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2021年4月

2021年4月30日 (金)

教育のアップデート~2022年に向けて(10)カトリック学校の今後のかじ取り 若松英輔さんの講演を通して

★本日(4月30日)午前中、日本カトリック学校連合会 第33回「校長・理事長・総長管区長の集い」がオンラインで開催されました。日本の幼小中高大のカトリック学校から160人の方々が参加していました。基本ウェビナーですから、最後の分かち合いに参加しなければ、各参加者の顔だけ見ながら、講演などを聴くスタイルでした。私は、午後の分かち合いには出ませんでしたが、午後の基調講演は聞きました。

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★その講演は、若松英輔さん(批評家・随筆家、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)によるものでした。テーマは、<「いつくしみ」の神学――教皇フランシスコの霊性>でした。

★興味深かったのは、カトリック学校でありながら、この霊性をきちんと教育していない学校は、経済的にも経営上もうまくいていないところが多いということでした。では、霊性だけでおこなっていればよいのかというと、そんなことはありません。

★若松さんがいいたかったことは、理性と知性と感性をうまくやって経営的にうまくいっていたとしても、それはカトリック校ではないというのです。ポストコロナのカトリック校は、冷静の教育を行い、カトリック校としてのアイデンティティを持つべきなのだと。

★がしかし、霊性だけやったとしても、これまた経営上うまくいかないのだと。しかし、目に見えないものを大事にしているのだから、貫き通せばよいのだというわけではないでしょう。

★人間力というのは、理性も知性も感性も必要です。そしてカトリック校ならば霊性もというわけでしょう。

★ところで、霊性とは何でしょう。それは1人ひとりによって違います。いつ降りてくるかはわからないからです。ただ、その機会を待つために、観想という行為はした方が良いということでしょう。

★降りてくる機会をつくるルーチンはそれぞれによって違います。

★カトリック関連行事を行えば、観想ができるかというと、それは個人によって違います。

★若松さんは、教皇フランシスコの次の言葉を引用します。

 いつくしみの文化は、熱心な祈りや聖霊の働きの素直な受容、聖人たちの生き方を詳しく知ることや、貧しい人々の近くにあることで形をとります。それは、かかわりが求められている状況を、わたしたちが見過ごさなように迫ります。「いつくしみの理論化」の誘惑は、参与と分かち合いが、わたしたちの日常生活の一部となる程度に応じて克服されます。(教皇フランシスコ使徒的書簡「あわれみあるかたと、あわれな女」p.34 )

★一見わかりやすいパラグラフですが、これは、ドミニコ会とフランシスコ会が歴史上仲が悪かったことが現われている実に重要な箇所です。

★ドミニコ会は、ヨーロッパの神学や哲学を理論化した修道院です。時同じくして聖フランシスコは、直接自然と神の声を受容する修道会を結成しました。

★もっとも、聖ドミニコと聖フランシスコは仲が良かったということですが。

★いずれにしても、カトリックは一つであるのですが、アイデンティティは同じでも、それぞれに違うということです。ただ言えることは、ドミニコ会は女子修道会をつくるのに大きな功績をのこしました。今から考えると、何が功績なのかわかりにくいですが、当時は今では想像もできないジェンダーギャップがあったわけです。

★そこのケアに励んだということなのでしょう。

★聖フランシスコはプロテスタントの人びとからも人気がありますが、聖ドミニコはたぶんあまり人気がないのですが、聖ドミニコの精神は、修道会に引き継がれ、宗教改革やフランス革命の準備をしていたのはドミニコ会士であることが多かったからです。

★さて、カトリック学校が互いにアイデンティティを確認しながら、それぞれが独自に教育出動をしていく以外に方法はないのでしょうか。歴史に学べば、そういうことになります。ドミニコ会とフランシスコ会に限らず多くの修道会ができたのですから。

★しかし、それでは、困難を極めるカトリック学校もでてきます。では、どうしたらよいのでしょうか。考えてみます。おそらく、それは観想に結びつくことでしょうから。

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2021年4月29日 (木)

教育のアップデート~2022年に向けて(09)脱偏差値再考 水平的多様性アプローチで

★多くの高校生にとって進路は、日々迷い頭の中から離れない問題です。部活や生徒会活動、自分の趣味などと勉学の両立をどうするのか試行錯誤の日々です。

★ある一定の高い偏差値が集まっている学校は、高校全体の3%くらいです。残りの97%は、東大は行けなくても、MARCHはなんとかしたいと考えているところがほとんででしょう。かくして、垂直階層構造の枠組のなかに高校はすっぽりはまっているかのようです。

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★これがいかに問題かは、わかっていても、毎月のように実施される模擬試験の結果は偏差値序列の評価がでます。だから、生徒は偏差値を上げるためにはどうしらよいのか教師と相談しながら取り組んでいきます。みんなががんばれば、偏差値はあがらないというシステムであるにもかかわらず。

★かくして、脱偏差値が重要だとわかっていても、その枠組みの中に絡めとられてしまいがちなのが現状です。

★だから偏差値を捨ててしまえということでしょうか。脱偏差値とは、聞こえはいいのですが、現実あり得ないわけであって、いくら叫んでいても事態は改善されません。

★だから、「脱偏差値」の意味を捉え返してみようと思うわけです。実は、カラオケで歌をうたって、点数をあげるには、機械の判断システムに合わせて歌えばよいのです。ですから、その歌をうたっている歌手本人が歌うと点数があがらないなんてことがあります。

★偏差値は、偏差値があがるシステムからはずれると本物の才能があっても評価されないのです。ですから、脱偏差値というのは、そのシステムを知った上で、そのシステムとは違うシステムで対抗するということです。

★偏差値システムを知った上で、別のアプローチをとるわけですから、偏差値を無視するわけではないのです。

★自分の受けたい学校の入試問題と模擬試験の問題を分析して、共通点と違いを見出します。共通点が多ければ、偏差値システムを利用します。あくまで、自分自身が利用すると判断することが肝要です。違いが多い場合は、その部分で自分の才能が生かせるかどうかを判断します。そうすれば、その大学の模擬試験での偏差値はDランクだとしても、挑んでみる価値はあるでしょう。挑む前に、D判定を他人にしてもらって、従ってしまうというのはまさに偏差値システムに飲み込まれてしまうことを意味します。

★「脱偏差値」とは、かくして既存の枠組システムと自分のシステムを比較して、違いをしるということなのです。それによって、たとえD判定でも、参考にはしますが、自分のアプローチを構築するということです。

★偏差値システムも、受験コミュニティという社会のルールです。そのルールが民主主義的な普遍的ルールに適合しているかどうかは、自分で判断できる力をつけたいと思うわけです。そうなると、もう偏差値という他人のルールに自分の人生をゆだねる必要はなくなります。

