« 2021年5月 | トップページ | 2021年7月 »

2021年6月

2021年6月30日 (水)

教育のアップデート~2022年に向けて(28)グローバル進路プログラムが拡大。

★湘南白百合学園中学・高等学校のサイトによると、同校はUPAAに加盟したようです。UPAAとは、アメリカおよびイギリスの計18の協定大学が連携する「海外協定大学推薦制度」を有し、優れたオンライン英語教育も実施しています。日本の加盟校も年々増え、知っているだけで、次のような学校がズラリ。

Img_0995_20210630170101

啓明学園
工学院
八雲学園
神奈川大学附属
日本大学(日吉)
足立学園
聖学院
北豊島
麹町学園女子
実践女子学園
湘南白百合
桐朋女子
山脇学園
和洋九段女子

★すでに、各校実績も出しつつあります。

★昨今では、UPAA以外に、ダブル・ディプロマやデュアル・ディプロマ、IB校の増加、ラウンドスクエア加盟校の増加もあり、多様なグローバル進学プログラムが拡大しています。

★その結果、国内の高校の偏差値の高低にかかわらず、東大級(これが何を意味するか本当のところはよくわからないのですが)の海外大学に進学しています。

★国内だけに目を向けると、学歴階層社会の箱の中で、鬱屈するのですが、世界に目を向けるとそれがバカバカしくなります。

★それにしても、本ブログの今月のアクセスランキングでベスト3は、

2021年変わる中学入試(14)海外大学へそして偏差値至上主義の無化へ加速 三田国際のデュアル・ディプロマ参入の意味

文化学園大学杉並の染谷先生 New Power Schoolの価値と作り方を語る

教育のアップデート~2022年に向けて(26)広尾学園の海外大学進学実績の意味 人間の存在の根本問題のシェアリング

★海外大学進学に関する情報に関心が拡大している一つの証かもしれません。

★こうなってくると、海外大学に入るための対策勉強が塾などで行われ元の木阿弥だと思われる方もいるでしょうが、仮にそうだとしても、日本でいう総合型選抜のような学びですから、いやもともとこの新しい試験制度が海外の大学の試験制度を真似しているわけですが、ともあれ、「自分とは何か」「社会貢献のための活動は何を何のためにしているか」「エッセイライティングはロジカルにかつクリエイティブにかつ世界の痛みをシェアしているか」「リベラルアーツ的素養は身についているか」などが要求されますから、動機や入口はなんであれ、日本の一般入試に比べ思考の深さも教養の広さも思いやりも必要です。

|

2021年6月27日 (日)

文化学園大学杉並の染谷先生 New Power Schoolの価値と作り方を語る

★まずは、このYouTubeをご覧いただきたいと思います。<GLICC Weekly EDU 第35回 文化学園大学杉並中高STEAMプロジェクトリーダー染谷昌亮先生との対話「学内ダイバーシティと探究創造活動」>

★若き私学人染谷昌亮先生のNew Power Schoolづくりに対する想いがストレートに伝わってきます。明るく、かけがえのない生徒1人ひとり価値を真摯に大切にする姿勢、そしてスキルフルで、いかに複眼思考の持ち主であるかがわかります。

Photo_20210627060101

★また、文化学園大学杉並のリソースを自身の世界的視野・国際経験に結びつけて新しい学びや学校の在り方を構築している様子に、私学の可能性を感じます。

★文化学園大学杉並の系列の大学は、実は毎年ファッション部門で世界大学ランキング10位以内に入っている程のビッグネームです。アメリカのビジネスマガジン、CEOWORLD magazineが『世界のファッションスクールランキング2021』を発表していますが、世界各国のファッションスクールの中で、文化服装学院が8位にランクインしています。

Ranking

★このリソースが、現在の文杉の破格のグローバル教育DDコースが出発する土台となっています。カナダのブリティッシュコロンビア州が文化学園大学杉並と提携契約をする際に、この世界的なレベルのクリエイティブティの社会実装がすでにあることは重要な決め手になったようです。

ダブルディプロマやデュアルディプロマは、今では多くの学校が世界各国と提携していますが、その先駆けが同校だったことは、New Power Schoolが生まれる諸条件を考える場合、知っておくべき価値があります。おそらく日本の教育史に残るでしょう。すでに文科省は文杉とダブルディプロマの在り方について研究を開始しています。

★同校のDDコースは、今では高校のみならず、中学から始まるほど大きな展開になっていますが、その詳しい話は、ぜひ今回のYouTubeをご視聴ください。

★また、染谷先生は、広報部長補佐であると同時に理科主任であり、STEAMプロジェクトリーダーです。マルチインテリジェンスの才能者です。そして実に寛容な精神の持ち主でもあります。

Someya

★ですから、STEAMのコンセプトも個別最適化のようなICT教育がベースではなくて、「他者とのかかわり」がベースです。つまり寛容の精神です。PBLを実施しているので、当たり前ですが、日本の現状では個別最適化に傾斜しがちですが、染谷先生のコンセプトはそれとは違います。

★この違いは、たんに考え方の違いではありません。染谷先生の海外経験がかかわっているからです。香港や武漢で起きている社会現象や社会的事件は、私たちの記憶に新しいのですが、染谷先生は香港でその中で生きる経験をしています。

★その目の前で起きている世界の矛盾の縮図の中で、染谷先生は世界の矛盾や弱者に接する態度の重要性に気づいています。今世界のリーダーの共通の思いとシンクロしています。

★ダイバーシティーとかプロジェクトというのは、この世界の矛盾や弱者に接する態度に思いを馳せる体験で、そこから根源的な問題に気づき、だからこそそれを解決するには多くのネットワークと協働し、創造的活動を起こしていく必要があるわけですが、染谷先生と生徒が行っているSTEAMプロジェクトは、まさにそこから出発しています。

★すでに世界の舞台で生徒は、多くのプロジェクトを展開しています。その具体的な話については、YouTubeをぜひご覧いただきたいと思います。

★いずれにしても、染谷先生も生徒も、クリエイティブクラスの条件3T(Talent:才能、Technology:技術、Tolerance:寛容)を満たしています。世界の産業構造は、第一次産業、第二次産業、第三次産業の次の第4次産業に変容しているわけですが、その新しい産業を牽引する新しいグローバル市民はクリエイティブクラスと呼ばれています。

★日本では、クリエイティブクラスというのは、まだ産業構造の変容を示す名称ではなく、たんなる創造的な仕事を従来の産業構造の中で行っている人材の名づけぐらいにしか思われていません。

★この世界と日本の意識の差をしっかり認識しながら新しい教育に挑戦している染谷先生は、いずれ直面せざるを得ない日本の国の転換の時に、学校を超えて、そして生徒と共に活躍するでしょう。とにかく、生徒の未来の希望、日本社会の希望、世界の希望がここにあると、確かな手ごたえを感じました。

|

2021年6月23日 (水)

児浦先生との対話 SGTのWorld Making Classとしての活動が始まる 歴史的・地政学的価値の転換(3)新ソフトパワーへ

★児浦先生と対話していて、21世紀型教育の本質はソフトパワーだということに当然なります。そのソフトパワーがオリジナリティーの高いものであり、広く世の中に受け入れられれば価値の転換はようやくできます。少なくとも欲望の資本主義(NHKの言い方を採用しています)の価値観は転換したほうがよいとは誰もが思っているのが、ポストパンデミックで明らかになります。

Photo_20210623034401

★21世紀型教育機構のメンバー校は、共通教育フレームを実現化しています。それはC1英語×PBL×ICTです。グローバル教育(GE)2.0段階のフレームです。今は同機構はGE3.0になっていますから、C1英語はグローバルイマージョンに進化し、PBLはハイブリッドPBLになり、ICTはSTEAMへと進化しています。そしてGE4.0として、そのアップデートし続けるフレームが日本の学校から世界の学校へと進化し、生徒の学びや探究はWorld Makingへと向かっています。

★よく、21世紀型教育は多くの学校で行っていると言われますが、機構のGE2.0段階時代にも到達していない21世紀型教育がまだまだ多いですね。B2英語×一部アクティブラーニング×1人1台PCという段階です。しかしながら、バージョンの違いだけで、たしかに21世紀型教育です。

★New Power Schoolであることに間違いはないでしょう。

★そのような全体集合と部分集合の関係の差異を市場は理解できないとか言われていまsが、国の未来を決めるのは、市場に参加しえいるメンバーです。このような差異を理解できないとしたら、そのメンバーがグローバル市民やクリエイティブクラスに成長していないということを示唆します。

★メディアは、そのことが問題なのだと論じたほうがよいですね。自ら市民をそのようなことはわからないのだからわかるようにわかりやすく説明することが良いのだとしていると、やがては国がダメになっていき、自分たちの経済状況も立ち行かなくなります。

★ですから、21世紀型教育機構は、21世紀型市場もしくはNew Power School市場を創出しようとしてきたし、今後も続けていくわけです。

★ただ、C1英語×PBL×STEAMのフレームは、変容させねばなりません。というのも、英語教育は日本でもどんどん進んでいます。PBLも探究という名で行われていくでしょう。STEAMもGIGA構想で進んでいくでしょう。

★ですから、これだけを追究していくと、比較優位の原則が働いて、ランキング競争になりかねません。偏差値競争にかわるランキング競争は避けなければなりません。

★そうするためにはどうするのか。それにはオリジナリティの高いソフトパワーの構築です。考えてみれば、C1英語のソフトパワーも欧州評議会のものです。PBLもデューイやMITメディアラボなどの欧米の伝統的な学びの1つです。ソフトパワーは欧米のものです。STEAMに至っては、いまやGAFAのソフトパワーを借用しています。哲学もそうです。

