くらいから興隆している中学受験ですが、そのマーケットがいかに大事なものを見落としてきたか猛省を迫られる衝撃的な時空を超えるパースペクティブが広がったのです。

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(写真はノイタキュード代表北岡氏撮影)

★駒沢学園女子の創立者山上曹源は、桜美林の創立者清水安三と同様、大正デモクラシーを共有体験しています。インドに渡り大いに学び、日本に学としての仏教を根付かせた学者の1人です。そしてイギリスの植民地政策との戦いの最中で学んできたのです。今でいうグローバル教育の上を行く超リアルなグローバルリスクをいかに解決するのか。凄まじい学びです。

★2027年大きく教育界が変貌をとげるとき、駒沢学園女子は100年の創立を迎えます。そのために、土屋校長のリーダーシップは美しも凄まじいわけですが、その山上曹源は、2000年をはるかに超える紀元前からの釈迦の価値観を今に伝えているわけです。

★そして、それを未来を描く目の前の生徒に引き継ごうと駒沢学園女子は日々美しくも凄まじい外から見ていてはわからない劇的なる生徒の日々の生きざまにいっしょに寄り添っているのが先生方なのです。

★この2000年を超える価値の無限さをさらりと土屋校長は語るのです。あまりに衝撃でした。

★人間が生成する価値はなんて無限の力を持っているのか!偏差値の価値や学歴の価値など塵のごときです。

★しかし、土屋校長は、価値に大きさはない。生徒1人ひとりが見出すその小さな価値に時空を超える無限の価値を感じる学び舎が駒沢学園女子なのだと。

★AI時代。どんなにAIが情報を集積してしても、この2000年を超え、さらに未来に続く無限の価値創造の人間の精神性を超えることはできるだろうか、できるはずがないと確信した瞬間でした。その無限の価値をシンプルな言葉と想いと思考と行動に変容する、もしかしたらこの永劫回帰というか輪廻というかそういう一人の生徒から生まれる無限の価値の循環。

★それが何十億という多様な日々との内側で循環回し、それがさらに融合していく大きな循環になっていく。そのイマジネーションはあまりに衝撃的で小さな自分をふっとばしました!ウェルビイングが訪れる瞬間とはこういうことなのかもしれません。

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2024年9月 8日 (日)

2050年社会をユートピアにするかディストピアにするか(06)児浦准教授のEUU構想に希望

共愛学園前橋国際大学の児浦准教授の講義を拝見したりゼミの生徒のみなさんとお話できる機会を得たりして、大学と自治体(南牧村)と民間セクター、行政セクター、非民間セクターのコラボレーション型都市創りに希望を感じたことについては、以前本ブログで取り上げました。今回改めて、児浦准教授が白石克孝教授・ 西芝雅美教授・村田和代教授が編集した「大学が地域の課題を解決する(2021年 株式会社ひつじ書房)」をSNSで紹介していたのを読んでみて、やはり私の確信通り、児浦准教授のチャレンジは、共愛学園前橋国際大学による独自のチャレンジであると同時に、西芝教授が行っている「社会に関与・貢献する都市型大学(EUU:engaged urban university)」づくりに重なっていると感じました。

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★同書の中で、CBL(コミュニティー・ベースド・ラーニング)の要素として次のように8つあげています。

1.実質的な学習効果と有意義なサービスを生み出すのに十分な期間と適度なエンゲージメント活動

2.学習目標とプロジェクト目標の合致

3.系統だった組織的プロセス

4.学生、教職員、コミュニティのメンバー、および関連機関が互恵的(共創的)に協働する事で、共通の目標を達成し、またパートナーのすべてが能力を高める

5.学生が「公正性の観点」から物事を見る見るように指導する

6.教科の学問的学習目標達成に、少なくとも市民学習目標を加え、出来ればその他の学習カテゴリー(例えば、個人の人格形成、専門能力の養成、異文化対応能力、調査研究における倫理観の育成、研究能力)も加える

7.学びを生み出し、より良い実践を目指し、市民としてのアイデンティティを養成する事を念頭に置き、授業での体験を批判的に省察する

8.幅広く成果を評価する(白石克孝; 西芝雅美; 村田和代. 「大学が地域の課題を解決する 」(p.54). 株式会社ひつじ書房. Kindle 版)

★児浦准教授はさらにスタートアップ的な要素も加えていますが、重なるところもあります。「前橋×国際」の意味に改めて感じ入りました。

★また、児浦准教授とご一緒させて頂いてきた21世紀型教育機構で行っている中高段階でのPBLもこのCBLにきちんと接続することができるなという予感がし、今後の中高大連携の道がはっきり見えました。これは「希望」です!

