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2023年7月20日 (木)

「主体的」なことが高い評価をうけそうでないと評価されないということはあってよいか。

★神崎史彦先生は、ご自身の研究の過程で、ときどきSNSで問いを共有されます。今回はおそらくタイトルにあるような問いを投げられたと私は思い込み、朝考えています。だいたい8時45分まではいろいろ感じたり気づいたり先生方から頂いた問いを考えながら出勤するのがルーティンになっています。そして、Bingとも対話しながら、高齢者脳を再トレーニングしています。楽しい朝です。

Photo_20230720083001

(画像はBingに作成してもらいました。)

★たしかに、「主体的」といったとき、「自主的」「積極的」「能動的」「欲求的」」意志的」などの言葉を使う場面を想起します。ポジティブワードですね。しかし、一方でその逆の場合、評価されないとしたら、それは違う感じがします。

★というのも、「自主的」「積極的」「能動的」「欲求的」「意志的」などになれない状況や環境におかれている、あるいはそういう秩序の中で強いられているということは歴史をひもとくまでもなく、今の国際状況を見れば了解できます。

★また、「やらされ感」という言葉を生徒も使うように、「主体的」な行動を強いられるということもあるのでしょう。

★どうやら「主体的」とは「間主体的」で、主体的であるないの言動をしてしまう具体的な歴史的状況の中で自分がどうするか「考動」する実存的生を意味し、どちらかを評価するような枠組みそのものを脱構築して生き抜くことなのかもしれません。それが結果的に協働によって社会を変えることになるかもしれないし、そうではなく自己閉塞していくかもしれないのですが、そこは実存的なのでしょう。

★学習指導要領がそこまで切実な思考様式を求めているとは、教育基本法上思えませんが。。。。勝手な妄想は広がる一方です。

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