★結局はパクりものです。既存の市場では、このパクリものの組み合わせの技で競争すればよいわけです。しかし、その既存の市場とは学歴社会市場ということで、Z世代の未来を考える上では、具合がわるいですね。

★オリジナルと言っても、全く別物というわけではありません。欧米の哲学も根っこにはアジアの思想の影響を受けています。ですから、そういう意味では、世界全体の従来の学びの理論をアップデートするという意味でのオリジナリティです。

★ですから、だれそれの学習理論を振り回している段階では、世界の学校として突出できません。しょせんは日本の学歴社会市場で差別化して目前の利益を得ようとすることで終わります。

★もちろん、目前の利益も大切です。その利益がZ世代の未来に役立つ利益であればよいわけですが、ソフトパワーがアップデートされないと、意欲はあっても成し遂げることはできないのです。

★それでは、その世界全体の従来の学びの理論をアップデートするにはどうしたらよいのか?それには児浦先生の書かれている本や私が三田国際の学園長大橋清貫先生とごいっしょさせて頂いた本にヒントがあります。ただ、詳しく説明していません。ですから融合することで新たな境地が見えてきます。

★それとて、フランク・ロイド・ライトが建築で果たした茶室思想と欧米の建築思想の融合のように、茶室思想と欧米の学習理論の融合というわけです。アインシュタインが磁場の方程式を相対性理論にシフトしたように、私たちもそうしたいと思います。憧れのHTHが、エンジニアリングだけではダメなのだ。ガーディング発想が必要なのだと言ったとき、それはマインドフルネスやZENをGAFAが必要としていると言っているのと同じ意味あいでしょう。

★ガーデニングとは、この場合は日本の大名庭園です。大名庭園の真髄は、その中にある茶室です。庭園が全体集合なのではなく、茶室が全体集合で、そこに庭園が部分集合としてあります。見た目は庭園のほうが大きいので、逆だと思う人がほとんどでしょう。このトリックアート的要素がガーデニングには仕掛けられています。またそれがいいわけですね。ブラックホール的魅惑があります。

★庭園を探索しながら徐々に躙り口に迫り、やがてそこをくぐりぬけると別次元の世界が無限に広がるという話ですが、ここでは、躙り口をくぐりぬけるまで、言葉があまり介在しないのです。庭園の空間がアフォーダンスするわけです。そして、茶室の中で初めて対話的で深い境地が待っています。

★まさにワークショップの元型ですね。今はまた何を言っているのかわからないと思われるかもしれません。現在の世界の環境にやさしい都市創りの発想が、19世紀末に万博で発表された日本庭園にあったという歴史的事実を知っているとその謎が解けてきます。しかし、そんなことを知らなくても、そのうち形として明らかになっていきます。楽しみにしていてください。

|

2021年6月20日 (日)

児浦先生との対話 SGTのWorld Making Classとしての活動が始まる 歴史的・地政学的価値の転換(2)

★児浦先生との対話は、日本の中等教育機関が、地政学上どのような役割を世界に果たしていけるのかという話にまで広がりました。すでに、国際的な高等教育機関のリサーチセンターであるCGHE(The Centre for Global Higher Education)では、今回のパンデミック以前から高等教育機関の地政学的壁とそれをどのようにぶち破っていくか研究が進んでいます。

Cghe

★同センターのリーダーはオックスフォード大学の Simon Marginson教授ですが、同センターのサイトのブログで頻繁に発信してもいて、勉強になります。東北大学や広島大学など日本の大学も当然協力していますが、それほど話題になっていないかもしれません。

★メディアの取り上げ方は、大学にしても高校にしても、名門大学とか名門高校とか、ランキングに沿って一つ一つ語るだけで、1989年以降、グローバル市民社会の共通の知の財産としての高等教育機関や高等学校の在り方をどうしているのかの情報収集をして、分析して発信することはありません。世界ランキングや偏差値ランキングや富裕層向けの学校紹介あるいはスキャンダル情報を中心とした情報がメインですね。

★ですから、本来は日本の大学も自分の大学だけではなくグローバル市民社会における自分たちの役割をリサーチして市民に提供していくことになるでしょう。今のところは、まだまだ国VS大学で学問の自由をどう守るかという話がメインで、ワールドクラスな国際的な大学間の協調の話は、専門家レベルの話にすぎません。

★同じことが中等教育機関にも言えます。もっとも中等教育機関は、専門家レベルでも国際的な協調関係を話し合い市民社会に目を向ける作業は行っていませんね。

★しかし、そもそも、そのよううな動きを現在文科省が行っているわけではありません。現状の学習指導要領体制ではなかなかできないし、改正教育基本法や改正学校教育法などにも、それが盛り込まれていないためになおさら動きにくいと思います。

★そこで、心ある文科省のメンバーが、IBなどの教育を導入しようというのですが、それとても、IBプログラムの消化に追われ、IB機構が国際教育機関として世界の教育をどう考えているか語っている人は少ないですね。かつて大学でIB研究の講座を持っていた時に、学生とそこらへんを議論しましたが、学生レベルでその点に関して調べる資料はすぐには手にはいらない状況でしたから、市民レベルにはそんなグローバルな教育知財が共有される段階ではないのでしょう。

★それにしても、CGHE にしてもIBにしてもそこにかかわるプロフェッサーはオックスブリッジです。AIの震源地もそうでした。私たちは、オックスブリッジの情報をなんとか収集するリサーチ機関をつくらないといけません。専門家レベルではなく、グローバル市民社会のレベルの話です。

★というわけで、CGHEの想定している高等教育機関に関する地政学的視野を中等教育レベルの21世紀型教育機構は転用的リサーチや構想を進めなくてはならないでしょう。現状ではCGHEのように投資をしてもらえる段階ではありませんが、そこもなんとかしていかなければというわけです。

★そういう意味では、地政学的には、日本に世界の中等教育レベルの学校が登場してくる歴史的必然があるので、そこに集中して構想力を発揮していこうというのが同機構の21世紀型教育研究センターです。

★児浦先生と私の構想は、組織的にはCGHEのような動きが親和性があります。幸い21世紀型教育機構の加盟校は海外大学進学実績を着々と出しているので、そのような動きになると一気呵成に加速するでしょう。

|

児浦先生との対話 SGTのWorld Making Classとしての活動が始まる 歴史的・地政学的価値の転換(1)

★昨夜、聖学院の教育と経営の両輪のリーダーシップを発揮している児浦先生(21教育企画部長・国際教育部長・広報部長)とZoom対話をしました。児浦先生は思考力入試の本質と市場経済の位置づけを果たしたクリエイティブクラスでもあります。21世紀型教育機構の21世紀型教育研究センターのリーダーの1人(ほかに工学院の田中歩先生・静岡聖光学院の田代先生・和洋九段女子の新井先生)でもあります。

★私も同機構の加盟校である聖パウロの教師でもあるし、同機構の立ち上げメンバーだったということもあり、今後の21世紀型教育機構の歴史的・地政学的意義や価値は何かについて対話になりました。この価値というのは理念や本質的価値ということもありますが、経済的価値も意味します。

1_20210620043401

★今年の定例総会で、同機構会長の平方先生が、グローバル教育(GE)4.0を宣言し、世界の学校づくりとWorld Makingのステージに突入することを語りました。それをウケて、21世紀型教育研究センターのさらなる展開が始まったということなのでしょう。

★≪私学の系譜≫からいえば、江原素六、渋沢栄一、新島襄、福沢諭吉などの第一世代が形づくった、もう一つの近代の路線をその時代その時代に適合していかにして教育出動するかですが、そこにチャレンジということでしょう。まさに同センターの先生方はチェンジ―メーカーです。

★第二世代である内村鑑三、新渡戸稲造、高橋是清、石川角次郎(聖学院初代校長)らは、戦後教育基本法という戦後民主主義の教育を形成する私学人らに大きな影響を与えました。

★また澤柳清太郎(成城学園の創立者)を中心に大正自由教育という現代にも影響を与える教育も生まれました。

★これらの流れは、今21世紀型教育機構の学びのメインであるPBL教育(PBL授業はその一部)の現代化(デューイの系譜ではある)と一部は合流しているでしょう。しかし、≪私学の系譜≫としての歴史的意義の位置づけを21世紀型教育機構は形成できるのかは、今後にかかっています。

★何も歴史的に有名になろうなんていうゲスなことを考えているわけではありません。内村鑑三は、お金を儲けて社会に還元するもよし、教師となって生徒を導くのもよし、作家として時代のサーチライトになるのもよし、ボランティアをやって社会に貢献するもよし、しかし、誰でもできるが得難い最高の活動は、高邁な精神をもって勇気をもって活動し続けることなのであると語っています。

★私たちは、この内村鑑三の語る方向性をすべて統合して進もうとしています。その結果21世紀型教育機構は≪私学の系譜≫を汲む21世紀私学人=STG(スーパーグローバルティーチャー)を輩出するようになるのです。SGTは、脱炭素社会を欲望資本主義の修正主義でもなく、脱成長主義的発想でもなく、19世紀末から20世紀初頭に出現し、しばらく20世紀欲望の資本主義(NHKの表現を借りています)によって追いやられていましたが、ケインズやモモを描いたミヒャエル・エンデが夢見たもう一つの近代社会のリカバリーを生み出すクリエイティブクラスです。