★さらに、私事ですが、私の居住地の二子玉川もまた西芝教授が行っているポートランド州立大学のこのEUU実践が必要です。二子玉川は、楽天の移転と東急ライズが開発するまだまだエンゲージド・アーバン・コーポレーションの都市ですが、少なくとも私立中高一貫校が近隣に集積している場です。どこか協力的で強烈な大学が二子玉川でEUUができるといいのですが。共愛学園前橋国際大学と成城大学などがコラボしてやってくれるとありがたいですね〈微笑〉。

★というのも、成城学園ー二子玉川ー田園調布は国分寺崖線庭園都市なんです。最後の国土計画五全総のメインモデルはこの地域です。渋沢栄一―五島慶太の田園都市構想の継承だったのです。それは、多くの市民は気づいていませんが、意外と日常の中に取り入れられています。ただ、土日の多摩堤通りから玉川高島屋近辺にいたる渋滞は、とても環境にやさしい田園都市という感じではないですから、今では幻の田園都市構想でしょう。

★それでも、二子玉川はポートランドと新しいエコシティーの交流を開始しています。ポーオランドの都市景観は、スケールは違いますが、二子玉川にも似ています。ポートランドの日本庭園は、策定者は京都の造園家ですが、その修復には隈研吾さんがかかわったそうです。

★田園都市構想のモデルになっている日本庭園は、京都庭園ではなく、大名庭園です。この庭園と学校誘致とプレミアム住宅街をつくったのが五島慶太率いる東急電鉄ですが、それは今も継承されている構想です。

★渋谷が開発され、ヒカリエの向かい側に、渋谷スクランブルスクウェアというビルが建っています。その15階に渋谷QWSという新しい知の拠点があります。東急とJRとメトロが出資しています。今後世界の70%は都市化するといわれています。問題はユートピア都市にするのかディストピア都市にするのかですが、渋谷をユートピア都市のモデルにしようと、産学共同プロジェクトがその拠点からたくさん生まれています。

★たぶんこの渋谷QWSには児浦准教授もなんらかのカタチでかかわっていると思います。

★歴代の首相や岩崎家、高橋是清、五島慶太、森村家がこの二子玉川の国分寺崖線上の大名庭園型の別荘で、この田園都市構想を着々と描いていたのです。ただ、大学がまだ主体的ではないので、これからが希望ですね。

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AI社会だからこそ精神の時代(02)桜美林の美しく凄まじい信念の源 小泉郁子

★島根県出身の小泉郁子。まさか小泉八雲の親戚かと思いましたが、それは違うようでした。しかし、どこか重大な発見をしたような気がしました。そこで、ググってみると、お茶の水大学賞の1つとして「小泉郁子賞」が2016年に設けられていました。男女共学論における偉大な功績と桜美林設立という実績をもった私学人であることが高く評価されていたのです。

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(ノイタキュード代表北岡氏による写真)

★先日、桜美林で同校の堂本陽子校長と駒沢学園女子の土屋登美恵校長の対話に立ち会ったとき、当然建学の精神の話になりました。清水安三の信念を聞きましたが、実は共に桜美林を支えてきた清水郁子についてもチャペルに移動する際に話題になりました。

★大正デモクラシーのときにすでに平塚らいていなどに影響をうけていたし、あの「児童の世紀」を出版していたエレン・ケイの男女共学論にも共感していたようです。もちろん、エレン・ケイの自由過ぎる結婚観などには与できなかったようです。1922年からオーバリン大学で学んでいますから、1919年に米国が婦人参政権を認めるという衝撃も影響していたでしょう。

