« 2025年変化する中学入試(27)学びの規制緩和 だから建学の精神が注目される! | トップページ | 22世紀型教育準備へ(01)順天 新たなステージ 18日長塚校長が語ります。 »

2024年2月11日 (日)

2025年変化する中学入試(28)ザ・成城学園に期待

★2月6日、小澤征爾さんが逝去されました。そのことについて、成城学園のサイトでもご冥福をお祈りするコメントが掲載されています。成城学園の卒業生であると同時に、当時子供のための音楽教室が桐朋女子に移管されていて、反田恭平さんなどを輩出している桐朋女子高校音楽科設立のタイミングで高校から今の桐朋学園大学音楽学校に進んだということです。そして、貨物船に乗船し、スクーターを持参して渡欧したわけです。そこからは、もう破竹の勢いで、世界の小澤になっていくのは周知の事実ですね。

Ozawa

★当時は、まだ1ドル360円の固定相場制の時代です。今のように海外にだれでもが行ける時代ではありませんでした。私の叔父が小澤征爾さんと同世代で、今の芸大ではなく、まだ東京音楽学校のころそこで学び、どうやってイタリアに行ったのかわかりませんが、モナコというテノール歌手に弟子入りしていました。花は開かなかったのですが、イタリア国籍を取得して、当時留学事情は、今のように完備していなかったので、芸大の留学生はイタリアでパスポートやビザなどの関係で困ったら(当時の治安はよろしくなかった)、ローマの本間を頼りにせよといわれていたと、あとで叔父にお世話になったという建築デザイナーに聞きました。

★叔父はときどき帰国し、小学生1年ころ私にピアノを手ほどきしてくれました。残念ながら私はピアノはまったくダメで、すぐにやめてしまいました。ただ、その叔父のことや中学生になったときに知ることになる小澤征爾さんの今でいうグローバルなアクションは、今でも私のロールモデルの1つです。とはいえ、海外に飛び出すことはなかったし、こうして静かに生きているわけです。

★ただ、叔父に憧れて、高校は叔父の母校に進みました。母校は自由気ままな教育が行われていたし、下宿をしていたので、同じ下宿の先輩後輩とよく議論をしていました。大学は東京だったので、カトリックの寮で3年間過ごしました。愛光、静岡聖光、ヴィアトール洛星、六甲などのカトリック学校出身の寮生が多かったですね。先輩を頼って公立出身の私が混じっていたのは、異例だったかもしれません。

★しかし、自由な校風で高校生活を送っていたので、寮生活はすぐになじめハッピーだったし、いろいろな中高の教育があるものだとそのときに大いに刺激をうけました。

★それぞれの寮生が通う大学の授業もひょうこひょうとついていき、講義を聞いたり、そこの教授と話をしたり、牧歌的な時代でした。そんなとき、成城大学の先輩もいて、クラシックの話をよく聞いたものです。マーラーの2番復活は小澤征爾さんのLPレコードで聴いたと記憶しています。

★大江健三郎さんがノーベル賞を受賞した時、私の居住地が大江さんの自宅までバスを使えば1時間かからないので、なぜか拝みに行きました。ただ単に大江健三郎さんの若い時の私学論と自分のお子さんを私立学校に通わせてからの私学論がシフトしていたので、気になっていただけなのですが。そのときに、成城学園のあたりも歩きながら、なんともいえない学園都市の空間に魅了されたものです。

★その後島根県で小泉凡さんと出会うこともあり、成城学園出身だという話で盛り上がったりしたました。そのとき、凡さんが大江さんに今のノーベル文学賞受賞者のラインナップをみていくと、小泉八雲の時代が来ましたよと声をかけられたという話を聴いて、小澤、寮時代、大江、小泉という成城学園にかかわる何かを感じていました。

★そして、キーンツハイムにあるアルザス成城に立ち寄る機会があったり、アルザス成城が活用していた元修道院の場所を活用していろいろな教育プログラムを企画する仕事をしたりして、成城学園への憧れみたいなモデルが私の中にできたような気がします。今後のアルザスと日本の教育についてヒアリングに羽田孜元首相のところまででかけていったりもしたほどでした。

★また、お世話になった東京私立中学高等学校の副会長だった實吉先生が、よく「ゆるやかな理念共同体として私学論」を語ってくれたとき、江原素六や福沢諭吉、新渡戸稲造、内村鑑三、石川角次郎を≪私学の系譜≫のルーツとして論じるのはもちろんいいが、本間さんは公立出身だろう、私立と公立の融合点を探れる澤柳政太郎を忘れているんじゃないか、もっと勉強したほうがよいよとアドバイスをくれたときがありました。

★實吉先生は麻布出身なので、麻布の創設者江原素六を大切にしていましたが、私学と官学の現状で一線を画する時と未来を考える時では、区別していて、柔軟な視野を広げていました。

★澤柳政太郎と言えば、成城学園の創設者です。21世紀型教育でPBLをデザインしていく時、たしかにそのルーツである成城学園に学ぶことは必須でした。ただ、そのときは、まだ私は、ハワード・ガードナー教授とシーモア・パパート教授に影響を受けていたということもあります。またローティを通してデューイの重要性を知ってはいたのですが、ローティーの哲学をじっくり探究する時間がなくて、なにより難しくて、デューイは後回しになってしまいました。

★ところが、思考コードを制作している途中で、成城学園の青柳先生と対話の機会を頂けるようになり、高校に勤務するようになってから、さらに直接お話しできる機会を得ることができ、成城学園が近くなってきました。そして澤柳政太郎の文化遺伝子に直接触れる経験が持てたし、ダイレクトにデューイの本を読めばよいと気づくやそこからは、成城学園が、「ザ・成城学園」であるという認識が確立していったわけです。境新一教授のゼミの学生とも親交があり、ますます「ザ・成城学園」だなと。

★なぜ澤柳政太郎なのか。最近業界人や異業種のリーダーから2045年以降の学校の姿を具体的に問われることがあるのですが、そのときのロールモデルは「ザ・成城学園」ではないかと思っているからです。

★今年の中学入試の出願数では、昨年爆増でしたから、隔年現象でしたが、定員確保には全く影響がないわけですが、ただ帰国生入試の出願数が増えているのです。これは今年の帰国生入試は減少傾向で、2月1日以降の国際生入試が増加傾向という、外国語を学んでいる受験生の新たな胎動が生まれている中、逆に帰国生入試で人数が増えているのというは、「ザ・成城学園」のなんらかの魅力が海外に知れ渡り始めたということでしょう。

★「ザ・成城学園」。成城学園という一つの私立学校というだけではなく、私立学校全体そして教育全体、そして成城学園という都市と大学と初等中等教育学校、幼児教育という関係性の新しい世界都市モデルという意味で、今後の期待がかかります。

|

« 2025年変化する中学入試(27)学びの規制緩和 だから建学の精神が注目される! | トップページ | 22世紀型教育準備へ(01)順天 新たなステージ 18日長塚校長が語ります。 »

21世紀型教育」カテゴリの記事

中学入試」カテゴリの記事

成城学園」カテゴリの記事