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2024年4月20日 (土)

駒沢学園女子と内田樹さんの発想の共振

★駒沢学園女子の優れた教育について、全く別の文脈で内田樹さんが語っています。PRESIDENT Online2024/04/19 9:00で、内田樹さん(神戸女学院大学 名誉教授、凱風館 館長)は、<学校は本来の役割を忘れてしまった」日本の学校が子どもにとって"しんどい場所"になってしまった根本原因~かつての日本人は「子どもは壊れやすいもの」と知っていた>という記事を寄稿しています。

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★内田さんは、駒沢学園女子の話をされていませんが、内田さんが同記事で語っている「学校本来の役割」を全力で行っているのが駒沢学園女子なのです。いったい内田さんは、今の学校が本来の役割を忘れ、どうなっているというのでしょうか?少し引用します。

「今の学校は子どもたちを格付けする評価機関のようなところになっている。それは本来の学校教育の目的ではない。子どもというのは『なんだかよくわからないもの』であるということから始めるべきなのだ」 

★『なんだかわからないもの』とは一体何か?それについてはこう語っています。

 「かつての日本人は、子どもは壊れやすいもの、傷つきやすいものだと知っていたので、丁寧に扱った。異界にまだ半身を残している「聖なるもの」だと知っていたので、子どもを「敬する」仕方をわきまえていた。

それはもう現代社会の常識ではない。それでも、直感にすぐれた教師たちは、学校教育が子どもたちにとって外傷的経験になるリスクを感知して、子どもたちを傷つけないことを優先的に配慮している。けれども、そのような配慮が人類学的な深い意味を持つことを理解している人は教育行政の要路にはたぶん一人もいない。」

★まさしくこどもは聖なるものであることを駒沢学園女子は知っています。内なる光を大切にする精神を坐禅や様々なプロジェクトによって持続可能にする教育です。内田さんは別の個所でこんなことも語ります。

 「射は「弓を射る」、武道的な身体運用のことである。先に述べた通り、「この世ならざるエネルギー」を調えられた心身を通過させて発動する技術のことである。

御は「獣を御す」、野生獣を馴致させて有用な働きをさせる能力である。牛飼いがそうであったように、御の術もまた「異界」と「この世」の境界線上に立つ能力である。

日本では武道のことを古くは「弓馬の道」と言った。射と御を合わせたものが武道に当たる。」

★まさに駒沢学園女子はこのような意味での武の道も追究しています。この世ならざるエネルギーに満ち幼児の行動を、18歳成人はさすがに日常の生活の中で発揮するわけにはいかないでしょう。しかし、それを内なる精神にともし続けることは大切です。思春期を丁寧に乗り越えることによって、それが完成します。

★しかし、内田さんの語るように、「この世ならざるエネルギー」を内側に転換しないまま、切除してしまい、外部から評価されるスコアによって外発的にモチベーションを燃やす疑似主体的な人間作りがなされている教育も知らず知らずのうちに拡大しているのかもしれません。

★AI時代には、内なるこの世ならざるエネルギーこそ重要な時代でしょう。GAFAMや日本の大企業で哲学が重視され始めたのは、そこを蘇生し、AIという異界をコントロロールできるクリエイティブな才能を生み出そうとしているのかもしれません。

★しかし、駒沢学園女子の教育は、すでにそこを大切にしているのです。

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