★戦後GHQの教育部に呼ばれて、男女共学論の旗手として、教育部の顧問に誘われました。しかし、桜美林を立ち上げたばかりですからこの招聘は辞退したそうです。その後成立した教育基本法にどれだけ影響があったのか定かではないようですが、当時の私学人の河井道(恵泉創設者・教育基本法成立のための教育刷新会議の委員)ともプロテスタントの仲間として精神的交流はあったでしょうから、影響を与えなかったはずはありません。

★なんといっても、ヴォーリーズの妻は、津田梅子や河井道が学んだプリシモアカレッジに留学していました。当時の日本で同じ海外大学の同窓生がつながっていないはずはありません。そしてヴォーリーズこそ清水安三に大きな影響をあたえたその人だし、清水安三がメンタムの販売権を中国で使うことを認め、その資材で中国で教育活動ができたということのようです。

★堂本校長は、静かに、生徒募集も大事ですが、そのために桜美林は共学を続けてきたわけではないことはお分かりいただけるでしょうと。堂本校長もまた清水安三が学んだ同志社大学のOGです。創設者夫妻の美しくそして凄まじい信念を引き受けています。

参考文献)武庫川女子大学大学院教育学研究論集 第7号「日本における男女共学論の歴史と背景 -小泉郁子の思想-小稲 絵梨奈」(2012年)

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2024年9月 7日 (土)

2050年社会をユートピアにするかディストピアにするか(05)ルトガー・ブレグマンの考え方も参考にして進む

★「ユートピアの描かれていない地図など一見の価値もない。いつの世にも人間が上陸する国がその地図には載っていないのだから。人間は、その国にたどり着くと、再びはるか彼方の水平線を見据え、帆を上げる。進歩とは、ユートピアが次々に形になっていくことだ。 ──オスカー・ワイルド(一八五四~一九〇〇)」

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★このワイルドの引用は、2017年にルトガー・ブレグマンが発刊した「 隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働 」(文藝春秋)の最初に出てくる言葉。ルトガー・ブレグマンは、オランダの歴史家、ジャーナリスト、ノンフィクション作家で、本書はベーシックインカムの導入、労働時間の短縮、富の再分配、国境の開放などを提唱している。大学の学者ではないが、独立研究者といった感じで、これらがどのように実現可能であるかを歴史的な事例や現代の研究をもとに冷静にかつ熱く語っている。

★ルトガー・ブレグマンは、人間の本性をわりと性善説的にとらえているようで、それゆえユートピアを創るのは難しくないと。ただ、新しいリアリズムという感じで、ワイルドの言葉を引用しているのが気になっているわけだ。

★本書は邦訳書では「隷属なき道」というタイトルがついているけれど、原文では“Utopia for Realists:And How We Can Get There”。翻訳者は、このタイトルを見事に圧縮しているのがすごい。

★しかし、直訳的にみてみると、このフレーズとワイルの言葉で、本全体を圧縮しているのがわかる。しかも目からウロコという衝撃がコンパクトに収まっている。トマス・モアが500年以上も前に「ユートピア」を発表してから、バウハウスや日本の民藝運動にまで影響を与えたウイリアム・モリスのユートピア論など、多くの論者が描き続けている。そして、それに対してディストピアが対抗軸として常に出てくる。

★この二項対立を解決する方法をルトガー・ブレグマンは提唱するのだということが、タイトルとワイルドの言葉に込められているのではないだろうか。新しいリアリズム。ユートピアを追い求めつつではなく、ユートピアを地図に描きながら、それを常に現実のものにしていく。そして再びその向こうにユートピアを描く。

★36歳のルトガー・ブレグマンの挑戦。私の周りにもたくさんの30代から40代前半のルトガー・ブレグマンがいる。教育関係者はユートピアよりディストピアの論調を好む。その方がリスクマネージメントをしているぞ、コンプライアンスを遵守しているぞという雰囲気になるからだろう。しかし、それはゴーレム効果を増幅する。

★つまり、それは挑戦しないことも意味する。ディストピアとは、悲惨の状況を生み出していること自体を指すのはいうまでもないが、その状態と真逆の状況を作ることに挑戦しない状況もまたディストピアである。

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2024年9月 6日 (金)