★「脱偏差値」とは、民主主義的社会の多様なサブシステムの矛盾をみつけ、その矛盾に取り込まれないようにする学力を見につけるという意味でしょう。そして、偏差値は垂直的階層システムですから、そのシステムに取り込まれない水平的多様性システムを身に着けることです。

★それによって、偏差値から見たら、なぜこの生徒が合格したのだろうということが頻繁に起こるような状況を創っていくことです。進学実績を上げるということは、新しい尺度であげていくという意味で、なんら脱偏差値と矛盾しないのです。

★水平的多様性システムで進学実績を出そうとすることは、実は世界を変えることなのです。

★海外大学へ目を向ける生徒がでてくるというのは、そういうことの1つの証でもあります。

★偏差値社会に対するユートピアは、どこか遠くの脱偏差値社会にあるのではなく、偏差値社会の中に水平的多様性システムの場を拡張することによって現れるのだと確信する今日この頃です。

★脱偏差値と同様、脱教科書は、教科書や教材を徹底的に多角的なアプローチで接近することで成り立ちます。教科書を捨てて、他の何かがあるわけではないのです。

★脱偏差値や脱教科書のヒントは、偏差値や教科書のシステムの中に内包されています。それを解放することこそシンプルで最も効果的です。

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2021年4月28日 (水)

教育のアップデート~2022年に向けて(08)チェーザレ、ジョバンニ、サヴォナローラの葛藤の行方が2089年を決める

★600年前ルネサンス後期で、ルターの宗教改革が起ころうとしていた時代、フィレンツェでは、メディチ家とスペインのボルジア家が争っていました。前者は資本主義を生み出した家系です。後者はマキャベリが尊敬した理想の君主を輩出した帝国の象徴の家柄です。このとき、フランスからも学生がやってきていて、のちのブルボン朝を生み出す伏線が敷かれています。資本主義とフランスとスペインという帝国がぶつかっていたのが、その時期です。

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★物語については、惣領冬実さんの「チェーザレ 破壊の創造者」全12巻をご覧ください。

★私は、この書の中で、メディチ家からもボルジア家からも怪しいと疎まれたドミニコ会の宗教改革者サヴォナローラに注視したいと思います。サボナローラは、メディチ家とボルジア家の教皇の座を狙う覇権争いと、メディ家の贅沢三昧の欲望の商業主義を批判し、また当然スペインやフランスのように教皇の座を狙いほしいままに世界を支配しようという権力に対し厳しく対峙しました。

★それゆえ、惣領さんの物語の中では、両家にとって怪しい存在と位置付けられているのです。

★何せ、この物語の主人公はチェーザレ・ボルジアで、マキャベリが理想の君主と称したその人です。

★サボナローラは物語では得体のしれない存在とされるわけです。実際、史実では、あまりに厳しい神権政治をを行ったので、市民からも疎まれ、特にサヴォナローラが住まいとしていたサンマルコ修道院へのサポートをしていたメディチ家にとっては、いったいなんなんだと思われ、政略の内に捕らえられ、拷問と火刑に処され殉教したのです。

★しかしながら、その松明はルーターに引き継がれ、本格的な宗教改革が行われるわけです。

★不思議ですね、ドミニコ会はカトリックですが、この修道会は、ときどき教皇が権力をもち腐敗政治を行うと、反旗を翻します。いわば内部告発ですから、聖フランシスコ修道会とは犬猿の仲で、フィレンツエにいたフランシスコ会は、メディチ家側にたったのです。

★詳しくは、惣領さんの漫画をぜひご覧ください。私が言いたいことは、この殉教をしたサボナローラの精神が、ルターやフランス革命などに引き継がれ、宗教改革だけではなく、市民革命も生み出すことになったのではないかという仮説です。

★一方メディチ家は、産業革命へとつながり資本主義を生み出す原点だったかもしれません。そして、チェーザレは、軍事力による平和を維持するという近代軍隊への道を開いていった可能性があります。もちろん、将来イギリス艦隊にスペインは破れるのですが、このチェーザレの軍隊を背景にした教皇権力奪取の動きは、国際法を発展させるきっかけになったことは確かでしょう。

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★当時は、ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロも活躍していました。実際に、チェーザレとライバルだったメディチ家のジョバンニは、のちの教皇になってミケランジェロやラファエロを庇護します。

★上記の図のように、イギリスの名誉革命から100年ごとに革命やパラダイムシフトが起きています。革命が起こるその相克の原因は、しかし、当時のフィレンツエにあったのでしょう。

★欲望の資本主義や軍事力強化による覇権主義は、今度こそその両方が排除して外部化したサボナローラの考え方のある意味復権によって反省を迫られるでしょう。SDGsがそれを徹底するかどうか、それを今世界各国が議論し始めているわけです。とはいえ、欲望の資本主義と覇権主義とmen for othersの精神性の葛藤は、あの当時のフィレンツェ時代と変わらない普遍性があり、残念ながらそれをも含めて多様性と言います。

★多様性は尊重しなくてはならないけれど、それは極めて複雑です。

★複雑性の適合化をどのように創っていくのか。歴史に学びながら、2089年をZ世代がどう創っていくのか?私たちはよきアドバイザーやメンターでありたいものです。

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教育のアップデート~2022年に向けて(07)新教科「公共」 教科横断的な問いのヒント

東京法令出版の「公共」という教科書にざっと目を通しました。2022年から本格的に高校の新学習指導要領が始まるわけですが、「公共」も「現代社会」に代わってできる新教科です。「現代社会」とどう違うのか関心があったので、見てみたわけです。

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★斬新でした。たんに目新しいというのではなく、そもそも「公共」というモノではなくコトが大事なのはなぜなのかを感じ・考えるレンズをあてがうのではなく、生徒1人ひとりが生み出していく「思考実験」をし、自ら「問いの生成」を行えるように仕掛けています。

★アリストテレス、ホッブスなどの啓蒙思想家、ベンサム、カント、ロールズなどの正義論をわずか4ページですが紹介し、多様な価値観や判断のアプローチを思考するヒントになっています。

★最初の章立ては、幸福とは何か、正義とは何か、公共とは何か、社会の中の個人とは何かなど、続く政治や経済社会、ケアや循環の社会、AI社会、脱炭素社会などの章を見通していく時に必要なものの見方・感じ方・考え方のレンズ生成の場=トピカとなっています。

★知識の上でも、寸止めではありますが、パノプティコンからシノプティコンへという流れをつかめるようになっているので、現代社会とは違うコンセプトがあるのだろうと推察できます。

