★11月1日・2日、総合型選抜の第一弾の結果がドーンとでる日程でした。勤務校は、一学年の定員が80名です。ですからその40%が総合型選抜の結果がでる時でもありました。ですから、7月から10月にかけて、志望理由書ー面接ー口頭試問ー小論文をセットで準備する日々が続きます。小さなキャンパスは、朝から夜(放課後20:20まで100分学習などがあるので)まで、授業以外の時間は、哲学的な対話で満たされます。
★①「志望理由書」の書き方とか、②「面接や口頭試問」の臨み方、③「小論文」の書き方とか別々にも行いますが、やはり、一貫性や循環を生み出すためには、セットで行うことが肝要です。ですから、勤務校では、セットで生徒と向かい合うのは担任です。そして、①、②、③の強み弱みを分析して、弱みのセクションは、生徒の大学での学びや研究の分野に合わせて他の教員がサポートする体制になっています。
★それゆえ、毎年、7月から10月は、実は11月は指定校推薦が同じように行われるし、5月6月は準備段階に入っているので、半年以上は、対話に満ちているのが勤務校なのです。もちろん、定期テストの時は質問対話が行われているので、一年中対話で満ちている学校です。
★ですが、総合型選抜や指定校推薦に立ち臨むときの対話は、定期テストの時の対話とは差異があるのは、ご想像の通りです。
★その差異が生まれるのは、総合型選抜や指定校推薦の対策対話は「①×②×③×体験」というのが、本当のセットだからです。この体験の意義や価値について学内では、常に議論になりますが、概ね学びのスキルや未来や自らの世界をつくるときのコアになる信念というマインド(ガイストという意味でのマインドですが)を生成するのに必要なのが体験だというのは共通認識ができています。
★この共通認識があるので、部活や行事、授業、学校説明会、課外活動などすべてにわたって生徒が主体的に考え、判断し、アクションを起こすことになる決定的な体験環境をセットするべく教師はプロデュースやコーディネートを行っているわけです。
★授業や探究ゼミは、全員が参加する体験だと読み替えてコア体験としていますし、それぞれの興味関心を進化させる有志が集まるプロジェクト体験は、バッファー体験として行っています。そして、「志望理由書×面接・口頭試問×小論文×体験」をワンセットで循環させるので、コア体験とバッファー体験は有機的に結合します。この結合は、教師や生徒によっても強度やアプローチに当然違いが生まれるので、多様なミニイノベーションが生まれるのです。
★したがって、「体験」は、今目の前のファクト的な体験を楽しむ「現在体験=da体験」ではなく、パラダイム転換に将来繋がる可能性のあるコペルニクス的転回「的」な決定的な体験をするという意味での「源体験=ソース体験」をコーディネートすることが大切です。
★もっとも、実はこのコーディネートは、どこか場所を用意するとか、外部の専門家を呼ぶとかではないのです。もちろん、時間や場所、人、もの、情報、カネは結合しますが、その結合のプロセスが内的PBLになっていることが肝要です。この内的PBLは、生徒自らが問いを設定し、その問いの探究を広め深めていくマインドとスキルと寛容性のシステム思考でできています。
★教育としては、ここまで到達しているので、そのクオリティはなかなかだと勤務校の先生方はすごいなあと実感しています。
★しかし、さらに合格を勝ち得るためには、「志望理由書×面接・口頭試問×小論文×源体験×B1英語」が必要になります。B1英語というのは、英検2級をとれる英語力環境というわけです。この環境があれば、カトリック特別入試である総合型選抜バージョンの試験に十分対応できます。つまり、上智などカトリック系の大学の実績は80名定員で10%以上合格してしまうのです。
★今年勤務校でも、6人上智を受験し、6人合格しています。来年以降はB1英語をB2英語にアップグレードします。大学全入時代の波もあるので、実績としては、さらに伸びると思います。しかし、一般に、「志望理由書×面接・口頭試問×小論文×体験×B1英語」をワンセットで循環できる学びは、受験だけ考えればやりすぎだと思います。たとえば、塾だと体験や英語まで具体的に結びつけるには特別プログラムででもなければコスパからいってやらないでしょう。むしろ、生徒は、この循環の中の弱みを強みに変えるために、弱みの部分を選択してそこを塾で鍛えてもらうパターンが多いでしょう。実際、そうやって、再び勤務校の教師と対話するという生徒も中にはいます。塾の機能としては、そういう弱みを強みに変える場として重要ですね。ただ、学校教育では、ワンセット循環環境をつくり、受験勉強以上の学びになっているわけです。
★でも、それが教育の本意だし、塾と違うということは学校当局が意識したほうが経済合理性を生み出せると思います。それはともかく、生徒が英検2級から英検準1級以上の英語の能力にシフトすると、これだけで、世界大学ランキング250位以上の海外大学の道も拓けてしまうのです。「総合型選抜」や「指定校推薦」の入試制度を逆手にとって、生徒の潜在的能力である1人ひとりの才能が開花するプロデュースあるいはコーディネートをすることが教師次第でできてしまうのです。
★ちなみに勤務校の外部団体が出している高校入試の偏差値は50です。ということは、中学段階の5教科の内申平均が3(5段階)の生徒が大多数です。でも、それは生徒の潜在的能力の評価スコアではなく、中学時点で行っていた受験勉強の結果にすぎません。勤務校の3年間で、その潜在的才能は、<源>体験をベースにしたコペ転的対話で、開花します。中学時点での内申5教科平均が3を切っている生徒も、上智大学に実は多数合格しているのです。
★しかし、カトリック的な意味合いで、愛の導者である教師の存在はおそらく最も重要だと思います。対話というマインドとスキルとビジョンを共有する教師陣。言語能力を日本語だけではなく、英語にも挑戦する教師。数学科と国語科の教師などは、生徒がやるならと自分たちもいっしょに2級に挑戦しゲットしています。そして、2級では、必ずしも英語で思考する力が未熟でも取得できる程度の経験値であることを身をもって理解しています。だから、もっともっととなります。このような教師が生徒とかかわれば、生徒もあるときはフラットな関係ですが、あるときはまた謙虚に耳を傾けるリスペクトする存在にもなるわけです。高校生は、もう大人です。そのくらいの使い分けができる社会性はもっているものです。
★教師がマインド、スキル、ビジョンを豊かにしていける環境は、研修よりもある仕掛けが重要です。それは工学院や聖学院、かえつ有明などはオリジナルの仕掛けを持っています。聖パウロ学園もオリジナルの仕掛けを持っています。それはオープンになっていますが、まさか、教師のマインド、スキル、ビジョン、もちろん、アクションを豊かにする仕掛けだとはなかなか気づかないでしょう。それに気づけば、すばらしい学校教育が開かれます。そして、その気づきは自ら実感しなければ、人から聞いていたとしても、なんだそんなことととなります。そう言った途端、そこで、コペ転的視点が喪失します。
最近のコメント