★世界ではクリエイティブクラスがどんどん生まれていますが、日本ではクリエイティブな人材が豊富ですが、クリエイティブクラスとして前面にでてくるのはなく、組織の一役割を演じる人材として安い賃金で雇われており、自分の使命のためではなく、また格差社会をなくす新しい世界づくりのためにでもなく、組織の利益のために使われています。

★SGTは格差社会をなくし平和やwell-beingを生み出す社会づくりとそれにシンクロする学校づくりをするというWorld Makingを果たすことをミッションとしています。

★すなわちクリエイティブクラスです。自分のミッションと組織や社会、世界のミッションがシンクロするように動きます。

★ですから、児浦先生は、21世紀型教育研究センターをテコに、単純にPBL授業ができる教師のスキルセミナーをやって終わりなのではありません。21世紀型教育センターのミッションは、先生方1人ひとりの使命と学校組織の使命と社会の使命がシンクロするようにイノベーションを起こすことになります。

★そのためには、教育と経済の新しいシステム作りをすることに必然的になります。もちろん、このSGTは生徒中心主義(デューイの系譜)ですから、生徒も同時にクリエイティブクラスになっていくシステムです。

★SGT輩出システムは、米国のETSやイギリスのケンブリッジ出版のようなシステムを換骨奪胎する第5次産業センターに成長するでしょう。10年はかかるでしょうが、21世紀型教育機構も10年でできたわけですから、同機構の次のステージの第5次産業センター構想もあっという間でしょう。もちろん外部団体と協働しなければなりませんが、それはすでに動いています。もちろん国とも齟齬があってはなりませんから、そちらも大丈夫です。

★私自身が年齢的にリアルに存在しているかどうかは神のみぞ知るですが、かつての21世紀型教育機構のリーダーの1人だったかもしれない私です。もしリーダーであるならば、自分に固執するのではなく、今後3世代くらいにわたって使命の松明を継承してもらえるように知恵を使い構想力を広げようと思います。

★これもまた高邁な精神をもって勇気をもって活動し続けることで、内村鑑三の意志を引き継ぐ21世紀型私学人(なぜか私も私学の教師になってしまったわけですから)の歩む道だと思っています。

★今回児浦先生とかなり具体的な10年構想について対話しました。児浦先生と私の経歴は重なるところが多く、二人とも私学の教師になる前から新しい学びを開発する仕事を協働していました。私学の教員としては児浦先生が大先輩です。やっと追いついたので、共に再びというか本格的に第5次産業構想を追究したいと思います。(つづく)

※【補説】すでにクリエイティブクラスは第4次産業を牽引する人材を意味します。産業構造は20世紀社会は第一次産業、第二次産業、第三次産業というカテゴリーに分けられていましたが、都市社会学者のリチャード・フロリダ教授が、第4次産業の出現を提案し、その牽引人材をクリエイティブクラスと称しました。

この発想はダボス会議にも影響を与えて、今年の同会議のメインテーマはグレート・リセットでしたが、このことばもリチャード・フロリダ教授の本のタイトルの影響を受けていると推察します。Z世代の希望である落合陽一さんも、著書「働き方5.0」でクリエイティブクラスを柱に語っています。第4次産業革命もフロリダ教授の影響を免れません。

21世紀型教育機構のSGTは、いったんはクリエイティブクラスですが、この概念は企業人からでているので、教師がこの概念を活用するといきなりWorld Making Classになるのです。第5次産業の誕生への道が開かれます。

|

2021年6月19日 (土)

八雲学園の同窓力と同僚力

★昨夜の<GLICC Weekly EDU 第34回 八雲学園副校長菅原久平先生と、グローバルネットワークを引き寄せる「同窓力」>は、実に華やかでした。菅原先生の教え子5人が集い、華やかな同窓会になり、目頭が熱くなっている菅原先生の姿も拝見することができました。教え子と言っても同時に同僚です。Youtubeをご覧いただければ、一般の学校の同窓会とは違う八雲学園の教育の真髄が持続可能である決定的な理由が「同窓力×同僚力」にあることがよくわかります。

S1_20210619134201

★そして、「同窓力×同僚力」のエネルギーが生まれてくるのは、八雲学園の先生方自身だということもわかります。詳しくはご覧いただいた方がよいので、多くは語りませんが、ロールモデルエフェクト(ボッサム先生からこのキーワードを教えてもらいました)が絶大だということです。

★在校生時代、先生方がとにかく生徒を楽しませようと気遣ってくれるし、何か困ったら24時間体制(チュータ制)ケアする態度があるし、世界に通じる一流の体験を作ってくれるし、感動の毎日を演出してくれるし、多くの行事を共につくりながらも見守ってくれるしと、中高時代に八雲の教師になりたいという火がついたわけです。

★八雲学園の近藤校長先生が、先生方と約束していることは、決して在校生の時から戻ってくるように誘導したり囲い込んだりしてはいけない。人生は生徒自身が意思決定することなのだからと。もちろん、自分の意志で戻ってきたいとなったら、それはウェルカムだと。

★こうして同窓力と同僚力が相まって、毎日が熱い同窓会で、八雲の精神の火が燃え続けているのです。八雲学園のその精神は、教師と生徒の絆にあるのですが、それはきちんとシステムになっています。行事やチュータ制もたくさんある中の際立ったシステムですが、今回兄弟学年制という制度があったのだという新しい気づきがありました。詳しくはYoutubeを是非ご覧ください。

★八雲学園の精神が伝統と革新のDNAを生み出すには、心意気や気概と同時に文化遺伝子システムが確立されているということがよくわかる対話となりました。学校をつくるというのは、機械的システムではなく、精神と文化遺伝子システムの日々の対話だということが改めて勉強になりました。私も勤務校で、もう一度その視点で振り返ってみようと思いました。菅原先生と菅原学年の先生方、本物教育の真髄のお話、本当にありがとうございました。

|

【響】<02>因果関係論の呪縛から解放されたし 鬱屈やストレスから逃れるために

★I think~becouse~。この構文は別に因果関係のお話ではありません。われ思うなぜならこうだからというのは、構文上結びつけているわけで、その根拠は常に反証可能性に開かれていて、説得力があるかどうかは確率論の問題です。因果関係ではありません。そもそも因果関係も構文上の問題で、社会現象や自然現象に因果関係何ていう法則はないでしょう。

Img_1072

★もちろん、自然法則はありますが、それはすべて確からしさの世界です。

★にもかかわらず、道徳の世界では、こうなんだからこうせねばならないという疑似因果関係論が支配しています。それも確率に過ぎないわけですが、それを考慮しないから「~ねばならない」というわけですよね。

★この疑似因果関係論が不登校という行動を生み出します。暴発という行動を生み出します。疑似因果関係論は、あらゆる反証可能性を拒否し、あたかも正当だと思わせる疑似科学的な構文で、一通りの方向づけをします。

★当然意見表明権があるのですが、簡単に言うと原則論です。法則だから、決まりだからと意見表明を拒否します。

★日本の教育がこの疑似因果関係論の呪いにかかっているわけです。

★これでは生徒の心が危ないのです。疑似因果関係論感染症という同調圧力から心を救いたいのです。どうやって?対話という1人ひとりにとっての生き方を疑似因果関係から解放することになるかもしれない確率の精度を上げる持続可能によってしかないのかもしれません。

★ともすれば、閉ざされた対話になりがちですから、開かれた対話をどうしたらよいのかは教師同士がこれまた対話をするということでしょう。

★授業でPBLが必要なのはそういうことです。一方通行的講義は、疑似因果関係論感染を広げてしまう可能性が高いということでしょう。ともあれ、開かれた対話のPBLを。

|

【響】<01>問いづくり 過ぎたるは及ばざるがごとし

★新学習指導要領の目玉の1つ「総合的な探究の時間」(以降「探究」)。世の中は「探究」=問いづくりというショートした強迫観念を製造しているのではないかと思われるコンサルビジネスの宣伝や出版物があふれています。

Img_1068

★たしかに問いは大切です。しかし、問い作りのための学びになって、問いを作らなければならない、問いが生まれるまで我慢しなさい、でも時間はこの50分の中でねとなると、何か違います。

★決められた時間の中で、朝から晩まで自問自答しながら学び、さらに大きな問いを作りなさいと問いの生産工場化してしまったらどうでしょう。そこに主体性は生まれないし自由は疎外されていきます。結局時間泥棒の思うツボですね。

★問いは世界を受け入れ、どうしようもない壁にぶつかった時、それが問いになります。日常生活であれ極限状況であれ、そこに世界が開かれたとき、同時に問いは生まれてきます。因果関係ではないのです。同時なのです。そして、ようやくその問いを解決しようというやむにやまれぬ意志が生まれてきたとき世界作りが始動します。

★私たちが好奇心を大事にし、興味と関心を大切にし、オープンマインドを重視するのは、問いをつくることが先に来るのではなく、まず受け入れるということが優先するからです。経験が大事だということはそういうことです。

★問いは自然の中に浸り受け入れるからこそピカッと閃くわけです。

★人間関係をエゴの視点で見るのではなく、オープンマインドで見るから痛みが了解できます。すると物事がなかなかうまくいかないという疑問が湧いてきます。

★私は私であることを受け入れるから、私を私でないものに駆り立てていたものに気づきます。どうやってそれを解除するか問いが生まれます。

★写真やデータから問いが生まれるのは、写真やデータの背景にある現実を引き受けるからこそです。イマジネーションはリアルを超えた場でリアルを受け入れる経験です。ほとんどの学問はこの経験から出発するわけです。部分から全体をイメージする経験から始まるのです。

