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2021年5月

2021年5月31日 (月)

GLICC Weekly EDU(37) 佐野先生と金井先生の<ある>という「世界」 マルチワークの背景にある<存在>

★先週の金曜日、GLICC Weekly EDU 第31回「金井達亮先生、佐野和之先生との対話―マインドフルネスと学び」が行われました。佐野先生と金井先生のケミストリーが静かに広がる雰囲気がすてきでした。視聴者の方は、おそらく何か有益な方法があるかどうかより、お二人の対話の響きや間の向こうから現れてくる<ある>そのものを感じ、マインドフルネスを体験できると思います。

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★なりたいと思うときに生まれる様々な葛藤や悩み、そこで起こってしまう人間関係における嫉妬やジェラシー。また自分ではどうしようもない「生老病死」の過程での別離や喪失。そのとき私たちは乗り越える方法は何かないか、物はないか、藁をもすがる気持ちになりますが、その瞬間大切な何かに気づけるかどうかが人生を変えます。

★その何かとは何か?答を先取りするとなりたいものへの欲やそれをめぐる煩悩を受容しながら括弧にいれると<ある>というかけがえのない意味に気づいていきます。大事なことは、ここにいたるまでの対話の響きそのものです。

★今回、そのような対話の響きが奏でられているのです。ぜひご覧いただきたいと思います。

★佐野先生は副校長でありながら、多くの学校の先生方の多様な悩みを対話しながら解消していくワークショップを行っています。金井先生も東大の博士課程後期で、研究をしながら、芸大で教えたり、佐野先生といっしょに多くの学校の先生と対話やワークショップを行っています。

★そして、その多様な仕事をしながらも、実は多なるものは1であるという根源の場づくりもしています。それが、「一般社団法人ZERONEA」の活動です。詳しくは、ぜひYoutubeをご覧いただきたいと心から思います。

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2021年5月30日 (日)

2021年私学展(11)梅沢校長と梅田校長の気概

★私学展では、多くの21世紀私学人にお会いします。東京立正中学校・高等学校の校長梅沢辰也先生、文華女子高等学校梅田浩一校長もまさしく21世紀私学人。お会いでき、勇気を頂きました。私学人とは、私立学校に勤務していれば誰でもそうかというとそうではありません。仮に公立学校に勤務していたとしても私学人ということはあり得ます。

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★私学人とは≪私学の系譜≫を引き継ぐ教師を意味すると私は常々思っています。2006年の戦後教育基本法が改正されるとき、麻布の前校長氷上先生と共立女子の元校長渡辺先生とワインをしこたま飲みながら、≪私学の系譜≫第一世代、江原素六と福沢諭吉、新島襄の精神を引き継ぐ私学人は誰なのか議論したことがあります。

★明治維新の激動の最中を生き抜き、≪官学の系譜≫につぶされそうになる私学を、もう一つの近代社会の在り方を対峙しながらサバイブするその気概を受け継ぐもの。その時の中では内村鑑三と新渡戸稲造が第二世代で、その弟子である第三世代の私学人が南原繁、矢内原忠雄、天野天祐、河井道、務台理作などの戦後教育基本法成立のメンバーだろうということになりました。

★渡辺先生は、ここにEUの父であり、共立女子の校訓に影響を与えたリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーも加えていました。リヒャルトは、自由はフランスとアメリカが勝ち得、平和はロシアが勝ち得たが、未だ友愛はどこの国も勝ち得ていない。被爆した日本こそ友愛革命をということです。これは共立女子の創設メンバーだった鳩山家に受け継がれましたが、鳩山由紀夫内閣時代にわけのわからないことになってしまい残念でしたが、ともあれ、リヒャルト。クーデンホーフ・カレルギーのもう一つの近代社会への想いは、戦後民主主義にも影響を与えていたことは否定できないでしょう。

★明治以来の日本近代官僚社会は、今も脈々と続いています。≪私学の系譜≫の第二世代の1人、開成の初代校長高橋是清は、生徒を東大に送り込み、内側から官僚社会を活性化しようとしました。それ以来、官僚の中にも≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫の2つの血が流れています。

★それゆえ、2021年の大学入試改革のように≪私学の系譜≫の文脈がかなり影響を与えたのですが、結局は≪官学の系譜≫の勢いに骨抜きにされたかのようでしたが、実際には≪私学の系譜≫の授業による改革は止めることができませんでした。つまり圧倒的な思考力を重視する授業です。私たちの仲間と推進しているPBLもその一つです。

★大学冬の時代は久しく続き、これからますますたいへんですから、各大学はそれぞれ創意工夫した入試改革を行っているわけです。外枠の制度について立ち向かうのではなく、枠に流し込むエネルギーの熱効率をあげる創意工夫ですね。それによって、型自体が変容するわけです。

★この手法を梅沢校長と梅田校長は得意としています。ほんの瞬間の立ち話でしたが、オールドパワーに屈するわけにはいかないのだという気概を共有しました。お二人に本間さんもNew Power Schoolの道を突き進むようにとエールを贈っていただきました。

★勤務校はすでにNew Power Schoolを歩んでいますから、そのNPSのOSのアップデートを先生方と共に行っていきたいと思います。どこかで、それぞれのNPSのアプローチが合力になるときがあることを誓い合って別れました。本当にありがとうございました。

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2021年5月28日 (金)

パウロ坂② イノシシとジャガイモ

★パウロ坂沿いにアグリ体験ができる畑があります。エンカレッジの生徒がイチゴやジャガイモ、なすびなどを育てています。ICTも大好きですが、自然にダイレクトに触れる体験は、ちょっとすてきです。自然に還れと語ったJ.J.ルソーならそういうかもしれません。学歴社会の中で自ら身を守るための鎧をはめながら生きざるを得ない生徒たちですが、畑では鎧をはずして黙々と活動します。

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★しかしながら、そう牧歌的な仕事ではありません。毎年ジャガイモ畑の方は、イノシシとのたたかいです。夜間に全部食べられてしまうのが毎年のことです。そうならないように、囲いをしっかり作るのですが、そこはイノシシです。

★生徒たちは、罠をしかけようとアイデアを出し合いますが、資格がなければそれはできないという、自然保護や猟銃協会などのルールというものがあることに気づきます。

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(イチゴは、生徒がすぐに収穫して食べてしまいます。:微笑)

★まさにルソーですね。自然状態では牧歌的な生活をしていられるのに、そこに闘争が持ち込まれると、急に社会契約の状態が立ち現れます。

★パウロの森の名水も、きちんと毎月水質検査をして利用しています。自然状態はすぐに社会状態にシフトします。理想を内包しながら現実を生きるには、知恵も体力もいります。パウロ坂に隣接するエリアで行うアグリ体験には、そんな意味があるのです。

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パウロ坂① 馬が駆けるとき

★勤務校のパウロ坂。上り下りはなかなか体力がいります。朝スクールバスを迎える中、自転車通学してくる生徒は、駐輪場から登ってきます。「おはようございます」「おはようございます」「息がきれているよ」「きついっス~」「パウロ坂は何か役に立つかい」「体力がつくとかですか」「それもあるけれど」「忍耐力はつくかもしれませんね」「脳も活性化するよ」「そこに誘導したかったのですか」「ハハハ」「がんばります。ありがとうございました」。こんな話をしながら、途中までパウロ坂を上っていくと、次のスクールバスが到着するので、その生徒は教室へ、私はバスのもとに戻ります。そんなやりとりが日課になっています。

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★昼間、授業の最中、パウロ坂は馬駆ける坂になります。森の馬場から馬を散歩させてくるようです。蹄の音が牧歌的に響きます。と思いきや、宅配便のトラックがやってきました。

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★軽やかに駆けて森に戻っていきました。聖パウロ学園には馬術部もあります。

★STEAMだけがリベラルアーツではなさそうです。新しい視点が日々増えていきます。

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教育のアップデート~2022年に向けて(21)大学入試改革静かに大きな動き始まるか?

★2021年度からの大学入試改革は、大山鳴動してなんとかという様相を呈していましたが、どうやら、静かに大きな動きが始まっている兆しがあります。日経新聞2021年5月27日に「高校在学中、大学の単位取得可能に 教育再生会議提言へ」という記事が掲載されているのがそれです。

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★大学入試改革の本意は、高大接続で、一発ペーパー入試ではなく、高校時代どんな学習や探究を広げ深め、それと自分の人生をどのように重ねてきたかを大学入試につなげたかったわけです。つまり、よくいわれるように履修主義から修得主義へ変えたかったのでしょう。

★それで、一方では、IB学校200校計画など同時進行で文科省は推進してきたわけです。私立学校の中でも21世紀型教育を推進する動きも拡大しました。

★しかし、90%の高校は、履修主義をいきなり修得主義には変えられないので、大学入試改革は一見とん挫した形になりました。しかし、文科省もあきらめていないわけですね。履修主義はハードパワーをつくるには、最高に効率が良いのですが、ソフトパワーをつくるには修得主義でなければならないわけです。重化学工業産業社会時代からAI社会時代にシフトするというのは、ハードパーワーからソフトパワーにシフトするということを意味しているので、当然の発想です。

★つまり、専門的学問をなるべくはやく学ぶカリキュラムをつくらなければなりません。その一例がIBですが、これが難しいわけです。イギリスのAレベルも同様の発想ですが、IBより広がりがあるので、工学院や静岡聖光学院は、独自にAレベルのカリキュラムを導入しケンブリッジスクールの仲間入りを果たしています。

★また、米国のアドバンスト・プレイスメント (AP: Advanced Placement)もIBと同様の発想です。そのため、海外協定大学推薦制度(UPAA)のような団体が海外からやってきて、和洋九段女子、八雲学園、聖学院、工学院なども加盟しています。

★しかし、これらは、私立学校が先行して行っているだけで、公立学校には広がってはいません。これらの学校が海外大学進学で大成功を収めていますから、文科省はIBに続いてAP的な発想も接ぎ木しようというのでしょう。

★それが今回の記事に書かれている背景です。記事にはこうあります。

政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫前早稲田大総長)は高校在学中に聴講した大学の授業について、進学先の大学が卒業単位として認定するよう提言する方針を固めた。高校と大学の在籍期間を柔軟にすることで、学力や意欲に応じて留学などの選択肢をとりやすくし、多様な人材の育成につなげる狙いがある。 

★履修主義がベースにありながら、できるところから修得主義になってくださいというのが文科省の姿勢です。そんなのうまくいくわけがないと思うかもしれませんが、総合型選抜の広がりは、その準備段階だったのです。しかも、この入試制度が生徒にとっては、なかなか難関なのです。日々、探究していなければならず、短期集中で立ち向かえる一発ペーパー入試のようにはいかないのです。

★果たしてどちらがよいのか?もう一つの背景に、パノプティコンからシノプティコンというAI社会の問題もあります。

★どうやら、どちらの入試の在り方も、制度であることに変わりはありません。制度に対する自分のものの見方・考え方を確立し、制度にからめとられない自主独立した知と精神を鍛錬していくしかなさそうです。これはいつの時代も同じですが。

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2021年5月27日 (木)

非属の才能教育(18)数学的思考 デカルト的省察 未来を拓く

★昨夕、Zoomで、ある教育産業のいわゆるAiをつかった個別最適化の学習システムについて対話をしました。要はレクチャーと習熟度別学習の複合で、習熟度の個別最適化段階でAIによる学びのマネージメント(スケジュールなど)がなされ、その都度適切な問題が選択されるよということです。そのときファシリテーターがトレーニングされた正社員で、小まめに声掛けしていくことと、教師と綿密なコミュニケーションをとっていくというシステムです。もちろん、このシステムは当然オンライン学習にも簡単にシフトできるというわけです。

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★AIの話がでてくると想定していたので、私だけではなく、数学科の教諭であり、入試広報副部長であり、教務部副部長であり、そしてサーバ室室長の伊東先生に同席してもらいました。

★対話の中で、伊東先生は、少人数教育の聖パウロの実際の学習システム全貌と提案された学習システム全体を比較しながら、共通点や相違点を明快にしながら丁寧に対話をしていました。

★私の方は、その学習システム自体、多くのAI教材制作会社やある意味予備校のシステムも取り入れたコラボシステムになっていたので、想定している前提を尋ねたり、要素還元主義的学習理論がちゃんと前提になっていることを確認したりしながら、どういう価値観をもった学校ならマッチングできるか余計なおせっかいをしていました。

★本間さんのいうことは分からない言葉が多いと指摘され、焦りました。勤務校の評判をおとしてはまずいので、いやいや年寄りの言葉はわかりにくくていけない、ごめんごめんと許してもらいました(許してくれたかどうかはわかりません:汗)。

★その点、伊東先生は、さすがは広報副部長で、丁寧に対話を互いに楽しむ共感的コミュニケーションを展開していました。

★読解の話になって、一人称の視点で読解していくのか三人称の視点で読んでいくかそこを判断するのがやはり難しいですねという問いには、伊東先生は、前提や定義をまずはして、集合論のベン図を使ってことばを分けていくと結構読解もわかりやすくなる場合もありますなどと国語と数学の交差するところを話して盛り上げっていました。

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★その話に耳を傾けながら、数学科と日ごろ対話している内容をこうやって外部の方々と共有できるコミュニケーションはすごいなあと思いました。同時に、勤務校の体育科阿部先生が、生徒のアルテミットの練習風景を動画でとってモニタリングし、Googleクラスルームを介してフィードバックしている姿と重なりました。

★どういうことかというと、阿部先生は、現象学的還元、例のフッサールの超越論的現象学の手法を使って、モニタリングをしてフィードバックのメッセージを生徒に送っているということなのです。つまり、デカルト的省察だということです。

★もちろん、ふだんはそんな話を同僚や生徒としているわけではないのですが、なぜか私とはそういう話になります。阿部先生はエンカレッジの体育科の教師でおそらくグリーフケアをきちんと意識しているなあと思ってたずねてみました。

★すると、上智大学のグリーフケア研究所の先生方の中に現象学的手法を活用している有名な教授もいるということで、たぶんつながると思いますということになったわけです。

★またまた、何を言っているかわからないかもしれません。ごめんなさい。

★ともあれ、哲学は難解そうなんだけれど、実は「考えるゆえにわれあり」をめぐる省察がギリシア時代の哲学からずっとつづいているのです。「考えるわれ」と「存在するわれ」という「われ」の二重性をめぐる意味を追い続けています。

★ヨーロッパでこれを決定づけたのはトマス・アクイナスだといわれています。無限の「ある」が現存する「ある」を制約するという定式を明瞭に位置付けたのです。もちろん、トマスにとって「無限のある」は「神」ですが、その後近代の中で、神ではなくいろいろなものにすり替えられていきました。このすりかえられていく「無限のわれ」は何か、「制約されるわれ」とは何か、リフレクションしようというのが、現代学習理論ですが、なんのことはない集合論のお話だったのです。

★これについては、ラッセルやヴィトゲンシュタイン、ベイトソンも述べていたような気がします。もちろん、アリストテレスの「トポス」はこの話です。

★伊東先生をはじめ、勤務校の数学科教師はそこに気づいているわけです。そして、それを外部の方々と対話したり生徒のモチベーションや好奇心を開くときに活用しているのでしょう。

★ですから、首都圏模試の思考コードでいえば、提案された学習システムは、A軸、B軸がベースなのですが、その枠の中にC3が重なるシフトの瞬間が可能だということでしょう。

★またまたわかりにくいですね。ごめんさい。一般には、AをやってBをやって、AIシステムで時短してCを深めようとするわけですが、集合論を意識すると全体と部分を思いめぐらす思考性が知識獲得時においても論理的思考の時においても同時に考えられるわえですから、AとBをやっている中で、実はクリエイティビティは養えるということなのです。

