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2022年11月12日 (土)

ドネラ・プロジェクト(11)対話はメンタルモデル同士のやりとりで、言葉はその媒介項の1つ❷

★対話は、コンパッションなしでは、不安定で、つらいわけです。ところが、コンパッションつき対話だと心理的安全な足場ができますから、心地よいし、互いのメンタルモデルの差異を開示できますから、調整適合しながら、心を通わせられるし、推論の梯子における前提を相互リフレクション出来ます。

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★とはいえ、このコンパッションをどのようにま生み出すのでしょうか?

★それがなかなか難しいのです。生まれながらにして持っているわけではないのは、言うまでもありません。もしそうだったら、こんなに人間関係で私たちは苦しまないで済むでしょう。

★つまり、経験を積みながらコンパッションを培っていくのです。

★学びとか教育が必要なのは言うまでもありません。

★それゆえ、人間同士の対話は、1人ひとりのコンパッションつき対話の成長によって影響されます。ネガティブケイパビリティが必要なのは、対話は必ずしも心地よく創造の泉ではないからですね。

★しかも、この不安定な対話をなんとかしようとなったのは、遠い昔の話ではなく、1989年ベルリン壁が崩壊してからでしょう。それまでは、気づいていても、なかなか解消する社会的、文化的広がりがなかったのです。パターナリズムで強制的に安定させられてきたわけですね。

★この権威主義やパターナリズムが1989年以降、徐々にゆらいでいっているわけです。

★それゆえ、急にゆらいでも、コンパッションがそもそも育っていないので、混迷の時代が広がっているということなのかもしれません。

★ロジカルシンキングやクリティカルシンキング、クリエイティブシンキングは当然必要ですが、コンパッションがないと、たとえばマッドサイエンティストのような狂気がはびこるわけです。

★ステークホルダー資本主義とか倫理的資本主義というシステム再構築が提唱されているのは、そういう流れもあるでしょうね。

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