★武道や茶道などの「道」を歩むとき、明鏡止水の境地は大切です。だからマインドフルネスやスピリチュアリティは大事です。問いを作ることを目的とする生産行動は、自らの本質への道を閉ざします。ストレスがたまる一方です。

★それゆえ、問い作りと世界作りは違うのです。世界は限られた時間ではできないのです。できたと思ってもそれは世界の部分集合です。世界は1人の力ではできません。また同時代人でもできません。この諦めを受け継ぐ形に反転していく勇気が世界作りです。

★ですから、自分が生きているうちにはどうしようもない壁にぶつかるのです。にもかかわらずなんとかしようという想いが次代に世界作りの松明を渡すことになるのです。

★この松明を渡すことに関心(=愛)がないと、次世代に渡すものはツケになります。ですから松明を燃やす断固たる覚悟が必要です。

★「探究」はその覚悟をもつことの重要性に気づく大事な機会かもしれません。

★問い作りの強迫観念。問いを生み出すためのスキルだとシフトできる生徒と問いというのは本質にいきなり向かうものだと思い込む生徒がいます。その生徒は長大な時間を過ごすことができれば問題はありませんが、限られた時間だと危険です。前者は強迫観念から解放されます。しかし、後者はこの時間内に本質的な問いを作らねばならないという囚われの身になり鬱屈し、不安になり、固まります。本人が本質的な問いに向かっているという意識がないので、解放されないままになるのです。

★総合型選抜は、後者になりがちです。しかし、そのような問いは大学に入ってからさらに研究し続けながら引き継がれていくものです。問いが生まれてくる構えができているかどうかが本来大事なのに、そこを認識できないままだと、一般入試以上に劇薬になります。

★すでにその被害にあっている生徒がたくさんいます。現場の教師は、その匙加減をケアしながら探究に臨まなくてはならない時代です。いい加減ではなく良い加減がということでしょう。知識暗記の強迫観念だけではなく深い学びの強迫観念が学校に通うことを拒む結果になるかもしれません。

★ダブルバインドどころマルチバインドを生み出す危険性があります。良薬口に苦しを通り越しては元も子もありません。過ぎたる及ばざるがごとし。及ばざるは過ぎたるよりまされりでいきたいものです。

|

2021年6月16日 (水)

教育のアップデート~2022年に向けて(27)21世紀型教育研究センター グローバル4.0/World Makingに向かって動き出す

★先日、21世紀型教育機構理事・事務局長である鈴木裕之さん(GLICC代表)とfacetimeミーティングをしていたとき、同機構の21世紀型教育研究センターのリーダーが集まってZoomミーティングを開いたという話題になりました。

Photo_20210616045301

(それぞれの自分が省察的関係的自己=RRS/Reflective relational selfとして活動し合う時世界はwell-beingを創造する)

★聖学院の児浦先生、工学院の田中歩先生、和洋九段女子の新井先生、静岡聖光学院の田代先生、文杉の染谷先生などの目の輝きを思い浮かべながら、またまた21世紀型教育機構のバージョンアップをするステージに進んでいるなあと感じました。

★それぞれのメンバー校がバージョンアップをし、その情報交換のみならず協働ワークショップを開くことで、機構のバージョンアップのスピリチュアリティが燃えあがり、その火が再び各メンバー校にリレーされていくという循環ループが、メンバー校と機構のエネルギーを生み出してきました。

★その主役がこの教育研究センターのリーダーの先生方でした。その絆は今も続き、今年はさらなるステージに飛躍するということです。

★世の中は国内外すべてを含んだ海外大学進路指導がようやく当たり前になってきましたが、2011年以降それを牽引してきたのは、彼らです。IBのようなプログラムを自前でできないかという戦略的目標のもと、C1英語やPBLやSTEAM、そして哲学を駆使した各メンバー校独自のプログラムを創りながら情報共有するワークショップを行いながら進みました。

★もはやIBなくても世界につながる実績をだし、グローバル3.0には到達しました。いよいよ海外の留学生を受け入れる段階、その多様性がまたまたイノベーションを生み出し、世界そのものを創る生徒を輩出しようというのです。

★海外では、18歳ですでに未来の大統領になる人材づくりが始まっています。そもそも18歳で大統領を選べるのですから当然の動きです。日本も2022年、つまり来年の4月から18歳成人です。高校時代に世界を創るスキルとマインドとアクションが必要になるでしょう。

★現場と世界をつなぐ教師の集団が21世紀型教育研究センターに集結しているなあと感じ入りました。

★私の方は、そのセンターの先生方と他校の先生方や大学の先生方と、「それぞれの自分が省察的関係的自己=RRS/Reflective relational selfとして活動し合う時世界はwell-beingを創造する」というデカルトーヘーゲルーフッサールーデューイなどに学び乗り越えるワークショップを模索しています。

★いわば、超越的世界作り=TWM:Transcendental World Makingです。超越というのは、本質が背景にあることを意識し汲み取るワークショップを行うビジョンと言うことです。

★またまたわけのわからないことを言っていると思われるでしょう。しかし、すでに現場で気づかないうちに行われています。PBLに覚悟を決めてやっている教師はどこの学校においても孤軍奮闘このTWMの法(mood)を広げているのです。

★私も勤務校の数学の先生方と少しずつ動き始めています。

★年内に教育研究センターの先生とそして同じ想いで実践している先生と活動していきたいと思っています。

|

2021年6月13日 (日)

教育のアップデート~2022年に向けて(26)広尾学園の海外大学進学実績の意味 人間の存在の根本問題のシェアリング

★先日、一般財団法人東京私立中学高等学校協会の総会に出席した折、広尾学園の理事長池田富一先生にお会いしました。私が聖パウロ学園の校長に就任したことをわがことのように喜んでくれましたが、全く別の教育を行っていることを受け入れ、エールも送っていただきました。池田先生は、ある意味、中学受験の地図を変える新しい教育を行い、大学合格実績も目覚ましい躍進をして新しい進学校を築き上げています。そんな静かな情熱と内に秘めた自信が穏やかな表情に反映していました。

Photo_20210613195501

★従来の中学受験の選択の理由は、東大を頂点とする進学実績でしたが、広尾学園は、日本にこだわらず、世界をキャリアの舞台としてみなしています。東洋経済ONLINE2021年5月9日の記事によると、こうあります。

新型コロナウイルスの影響で海外渡航に制限がかかり、多くの生徒たちの海外留学の機会は奪われた。そんな状況下でありながら、留学ではなく、日本から海外の大学への進学率は増加傾向にある。多くの学校では、毎年6月頃に、英国や米国などの海外の大学への合格実績が公表される。早くも、私立中高一貫校の中で最も多くの海外大学合格者数を輩出する広尾学園高等学校の数値が発表された。20年度、広尾学園高等学校では、昨年度の79名から大きく3桁に数字を上げ212名が海外大学に合格している。(2021年5月7日時点) 

★212名の海外大学合格というのは、圧巻です。開成は毎年東大に150人前後合格者を輩出するのですが、それをも超える意味があるかもしれません。

★東大は今、男女の入学者数の割合で、ダイバーシティの問題を解決する糸口を見出そうとしている段階です。それはダイバーシティの1つの在り方であり、とても大切なことではありますが、世界におけるダイバーシティの問題は、それこそ多様なのです。

★その点、広尾学園は世界に開かれたダイバーシティを追究していると言えるでしょう。

★ダイバーシティの意味はダイレクトに光の領域にあるわけではありません。ダイバーシティとイノベーションは、実はダイレクトに結びつくわけではないのです。

★中学受験の学校の広報活動において、ダイバーシティは大事にしていると言われています。しかし、その表現は光の部分だけです。できるだけネガティブなことは広報活動では表現しないのが暗黙の了解です。

★しかし、本当は、ダイバーシティは世界の痛みを受け入れることなのです。それゆえに、それを解決しようとイノベーションがうまれてくるわけです。

★広尾学園は、ここに対する覚悟があるのです。池田理事長と対話した時、教育の内容は全く違うのですが、その点においてしっかりと共有することができました。世界の痛みを受け入れるがゆえに、海外大学の進学者が増えるという本物のシステムができあがっているのです。

★海外大学は、このテーマを括弧に入れて自分とは何かを表現する学生には興味がないからです。

★日本の大学の一般試験は、ここの問題意識を前面には出さないで受験が成り立ちます。それゆえ、国としてはまずいのです。それゆえ、総合型選抜という、世界の痛みを受容しながら一方でイノベーションへの気概を持った学生を募集しようという流れがでてきています。

★大学受験勉強という何か表面的で利益主義的な勉強とみなされがちなのは、世界の痛みという人間の存在問題にマスクをかけて勉強が成り立ってきたからです。

★これに対する省察が文科省の中で、あるいは経産省の中でも生まれているわけであります。それゆえ、総合型選抜というわけですが、その人間存在の根本問題に触れずに一般入試で合格させようという根強い流れは、未来から見たら、悪法も法という時代だったということになりましょう。

|

2021年6月12日 (土)

教育のアップデート~2022年に向けて(25)聖ドミニコ学園の理事長山崎先生との祈りの対話 2021年は近代的自我の変容のときだった

★昨夜は、聖ドミコ学園の創立記念日。ドミニコに思いを馳せている同学園の理事長山崎先生と対話することができました。対話の場は、GLICC Weekly EDU 第33回 聖ドミニコ学園理事長山崎昭彦先生との対話―「カトリックの普遍的革新的精神とは」で行われました。そして、山崎理事長は、まるで神父様のように祈りの対話を繰り広げていきました。