AI社会だからこそ精神の時代(01)桜美林と駒沢学園女子両校長の対話の美しく凄まじい信念

★本日桜美林中学で同校校長の堂本先生と駒沢学園女子の校長土屋先生の対話に立ち会いました。キリスト教と仏教の両教育の大切にしているものは、もちろん世界宗教としてスクランブルしています。その気高いそして超絶リアリスティックな精神を生徒が内なる光とすることがどんなに大事なのか、AI社会だからこそ、そこが再認識されるという両校長の快活なそれでいて凄まじい信念に脱帽でした。

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(左から、土屋校長、堂本校長)

★いずれ、6000字くらいでまとめてご報告しますが、日常の教育活動と礼拝堂や坐禅堂での活動がつながっていつつも明確に違うことに気づかされ空間の重要性にこんなに感動したのははじめてでした。

★GAFAMをはじめとするAI社会を牽引する巨大企業が、マインドフルネスや哲学コンサルタントを必要とする理由が、キリスト教と仏教の両教育が交差する対話を通して体内に響き渡ってくるのです。

★いずれにしても両校の創設者は、中国やインドで活動をしていたのです。その時代は戦争と植民地の時代です。今もウクライナやガザでそのような悲惨な状態が続いていますが、両創設者は、まさにそのような渦中の中で、子どもたちの未来のために教育活動を出動させたわけです。現在未来社会のための教育改革だとそんな精神性に関係なく浅薄な言葉を発している人々とは信頼性も正当性も妥当性もそれらの本物の度合いが違いすぎます。

★インターナショナルな闘争から境界線のなかい心の平和を軍事力でもなく経済力でもなく、教育力で勝ち得ようとしたわけです。この凄まじい信念、堂本先生は「隣人愛」と語り、土屋先生は「慈悲」と語りますが、その精神性は、あの京都大のアドバイザーになった若き俊英である哲学者マルクス・ガブリエルは、精神性を超えた精神性であると示唆するものだと気づきました。

★今の自分を超える自分、今の世界を超える世界を見出し続ける自己との対峙を礼拝堂や坐禅堂で行うのだというのです。

★もちろん、それは生徒1人ひとりの心の空間の中に礼拝堂や坐禅堂が転移するのです。ですから、どこにいてもどんな困難にあっても、その心の礼拝堂や坐禅堂が自分を照らします。そこに絶望を見るのではなく、未来への道を切り拓く自分を見るというのです。

★WHOはそのような精神を最近はスピリチュアリティと呼んでいます。ウェルビイングになるには、身体の健康、メンタルヘルス、対人関係の健康だけでは足りない。スピリチュアリティが必要だと、保健の教科書では、生きる価値といった趣旨の言葉を訳語にあてています。

★世界が気づき始めました。桜美林や駒沢学園女子のような精神を養う教育力こそ、この複合的な世界リスクを回避し、世界の平和心の平和をもたらすことなのだと。

★この教育力の本質や根源的な精神を実に軽んじてきたのが、日本の近代教育だと、教育基本法成立の時の座長南原繁(東大総長)は語りました。彼は新渡戸稲造や内村鑑三の弟子です。新渡戸稲造の弟子である河井道(恵泉の創設者)も南原繁と共に戦後の教育基本法を成立させるときのメンバーでした。

★実は駒沢学園女子の校長土屋先生の母校が恵泉です。なるほど、キリスト教と仏教の共通点と違いを堂本先生と美しくも凄まじい信念を響かせながら深い対話を行えたのはそういう理由があったのでしょう。

★AI社会だからこそ精神の時代なのだと強烈に実感しました。

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2024年9月 5日 (木)

2050年社会をユートピアにするかディストピアにするか(04)工学院・聖学院・文大杉並 世間から見えない次元の教育をしているワケ

★工学院、聖学院、文大杉並(五十音順)の3校は、塾やメディアなどを含む世間からは見えない次元までの教育を実現している。もちろん、21世紀型教育の牽引校で、海外大学もたくさん合格しているということは世間から十分に見えている。しかし、3校を選ぶ受験生や保護者はそれ以上のsomethingを感じ取っている。

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★東大や経団連が提唱していることも2030年社会から2050年社会の次元だから、世間はそこも見えていないが、それ以上の次元の教育を行っている3校の本質的で根源的教育はなかなか世間には見えない。

