★今月19日に「22世紀型教育準備へ(09)フェリスを注目する時代の眼差し」という記事を書いたら、まだ5日も経たないうちにアクセス数が急激に集中したので、なぜと自問自答してみました。フェリスという本質的な教育について注目が集まったからなのか?フェリスの記事を執筆したPREXという国語専門塾の塾長渋田先生の人気がそうさせてたのか?結論は両方なのだとすぐに至ったわけですが、この両方だということのもう一つ向こうに凄い意味があることに気づきました。
(タキソノミーの図は、PREXのサイトから。その周りのイラストは生成AIBing作成)
★どういうことかというと、フェリスはご承知のように、リベラルアーツベースの言語教育を行っています。その広く深い叡智を養うカリキュラムマネジメントの核が入試問題に反映しているわけです。
★渋田先生は、入試問題の分析の時に、その「核」を洞察し、塾生にそれを共有してインタラクティブに入試問題を思考し表現していく学びを展開しているわけです。
★この姿勢は、フェリスに限らず同じで、生徒が志望する学校の教育の「核」を洞察するわけです。その学校の教育の「核」をどうやって見通すことができるのか?それは学校説明会に行ってもサイトを見ても一般的な情報誌をみても、一般メディアを読んでもわかりません。渋田先生も執筆している「shuTOMO」は別格ですが。
★なぜなら、その学校の魅力を語るのに外生的技術進歩(物質的教育環境)を追いかけるのが常だからです。フェリスだったら、あの横浜の山の手の自然豊かなというか高級感あふれる外国の香りのする環境と大学合格実績と受験をするときの生徒の偏差値の高さ、伝統的な破格の論文編集作業、フェリス出身者の活躍、プロテスタンティズムの真髄(カトリックと違いプロテスタンティズムは倫理的資本主義の原点ですし、米国大統領は、ケネディを除き、すべてプロテスタント信者ですし)等々です。
★たしかに十分な情報収集なのですが、一点足りないのが、フェリスの入試問題に対するコメントですね。もちろん、各教科の点数配分や合否の分かれ目の点数、出題分野、問いの形式など言及されはしますが、それはすべて外生的技術進歩のお話です。
★ところが、渋田先生は、入試問題は学校の顔です、つまり教育の顔です。しかも、入試問題は在校生が最も学園生活で長時間を費やす授業のエッセンスを反映しているのです。しかもそのエッセンスは私学の場合は、教師の個人的な気概のみならず建学の精神が融合されたものです。しかも、その融合の配合は、長年かかって醸成されてきたカリキュラムマネジメントの核です。
★教師の個人的な気概と建学の精神の融合体としての核ですから、学校によって違いがあります。その核はいわば秘伝のタレのようなもので、各学校は可視化はしていません。というかまずできないでしょう。そこは西田幾多郎の行為的直観ともいうべき感覚でしか問いかけるしかないのです。ですから、その学校に勤務するか生徒になるかでもしないとつかめないものです。それが不易流行というもんでしょう。
★ところが、私立学校は、入試問題という形式で、その核を表現しているのです。しかし、それを洞察できるには行為的直観が作用する渋田先生のような方でなければできないのです。しかしながら、この行為的直観を学びの中にひそかに入れようとしたのが文部科学省なのです。「主体的・対話的で深い学び」。アクティブラーニングではなく、この表現にしたのです。
★カタガナ語は使わないという方針が学習指導要領にはあるのかもしれません。しかし、そんな単純なものではないでしょう。それに経産省も一枚も二枚も噛んでいます。最近IB(国際バカロレア)を取り入れるのがトレンドですが、IB機構ははっきり言っているのですね。IBのプログラムには東洋思想は組み込まれていないと。
★これは、IB側が、親切にも日本の教育行政に対するヒントを与えてくれたのです。最近NHKでドイツの哲学者マルクス・ガブリエルや開成出身者の落合陽一さんが日本のみならず世界のビジョンを語っています。またいろいろなメディアでジョブズが曹洞宗の僧侶に禅の世界に誘われたことが発信されています。GAFAMのマインドフルネスやZENの話もよく目にします。彼らはみな一つの地球を目指しています。西洋の思想に偏ることをメタ認知し、多様性を融合する発想を見出そうと。それゆえ西田幾多郎の哲学は見直されているのです。
★渋田さんはブルームの「改訂版」のタキソノミーを生徒の核を洞察する時の指標の1つとして活用しているようです。この「改訂版」のタキソノミーの最上層には「評価」とありますが、これはスコア評価ではないのです。生徒のなんらかの能力(才能でもよいし資質能力でもいいし技術でもよいし言語能力でもなんでも表現はよいのですが)を引き出すエンパワーメントする学びの状況のことを意味します。
★中高の保健体育の教科書にマズローの五段階欲求説があります。最上層は「自己実現」です。実はマズローも禅の文化も意識していました。ですから、この自己実現は、仏教用語でいう「上品、中品、下品」の「上品」に相当する可能性があります。マズロー自身は、第6層目があるのではないかと想っていたと言われます。とはいえ、まさか「悟り」とは心理学的に表現することはできなかったでしょう。
★最近、WHO健康概念で、身体、メンタル、社会性の3つの健康以外に、「スピリッチャリティ」というマルクス・ガブリエルの言う「精神」が追加されました。この「精神」はマインドとは意味が少し違い、ドイツ人や日本人が大切してきた精神性に近いとガブリエルは京都に立ち寄ったときに言っています。
★日本の私立学校は、明治以来紆余曲折していますが、日本的なるものと世界的なるものを融合させた建学の精神を核にしてきました。もちろん融合の配合は各私学によって違うというのは先述した通りです。
★渋田先生のライフプロフィールは知りませんが、フェリスの国語の入試問題を分析し「核」を洞察するときの眼差しは、この建学の精神を生み出した私学人たちの眼差しと交差しています。
★信頼できる中学受験塾と建学の精神を基に不易流行という「核」を生み出し続ける私立学校の中学入試がケミストリーを起こす時代。本質を選び選ばれる時代がやってきたのだと。ようやく来たのだと。2025年度中学入試に向けてこのような視角から中学入試をウォッチングしていこうと善きヒントをいただきました。
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