Dominico

★カトリック学校は多様ですが、根っこはいっしょです。山崎先生のお話に耳を傾ければ、そのことがわかりますが、実は、ヨーロッパにおいて、カトリックの精神の基盤を形成したのは、歴史的にはドミニコ会でした。もちろん、フランシスコ会やのちのイエズス会も当然関係していますが、精神の構造を決定づけたのはドミニコ会でした。

★なぜなら、近代的自我の枠組をつくったからです。

★もちろん、ドミニコ会の自我の在り方は、近代的自我とは違います。何が違うかと言うと、自己存在の根拠が違うのです。ドミニコにとって自己存在は神によって支えられているわけです。しかし、近代的自我は神は死んだと言って、捨て去ります。

★ここにパラドクスが生まれます。ドミニコは神を受け入れることによって、物質的な所有は捨ててしまいます。近代的自我は神を捨てることによって欲望の所有を手に入れます。

★そして、その幾何級数的に増える所有が、自然環境や人間関係、自己存在の精神性を破壊しながら今に到っています。

★自我の構造を創りながら、支えているものをすり替えていくことによって、欲望の資本主義が増大してきたわけですが、今回のパンデミックで、政治力学的にはいろいろな思惑がありますが、この無限の欲望をなんとかしようという動きも生まれてきました。

★それが、このドミニコ没後800年を迎えた今年2021年なのです。

★新学習指導要領で、「主体的・対話的で深い学び」というメインストリームがちょうど生まれました。まるで、ドミニコの精神が明確に現れたようです。なぜならドミニコと言えば「対話」なのです。

★近代的自我の原点は表現の自由です。つまり対話の自由です。しかし、近代的自我の対話は、祈りの対話ではありません。もっと科学主義的対話です。

★ドミニコ没後800年という2021年に、科学主義的対話を否定するのではなく、祈りの対話も復活しようという動きになっているということが山崎先生と分かち合うことができました。多くの気づきを頂きました。ありがとうございました。詳しくはぜひYoutubeをご覧いただきたいと思いますよ。

 

|

2021年6月11日 (金)

成城学園(03)青柳先生の授業の挑戦 思考コード×対話型論証×ピア

<GLICC Weekly EDU 第32回 青柳圭子先生との対話―成城学園「革新的伝統と革新的未来」>で、青柳先生と対話した際、授業の話題が当然出たわけですが、思考コードと対話型論証、そしてピアによる議論を組み合わせた新しい「主体的・対話的で深い学び」を展開されているということでした。画期的授業です。

Photo_20210611165201

★たいていの場合、国語の授業では、各単元終了後、ファクトとオピニオンをそれぞれ考えて小論文を作成するという授業が多いわけです。多いと言ってもアクティブラーニングやPBLでない場合は、最後の小論文を作成するところまではいかないでしょう。

★ですから、「たいていのアクティブラーニングやPBLのような授業では」と条件をはっきりさせたほうがよいかもしれません。

★さて、どこが画期的かと言うと、このような小論文は、まだ思考コードでいえば、B2くらいですが、青柳先生はそれをC3に変換するためにトゥルーミンモデルによる「対話型論証」を活用します。

★ファクトとオピニオンで論じている中にある根拠を反証する議論をするわけです。もちろん、個人ワークでもそこまで一人で行うことはできますが、それでは、素朴な反証しか出てこない場合が多く、予定調和的です。

Photo_20210611170001

(青柳先生との対話で本間が独断と偏見でイメージした図)

★そこで、青柳先生は、反証者(あ)、(い)、(う)・・・というように多様なピアで議論していこうというのです。

★自分の枠を仲間と協働して開放するわけですから、B2レベルからC3レベルに飛ぶ可能性が大です。

★もともと、成城学園は、最初からピアという関係性から学ぶシステムになっているようです。

★したがって、この思考コード×対話型論証×ピアという3つを一体化させる学びを展開するのは自然な流れなのかもしれません。

★とにかく、青柳先生は熱心にリサーチされます。そして、多くの先人の知恵を受容し、独自の授業として構成していくわけです。

★一度小学校から大学までの成城学園の先生方と対話をしたことがありますが、みな青柳先生と同じように、研究熱心で、共通の基準を探りながら、独自性を発揮していく進取の気性に富んだ才能の持ち主でした。

★教師どうしの在り方がすでにピアとしての存在です。

★成城学園のこのような教育は、自主自立を立ち上げられる個人が成長する場でありますが、その個人は<ピアとしての自己存在>だと思います。そしてその<ピアとしての自己存在>である生徒同士が対話型論証を協働していくのですから、学びのシナジー効果が溢れでるのは必然です。成城学園の雰囲気が魅力的なのは、その背景にこのような学びで満ちているからでしょう。

|

教育のアップデート~2022年に向けて(24)教育も地政学の時代 2022年から海外の名門校やIB校続々か?

★英国の名門ハロウ校のインターナショナルスクール部門は、2022年8月に日本に開校するということです。岩手県安比高原スキー場に隣接した11万㎡の敷地に中高生向けの全寮制のキャンパスを開校するようです。また、2022年春、西本願寺前に、新たにAIC World College 京都校が開校の予定。まずは初等部からのようです。すでに、オークランドのこの学校は広島で実績をもっていますが、いよいよ世界で最も住みたい都市京都に進出です。

517v4sgovwl

★また、工学院大学附属や静岡聖光学院は、イギリスのAレベルのシステムを導入し、ケンブリッジインターナショナルスクールとして教育を拡大しています。

★世界のエスタブリッシュな学校は、教育と経済は循環しています。その意味では、中国や東南アジア、インドの経済に接続したいわけですが、今回のパンデミックや中国の政治力学の影響で、学校を出すにはあまりに不安定であると判断したのでしょう。

★もともと教育に対する意識の高い日本で、かつ相対的に治安などが安定している日本に学校を出すことは、東南アジアやインド、中国の富裕層の子弟を呼び込めます。

★21世紀型教育機構のメンバー校のように、世界の学校に進化している学校もあり、そのような学校に通う保護者の3%は、十分にインターナショナルスクールに通わせる学費を払えるでしょう。御三家などの学校も同様の事情でしょう。

★そうすると1000人くらいは、ハロー校等の名門パブリックスクールを選択する価値意識を持っていると予想しているのではないでしょうか。それに日本の生徒というより海外の生徒をターゲットにしているというのが本音でしょう。

★日本でも海外大学進学指導が注目されているからこそ、市場の動向を素早く読む地政学的な分析をしている世界の学校は動き始めたのでしょう。

|

2021年6月10日 (木)

GLICC Weekly EDU(39) 聖ドミコ学園 山崎理事長とカトリック学校の普遍的革新について対話します。

★明日金曜日、GLICC Weekly EDUで、聖ドミニコ学園の理事長・学園長の山崎先生と対話します。聖ドミコ学園は、800年前に創設されたドミニコ修道会の系列です。聖ドミニコと言えば、トマス・アクイナスとともに、欧米の対話のシステムの基礎を築いたことで超有名です。

Yamazakiceo

★また、当時のローマカトリックは、まだ世俗的な王侯貴族やメディチ家のような大商人から教皇が選ばれた時代です。ドミニコがカトリックの改革に旗をあげたのはそういう時代だったからです。実はこのときすでに欲望資本主義の萌芽があったわけです。

★しかし、彼の革命手法は火を噴くような情熱的な対話によるものでした。この対話こそカトリック学校が大切にしている普遍的革新性です。

★新学習指導要領で「主体的・対話的で深い学び」というのがメインストリームですが、800年前にすでにヨーロッパでは広く行き渡っる道を歩んでいたわけです。欲望の資本主義と対話の相克が近代の歴史を動かすことになったのかもしれません。

★もちろん、ギリシア時代にその対話の系譜は遡ることができるのですが、中世の対話と古代ギリシアの対話とではある一つの大きな違いがあります。

★近代以降その違いがしばらく背景においやられましたが、パンデミックの時代において、その対話の根源性が注目されています。

★今カトリック学校はどこでも、それを見出そうとしています。

★元祖対話派の聖ドミニコの系譜の学園の理事長とその辺りを対話してみたいと思います。

|

2021年6月 9日 (水)

非属の才能教育(21)ベネッセ「ファインシステム」×首都圏模試「思考コード」は<ピアとしての自己存在>形成のデータを掘り当てることができるかも

★勤務校で、昨日体育祭がありました。午前中はさわやかな快晴、しかし午後はこのままいくと熱中症とか心配だなあと思っていると薄っすらと雲が広がり、小雨がパラ。グラウンドに涼風が吹きました。さすがパウロの森です。これまでの雨天で地面が湿っていますから、太陽光で蒸発し山が故に過冷却の雲がたちまち広がったのでしょう。

Img_1081

★雨天決行ではなく、直後に延期すると自然が複雑適合系のシステムでそっと助けてくれるわけですね。

★とはいえ、イベントは、バックヤードが大変です。始める前の準備、終わった後の準備。疲れはしますが、教師と生徒の絆は深まるばかりです。集中と開放も必要です。それゆえ、明日は休みです。とはいえ、創立記念日と入れ替えただけで、年間のカリキュラム進行に支障はありません。