★リバタリアニズムとかリベラリズムとかコミュタリアニズムなどの座標系を提示はしていませんが、考えようと思えば考える入口に立てる枠組みが編集されています。

★これはある意味法哲学的な発想じゃないかと思い、監修者や執筆者リストを見ると、ああなるほどと。大屋雄裕教授(慶応義塾大学法学部法哲学)がその中に入っていました。新進気鋭の法哲学者です。

★従来の教科書というより、これはレジュメ集だなあと。そう思い、同社のサイトをみると、またまたなるほどと。深い学びのための資料やデジタル教科書へのつながりがシスタマティックに用意されています。

★いずれにしても、大屋教授的な発想(ほんの片鱗で、大屋教授の書籍に比較すれば、入り口の入口の入口の・・・かもしれません)を学ぶと、その学びのレンズは他教科にも活用・適用できます。

★「公共」という教科を選択しない生徒もいるでしょうが、もし他教科の先生方が、「公共」の最初の部分の思考実験などを導入すれば、おそらく教科横断的な発想レンズを生徒自身が生成できるようになる可能性があるなあと感じた次第です。

★ほかの出版社の教科書を見ていませんが、文科省のチェックが入るので、基本線は変わらないでしょう。「公共」という教科は、「対話的・主体的で深い学び」というアクティブラーニングにならざるを得ない教科です。

★教科書のシステムも、電子書籍化になり、そうなると教科書を出て、多様なコンテンツをweb上でリサーチするシステムにもなっています。

★何より、哲学的な発想レンズを生成することが埋め込まれています。

★PBLに発展させるか否かは、教師次第です。

★それにしても、この「公共」の発想は、すでにPISAや中学入試の適性検査、思考力入試で実現されてしまっているものでもあります。その発想の一端を大学入学共通テストも埋め込んでいます。神奈川県立高校をはじめとする公立高校の入試問題も適性検査の影響が色濃いですね。

★今年の早稲田の政経の独自入試はその象徴的な存在でした。新しい学びの社会実装へのパラダイムシフトは着々と進んでいます。

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2021年4月25日 (日)

GLICC Weekly EDU(31) 石川一郎先生 教育の本質を語る PBLの<P>をどうとらえるか

★先週金曜日(23日)、いつものGLICC Weekly EDUで石川一郎先生と対話をしました。タイトルはGLICC Weekly EDU 第27回「石川一郎先生との対話―New Power Schoolを牽引する教員とは」でしたが、NPSの教員の定義というより、教員が実現しようとしている本質とは何か、その価値とは何かという話に広がりました。

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★石川一郎先生は、聖ドミニコ学園や湘南白百合はじめとする私立中高一貫校のアドバイザーであったり、PBL研修をしたり、講演活動で全国を飛び回っていますが、毎年複数冊本を発刊する執筆活動もパワフルです。がしかし、本質は21世紀型教育機構の理事です。

★World Makingな教師や生徒が育ち広がっていくことが、Men for others(MFO)を実現するという信念やコンセプトを私たちと共有しています。

★日本は少子高齢化と言えどもまだ小学校から高校生までは1200万人います。彼らが、学歴社会というタコツボで椅子取りゲームをし、その中で誰かがお山の大将になり、他のみんなが鬱屈感を感じざるを得ない物心両面の格差社会を生み出している日本の現状を開くには、グローバル教育が有効でしょう、PBLが有効でしょう、ICTの活用が有効でしょう、リベラルアーツやSTEAMや哲学教育が有効でしょう。

★しかしながら、、石川先生と一致したのは、それをコーディネートしたりプロデュースしたりするのは、あくまで教師なのだと。外部のコンサルタントでもインストラクターでもないのだと。石川一郎先生のアドバイザーという仕事は、そのような教師の魅力と自信を内側から湧き出てくるフィードバックをしているのです。あくまで教師と生徒が中心なのです。

★そうはいっても、世の中は悪貨は良貨を駆逐するのが常のようです。教師が不安だったり自信がない姿を素早く読み取り、そこにすっと入って、教師の内側から魅力も自信も生まれないうちに、ビジネスをして、受益者負担と称して利益を吸い上げる欲望の資本主義は忍び寄ります。

★厄介なのは、当の本人は良いことをしている、サポートをしていると万能感に満ち、このようなことを指摘する私などに対し、なぜそんなことを言うのか理解ができない不愉快だとなりがちです。

★しかし、たとえば、勤務校では、私は、学内の先生方や生徒の内側から魅力、自信、才能があふれでる環境をつくり、外部からの欲望の資本主義のアクセスを阻止するのが役割だと思っています。もっとも、学内のみんなが、私では役不足だと思っているかもしれません(汗)が、そこは弱さを知っている人間は強いというパラドクス(勤務校の守護聖人の考え方です)を信じて精進、精進、日々精進です。

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★誤解しないでいただきたいのですが、閉鎖的な学校を目指すということではありません。石川先生やこの番組を主宰している鈴木さん、本物探究を目指している神崎さん、21世紀型教育機構の先生方のように本質を共有している仲間とは当然つながっていくし、つながっているのです。

★人間を始め、生物は、みな開放系です。自然と社会と仲間とつながっています。しかし一方でルールがあります。開放系は民主主義的ルールを遵守して行われるということです。欲望の資本主義は民主主義のルールに違反しています。裁判に持ち込まれない限り、それが明らかにならないだけです。というか、そんな係争関係をつくらないように防衛するのが大切だということです。

★開放系を守るために選択ディシジョンはしますよということです。

★教員の本質はそこにあります。2022年高校生は卒業すると同時に成人になります。民主主義的思考・判断・感性・行動ができる社会実装メカニズムとしてのルールを使いこなせることがWorld Makingの基礎力=MFOということになります。PBLがいかに重要か。そして、石川先生の語るように<P>の意味を本質的に捉えることの重要性がここにあります。さすがは石川一郎先生です。詳しくは動画をぜひご覧ください。

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2021年4月24日 (土)

教育のアップデート~2022年に向けて(06)もうひとつの人新世プロジェクト 田中歩先生と対話

★昨夜というか真夜中、田中歩先生(工学院大学附属中高教務主任)とZoom対話をしました。新しい何かがチラチラしたとき、ご迷惑も顧みず、いつも歩先生にZoomをお願いしてしまいます。少し長くなりますが、今回もこんな経緯がありました。

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★先日NHKの視点・論点で、斎藤幸平(大阪市立大学 准教授)さんが、「人新世」について語っていたのを勤務校に行く準備をしながら聞いていました。勤務校の朝は早いので、NHKをつけると、この時間帯に視点・論点が流れているのです。斎藤さんの「人新世」についての著書はベストセラーですから、このような番組に出るのは当然でしょう。

