★2022年から高校の学習指導要領は新課程になっていて、「歴史総合」などの新教科が必修科目になります。旧課程の「世界史B」など山川の教科書1冊の中に収められてきた近代から現代までの歴史が1冊として独立するわけですから、単純に知識量が激増するのは火を見るより明らかです。共通テストでは、世界史を選ぶ場合「歴史総合+歴史探究」となるわけですから、大学入試という側面から考えると、暗記ではなくコンピテンシーベースだなだといわれても、ふざけるな!となります。
★しかしながら、第二次世界大戦後、軽視されてきた世界と向かい合う自分が世界実践をしながら生活していくものの見方や考え方を身に付ける学び方に転換すると捉えた場合、小川幸司さんの書籍にあるように極めて意義ある機会になるわけです。
★しかし、両者の考えはどちらも一理ありますよね。東洋経済education × ICT編集部2023/08/12の次のような記事「大学入試は「歴史総合」が潮目、高校授業に期待する「歴史実践」の神髄は ルーブリック採点など工夫、正解つくると危険」などは後者に偏っているので、後者の考え方をする先生にとっては我が意を得たりという感じでしょうが、前者の考え方をする先生にとっては、現場とか現実を知らなすぎるということになります。
★私は、生徒が上記の写真にあるような本を読みながら、暗記するのなら、暗記も大いに有効ではないかと考えます。そもそも暗記は思考作用の1つですから。暗記というより記憶ですね。短期記憶がなければ、生活できないでしょう。私はついに65歳を超えていますから、この短期記憶機能が落ちているのに生きることの不安を感じないわけではありません。中長期記憶も必要ですが、こちらはいわゆる論理的思考とか言われる方の記憶作用でしょう。
★脳科学からみれば、暗記というレトリックで表現されている脳の作用を行う部位は使わないと脳機能は劣化するし、思考というレトリックで表現されている部位についても同じことがいえます。
★教科書は、脳作用を効果的に使う素材や材料です。脳の作用を多角的な刺激を与えるために、教科というのがあるのでしょ。言語知、数理知、アート知、社会知、時空知。。。いろいろあるでしょう。社会科は、どちらかというと社会知や時空知かもしれません。そしてその学びの過程でツールになるのが言語知だったり、数理知だったりするのでしょう。
★脳の作用として知があり、その知は脳の作用を促す道具に転換する時もあります。
★共通テストも人間力のうちの脳の作用を多角的に刺激する機会であるというわけです。
★別に大学に行かなくても、脳の作用を刺激する機会は多様にあります。進路を考える時、大学にこだわるのは、ざっくり高校生の50%です。残りの50%の生徒は、何も歴史総合という材料をすべて活用する必要はないのでしょう。
★教育改革者や大学入試改革者は、その多くが大学出身者ですから、そうでない生徒のリアリティを見ていないのは、しかたがないことかもしれません。
★大学に行くにしても何も一般選抜でなければならないということはないのです。でも共通テストを前提にして議論される時は一般選抜の話が中心です。
★いわゆる超難関国公立私立大学を受験する高校生にとって、「歴史総合+世界史探究」などの勉強は得意不得意はあっても、実はあまり問題ではないのです。歴史観や歴史の捉え方をそもそも自ら創ってしまえる環境がありますから。新書や大学の1年くらいのテキストを読むことも苦でないわけです。先ほどの東洋経済の記事もそのような生徒を想定しているわけでしょう。
★しかし、そうでない、つまり偏差値でいえば50いかない生徒の場合はどうしたらよいのでしょう。そもそもなぜ50に手が届かないかというと、小中学校の時、あまり読書の習慣がついていなかったというだけのことなのです。でも、この習慣がないと、茶の世界史や砂糖の世界史、チョコレートの世界など「社会史」的あるいは「文化人類学」的あるいは「アナール派」的な世界史のものの見方や感じ方を読み解く忍耐力がないのです。
★でも、その能力をもっていないかというと、そんなことはないのです。ただ、新書を読む習慣が身体化していないのです。大学に行ったら、それはちょっと困りますよね。そういう場合は、「社会史」「文化人類学」「社会学」「哲学」などなどのものの見方や考え方をトレーニングするといいのです。それが文献を読んでいく足場づくりになります。
★もちろん、一般選抜に間に合わない場合があるので、総合型選抜でいくということも考慮に入れます。さて、ものの見方・考え方・感じ方をどのようにトレーニングするか。
★歴史総合は「近代化」「国際秩序の変容と大衆化」「グローバル化」の3領域を学ぶことになっています。したがって、この3領域に共通するものとその変化(パラダイム転換)について、どう考えるのかワークショップを行っていきます。
★15回×90分やれば十分ですが、その3分の1でも開花する生徒はいます。
★たとえば、15世位くらいのフィレンツェの社会状況の断片情報を出して、ラテラルシンキングの方法で対話をしていきます。大航海(世界貿易)、遠隔地商人と金融業の市場、都市の政治と教会法のぶつかり合い、マキャベリの思想の背景やマキャベリの理想の君主モデル、ルターの宗教改革おこるきっかけ、オランダとイギリスの台頭などが、集約された時代です。ダ・ビンチやラファエロ、ミケランジェロもでてきます。
★シュンペーターではないですが、13世紀から15世紀にかけて、すでに近代の世界システムが芽生えている可能性大なので、大塚史観やウェーバー、アナール派、社会史、社会学、文化人類学、哲学など持ち出さなくても、生徒なりに理論を生み出します。
★もちろん拙いものがほとんどですが、自分なりにレンズをつくるのです。仲間と対話しながら、Peer Effectは増大して、そのレンズを再構築していきます。
★1689年、1789年、1889年、1989年という100年刻みで起こることが、すでに13世紀から16世紀に蓄積されています。そう考えるのも一つのものの見方にすぎませんが、専門家になるわけではないのですから、自由なものの見方を自ら創ることが興味と関心を抱くことにつながります。
★世界に向き合う自分を見るには、そういう妄想だったり独善的だったりするレンズが必要です。ただし、対話によってそれを脱構築していくマインドセットは必要ですね。
★もちろん、歴史学者になるのなら、妄想であってはだめでしょうけど。しかし、一般選抜で暗記の方法なんていうのは、それぞれコツがあって、独自のものでしょう。なぜ思考だけが独自のものであってはいけないのでしょう。そんなことないですよね。
★ルーブリックのデメリットは、この自由を奪うことですね。正しいとかいう表現でものの見方や考え方を押し付けかねないのです。
★それなら、暗記をする学びの方がよほど自由ですよ。とはいえ、暗記も覚えたこと以上に何も生まないという場合の方が多いので、それはそれは困ったものです。
★そうそう、歴史総合において、「新しい学校のリーダーズ」という日本の4人組ダンスボーカルユニットのエンターテイメント市場の新しい意義を、そのビジネスモデルを解明しながら考えることはいかにしたら可能かから始めても面白いかもしれません。彼女たちのグローバルな活動はまさに歴史実践の1つです。グループのコンセプトは「模範的なヤツばかりが評価されるこの時代、くだらない不寛容社会から、個性と自由ではみ出していく」。そのようなことが人気を持続することが可能だとしたら、この現代の歴史をどう受けとめたらよいのでしょう。
★一遍上人の発想に、現代の盆踊りを重ねる歴史家や民俗学者がいるように、彼女たちの芸能活動が、グレタさんの活動と重なるかもしれません。アプローチは全く違うけれど。
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