★ただ、普通は、AとBをやっているときには、Cは考えないか、ショートしているか、あえてセパレートしているかなので、こうはいかないということでしょう。

★少人数教育の場合は、リフレクションが小まめに行われるので、これが可能です。そのリフレクションを伊東先生は集合論的な省察でしかけていくし、阿部先生はデカルト的省察でしかけていくということでしょう。

★なおこの省察は、デカルトやフッサールはメディテーションと言っています。あるいは自己意識と言い換える時もあります。

★結局、学びは「私を私とする私は何か?」という気づきを巡る冒険だということです。だから、計算問題のトレーニングもスポーツのトレーニングもワクワクして行えるのです。

★昨日提案してくださったみなさま、そして伊東先生、多くの気づきをありがとうございました。

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2021年5月26日 (水)

教育のアップデート~2022年に向けて(20)2089年から世界を創るコトの重要性 私学人平方邦行先生の覚悟 ビジョンケア

今月11日、21世紀型教育機構の定例会(いわゆる総会)が行われました。新会長に平方邦行先生が就任し、その覚悟が共有されました。平方先生は、わが恩師で、ことあるごとに対話の機会を頂いています。4月から、平方先生は、工学院大学附属中高の校長を任期満了で退任し、一般財団法人日本私学教育研究所の理事・所長、日本私立中学高等学校連合会常任理事、一般財団法人東京私立中学高等学校協会 常任理事、東京私学教育研究所 所長に就任していますから、ますます学びたいと思っています。

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★さて、定例会で、平方先生は、21世紀型教育機構のネクストビジョンを掲げたわけですが、それは平方先生が日ごろ考えていること(これについてはホンマノオト21「教育のアップデート~2022年に向けて(15)World Making 3原則 平方先生との対話」参照)や機構の理事会で語られてきたことを声明文に編集したものと考えてよいと思います。

★もともと平方先生は、未来や世界を創ることに関するアウトプットから物事を考え行動するメンタルモノデルが駆動しています。今回も2089年からバックキャスティングしようということです。これは単なる逆算ではありません。逆算は、未来から何をやるべきか計画を立て、それが達成できたかどうか、PDCAで考えていくということで、それとは違うのです。逆算は結局は、バックキャスティングとは正反対のフォーキャスティングです。

★今回のパンデミックで、私たちは経験しているように、遠くの未来のみならず、いまここでの次の瞬間だって予測不能です。ですから、未来がwell-beingであるためにはどんな価値を大切にし、どんなイノベーションを起こし、どのようにルール改正をし、システムを変更するのかビジョンを持って走りながら考え実行しようということです。

★予測不能な局面にぶつかったときも、その覚悟を忘れず動くことで、未来は開かれてくるという思考性です。哲学的には現象学的ですね。

★2089年というえば、今の中高生が80歳前後になっています。確実にZ世代が未来を創りながらその歳に到達している未来です。

★Z世代が未来という世界を創っていくときに私たちができるのは、いろいろなケアができますが、ビジョンケアが必要です。いまここで幸せであればそれでよいのだという価値観もあるでしょうが、平方先生は、いまここではうまくいかなくてもその次の瞬間があるだろう。過去は変えられないけれど未来は変えられるというダイナミックな人生を生き続けることができるように教育でケアしていこうということです。

★WHO(世界保健機構)の憲章には、フィジカルヘルス、メンタルヘルス、ソーシャルヘルスのウェルビーイングを健康の概念としていまが、同時にたんに病気や病弱でないことを意味しているわけではないとなっています。

★そして1999年には、採択はされませんでしたが、たんに病気や病弱でないことをもっと明瞭に言語化しようという動きがありました。それはスピリチュアルヘルスがあり、健康と病気はセパレートするのではなく、連動するダイナミックな状態であることを明瞭化しようとしたのです。

★その発想は、中近東やアフリカのイスラム圏からでてきたもので、西洋医学以外の医療価値観を接続しようというものでした。しかし、20世紀の古い価値観はまだまだ多様性やグローバルな世界の光の部分をキャッチできなかったのだと思います。

★しかしながら、採択はされなくても、現実はダイナミックに動かざるを得ないのです。相変わらずグローバリゼーションの影はあるわけですから、影による格差はますま拡大し、それによる負の影響は世界中の人が被っています。

★フィジカル、メンタル、ソーシャルケアだけでは解決できない問題領域が広がっています。それゆえ、グリーフケアとか緩和ケアとか新しいケアが行われれようになっているのです。中高でもまだ無意識段階ですが、それはすでに行われています。今回もパンデミックによるトリアージの問題が喫緊の課題ですが、それもグリーフケアや緩和ケアが必要でしょう。

★教育もまた、「ケア」の時代ですが、それは上記の複数のケアを統合した「ビジョンケア」の時代なのではないかと思っています。今回、平方先生は、それを私立学校の先生方と実現していこうという覚悟を示したといえましょう。

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2021年5月24日 (月)

【速報】富士見丘 第1位 6年間で伸びる進学校ランキング

★富士見丘は、週刊東洋経済2021年5月29日号の特集「中高一貫VS大学附属」の「6年間で伸びる進学校ランキング」で第1位に輝きました。本ブログで、日本の受験市場では気づかれていないけれど、海外帰国生からは最高の教育を行っていると人気の学校だと主張し続けてきましたが、いよいよ日本の受験市場でも高い評価を獲得することになったのです。

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★4月24日発売の「週刊ダイヤモンド」でも「最強の中高一貫校レバレッジ度総合ランキング第3位」に輝いています。海外だけではなく国内でも注目される学校、しかも女子校です。ジェンダー指数が先進諸国で最低の日本で、国内外で評価される女子校富士見丘は、近代日本教育史に重要なポジショニングを占めるでしょう。

★富士見丘学園の理事長・校長であり、日本私立中学校高等学校連合会会長でもある吉田晋先生は、こう語ります。

「私が強調してきた「脱偏差値」、つまり小6の作られた学力はいらない。全ての子どもたちの持っている力は同程度であるが、磨き方が違うだけ。それよりも、楽しく自分からこの学校で学ぼう、学びたいという意志・意欲を優先してきたのです。その結果、受験市場における偏差値は高くありませんでしたが、その分、伸び率で上げてもらったという結果になりました。何れにせよ、共学校に転換する風潮の中、日本の女子教育はまだまだ歴史的意味があるという信念を持っています。」

★中学入試市場は学校自身の基準や意志が反映しますが、中学受験市場は塾の利益が反映します。

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★吉田先生は、経済原理主義に右顧左眄せず、ご自身の意志を貫いています。すべての生徒が持っている才能を偏差値で抑え込むのではなく、富士見丘で学びたいという意志を尊重し、一緒に学ぼうという価値観の共有をベースに、入学以降どんどんその才能を豊かにする破格のグローバルプログラムを行っているのです。

★ある意味偏差値で悩まされ辛い思いをしてきた小学校6年生の才能解放のプロジェクトが富士見丘の教育だと言ってよいでしょう。多様性の根本は、弱い立場の人びとと共にその解決を考え、実践していくケアにあります。世界中に弱い立場の子どもはたくさんいます。日本も他人ごとではありません。弱い立場の子どもの環境は様々ですが、偏差値という瓦礫の中で苦しんでいる子供もいるわけです。

★富士見丘はそのような子どもたちをケアする破格の教育プログラムを用意しています。

★21世紀私学人吉田晋先生は、そのような教育をまずはご自身の学校で実践し、文科省の中教審をはじめとする様々なワーキンググループで、日本の教育の改善に尽力してきました。そしてこれからも続けられます。

★私の勤務校は高等学校だけですが、高校受験の状況も同じ構造です。吉田先生の意志を貫き通す構えに近づけるようがんばりたいと思います。

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2021年5月23日 (日)

2021年私学展(10)工学院大学附属 柳田先生

★私学展で、柳田先生(社会科)が勤務校のブースに立ち寄ってくれました。昨年は、対面よりもZoomでオンラインPBL研修をやった方が多かったかもしれません。有志の先生方が何人か集い、各人自分の授業をプレゼンし、多角的に分析しながら、気づきを共有し、一つのイメージを創っていく対話です。

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(ありし日の柳田先生)

★参加者がオープンにダイアローグしていきますから、本当に気づきが多く、新しいプロジェクトもそこで生まれたりしました。

★学習理論に従って、学ぶというより、自分たちの授業経験を共有しながら、自分たちなりの学習理論を発見していくというプロセス。よく学習理論を理解しながら授業研究する方法をトップダウンで、柳田先生方と行ってきたような授業研究をボトムアップといわれますが、それは間違っています。

★自分たちの授業を多角的にありのまま観察して自分自身が気づかなかった生徒の意欲を燃やしたり才能を見出したりする方法や学びの設定などの創意工夫を見出していくのです。

★これはボトムアップではなくなくて、内省的手法です。特別な資格がなくても誰でもできる人間の本性的な手法です。哲学的には現象学的還元という方法です。英米、つまり英語圏の学習理論とは違いますね。

★もちろん、柳田先生とずっと対話してきたわけですが、このことを語ることはありませんでした。このような知識を知ってもあまり意味がないからです。

★大事なことは、オープンに対話し、気づきを共有し、それを仲間とプログラム化していく創造的過程が大事なのです。

★それを専門家がみたら、「~理論」に通じるねという指摘をもらえればそれにこしたことはないということだけです。

★しかし、柳田先生方は、既存の学習理論を突破しています。オリジナルの視点を発見し、共有していっています。得難いチームですね。

★わずか3か月会わなかっただけですが、とても懐かしく感じました。どこかでまたワークショップをやろうという約束をして別れました。

★着実に教育は変化しています。柳田先生のような進取の気性に富んだ先生方が存在しているというのが何よりの証です。またみなさんと共に対話をしましょう。

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2021年私学展(9)和洋九段女子 中込校長 理数探究とPBLとスピリチュアリティ

★私学展で、和洋九段女子の中込校長が、勤務校聖パウロ学園のブースにわざわざいらしてくださいました。ちょうど勤務校の数学科の伊東先生がいたので、名刺交換となりました。そして「理数探究」の話になり、これからは「理科」や「数学」が重要になるという対話になっていました。伊東先生とは、日ごろから大学受験のための数学トレーニング以外に、コラムや詩を理解したり、政治経済社会を考察する時に数学的思考を生徒が活用できないだろうかという話をしていたので、同じテーマをお持ちの中込先生の話には共感していたようでした。

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★中込先生は、21世紀型教育機構の同志校の校長として尊敬していましたし、今後ますますご教示いただきたいと思っています。というのも幾つか決定的な理由があります。

1)6年前から21世紀型教育を実践してきて、生徒募集がすぐに飛躍しなかったにもかかわらず、信念をもって貫き、ここ2年募集が飛躍的に伸びてきたという経営のリーダーとしての不退転の覚悟に敬服しています。

2)PBLをすべての学年、すべての教科で実施する教育のリーダーとしての静かな情熱と断固たる決意に感じ入っています。

3)和と洋の合力を創りだし、多様なグローバル活動を生徒が主体的に社会と絆を結びながら広げていますが、そのベクトルという理数的な着想を教育に結びつけている本質的な着眼点に学びたいと思っています。

4)「化学」の教科書や新学習指導要領の「理数探究」の教科者の執筆者であり、大学でも講義をしているその学問的構えはとても真似ができず、教えて頂く以外に他に道はないとめちゃくちゃ頼りにしています。

5)SDGsを中1から学年全体を通して探究していて、生徒たちがみな世界の困窮者に対するグリーフケアの姿勢を持ってしまうようなPBLを実現したことは破格です。ぜひ私も先生方と試行錯誤したいと思います。(グリーフケアとは、上智大学のグリーフケア研究所によると、<スピリチュアルの領域において、さまざまな「喪失」を体験し、グリーフを抱えた方々に、心を寄せて、寄り添い、ありのままに受け入れて、その方々が立ち直り、自立し、成長し、そして希望を持つことができるように支援することです>。「グリーフ」とは、深い悲しみ、悲嘆、苦悩を示す言葉です。)

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(中込校長が自ら説明。頭が下がります。私の場合は見守るしかできないのですから。)

★そして、今回PBLが学び方や探究の視点、社会的つながりを拡大していく和洋九段女子の独自の新しい学びの場であることに、さらに新しい要素が加わったのに驚いています。

★それは前回ご紹介した新井教頭が導入しているマインドフルネスワークショップです。あのGAFAも必要としているマインドフルネスのトレーナーとしての新井教頭の精神が学内外の協力者とともに広まりつつあるのです。このマインドフルネスは、いわゆるスピリチュアリティを大切にすることです。

★日本の教育や医療現場では、まだこのスピリチュアリティという言葉は活用されていません。宗教的な用語だと勘違いされているからでしょう。欧米では、スピリチュアルケアといって、資格も取得して支援する活動が当たり前です。

★今回のパンデミックで、世界同時的にメディアが、次の3つの健康について注目しました。

1)physical health(肉体的な健康)
2)mental health(精神的な健康)
3)social health(社会的な健康)

★これらがなぜ必要なのかは、もはや説明するまでもないでしょう。WHO(世界保健機構)が頻繁にメディアに登場していることからもその重要性はわかります。

★しかしながら、日本ではある一つの言葉が削られて報道されています。それがスピリチュアリティなのです。実は、1998年にWHO(世界保健機構)が、これまでの健康の定義、すなわち「健康とは、単に疾病がないとか虚弱でないだけではなく、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態である」に加えて、スピリチュアルな面も重要だという考えを提案したのです。

★つまり、spiritual healthを加えたのです。直訳すると霊的な健康となり、日本では誤解を受けやすいので、メディアは削っているのでしょう。しかし、医療現場では世界中でトリアージが問題になっています。日本も例外ではありません。命の選別が行われてよいのかという問題が医療現場のひっ迫した状況で問われているのです。

★欧米ではそこでスピリチュアルケアやグリーフケアが行われています。死を目前に生きることの価値を寄り添いながら共有していきます。最後まであきらめず生きることの価値を大事にしようというわけです。必ずしもうまくいっていないかもしれませんが、そのケアの精神があるわけです。

★日本では、命の選別を意図的にするわけではないのですが、結果的になる可能性があると言われています。というのも、平常時だけではなく、非常時においても医療の失敗を訴えられる可能性があるからです。欧米でスピリチュアルケアが自然に行えるのでは、サマリア法が法律で条文化されているからです。非常時にあって、善意でケアして万が一のことがあっても訴えられないという法律があります。

★日本では民法や刑法に該当するであろう箇所を拡大解釈をすれば可能ですが、いまだ使われたケースはありません。つまりサマリア法はないのです。ですから、医者は委縮します。結果的に極度の重症患者は後回しにされてしまうというトリアージが起こります。もともとトリアージは大きな災害が起きたとき、看護士の方々がすべてを救うために状況の全貌を把握し、合理的に最初に救う人を探し出し、救済プランを考えるためのもので、日ごろからトレーニングも行われています。

★しかし、そのようなトリアージがうまくいかないと、命の選別につながります。これは戦争時に今も問われています。すぐに治って戦える軍人から優占的に治療するというようなことが実際起きている場合もあるからです。

★今回のパンデミックは、生きるという意味は何か、命とか何かまで日常の中で考え悩まねばならない局面に世界中の人々を立たせました。日本も例外ではありません。

★そして、グリーフは特別なひとだけが抱える問題ではありません。学歴社会という社会的文脈の中で、日本の生徒たちはみな程度の差はあれ、抱えています。その悪循環をひっくり返す教育が和洋九段女子のPBLだし、特にSDGsの活動で善き成果が生まれています。