★「人新世」とは、パウル・クルッツェン(ノーベル化学賞受賞者)さんが、地質学上の歴史区分に新たな「人類の時代」という意味で提案した新名称のようです。それを斎藤さんがわかりやすく説明すると同時にさらに発展させているのだと思います。産業革命以来、ご承知のように、環境破壊が加速度的に進行し、人の力で、地球の地質に影響を与え危機をもたらしている時代です。この破壊しているものが、私たちは気づかなかったのか無視していたのかは判断がつきにくいのですが、社会的共通資本、すなわちコモンといわれるものだと。それを回復する新たな好循環の経済社会をつくることはいかにしたら可能かというのが視点・論点のようです。

★ただ、斎藤さんは、そこにマルクスの考え方を導入するので、ややこしくなります。マルクスの思想や言説は、なかなか今の世代にはわかりにくく、誤解を招きやすく、カトリック精神の勤務校にはダイレクトには適応できません。そもそもコモンの考え方は、パウロに影響を受けたサボナローラやルターというカトリックとプロテスタントの両陣営から起こった宗教改革の時代に遡ります。そして、同時にその時代はルネサンスの時代も重なっています。

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★人新世を考える際には、歴史は産業革命(revolution)だけではなく、ルネサンス(renaissance)、宗教改革(reformation)という3つのRを関連付けることも必要でしょう。ですから、引用するのなら、その辺まで遡っても可能です。ですが、私は、歴史に学ぶコトは重要ですが、いまここでそのような知識がなくても高校生がいまここでまずは語り合える深い学びはどうしたらできるのか、そのうえで、必要であれば歴史をリサーチする。そんな学びができないか、要するに「もうひとつの人新世」の捉え方はないかと思うわけです。どうしたらよいか?そんなとき、いつも対話をお願いするのが、田中歩先生(工学院大学附属中高・教務主任)です。

★歩先生とは、いつも学習指導要領をベースにしながらも、その意図を汲み取り、文科省が日本の教育のアップデートを考えている普遍的な質感をあぶりだす対話をします。

★理論や歴史を学ぶコトは大事ですが、その知識の堆積が、本質的なものを見えにくくするという不条理は、今年の慶応義塾大学環境情報の入試問題ではないですが、あるあるです。

★歴史に学ぶコトは、その堆積された知識が生み出されてきた源泉にいきつくことですが、その源泉は過去にあるのではなく、いまここにもあるのです。そしてそれをいまここでみつけその源泉から新たな知識や概念、意味を見出すことが未来の世界をつくる永遠の瞬間を生徒が手に取ることができるのだと。

★しかしながら、人類は、それを素手で手にすることはできなかったのです。必ず道具を介していました。その新たな道具は何か?もちろん、テクノロジーであることはいうまでもありませんが、落合陽一さんは、民主主義もテクノロジーだととらえるぐらいですから、私たちもICTとそれ以上のテクノロジーを付加価値として見出す必要があります。

★多くの教師が大好きなHTH(ハイテックハイスクール)でも、エンジニアリング以上のテクノロジーの重要性を語っています。テクノロジー以上のテクノロジーとはいかにも腹痛が痛いという自家撞着的、あるいは自己言及的な言い方です。

★まさに、不条理とかダブルバインドでしょう。でも、これはネガティブにとらえるより、そこから新たな創意工夫が生まれるとポジティブに捉えたほうがよさそうです。

★工学院は中野由章新校長を迎え、また新たな展開を生み出していくそうです。いやいるそうです。その点については、5月7日のGLICC Weekly Eduのyoutube番組で詳しく田中歩先生と対話したいと思います。

★いずれにしても、SDGsをさらに発展させたもうひとつの人新世の時代の新しい社会づくりプロジェクトは、1校だけではできません。多くの協力が必要でしょう。またしてもファーストペンギンの仲間との活動が見えてきたわけです。今回は、成城大学の杉本教授にもお知恵をお借りしたいと思っています。かくして「もうひとつの人新世プロジェクト」について、大いに対話が盛り上がりました。具体的な内容は、歩先生や聖学院の児浦先生をはじめとする仲間の先生方と対話しながら進んでいくと思います。またご紹介いたします。田中歩先生、夜中遅くまでありがとうございました。

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2021年4月21日 (水)

教育のアップデート~2022年に向けて(05)異次元の探究 新しい高大連携の模索始まる 思考コードベース

★勤務校の生徒のタレント(賜物=タラント)を見ているうちに、タラントは豊かにするのがセオリーだからと思った瞬間に、あれっ、ダボス会議やNHKで欲望資本主義をなんとかするために、才能主義だとかグレートリカバリーだとか話題になっているのは、これじゃないかと直観しました。

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★つまり、マックス・ウェーバーのいうプロテスタンティズムと資本主義の話です。もともとパウロのローマ書を大切にしたルターが考えたタラントは利ザヤを増やすことではなく、賜物を増やす社会だったのですが、それが世俗化して=資本主義化してしまったということでしょう。

★市場経済は、プロテスタンティズム以前の中世の都市経済で始まていますから、カトリック神学の理論でもあるとは、シュンペーターですが、そのときすでに、パウロでいうところの律法上(今の法律と同じ感覚)の利益と新約的神法上のタラントでは、意味がちがっていたわけです。

★この神法を、現代化したものが社会的共通資本だと考えると、つまり、自然と社会と精神が循環する政治経済社会が、欲望資本主義から移行する才能資本主義かもと。欲望の増幅か才能の増幅か。格差の増幅か、幸福の増幅か。

★そんなことを考えていたら、どうしてもご相談にのっていただきたくて成城大学の杉本義行教授に電話をしてしまいました。すると快く対話していただけました。そこでSDGsのもっと根本レベルの探究や現在の経済社会のメカニズムをリサーチしながら、世界の問題がどこからくるのか推理しながら目の前の問題を探究していく場が必要だということになりました。

★たしかに、目の前の問題の背景には世界の根本問題があるわけで、そのつながりを見出すことは大切です。しかし、それは単純ではありません。水平的多様性の多角的目が必要です。

★そこで成城大学の仲野想太郎さんにメッセンジャーで連絡すると、いつでも声をかけてくださいと。仲野さんは工学院大学附属高校時代に組織開発の実践をしたり、SDGsのグローバルプロジェクトで起業家研修で成果をあげています。40歳も離れていますが、私のすてきな友人(そう私が勝手に思っているだけですが^^;)です。

★同時に児浦先生(聖学院男子校の21教育企画部長、国際部長、広報部長、オール聖学院の教育開発センターメンバー)と田中歩先生(工学院大学附属中高教務主任)にもメッセージを送りました。すると、二つ返事で、同じこと考えていました!用意できていますということになりました。お二人とは、いつもワクワク共感度が高く速く未来に向けて持続可能性大です。