★さて、私はというと、これまで、いくつかのクラス(全日とエンカレッジ)で「世界の作り方」ベースのワークショップをやっているのと前回と今回のイベントで生徒たちの活躍をみていて、少し個々の生徒のリアルなデータがインプットされたので、忘れないうちに整理しようと思い、ベネッセのファインシステムを開いて、夏までの生徒の5側面の学びの方略をモニタリングしてみました。

★5側面とは、フィジカル、ソーシャル、メンタル、コグニティブ、スピリチュアリティです。リアルなイベントにおける生徒の反応で、この5つの側面(<ピアとしての自己存在>形成の側面でもあります)は感じます。ワークショップではワークシートを活用したりしますから、感じると同時に分析もできます。

★そしてスタサポのような外部テストで、戦略的な構成を見通すことができます。

★もっとも、外部テストも生徒自身の問いに対する反応率ですから、客観的ではなく、あくまで外部との相互主観として独りよがりにならないためにという条件が大切ですね。

★スタサポは、学力テストだけでなく、生徒1人ひとりの学習状況というか学習方略度みたいなものも見ることができるアンケートをとっています。

★このアンケートで、フィジカル、メンタル、スピリチュアリティがある程度見えます。学力に関しては、テストの評価分析が参考になります。ソーシャルに関しては、イベントやワークショップで直観できます。

★こうして、授業をもっていない私の中で、生徒1人ひとりの5側面の輪郭が見えてくるわけです。

★そして、勤務校では、毎週1時間、学年会、生活指導部会、教務部会、広報部会、グローバル部会で、全体と個人の情報共有がされます。それとこちらは毎日なのですが、保健室の利用状況と毎日の出席状況のモニタリングが行われます。それらが週に1度の校務会議(各部長と事務長、校長・教頭で構成する会議)でさらに共有され戦術の確認及び軌道修正をしていきます。これ以外に委員会と称しているプロジェクトが随時動いています。プロジェクトは学習方略とICTシステム構築が中心です。また、面談も随時展開しています。以上すべての情報が、週に一度の運営会議という理事長と事務長、校長・教頭で構成する会議に集約され戦略の確認と軌道修正をしています。

★私が参加するのは、校務会議と運営会議といくつかのプロジェクトですが、すべて議事録があがってくるので、朝はこれらの創造的読解です。一部はグラフ化して、全体の雰囲気がどうなっているかをモニタリングできるようにしたりしています。

★ときどき授業もリサーチします。こうしてリアルな生徒情報を集め、フィンシステムをさらに重ねてモニタリングしていくことで、いまここでと一歩先と少し遠くまでどうするか無い知恵を絞るわけですが、たいていは、今ちょっと時間大丈夫?といって、先生方に聞きまくりです。

★さてファインシステムですが、具体的にここでは紹介できません(著作権の問題があるので、とはいえ、多くの学校で活用されているので、予想はつくと思います)が、生徒の気持ちがわかります。もちろんズレはあるのは当たり前です。ですから、朝スクールバスから降りてくるときの挨拶の仕方や目の光や授業の様子でマッチングをかけるわけです。それから、遅刻などしてくると生徒はいったん自分で職員室に報告に来ますから、その理由などで様子がストレートにわかります。

★どんな状況がわかるかというと、項目をそのまま紹介できないので、自分なりにキーワードで置換えると、意欲的、不安定な自分軸、受動的、創発的などの気持ちがわかるのです。それから、平日と休日の自宅での勉強時間がわかります。時間の長さよりもその差異が意味するものを創造的読解をすることがポイントです。

★また、コンディションは就寝時間などで推察できます。

★さらに、学習方略の3タイプの特徴がわかります。この3タイプの概念は、首都圏模試センターの思考コードのA、B、Cに対応するかもしれませんし、学力の3要素とも重なるかもしれません。ベネッセさん自体は、ここはまだそれほど強調はしていませんが。おそらくカギになるのではと思っています。

★このような情報と学力データをマッチングさせ、さらに勤務校で先生方が対話して共有している情報を重ねると、1人ひとりの5側面のサポートをどうするかが見えてきます。私の役目は、このように細部を全体に結びつけるメタモニタリングですから、ファインシステムは助かります。

★今のところ、ファインシステムから必要な情報を取り出し、組み合わせてA3用紙1枚(各クラス)で見られるように、スプレッドシートを編集したり、グラフ化するのにかなりの時間がかかってしまいます。調べたり電話してベネッセさんのスタッフの方に教えてもらったりしているとあっという間です。

★ですから、これを先生方にしてもらうには時間がありません。したがって、私の方で作成して、学年主任兼進路指導部長兼教頭と共有して、どのように仕掛けていくか対話をします。教頭とは思考コードを共有しているので、話が圧縮でき、時間効率のよいかつ深い対話ができます。

★その過程で、PBL授業の新しいルールや創立記念日のパフォーマンスを神父主導から生徒主導に切り替えようとか、探究ゼミの在り方をブラッシュアップしようとか、夏期講習の構成と中身をアップデートしようとか、これまでの枠内でのバージョンアップをしていきます。

★今年は枠組みを変えないから大丈夫と言いながら、枠内のアップデートはしていくわけですから、忙しくなるわけです。ここだけでの話ですが。。。とにも頭が下がります。生徒の状況をパターン化しつつ複雑適合化による個別最適化をしてパターンを崩すというわけですから。

★数学科は、基本データサイエンティスト集団なので、そこは彼らに聴きまくりです。いずれにしても、ファインシステムはメタモニタリングデータの宝庫ですね。そして、それを活用する視点は首都圏模試の「思考コード」が役に立ちます。

|

2021年6月 8日 (火)

教育のアップデート~2022年に向けて(23)体育祭でも創造的思考やICTの普段使い進む

★勤務校で今日体育祭が行われます。この体育祭では、スポーツがメインですが、応援団のダンスやクラス旗など創造的思考を発揮する領域も多いですね。また、複雑な舞台設定をマネジメントするのに、教師はみなよくICTを使っています。投票やアンケートなどではグーグルフォームをお手軽に活用しています。

Img_1078

★広報部は、タブレット5台と多くのカメラを使って、コロナ禍で保護者が見ることができないため、中継を配信しています。もちろん生徒もカメラ部隊が活躍します。

★パウロの森で、アルティメットが爽やかな風をきる体育祭。その背景には創造的思考とICTを活用した分析や発信ややはり編集というアートが繰り広げられます。

★まさにSTEAMが日常化しています。

|

2021年6月 6日 (日)

【速報】児浦先生第2弾「オンラインの場づくり」アイデア帳」出版!私はピアとしての自己存在である。

★今や八王子の住人になっている私ですが、ひさしぶりに自宅に帰ってきて机の上を見ると、聖学院の児浦先生の執筆が掲載されている「オンラインの場づくりアイデア帳」の新刊本と「大学時報05」の2冊が光を放っていました。児浦先生が贈ってくださったのです。ありがとうございます!どちらも児浦先生の傑作論考が載っています。

Img_1052

 「そのまま使える オンラインの“場づくり"アイデア帳 会社でも学校でもアレンジ自在な30パターン 2021/6/7」ワークショップ探検部 (著), 松場 俊夫 (著), 広江 朋紀 (著), 東 嗣了 (著), 児浦 良裕 (著)

★今回のアイデア帳は、ご承知の通り、第2弾です。1冊目は、リアルスペースでのワークショップのパターン集で、2冊目は、パンデミックの最中多くの人がテレワークやオンライン授業で苦心しているメンタルケアと絆ケアに焦点をあてたオンラインワークショップのパターン30が掲載されています。

Photo_20210606061101

★本書を読んで、目からウロコなのは、よくオンラインより対面だといわれる常識は、間違っているなあということです。問題設定が違うのだなあと。リアルでもメンタルケアは必要です。絆をつくるのは必要です。でも、対面だからといって、うまくいっていますか?もしうまくいっていたら、こんなハッピーなことはないのですが、必ずしもそんなことがないことは火を見るより明らかです。

★ですから、オンラインスペースでもいかにしたらメンタルケアができ、絆をつくることができるのかという挑戦が大事だということです。特にZ世代はデジタルネイティブで、リアルとオンラインの両スペースを往復して生きているわけです。

★両スペースでのメンタルケアや絆づくりのケアの方法を考えなくてはなりません。それぞれ違ってよいのです。

★そう、それぞれ違ってよいのです。このことは凄いことですね。だって、リアルスペースで解決できなかったことが、オンラインスペースで解決することができるかもしれないということだからです。また、逆もありますね。オンラインで解決できないことをリアルスペースでの対面で解決できるということなのです。

★ある意味、21世紀になって複眼思考が必要だと言われて久しいのですが、その社会実装がリアルスペースとオンラインスペースでの活動ということかもしれません。

★児浦先生を始め仲間の方々が執筆している両著は、もう一つ重要な歴史的意義を投げかけています。それは19世紀末から20世紀初頭に盛り上がったのですが、二つの世界大戦で社会の深層に追いやられていた本質的な人間観の復興です。その後の戦争やテロ、そして今回のパンデミックで、ようやく世の中にはっきりと浮かび上がってきた人間観です。

★それは個人とは内面において多様態だということです。リアルスぺースでは、私たちは、1人ひとり違います。外形は全く違いますね。しかし、内面においては、私たち自身、他者との交わりによって自分というモノではなく自分というコトが生成されているということに気づかなくてはならないのです。それを19世紀末から20世紀初頭にフッサールが発見したのです。もちろん、それはデカルトの省察の再構築ですから、近代的自我は、生まれるや省察されて物理的な個性ではないことは気づかれていたのです。