★それゆえのマインドフルネスだったのだと思います。

★そして、さらに大事なことは、このマインドフルネスが理数探究に結びついているということなのです。エッ!???と思う方もいるでしょうが、日本は、いかにここの部分を無視してきたのか隠してきたのかわかりませんが、グローバル教育を本格的に行っている和洋九段女子はそこに行き着かざるを得ないのです。

★今、教育の中で、現象学的還元を行いながらPBLを行っていくという話がでてきています。もともと昔からあったのですが、日本の教育はやはり英米流儀の影響を受けているので、経験主義かプラグマティズムの流れを汲んでいます。ブルームのタキソノミーも、認知科学の流れの中ででてきますが、米国が圧倒的に中心です。

★しかし、ヨーロッパ、北欧、ドイツ、フランスでは、フッサールの現象学的還元をなんらかの形で活用しています。リフレクションという言葉は日本でもよくつかいます。認知心理学でも大事な要素ですよね。エンパワーメント評価というプラグマティックな手法に変換されていますが。そして、ときどきリアルタイムのリフレクション手法なども目にしますが、それは北欧の考え方です。

★この現象学的還元とは、何か難しいことのようにい思われがちですが、簡単に言えば、ある事象をめぐる様々な情報や憶測、想い、イメージなどをいったんカッコにいれ(エポケーとフッサールは時々いいます)て、本質直観せよということです。

★なんだマインドフルネスなどでつかうメディテーション(瞑想)ではないかとおもわれるかもしれません。その通りですね。ただ、その本質直観は、フッサールの場合は、数学的思考に依拠せよということなのです。それがなければ、たんなる幻想的な直観になるよと。GAFAが求めるマインドフルネスは、ZENに通じるとありますが、ZENもまた極めてシンプルな直観に似ていて、シンプルとは数学的発想です。

★フッサールは、多くをデカルトに学びました。特にデカルトの「省察」を批判的に研究しています。デカルトは神の証明をその中でするし、精神と身体の関係を哲学します。そして、精神より身体の方がわかりにくいのだと。フッサールはそのとき、精神をかっこにいれ、身体性そのものを本質直観していくのだと勝手にわたしは思います。なぜなら、この身体性は、SDGsを立ち上げなければならなかった原点である、自然そのものを指しています。

★つまり、自然をないがしろにしてきた結果世界の痛みが生まれているわけです。それをSDGsでなんとかしようと。その解決策を現象学的還元つまりマインドフルネスで本質直観的に見出そうという社会的文脈がいま生まれています。

★さて、そのフッサールが影響を受けたデカルトの「省察」ですか、ラテン語やフランス語や英語でなんというでしょう。メディテーションです。デカルトは神を持ち出しましたが、それはそうしなければ当時の社会では磔に合っていたのでしょう。デカルト自身は、その論拠はフッサールと同じで、数学的思考です。

★私たちは、今でもデカルト座標を使っているではありませんか。中込先生のつながりの学校をつくるということは、まさに関数的つながりであり、微分的ですね。ニュートンやライプニッツではありませんが、そこにスピリチャリティの宿るのを見ているのでしょう。

★グローバルといったとき、このような新しいスピリチュアリティに気づけるかどうかです。この関数をモデル化したのが、私は千利休の考案した茶室や松尾芭蕉の俳句の数論だと思っています。まさに「和洋」なのです。

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2021年5月22日 (土)

GLICC Weekly EDU(36) 和洋九段女子 生徒からあふれでる豊かな精神エネルギー

★昨夜、GLICC Weekly EDU 第30回「新井誠司先生との対話―和洋九段女子のイノベーションを支えるリーダー」で、和洋九段女子の教頭新井先生とGLICC代表鈴木さん(当番組主宰)と対話しました。めちゃくちゃ楽しかったのです。新井先生は来週の出演者かえつ有明の佐野先生と金井達亮先生と共に、NVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)の推奨者で、同時にマインドフルネスのトレーナーです。VCになりがちな私にとって癒されるひと時でした。

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★新井先生の教師生活の最初の2年間は、なんと私の今の勤務校聖パウロ学園だったということです。21世紀型教育機構の同志ということも重なり共感的な対話の雰囲気になりました。

★和洋九段女子は、21世紀型教育機構の優等生で、6年かけて同機構のセオリーを完璧に実行しています。それゆえ、豊かな新しい学びのシステムが市場で高く評価されています。勤務校の聖パウロ学園もかなりそのセオリーを実施していますが、100%というわけではありません。もう2年かけて120%にしたいとは思っております。和洋九段女子のそのコツに学びながら(微笑)。

★さて、和洋九段女子は、本当に多様なPBLを生徒自身が回しています。授業はProblem based Learningをあえてしかけ、過疎のまちを復活させるプロジェクトやSDGsスゴロク開発とセミナープロジェクト、海外研修プロジェクト、国連広報センターや企業をはじめとする多くの団体との協働作業など生徒が主体となってPBL(Project based Learning)を行っています。

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詳しくはぜひYoutubeをご覧いただきたいと思います。上記写真の青のPBLからオレンジのPBLにジャンプするときの秘密を新井先生が惜しげなく語っています。

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★和洋九段女子の思考コードの<C3>は、マインドフルネスの源泉であったことも対話の中で突きとめました。かえつ有明の佐野先生と金井達亮先生のマインドフルネスはダライラマとピーターセンゲの仏教的な精神とシステム思考の交差する中で生まれてきていますが、和洋九段女子の新井先生のマインドフルネスは茶の精神に象徴されるような和の文化とピーターセンゲのシステム思考、つまり和と洋の出会いから流れ出ているというような対話にもなりました。

★124年前に創立された和洋九段女子は、同時期にシカゴでJ.デューイがPBL学校をつくり、今もシカゴ大学附属学校として活力がありますが、当時から共鳴し合うものがあったという気づきには感動しました。

★新井先生、多くの気づきをありがとうございました。

追伸:和洋九段女子のマインドフルネスは、校長中込先生の目から見るとまた別の側面から見ることができるのです。そして、これはまた佐野先生のもう一つの側面と一致します。これについては、次回触れてみます。触れるというのは、私の理解を超えているため、それ以上深入りできないからです(汗)。

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GLICC Weekly EDU(35) 静岡聖光学院 多様性が生み出す生徒の才能 Aレベルを中核に 副教頭田代先生との対話

★先週の金曜日、GLICC Weekly EDU 第29回「田代正樹先生との対話―静岡聖光学院の挑戦を支えるリーダー」で、田代先生と鈴木代表(GLICC)と対話しました。そして、静岡聖光学院のまたも新たなステージを知ることができました。この新たなステージは、兄弟校聖光学院も歩まない道かもしれません。それぐらい破格です。

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★ですから、日本の教育を兄弟校が2つの極として塗り替えていく可能性に気づきました。つまり、日本の教育をグレートリセットする希望です。もし子どもたちの未来を本当に望むメディアの方がいらっしゃるのなら、両校の際立った教育を生み出す本質的なところは何か探る取材をするとよいのではないでしょうか。まずは、本Youtubeをご覧になり、取材のポイントを整理してみてください。

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★そして大事なことは、静岡聖光学院が自らのイメージをまたまた脱皮してしまったということなのです。同校の特徴は、たとえば、ラグビーが超有名です。新しい学びの空間やオンライン授業も多くのメディアが入りました。ケンブリッジやハロー校をはじめとするかつてのイギリス圏の東南アジアの国々の有名パブリックスクールとのグローバル連携プログラムも驚異のネットワークを拡大しています。

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★この多様な教育の環境をセットすることで、教師が教え込むのではなくて、学びの環境が生徒の才能を開花します。Growyh Mindsetされます。

★しかしながら、まだまだそれだけでは、すべての生徒がハイレベルなタレントを開花できないと星野校長は考えたのでしょう。そこで、Aレベルの学びのシステムを中核に据えました。IBスクールが人気があるのは、ハイレベルなタレントを生み出す学びのシステムをプログラム化しているからです。

★しかもIBスクールはもっともっとそのプログラムの効果を発揮するためにPBLを導入しています。私もIBスクールの先生方とPBLのオンラインワークショップを行ってきました。自分たちがこのような21世紀型教育のPBLをやってこなこなかったと気づいたとメッセージをいただきました。誰もがいう21世紀型教育ですが、実はIBティーチャーが知らなかった21世紀型教育というのがあったのですね。幸せの青い鳥とはこのことだと思いました。同士校が集まった21世紀型教育機構の教育こそそうなのだと。

★そこで確信したのです。日本の教育にはPBLのベースがないから、PBLをやっているといっても、なかなかPBLにならないのだと。それは思考コードのC3の価値をちゃんと理解しようとしないからです。IBスクールの先生方やこれからなろうとする学生とワークショップや講義をしてきましたが、彼らはそこの重要性を知っています。世界標準というとき、A1から出発するのではなく、C3からものの見方感じ方を構築していくことだと。

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★ところが日本の教育はA1からB2くらいまでで満足してしまいます。世界のエスタブリッシュスクールは、そこは当然です。生徒は自習室や自宅あるいは寮で自らそこは獲得していく学びの自由を発揮します。学校の授業は、したがって、C3から学びは始まるのです。もちろん、知識を学ぶことが多いのですが、実はその知識の扱い方がC3なのです。これは気づきにくいですよね。ですから、PBL信奉者の中には、知識をやっているとPBLではないとか教えない授業とか誤解してしまいます。創造的な活動をしていればC3だというのは、もちろん間違いではありませんが、知識を学び時にこそC3を発揮するのが本質です。

★それはともかく、日本のIBスクールの難点は、一部の生徒が選抜されてIBのDPを受けることができるだけだということです。在校生すべての生徒にその機会があるのではないのです。

★ところがAレベルはすべての生徒にその機会があるのです。このことに気づく人は日本の教育現場にはそう多くはありません。静岡聖光学院が世界のエスタブリッシュスクールと交流したからこそ気づいたことかもしれません。

★そして、ただAレベルのシステムをいれただけだと、他のプログラム同様多様な機会の1つにすぎません。Aレベルの学びのシステムをPBL化できるコーディネーターが必要です。

★星野校長は、それができるスタッフをちゃんと採用しました。さすがです。

★このAレベルの学びのシステムを知っている人はそう多くはありません。あるいは解明できる人はそう多くはありません。私もその1人ですが、日本の学校では、小難しいと言われ多くの場合相手にされません(汗)。

★しかし、星野校長が起用した教師は、それをわかりやすく広めていくスキルを持っています。私が尊敬する先生でもあります。静岡聖光学院はまたまた大変貌するでしょう。まさにグレートリセットの時代を切り拓く学校です。

★田代先生との対話によって、そのような大きなビジョンを知ることができました。心から感謝申し上げます。

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2021年5月21日 (金)

非属の才能教育(17)教師の意味 反転プロジェクトの導師

★生徒を取り巻く社会的文脈や学歴社会の文脈については前回紹介しました。聖パウロ学園の教師は、そのような生徒の自由な発想や道を阻む壁を共に認識し、壁に背を向けるのでも、壁に猪突猛進して自滅するのでもない生き方を探ります。J.デューイではないですが、教育は人生のための準備ではなく、教育は人生そのものです。いまここで迫りくる壁や圧力の中で、自分が冷静に判断して活路を見出す自由を創る自由を創意工夫する人生が学園生活の中で始まるのです。

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(英語科主任、学年主任兼担任、グローバル部部長などマルチな知性と行動力を発揮する大久保先生)

★社会の格差や学歴社会をそのまま鵜呑みにすると、生徒は意識しないうちにそのシステムに巻き込まれ、序列という階層構造に埋め込まれます。ですから、その中で、そのようなシステムが与えてくる位置をずらす戦術が必要です。

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★マルチな知性と行動力と大学院のとき留学してきた言語文化論を駆使してその戦術を生徒と日々対話しながら共有している例として大久保先生の活躍があります。

★英語力だけではなく、人間力をマインドセットする対話は頭が下がります。人生は紆余曲折です。高校時代も同じです。大久保先生は、生徒のパートナーであり、メンターでもあります。昨年は高3の学年主任でした。入学してきた当時の偏差値に比べ10も20も高い大学に生徒を導きました。これはまさに、人生の反転のプロジェクトです。

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★大久保先生を始め勤務校の先生方の対話は上記のようなプロセスを生み出しています。このことについてはいずれお話ししましょう。

★ともあれ、大久保先生は知識のインストラクターであり、知恵を伝える教師であり、気づきをシェアするファシリテーターであり、目標をクリアするためのコーチであり、人生のパートナーであり、メンターです。反転プロジェクトの導師です。

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★そしてそれは、勤務校すべての先生も同様です。これから何人かの先生を折に触れご紹介していきます。日本には同じように志をもった先生方もたくさんいます。共に響き合うことを祈っております。

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非属の才能教育(16)教育の意味 反転プロジェクト

★人類誕生以来、何らかの社会が生まれていますから、葛藤はつきものです。その葛藤を軍事力(暴力)で収めるか、経済力(資本力)で収めるか、教育力(知力)で収めるか、取捨選択あるいはコンビネーションのときのそれぞれの割合によって、心と身体のダメージが違います。

★近代からはじまって現代の世界は、経済力や軍事力に教育力を直結させています。本来知力そのものは、少し社会と距離を置いて真理を探究するものでしたが、そのような有閑階級的な知力は、今では得難く、なんでもかんでも社会実装と言うことになっています。ですから、自縄自縛で欧米のように教育力を階級構造やメリトクラシーの価値観の枠の中で作動させなければなりません。

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★日本の場合だと学歴社会という価値観の枠の中で作動させているわけです。ですから、子どもたちは社会の葛藤を無視することができず、生まれるや0才からの教育がはじまりたいへんです。その枠の外に飛び出る能力や才能をもてば、葛藤を乗り越えられるのですが、多くは、枠の中の椅子取りゲームの覇者になるか敗者になるかの活動から免れることができません。覇者になったら覇者になったでいつ追い落とされるか不安と恐怖の毎日です。敗者は覇者のその不安の転移としての抑圧に耐えなければなりません。みなダブルバインド状態の中で生きざるを得ません。

★そして、その抑圧に耐えられなくなったとき、自分の殻にこもったり、そのはけ口としてさまざまなネガティブな行動をおこしてしまうときもあります。ほとんどの場合その抑圧に耐え、はねのけようとしますが、いつ耐えられなくなるかわからないギリギリの状態です。中高生の場合、その心的状況を自己肯定感が低いということばで表現されるときがあります。

★勤務校聖パウロに入学してくる生徒は、日本の高1はざっくり100万人いますが、偏差値40から55くらいのいわゆるボリュームゾーンにいる生徒です。自分が抜け出ようとおぼろげながら感じている学歴社会に知らず知らずのうちに抑圧され今にもつぶされそうになりながら、なんとか耐え抜いて希望の光を求めて聖パウロ学園にたどりついた生徒が多いですね。もちろん、そのことを明快に意識しているわけではありません。ですから、その傷を背負ったまま不安を引きずる生徒もいます。

★聖パウロの先生方は、100万人のボリュームゾーンの生徒をすべて守ることはできませんが、パウロにやってきた生徒1人ひとりとまずその現実を受け入れ、自分の傷や弱さに気づき、自分は何をすべきか、どんな価値を大事にしていくのか挑んでいけるmen for othersとしての自己の存在理由を見出し共有していきます。降りかかる不安を払しょくするために毎日のように対話をしているのです。

★聖パウロ自身、弱い者こそ強いのだと語っています。その精神に先生方は勇気づけられ、生徒と日々対話を通して共に希望の松明を燃やしているのです。そして日々の気遣いがその松明を燃やし続ける油になります。

★次に、その共有の輪を広めるために広報をして、聖パウロの教育の価値を発信しています。広報は生徒募集を目的とすると同時に、パウロ以外にもいる同じような境遇の生徒に希望の光を贈ることができるからです。

★聖パウロ学園は、弱さを受け入れられ、それをシェアできる人間関係という連帯を創ることが強さを生み出せるという反転のリソースの豊かな学園です。弱さこそ強さであるという反転プロジェクトが日々作動している学園なのです。

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2021年5月20日 (木)

非属の才能教育(15)ダイナミズム的思考が才能開示のカギか?

