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2022年6月19日 (日)

教育の世界で起こる問題を解決するには、先入観を捨てて客観的な事実を認定するところから始める。それでも危うさはある。リベラルアーツの現代化で回避することは可能か?

★教育や学校の世界では、いろいろな問題が起こります。その問題を解決するために教師は日々奔走するわけです。うまくいくときもあるし、なかなかうまくいかないときもある。それゆえ、様々なセミナーや研修会があるわけです。そして、どのセミナーや研修会でも、問題に直面した時に、先入観を捨て、自分のフィルターをいったん外し、客観的な事実を確定してから、どこに問題があるのかを発見し、解決策を考えよと。その際、1人で考えるのではなく、仲間やチーム、第三者などをどう構成するかも考えるわけです。

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★研修では、

1)問題に直面した時に、

2)先入観を捨て、自分のフィルターをいったん外し、客観的な事実を確定してから、

3)どこに問題があるのかを発見し、解決策を考える

4)仲間やチーム、第三者などをどう構成するかも考える

★と分けて、それぞれの方法が教えられるわけです。

★問題に直面した時に、すでにそこにバイアスが生じます。受け入れる受け入れないかというマインドセットの状況が人によって違います。したがって、ここではGrowth Mindsetなど開放的精神が推奨されるわけです。まあ、エポケでもいいわけですが。

★先入観をすてると言った場合、何が先入観なのか?モニタリングの視点が提案されるわけです。しかし、ここでもバイアスがあります。モニタリングの視点がそもそも社会通念的、日本の教育界では、道徳という名の規制です。この規制をとりはらって、先入観を捨てることができないわけで、少なくともそういう限界があるということについて認識をしなくてはならないのですが、この話を持ち出すと、場が凍り付きます。教育の限界が現われる瞬間です。

★このことは客観的な事実を認定する際にも同じことがいえます。あくまで、教育における社会通念に照らし合わせてであり、それは科学ではなく、道徳による社会化です。客観的な事実は、国によって違うのは、今回のウクライナで痛いほど思い知らされています。

★どこに問題があるのかを発見するという場合、ズレをみいだすわけですが、ここも社会通念に照らし合わせて見出すわけです。より高次のルールに従ってズレを見出しつつ、それが社会通念とのズレとどう違うのかを考えることはなかなかできません。

★したがって、根本的な解決ではなく、学校にいる間だけの解決になる。つまり対症療法になり、原因療法にはならないのです。

★仲間、チーム、第三者などをどのように構成するか。第三者については、ふだんの学校生活では、カウンセラーで、法律問題に触れるようなことがおきたときには、法律の知識を持った専門家も構成員になります。

★ここにいたって、視野が広がり、開放的にはなりますが、そもそも問題が起きるのは、社会化に対するなんらかの反作用です。なぜその反作用が起こるのかまでは、追究されようがありません。

★したがって、ここでは妥協点を見つけるということになります。

★このような、状況や結果になってしまうのは、コミュニケーションをするときの思考の領域が、A軸・B軸で終わるからです。新学習指導要領では、それゆえ、C軸まで巻き込もうとなっています。

★しかし、これは、日本の教育の限界を文科省自ら乗り越えようとしてのことかどうかはわかりません。

★おそらく、そうではなく、グローバル世界は、VUCA時代です。多様な価値観や文化的な違いがあります。このような中で合意形成をしていく場合、日本の社会通念だけではなく、各国の通念を受け入れながら議論していかなくてはならないわけです。この状況に対処していくための新学習指導要領だと思った方が自然でしょう。

★しかし、それでは、やはり妥協だとなります。いや、この判断もまたすでにバイアスがあります。どこかに絶対正しい社会通念があるはずだという。

★そのようなものはあるのかないのか?あるから、それを探すのが多様性におけるコミュニケーションなのか、ないのだから妥協でよいのだとするのか、ないのだから共創しようよとなるのか、そもそもいまここでが解決すればよく、そのようなもの自体があるかどうかはどうでもよいと考えるのか。

★ここに正解はありません。あるのは、意思決定だけです。ではすぐれた意思決定などあるのでしょうか。すくなくとも、人類が誕生する以前からある事象に照らし合わせることが無難というのが、最近の思想のようです。人類が誕生する以前からある事象とは数学的世界です。

★リベラルアーツが、結局紀元前から続いているのは、そういうことかもしれません。未来の教育は結局、その時代その時代に適合したリベラルアーツの現代化を生み出すことがカギなのかもしれません。

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