« 思考コードについて近頃感じるコト(01)共通言語化しつつある。 | トップページ | 21世紀型教育研究センターの先生方との対話で感じる新しいリーダー像 »

2022年2月12日 (土)

思考コードについて近頃感じるコト(02)外延の明快さと内包の深遠さの多面体 明快さだけでは社会課題は解決しないが、わかりやすさの神話が内包の深遠さにマスクをかける ICTの個別最適化がクリエイティビティを阻むかも ICTのパラドクスを解くために外延と内包を往復する

★最近というか、昔から、常に<わかりやすさ>という<ひとの壁>(養老孟司さん風に)にぶつかっています。教育現場では、そう簡単ではないからというわけではありません。現場は<わかりやすさ>を求めて<複雑>にするのが常です。というのも<わかりやすさ>とは大切なプロセスや一貫性をつくるための関係性をショートカットしてしまうのです。

★ショートカットは見た目は合理的ですが、プロセス循環を無化するので、非合理的な場合もあります。ところが、このプロセス循環は目に見えませんから、思考停止しているとショートカットしてしまいます。これは何も教育現場に限らず、<わかりやすさ>やAIなんかで<効率性>を求めることを鼻を膨らませて得意げに語る方々にあるあるケースですね。それもしかし、世の常です。

Photo_20220212195001

★だからといって、ICTやWebを否定しているわけでは毛頭ありません。実際この3週間は、オンライン授業でしのぎました。ですから、目に見える明快な部分ももちろん必要ですが、これは外延的な表現です。その表現の背景に関係性が入れ子のようにつながっています。これは目に見えないというレトリックは使いますが、目に見えない=わかりにく=ないものにしようという短絡思考、つまり思考停止してしまうのも世の常です。

★養老孟司さんは、こういうのをかつて<バカの壁>と呼んだわけですね。

★でも、<バカの壁>の真骨頂は、その目に見えない部分を<わかりやすく>表現してくださいよお~と著作権を平気で奪取するような口調で語ってくるのです。しまいには、わからないのはあなたのせいだと夜遅くに電話をかけてきたりする始末です。かつて思考コードの件ではよくどなられました。そのような叱るのを何とも思わない人材のいる職場がハッピーなわけないですね。

★かくして、思考コードを巡っては、組織のリーダー論が透けて見えるリトマス試験紙にまでなってしまっているなあと最近つくづく思います。もちろん、勤務校では、すんなり思考コードを活用して対話できるし、仲間の多くの学校の先生方とも語り合えます。そういう学校は、生徒募集がうまくいく傾向にもあります。

★ところが、思考コードについて対話している時に、対話ではなく正解を教えてくださいという場になってしまうときがあります。それは思考コード=ルーブリックだと外延的表現に固定して考えたいというインストラクション型症候群の人に多いですね。

★図に表したように、思考コードは、左の図のように9つの領域を外延的表現であらわしています。しかし、実際授業という生ものでは図の右のように、9つのそれぞれの領域に入れ子のようにまた9つの思考コードが現われるのです。思考コードのフラクタルになっているのです。これが思考コードの内包的関係性です。

★この複雑性に耐えられなくなって、ルーブリックでインストラクションしてしまおうという思考停止が生まれる現場では、知の雰囲気がふくらまないのです。インストラクション型症候群が蔓延してしまうでしょう。

★インストラクション型症候群蔓延防止のために、対話は欠かせません。勤務校の数学科の教師と入試問題研究をしていると、その問題をC軸思考という深淵にアクセスするにはどうするかとか、A軸の問いの中でもC軸はマインドセットできるねとか関数関係の話になります。複素平面的どうのこうのとかなっていくと、私はついていけなくなりますが、私の役割は場が知の雰囲気を膨らませていくようになる触媒ですから、いいねいいねと思っています。

★かつて私がいいねいいねというと、楽観的だとか軽薄だとか深くないとかおよそ軽薄なことを深刻な顔で強迫観念的表情で向かってくる人もたくさんいましたが、創発の機会損失を行う養老孟司さん風にいうと<バカな壁>同然の人もいましたね。

★一方で、探究だ、個別最適化だとか、すてきな試みですが、思考コード=ルーブリックになると、実は偏差値とあまり変わらないのです。いやむしろ基準を恣意的に固定することになっていることに気づいていないという厄介な雰囲気が生まれる時もあるのです。

★関数というのは、たしかに図式化すると座標軸が現われますが、座標軸はいったいどこに設定されているのでしょう。見える化は固定化です。<わかりやすい>ですが、そこで終わらず、再び関数方程式化する必要があるでしょう。つまり見える化は外延化であり、関数方程式化は内包化です。

★数学的思考とは、外延と内包を自在に往復できることです。外延は個別解です。内包は全体解です。個別解と全体解に分析するのが固定化であり、その両方を往復するのが統合です。したがって、数学的思考とは、思考そのものです。

★論理的思考とか批判的思考とか創造的思考とかは個別解です。全体解は思考コードです。そしてその外延という明快さと内包という深遠さをルビンの壺発想に収めるのが統合です。

★最近は、こんな話をしてもだいぶ平気だし、このような対話ができるプロジェクティビストの先生方は、極めて実存的で合理的で成果も生み出します。ぶつぶつ不平不満を言ってくる人は、実は何もやらない人だし、好きなことしかやらない人です。

★合理的で数学的な思考をフルに生かしている教師が、何かあったら人知れず朝5時くらいに出勤していたり、さっさと帰宅したかと思えば、構想アイデアを自宅で創って、メールで送ってきてくれたりします。学校が違うにもかかわらず、夜遅くZoomで助言してくれたり、それぞれの学校にいるのに、援護情報を送ってくれたりするのです。互いに苦戦もするときもありますが、必ずや乗り切り、突出した成果に到るものです。

★身体感覚で申し訳ないのですが、共感共振は相互にエンパワーし勇気づけ、善き雰囲気を広げます。市場を浄化するのです!新しい資本主義とは、システム改変も必要ですが、すぐにできることは市場の浄化プレイヤーの協働です。そういうプレイヤーを私はプロジェクティビストと呼びたいと思います。

|

« 思考コードについて近頃感じるコト(01)共通言語化しつつある。 | トップページ | 21世紀型教育研究センターの先生方との対話で感じる新しいリーダー像 »

思考コード」カテゴリの記事