★生徒は、1人ひとり賜物という才能を持っています。しかしながら、それが何か生徒自身も教師自身も気づかないことがあります。それは学校という古典的な校務分掌によるものでもあります。校務分掌の思考様式は、基本ツリー構造です。役割分担がツリー状になっていて連続体になっています。

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★しかし、実際には、それでは学校組織、特に私立学校は小規模組織ですから回りません。もしツリー構造のままだと、能力のある先生や機能的に便利な先生に仕事が集まり、亀裂が生じます。

★ですから、基本的にはツリーでありながら斜めの線が複雑にはいってつながり、セミラティス型になっています。近代の鉄塔建築はその象徴だと言われています。

★勤務校の聖パウロ学園も小規模組織ですから、セミラティス型になっています。これによって安定的な組織運営が循環します。これは定常状態です。したがって、安定はしますが、学びが均一になる場合もあります。そうなると、それぞれの才能の運動がダイナミックになりません。すると才能が働きださないので、生徒自身も教師も気づかないということが起こります。そこで、21世紀型教育を導入し、定常と離散の往復運動としてのダイナミズムを生み出す仕掛けをデザインしているわけです。

★21世紀型教育は、そこにダイナミズムを起こそうと、定常状態を保守しつつダイナミズムを生む環境づくりをしています。PBLという学びを導入しているのはそういうことです。聖パウロ学園も21世紀型教育機構の加盟校ですから、才能を生み出す学びの環境をメンバー校同士情報共有をしながら創っているのです。

★定常状態→離散状態→定常状態→離散状態→・・・というダイナミズムを、授業の中で、行事の中で、部活の中、生徒会活動の中で創り出します。しかしながら、問題は外枠だけでは、そのダイナミズムを生徒自らが生み出すことができません。外枠は、ある意味支援装置です。昔々「巨人の星」という漫画ありました。星飛雄馬が養成ギブスをはめてトレーニングしていました。それを外した時自ら力を発揮できるかどうかが大切なわけです。

★私のように年寄りは、腰の力を補強するのに、サポータをまいたりしますが、それをはずすと元の木阿弥です。それでは生徒は困ります。

★そんなわけで、内側からダイナミズムを生み出し、才能が活性化するにはどうしたらよいか?その回答は世の中には、ほとんど見当たりません。多くの学校は、何かないか外部のパッケージを導入しますが、それも養成ギブスあるいはサポータのようなもので、外枠です。あくまで、外発的モチベーション装置です。

★もちろん、それによって内発的モチベーションを生み出す生徒もいますが、そう多くはありません。

★さてさて、どうしたらよいのか?そこで、勤務校の先生方とゆっくり対話をしながら、とはいえ、時間がないので、10分とか、30分とか、人によって、部署によって違います。

★そんな中で、数学科の先生方は毎週、定期的に対話の時間を生み出してくれます。もともとセミラティス構造というのは集合論的な発想ですから、数学科の先生方は、新しい線が補助線として加わるだけだと思っているのかもしれません。理科の先生方も月に一度定期的に少し長い時間を用意してくれます。もっとも、理科の先生方は量子力学的な思考様式なので、セミラティス構造の周りを飛び回るスピン的な発想を持っているので、事あるたびに瞬間的な対話が弾みます。

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(左から伊東先生、佐藤先生、松本先生。関数で社会現象を読み解いたり、コラムを集合論的に読んだりするにはどうするか対話をしています。連続テキストを非連続テキストにスピン変換するということでしょうか)

★実は数学科の先生方も確率論的な発想がありますから、結局はそこは量子力学と結びつきます。理数発想は、定常状態→離散状態→定常状態→離散状態→という連続と非連続のダイナミズムを生み出す思考様式を持っているのでしょう。

★では、他の教科はどうかというと、実は社会だと矛盾の連続物語を生み出す教師ばかりなので、それもまたダイナミズム思考様式です。英語と国語は言語ですから、論理的文章のように定常状態の学びとプレゼンや文学のメタファー活用のようにスピンする状態をダイナミックにやはり行き来します。

★体育科は、守破離のダイナミズムで展開する授業がすでにベースでした。

★生徒は、これらの教科すべてに立ち向かうわけです。もし言葉や活動、素材が違っても、ダイナミズム思考という点で共通していると焦点化できたらどうなるでしょうか?

★おそらく養成ギブスを外しても自らダイナミズムを生み出すことができるようになるのではないでしょうか。

★そのための仕掛けは今のところ企業秘密ですが、着々と先生方が進めています。実にシンプルな仕掛けですが、実行するのは難しい新しいPBLの挑戦です。これができるには、セミラティス×スピンαの思考様式が必要です。組織作りは、思考様式の反映でもあると感じる今日このごろです。

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2021年私学展(8)英理女子学院校長山崎達雄先生の新しい思考様式

★私学展で、英理女子学院高等学校の山崎達雄校長とバッタリお会いしました。前回ご紹介したかえつ有明再生メンバーの1人です。かえつ再生行動3年目に、軌道に乗り出したために、私も山崎先生もかえつを離れました。私は当時は民間教育研究所を運営していたので、かえつのアドバイザーでなくなっただけの変化でしたが、山崎先生はかえつ再生の活動の中で、さらなるビジョンをふくらまし、それを実現する道を探されたのだと思います。

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★ご自身の学校で、「考える」コトをコアにし、文理融合型STEAMや「考える科」を創設したり、破格のグローバルプログラムを実施したり、アントレプレナーなプログラムも実施したりしています。

★基本的にはファーストクラスからクリエイティブクラスへという路線で、学歴社会とは違う新しい世界創りが教師も生徒もできるようにリーダーシップを奮っています。

★かえつの土台を形成している佐野先生の思考性は量子力学的です。不確定な確率的要素を受け入れながら安定性を求めるという思考の特性を持っています。佐野先生自身が物理の教師だということもあるのでしょう。教師が無駄なおせっかいをしなければしないほど、場の力は0に近くなりますから生徒の運動量は最大になります。私のPBLもこれに近いですが、どちらかというと複雑適応的で、変化の予測目標は立ててしまいます。

★一方山崎先生は、セミラティス型の思考形式で、三者ともツリー構造的思考ではないという点で、クリエイティブな力を善としていますが、山崎先生は、目標と創意工夫というカップリングが絶妙です。

★組織構造とは、経営陣の思考様式が反映します。学校は基本校務分掌というツリー構造でできています。

★古典的ピラミッド構造です。階層構造が多層なのか、役割分担的水平構造なのかの違いはありますが、近代官僚システム的思考様式です。これは歴史的なものですから、当然です。

★しかし、21世紀に入って、現代思想の社会実装が始まって以来、組織論は垂直構造と水平構造をどのように組み合わせるか試行錯誤が各領域で多発的に起きています。

★量子力学的思考様式、複雑適応系思考様式、セミラティス型思考様式などいろいろです。ただ、共通点はクリエイティブであるので、要素還元主義ではなく関係総体主義です。それゆえ、PBLのような構成主義的な学びの場づくりが大きな流れになっているのです。

★私たちは、いずれも21世紀型教育を創ることを共にしてきましたから、C1英語×PBL×STEAM×プラスαの方程式は共有しています。

★そして、このプラスαが互いに違うのです。それぞれの学校の社会的文脈の中での位置づけ、それゆえそこに集まってくる生徒の価値観の違いに応じてそのプラスαのスピンは違ってきます。

★このスピンを量子力学的に捉えるのか、複雑適応的に捉えるのか、セミラティス的に捉えるのか。

★共に同じ場所では、同じ意識なのに、方法が違って議論が増大するのですが、そこで多くのビジョンが生まれてきます。三者が根っこは同じなのに開花させる花が違うというのは、それぞれの場があるとき実現します。

★私学展では、多くの校長と対話しました。とはいっても、根っこが同じでプラスαが違うという、不思議な関係性があるものどうしが出会ったわけです。私も精進しようと思います。山崎先生、いっぱい刺激を頂きました。感謝申し上げます。

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2021年5月18日 (火)

2021年私学展(7)かえつ有明 戦略スキルとマインドと愛と②

★今では誰も信じないでしょうが、かえつ有明も6年前は大きな危機にぶつかりました。学校がなくなるのではないかと思われる究極の事態です。その最初の2年間、毎週1回、校務会議に私も参加する機会があり、難局を乗り切るための対話をしました。その時のメンバーに今の前嶋先生や佐野先生がいました。最初の1年は校長不在でしたから、前嶋先生が校長代行をしていました。諦めず、逃げずに、タフネスを発揮しました。今思い返せば、まさにGRIT体験だったと思います。

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(ありし日の前嶋校長)

★戦略会議というより、心理的安全を学内にいかに浸透させるかという話でした。そもそも危機的状況を迎えたことを、経営者の問題にせずに(もちろん経営者の問題ではありますが、問題だと言ったところで、経営者と校長はいなくなってしまったのすでから、どうしようもありません)、自分たちの共通の問題があったのだというリフレクションばかりでした。

★つまり、腹を割ってリーダーたちが対話できる状態をつくらなくてどうするということだったと思います。自負心を捨て、自分の今までやってきた発想を捨て、教師も生徒も共有するワクワクするようなことをやろうと。それこそ泣きながら2年間対話しました。年に何度かは、土曜日の午後夜深くまで対話しました。

★どうしても、最初は何度話しても知識と大学実績の枠組を壊せませんでした。頭や口ではそうではないと言いながら、日々の行為はそこに戻ってしまうのです。そんなとき、前嶋先生が不退転の覚悟で脱皮しようとニーチェのように宣言したのです。穏やかで優しい先生が断固たる決意をしたとき、何かが響いて開かれたのです。

★そこからは一気にアクティブラーニング共有研修が学内全体で生まれ、日々の授業が試行錯誤と創意工夫の嵐になりました。アクティブラーニング入試が勢いづいたのもその想いに呼応しています。

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★研修はあの金井先生が佐野先生といっしょにファシリテーターとしてデザインしていきました。心の開示。恥とは恥をかかないように鎧をつけることだと当時は共有したのだと思います。普段とらないようなパフォーマンスを思い切りやっていきました。いつも厳粛な先生方が踊り始めるのです。清水の舞台から前嶋校長も思い切りジャンプしていました。断固たる決意!ですね。

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(明るさを放つアジキ先生。みなどんなに救われたことでしょう)

★それにしても、私学展が終わり撤収している最中にぼそっと宇野先生。盛り上がったのはアジキ先生の明るさのおかげだよと。ああ、生徒にもこういう声をかけをこのようなタイミングでするのだと妙に納得しました。

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★撤収している最中にも保護者が立ち寄っていました。前嶋校長自ら説明し、片付けも手伝っていました。私も見習わなければなりませんが、今のところ勤務校の先生方の足を引っ張らないように見守っているだけです(汗)。

★前嶋校長とは、6年前のあの時代とは違い、昨年及び今年校長になった先生方は、かなりNew Power School構想をそれぞれに持っているという状況認識が一致しました。であれば、互いに情報共有をし、ゆるやかに協働していこうと。そしてスピリチュアリティもシェアできるといいですねと。

★私学の魂はスピリチュアリティそのものなので、それぞれの学校のその魂の協奏が大きな響きになるでしょうと。そうだと思います。ぜひよろしくお願いいたします。

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2021年私学展(6)かえつ有明 戦略スキルとマインドと愛と①

★2日間の私学展でかえつ有明は大盛況でした。その模様ははやくも同校サイトで感謝の報告というメッセージが流されています。同時に当日のブースに参加したメンバーのみの特別企画への誘いメッセージもちゃんとありました。

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(写真は同校サイトから)

★この気遣いの愛情とお得感を立ち上げる戦術スキルは心憎いですね。さすがは、宇野先生(広報部長・国語科)、内山先生(広報室長・英語科)、かえつのことばの守護神です。

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(ありし日の前嶋校長と佐野副校長)

★初日は、副校長の佐野先生としばし対話しました。ダライラマの弟子とピーターセンゲに薫陶を受けた佐野先生のマインドフルネス教育は、同校の共感的コミュニケーションや心理的安全を生成する源です。この心的状況をベースに、全学年全クラス全教科でアクティブラーニングが行われています。私が説明するまでもなく有名ですね。

★私の勤務校聖パウロ学園はまさに聖パウロ(なぜかアメリカのビジネス界では影響力があります。ルターの宗教改革のエンジンでもあります)の精神を受け継いでいますから、佐野先生とは自ずとスピリチュアリティの話になります。知識と思考力と感性までの教育、つまり認知能力と非認知能力の学びまでは、多くの学校では行われるようになってきたわけですが、知識と思考力と感性を統合するスピリチュアリティまではなかなかいかないという話になりました。

★佐野先生は、ダライラマやピーターセンゲのコンパションやマインドフルネスを大事にしていますが、それはスピリチュアリティを示唆します。佐野先生も私もダライラマやピーターセンゲの精神は共有しています。私は八雲学園でダライラマの取材をした経験もあるので、その時の話はよく共有します。

★ピーターセンゲについては、彼の学習する組織は学校経営の時の1つの柱として共有しているし、コンパッショネイトシステム思考はアクティブラーニングやPBLの手法というよりそれ自体です。もっともカトリック学校においてスピリチュアリティを訳すると霊性になりますから、一般的な話にはなかなかなりません。

★しかし、佐野先生とはそこは深く共感できます。NY国連のギャラリーにノーマンロックウェルのモザイク画がありますが、その意味は、このスピリチュアリティ=men for othersはあらゆる民族、宗教、人種、性別、世代などを超えて共通する精神であるということです。今回のパンデミックで、武漢の作家ファンファンさんは、文明国家の証は、莫大なお金を稼ぐことやビッグイベントができることや高級車を走らせることなどではなく、いかに弱者に接することができるかという態度で決まるのだという趣旨のことを言っていますが、困難の中でこう言い切って行動できることがまさにスピリチュアリティの体現です。

★一瞬の時間でしたが永遠の時間をシェアできました。ありがとうございました。

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2021年5月17日 (月)

2021年私学展(5)八雲学園 近藤彰郎理事長・校長を支える教師の意味の深さ。

★昨日、先週土曜日から行われていた私学展が終わりました。閉会の挨拶は一般財団東京私立中学高等学校協会会長の近藤彰郎先生(八雲学園理事長・校長)。私学展に集結した東京の私立学校416校の先生方にねぎらいの言葉をおくり、そしてこう語りました。「私立学校は諦めない、逃げない、共に生徒の未来を守っていきましょう」と。

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★同協会の役割は、生徒の学力伸長と自由な精神、社会貢献への気概を阻害するあらゆる要因を取り除き、日本の教育の資源を豊かにすることです。そのために同財団併設の教育研究所が最新の情報収集、画期的カリキュラム開発、経営資源である補助金獲得の交渉力を発揮しています。また多数の教員研修や経営研修を実施しています。

★したがって、同協会の存在の意味は、私立学校及び日本の教育にとって極めて重要です。この組織をまとめていく強力な手腕の持ち主が会長の近藤彰郎先生なのですが、同時に八雲学園の理事長・校長でもあります。

★ということは、どういうことか?少し考えてみると、すぐにわかりますね。近藤先生が多方面にわたって私立学校のプレゼンスを高める活動をしても、ご自身の学校の経営が盤石なのは、学内の組織が柔軟で剛胆だからです。