★まずはじめは、思考コードベースでやっていく異次元の探究プロジェクトになっていくと思います。和洋九段女子の新井先生(教頭)と静岡聖光学院の田代先生(副教頭)とはテレパシーで通じていますし(^^;)、思考コードの別プロジェクトで山下社長(首都圏模試センター)とも動いていますから、おそらく脱炭素社会の新しいアプローチのコミュニティーがゆるやかに広がり序破急のテンポで成長していくと思います。

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2021年4月20日 (火)

教育のアップデート~2022年に向けて(04)社会的共通資本としての教育の捉え返しが生まれる

★持続可能性社会とか循環型社会とか言われて久しい時間が流れています。SDGsもその流れの一環です。いずれも大事な概念だし、抽象的な概念のままで終わらず、具体的な概念として時熟することが大切なことはいうまでもありません。

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★しかしながら、なかなかうまくいかないし、うまくいっているようでも、幻想だなどという声も聞こえてきます。

★ざっくりの話ですが、たしかに社会的共通資本の価値を認めずあるいは無視し、使い尽くしていることによって、さらにはまた間違った活用によって、循環が絶たれている、あるいは悪循環になっているということが起こっています。

★だから、社会的共通資本を大切にし、枯渇しなきようにしようというわけですが、果たしてそれで大丈夫なのか。

★枯渇しないようにしなくてはならないのではないだろうか。この根本的なところを見逃すと、限界の速度が遅くなるだけではないのか。

★そんな不安もよぎります。

★そもそも社会的共通資本である自然とインフラと制度(たとえば教育など)が、市場経済とどのように循環するというのでしょうか?

★実はそこは謎のままです。

★とくに制度としての教育の部分は、身体脳神経系で生まれる精神や知の循環メカニズムがまだまだ解明されていません。自然やインフラという外的社会的共通資本と内的な共通資本がどのようにつながるのかまだまだ生命科学や心理学や精神生物学などなどの解明が必要です。

★つまり社会的共通資本の概念のアップデートが必要です。古くて新しい概念です。固定化された概念や意味の丁寧な見直しの時代がやってきたようです。

★そして、学びとは、この外的社会的共通資本と内的な社会的共通資本の媒介だということなのです。たとえ、科学的に解明されていなくても、経験を積み重ね推理しつつ検証していく必要があります。この推理はアブダクションと最近は呼ばれているようです。

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教育のアップデート~2022年に向けて(03)多様な世界のバージョンの中から創り出すもうひとつの世界バージョンという実存

★本多由紀(東大教授)さんではないけれど、世界は垂直的序列化バージョンと水平的多様化バージョンが併存するようになりました。前者から後者へバージョンアップといいたいところですが、まだまだそうはなっていません。しかしいずれにせよ世界のすみずみまで、この併存体験を日々している私たち実存です。

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★というのも、テレビやネットの情報をみていても、垂直序列化のパワーを感じながらも自治体の水平的多様化も感じる状況が日々流れています。感染対策をどうするかは、常にこの両者のコミュニケーションです。もちろん、それがうまくいているかどうかは評価の分かれるところで、メディアは、その議論でにぎわっていて、見ている側は、判断はだれがするのかと自問自答しつつ、結局自分で判断するしかないと自己バージョンが生まれるわけです。

★学校に行くと、休業するかどうかの前に、行事をどうするか、部活をどうするのか、毎日の感染対策の検温、マスク、アルコール消毒、PBLのワークショップのどれを選択するのか、その学校の独自のバージョンが生まれます。

★独自とはいえ、国のバージョン、自治体のバージョンがあって、その都度お知らせが学校には流れてきます。それは、公立学校向けのバージョンですから、相対的に垂直序列化のバージョンが公立学校では働いていますが、私学はそれを参照しつつもどうするか、私学コミュニティの情報も得ながら独自のバージョンを判断して生み出します。

★もし、その学校が知識重視のカリキュラムをくんでいたとしたら、垂直序列化バージョンに準ずればよいのですが、体験の中から気づきをえて、その好奇心を探究へ広げ深堀していこうというPBL型のカリキュラムを組んでいたとしたら、その学校は生徒の命の保障と学びの機会の確保の間で起こるジレンマに直面します。

★国や自治体、公立学校のコミュニティ、私立学校のコミュニティだけではなく、保護者のバージョンも考慮しなくてはなりません。まさしく垂直的序列化と水平的多様化の複雑系の中から独自のバージョンを創るシステム形成に迫られます。

★その時考慮にいれるのが、「時間」です。常に、いつまでに何をやると効果的かという意味の判断をするわけです。今さらながら「時間」のマネージメントが重要です。

★同じ時間でもバージョンが違います。時間もまた垂直的序列化と水平的多様化の両方が併存しています。これは、しかし、昔からの話で、自然法則そのものです。時間の垂直的序列化に偏ると、モモのように時間泥棒と闘うことになりますが、水平的多様化だけでは、コミュニケーション世界は没交渉的あるいはタコツボ型コミュニケーションになります。

★中庸という幾何学的バランス点を巡って正義論や法理論、認識論、存在論を語り尽くしたアリストテレスをサンデル教授が頻繁に引用するわけですね。

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2021年4月18日 (日)

教育のアップデート~2022年に向けて(02)グローバルイノベーションは当たり前になり、はやくも次の変化がやってくる

★今年3月で、東京都の区市町村の小学校と中学校には、1人1台の端末が配備されたようです。GIGAスクール構想の進捗は遅いと言われながらも、これはすごいことです。また、昨年から小学校5、6年生は英語の教科化がスタートしました。学習塾も学校も、英語分野とプログラミングなどの部門が活況を帯びていることは間違いないようです。

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★東京の高校は、来年から1人1台の端末を支給された生徒が入学してくることになります。配備された端末は返すのでしょうか?仮にそうだとしても、一度手に取ったICTのツールを使わないで高校生活を送るということは、考えにくいですね。

★英語に関しては、中学入試ですでに英語入試が増えてきていますが、帰国生でなくても、教科として興味をもち、すでに英検準1級ぐらいを小学校卒業時点で取得する生徒が増えてきています。

★グローバルでイノベーティブな雰囲気は、2023年までに全国的に広まります。

★偏差値が高い低いにかかわらずそうなります。2024年にはデジタル教科書も普及する予定です。

★ですから、この流れに乗り遅れるとそこに入学する生徒にとっては大変迷惑と言うことになります。

★また、現状の大学入試も、共通テストは少し遅れるでしょうが、大学独自の個別入試ではCBTが進むでしょう。

★そうなってくると、本末転倒かもしれませんが、SATなどや外部英語検定試験で資格を取得して、それらを要件として活用し、本番試験はミネルバ大学のような口頭試問型のオンライン入試ということになるかもしれません。

