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2021年6月 3日 (木)

非属の才能教育(19)オンリーワン的省察~SkillとMethodとReflectionとMindと

★「世界作りの方法」。当面生徒1人ひとりの暗黙知としてあるこの「存在」に気づくにはいかにしたら可能かが私のやっていることです。エッ?!方法と存在が同じなの?と思うかもしれませんね。一般に方法って手段だから、存在とは違うと思うでしょう。存在をつくるための手段というのはわかるけれど、存在=方法だなんて?方法とは多くのスキルを構成するコトとすると、あながちそうでもないことが直観できませんか。

Mind

★構成とは、関数と置き換えていいかもしれません。そうすると構成や関数は何を表しているかというかと存在そのものだということになりませんか?

★自分のかけがえのない価値ある存在は、言葉で表現したり、絵で表現したり、ダンス、ドラマ、デバイス、論文、作品・・・。これらの表現がないと「存在」はどこにあるのでしょう。意識?そうかもしれませんが、意識すら五感を通して感じられたりするわけですから、意識そのものもそのような方法を媒介しないで現われることはないでしょう。

★知識主義の存在、論理主義の存在、クリティカルシンキングの存在、クリエイティブな存在。存在は様々です。それらをすべて包括しようという存在もあります。

★生徒は、多くの教科を学びながら、実は上記の図のような自分なりの方法=存在=精神というものに気づく機会がいっぱいあります。その在り方が知識主義でもよいし、論理主義でもよいし、クリティカルシンキング守護でもよいし、クリエイティブ主義でもよいし、包括主義でもよいのです。

★それは多様です。それぞれの主義の中でもグラデーションはあるから無限ですね。

★今ままでの教育は、たったひとつの方法を大事にしてきました。それゆえ、それ以外の方法、つまり存在は切り捨てられてきたのです。よくことばはツールだと言われます。しかし、本当は存在です。ですから、わかりやすいことばに集約されることは、ある意味、それ以外の存在の否定なのです。

★これが格差の温床の本質ですね。新自由主義的マーケティングとしての日常の言葉のやりとりの中に、SDGsが解決しようという問題がゴロゴロ横たわっているのです。新しい探究という教科が、ともすればSDGsの解決への方向性と真逆の可能性を開くというパラドクスに陥る可能性もあります。私たちは注意をしながら、せっかくの機会を有効活用する必要があります。

★とりあえず、勤務校でときどき講義をやる機会があります。先日は自習のチャンスをもらって、教科書の中にあるスキルをポストイットでべたべた貼って、重みづけのために並べ替えたり。コラムを読んで、キーワードをポストイットに書き込んで分解して、次に自分の意見をポストイットに書き込んで、ベタベタ張り付けたり。そこに世界は現れるんですけれど(汗)。

★この人何をやらせるんだと思いながらも生徒はつきあってくれました。教科書と新聞。これだけでも世界作りの方法は学べるんです。石ころからでも実は膨大な世界が背景にあるわけです。デカルト的省察があるのなら、生徒1人ひとりの省察があるのです。

★そこに気づくけるか?そこに未来を拓くヒントが必ずあるはずです。オンリーワン的省察を見出すためのワークショップ開発。たぶんこれが探究の本意でしょう。

★私が講義をしてオンリーワン省察の気づきを行うことは不可能です。それゆえ、今勤務校の先生方と協力してやていこうと。昨日も数学科の先生方と国語科教諭である教頭とそれぞれの省察をしました。みんなちがってみんないいという驚きが改めてありました。

★やはりオンリーワン的省察は探究への道ですね。

★なおデカルトはこの省察をリフレクションではなく、メディテーションという言葉をあてています。GAFAがマインドフルネスを欲求するはずですね。

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