学校が変容するというコト(19)大学入試問題とPBL 社会課題を他人事≒自分事として見つける場にシフト
★先週金曜日いつものようにGWEを開催。鈴木さんと今年の東大の一般入試のいくつかと文Ⅱの帰国生入試の問題を見比べながら、大学入試問題とPBLの関係を対話していきました。そして最後に今年の慶応義塾大学湘南藤沢(SFC)の総合政策の問題を介して、まとめてみました。生徒に限らず、私たちは日々不安と痛みを感じながら生きていきます。喜びも幸せも、それとどう向き合うかその構えによって生成のされ方が違います。
(GLICC Weekly EDU 第69回「大学入試問題とプロジェクト・ベースト・ラーニング(PBL)」)
★PBL(Project Based Learning)は、その構えの基礎付けです。もはや誰かが設定してくれた道を歩いていけば、不安も痛みも感じない生活ができるという時代でないのは、私たちを含め世界中の人が、このパンデミックショックと現在の国際秩序のゆらぎの中に置かれているコトで身に染みて分かっています。
★つまり、自分の道は自分の中から生まれ出でるモノですが、それは1人自分の道ではありません。他者の道と交差したり、合流したり、回避したりする関係総体の中で見出されるコトです。それゆえ、不安と痛みをその都度解消しながら、協働主観(他人事≒自分事)の質である正当性・信頼性・妥当性の関係をアップデートしながら生きていきます。
★今言ったように、その道は単線ではなく、複合的です。したがって、生徒にとって学びも将来の仕事も、マルチな局面に向き合うことになります。これがライフシフトの時代と呼ばれていることです。
★大学入試問題が、そんなライフシフト時代の基礎付けとしてのPBLにどう関連しているのが?
★大学入試不要論を大きな声で善人の顔をして、まるで遠くの出来事を美しく語るかのように主張する人もいます。たしかにゲゲゲの鬼太郎の世界ではそうでしょうが、ちょっと現実的ではないですね。大学入試現場で起きている生徒や保護者の不安や痛みを他人事≒自分事で解消するにはいかにしたら可能かを考え・行動していくことで、大学入試制度そのものが変容していくやり方からスタートするのが、現実的だし理想的でしょう。
★それゆえ、大学入試問題によって、大学の教授の問いの設定の全体集合を見ていくという方法をとりました。東大の一般入試と帰国生入試は違いますが、問いの設定者は同じです。大学の教授、つまり探究者や研究者の問いの設定の一つのモデルができます。この全体を包括的に課題設定しているのがSFCの総合政策の問題です。
★課題を設定するには、文学部なら、アンビバレンツを感じるエンパシーからだろうし、経済学部であれば囚人のジレンマというゲームの理論や均衡問題からだし、法学部ならカルネアデスの板に象徴されるジレンマからだろうし、政治学系ならバランスオブパワーだろうし、医療関係学部なら、トリアージからだろうし、社会学系なら格差からだろうし、理系であれば、パラドクスからだろうし、心理学系の学部なら葛藤からだろうしなどなどとなります。
★しかし、こうしてみると、その表現はレトリックの違いであり、関係がうまくいかず不安や痛みを伴う具体的状況があるというコトは共通しています。そして、具体的状況をいろいろな学部からアプローチするTOK的な発想の逆からアプローチしたのが、SFCだったのです。
★それらを丸ごと学際的視点で「トレードオフ」というコンセプトレンズで紐解いていこうという課題設定です。こちらを立てればあちらが立たない、あちらを立てればこちらが立たないというトレードオフの具体的状況を、アンビバレンツと表現しようが、ジレンマと表現しようが、パラドクスと表現しようが、その表現にこだわるのではなく、包括的にトレードオフとしてアプローチしようという学際的問いの設定をしているわけです。
★PBLの基礎付けのコアになるのが、この具体的状況においてトレードオフを見出すことです。とはいえ、それは高校3年間、多様な体験=具体的状況の中に身を置くことによって、人間存在の不安や痛みを肌で感じ取ったうえで、問題発見・解決(=他者への貢献によるwell-beingが伴う道の発見)をしようとしてきたPBLを積み上げてきた結果、大学入試という紙上の問いに取り組めるというわけです。
★もし、東大が帰国生入試をやっていなかったら、このようなPBLの基礎付けのコアの必要性をうったえるサインを出さないわけですから、生徒に対し偏ったメッセージを出してしまいます。
★実際、大学入試不要論者の方々は、一方で海外大学の入試制度を称賛するわけです。この時点で大学入試不要論は、日本の今の大学入試という限定づきのことがわかり、大学入試のようなイニシエーションの現代化は認めているのです。
★そして、不要と言っているのは、一般入試しか見ていないために、偏っているという判断をしているのでしょう。それはそれで間違いがないのですが、大学側が出しているメッセージ全体をみているわけではない議論です。
★制度として欠陥があるとしても、それを変えるには民主主義的な手続きをとらなくてはなりません。それまでは、PBLを授業の中に埋め込むことによって、生徒1人ひとり個人が他人事≒個人事としての自分の道を見出せる場をつくることがポイントです。そこにおける自由裁量や意志決定は、現場の教師に委ねられています。
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