★こうなると、一般入試と総合型選抜の差異が消失していく可能性があります。

★塾業界は、大学のアドミッション部門をサポートする機能に変質していくかもしれません。

★中学入試では、すでにそうなりつつあります。

★学校選択は、学校自体がアテンションをあげることによって、成り立っているようにみえますが、実質的には、塾の面接によって学校選択が規定されています。

★模擬試験会社の成績表がそのときの資料になりますから、プロデューサーはテスト会社というコトかもしれません。

★これは、NPOか株式会社の違いはありますが、イギリスやアメリカでも同じことです。

★テスト会社は、すでにテストデータが膨大に蓄積されています。

★このデータとアドミッションが循環するシステムはいずれできてしまうでしょう。論理的にはすでに可能なのですから。

★そうなってくると、最終的に大事なのは、オリジナリティと社会貢献性の可能性ということになります。

★それを学べるシステムを有している学校が2023年以降は大事だということになります。もちろん、グローバルイノベーションは大前提です。

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教育のアップデート~2022年に向けて(01)shutomo発刊「世界の教育と入試の変化」

首都圏模試センターが新しいハイブリッド教育誌「shutomo4月号」を発刊しました。本日の合判模試で配布されるようです。首都圏模試センター取締役・教育研究所長北一成さんの圧巻の巻頭特集からはじまり、世界につながる中学入試の動向を豊かな取材と独自のデータで編集されています。教育ジャーナリストのおおたとしまささんの女子美の取材記事も注目です。

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★また、「コロナ禍の2021年入試はどうなった?~中学入試プロフェッショナル・コラボミーティング動画~」など誌上では収まり切れない内容については、同センターのサイトで配信するというハイブリッド編集にもなっています。

★さらに、首都圏模試センター創設30周年記念企画として「偏差値∞思考コード~気づいていますか?未来を予見する3%の穴!」という記事も掲載されているのです。

★首都圏模試の模擬試験の成績表の背景に埋め込まれている「思考コード」を通して、目からウロコの自分や世界、未来に気づけるということ。思考コードの眼鏡を通して、同誌を読めば、学校や教育においても新しい発見ができるということでしょうか。

★3%という感覚は、あらゆる領域で新しい気づきとそこからムーブメントが生まれるという感覚で、3という数字はそのようなメタファーです。

★同記事の中では、たとえば、開成の3%ってなんだろうということが例として挙げられていて、開成の目からウロコのイメージも表現されています。

★オンライン教育も、ファーストペンギンは私立学校だったわけですが、首都圏私立中学に通学する生徒は、全国の中学の3%くらいですから、3%というのは、たしかに何かを生み出すシェアを表現しているのかもしれません。

★100人の組織の場合、その3%の3人が革新的に行動すれば、組織は変貌するということでもありましょう。3%の穴に気づく3%のメンバーのパワーは強烈だということかもしれません。

★首都圏模試センターが、その3%の首都圏私立中学をサポートしているのですから、日本の教育の希望の松明は消えることはないでしょう、4月18日、いよいよ2022年に向けて教育のアップデートはまた始まりました。

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2021年4月17日 (土)

GLICC Weekly EDU(30) 聖学院 数学教師 本橋先生 M型思考力入試を語る 能ある鷹は

★昨夜16日(金)、GLICC Weekly EDU 第26回「グローバル時代の数学とは 聖学院 本橋真紀子先生との対話」が配信されました。本橋先生は数学の教師でありながら、英語やカンボジア語など堪能で多言語主義者です。実際、高校時代から大学まで米国留学をしていました。大学でのメジャーは数学です。本橋先生の日本における数学科教師の歩んできた道は、極めて先進的でした。聖学院は、基本的には、中1から担任は高3まで持ち上がりです。ですから、7年前に卒業生を出したとき、その学年は13年前から担任としてかかわっていたのです。

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★つまり、新学習指導要領で、「深い学び」や「探究」が登場する前から実践していたわけです。しかし、その道はなかなかたいへんでした。ジレンマに耐えながら、屈することなく独自の路線を貫いてきたといえるでしょう。

★本橋先生の教育哲学は、好奇心を大切にするところが原点です。ところが、日本の教育は、長らく大学入試に出るから学ぶという1人ひとりの個性を主観的だからと、あまり顧みなかったのです。もちろん、20世紀末から、個性が重視され始めましたが、それが個人主義や新自由主義的社会風潮によって、本質が見失われてきました。

★好奇心や主観、個性を大事にしながら、そこから世界にかかわっていく教育は、本橋先生の教育哲学だし、聖学院のOnly One for Othersという理念ともシンクロしています。このような教育哲学は、最近才能主義とみなされ注目され始めています。

★一方で、従来の大学入試や資格試験に出るからという発想は、能力主義と言われ、勝ち組負け組発想を生み出しました。

★本橋先生は、能力主義一色の時代から、授業の中で才能主義の火を消さないように奮闘してきたのです。その結晶の1つが同校の入試におけるM型思考力入試です。生徒の才能が生き生きと躍動する入試なのです。才能主義入試ですね。

★もちろん、今でも能力主義は厳然と社会の中心に居座っていますから、無視するわけにはいきません。能力主義かつ才能主義の実存的授業を行っていくわけです。

★しかし、今では、聖学院のすべての教師が同じ想いで教育に取り組んでいます。聖学院が才能主義と能力主義を乗り越える第三の教育哲学を開発実勢していると言えるでしょう。

★好奇心×自己開示×協働×意味づくり。これぞグローバル時代の数学的思考のベースであり、本橋先生の数学的思考は諸学の基礎であるという信念です。この信念の結晶体がM型思考力入試といえましょう。

★今年は、中1から共に学んできた高3の学年主任です。7年前もそうでしたが、本橋学年ロスは、来年の今ごろまだまだ消えないことでしょう。

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2021年4月16日 (金)

非属の才能教育(12)部活の意味

★森の中で、うぐいすの鳴き声に交じって、野球部の掛け声やバットにボールがあたる音が聞こえてきます。新体育館では、バスケのシュートが弧を描き、ダンス部のパフォーマンスを見つめる顧問の眼差しが優しく包み込んでいます。馬の蹄の音と姿勢の良い高校生騎手たちの垂直の背筋と水平の視線が、馬の構えを決めています。卓球やテニスのラリーの息遣いが夕暮れ時のひやりとした空気に気づかせてくれます。

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★馬術部のコーチが、馬と一体になるには、圧力はいけないよとか、スピードを出しすぎだよとか、肩に力が入っているよとか、旗手たちの圧力を和らげる声が響いています。

★朝制服を着てバスから降りてくる生徒たちとは全く違う姿に驚きながら、自然と精神とチームという組織のルールが生徒の内面で動態平衡を保った時、理想的な対話が生まれているという実感を抱いています。

