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2023年8月14日 (月)

テート美術館展で歴史総合?

★今年のお盆休みは、台風の影響を考えて自宅と都内の義母の家と都心でゆっくりすることにしました。ロボットが配膳してくれる中華に行って、今度孫を連れてこようと感心しました。もっとも、人手不足を補うためと、実は料理をテーブルに並べたり、皿を返したりするのはセルフサービスですから、ロボットをサポートする側に、つまりお客であると同時に労働もする側でもあることに、合理化の静かなシステマチックなというか、アフォーダンスが埋め込まれていることに気づき、苦笑したりもしました。これを越境という名で、店側と客側のラインが曖昧になるのは、AI時代の当たり前の生活になるのだなと。

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★次の日は、国立新美術館にテート美術館展を見に行きました。テーマは“LIGHT”。ディスプレイを順番に見ていくと、産業革命時代のターナーの絵から印象派になりそれがバウハウスにも枝分かれし、そこからモダンアートになっていく歴史的なパノラマになっているのはわかりやすくかったなあと。

★“LIGHT”をどう捉え、どのよな素材で絵に転写していくのか、そこにはテクノロジーと感覚の共創があって、その変化が歴史の物語の中で変容しているのがおもしろかったですね。

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★それにしてもターナーの淡い光の広がりは、たしかに印象派に意図してか意図していないかはわかりませんが、時代順で並べられると引き継がれているようにも見えました。光と言えば、印象派ではモネですが、私は、アウマン・ギヨマンの前でしばし佇みました。モネよりもう少し輪郭がはっきりしているというか気象変動にかかわるような天候と光の絵がなんか懐かしくて、気に入りました。

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★しかし、ターナーが、透視図法を描いて実験的な方法を、学生に講義するために作成した図(写真は禁止でした)を見て、こんなに数理的な足場づくりがあってあのような光の絵になっているのが、なんだか産業革命時代という流れを感じました。もちろん。ダ・ビンチはすでに試みているので、ターナーが特にということではないのですが、サイエンスというテクノロジーがダ・ビンチ時代より明快に存在していたので、衝撃は大きかったのです。

★たしかに、モネやジョン・ブレットなどの印象派の絵に結びつくのは見ればわかるのですが、この透視図法を見なければ、バウハウスにも影響しているのかというつながりはわからないままでした。

★産業革命時代だったわけですから、モダニズムにつながるのは当然ですが、アートの世界にもあるわけですね。そして当然、テクノロジーの変化だけではなく、神話から人間、世界観から自然、自然から社会、社会から日常生活、日常生活から再構築へとコンテンポラリーアートへの変容が、その背景に18世紀以降の近代の進化なのか変容なのかわかりませんが、AI時代が生まれる前夜までのイマジネーションが妄想として広まりました。

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★テート美術館もそうですが、海外の美術館の所蔵品はとにかくたくさんあるので、時代順序でディスプレイされると、歴史の変化というか人間の認知や意識、テーマの変化を見ることができるので、おもしろいですね。

★こういう見方は、しかし美術の先生と来るとそうはならないかもしれません。もっと素材や材料やモチーフ、描写のメソッドなどについて聴くことができるかもしれません。そのメソッドの変化が歴史の変化にどのように相関しているのかミクロの眼差しを感じられるかもしれません。

★美術館というのは、企画によっては、深い学びにつながるのかもしれません。もっとも、単純に楽しければそれでよしですね!

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