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2021年11月30日 (火)

変容生成は、こちらとあちらのチームが自然と協働する仕掛けを創造するということだった。

★自己変容したいけれど、どうしてもドアを開けて向こうの世界に行くことができない。頭を抱え、うなだれ、ドアを開けられない自分にうちひしがれ、ますますそのドアは分厚く重くなっていく。そんな経験をしたことはありませんか。というよりも、多くの人がそういうときがあると思います。

★勤務校でもそういう状況になっている生徒も少なくありません。そんなとき、教師はすぐさま寄り添うし、対話をするし、励ましたり、見守ったりします。そして、それは1人教師が行うのではなく、複数で自然とプロジェクトになって協力します。生徒は、その期待に応えようとしますが、ドアの前でしゃがんでしまいます。そして、そんな自分を責める場合もあります。どうして先生方の愛情に応えられないのかと。

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★すぐさま、教師はフラットで自然な対話ができる教師に入れ替わります。自分たちは心理的安心を創っているはずだとおもっていたのですが、もしかしたら違う。ここは交代しようと。この段階で、交代を決意した教師は、実は自己変容を起こしているのです。がしかし、ここでは、生徒に注視しましょう。

★ここでいうドアは、壁でも構いません。歩みを阻む何かをたとえているだけです。そして、この阻むものは、実はものであれ精神的なものであれ、幻想なんです。エッ、精神的な壁やドアはわかるけれど、ものも幻想なのか。はい。ものそのものは幻想ではないのですが、開かないどうしようという認識は幻想です。技術があったり、ドアがこわれていなければ開くのですから、あかないはずはないのです。ものと認識の微妙なずれが、阻害要因です。

★精神的なドアも、実は同じだということがわかりました。どんなにこちらの世界ではげまされたりしても、勇気をもとうとしても、ドアは開かないのです。ドアが開くときは、自分の力で開けていると思い込んでいます。あるいは仲間が協力してくれたからだと思い込んでいます。

★実は、それはまだ不足した状態だったのです。向こうの世界に大切なものがあるという予測がないと、ドアは開かないのです。

★勤務校で、いろいろなドアの前で頭を抱えてしまう生徒のシーンに出遭います。その一つ一つをクリアしている教師の対話力と行動力に感動する日々ですが、クリアした時、共通している点は、こちらの世界とあちらの世界が互いにつながる、しかも自然とつながる場合、生徒はワープでもするようにドアの向こうに吸い込まれていくのです。ドアはなくなると言ってもよいかもしれません。

★私がこちら側にいる時もあります。先生方と協力してなんとか生徒自身が自らドアを開けられるようにあの手この手を使います。しかし、こちらの世界にいるだけでは生徒の変容はありません。何カ月にも及ぶことがありますし、瞬間に変わる時もあります。それはドアの幻影の強さによって違うのですが、ともあれ、ドアが開くときは、ドアの強度の違いがどうあれ、こちらの世界とあちらの世界がつながったときなのだということは身に染みてわかりました。

★ファシリテーターやカウンセリングマインドやコーチングや対話などは大切ですが、こちらの世界だけで行われている段階では、埒があかないのです。ところが、あちらの世界とつながったとき、状況は一変します。

★ですから、絆や愛情は大事なのですが、それはこちらの世界とあちらの世界の両方で行われることがどうやら重要なのです。

★わたしたちは、大きな目標を未来に投げ、そこに到達するように軽度のドアをいくつも並べ、一つ一つ開いて進みますが、途中で挫折する時があります。それは、大きな目標のあちらの世界を意識していないからです。大きな目標が大きなドアであり、その向こうがあるはずなのに、そこが最終地点だと思っています。この目標の立て方こそ、ドアの前で頭を抱えて進まない閉塞状況という幻影を生み出してしまうのです。

★学び続けるには、あちらの世界の大きな存在を認識することが必要だし、組織マネジメントは、ここが肝だったのかと生徒との対話で気づきました。変容生成には、こちらの世界とあちらの世界の両方のマネジメントが必要であり、これぞメタ・モニタリングだったのです。そして、これがインターサブジェクト(相互主観)が生まれる瞬間だったのです。

★こちらの世界だけではインターサブジェクトは生まれないのです。それは独善的主観というやつだったのです。自分はフラットでオープンだと思っているだけでは、独りよがりのトラップから自由になっていないということだったのです。

★今日は、そのような気づきをもらうシーンがあちこちでありました。グラウンドで、パウロの森で、教室で、廊下で、職員室で、学園長室で、次々とドアの開く音が響いていました。どうりで1万歩以上歩いていたはずです。感謝。

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