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(上段左から近藤彰郎先生、菅原先生。下段左から河東田先生、近藤隆平先生、横山先生)

★そして、そのような組織が大車輪のように回転しているのは、近藤理事長校長を支える人材の層が厚いからです。

★私学展で、そのような先生方4人にお会いしました。副校長菅原先生、副校長横山先生、副校長近藤隆平先生、生徒募集対策企画推進委員長河東田先生です。

★3人の副校長と1人の推進委員長のスクウェアが八雲学園ワンチームをつくっています。

★そして、何より八雲学園だけではなく東京の私学にも寄与しているのです。

★私たち私学人は、八雲の先生方に感謝の気持ちを忘れてはいけません。

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2021年5月16日 (日)

2021年私学展(4)聖学院 新構想を抱きつつ今ここでの教育をプレゼンする姿勢

★昨日は聖学院の児浦先生(広報部長・21教育企画部長・国際教育部長)にお会いしました。相変わらず精力的かつ魅せるプレゼンテーションをしていました。今現在の同校の先鋭的で人格を豊かにする教育については、以前対話させていただいたYoutubeをご覧いただければと思います。

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★今日新たに気づいたのは、受験生と話をしているときの前のめりの姿勢の意味でした。児浦先生をはじめ本日お会いした清水副校長及び日野田教頭の言葉の魅力の密度が高くなっているのは、未来への新機軸を胸に秘めながら語っいるからではないかと思うのです。

★児浦先生と対話していると、まだ公表できないけれど、新しい構想があるのです。今以上にもっともっと生徒の学びを拡張していけるんですよという希望と自信がにじみでています。

★聖学院のブースに訪れたのは中学受験生のみならず高校受験生も昨年よりも増えているということです。

★聞いている方も、目に見える実績の着実性、安定感のみならず、まだ見ぬ新機軸への希望と未来がさらに待っているという雰囲気を体感できるのでしょう。

★知性と理性と感性の豊かさにさらにスピリチャリティに魅了されるわけです。未来への希望を感じる精神性。学びの対話となりました。児浦先生、ありがとうございました。

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2021年私学展(3)大妻中野 諸橋隆男先生

★私学展で、大妻中野の教頭諸橋隆男先生とお会いした。新年度になってお会いしたのは、昨日が最初でした。2カ月前にYoutubeの番組でご一緒して以来です。相変わらず、フットワークの軽い颯爽とした姿に、大妻中野の教育の進化の速度を感じました。

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(写真は、諸橋先生のfacebookから)

★諸橋先生とは、再度New Power School(NPS)の教育を豊かにしていくことを確認してそれぞれブースに戻ったわけですが、その後姿を見ながら、つくづく感じたことがあります。

★NPSを推進している先生というのは、コンセプトメイカーだなということなのです。

★対話の中で、ダイバーシティーなどのことばがでてくると、必ず一般的な意味や表面的な意味を確認し、自分たちはまた違った角度から考えているということが話題になります。そして何度かお会いしているうちに、そのコンセプトがさらに豊かになっいるのです。

★こうして久しぶりにお会いすると、またまた新しい構想を抱いていることが伝わってきます。

★なぜ、新しくなるのか?

★そのヒントとして、いつも話にでることは、生徒とのコミュニケーションを通して気づくということです。

★新しい教育構想や新機軸。それは目の前にいる生徒との対話を通して生まれるわけです。ですから、その学校独自の教育に発展していくのは当然です。逆に言えば、毎年新しい構想が生まれないということは、それは小さな構想でももちろん構わないのですが、もしかしたら生徒との対話が密に行われていないのかもしれません。

★大妻中野は、やはり生徒との対話に満ちています。とはいえ、それをコンセプトにまで先鋭化できるかどうかはこれまた教師の腕の見せ所です。

★諸橋先生の背中を見て、これからも学びたいと思います。

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2021年私学展(2)成城学園 青柳圭子先生

★私学展では、多くの先生方とお会いでき、教育の多様性や深さについてインプロ対話(みなブースで説明していますから、その合間の瞬間に対話します)ができます。とはいえ、私と対話をしてくださる先生方はNew Power Schoolを運営しているチャレンジングな先生方という偏りがありますから、私学展の全貌を必ずしも把握できるとは限りません。

★それはともかく、そのチャレンジングな先生の1人は成城学園の入試広報部部長の青柳圭子先生です。8時30分に勤務校のブースに着いたときに、隣接エリアだったということもあり、真っ先に対話をしていただきました。

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★青柳先生は、成城大学が主催するセミナーなどでもプレゼンテーターとして活躍されています。成城学園の創設者澤柳 政太郎は、近代日本の文部官僚、教育者、貴族院勅選議員など歴任し、大正自由主義教育運動のリーダー的存在でもありました。

★現在、PBLだとかドルトンだとか新しいとされる教育の根っこは、この大正自由主義教育の背景にあるデューイやペスタロッチ、フレーベルなどにつながっていきます。

★成城学園もダイレクトにその影響を受けましたが、物事は試行錯誤で進みます。成城学園の教育も進化の過程で、独自の教育をつくっていきます。そういう成城学園の教育思想と教育実践の軌跡を、青柳先生はきちんと研究し、目に見える教育事象の背景にある目に見えない成城学園の教育のおおもとの精神を継承しながら、New Power Schoolとして現代化している同校の教育を熱く鋭く語ります。

すばらしい新校舎の教育空間の機能分析や思考コードなども研究し授業と評価を深堀していく向こうに探究の新しい学びを構想したりもしています。

★両日とも早朝から最終時間まで、ブースで成城学園の教育をプレゼンしています。ブースをミニプレゼン空間にデザインしているのも珍しいスタイルでした。さすがです。

★好奇心、開放的精神、問いのデザインの3要素があふれる青柳先生の対話手法。いつも気づきを頂いています。ありがとうございます。

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2021年私学展(1)生徒が未来を創れる教育

★昨日と本日の両日、東京国際フォーラム(主催:一般財団法人東京私立中学高等学校協会)で、私学展が開催されています。都及び同施設の感染防止策を考慮し、完全予約制で行われています。両日とも、1回(1時間30分)、1500名限定で、検温やアルコール消毒、マスク着用のチェック後に入場します。2日間で、4回×2の8回の機会が設けられています。

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★昨日の24時で締め切られ、両日とも定員を満たしています。12,000組の方々が入場することになります。1組につき2名までですから、人数としては24000人で、例年の50%をきる人数に減らしています。

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★各学校の説明ブースも、椅子を置かず、立席形式で行われていきますから、滞留することもなく、3密の状況を回避しています。

★15日9時45分、一般財団法人東京私立中学高等学校の会長近藤彰郎先生(八雲学園理事長・校長)が、生徒が未来を創れる教育を先見性・先進性のある私学が盛り上げていこう、それは命がけで教育をしている私学の使命であるという趣旨の挨拶がありました。そして、10時から第一グループの入場が始まったのです。

★両日とも、私は、勤務校聖パウロ学園の広報の先生方ががんばっている姿を見守りながら、私学展の状況も観察しています。気づいたことをメモしていきたいと思います。

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2021年5月14日 (金)

非属の才能教育(14)人生を微積で解く意味?

★立命館アジア太平洋大学学長の出口治明さんは、めちゃくちゃ読書家らしい。ライフネット生命保険株式会社創業者という起業家精神にあふれ、同時に教養にあふれている。知の大航海に常に立ち臨んでいるかのようです。出口さんの著書「哲学と宗教」にはまったく圧倒されます。まだ読み切れていません。

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★一方で、出口さんの珠玉の名品は「『教養は児童書で学べ』光文社新書 2017」だと思っています。児童書に教養というかリベラルアーツ的なリソースを見出しているのが起業家精神の面目躍如です。

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★「さかさ町」という絵本を通して、産業社会とGAFAの逆転劇を見通している章があります。仕事は辛いから楽しいへ、屋根と空の逆転、子供と老人の逆転など、一貫しているテーマはあらゆるものの反転です。身近な生活や自然現象のミクロの反転の集積が産業社会からGAFA社会へ反転していく。まるで微積のコンセプトではないか。

★そんなような話を勤務校の数学科の先生方とときどきというか、気づいたら毎週話しています。文化人類学の社会構造の組み立て方は、学者によって違いますが、その違いは、数学的に思考したほうがわかりやすい(はずですが、これがまた難問です)のではないかと。

★実際、あの「ノマドランド」という映画の話を高3と対話した時に、現代の遊牧民としてノマドの問題もあるけれど、ロヒンギャのような難民とも共通点はあるよねと言う話になったり、イエスの誕生のシーンに集う羊飼いもまた当時虐げられた弱者で、共通する点があるよねと。その共通点を、論理表を作成して考える生徒もいたりして、やはり数学的思考を活用する生徒もいるのだと妙に感心したりしているわけです。

★いずれにしても、ミクロでは一喜一憂する接線ですが、その描く集積は確実にリソースになっているのです。偏差値批判もわるくないですが、偏差値はその点の位置づけを示す統計学的話であって、その点をめぐって椅子取りゲームに活用する統計学活用の誤謬があるだけです。

★とはいえ、数学的思考が育っていない私たちは、その点を巡る誤謬の集積がデストピアリソースを集積しているわけです。

★もともと時間と空間や宇宙の摂理を証明する方程式としてニュートンやライプニッツが構築したのが微積です。時間と空間という「間」=betweenの諸関係はどうなっているのかというわけでしょう。ならば、そこに「人間」とか「仲間」という「間」も数学的思考で解きほぐせないか。時間と空間は自然のシステムです。人間は精神のシステムです。仲間は社会のシステムです。そのシステムの数学的関数関係はいかなるものかと。

★大学に行くと政治や経済の世界は、数学的思考を実際に使っています。今年の早稲田の政治経済学部のグローバル入試の問題にはその片鱗がみられます。

★それを契機に、数学科の先生方と多様性について数学的思考でどう解き明かすか、解なき世界の話をしています。

★こんな私の妄想に付き合ってくれる数学科の先生方。ただでさえ忙しいのに、ちょっと時間ある?という誘いに腰をあげてくれます。ありがとうございます。

★放課後パーソナルプロジェクトのような学びをしている生徒たちの様子を見に行くと、校長先生、人生を微積で考えるって難問ですよねと声をかけられ、驚きました。化学の勉強をしているようでした。テキストの文章や論文も、集合論的に読み解けるらしいですねとも。他に結びつくようなことありますか?トポロジーっていう発想は意外と大事だよと言うと、別の生徒がフラーレンの立体模型を示して、これですねと。

★英語の教室に行ってみると、C2レベルの英語科の先生が、ロジックですよねと。考えなきゃと。すると、国語の授業で、キーワードのマインドマップを書いて、文章を要約するトレーニングをしていた生徒がいたので、思考のレンズの話と英語のロジックはどうと聞くと、似ていますねとニコニコしていました。

★そんな話は大学受験に関係ないだろうという人もいるかもしれません。しかし、考え方やモノの見方の気づきという日々の反転の試みが、逆転のためのリソースを集積するのだという手ごたえを少しずつ感じ始めています。

★反転の時代。Z世代の時代のテーマです。

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2021年5月13日 (木)

GLICC Weekly EDU(34) 静岡聖光学院 副教頭田代先生の実践を通して多様性の意味を考える

★明日金曜日、GLICC Weekly Eduで、静岡聖光学院のスーパーグローバルティーチャー田代先生と対話します。なぜスーパーグローバルティーチャーなのかというと、「多様性」という意味や「グローバル」という意味を教育の中で内省し、新しい教育プログラムを数多くデザインしているからです。

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★多様性というのは、多くの民族、多様な宗教、文化の中で英語でコミュニケーションをとるということだとおもわれがちです。そのアクションはもちろん当然ですが、それは氷山の一角でしかありません。

★多様性は、たがいに信頼を勝ち取り、イノベーションのアイデアを生み出し、平和を勝ち取る道のりではあります。そのためにCEFR基準でC1言語が必要です。静岡聖光学院では、英語のみならずフランス語やレゴ言語など多様な言語のレベルをC1に進化させるプログラムを持っいます。

★しかしながら、大事なことは、多様性は信頼に行き着く過程の中で、ものすごい葛藤が起きます。それは中東アジアで、イスラエルで、北米で、東南アジアで、もちろん日本でも、枚挙にいとまないほど多様性が引き起こす格差や分断、悲惨な祈るしか解決策がないかと思ってしまうような事件が多発しています。

★それがまたグローバリゼーションの影の側面でもあります。

★そして、キリスト教誕生以来、カトリック学校自身がその渦中の中に身を浸し、解決の学びを実践してきたのです。

★ある意味、筋金入りの多様性プログラムを有していたといえるでしょう。近代哲学の礎あるいは批判のためのたたき台をつくったスコラ哲学の土台を形成した13世紀のトマス・アクイナスはこんな趣旨のことをいっています。「たんに瞑想しているだけではなく、その真理を伝える行いをせよ」と。

★スコラ哲学というのは、修道院の中に閉じこもって祈ったり瞑想していたりしていたと一般には思われていますが、13世紀ヨーロッパは、イスラム文化という多様性の中で、対話によってヨーロッパ、当時はローマ教皇の帝国を守る必要がありました。

★軍事力によるばかりでは、一時の勝利はあっても長続きしません。そこで聖ドミニコは、対話によって価値観や文化が違う民族と平和を模索するわけです。もちろん、それはカトリックに改宗させる目的ですから、その是非はいろいろあるでしょうが、その対話は命がけです。だから、だから恐れることなく対話を行ったことは奇跡だといわれるわけです。

★ともあれ、そのドミニコの精神を壮大なスコラ哲学に構築していったのが、トマス・アクイナスです。バチカンが彼の神学をカトリック神学の礎として公認している(かつてはアリストテレスに影響を受けているトマス・アクイナスの神学の書は禁書に認定されていたこともあったのですが)ので、どの修道会も神学の根っこはそこにつながっているほどです。

★多様性の葛藤は、宗教改革の前夜、フィレンツエで起きています。マキャベリの理想の君主とするチェーザレ(一時ダ・ビンチが軍師でした)と資本主義を生み出したと言われるメディチ家(ラファエロやミケランジェロのパトロン)とドミニコ会のサボナローラの政治経済を巡る戦いは壮絶でした。ここに近代の萌芽を見る人もいるでしょう。

★いずれにしても、カトリック学校は多様性やグローバリゼーションの光と影の歴史の中で平和と愛を見出す教育の運動体です。

★その精神を現代の中で新たなカタチで実践している学校の1つが静岡聖光学院です。

★そんな大げさなと思われる方がいたとしたら、実に悲しい現実ですね。そういう方々がIBスクールになりたいなどと意外と思うのです。しかし、IBの精神は、15世紀のフィレンツエで起きたことと同構造のことがおきた第二次世界大戦を通して、二度と再びそのようなことが起きないようにするための教育として誕生したのです。

★ケンブリッジやオックスフォードが大好きな海外大学進学推進者は世にたくさんいますが、この両大学もカトリックではないですが、その流れは汲んでいます。ハーバード大学もそうです。スタンフォードも。

★保守本流とも言える教育コミュニティはラウンドスクエアです。21世紀型教育機構はどちらかというと私立学校だけの団体ですからラウンドスクエアと親和性があるのかもしれません。

★そんな保守本流の拠点校の1つである静岡聖光学院の副教頭田代先生との対話を楽しみにしています。人間、仲間、時間、空間の「間」つまりbetweenの多様性の教育について対話できると思います。

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2021年5月10日 (月)

GLICC Weekly EDU(33) 工学院の田中歩先生のクリエイティビティ ケンブリッジインタナショナルスクール認定を拓く 究極のカリキュラム!ファーストペンギン!

