聖パウロ学園高等学校 小島綾子校長 新しいリーダー像に挑戦
★現在、日本のいや世界の学校は制度上の困難や組織上の困難や生徒の成長発達段階の個別最適化による人手不足の困難にぶち当たっています。全ての学校で大小の違いはあれ、日々このような困難に直面しているのです。おそらく、それは学校だけではなく、組織であれば同じく直面する困難でしょう。実際に日本の1人当たりのGDPは激減です。全体のGDPは何せ少子高齢化とはいえ、シンガポールに比べるとわかるようにものすごく多いのですから、あたかも経済大国であるかのように見えますが、ミクロ経済では火を噴いています。
★中学入試は、5年以内にころがるように小学生の人口は減ります。人口が減ること事態は、中学入試の定員からみれば、あまり影響がないかのように見えますが、今の日本経済は、人口と経済成長を結び付けていますから、ここから経済システムが変わらなければ、ますます経済力は衰退していきます。
★高校入試もおしてしるべしですが、東京23区はしばらく横ばいが続くので、見た目は緊急事態はないようにみえます。しかし、この世間の不安定さと繊細に連動してしまう環境や状況にある生徒が通信制に流れていますから、今でもその影響はでています。
★小島綾子校長と彼女が丹念に生徒と共に創った「森の教室」でそんなことについて対話をしました。すると、小島校長は地域の高校と比較優位の魅力を打ち出しているだけでは、やがて地域ともども沈んでしまうという危機感を持っていることがわかりました。この「森の教室」は聖パウロ学園が地域の方々と共にボランティアによってなんとか活性化してく共創象徴だというのです。
★そして、森に立っていると、直接私たちはOne Earthにつながっていることを実感するのだと。まさにグローバル教育の真骨頂はここにあると。世界の子どもたちが、一度はここに立ち寄りたいという学校の魅力を生み出すことが今後のパウロの道なのだと。
★そのためには、教師も生徒も共に創るマインドとスキルと黄金律に裏付けられた人類愛が大切だと。
★そして、そのような組織はどうしていったらよいのか。トップダウンとボトムアップ。このことばはビジネス用語ですが、あるいはナノテクノロジーの制作過程の時などに用いられますが、もともとは、ネオプラトニズムの発想です。1なるものは多であり、多なるものは1である。この発想とカトリック神学が中世頃からインテグレイトされていきました。
★そしてその中世神学は、今の資本主義(神学者は理想的資本主義を考えていたと思いますが、歴史は神なき資本主義が大展開してしまいましたが)の萌芽の時期でした。ですからビジネス用語の発想につながるのもそう不自然ではないようです。
★それはともかく、1なるものは1でいくか、多なるものは多なるものであるでいくか、1なるものは多であるでいくのか、多であるものは1であるでいくのか?
★小島校長は、カトリック神学的には、1なるものは多であると多であるものは1であるの両方を往還できるような組織マネジメントに挑戦しようという話を打ち明けてくれました。
★そうなると、どこまで多であるのか、多なるものを1にする方法は?と当然なります。そんなことにすぐ回答がでたらリーダーシップ論や組織開発論の無限に出版されている現在の状況はありません。
★それは、小島綾子校長が、勝俣副校長、大久保教頭、松本主幹と今のように対話をしながら複雑適応系の自己組織化をマネジメントしていく挑戦です。
★私が校長になった正当性は、外部からひょこっと就任したのですから、理事会が決定したという合法的正当性しかありません。この合法的正当性を否定すると、そもそも校務分掌が成立しません。しかし、ただ合法的正当性だけの校長はあまり機能しないのです。
★パンデミックの2年間、オンライン授業にしたり、休みをどうするか、だれにとっても未経験だったので、過去の経験を参考にできません。ですから、合法的正当性のある決裁者が決定することでみな一丸となって進んだわけです。感謝しています。
★しかし、新型コロナウィルスが5類になるや、元に戻るべきものは元に戻り、新しく生まれるものは新しく生まれるタイミングで、私は40年間以上パウロでみなと学校を創ってきた小島校長に還しました。カエサルのものはカエサルに、神のものは神に。毎朝職員室に私は最初に入るのですが、たいてい次に松本先生がやってきますが、それまでの間一人でいる時に、いつも聖パウロと対話をしていました。そのとき今の言葉が聖パウロから伝えられたののです。ちょっとオカルト的かもしれませんが(笑)。
★そんなわけで、小島校長は、もちろん理事会決定ですから合法的正当性を背景にしていますが、私の場合と決定的に違うのは、カリスマ性が彼女の校長の正当性でもあるのです。
★カリスマ性とは、権力を振るうという意味ではありません。真理を語り真理を行う魅力があふれていることを意味します。
★このカリスマをパウロの組織が全体で輝かすのです。1なるものは多であり、多であるものは1であるを往還するエコシステム組織マンジメントに小島校長はチャレンジしている。森の教室からパウロの森を眺めたとき、そう感じたのです。
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