★そして、また、それは実に繊細で、壊れやすく、だからこそ調整をするためトレーニングに打ち込んでいるわけです。

★対話の難しさ、対話関係を創ることの価値。部活はそこに意味があるなあと。

★朝6:30。八王子出発の中央線。野球部のメンバーと乗り込みます。少し話してみると、それぞれ個性や価値観が違います。個性と協働。ここにも動態平衡が働いています。

★独りよがりが、いろいろなものを台無しにします。そのことをいろいろな経験から彼らは身に染みて了解しています。回復力や復元力も良き経験です。しかし、先生方のフォローとケアはこれまた大変です。

★目からウロコの日々です。

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2021年4月15日 (木)

非属の才能教育(11)能力主義と才能主義

★勤務校は、森の学校で、ちょっとしたユートピアです。全日制とエンカレッジという通信制(以降「エンカレ」)の二つの学校を経営しています。全日制は男性教師の比率が高く、エンカレは女性教師の比率が高いのですが、全日制の教頭は女性で、両校とも、女性と男性の構想力や行動力の平等性を大切にしています。それぞれ興味深いユートピアになっています。

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★学校は生徒にとって個人と集団のバランスを自らどのようにとるかで楽しくも辛くもなるのですが、実は大人でも、個人と集団のバランスをとるのは並大抵のものではないのです。実際個人を大切にするリバタリアンと集団利益を大事にするコンサバは犬猿の仲だし、そのバランスをとろうとリベラリズムとコミュニタリアニズムという具合に価値観も多様です。

★それなのに、生徒に個人と集団のバランスが大事だと説くだけでは、うまくいくはずがありません。そこで、教師が大切なのです。昨今、教師は攻められていますが、攻めている人々は、たいてい個人主義かリバタリアンです。そのような価値意識を押し付けていても、これまた何も解決しません。

★とはいえ、集団主義の教師が多かったのも歴史を振り返れば否定できないでしょう。しかしながら、それは教師の気質とか役割というわけではないのです。もちろん、そう思って率先して集団主義を励行していた人もいたかもしれません。いるかもしれません。

★しかし、ほとんどの場合、社会システムが能力主義一辺倒という偏向主義だったことによる影響が大です。

★それがどうしたことでしょう。世界同時的にメリトクラシーといういう意味での能力主義から個人個人のクリエイティビティを大切にする才能主義に移行しようといういわゆるパラダイム転換が起きています。

★フランスのマカロン大統領はストラスブールにあるエリート官僚養成校ENAを能力主義の権化とみなし、廃校にすると言い出しました。ハーバード大学のサンデル教授が、自分が奉職しているハーバード大学をそうみなし、能力主義は差別主義を生むから廃するようにと提唱し始めました。

★ダボス会議も、ここ数年グローバルイシューを生み出す装置である資本主義を才能主義の新しい経済社会にシフトしようと議論し続けています。実際、グローバル企業は、そうのようなシステムを組み込み始めているところもでてきました。

★日本でも、≪Z世代≫に影響力のある落合陽一さんがNHKの番組を編集しつつクリエイティブクラスを語っています。文科省も静かではありますが、そのような動きを想定しているからこそ「主体的・対話的で深い学び」とか「探究」を新学習指導要領に埋め込み始めています。

★とはいえ、能力主義がなくなったわけではありません。一方才能主義が否定されているわけでもありません。どうやら、社会は能力主義かつ才能主義になってきたようです。

★したがって、学校は、「個人と集団という軸」と「能力主義と才能主義という軸」の2軸の関係性をどう構築していくかで特徴が際立ってくる時代になりました。

★勤務校は、いわゆる御三家のようなカタチの特色は際立っていませんが、地域では全日制は、上記の図でいえば、❶~❹すべてをバランスよく教育する学校として評価されています。

★エンカレは、❶がメインの教育ですが、卒業後それぞれ大学や社会に進みますから、❹の領域もカバーできるように3年かけて教育しているところが評価されています。

★現実社会はまだまだ❷と➌の領域における競争社会ですから、それをはみ出ているという意味では、2つの学校は2つのユートピアです。

★しかしながら、共通点はあります。それはロジカルとかクリティカルとかクリエイティブシンキングとかいうものの前に、コアな思考力を生徒1人ひとりと共有する学びを実施しています。コアプロジェクト学習ということです。

★コアな思考力とは、判断力と世界制作スキルの塊です。「思」は判断力を示唆すると理解しています。「考」は世界創りのスキルです。実はこれらは極めてシンプルです。驚くほどそんな簡単なことと思われるでしょう。

★でも、各教科が共有する意識を持っている学校は、勤務校以外に日本にはないのです。これがユーとピアのもう一つの理由なのです。

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2021年4月14日 (水)

21世紀型教育機構の世界性(03)4人の発起人理事から機構加盟校にメッセージ

★昨夕、10周年を迎えた2021年度の21世紀型教育機構の活動が始まるにあたり、4人の発起人理事から機構加盟校にメッセージが贈られました。ナビゲーターはGLICC代表鈴木さん、10年前の原点に立ち還り機構の正当性、存在理由を平方先生が語りました。機構の21世紀型教育が本格実施して6年目を迎え、海外大学進学実績を始め、多くの成果が生まれ、その妥当性を語ったのは大橋先生でした。機構は常に未来創りをしていく信頼性を獲得する必要性があることを語ったのは、石川先生でした。

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★そして、鈴木さんからグローバル4.0へのアップデートのナビゲートがなされました。

★10年前、私たちはC1英語なんてとたしかに言っていました。PBLなんてとも言っていました。PCを1人1台なんてとも言っていました。海外大学なんてとも言っていました。

★それが、今では加盟校は、C1英語の環境を整えるために、多様なネットワークを国内外につなぐようになりました。実際C1である英検でいえば1級も取得する生徒が多数輩出するようになりました。

★PBLも当たり前になりました。ICTも1人1台が完成している加盟校も多くなりました。2年後には加盟校の生徒は全員1人1台になります。

★ここまではグローバル3.0です。この次元は充実がどんどん進むでしょう。しかし、それだけではエントロピーは増大します。

★そこで、次元をグローバル4.0にチェンジしようということでしょう。

★さて、それはいかにしたら可能か?構想力と哲学が必要です。

★10年前の哲学は要還元主義から関係総体主義でした。それは変わらないのですが、その関係がいまここで変わりました。

★当時は、時間と空間と人間と仲間の「間」というbetweenはわりと単純でした。

時間ークロノス

空間ー3D

人間―自主独立

仲間―理念共同体

★これらのクロスオーバーであればよかったのです。しかし、いまここでがらりと変わりました。

時間ークロノスとカイロスのハイブリッド

空間―3Dと4Dのハイブリッド

人間ー自由協働

仲間ー社会実装共同体

★これらの統合関数態というシフトです。

★すると、C1英語は変わりませんが、それをとりまく多様性の環境が質的変化を生み出すことになります。

★PBLは、myプロジェクトやourプロジェクトからworldプロジェクトからいきなり出発するようになります。

★ICTは、システム思考の社会実装アイテムになります。システム思考社会実装とはリベラルアーツの現代化社会実装ということです。

★そういう意味では、NHKで登場してくるマルクス・ガブリエルさんや落合陽一さんのレベルの発想を機構全体がシェアし、超えなくてはならないでしょう。

★もし、そんなことは難しいと言って回避すれば、グローバル4.0の正当性・妥当性・信頼性の輪は切れるでしょう。そうすると、日本の教育の牽引はできなくなります。

★でも、大丈夫です。今回あまりにあたり前で、思考コードの話がでませんでしたが、このコードがある限りそこは保障されるでしょう。エンジンは埋め込まれているので、通常見えません。