★本来メディアやジャーナリストはそこを見抜いて、その意義や重要性を語り、時代を超える天才B3C3のポジションに現れる個人を見つけるはずだ。学校にかかわりなく、そこに現れる個人はいるものだ。しかし、この複合的リスクの時代、1人その天才児だけが活躍するわけではない。

★あの20歳でなくなったガロアは数学を超える数学を発想した天才で、今もその発想は拡大している。しかし、それにはガロアと共感共鳴共創できる精神と技術のある人材をたくさん生み出す学校が必要なのだ。

★その学校の象徴が工学院、聖学院、文大杉並である。ガロアがどんな偏差値があったというのだろう。計算が苦手だったというから、とても開成学園には合格できなかっただろうに(微笑)。

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2025年中学入試 次の次元に進む私学(07) 国士舘と北豊島 プレゼン型入試

★人気が出ている国士舘と北豊島。建学の精神も違うし、共学校と女子校の違いもあります。それぞれ特徴をもった私学がそれぞれ人気があるということは極めて重要な学校選びの視点を受験生・保護者が持っているということを示唆しています。とはいえ、両校は、ある特別な点で共通しています。それは時代を超える教育を行っているということなのです。

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★近未来がAI社会になろうとその社会も超えて重要な人間の精神と技術があります。それを両校は有しているのです。国士舘は、吉田松陰の思いと行動力と若き人材の才能を開花させる教育力の継承学校です。

★北豊島は、遠くプラトン以前から欧米で継承されているリベラルアーツを学校全体に浸透させています。このリベラルアーツの発想や言動力ももまた時代を超えて本質的な人間の精神と技術です。

★この両校のアプローチは違っても、時代を超えてあり続ける本質的な人間の軸を形成する教育力に共感する受験生。保護者の存在は中学受験市場が健全であることの証でもあります。

★そして両校は、入試においても共通する点があります。それはプレゼン型入試を設定している設定です。海外の多くの大学で、口頭試問が行われますが、日本の大学も、このタイプの入試は増えていきます。生成AIの出現がそれを加速させるでしょう。

★ダイレクトに受験生の思いと活力と行動力がわかるからです。このような精神と技術の資質能力があれば、6年間通して大きく成長するのは実は火を見るより明らかなのです。それは学校の先生ならば、だれでもがわかっています。大企業の経営陣もわかっています。

★大量生産・大量消費・大量移動型の時代に有効だった大学入試のあり方は、もはや変わらざるを得ません。

参照)首都圏模試センターサイトの記事

 国士舘中学校 夢なき者に成功なし 精神的柔軟さと確固たる土台(1)

【北豊島中学校・高等学校】3つのプログラムが誕生!「社会で活躍できる女性の育成」

 

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2024年9月 4日 (水)

2050年社会をユートピアにするかディストピアにするか(03)本格的なSTEAM教育は始まったばかり

★2021年に、文部科学省は「STEAM教育等の教科等横断的な学習の推進」のサイトを開設した。世界では2006年以降、STEAM教育が行われ始め、オバマ大統領も国家戦略として重視していたという記憶がある。2016年ころに現行学習指導要領に向けて文科省も研究を本格化して、ポストコロナにようやく推進の旗を振り始めている。Society5.0に向けて、高度人材不足が大きな問題になってきたからというのもあるだろう。

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★STEAM教育は、探究と教科をつなぐ文理融合的な位置づけにもなっている。それゆえ、2025年から共通テストにも「情報」が実施され、コンピュータやAIが浸透した社会づくりへの教育がようやく始まったのである。東京都も今年の3月第5次教育ビジョンの中で、STEAM教育を重視していくことを盛り込み、委員会なども立ち上がっているようだ。

★私立学校は、コロナ禍にあって、一気呵成にSTEAM教育を推進した。とはいえ、生成AIが広まった昨年からは、その活用は進んでいない。

★そんな中2050年社会に向かって対応もしくはそれ以上の新しいウェルビーイングな社会構想を生徒と共に描きながら進んでいる学校もある。いったいどんな学校か?ぜひ探してみてほしい。

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2050年社会をユートピアにするかディストピアにするか(02)新しい私立中学選びの座標軸

