2023年 日本の近未来や世界のコトを多くの市民が考えることが日常になる(2)吉田麻也選手 子供たちに英語の学びのすすめ
★未だに英語社内公用語批判がある日本です。4技能英語を大学入試に適用することも批判される日本です。英語を強調すると、本質的ではないと批判する見識者もまだいます。そういう方々が、何を理想としているのかわかりません。実存的な現象はたしかに、本質に先行するわけですから、それを批判されても。そう思っていたら、今回のサッカーのワールドカップで、サッカー選手が世界で活躍するのは必須で、そのためにスポーツ能力だけではなく、英語が大事だというのが当たり前になっているではないですか。
★特にあの吉田麻也選手は久しい間、小学生から「サッカー選手になりたいんですけど、何をしたらいいですか」と聞かれたら、「英語を勉強したほうがいいよ。」と。しばらく、これは意外な答えだと語り継がれてきましたが、もはや意外でも何でもなくなりました。
★ワールドカップの番組は、バックヤードも見せてくれます。すると、試合に向けてのミーティングや試合前のロッカールームでの様子では、コミュニケーションがいかに重要かということが公開されていました。
★日本の選手が海外のチームで活躍するには、同じようにミーティングやディスカッションに参加しなくてはならないわけです。ですから、あの川島選手などは、英語以外に、イタリア語やオランダ語も堪能だという話ですね。
★もちろん、大学入試と違い、英検準1級以上が必要だという話ではありません。
★しかし、サッカー選手は、ディスカッションなどは、資格試験の基準を「振り蹴っている」可能性があります。
★もはや、そのようなサッカー選手の英語力は、使える英語力とか意思の疎通をはかる英語というレベルを超えているからです。エネルギッシュで賢い人間力としての英語力なのでしょう。
★言語道具論から言語存在論への転換をサッカー選手をはじめ、グローバルな地平で活躍しているアスリートは語っているような気がします。そして、グローバルな世界は終わったとかいう人は、それは現状の世界経済の懸念の話であり、ひと・もの・かね・情報・文化・心がone earthになるダイナミズムは止められないわけです。
★そんなのは、表面的な現象に過ぎないという人もまあいるでしょうね。でもだいたい表面的な見方しかしないと語る人の多くは、自分は安全地帯にいて、高みの見物をしているということに気づいていないのです。
★それはともかく、グローバルな視野を養う教育は当たり前になったということですね。そのときに、英語ぐらいは使うでしょうというのも当たり前になっているわけです。
★2020年から小学校高学年では、英語は教科になっています。その前から移行措置が行われていますから。2030年には、確実に当たり前になっていますね。昔から中学以上で行われていたわけですが、授業が主体的・対話的で深い学びだったわけではなかったですが、今回の英語の教科化は、授業の転換とも同期しているのです。
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