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2022年8月13日 (土)

21世紀型教育研究センター クルックフィールズで2050年からシナリオプランニング(3)マインドフルネスによる自然と社会と精神の循環

★1日目は、とにかくクルックフィールズのフィールドワーク。超暑かったですから、SGTはZ世代とはいえ、夜はさすがにへとへとだったと思います。2日目は、インプットした体験や情報をもとに、多様性生物や農業の循環アクションを具体的にどこに根づかせるのかなどなどについてアイデアを出します。その前に、ブレークスルーが起こることを期待しつつ、無心の感性を生み出すかもしれないマインドフルネスを、和洋九段女子の新井先生がファシリテーターになって共同場をつくりました。

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★Z世代にとって、このGAFAが好むマインドフルネスは、大切なのだなと実感しました。私の勤務校はカトリック校です。カトリック校は、瞑想や黙総会を開きます。信者ではない生徒がほとんどですから、自分の中に神を見出すパーパスはないので、GAFAがプログラム化したマインドフルネスそのものだなと感じました。

★もっとも、勤務校は、栄光学園のように日々の中に瞑想を入れ込むことはしません。パウロの森を歩くだけでマインドフルネスになるからです。つまり、カトリック的なフォームは、年3回のミサぐらいです。でも、そのミサは、しっかりマイドフルネスになります。信者でない生徒にとっては、非日常的空間だからです。

★そんなことを想いながら、新井先生のマインドフルネスに導かれ3分間が経ちました。五感で、自らの五感に集中していくうちに、目に見えるものから隔絶し、その背景にある何者かあるいはどこかの場にたどりつき、そのまま無感覚になったような錯覚になりました。それを錯覚というのか、幻想というのか、普段気づかないセンサーによる認識なのかわかりませんが、私が朝起き上がる前にベッドの中でとか、家をでるときとか、あるいは電車の中でとかで行う瞑想とはまた違う感じでした。

★いつもは包まれる感じですが、今回は浸透する感じでした。

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★目を開いたとき、そういえば、昨日草間彌生さんの芸術スポット「無限の幻想」の空間に入ったときのことを想いだしました。鏡の立方体の空間です。閉じられているようだけれど、開放系で設計されていますから、太陽光が生み出す幻想的な小宇宙が無限に点在する空間になっています。人間の身体は閉じられているようだけれど、外界に開かれていて、そこで好循環がなければ生きていけません。

★マインドフルネスは、人間が存在すること、その存在をサスティナブルにする自然と社会とのコネクトが大切であることを実感として気づかせてくれました。

★そして、GAFAといえば、スティーブ・ジョブスを想いだしてしまいます。ほとうかどうかわかりませんが、フォークロックのドノヴァンが歌った「ブラザーサン シスタームーン」のエンディングの歌を、ジョブスも口ずさんだと言います。

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★聖フランシスコは、富裕層の家に生まれましたが、すべてを捨てて、自然と対話して修道会をつくりました。アッシジのフランシスコ教会。循環経済になっているかどうかわかりませんが、たしかにジョブスが訪れたとしたら、マインドフルネスにもってこいの場所ですが、実はそもそもカリフォルニア州は、森が豊かです。熱波のために毎年火事になって大変ですが。

★イタリアにしろ、フランスにしろ、ドイツにしろ、森や草原が広がるエリアはいっぱいあります。

★イギリスであれば、レッチワースは庭園都市で、19世紀末から20世紀初頭にかけて、世界に広がった今でいう循環型都市としてデザインされました。この庭園都市こそ、田園都市線や東急線の発想だったのです。田園調布の赤レンガの駅は、レッチワースの駅のミニチュア版ですね。

★日本のみならず、世界的にZ世代は宗教から遠ざかっています。マインドフルネスはZENから由来しているといわれていますが、それはキリスト教徒と離れているためにGAFAでは、宗教性から解放された純粋なマインドフルネスができるから好都合だったのでしょう。

★仏教系の学校だと、座禅を行っているところもあります。それもマインドフルネスと同じ効果があるかもしれません。

★ただ、特定の宗教性から解放されたマインドフルネスは、地球市民にとってはアクセスしやすいのではないかと思います。

★WHOの健康概念の候補として、スピリチュアリティもありました。死に直面している人にどのようによりそうのでしょう。どのような気遣いの言葉も通用しない時に、それでもケアは可能なのでしょうか。マザーテレサのようなケア。宗教を超えてでききるとしたら、地球市民全体にとってとてもよいことでしょう。上智大学には、そのようなケアをグリーフケアといって、センターができています。

★しかし、地球市民全員にそれをシェアするのは、少しハードルが高いですね。

★地球市民1人ひとりは、スペシャリストであってほしいわけです。それは自分のチャレンジとしてハードルは高いのですが、一方で、マインドフルネスとか専門以前の人類共通の学びであるリベラルアーツは、資格や組織の壁を超えて共有するニューコモンズのはずです。

★クルックフィールズのコンセプトも草間彌生さんの作品やビートルズの「ストロベリーフィールド フォーエバー」の歌詩に通じるものがあるとすれば、ドノヴァンの歌詞にも通底するものがあります。

★聖フランシスコが愛されるより愛するアクションをとり、また小鳥や動物たちと対話したと伝説があるように、私たちの五感は豊かになるフィールドをたくさん見出したいものです。クルックフィールズは、その一つであることは間違いなさそうです。

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