★2050年社会がどうなっているか?地政学的リスク、気候変動リスク、ハラスメントリスクという3大ディストピア要因を切り抜ける社会像はすでに描かれている。そのことに気づいている学校とない学校がある。だから、気づきたいと思う受験生・保護者は次の座標を見て考えてみることも大いに参考になると思う。

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★各ポジションのアルファベットと数字は、思考コードの領域を表現している。そのポジショニングの学校のコア思考コード領域を示している。ただし、この思考コードの領域を実践する授業をしているとしても、それだけではこのポジショニングを得ることはできない。グローバル教育とSTEAM教育とPBL型探究が揃って、そのコア思考コード領域が実践されている教育環境デザインがなされている学校が、そのポジションに位置する。

★脱偏差値というのは、偏差値がいらないということではなく、偏差値以外に20世紀型教育から22世紀型教育へシフトする各次元を掛け算してみる必要があるよということである。

★開成のように上記の新学校選択座標で、B3C2のような学校もあるが、富士見丘や八雲学園のようにB2C2のポジションにいる学校がある。やはり人気校であるが、2050年社会では、思考コードのB軸は生成AIでどうにでもなっているので、開成と富士見丘と八雲学園は、偏差値ではなく、それぞれの教育環境デザインの特色によってえらばれることになるだろう。

★幸い、私立中高一貫校で、20世紀型教育次元にいる学校はもはやない。21世紀型教育に移行している。A2B2のポジションの学校の中に、B2C2のポジションにシフトしようとしている学校がある。さて、どうするかなのである。2025年中学入試は、こんなことを考えないで、21世紀型教育次元でとどまりつづけるかもしれない学校を選んだら、どうなるだろうか。。。

★もちろん、学校と個人は違う。今はまだB3C3のポジションの学校はないが、生徒個々人は、そこにいる才能児がいるものであるからだ。

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2024年9月 3日 (火)

2050年社会をユートピアにするかディストピアにするか(01)高橋是清の意志

★開成の初代校長だった高橋是清。世の中的には、政治や金融業界で超有名で、あまり教育者であったことは取り上げられない。ところが、政治と経済と教育は一体であることを論じ、開成などでそれを実践してきた。当時の日本はいうまでもなく、近代社会の仲間入りを果たすべく近代国家建築のために若者がリーダーシップを発揮していた。高橋是清もその一人。近代国家を作るには、藩校や私塾で行われてきたように偉大な師が奮闘努力するのもよいが、日本の子供たち全員が欧米列強の近代社会に追いつける資質・能力・技術を身につける必要がある。読み書き算盤、そして英語の力を日本の子供たち全員にという強固な意志があった。随想録を読むとその意志が随所に現れてくる。

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★同書の「教育論」の中にペン剣の話が出てくるが、これは何も開成だけの話ではなく、日本の子ども達一人ひとりへの精神を説いている。

★ある意味、現代この高橋是清の意志はほぼ到達したといえよう。

★そして、到達するや、新たな次元が現れた。それが2050年の社会だ。今20代から30代の教師と少しずつ話はじめているのは、この2050年の社会は近代国家の様々な矛盾をある一定の水準で解決する新たな社会で、高橋是清の意志を再び覚醒する時が来たということである。

★2050年社会を豊かな資本主義に変換するか、欲望の資本主義のまま終えるのか。世の中は、前者に向かおうとしている作用も表立ってきた。

★しかし、それには高度な技術や豊かな知が必要なのだ。現状の教育では、その高度な技術や豊かな知を生み出す教育がごく一部でしか行われていない。

★これをどうするのか。20代から30代の教師は、2050年には50代前後になっている。2050年社会を牽引している世代である。そして、今の4歳の孫の世代は、30代になっている。今の20代から30代の教師と同じ歳になっている。

★その時孫たちは、高度な技術を持ち豊かな知を有していなくてはならない。

★つまり、2030年までには、2050年社会をディストピアにしない教育に転換していなければならない。高橋是清の意志を引き継ぐならば、日本の子どもたち全員、いや世界中の子どもたち全員なのだ。そうでなければ、日本だけディストピアを回避できたとしてもそれは全くウェルビーイングではない。

★今の40代以上の大人は、その責任を持っているといいたいが、個人主義の時代、このような言説では響かないだろう。だから、20代から30代の教師に期待がかかる。だから、教師になるのを無意識のうちに躊躇するのだろう。さて、どうしたものか。

★そこで、OSTが流行っていることに期待を持ちたい。この指とまれから始まる。結局いつの世の中も隗より始めよということか。鬼気迫る感じの故事成語。。。。

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2024年9月 2日 (月)

ドラマエデュケーション これからどんな展開になっていくのか?