★先週の金曜日、GLICC Weekly EDU 第28回「田中歩先生との対話―工学院附属中高のイノベーションを牽引するリーダー」が開催されました。工学院の教務主任の田中歩先生の人柄がにじみ出る対話になったと思います。やはり学校は教師という人間力が大切だと改めて思い知らされました。

★教育基本法第九条にこうあります。「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない」と。

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★生徒中心主義という崇高な使命を自覚し、絶えず先生方と研修を通して研究や修養に励む環境をデザインしているわけです。そして、具体的にはグローバルでイノベーティブな学びの環境を日々アップデートする修養に邁進しています。

★そういう意味では、同校の教師も生徒もアグレッシブだし主体的ですが、今回田中歩先生と対話をして改めて感じたのは、クリエイティビティがあるからこそアグレッシブになれるし主体性が生まれてくるのだという実感です。

★アグレッシブかつ主体的に動くからクリエイティビティが生まれてくるのだと思っていましたが、逆もあるのだというか、はじめにクリエイティビティが尊重されているかどうかなのが決め手なのだと。クリエイティティビティをワクワク楽しめるか、クリエイティビティは思い付きで勉強ではないのだと考えるかで、主体性が生まれてくるかどうかが決まるのではないかと。

★主体性は本来だれでも持っているのであって、それが解放されるには、クリエイティビティを尊重する姿勢があるかないかによるのではないかとそう感じました。

★そんなことを感じながら、今回のメインの話「ケンブリッジインターナショナルスクール認定」の話に耳を傾けていました。1条校(多くの人がイメージする高校)としての認定は本邦初です。今まではケンブリッジイングリッシュスクールで、英語教育の領域での認定でした。それも本邦初ですごいことなのですが、今回は工学院のカリキュラムがそのままイギリスのAレベルテストに直結するという話なのです。

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★ざっくりえば、日本の1条校でありながら、イギリスの学校としての機能も持っているということです。卒業資格は、日本のものしかありませんから、ダブルディプロマではありませんから、IBに似ていますが、IBと決定的に違うのは、IBはIBのプログラムをやらなければならないのですが、ケンブリッジインターナショナルスクールとして認定されたわけですから、工学院のカリキュラムそのものがAレベルのカリキュラムに認定されたとくわけです。

★ですから、複線のカリキュラムではなく、一本のカリキュラムで日本の高校卒業資格とイギリスの高校卒業資格試験を受ける資格をとることができるのです。IBやダブルディプロマは、二本のカリキュラムを運営する必要があります。つまり2つで2つです。しかし工学院は1つで2つです。

どうしてこんなことができたのか詳細は、Youtubeをご覧ください。ただ一つ言えることは、生徒中心主義という使命を遂行していったらそうなったということです。論理的マインドというよりクリエイティブなマインドでなければこんな発想はそもそもうまれてこなかったでしょう。

★日本独自のカリキュラムが世界の学校にダイレクトにつながる時代がやってきました。それを田中歩先生は工学院の先生方と切り拓いたのです。またも工学院はファーストペンギンとして活躍するわけです。

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2021年5月 9日 (日)

非属の才能教育(13)役員の保護者との対話回路ワークショップ

★緊急事態宣言によって、勤務校の全体保護者会が延期になっていて、対面で保護者と接する機会がいまだ完全には持てていません。入学式などで高1の保護者の方々とお会いすることはできても、対話まではまだまだです。そんな中、昨日土曜日、役員の保護者の6人の方々とはお会いできました。

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★さすがは保護者の皆さま方です。主体的に活動するためにミーティングをということで、大事な活動や会計などについて副校長と事務長とミーティングをしました。私とは、初対面ということもあり、互いの内面的世界のシェアを少ししました。表面的な自己紹介ではなく、少し内面の響きを共にしたかったのです。

★ワークショップをやりますよという構えはもちろんありませんでしたが、どうしてもファシリテーター的な癖が抜けなくて、ミニワークショップ風になってしまいました。しかし、自然にぐるぐる回転していったのは、喜ばしい限りでした。互いに求め、互いにケアするマインドがそこには確かにあったからです。頼りない私にお気遣いいただき、心から感謝申し上げます。

★私の対話のワークショップは、「ことば」以外にツールはなにもありませんが、手法はDiarlogue Circuit(対話回路)で、通称「グルグル」です。私のPBLのアクティビティとしては20年以上使っていて、あまり失敗したことはないワークショップ言語の1つです。「グルグル」は3種類あります。

1)R&R:Round and Roundで、一つのトピクやモノについて、輪になって順番に感じたことや何が見えるのかなどについて、どんどん語っていきます。ルールは2つで、同じ内容でも表現は変えてみる。それからパスはしないというものです。少し制約がありますが、明るく創造性が輝くと、すてきなチームワークの可能性が見えてきます。瞬間的なリフレクションをファシリテーターが差しはさんでいくと、上昇気流の渦がうまれてきます。ファシリテーターがいなくても自然にその気流が生まれるチームもあります。このR&Rは、アイスブレークで使う場合は、ファシリテーターはあまりナッジしません。いずれにしても、図にあるように、外延的(denotative)世界が広がっていくわけです。

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2)TF:Turning Feedbackという最初の図(下にも同じものを載せました)にあるように、内包的(connotative)世界を深堀していく対話回路もあります。今回は保護者の方が自分のお子さんの状況(ファクト)とそれに対する感じ方(オピニオン)を自然に語ってくださったので、その意味を捉え返すフィードバックをしていきました。何せパウロは目からウロコの視点が豊かで、元祖コペルニクス的転回の人物です。すると、互いにフィードバックする瞬間も多々あり、互いの内面的な響きを感じ取ることができました。保護者の方々はしっかりパウロの視点を共有していました。すてきですね。

数学の先生方と日ごろ話していること(言語と集合論、人生と微積、目からウロコとトポロジーの話などめちゃくちゃ面白い数学の先生方です)や英語の先生方のそれぞれの得意な技術について情報提供したり、激動の時代の意味やパウロの英語の教材がグローバルな世界に直結していることなどを共有したり、勤務校の放課後の多様なプログラムの意味の意味の意味・・・について対話ができたと思います。もちろん、多様な進路の話はやはり必須でした。

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たまたま朝スクールバスから降りてくる生徒を迎えていて気づいたことがシンクロしたりして、改めて学園生活はやはり隅々まで観察やリサーチをしておくことは必要であり、また、あらゆる点をデータ化して、関数化しておくことによって、点の悩みがいかに線や面につながっているかけがえのない価値があることなのかをフィードバックできることに気づきました。もっともっと全貌をそして細部を把握しなくてはとリフレクションをした次第です。

3)いわゆるsharingですが、単純な情報共有というよりも、共にプログラムや仕事を歩んできて生まれてきたパッションについて分かち合うことを意味します。すでにパッションが生まれている過程でモメンタムリフレクションやフィードバックはしているわけですから、ここはセルフリフレクションを開示するだけです。しかし、最も深層に降りていく瞬間でもあります。シンプルで深い。これはカトリック学校の十八番です。実はこれはロザリオの導きにヒントを得ているわけです。ロザリオというのはバラの意味です。イエスはいばらの冠をつけていましたから。なお、ロザリオのエピソードはドミニコ会に由来しているので、ドミニコ会で洗礼を受けた私にとってはもっとも身近なものなのです。

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★それはともかく、今回はちょっと強引でしたが、いきなり【TF】のワークショップ的な対話回路(DC)を選択しました。90分弱時間が静かに流れました。パウロの森のうぐいすの囀りと野球部の練習の声が響いている中で。

★いきなりこの人はなんだろうと思われたかもしれません。隣で副校長が心配そうに見守っているのがわかりました。

★しかし、生徒中心主義的な対話になったことは間違いがありません。

★激動の時代を共に生きる覚悟を共有させていただいたと思います。ありがとございました。

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教育のアップデート~2022年に向けて(19)ノートルダム学院小学校の授業 「主体的・対話的で深い学び」プロジェクトの進化/深化

★ノートルダム学院小学校(以降「ND小」)では、全学年すべての先生が「主体的・対話的で深い学び」のプロジェクトを遂行しています。昨年何度かスモールサイズの研修会でファシリテーターをさせていただきました。最終的には教員全体研修へと収束しました。確信したのは、ND小の各授業には、生徒1人ひとりの賜物とそれを互いに生かす隣人愛を目指す自己探究という生徒自身のプロジェクトという意味が息づいているということです。

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★そして、完全にND小の教師集団は「学習する組織」になっているということも確認できました。学習する組織の証として、次の5つの柱があります。

①ビジョン共有:賜物(才能)と隣人愛というカトリック精神に基づいたこのようなビジョンを共有しています。

②チームワーク:日ごろからコミュニケーションに満ちていますが、全体研修でもチームワークがすばらしかったですね。

③システム思考:知識を活用する思考ツールを自在に使う習慣を教師全員が習得しています。そして、エビデンスに基づいてメリット・デメリットを常に考え、最適な判断をしていく姿勢が見事です。

④メンタルモデル:カトリック精神は共有しつつも、教師一人一人の興味関心という意味での価値観は違いますが、それぞれのその価値観に基づいた創意工夫した行動が遂行されています。何より、そうした1人ひとりのメンタルモデルをオープンに共有し相互尊重しています。

➄自己マスタリー:職場を離れて自宅に戻った時や土日など自己研鑽のためにリサーチをしたり、外部研修で積極的に研究をしています。

★今回も、facebookをみていると、梅下先生が、あの木村明憲先生とやりとりをして、自分の理科の授業に活かしているという報告がありました。ND小学校は、ロイロノートスクールを中心に多様なアプリを使いながら授業をしています。生徒1人1台のタブレット環境がはやくからあったということもあるでしょう。

★木村先生のアイデアと実践はかなり高度ですがわかりやすくデザインされています。一方通行型の授業の3つのパターンランゲージと主体的・対話的で深い学びの20のパターンランゲージがリスト化されていて、後者の20のパターンランゲージを活用するための情報活用力が探究のプロセスを描けるように例示されています。

★情報活用力は、ロイロノートにもセットされているシンキングツールで見える化されているので、そのツールを情報活用の順番に従って活用していけば「主体的・対話的で深い学び」ができてしまいます。

★結局生徒の学び方ベースで授業をデザインしますから、コンテンツはなんでも構いません。したがって、単元縦断と教科横断という複雑系の学びを生徒自身ができるような授業になっています。生徒にとっては、すべての教科が分断されているのではなく、つながっているのが学びのシナジー効果があがるのですから、本来こうあったほうがハッピーですね。

★このような探究プロセスを、梅下先生はもともと実践していたので、木村先生の本でさらにアップデートしていくという自己研鑽をしているのだと思います。すばらしいですね。

★連休中に生徒がメダカの生態観察という理科にとってもっとも大事なことを継続できるように、双眼実態顕微鏡をネットにつないで配信するということまで実行しています。

★シンキングツールをつかって思考作業を行った後、もし自分がテスト問題を作成したらというシチュエーションで問い作りを行っています。そして、その解説まで仕上げて、互いに解き合い相互フィードバックしています。これも大切な学びのアクティビティですね。

★ロイロノートやkahootで問いを作成するので、生徒同士共有しやすいというのも学びを促進させますね。

★同時に問いとは新しい価値の創造につながります。というのも、木村先生も梅下先生も、ファクトーオピニオンという思考や発信を基礎としていますから、当然問いもファクトとオピニオンの連鎖が新しい発想をどこかで生み出すことになるからです。毎回生み出せるかどうかはわかりませんが、継続しているとどこかのタイミングで必ずブレイクスルーするものです。

★この時の生徒どうしの感動は、すてきです。まさにこの瞬間ハッピーです。

★このように梅下先生をはじめND小学校の先生方は自己研鑽を積みつつ、学校でその成果を共有して日々「主体的・対話的で深い学び」の授業をアップデートするプロジェクトに挑んでいるのです。職員室や授業でのそのすてきな姿が目に浮かぶようです。

★多くの保護者の方に、子供のかけがえなのない価値や才能を豊かにしてくND小の教育を知っていただきたいですね。ぜひ公開授業を行っていただきたいと思います。全国の教師や保護者と共有することは世界を良い方向に変える一歩にもなりますから。

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2021年5月 7日 (金)

教育のアップデート~2022年に向けて(18)教育法規から見る「授業」 現場で学習理論が役立たない理由

★2017年に改訂学習指導要領の告示がなされ、順次2020年小学校で、2021年中学校で実施され、そして2022年からいよいよ高校でも本格実施となります。

★学習指導要領については法規的拘束力があるという判例になっています。となると、「授業」もそうなることになります。

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★とはいえ、憲法と教育基本法、学校教育法などの教育関連法規(といっても、下位法律がたくさんあります)の枠内であれば、相当自由に現場ではできるのですが、そうはいっても大枠はあります。

★たとえば、授業は「主体的・対話的で深い学び」とあります。主体性とは何か?対話的とは何か?深いとはどこまでか?学びと勉強って違うのか?などは憲法や教育基本法、学校教育法などには細かく規定されていません。

★文部科学省の通知や中教審答申を読み直せば書いてあるのかもしれません。しかし、膨大過ぎてと思っていたら、「時間がなくても効率的に学べる」という帯がついている本を見つけました。

★久保田 正己さんの著書「学校管理職試験 法規の攻略法 〈第1次改訂版〉」学陽書房2019/4/11がそれです。

★それによると、<習得・活用・探究という学びの過程の中で、各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら、知識を相互に関連付けてより深く理解したり、情報を精査して考えを形成したり、問題を見いだして解決策を考えたり、思いや考えを基に創造したりすることに向かう「深い学び」が実現できているか>という箇所が、膨大な量の答申などの文言から選択されていました。

★これは、すごいなあと。というのも、授業を「習得・活用・探究」の過程と捉えているところを選択しているわけです。「習得」だけの授業も成り立つし、「習得・活用」だけの授業も成り立つからです。

★また、「探究」をいれることによって、教科の授業と「総合的な探究の時間」を横断的につなぐことを規定しているわけです。

★そして、各教科の問題解決の特質や「創造」という言葉にまで言及しています。

★これがもし法的拘束力があるのなら日本中どうなるのでしょう。あらゆる学校でこれを行わなければペナルティだなんてなったらたいへんです。

★一方で、もしあらゆる学校でこのような学びを実施したら大変結構なことです。

★もちろん、未履修のように見えるものではないので、やっているかどうかわかりません。したがってペナルティなどあるはずがないのです。

★もっとも、法的拘束力という外圧がないと学びがデザインできないなんて、本末転倒ですが。

★それにしても、法的拘束力があるとしながら、大きな声でアクティブラーニングなんてできるわけないよと暮番組で見識者が語っている放談はなんなんでしょう。

★もちろん、大学入試に直結させるほどの学習指導要領の法的拘束力について議論することは構わないと思います。まあしかし、明治近代国家日本が選んだ道は法実証主義です。法は法であってそれ以上でも以下でもないのです。

★さて、どうするか?こういうところをきちんと議論しないで、学習理論をぶん回しても現場では役に立たないというもどかしさがあるのです。

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教育のアップデート~2022年に向けて(17)神崎史彦先生との対話 知性・感性・理性以上の探究もある

★昨夜、神崎史彦先生と久々対話をしました。新年度になって新たな構想と新たなコンサルティングが動き始めたということなので、私自身も新ステージを描いているところということもあって、本質的な話になりました。といっても、それはいつものことなのですが。

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★神崎先生は、ご承知の通り、探究や総合型選抜のカリキュラムやプログラム開発の学校コンサルティングも手掛けています。最近では、スタディーサプリの教師版「探究」デザインメソッドの編集・出演もして、大活躍です。

★そんなわけで、探究の捉え方の話が必然的に多くなりました。基本的にはWorld Makingが中心になりますので、知識と論理のレンズだけでみていると神崎先生の探究の考え方やデザインが見えません。

★知性と理性と感性ぐらいまでレンズを大きくすると若干みえてきます。

★ですから、知識・論理のレンズでは、神崎先生の話はわかんな~いとなります。まして、知識定着探究(それを探究とは言わないという人もいますが、私はありだと思っています。レンズは多様ですから)レンズでは、対話が成り立たないかもしれません。

★もちろん、神崎先生は、相手のレンズに合わせて話しますが、ただ、互いに了解するには、一方的に合わすだけではなく、レンズの伸縮自在な柔軟性がやはり必要でしょう。着地点がどこなのかは、たしかにいろいろですが、一歩も伸縮をシフトしないというのであれば、対話はなりたたないですね。

★また、知性・理性・感性のレンズも、この伸縮の柔軟性が必要ですが、このレンズは比較的大きいので、互いの共通点も多く、わかり合えたというう誤解が生じます。これが、意外と厄介です。わかり合えていたはずなのにというルサンチマンのエネルギーは、このレンズが柔軟性を欠いている時衝撃的です。

★神崎先生の探究は、やはり生徒にとってブレイクスルーが起きる仕掛けがセットされているので、知性・理性・感性以上のSomethingがあります。これは、おそらくSpiriualityに属するものです。クリエイティビティとかマインドフルネスとかインスピレーションとかセレンデピティとかそういった感覚のものがセットされています。

★ですから、カトリックの学校が神崎先生を受け入れるのは、そこのSpiritualityの部分です。NHKでよく登場してくるドイツの若き哲学者マルクス・ガブリエルはそれをガイストと呼びます。カトリックでは、それを霊性と呼びます。

★かえつ有明の佐野先生や金井達亮先生ならマインドフルネスとかコンパッションと呼びます。

★才能とかタレントとか呼んだとき、このような感覚は必要ですね。もっとも、これは偏差値では測れません。

★私が翌朝が早かったので、時計の針が日にちをまたいだところで対話は終わりになりました。残念ですが、楽しみにはまたの機会に。神崎先生、ありがとうございました!

