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2023年7月 9日 (日)

幼児期の体験が形成する身体知は未来の創造的思考に大きな影響を及ぼす。

★2歳の孫の行動を観ていると、体験から何かを取り込み身体知としての駆動力ができていることがわかります。まだ言葉は一言二言しかでてこないのですが、飛んだり跳ねたり、しかし土かコンクリか床かマットレスか安全度を確かめることはできます。高いところから飛ぼうとするときも、飛んで大丈夫かどうか何か探ってから、大丈夫だと思えば思いきり飛びます。音楽に合わせてダンスでも踊るように、友達と身体を動かします。保育園で、友達(という意識があるかどうかわかりませんが)と食事をとる速度はだいたい同じくらいです。

Curiosty

(画像はbingが作成してくれました。)

★虫を見れば観察するし、風呂に一緒に入って水鉄砲をつかって遊ぶこともできます。まるかいてチョンと言った感じで顔も書きます。ミニカーは好きで、段ボールを斜めにして、競争させたりします。ウサギに餌をやる時に、自分の手をかじられないように、さっと手を引いたりします。砂場では、スコップで、砂場を掘って山をつくったり、くぼみに水を何度運んでもたまらないので、泣いてどうしてだとうったえかけます。

★山も登ります。プールに入って泳ごうとしますが、それはなかなかうまくいかないので、母親の手を探ります。

★長い道や広い原っぱにいけばひたすら走ります。隠れん坊まではできませんが、家の中で、隠れていると、探し当てに来ます。二輪車を漕いで乗ることはできませんが、両足で二輪車を走らせながら進みます。結構速いですね。

★大きなゴムボールでキャッチボールをしますが、意外と受け取るし、きちんと相手に投げることもします。水をコップに入れて飲むこともします。隣の家の少し年上のお兄さんとお姉さんとも毎日遊びます。遊園地で、電動の車に一緒に乗り、楽しむこともできます。

★言葉が少し遅いのは母親は心配していますが、それ以外は問題なく暮らしています。身体知として、言葉になる前の身体認識あるいは身体知みたいなものは形成されているのでしょう。幼児期の五感から取り入れる体験は、おそらく大人の日常生活で行われるものと何らそん色はないでしょうね。

★しかも、大人の日常生活以上に、自然とのコミュニケーションが多いのは幼児期の特徴です。もちろん、冨士山のような山に登らないでしょうし。大海原で沖合まで泳ぐことはありませんが、そのミニサイズの体験は日々行っています。

★おもちゃの取り合いをやって、自分の好きなようにうまくいかない体験もしています。社会の関係性を、保育園でも体験するし、病院で真面目モードになる人間関係の体験もしています。母親にはべったり甘えますが、父親とはいろいろな遊びの目的を達成する付き合い方をします。保育園の先生ともまた違う関係性を作り出しています。関係性のモードチェンジも身体で学んでいます。

★おそらく大人が忘れてしまっているくらいの身体知を豊かにしているのが幼児期でしょう。この体験が少ないと、言葉として表現できるようになっても、身体知が足りない言葉の表出になっている可能性があります。

★身体知の多くは語り得ぬ言葉の質です。その質をすべて言葉に表出する必要は大人の日常生活ではないのです。しかし、それはリアルな音楽を電子化してリアルとの差異に気づかないような生活です。ときどき、自然に還って驚くのは、幼児期に形成していた身体知が反応するからでしょう。

★現在の幼児は、生の自然体験とバーチャルな自然体験の両方を身体知化するわけです。ものの見方感じ方が、生の自然体験しかしてこなかった昭和の大人とは違うのは当然です。

★しかし、もしこの生の自然体験を十分にしてこなかったら、そのような人間はどうなるでしょうか。大人になってから、生の自然体験から得られる身体知は補えるのでしょうか?さて、それはわかりません。

★しかし、身体知へと自然体験の変形は、自由と秩序の実は枠組みを得ているとも考えられます。人間と自然と身体知としての精神の循環を制度という論理以前に体得しているとしたらどうでしょう。

★古い時代から自然法と実定法は対立構造があり、近代は自然法を退ける傾向にあります。さてさて、身体知ルネサンスは今実は必要なのかもしれません。

★身体知>論理言語ということなのかもしれませんね。非認知能力の重要性やSELの必要性が語られる知の構造のパラダイム転換ということなのかもしれません。これが2030年以降の学習指導要領に間接的かもしれませんが影響するかもしれません。

★したがって、思考コードの身体知は、はじめから9つの領域すべてを把捉していたのかもしれません。私たちは、その身体知をその子供に有ったツールを通して、すべて開花できる環境をつくることなのかもしれません。

★マシンモデルで、一つ一つの領域をくっつけていくというイメージではなく、もともとある身体知を、言葉が得意な生徒は言葉というツールで、レゴが得意な生徒はレゴというツールで、ダンスが得意であればダンスというツールで、身体知を可視化していくわけです。ツールが個人によって違うので、身体知の可視化が、個性的な才能開花になるのでしょう。

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