★平田オリザさんの演劇教育について、東洋経済education×ICT2024年9月2日掲載されています。「平田オリザ、なぜ「演劇教育」が主体的・対話的で深い学びの実現に有効なのか演じる、フィクションの力を使った学びの効能」がそれです。私は、ドラマエデュケーションについてはその歴史や変遷や各分野への広がりについてリサーチしたことはありません。ですが、重要なのだろうなあというのはいろいろな学校の様子を見ていて感じてきました。

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(作成はBing)

★もうずいぶん前ですが、平田オリザさんが実際に訪れてドラマエデュケーションを行い、今でもオリザさんのお弟子さんたちが毎年引き継いで、その学校でドラマエデュケーションを行っています。その学校とは海城学園で、説明会では必ずこの教育の意義について語られます。

★文化学園大学杉並のDDコースで行われるPBL型授業では、一つのトピクの授業が終わるときにプレゼンテーションを行いますが、スライドでスピーチをしてもいいし、絵で表現してもいいし、ドラマで表現してもよいという、多様なプレゼンテーションを選択できるようにしているのをみて、ここでドラマなのかあと妙に感激したことを覚えています。

★昨年も東京私立中学校演劇発表会で特別賞を受賞したのは、工学院大学附属です。その存在について知ったのは、10年前の2014年の学校説明会に行ったときのことでした。OGがたまたま来ていて、演劇部だったことを話してくれました。演劇部が、自分の価値観や創造性や人間関係づくりを育んでくれて、それが学びにも大いに役立ったと。八王子のあの公立大学で学んでいたのを覚えています。

★聖学院の英語の授業は、よくロールプレイとして寸劇を創って表現する授業が展開していました。フランスから来た友人が学校を視察したいというので、聖学院の英語の先生に頼んだら快諾していただけたのです。シナリオを作成するときにフランス人の友人もある一つのチームにファシリテーターとして参加していました。彼女は多言語主義者で、日本語も話せますが、そのときは英語でコミュニケーションをとっていました。

★パロスバーデス(米国)のプレップスクール2校を視察に行ったとき、驚いたのは、両校とも演劇専用のホールが建設されていたのです。体育館やグラウンドとは別にあるのです。両校とも、今でいうPBLは当たり前での学校だったからかもしれません。

★ミュンヘンのシュタイナー学校を訪れたときも、当然ながらドラマエデュケーションは盛り上がっていました。

★社会学者のゴッフマンが、演劇から社会を考察する手法をとっていたので、そのアプローチからドラマエデュケーションを考察するのも一案だと思っていましたが、未だにやっていません(汗)。ただ、ゲームのRPGや最近Youtubeで、ゲームの世界を異世界転生に置換えている作品をみると、見事に役割演技が仕組まれているし、麻布の国語の入試問題で出題される物語の構造も、それに重なるなあと感じています。

★カトリック学校では、中学ぐらいまでは、「聖劇」を行っているところも多いですね。

★サイトで語源辞典などを調べると、ドラマも演劇もその語源はギリシャ語のようですから、ドラマというか演劇の歴史は世界史をたどれるレベルです。ドラマは結局「行為」がその原点で、演劇はシアターですから劇場という「空間」がその原点です。

★平田オリザさんが、演劇教育が「主体的・対話的で深い学び」に重要な影響を与えると考えているのには、オリザさんの独自の手法とその根底に自由でありながらシナリオのある創造的な「行い」とそれを生み出す「空間」の仕掛けがあるからでしょう。

★AI社会にあって、「行い」と「空間」の意味付けがリアルとサイバーとで多次元になります。リアルな空間でのビジネスとサイバーでのビジネスがハイブリッドになっていくSF的な(あのマトリクスみたいな)ドラマエデュケーションに着々と進行しているのでしょう。

★その中で変わらないものは、「行い」と「時空」です。その意味と組み合わせはどんどん変容していくのでしょうが。

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