聖パウロ学園 カトリック学校対象の大学入試に向けての講座(4)根源的なるものと自己~「自由と自由」
★根源的なるものを見つけることなどどうやって?しかも、根源的なるものを見つけるとそれに抵抗するあるいは排除しようとする根本的な問題も見えてくるのですから、このチャンレンジは果てしない物語になります。したがって、今も解決していないし、これからも私たちはその冒険に出るマインドを継承していく必要があるのかもしれません。
★そのような冒険心は、自由がなければ湧いてこないものです。そこで、「真理はあなたたちを自由にする」というヨハネの福音のことばについて思索しました。ヨハネが物語る「自由」と自分の信念を支える「自由」の違いについて、そしてその両者の関係を見つめていくというワークショップをやりました。
★サンデル座標を使いましたが、この座標に「リバタリアニズム」「コンサバ」「リベラリズム」「コミュニタリアニズム」などのキーワードはいれませんでした。それらキーワードの意味に引きずられないように、純粋に「自由」にフォーカスするためです。
★それにサンデル座標は、このキーワードがなければ、さらに自由に思考できます。
★たとえば、生徒によっては政治的というのを「統治」と解したり、「権力」と解したり、「制度」と解したり、やはり様々でした。「経済」という点に関しては、「市場」というより、圧倒的に「生活」でした。
★たしかに、バブル崩壊後に誕生するZ世代にとっては、生活は制約の多いものです。そして最近ではコロナ、ウクライナ、気候変動とその制約は生活を直撃しています。いったいどうしたら生活はもっと自由になるのか、ビル・ゲイツのように大儲けしなくてもいいから、自由な生活をおくるにはいかにしたら可能かは、切実な問題だし、極めてリアルな体験です。
★ハートスクエアとサンデル座標というツールをトリガーにして、ディスカッションしていくと、パウロのZ世代は、制約の中の自由という感覚がt多勢でした。しかも、その制約は制度設計という捉え方に発展していきました。制約から解放されるというよりも、生活の自由を保障するための制度設計としての制約は大切だという話なのです。
★だから、キリスト教の「自由」は、あらゆるものから解放されるから政治的にも経済的にも自由なのだとなるわけです。サンデル教授のアリストテレス=トマス・アクイナス的な感覚では、両方とも善き制約となるコミュニタリアニズムが真理はあなたたちを自由にするという意味でも自由になるのではと思っていたのですが、Z世代は究極の自由はリバタリアニズムだとなるわけですね。
★でも、自分の自由は人間なのだからそこには位置しない。むしろコンサバなんです。でもその保守性は、私たち団塊世代に近い世代がイメージする愛国ではないのです。well-beingを保証する制度設計なのだというわけですね。
★私は、新しい学びを提唱する側の人間で、体験を重視するワークショップも手掛けてきましたが、パウロのZ世代と対話して、そんなフィクションの体験をプログラムするより、このパンデミック・ウクライナ・気候変動といういまここで彼らが実際に生活をしていること以上にリアルな体験があるのかと、反省させられました。
★自己変容を目標にして生徒と歩んでいるわけですが、自分が、この歳になって自己変容する契機をもらったわけです。感謝。やはり昭和の古い習性は終わりにしなくてはなりませんね。
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