「開成学園は変わるけれど変わらない 日本経済新聞記事から②東大進学数で評価する時代は終わる?」の続き
★同記事の中で、インタビュアーは、「海外トップ大が求める高い英語力をどう鍛えるかが課題だ。」と質問しています。開成の野水校長は次のように回答しています。
「英語検定試験のTOEFL(iBT)で90台後半から100の高得点が必要だ。私の頃はネーティブの英語の先生はいなかったが今は専任2人、非常勤6人がいて高3の1割の40人程度が100点に達する。近い将来、40人近くが海外大に行ってもおかしくない」
★ある意味驚くべきことで、同時にこの方向性は日本の教育を大きく変えます。TOEFL(iBT)のこのスコアは、CEFR基準でC1です。英検でいうと1級、IELTSでいうと8ぐらい(9点満点)でしょうか。いずれにしてももの凄いレベルです。しかし、何がものすごいのでしょう。
★ご承知の通り、国内大学入試での英語のアドバンテージは、B1です。つまり英検2級です。たとえば、富士見丘は高3の段階で、ほぼ全員が2級以上です。20%は英検準1級以上です。ですから、大学進学の実績が目覚ましく、受験雑誌などで中学入学時の偏差値に比較して伸び率№1という位置づけになっています。同校のネイティブスピーカーの教師の数は、開成の30%弱の高3生数で、開成以上の多さです。東大こそでていませんが、海外トップ大学にはたくさん進学しています。実は開成と富士見丘の教育力は互角なのです。
★何を本間は言っているのだと思うかもしれません。CEFRというのは、ベルリンの壁崩壊後、東欧からどっと押し寄せてきた市民のための言語教育を西ヨーロッパがどのように体制作りをするのか取り組んだときの言語能力の基準なのです。欧州評議会で作成されました。
★欧州評議会はストラスブールにあり、その背後にはEU議会があるEUの政治体制を組み立てる拠点です。EUの経済拠点はフランクフルトにあります。たしかにベルギーなどに本部のような機能はあるのですが、フランスとドイツが中心というのはあまりよろしくないので、そこは考慮されたのでしょう。イギリスは明らかにおもしろくなかったでしょうね(汗)。
★でも、このCEFRに関しては、IELTSの本場イギリスは大いに関与したでしょう。TOEFLや英検を作成する組織が中心だったわけではないと思います。いずれにしても、欧州評議会の大きな目的は世界の民主主義の根幹である人権を保守する拠点です。
★エッ!?なぜそこでCEFR?と思われるかもしれません。人権の歴史的出発点は、ディスカッションの自由を守ることです。表現の自由と訳されていますが、それはともかく言語の問題がとても大事なのです。
★欧米は、極端かもしれませんが言語=思考ですから、CEFR基準は言語能力だけではなく思考力の基準でもあるのです。ある意味目に見えない部分を汲み取れない可能性があり、そこは?と思うかもしれませんが、最近EQとか非認知能力とか認知心理学や文化人類学、脳科学で論じられていて、その点も織り込み済みです。
★このCEFRの作成の背景にある流れは、すでにIBのTOKにあります。IBもCEFRも中心的な役割を果たしているのはオックスブリッジです。欧州で思考というとそれは哲学思考です。日本だと哲学は人生論とか思想とかのイメージが濃厚で避けられがちですが、CEFRやIBのTOKは、どちらかというと英米の分析哲学です。基本に数学があります。
★わかりやすいのは、ヴィトゲンシュタインの「哲学探究(Philosophical Invetigations)」のような思考様式だと思います。文科省が「探究」といったとき、ヴィトゲンシュタインを思い浮かべていると思います。もちろん彼ばかりでなく、ラッセルやホワイトヘッド、ポパーなどもそうです。今の官僚で東大出身者は、東大の法哲学の影響を受けていますが、当時の法哲学は、分析哲学で、ハートやポパーがよく読まれていました。そのときの助手の皆さんは、東大、一橋、慶應などの教授になり、分析哲学からロールズやハイエクなど分派していきましたが、英米系の哲学が広がっています。
★こどものための哲学が立教大学の河野先生からも広がっています。NHKでも番組として成立しています。現象学や分析哲学の流れだと思います。河野先生はいろいろな哲学を独自にインテグレートしていると思いますが。
★そんな流れはともかく、C1英語とかTOKというのは、そういう学びの場なのです。ですから、C1英語を学ぶ環境は、たんに英語を学ぶ環境ではなく、意識をしなくてもPhilosophical Investigatinsのメソッドを学んでしまうのです。ヴィトゲンシュタインの「哲学探究」は、ヴィトゲンシュタインが「哲学論考」を書いて、完璧だ!と思い込み、いったん哲学界を去るのですが、紆余曲折、人間とは何かという、今でいう文化人類学的な人生のフィールドワークをして、バッサリ考え方を転向して「哲学探究」を書いたという話は有名ですね。
★新刊「訂正する力」を書いた東浩紀さんも、ヴィトゲンシュタインの自分の哲学を「脱構築」したと評価していることでしょう。
★この「哲学探究」はメタ哲学ともよばれるゆえんですね。イギリスの大学入学前のファンデーションで必ず学ぶ「クリティカルシンキング」が明らかに、この流れです。ですから、日本人が嫌いな「批判的」という意味とはだいぶ違います。
★文科省が、「探究」という科目を設定したのは、このような流れを汲みとっているからですが、現場の先生方にこのようなそれこそInvestigationsの学びのプロセスを設定してこなかったのに、「探究」と「主体的・対話的な深い学び」「カリキュラム・マネージメント」というフレーズだけで改革しようというのはさすがに難しいですね。
★ところが、C1英語を学ぶ環境をデザインすると、Invetigationsが無意識のうちにできるし、結果的メタ認知するように生徒はなってしまうのです。
★東京私学教育研究所の実施している研修の1つ<文系教科研究会(外国語)「研修会」 ~ Chat GPTなどを活用した英語の授業づくり ~」>では、Roy J. Lee先生にも数々アプリやAIを学びのツールとして活用している実践授業例を私学の先生方と共有しました。偏差値神話を払拭することに結果的になる日本の教育改革というか教育アップデートは、このような現場でグローバルな視野で動くアクションこそが必要ですね。
★今後の開成の動きに期待したいです。実は開成の国語の授業では、哲学対話も実験的に行われれいると聞き及びます。CEFRは英語のみならず、すべての言語の世界共通基準です。国語で哲学対話的なことができるということは、開成の国語の日本語はC1レベル以上ということです。
★もし、国語や社会の教師が哲学対話なんてと思っているとしたら、日本人であっても、その教師の日本語レベルがC1に達していないということを示唆してしまいます。ご注意あれ。
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