★しかし、それは世界大戦を予感する前夜に、平和を求める思想家や芸術家が明快に気づいたのです。しかし、オンラインはなかったのですね。フッサールの言う、インターサブジェクト(相互主観)や数学者の発見する論理階型やすべては関数的概念なんだとか、要するに要素還元主義に対する構成主義的な発想です。当時のペスタロッチやデューイもその流れですね。

★グローバル時代になって、多様性という意味が際立ちました。テレワーク時代になって、その多様性は内面においてもそうなのだということが身に染みて世界中の人が了解したのだと思います。私はピアとしての自己存在であるということが。

★両著は、この<ピアとしての自己存在>を創る場がワークショップという場であり、リアルとサイバーの両スーペースの往復で豊かに生まれてくることを予感させます。

★そして、その実践を中学入試で行ってしまっていることを、児浦先生が大学時報で詳細に論じています。

★ハンナ・アレントが両著を見たら、活動と仕事と労働の概念がワークショップによって変わる。第二次世界大戦で観た人間のリアリティの本質をワークショップが変えると言ったに違いないのではないでしょうか。

★そう、彼女のアウグスティヌスの愛の概念の体現がワークショップだったのだと。

|

2021年6月 5日 (土)

成城学園(02)近代的自我から出発しない第三の≪私学の系譜≫

青柳圭子先生と対話していて、成城学園の自学自習や自治自律、個性尊重ででてくる自己は、近代的自我ではないなあと気づきました。明治期の≪官学の系譜≫と対峙した≪私学の系譜≫には2つあると思ってきました。1つは、内村鑑三や新渡戸稲造、天野貞祐、河井道などのクリスチャン私学人や京都学派の流れをくむ私学人の系譜。もう一つは、官僚内部から日本近代社会を自浄しようとした高橋是清のような私学人の系譜だと思っていました。≪官学の系譜≫にしても二つの≪私学の系譜≫にしても近代的自我をめぐり、その乗り越えの方法の差異だと思っていたのです。

★しかし、青柳先生との対話を通して、澤柳政太郎を創設者とする成城学園は、クリスチャンや哲学者ではなく、教育思想家の影響を受けていて、近代的自我そのものから出発していなかったということに気づきました。つまり、第三の≪私学の系譜≫なのだと。

2_20210605123001

★というのも、大正自由教育の時代は、すでにフッサールの現象学がありました。フッサールだけが感じていたのではなく、ペスタロッチやデューイもおそらく近代的自我から出発したのでは、「児童中心主義」はうまくいかないと感じていたに違いありません。経験や直観を大切にしていたのが何よりだし、ディスカッションや協働活動を大切にしていたのもその証拠だと思います。

★つまり、外から見たら個人なのですが、内面はインターサブジェクト(相互主観)的な存在が構成されているというところから出発していたのでしょう。

★私たちの内面は、自然に触れたり、他者と対話したり共同作業をしたり、そこに道具が介在して、それら全体が構成されてできているという構成主義的な考え方です。プロジェクト学習を、デューイをはじめ多くの教育者が提案し、実践してきました。ドルトン・プランもその一つでしょう。

★成城学園もその影響を受けますが、日本の当時の官学は、ヘルバルト主義ですから近代的自我の形成のための5段階インストラクションシステムです。実は、これはどういうわけか、創造的プロセスが削除されて、「基礎→応用→発展」という教授法になってしまいます。

★ヘルバルト主義でも創造的な要素を想定していたのです。しかしながら、それは5段階の枠の中での創意工夫ですから、近代国家の制度をはみ出すわけにはいかなかったのでしょう。近代国家を作ろうとしている条件下での教育で、はやくも崩すわけにはいかなかったという気持ちはわかります。

★ところが、官学でも師範学校では、創造性を維持したヘルバルト主義とデューイのようなプロジェクト学習を融合するような日本独自の教授法が生まれます。奈良女子の木下竹次の学習現論などはどうもそのようです。

★おそらく澤柳政太郎は、国の文部政策や大学にもかかわっていましたから、同じように両方のよいところをアレンジしていたはずです。

★それこそが、当時の日本の歴史的条件の中で、子どもたちが幸せに生きる道を最適化したのだと思います。近代的自我がいかなるものか哲学的に前提とするのではなく、現実の中で子どもたち自身が生きていく内面的エネルギーをどう生み出していくのか、それには相互主観的な個性が大切だったのでしょう。

★もちろん、これらは憶測にすぎないので、引き続き青柳先生と対話をしていかなければならないのですが、成城学園の教育指標が、個人から始まるのではなく、ピアから始まったり、青柳先生の対話型論証という反証可能性を内包した対話と言うことは、近代的自我の発想ではもはやありません。この今の成城学園の教育の根っこが澤柳清太郎にあったのだとしたら、やはりそれは第三の≪私学の系譜≫の流れだからでしょう。

★そんなことを妄想しているわけですが、いかがでしょうか(汗)。あくまでアブダクション的思考ということで。。。

|

成城学園(01)青柳先生と成城学園の革新的伝統と革新的未来について対話する

★昨夜、<GLICC Weekly EDU 第32回 青柳圭子先生との対話―成城学園「革新的伝統と革新的未来」>で、成城学園の広報部部長の青柳圭子先生と対話をする機会を頂きました。先生とは以前から思考コードと成城学園の教育指標のコンパラティブスタディーをさせて頂いたり、新たな私学の広報の在り方などについてご教示いただいたりしています。

Photo_20210605114001

★また、青柳先生は、そもそも成城学園自身が大正自由主義教育の拠点であるということもあり、日本の近代教育に新たなページを開いた同学園創設者澤柳政太郎についても研究されています。当時やはり教科としては国語教育が新しい学習理論の風を巻き起こしていましたから、国語科教諭であり、大学でも教鞭をとっている教師の教師として、青柳先生はデューイやペスタロッチなどの影響を受けたはずの当時の成城学園の国語教育もリサーチし、その革新的伝統を引き継ぎながら革新的未来を拓く新しい国語教育の理論を実践の中で脱構築しています。

★今回は、そのような教育の歴史に学にながら、革新的伝統を現代化している成城学園の教育についてもお話を聞けるチャンスもいただきました。そこに確かに革新的未来があると実感しました。詳しくはぜひYouTubeをご覧ください。成城学園の歴史的功績と現代そして未来においていかに意味があるか目からウロコとなるでしょう。青柳先生、お忙しいにもかかわらず、気づきの多い機会をありがとうございました。

★本ブログでは「成城学園」というカテゴリーを新たに追加し、第三の≪私学の系譜≫としての意義を今後もメモしていきたいと思います。

|

2021年6月 4日 (金)

非属の才能教育(20)自然体のSTEAM教育 教科の授業でいける

★勤務校の理科の授業がまたおもしろいですよ。定期試験後のリフレクションの時間の中で、たんなる解説ではなく、100メートル範囲で飛ばせるドローンを活用して再体験しようとテニスコートで教師と生徒が楽しんでいました。学びとは、知的な側面と感覚的側面と精神的側面ともう一つ大事な点はスパークする超越的精神的な側面の関係性でできていますから、こういうチャンスをつくるのも大切です。

Dsc06753

★ちょうど授業準備をしている先生方がその話を聞きつけて車でやってきました。何せパウロの森でのできごとですから、次の授業準備があるので、上り下りを往復していると間に合わないのです。

★ドローンで動画も撮影できますから、数学教師は、高1でやっている幾何の材料に使えるなあと思ったのでしょうか。あるいは空間図形、遠近法とかに活用できるかもと、すでにその段階で、生徒の行動は教師をスパークさせています。実にいいですね。教えるー教わるの関係性が解放される瞬間です。

★化学の教師と生徒が同じくリフレクションしていたので、解説終了後にかけつけました。こちらは走ってきていました。さすが若い。私は、車にしっかり便乗していましたからね(汗)。ともあれ、電磁場の確認だとか(笑)。まあいいでしょう(笑)。

Dsc06755

★化学の教師と物理の教師はよく連携していて、パウロの森の生態やきのこのリサーチをする企画をたてています。大学の先生方と連携を考えているようです。

★ICTは、完全に鉛筆と消しゴムのように普段使いされています。クリエイティブティとはざっくりわけて3タイプの現象があります。発想ー理論、発想ー作品、発想ー作品ー理論という感じでしょうか。作品や産出物にするのは、大学に行ってから大いにやれるし、今後は大学との連携もできるはずですから、大学の実験室でもできます。

★授業の中では、発想ー理論が中心のようです。もちろん、その過程で知識も。聖パウロ学園の理科の教師は、自然体のPBLだし、自然体のSTEAMを実践しているのだと思います。月に何度か私と対話を付き合ってくれますが、要素還元主義者は1人もいないので盛り上がり過ぎて楽しいですね。

Dsc06734

★それにしても、生徒は自在に操作しますね。教師は生徒に教えてもらって、操作をするのですが、その両者の姿が微笑ましいですね。パウロの森も、優しい風と光で彼らを包んでいました。

|

2021年6月 3日 (木)

非属の才能教育(19)オンリーワン的省察~SkillとMethodとReflectionとMindと

★「世界作りの方法」。当面生徒1人ひとりの暗黙知としてあるこの「存在」に気づくにはいかにしたら可能かが私のやっていることです。エッ?!方法と存在が同じなの?と思うかもしれませんね。一般に方法って手段だから、存在とは違うと思うでしょう。存在をつくるための手段というのはわかるけれど、存在=方法だなんて?方法とは多くのスキルを構成するコトとすると、あながちそうでもないことが直観できませんか。

Mind

★構成とは、関数と置き換えていいかもしれません。そうすると構成や関数は何を表しているかというかと存在そのものだということになりませんか?

