デザイン思考そのものは終焉しないけれど・・・ 龍安寺石庭で
★先週の金曜日に京都で研修が終了して、久々に幾人かの友人と会い、飲みました。友人と言っても教育関係者ですから、結局はこれからの学校の新しい姿を描く話ですが。リアルには、限られた友人なのですが、並行してSNSで他の知人や友人から情報が上がってきますから、その情報も交えながら対話します。直接ビジネスの話ではないので、あくまでフレームストーミングで、次元をいかに変換していくか。対話の次元を上げるという発想も、その対話の中から生まれてきて、なかなかよい余白でした。
★だいぶ飲みすぎたので、そのことを予め予想して、チェックアウトが11時までOKという宿をとっていました。何せ、新幹線も混んでいて、夜になるとたいへんだろうと思いながら、チェックアウトしたら早々に帰ろうかと。とはいえ、京都の北エリアの寺は一つみたいなあと。金閣は外国の方でいっぱいだと聞いたので、友人と龍安寺の石庭で待ち合わせました。
★本当は龍の和室から見たかったのですが、はいれません。外国人の方と並んで、私たちも縁側に座って1時間以上対話してしまいました。お昼時だったので、なぜか空いていたのです。近況について語りながら、どうしても私たちの考案している(すでに特許はとっています)学びのコンセプトの通用性や汎用性、レバレッジポイントになるかどうか等々話していました。
★その一方で、私は、昨年末米IDEOの事業縮小・日本やミュンヘン撤退の報道があってから、「デザイン思考終焉論」がメディアで語られていることが気になっていて、時々この方丈庭園を数学的思考で解き明かすとどうなるのかねと友人に尋ねたりしていました。幾何的な話や視点の話など、それから庭園上空が昨日の大雨と打って変わってさわやかだったので、そっちの話になったり。特に正解は、いつもながらないのですが。
★ただ、おもしろかったのは、方丈全体の絵柄は、15個がいっぺんに見えないねという定番の話をしながら、小さな砂のような白い石が敷き詰められ、宇宙的な模様が描かれているのが、やはりこれはアート思考だなと。
★そして、一つ一つの島のような石を眺めているうちにこのフォーカスされた造作はデザイン思考だなと。そして石庭の上空は、人工的な石庭を包むような大空と雲がくっきり。水蒸気と湿度と気温が京都の琵琶湖とつながっている地下水脈と循環しているのが描かれている驚きのシーンが石庭とマッチしているのに二人で感動していました。
★これはシステム思考のアナロジーになるなと。アート思考もデザイン思考もシステム思考も世界の切り取り方がちがうだけで、その切り取られた世界を認識したり、あるときは石庭や寺の杜のように人工的に創ったりするときに、それぞれの切り取られた世界ごとに適切な方法なのだと。
★よって、なぜIDEOが撤退するのか、わかりませんが、デザイン思考そのものがなくなるとかという話ではないだろうなあと感じた次第です。ただ言えることは、今トレンドの探究ですが、デザイン思考だけで押し通すことはやはり限界があります。それはアート思考もシステム思考も同様です。
★学びの系譜をたどっていくと、やはり方法は多様ですから組み合わせることが大事です。
★ただ、問題はこの組み合わせるアイデアが何であるのか?私たちは、そこをコンセプトレンズと呼んで、細々とずっと高校生や先生方とワークショップを行ってきました。アブダクションして、モデルをつくり、実際に授業などやってみて、テストをして。。。あれッ?デザイン思考使っていますね(笑)。
★ともあれ、なんか幸せな気分だったので、京都駅にまっすぐ向かい、久々に食したいと思っていた東洋亭の「まるごとトマトサラダ」つきランチを食べて新幹線に乗りました。やはり混んでいましたが、なんとか座席は確保できました。帰宅したら、孫が玄関から飛び出て歓迎してくれました。いっしょに風呂に入り、寝床でカブトムシやクワガタ、スズメバチなどについて描かれているドラえもんの漫画を二人で読んで、はしゃぎました。3歳の孫は、カブトムシになったり、クワガタになったり、スズメバチになったりして、布団の上を跳ね回り、私のお腹に勢いよくぶつかってきます。
★文字など読めないはずなのですが、絵を見ながら勝手にス―トーリを描きながら飛び跳ねているのです。のび太やドラえもんの表情や行動から推測しているようです。すでにコンセプトレンズは作動し始めているなあと思ってふと横を見ると睡眠の世界に没入している孫でした。
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