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2021年5月 5日 (水)

GLICC Weekly EDU(32) 今週7日、工学院の田中歩先生とNew Power Schoolの先鋭的21世紀型教育について対話

★今週7日(金)、GLICC代表鈴木裕之さん主催の番組GLICC Weekly EDU 第28回で、工学院大学附属中高の田中歩先生(教務主任)と対話します。歩先生は、聖学院の児浦先生と共に、21世紀型教育研究センターのリーダーです。2013年から本格的に始まる21世紀型教育機構の活動をずっと牽引してきました。

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★自ら、仲間と協働して思考コードを創り、それに基づいて、PBL授業や高2のグローバルプロジェクトに凝結するに至る多様なグロバルプログラムをコーディネートしてきました。

★また元英語科主任として、破格の英語のプログラムを学内につなぎ、C1英語(たとえば英検1級)の取得者を劇的に増やしたのです。News Picksにも取材されるなど、英語教育、PBL授業、オンライン授業の統合を図った未来の日本の教育のハイパーモデルを創っています。

★3月後半にあの超有名男子校が遠くからわざわざオンライン授業の見学に来たくらいなのです。そして、オンライン授業には哲学が重要なのだというシステムに感動を与えたということです。

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★急激な改革は痛みも伴いますが、それを心理的安心にシフトする共感的リーダーである田中歩先生の教師論やカリキュラム論なんといっても「生徒中心主義」哲学などについて対話できたらと思っています。

★それから、本邦初のあっと驚くプログラムのお披露目もしてくれるそうです。

★歩先生の仲間やブレインは層が厚く、この点に関しても他校には真似ができないチームが生み出されています。お会いできるのを楽しみにしております。田中歩先生、宜しくお願い致します。

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教育のアップデート~2022年に向けて(16)学習指導要領のIB化は可能か?そういう流れ?とにかくやったほうがよい。

★GLICC代表の鈴木裕之さんの論考が啓発的です。まずは、「IBDPのDual Routeに見る高大接続の意味―グローバルアドミッションの時代➂」をお読みください。IBなんて関係ないと思われるかもしれません。そう一般には関係ないのです。まさに3%の穴の話です。いや3%以下のごく一握りの生徒のお話かもしれません。だからこそ重大な気づきがここにはあるのです。関係ないと言っていると、いつのまにか自分が社会から排除される側にまわってしまうことになりかねません。

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★今回のパンデミックによって、IBのDP最終試験が受けられないという事態が発生しているそうです。でも大丈夫。DPのプログラムの品質の高さが担保されているので、そのプログラムの過程の評価で最終評価もされるからというのです。

★さて、日本の大学入試はそんなことができるでしょうかというのが鈴木さんが突き付ける教育問題です。

★もちろん、昨年の慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスの総合型選抜の一部は、それに近い入試になりましたが、それ以外はそうは簡単にいかないでしょうということです。

★しかし、もし学習指導要領ベースのプログラムがきちんとできれば、それは可能です。そうなれば、小学校から高校まで1200万人の生徒が高品質の教育を受けることができるようになります。

★ばかばかしい、できるわけがない、やれる教師がいないとたいていお決まりの不可能論がでてきそうです。

★しかし、給与を倍増するというのならどうでしょう。IBTeacherのようにたくさん収入が得られるというのであれば、話は別になるのではないででしょうか。現場を見れば、日本の教師は優秀かつ献身的です。

★財務省が認可しないと言われるでしょうか。でも、1200万人がIBレベルの教育を受けられるのです。どれだけ、日本の未来の経済が沸騰し復興するか測り知れないでしょう。

★教師になりたい若者も増えます。自分の子どもにそのような教育を受けさせたいと海外からも移住してくるでしょう。21世紀は間違いなく高品質の教育が経済を規定します。

★経済を豊かにしたければ、経済投資をどこにするかです。

★財務省の方々、文科省の方々、そして政治家の方々、IBを学び、そのエッセンスを機会均等なんて言っていないで、実質的に1200万人1人ひとりに届けましょうよ。

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教育のアップデート~2022年に向けて(15)World Making 3原則 平方先生との対話

★昨日午後、久しぶりに、平方邦行先生と対話しました。対面でお会いするのは2カ月ぶりでしょうか。パンデミックの状況もあったし、入試や卒業式、入学式などもあったということもあります。そして、お互い4月からの新天地への準備もありました。4月から、平方先生は、工学院大学附属中高の校長を任期満了で退任し、一般財団法人日本私学教育研究所の理事・所長、日本私立中学高等学校連合会常任理事、一般財団法人東京私立中学高等学校協会 常任理事、東京私学教育研究所 所長に就任しています。この意味の大きさと深さは説明するまでもないでしょう。21世紀型教育を工学院で実践し、今度は東京、日本へと視野を広めるのです。一方私は、やはりこの4月に自分の民間教育研究所は閉鎖して、カトリック校に勤務しています。教育の一般原理から具体的実践原理へとシフトしたと言っていいかもしれません。

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★平方先生とは20年以上のコミュニケーションをとらせていただいたし、これからもいただくし、21世紀型教育のウネリを創る作業にもごいっしょさせていただいています。私をこの世界に思い切り巻き込んでいただいた師です。教育法規やそれに準ずるルールに基づきながら、そのメリット・デメリットを丁寧に洞察しながら革新的なことを行っていく手法について、いつもご教示いただいています。

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★ともすると、人は革新的な動きだけになりがちですから、平方先生のような法と現実の平衡感覚を前提にした革新手法は実に重要なのです。今回もそんな対話をしながら、今の時代をどうとらえるか、対話しました。これは、毎回お会いした時の必須のテーマの1つです。今回は、World Making 3原則について対話が盛り上がりました。平方先生は教育研究所で、私は勤務校で、それぞれ具体的な構想では違いがありますが、コンセプトは共有しました。具体的な構想の部分はいずれということで、今回は、抽象的ですが、そのときの対話の覚書を箇条書き風にして以下にご紹介します。

 World Making3原則

1)2022年18歳成人を契機に民主主義の根本に立ち還る。
民主主義の根底である、いかなる制約や困難の中でも自由を創る<自由>を探究し続けるかけがえなのない価値志向型人間が生まれる教育環境づくり

2)普遍的精神を共有する3つの世界公用語の推進
「C1言語」と「STEAMベースのリベラルアーツ言語」と「世界共通のワークショップ言語(ことば以上の新しいことば)」の3言語創出の推進

3)哲学に学び、歴史に学び、理数に学び新しい社会構想力を創る
2089年は、Z世代が創り上げた世界となっている。その世界がデストピアではなくユートピアであるには、Z世代自身が協働し自分たちによる自分たちのためのそして人類のための新しい社会構想を創り実践するプロジェクトを実行する。 

2089年から15世紀を展望して、今を位置づける。

いま 新しい政治経済社会創出期

1989年 ベルリンの壁崩壊 グローバリゼーションの始り
1889年 明治憲法の成立 アジアに近代国家が誕生し、≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫の2つが誕生。つまり2つの民主主義の誕生。
1789年 フランス革命 自由・平等・博愛の誕生
1689年 イギリスで名誉革命 権利の誕生
15世紀・16世紀 ルネサンス・宗教改革の時代 民主主義と資本主義と帝国主義の三つ巴の誕生 近代の始り

補説)
脱偏差値とは、一握りの高偏差値の生徒や知識ベースの才能だけに偏るのではなく、水平的で多様な才能を認めることを意味する。その精神は、≪私学の系譜≫の根本である理想的民主主義に立ち還ることである。

民主主義は多様な才能を受容するために、対話をするが、その対話のツールは一般的な意味でのことばだけではない。それゆえSTEAMベースのリベラルアーツ言語が必要だし、その中でもっとも重要だが、破壊的で恐れられたために合理主義が封印しようとしてきた修辞学を文学的な才能が有る人間から解放して共有するためにワークショップ言語を新しく創出する。

この3つの言語すべてを習得する必要はなく、自分の才能を引き出す言語を選べばよいのである。

誰しも考える力を持っている。自分の才能を限界を超える高みに昇華させるためには、先人の哲学に学び、先人の足跡である歴史に学び、それらを学ぶ方法を理数的に明証できる希望の松明を燃やし続ける必要がある。このことが未来性を意味する。

このような学びはどうして価値があるのかというと、プラトン、アリストテレスの時代から考案され実行されてきた社会構想の改善のために価値があるのである。社会は伝統と革新の連続である。自然と社会と精神の循環は、未だ完成されていないし、意外ではあるが、常に未完である。がしかし、より善くするか、より悪くするかは、人間が合理的に行為すると同時に、豊かさを感じる情念というセンサーを研ぎ澄まし、かけがえのない存在価値を追い求めるかどうかにかかっている。

13世紀に民主主義と資本主義の併存する社会の萌芽があったとされているが、その時以来、民主主義は経済社会の在り方によって、未完の民主主義であり続けた。なぜ未完かというと、民主主義の3原則「自由・平等・博愛」がすべて達成されるということはなかったということは歴史をちょっと振り返れば明らかである。

なぜうまくいかなかったのか。これは経済的につまり食べることに関して、人間は完全に自由になることができず、その点において格差の階層構造が複雑になっていった。

この複雑な階層構造としての格差の中で、自由は小さくなってきたが、それでも「思考」の自由を奪うことは誰もできなかった。それゆえ、今の時代、この「思考力」が重要だと言われているのである。

この「思考力」こそ、不自由の中でも、自由を創る自由の力なのである。この自由を創る自由の翼は、先に挙げた3つの言語である。この3つのうちのいずえかの言語を身に着け、「思考」することによって、民主主義の理想をかなえるウネリを生み出せる。

「自由・平等・博愛」を実現するためには、誰も食べることに心配をしないようになる新しい経済社会の実現である。

そんなことはできるのか?可能である。すでに理論的にはZ世代が創り出せるところまでやってきている。

問題は、それを合法的に阻むオールドパワーの制度だ。新しい社会構想は、このオールドパワーの制度をリセットする知的な闘争であり、その必要性をグローバル市民がシェアし立ち臨もうとする情念を燃やす対話であり、理想が貫徹するまでの間、大企業家が、あのメディチ家がダビンチやミケランジェロ、ラファエロに投資したように、新しい社会構想に投資をすることである。

では、その新しい社会構想とは何か?輪郭はできている。問題は、化石燃料や原発を完全廃棄し、それに代わる新エネルギーの開発である。しかも自給自足ができる。

パソコンが1人1台時代がきた次には、エネルギー産出装置が1人1台の時代だ。これによって、市場経済は、まったくの自由な格差のない市場に変容する。

13世紀以来すべてはエネルギー(最初は奴隷という人的エネルギーだったが産業革命によってその人的エネルギーを生む根っこの化石燃料にいきつく))の覇権をめぐっての闘争史だった。エネルギー産出装置を1人1台有することによって、この歴史的覇権闘争に終止符が打たれることになろう。

ただそこまでのデフォルトができるようになるには、13世紀以降蓄積してきた富裕層の資産を世界の人びとに贈与という美しい形で返却をすることである。

もしこれがうまくいかず、デストピアになったときには、地球は本格的な危機に入る。そのリスクを考え、民間で宇宙に移住する計画がSFの話ではなくなっているのは、昨今の宇宙に関する動きで察知できるであろう。

これらの話を理解するには思考コードの<C3>が身体化される程にPBLが行われる必要がある。このC3とPBLという授業の日常こそ未来性の生成エネルギー態である。物質的エネルギー態であるポータブルエネルギー産出装置は、ここから生まれ持続可能になる。

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2021年5月 2日 (日)

教育のアップデート~2022年に向けて(14)内田樹さんの「コモンの再生」を斜め読みして確信したコト 「新しいコモンの創造」

★内田樹さんの「コモンの再生」を斜め読みして改めて確信したコトは、やはりこれまでの欲望の政治経済社会は修正とかグレートリセットとかグレートリカバリーとか表現はともかく、変わらざるを得ないというコトと「コモンの再生」というより「新しいコモンの創造」というコトだろうと。

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★同書は、内田さんが、『 GQ JAPAN』に連載中のエッセイを単行本化したものです。2016年から2020年のものです。私もその時期、New Power Schoolのコミュニティを仲間と創ろうとしてきましたから、時代の声に耳を傾けていました。改めて内田さんの文章で振り返ることができます。

★興味のある方は、同書をぜひご覧ください。あとがきにこうあります。

2020年の世界が新型コロナウイルスによるパンデミックでこれほどの変容を遂げることになろうとは予測もしておりませんでした。「東京五輪は歴史的な失敗に終わる」 という予測もある意味で「当たり」でしたけれど、まさかこんな理由によってだとは思いませんでした。いずれにせよ、パンデミックのせいでグローバル資本主義と新自由主義は大規模な修正を余儀なくされることになると思います。その先に僕たちが採り得る選択肢の一つが「コモンの再生」であるということについては僕は確信を持っています。それはいま世界各地で、同時多発的に、共同・協働のネットワークの再評価が始まっていることからもうかがい知れます。

内田 樹.「コモンの再生」Kindle の位置No.2974-2980 2020年 文藝春秋 

★同意です。そして、少し違うところは、新しいコモンが生まれてきたし、かつても多様なコモンがありましたが、それは万人のコモンではななかったのが、今度は、地球というワンチームのコモンになってしまう時代がやってきてしまうというコトです。

★その新しいコモンとは、新しい教会です。かつての教会は限定的なspiritualityを創ってきましたが、今回はすべての人々1人ひとりのためのコモン自体を創り出す自然と社会と精神の循環を生み出す創造装置というspiritualityです。装置と言っても、物質的なものではありません。ソフトパワーそのものがすべての人1人ひとりにもれなく配分されるのです。

★それを生み出すのは新しい教会として学校ということになるのでしょう。もちろん、今のままの学校ではうまくいきませんね。

★化石燃料に代わる自然と社会と精神を循環するエネルギーを国とか企業とかが覇権を撮るのではなく、すべての人1人ひとりが生み出せる知性と感性と脳神経身体とを統合する創造的精神の実装です。

★これによって、電気も食料も水も自製できます。新しい自給自足システムと社会システムの統合です。ベーシックインカムはこの新しいコモンによってなんとかなるでしょう。これからの私たちにとっては、大事な仕事は、この創造的精神のアップデートを持続可能にする協働体です。この創造的精神の生成システムは相当複雑です。全人類が食べることを心配せずに高邁な精神を傾注できるシステムです。

★役割は無限です。食べることを心配しなくてよいので、マルチな仕事もこなせます。そんな経済に規定されない暗視安全な精神実装世界は果たして可能でしょうか。経済的覇権を握ってきた人にとっては残念でしょうが、可能です。ただ時間はかかります。

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教育のアップデート~2022年に向けて(13)「思考コード」の<C3>の新たな価値に気づく。思考力入試や限界超えるグローバル教育を行っている学校の共通の特徴

★ここのところ、教皇フランシスコの語る「霊性」について考えて(reflect)いるわけです。このthinkというよりreflectという意味で考えるというのは観想(contemplation)かもしれません。自宅は修道院でも教会でもありません。ささやかな市民生活をおくる場です。今回のパンデミックでもう一つの母国に帰国できない8カ月の孫と遊びながらというか遊んでいるのを見守りながら考えているわけです。スマホで、教皇フランシスコのブログをdeepl翻訳しながら(汗)。

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★すると、こんな文章を見つけました。

 we reflected on that lack of deep spirituality which turns into pessimism, fatalism, and mistrust. Some people do not commit themselves to mission because they think that nothing will change and that it is useless to make the effort. They think: “Why should I deny myself my comforts and pleasures if I won’t see any significant result?”

