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2024年8月22日 (木)

松岡正剛さん逝去 独自の関係総体主義

★編集工学研究所のサイトで、松岡正剛さんの訃報のお知らせが掲載されています。8月12日にご逝去されたということです。享年80歳ということです。1996年に単行本「知の編集工学」を手にとって、いずれお会いしたいなあと思いつつ、5年の歳月が過ぎたころ、Honda発見体験学習という宿泊系のPBLのプログラムをデザインした時に、Honda本社でセミナーをご一緒させて頂きました。

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(1996年に単行本として世に出て、2023年に文庫化)

★1990年ごろから1995年にかけて、私は、ある中学受験塾の国語のカリキュラムの大改訂編集作業にかかわっていました。ヴィトゲンシュタインやハーバーマス、ベイトソン、認知科学などの知見を具体化するにはどうしたらよいのかコンセプトを仲間と議論し提案書を長々と書いていました。要素還元主義から関係総体主義へとかものとことの相互往還や相互主観性が生徒のモチベーションにかかわるなあと思いつつ、廣松渉さんや宮台真司さんの知見をそのまま中学受験で表現することはできないと考えあぐねていました。「わかりやすく」と仲間から言われ、それなりに収めましたが、納得いかず、その後教育研究所に移行するにあたり、私立学校と今でいうPBLの授業勉強会を重ねていきました。

★95年にWindows95が世に出ていましたし、インターネットも世に出ていたので、PBLとICTを掛け合わせてるルーブリックをサイト上で集計できるシステムをつくっていました。

★そのときに、松岡正剛さんの「知の編集工学」に出合い、PBLのプログラムやディスカッション、プレゼンの内的関連性こそ知の編集工学で要素還元主義から関係総体主義へ学びを転換するレバレッジだと直感したのです。

★そんなこんなことを行っていったとき、Hondaのツインリンク茂木で宿泊体験学習のプログラムデザインのプロデュースをする機会に恵まれ、そのスタートセミナーに松岡正剛さんにご登壇いただいたわけです。

★その後も、幾つかの私立学校と松岡正剛さんのICTソフトを使った協働授業をコーディネートしたり、松岡正剛さんの「日本の文化」に関連するセミナーにも顔を出したりしていました。

★その後、独立して私立学校のサポーターとして先生方と21世紀型教育を創っていくわけですが、グローバル教育と今でいうSTEAM教育、現代化リベラルアーツ、英米の哲学の授業化、数学的思考による問い作りなどをしている間にも、ずいぶん松岡正剛さんの流儀とは離れてしまいましたが、「編集工学」的発想を持ち続けていたし今もいると思います。

★未来社会をバックキャストする時に落合陽一さんの発想にも学んでいますが、その落合さんと松岡さんの対話が今年流されているのを昨日しり、久しぶりに聞き入りました。その番組の最後に落合さんが、40歳の松岡正剛さんに言葉をおくるとしたらなんて言いますかという問いに、松岡正剛さんは「あの時、近江にいっていたら」とかなんとか言っていました。

★松岡正剛さんの巨大な知に遠く及ばないのですが、その番組で「ベイトソン」と「近江」への思いが共通しているのを改めて知り、嬉しく思いながら、せっかく頂いた出会いをきちんと持続できなかった自分の浅薄な知を反省しています。遅まきながらもうちょっとだけ深化させようと思うわけです。言うまでもなく、松岡正剛さんの知にはまったく近づくことはできませんが。私にとって数少ない憧れの日本人智慧者松岡正剛さんの魂がこれからも多くの方に分有されることを心から祈ります。

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