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2024年2月24日 (土)

22世紀型教育準備へ(15)成城学園 森の小径を歩いていくと世界が開かれる 随所に茶室の仕掛け

★先日、成城学園に伺いました。青柳圭子先生と同校創設者澤柳政太郎のアート・プロデュースの発想を不易流行とするプロジェクトについてお聴きするのが目的でした。成城学園のキャンパスは、大名庭園のランドスケープが埋め込まれています。大名庭園は、大きな池の周りを散策できるように設計されていて、その道行のところどころに橋が架かっていたり、茶室があったり、東屋があったり。もちろん同校のキャンパスのど真ん中に池はありませんが、広いオープンスペースがあるわけです。

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★その広い敷地を歩いていくと、森の小径を抜けていくところがあります。まるで茶室の躙り口に向かって歩いていくような感覚です。そしてその小径の坂を上っていくと急にキャンパスが空にそびえ立つ感じでパッと開かれます。そして、また校舎に入ると今度は言葉の森の空間が広がっています。

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★校舎の中の空間は、クリエイティブなスペースとロジカルなスペース(非日常空間と日常空間)が、伸縮自在に非対称的だったり対称的だったりと展開していきます。「未知」であり「道」でもある空間です。歩くという時間も加わりますから。時空デザインがすてきです。具体的にはいずれどこかで詳しく述べたいと思っていますが、一度拝見しただけでは捉えきれないですね。

★中高が、両翼になって建っていて、それをつなぐ架け橋であるデッキから眺める景色は山頂から眺めているような。まさに大名庭園ですね。大名庭園は、スモールコスモスのメタファーだし、未来の都市創りのメタファーでもあります。実際、世界は明治前夜に日本に出合い、江戸の大名庭園がひしめいているランドスケープを見て、ここはパラダイスだと感嘆し、現在にも影響を与えている環境都市建設の原型になりました。イギリスのレッチワースの田園都市が有名ですね。

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★政府のデジタル田園都市構想のルーツは今は幾つかしか残っていない大名庭園だったのです。この田園都市構想は、そもそも国分寺崖線の延長上にある二子玉川を見下ろす瀬田に居を構えた政治家たちがイメージしたアイデアです。この瀬田から少し東にシフトすると五島美術館があります。もともと五島慶太翁の自宅ですね。この自宅も国分寺崖線の地形を生かした大名庭園になっています。

★それに、もともと田園調布を開発した渋沢栄一の息子と五島慶太翁の壮大な東急電鉄の構想自体が、都市の周りを電車や車が走り、都市の中は環境にやさしい環状型の理想都市レッチワースをモデルに構想していて、グランドデザインは五島慶太翁だったのです。いや、渋沢栄一の息子が見てきてレッチワースです。いやレッチワースの田園都市を構想したエベネザー・ハワードです。いやハワードがモデルにした大名庭園です。

★ハワードの生きた時代は、イギリスが産業革命後世界の覇者になっていく時代です。そしてその繁栄の光とは真逆の影が深く広がってもいた時代です。労働条件は最悪で、女性や児童の生活環境の悪さ、貧困格差、そして環境の悪化が進んでいた時代です。環境都市、貧困格差のない都市と農村(自然)と人間性の循環を果たそうとする理想都市をデザインし、田園都市を実際に構築しました。理想のコミュニティで、19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリスばかりかドイツにも広がっていったのです。このとき、大名庭園やその中で営まれた日本文化の様々なツールや芸術作品がヨーロッパに広がり、ジャパノロジーがウィーン世紀末で広がります。

★その広がりにストップをかけたのが、2つの世界大戦です。しかし、戦後の世界人権宣言やWHOの健康概念の宣言から理想的都市計画が模索されました。何せ戦争によって荒廃した都市の脱構築は世界中で必至でしたから。特に1972年の「成長の限界」と「Only One Earth」という、現在のSDGsにつながるテーマが前面に出てからは、レッチワースは環境にやさしい都市創りの再びモデルになり、現在に到っているわけです。コンパクトシティーとかスマートシティーとかの源流は、そこですが、ルーツはなんと大名庭園。

★この理想都市構想が世界の息吹となっていた時、大正自由教育の拠点が成城学園です。国分寺崖線の延長上にある成城台地で学園都市構想が立ち上がった時期です。成城学園構築が先か成城学園都市構築が先か、調べていませんが、この国分寺崖線上にICU、成城学園、田園調布があるというのは何か発想のつながりがあるはずです。文化人類学的にはラインの構造というものでしょうか。

★そして、そのような壮大な日本の都市構築の不易流行としてのグランドデザインが、成城学園のキャンパスと校舎の時空に埋め込まれていることに驚いています。

★青柳先生の、成城の森を拠点に、他校の自然と都市と生徒の精神的成長をつなげていく壮大な教育グランドデザインは、ビジネスプロデュースとは違うアートプロデュースそのものです。大名庭園は、日本の建築業界を創った、実際に丸の内の赤レンガの東京駅やその周辺の街並みはジョサイア・コンドルが弟子と共に設計したのですが、そのコンドルが、ヨーロッパに報告して伝えたアート作品だったのです。

★そういえば、今は丸の内に移って、閉館されていますが、岩崎家の静嘉堂文庫は、国分寺崖線上の岡本の地に建っています。

★建築は、もともとアート作品だし、ランドスケープの中にどう配置するかというのはアートプロデュースです。もちろん、今ではビジネスモードの部分が前面に出ていますが、背景にはそういうことです。

★青柳先生は、ルビンの壺よろしく、ぞの図の部分と地の部分をひっくり返そうということ。つまりコペルニクス的転回をプランしているのでしょう。私立学校の教育を、ビジネス市場からアート市場に転換する。新しい学校都市構想ですね。今後が楽しみでなりません。

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