« 八雲学園 生徒が自らの成長実感について自ら語り継ぐ。画期的生徒によるメッセージ動画3本が素敵です。 | トップページ | 2030年までに 人間の認知・非認知能力が変わる(汗)~UniversalityからMetaversalityへ それに対応できる学校がサバイブできる »

2021年12月13日 (月)

知識偏重教育はなぜダメか?知識は共通財で競争財ではない。

★今や、知識偏重教育は、おかしいとは、誰もが思うでしょう。でも、実際には、大学入学共通テストなどのように、知識偏重教育を是正しようと誕生しているはずのテストですが、知識の多寡によって、知識を扱う速度によって、スコアがついて、スコアの程度によって大学の合否や大学選択の選別がなされています。あきらかに、知識は競争財として扱われていますね。その時点で知識偏重です。これは知識自由を奪うものであり、言論の自由を阻むものです。ゆえに、知識偏重教育は、民主主義国家においては悪なのです。

4169wny3ql_sx350_bo1204203200_

★しかも、知識は言語処理システムだけの話ではなく、身体化された知識であるという考え方も、認知心理学の世界では久しく研究されてきました。もし、それが信頼性があり、妥当な説だとしましょう。すると知識競争によってランキングがつけられることは、身体性の差別を生み出している可能性もあります。民主主義国家では許されないことでしょう。もちろん、この民主主義は啓蒙思想以来追究されてきた民主主義を意味し、最近の民主主義サミットに対抗して出てきた専制主義は民主主義と矛盾しないという考え方には適合しません。

★それはともかく、知識は人類にとって共通財であって、等しく配分されなければなりません。それを競争財として活用して、ランキングをつけることは、教育格差や貧困格差を生み出すトリガーです。

★共通財としての知識をグローバル市民として活用できるトレーニングは必要ですが、知識を競争財として誤用するのはそろそろやめにしましょう。共通財として知識を扱う学びを実践する教育にパラダイムシフトしていきましょう。

★今すぐに変わらないでしょうが、指定校推薦や総合型選抜などの入試の意味や意義を捉え返すことで、その突破口は見えてくるはずです。身体化された知識の学びをそぎ落とす一般選抜を見直すのは、啓蒙主義以来の普遍的民主主義国家であろうとするなら、検討してもよいではないでしょうか。

|

« 八雲学園 生徒が自らの成長実感について自ら語り継ぐ。画期的生徒によるメッセージ動画3本が素敵です。 | トップページ | 2030年までに 人間の認知・非認知能力が変わる(汗)~UniversalityからMetaversalityへ それに対応できる学校がサバイブできる »

創造的才能」カテゴリの記事

21世紀型教育」カテゴリの記事

中学入試」カテゴリの記事

大学入試」カテゴリの記事

創造的対話」カテゴリの記事

PBL」カテゴリの記事

高校入試」カテゴリの記事