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2022年8月 1日 (月)

聖パウロ学園 カトリック学校対象の大学入試に向けての講座(6)根源的なるものと自己~メタファーは学際知の視点を生み出す

★カトリック学校対象の大学入試を受験するからといって、みんなが神学部を志望しているわけではありません。経営だったり哲学だったり文学だったり法律だったり教育だったりするわけです。神学部を除いて、志望理由書に聖書の言葉をダイレクトに引用する必要もありません。ただ、カトリック精神を受け入れているあるいは親和性のある体験や発想、信念などは必要です。

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★最近では各教科が社会課題にどう接続するか意識をしているように、宗教でも同じです。知識ベースの学びだと現実とのつながりはどうしても希薄になります。それゆえ、自ずとワークショップ型になります。

★単純に体験ということですね。しかし、同じ体験をしても、感じ方も考え方も生徒によって違います。そしてそれでよいのです。その違いこそ、大学に行って研究したいとか学びたいと思う方向性の種なのです。

★ですから、今回聖書物語の過ぎ越しのシーンを題材に、それぞれの場面は、どんなアプローチで解読できるかなという問いを投げました。長方形のポストイットに、ここは文化人類的アプローチがいいんじゃないかとか、神話学だろうとか、新しい資本主義の種があるねとか、物語の構造のリマインダー機能が頻繁にあるのが聖書だったのかとか、ジェラシーと権力の関係がすごいね、やはり歴史とか精神分析とか心理学的アプローチも可能だとか、神学以外のアプローチを生徒はポストイットに書き込んでいきます。

★学際的な視点がたくさんでていました。聖書はメタファーの塊ですから。しかし、神学的にどう読むか?それは私にはわかりません。だから、このような学びは神学者や宗教の先生に叱られるかもしれません。

★しかし、自分の視座と視点でまずは解読する自由が、これからの宗教と現代社会の関係を理解していくには、必要です。その過程で、アップデートしていけばよいのです。世界のキリスト教信者は、30%シェア程でしょうが、クリスマスについて知っている人はもっと多いでしょう。

★でも、その方々がクリスマスの神学的読解をしているとは限りません。いやほとんどはしていないでしょう。でも、カラシダネはそこからです。

★使徒パウロも最初はキリスト教徒を迫害していたのです。彼の中で、パラダイム転換が起こる奇跡があったわけですが、そんな奇跡を私たち人間は起こせないのです。起こせるかもしれませんが、起こそうと思ってできるものではないのです。

★ただ、真理への追究への自由は欲しいですね。そのための駆動力として現代化リベラルアーツは役に立つと思うのです。メタファーの解読もその一つです。

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