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2024年6月28日 (金)

まじにヤバいかな日本の教育 智の密度をあげる場で学ぶように 孫たちに

★私たちの愛すべき孫たちよ、自分の能力にはやめに気づくのがよいよ。興味や関心が今一歩わからないんだよね、はもちろんいいけど、それは動きが足りないからだと思う。動くというのは、その過程の中で目まぐるしく興味と関心が入れ替わりながら、自分のコアの興味と関心が見つかるというより、得体のしれない活力が結晶化していくという感じかもしれない。

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(作成はBing)

★私たちは、動くことによって何かを作っているはずだから、その積み重ねが自分の能力を高めていくはずだ。何かを作る時、思考するし、判断するし、集中するし、ふと周りを見渡し、新たな視界がみえたりする。そんなときその視界の中に対話する友が現れる。

★いまここでという永遠の瞬間を見つけることだ。この永遠の瞬間の連続体が過程であり、たった一点の永遠の瞬間を分解し、それを組み立て直すのに、長時間かけているのが学習指導要領や単元などというシステムだよ。

★この枠組みから高校までは日本では逃れられない。でも、だからこそ、その冗長な時間の中に動きを入れ込む自由はたんまりある。そのレールは問われなくなった概念の干物の羅列だから、その概念にちょっと息吹をあたえてやる。するとそこに永遠の瞬間が現れる。

★それをやっていくと、やはり学校の生活では収まりきれない自分がいることに気づくんだろう。

★そんな君を受け入れる学校がある。大学がある。とても数少ないけれど。

★知識でないとか、考えることが大事だとか、そんなつまらない干物になった言説を開いてしまうことだね。知識は作られたものだから、作り直すこともできるし、新しく創ることもできるのだ。それはもう考えることだ。

★ワクワクするだろう。ああでも、ワクワクしているなんて思っているうちは、まだワクワクしていると言わされているだけだよ。

★世の中には、いろいろな道具がある。自分が気に入った道具は実は道具ではない。自分の身体拡張能力だ。

★身体というのは、脳と神経と肉体の関係態だから、そこに道具がつながると、それはもう自分の身体そのものだ。言葉はよくツールだと言われるけれど、それが自分のものになったとき、もはや道具ではなく、自分の身体そのものだよ。

★興味と関心とは、そんな道具を見つけ装着し、創造的な動きをするときにうまれるだろう。

★高校卒業単位は74単位だけれど、生きる自分の能力にとって、それはわずかばかりのものだ。それなのに、大変な想いをさせられているか、さらりとそこを超えて莫大な智を身につけられる時間になっているか。与えられているうちはわずかなものしか得られない。動こう。すると同じ1時間でも100倍違う智が身体化する。

★学びとは、与えられた干物のような知識を食べて終わりではない。それを開き新たな息吹を生み出すことだ。そのためには動かなくてはね。動くと自然と社会と精神が自分にからんでくるはずだ。それが学びの密度を高くするのは簡単にイメージできるだろう。

★この密度を上げるには、1時間という授業は内的加速がなされ、永遠の瞬間の微分とその連続が積分を同時に行うことになるだろう。

★わかりやすさとは、干物の展覧会だ。魂のない知識を長時間かけて身につけても、一滴の智にもならない可能性がある。

★道具を見つけ身体感覚・身体精神・身体智の密度を上げることが質だ。この質を向上させる教育を行っている学校こそが君を待っているのだろう。そのような意志の力をもった君たちが集まる場があれば。そこに集う皆が、この世界を何とかするだろう。(孫たちに)

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