★自分のかけがえのない価値ある存在は、言葉で表現したり、絵で表現したり、ダンス、ドラマ、デバイス、論文、作品・・・。これらの表現がないと「存在」はどこにあるのでしょう。意識?そうかもしれませんが、意識すら五感を通して感じられたりするわけですから、意識そのものもそのような方法を媒介しないで現われることはないでしょう。

★知識主義の存在、論理主義の存在、クリティカルシンキングの存在、クリエイティブな存在。存在は様々です。それらをすべて包括しようという存在もあります。

★生徒は、多くの教科を学びながら、実は上記の図のような自分なりの方法=存在=精神というものに気づく機会がいっぱいあります。その在り方が知識主義でもよいし、論理主義でもよいし、クリティカルシンキング守護でもよいし、クリエイティブ主義でもよいし、包括主義でもよいのです。

★それは多様です。それぞれの主義の中でもグラデーションはあるから無限ですね。

★今ままでの教育は、たったひとつの方法を大事にしてきました。それゆえ、それ以外の方法、つまり存在は切り捨てられてきたのです。よくことばはツールだと言われます。しかし、本当は存在です。ですから、わかりやすいことばに集約されることは、ある意味、それ以外の存在の否定なのです。

★これが格差の温床の本質ですね。新自由主義的マーケティングとしての日常の言葉のやりとりの中に、SDGsが解決しようという問題がゴロゴロ横たわっているのです。新しい探究という教科が、ともすればSDGsの解決への方向性と真逆の可能性を開くというパラドクスに陥る可能性もあります。私たちは注意をしながら、せっかくの機会を有効活用する必要があります。

★とりあえず、勤務校でときどき講義をやる機会があります。先日は自習のチャンスをもらって、教科書の中にあるスキルをポストイットでべたべた貼って、重みづけのために並べ替えたり。コラムを読んで、キーワードをポストイットに書き込んで分解して、次に自分の意見をポストイットに書き込んで、ベタベタ張り付けたり。そこに世界は現れるんですけれど(汗)。

★この人何をやらせるんだと思いながらも生徒はつきあってくれました。教科書と新聞。これだけでも世界作りの方法は学べるんです。石ころからでも実は膨大な世界が背景にあるわけです。デカルト的省察があるのなら、生徒1人ひとりの省察があるのです。

★そこに気づくけるか?そこに未来を拓くヒントが必ずあるはずです。オンリーワン的省察を見出すためのワークショップ開発。たぶんこれが探究の本意でしょう。

★私が講義をしてオンリーワン省察の気づきを行うことは不可能です。それゆえ、今勤務校の先生方と協力してやていこうと。昨日も数学科の先生方と国語科教諭である教頭とそれぞれの省察をしました。みんなちがってみんないいという驚きが改めてありました。

★やはりオンリーワン的省察は探究への道ですね。

★なおデカルトはこの省察をリフレクションではなく、メディテーションという言葉をあてています。GAFAがマインドフルネスを欲求するはずですね。

|

2021年6月 2日 (水)

GLICC Weekly EDU(38) 佐野先生と金井先生の探究型読書と<ある>という「世界」 

佐野先生と金井先生と対話をする中で、「探究型読書」の話がでました。お二人は、編集工学研究所と協働しながらこの研究を行っています。Youtubeで配信されている中ででか、番外編で対話した中ででか記憶が飛んでいるのですが、何かの折に本との接し方について話題が移ったときのことです。私は、本を丸ごと読むということはしないので、キーワードや目次からこんなことが書いてあるのではと推理しながら読むというような話をしたら、お二人は、それは自分たちが研究している「探究型読書」でいう、キーワード読みとか目次読みですよと。

51cwmqo7cjl_sx344_bo1204203200_

★なるほど編集工学研究所らしいなあと。というわけで、上記写真の本を読んでみました。もちろんつまみ食い読みですが(汗)。アナロジー読みというのもありましたが、これは私の場合は、置換読みですね。メタファー読みというのがあればもっと面白いなあと。これは私の場合は変換読みです。

★編集工学研究所の探究型読書は、長年の編集の学校の活動の成果を中高生にわかりやすくスキルマニュアル化したものなのかもしれません。私は今勤務校の数学科の先生方と、集合論読みの対話をしていますが、それにも通じるなあと。

★集合論は、結局メタファーとメトミニーとシネクドキというリベラルアーツのレトリックの数学的思考に変換したものです。そして、ラッセルらの論理階型的な考え方は、やはりレトリック論のデノテーションとコノテーションの相互入れ替えでおこるパラドクスを解く考え方です。

★要するに、私にとって、読解は、集合論と置換・変換で読めるのではと勤務校の数学科の先生方と対話をしながら仮説を立てています。

★そんなことを思いつつページをめくっていると、佐野先生が編集工学研究所の方と対話をしている章がありました。佐野先生はマインドに沿って話しているのに対し、編集工学研究所の方はスキルベースで話をしていて、対話の方法の差異が実におもしろいですね。それはともかく、こんな箇所がありました。

生徒の個性を伸ばすという点では、子どもたちを「見立てる力」がいるんですよね。チーム形成のための「見立てる力」という側面と、それぞれの生徒の状態をどう見るかという個別の「見立て」の両方が大事です。「この子はこの辺まで行ってるな」「こういうところ、ちょっと苦手になっているな」という具合 に。 それに対して、 個別に「 こういうの読んでみたらどう?」と提案したり、「あの子がその辺、深く探究しているから、あの子と一緒に考えてみたらどう?」と他の生徒との協力を進めたりする。 個人 へのアプローチとチーム形成のアプローチが同時に求められると思っています。 編集工学研究所. 探究型読書 (Kindle の位置No.1377-1382). Kindle 版.  

★これはこれで、個人と相互主観的なチームの話でおもしろいのですが、実は編集の過程で、わかりやすさを優先した結果、背景に位置付けられた内容が隠されているなあと。これはルビンのツボ読みです。要するに憶測の反転なのですが(汗)。

★佐野先生が「見立て」という言葉をあえて使ったとき、これは「見る」という意味だけではなく、その背景に隠されたものがあります。隠されたというか、見るが「図」になり、表裏一体で「地」になtっているものがあるはずなのです。

★生徒1人ひとりの「ある」という内的な構成は、実際には見えないのです。ですから、生徒の状況は分析的に「見る」だけではなく、その状況を際立たせている「ある」の構成を「見立てる」わけです。この「見立てる」はアナロジー読みとかメタファー読みです。

★生徒の顔の表情や行動の表情や声の表情、息遣いの表情をメタファーとして、感じる以外にないのです。

★私の場合だったら、風とそれが奏でる響きを感じるということになります。

★目に見える状況が同じでも、その背景にある「ある」の構成が個人によって違います。ピーター・センゲはこれをメンタルモデルと呼んでいるのかもしれませんが、その「ある」の構成が違えば、状況/情況は同じでも、意味は違います宇。生徒のマインドの意味が違うのです。

★そこを佐野先生は「見立てる」と呼んでいるのではないでしょうか。

★対話とは、状況どうしの論理的な整合性を見つける次元と互いに違う「ある」の受容ができるかどうかの次元があります。そして、この「ある」をめぐっての協働と葛藤が、状況とは違う事態を生み出していくのです。佐野先生が発見的対話(私は創造的対話と呼んでいます)と語る時、おそらくこの次元の差異が気づきを生み出しているのでしょう。

★あくまで、私の臆見読みですが(汗)。

|

2021年6月 1日 (火)

教育のアップデート~2022年に向けて(22 )平方先生と山下社長と対話 思考コードの新たな次元

★昨夕、平方邦行先生(一般財団法人日本私学教育研究所の理事・所長、日本私立中学高等学校連合会常任理事、一般財団法人東京私立中学高等学校協会常任理事、東京私学教育研究所所長)と山下一社長(首都圏模試センター)と思考コードについて対話をしました。平方先生は、全国私学の教員対象の多様な研修を企画実施していますが、その研修プログラムをデザインする時、研修コードという思考コードを発展させたものを活用しているということでした。

Img_1031

★私も勤務校で思考コードをベースに対話しています。したがって、中学入試―中学校―高校―教師というそれぞれのフェーズで思考コードの使い方が考えられるのではないかという対話になったわけです。

★おもしろかったのは、<B2>と<C3>の関係性が、特に次元によって変容します。いろいろなアプローチで対話が進みましたが、まだ明快に表現するにはいたりませんでした。

★思考コードが実践の領域と哲学的な領域の両方で語られるようになったことは確かです。

★引き続き、思考コードを実践している学校の先生も巻き込みながら、思考コードとは何かインタビュー活動が続きます。

★秋からシリーズで媒体で発信される予定です。すでに、首都圏模試センターの各種模擬試験で配布される雑誌に部分的に掲載され始めています。

★山下社長の学びの哲学、学力の哲学、創造的思考の哲学など少しずつ明らかになっていくでしょう。

★別れた後、私は八王子に戻るため四ツ谷駅に行きました。イグナチオ教会(聖堂はさすがに閉まっていました)の中庭で、自分をしばらく見つめ、帰路に尽きました。

|

« 2021年5月 | トップページ | 2021年7月 »