(APOSTOLIC EXHORTATION EVANGELII GAUDIUM OF THE HOLY FATHER FRANCIS)

★教皇が言っている霊性とは、スピリチャリティという英語の訳です。これは特別な訳ではなく、一般的だし、スピリチャリティは欧米ではよく使われるでしょう。ドイツ語だと「ガイスト」です。訳語としては精神という方が一般的でしょうか。霊性とは一般的には使いませんね。ヘーゲルの精神現象学もガイストだし、今NHKで落合陽一さんといっしょに登場してくるドイツの若き俊英の哲学者マルクス・ガブリエルさんも「ガイスト」を21世紀のキーワードとしています。

★霊性と言うと、日本ではキリスト教などの宗教限定用語になってしまいますが、スピリチャリティというと欧米では市民生活でも使う言葉なのかもしれません。

★それはともかっく、この教皇フランシスコの文章は、「私たちは、深い精神性が不足していると、悲観主義や宿命論、不信へ向かってしまうことについて考えてきました。コミットする必要などないのだという人がいます。彼らは何も変わらないのだし、努力なんて無駄なのですからと。どうして安心安全で満たされ快適な今の自分を、たいして重大な成果も得られないのに、放棄しなければならないのか」というわけです。

★この文章は、カトリックの世界だけの話でしょうか?2089年、今の≪Z世代≫が高齢者になっているとき、彼らはどんな世界を創っているのでしょう。少なくとも、今のような差別や戦争、環境破壊など多くの脅威がひしめく世界であってよいはずはないのです。

★それなのに、自分には関係ない、とりあえずこの学歴社会の中で椅子取りゲームの勝者になればよいですまされるはずはないというのは、カトリックの世界だけの話ではなく、日本の、いや世界の共通の認識です。

★あらゆる領域でこの認識が広まり、あらゆる領域で小さな秘密の小部屋が作られ、その部屋同士があたかもテレワークでつながるように連帯していくことで、2089年のグローバル市民革命は成功するでしょう。2089年の100年前の1989年はベルリンの壁が崩壊しました。その100年前の1898年は、明治憲法が成立し、未熟ではありますがアジアに民主国家が誕生しました。その100年前の1789年は、フランス革命が、その100年前の1689年は、イギリスで名誉革命が、民主革命の第一歩がスタートしました。その100年前から200年前にかけて、ルネサンス、宗教改革が疾風怒濤のごとく起こっていました。

★このような歴史に学びながら未来を創る信念は、Deep spritualityそのものでしょう。それは人によって、霊性かもしれなし、マインフルネスかもしれないし、ガイストかもしれなし、インスピレーションかもしれないし、クリエイティビティかもしれません。しかし、今目の前で変化が起きないからと、易きに流れることはありません。

★これを思考コードでいえば<C3>がその徴です。思考コードの<C3>を大切にして筋金入りの思考力入試をつくっている学校、たとえば、聖学院、工学院、和洋九段女子、静岡聖光学院、かえつ有明、大妻中野は、確かにDeep spiritualityを大切にしている希望の私学です。

★八雲学園のように<C3>に収まりきりない破格の限界を超えるグローバル体験を共有するコミュニティに所属している学校(工学院もそうです)は、まさにDeep spiritualityを大切にしている希望の学校です。そういえば、八雲学園には、お忍びでダライ・ラマ法王が訪れていたほどです。

★勤務校も、授業を含めてすべての教育活動にDeep spiricualityが反映するようにワンチーム体制になっています。

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2021年5月 1日 (土)

教育のアップデート~2022年に向けて(12)城西大城西 才能者に豊かな経験と自由と愛情が開かれている

★城西大学附属城西中学・高等学校(以降「城西大城西」)の広報の坂本純一先生から紹介され、首都圏模試センターの保護者会で行われた生徒インタビューの動画を拝見しました。このサイトに入ると他の多様な動画が蓄積されていて、実に興味深いのです。

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★いずれにしても、大正自由主義教育の実践校として、今も自然と社会と精神を豊かな経験と気づきの教育で循環させる理想的教育を継承している学校です。

★生徒が自分の才能を自然と社会と精神を循環させる目的のために発揮できる自由な雰囲気と教師の愛情のシャワーが溢れていますが、いくつかの生徒インタビュー動画にはそれが反映していました。

★今は悪循環の社会ですが、それを好循環にシフトさせる人間力が同校では豊かになっていきます。そんな予感を確信に変えるインタビューでした。

★それにしても、いわゆる4教科万全に学び、高偏差値をとっていなければ入れない学校には、はねのけられざるを得ない生徒が世の中にはたくさにます。

★中学受験勉強をやってこなかったけれど、英語は得意だ。適性検査の学びを中心に行ってきた。中学受験勉強を始めたのが遅すぎて社理は得意だけれど、国算は不得意だ。2月7日の国算の試験の時に初めて城西大城西にやってきた。

★いずれの生徒も、いわゆる高偏差値という才能とは別の才能を有した生徒でした。しかし、そのコミュニケーション能力はすばらしいものです。自己内省力、自己エンパワーメント力、人間関係関心力、プレゼンテーション能力。それに、入学後、自分の弱みを強みに変換し、強みはさらに伸ばすという成果もあげています。

★才能を教師と共に見出し、花開いていく教育活動の様子が目に浮かぶようです。詳しくは登録して同校動画サイトをご覧ください。

★一握りの高偏差値学校は学校で、その学校の役割を持っています。それはそれですてきです。ですが、すべての学校がその1つの才能の基準で競争する必要は悲劇的です。格差と排除が生まれるからです。生徒の才能は多様なのです。その多様さを受容する学校が多くなればなるほど、日本の教育活動は豊かになります。

★脱偏差値とは、偏差値をという統計学を否定するのではなく、一つの基準だけに偏差値を活用することをやめようということです。

★城西大城西の歴史に学ぶ姿勢と未来性というインスピレーションを生み出すエネルギーに、勤務校も大いに学びたいし、勇気づけられました。坂本先生、ありがとうございました。

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教育のアップデート~2022年に向けて(11)カトリック学校を超えて霊性を再考する。マインドフルネスは霊性につながる?

★前回ご紹介した集いで、若松英輔さん(批評家・随筆家、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)の講演を聴いた後で、「霊性」についてときおり考えています。この瞬間を観想と言えなくもないなあと。contemplationを観想と訳しているけれど、英語の辞書を調べると、熟考とか瞑想とか、思索とかあります。私たちは、もしかしたら、観想をカトリックの特別用語として取り扱っていないかとふと気づきました。

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★若松さんは、今の教皇フランシスコが来日した時、全旅程を随行したそうです。それで、講演では、丁寧に教皇の言葉をひもといていき、その言葉の現代性や意義を語ってくれました。もちろん、日本カトリック学校連合会での集いでしたから、カトリック以外のことを積極的に語られたわけではありません。

★ですから、霊性とか観想という言葉を前面に出したのだと思います。霊性が生まれる大きなヒントは観想だということでしたが、若松さんは神父ではありません。ですからcontemplationという単語も同時に何度も語りました。おそらく観想という言葉は、今では信者でもわかりにくいのではないかという気遣いでしょう。しかし、他にどんな訳語があるかは語りません。おそらく、訳語では観想の真理を言い当てないということなのだと思いますし、カトリック連合会という枠組みがあったので、それ以上言及はしなかったのでしょう。

★しかしながら、一方で、須賀敦子さんの次の言葉も引用したのです。

人は云うだろう。私たちは、修道院にいるのではない。家庭にあって、職場にあって、どうして、修道者の理想の探求にのみ時を費やすことができるだろう、と。シエナの聖女の周囲には、これとおなじ種類の質問をもった人々がつめかけていた。そこには家庭の主婦がいた。町の弁護士がいた。染物屋のおかみさんがいた。カタリナはこの人々にむかって云った。霊魂の中に秘密の小部屋をつくりなさい。小部屋の準備がととのったなら、そこに入って、おはじめなさい。自己の探求を、ひいては神の探求を。(「シエナの聖女聖カタリナ伝」『須賀敦子全集第八巻』p.201-202) 

★これは、ドミニコ会士で、あえて修道院で暮らさず、市民生活の中で霊性開発に挑んだカタリナの話です。世間から隔離された修道院で観想するのではなく、市民生活の喧騒の中でこそ観想するのだと。そのために内面に「秘密の小部屋」を創りなさいという話です。

★カタリナも裕福な家庭に生まれ、それを一切捨てて、霊性の生活を市民生活の中で挑むのです。須賀さんも裕福な家庭に生まれ、普通の成功をあえてつかまずに、世界をかけめくり、修道女にはならなかったけれど、戦後の日本と世界をつなぐ活躍をした方です。おそらくこの箇所は自分の人生と重ねていたのではないでしょうか。

★そして、もしかしたら、この現世の社会の中で秘密の小部屋を作って生きる姿は、若松さん自身がそうなのかもしれません。今や修道院そのものの社会的インパクトはかつてほどではないかもしれません。そういう意味では、修道院から世間という市民生活の中に学校という空間をつくったカトリック学校には、あたかかも秘密の小部屋を内包した人間存在を育成する義務があるのだと、いや使命があるのだと迫ったのかもしれません。

★ところで、教皇フランシスコは、来日する時の自分のテーマをこう語っています。

 わたしの訪問に際して選ばれたテーマは「すべてのいのちを守るため」です。あらゆる人の価値と尊厳を守るという、わたしたちの心で響くこの本能的な強い思いは、今日の 世界が直面している平和的な共存への脅威、ことに武力紛争を前に、きわめて重要になります。

★なるほど、1人ひとりの秘密の小部屋に、あらゆる人の価値と尊厳を守るという、わたしたちの心で響くこの本能的な強い思いを満たすメッセージを伝えにやってきたのだということでしょう。

★しかしながら、これは、何もカトリック学校だけの使命ではありません。カトリック学校は、遠く600年以上前、フィレンツエで、ドミニコ会士サヴォナローラが、この想いを実現するべく、教皇やメディチ家と対峙して火刑に処せられたときから始まって、それがルターに引き継がれ、再び反宗教改革でイエズス会が立ち上がり、その過程の中で、その秘密の小部屋を内包する人間存在の生まれ方を巡って多様な取り組みがなされてきました。

★ところが、サヴォナローラ誕生の100年前に生まれていたのがシエナのカタリナだったのです。内面の秘密の小部屋を市民生活(当時の都市生活は市民生活かどうかは定かではもちろんありません)の中で、最初に創り上げていたのは女性でした。彼女は33歳というイエス・キリストと同じ年で亡くなるのですが、なんとキリストに倣いて、当時のフィレンツエとローマや他の都市を経めぐり、平和のために教皇を動かそうとするのです。今では文学作品として価値のある手紙を何百通も教皇に出したと言います。

★教皇フランシスコが語った本能的な強い意志を、秘密の小さな小部屋に響かせながら。

★しかし、それもカトリックがヨーロッパで大きなインパクトのある時代の話です。それが現代ならどうでしょう。必ずしもカトリックの話でなくてよさそうです。

★今や世界中でクリスマスのことを知らない人はいません。ほとんど人が信仰とは関係なく知っているのです。それをなんちゃってクリスマスだと否定しますか?たしかに、そうかもしれませんが、そんな中に秘密の小さな小部屋が隠されているかもしれません。信仰とは関係なく。

★GAFAが、マインドフルネスを大切にするのは、たんに個人の心身のコンディションを整えようとしていることではないでしょう。それならクリニックの方が合理的です。おそらく精神的な秘密の小さな小部屋をつくろうとしているのではないでしょうか。幸せは人類の平和という永遠の課題を解決するクリエイティビティの泉にこそあるのですから。

★PBLの1つのヒントにピータ・センゲのコンパショネイト・システム思考という熟考システムがありますが、それはcontemplationと大きく違うのでしょうか。ダライ・ラマと響き合っているピーター・センゲ。そのピーター・センゲと響き合っているかえつ有明の佐野副校長や金井達亮先生は教師のためのマインドフルネス講座を行っています。

★カトリックの信仰を普及しようなどとは全く思っていないでしょう。しかし、霊魂の秘密の小部屋をつくり、秘密なのだけれど、いや秘密だからこそ共有する価値が非常にあるのでしょう。

★二人とお会いするとそういうカリスマがあります。カリスマとは支配性とかいう意味では、ここではありません。霊性に包まれている雰囲気を私は思い浮かべます。

★NY国連も、ノーマン・ロックウェルの黄金律の絵を飾り、キリスト教を超えてあらゆる宗教、あらゆる民族、あらゆる人々に共通のルールだと。その黄金律の響きは、教皇フランシスコの語る「あらゆる人の価値と尊厳を守るという、わたしたちの心で響くこの本能的な強い思い」そのものです。

★教皇自身、カトリックの信徒にまずは隗より始めよで「霊魂の秘密の小部屋」を創りなさい。でもカトリック信者にそれは限ることではないのだというでしょう。それは聖書にも書いてあるのです。信者でない者が、信者以上の霊性を有することはあるのだと。誰が信者であるかどうかは、所詮は人間が決めることではないのです。

★成立学園は、目に見えない学力を大切にしています。カトリック学校ではありません。でも、カトリック学校以上に自然を大切にし、自然と接するプログラムをたくさんつくっています。

★まさか、それは霊性であるなどとは言はないでしょう。農作業を観想だとは言わないでしょう。でも、自然本性的にはそういって構わないかもしれません。

★霊性、観想、マインドフルネス、自然本性的・・・・・・・。中身のない意匠を維持するのではなく、本質を生み出す新しい意匠を生み出すことがカトリック学校にも迫られているのでしょう。謙虚に、カトリック以上にカトリックである私立学校に学ぶべきときが来たと思います。

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