★そして、まだ思考コードの本領発揮をしていないのが、機構の実情です。それがグローバル3.0の限界だったのです。

★生徒1人ひとりがworldプロジェクトのためのリベラルアーツスキルの社会実装のために思考コードはエネルギー態となるでしょう。生徒1人ひとりが思考コードを意識しなければ、全員がクリエイティブクラスになることはできないでしょう。

★意識しなくても無意識の内にできてしまうという生徒は相変わらずいるでしょう。しかし、全員というわけにはいきません。

★全体を見て、未来を見ていても、クロノス時間概念だけでみていては、能書きたれているだけです。いまここでカイロス概念も埋め込み、クロノスとカイロスのハイブリッド時間概念が必要です。今回のパンデミックの歴史観そのものがそうのようにシフトしています。

★時代の局面に立ち臨む21世紀型教育機構がチャレンジしようとしている歴史的意義。これから始まります。

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New Power School(08)和洋九段女子 生徒1人ひとりに多様な世界が結びつくコネクテッドスクール 多くの実績も

★21世紀型教育機構の同志校である和洋九段女子の保護者から中込真校長の今年度の生徒に向けたメッセージビデオを見るように紹介されました。本間さんも自分の学校で、中込校長のようにがんばりなさいというエールだと思います。

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★中込校長のビデオは、終始柔らかい微笑をたたえながら、静かにそれでいて自信に満ちたトークでした。21世紀型教育の3本の柱である英語教育とPBLとICTはいずれも充実し実績もたくさんでているということでした。

★英検1級を取得する生徒もでてきたし、PBLは本当に全学年すべての授業で浸透したということです。何より1人1台のiPad態勢が整い、すでにハイブリッド授業になっているので、今後もますますICTは当たり前の世界になっていくということです。

★また、同校は自らをコネクテッドスクールと呼び、そのコンセプトを広げています。生徒1人ひとりにそのチャンスがあり、NPO、自治体、企業、大学、国連など多くのネットワークが開かれています。

★アドミッションポリシーの実現、カリキュラムポリシーの実現への自信が伝わってくるメッセージです。そして生徒が6年間通して成長して卒業して羽ばたいていくまでのグラデュエーションポリシーがやがて貫徹するという予告編でもありました。

★この3ポリシーが完成するのは、同校の場合は21世紀型教育改革を開始して6年目の今年です。来春にはディプロマ部分の成果も生まれることでしょう。

★6年間の着実な軌跡は、今後不確実でますます予測不能な世界の局面にあって、生徒には1人ひとりの価値づくりになり、自分で判断し仲間と協働して乗り越える力になるでしょう。

★学校生活全体の歩みが、生徒1人ひとりの価値づくりという内面化がなされる本物教育の醍醐味が、和洋九段女子にはあると感じ入りました。

★こういう教育を私も勤務校の先生方とシェアリングしていこうと思います。娘の通う和洋九段女子を誇りに思い、同志校のメンバーである私にもエールを送ってくださる保護者の方に心から感謝申し上げます。

★教育方法のアプローチは違えども、未来に向かって生徒1人ひとりがかけがえのない価値を生成していく本物教育の輪が広まることはとても大切なことです。そして、そういうつながりを実感できました。ありがとうございます。

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2021年4月10日 (土)

非属の才能教育(10)時を創るということは自分を少しずつ変え続ければよい ヘッセから学ぶ

★勤務校は、中高一貫校ではなく高校。生徒と日々出会いながら、遠く50年くらい前の自分を思い出します。下宿をしながら、先輩後輩と食し、学校に行き、帰ってきてからは、よく対話しました。学校から徒歩5分もかからなかったので、自宅から通学している友人もよく泊まりに来ていました。同じ日本人でも価値観も行動も違っていました。そのときは、互いに価値観が違うということを受け入れるよりも、自分の価値が正しいという暗黙の想いで、みな議論をしていました。まさに青春時代でした。

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★今のようにスマホもPCもましてインターネットもありません。娯楽と言えば読書でした。国語は、今でいうビブリオトークでしたから、漱石の前期三部作について読んで、好き勝手な意見を交わす授業でした。基本三角関係の話に集中しますから盛り上がっていました。

★倫理社会も、哲学者のビブリオトークでした。ソクラテスの弁明について担当だったのは今でも覚えています。いくつかほかの作品も読みましたが、平易な対話の割には、読み方がわからず、パートナーと苦労したのを覚えています。

★当時は、吉本隆明全盛時代だったので、左翼的な先輩たちと応戦する武器としてニーチェやフッサールを持ち出していましたが、よくわからず議論していたと思います。

★そんなときに、結局ヘルマン・ヘッセが私の核になりました。中学の教科書に載っていた「少年の日の思い出」はまったく興味がなかった(今はむしろ大事ですね)のですが、高校から別の作品を読んでいったときは、孤独と自主独立と規格外の精神異常のペルソナに変貌するキャラクターが現われる幾つかの作品にのめりこみました。

★ヘッセ自身フロイトやユングも読みその心理システムを埋め込んでいる作品はおもしろかったし、そこから精神分析を学び、修道会ベースの小説が多かったので、ヘッセも引用しているトマス・アクイナスなどから神学・哲学に興味が湧いていったのだと思います。

★ヘッセが庭園も大切にしていたのも興味深ったですね。ただ、ヘッセは日本文化にはあまり興味がなかったのかもしれません。それゆえ、逆に私は日本の庭園に引き付けられました。そこから建築家の庭園づくりに魅了されていきます。イサム・ノグチには一時期のめりこみました。わりと世界のイサム・ノグチの庭を見て回ったと思います。

★レッチワースにもいき、田園都市構想という都市と教育と環境について議論して、建築家とセミナーを企画したこともありました。学校建築についてもリサーチしていた時期がありました。近江のヴォーリーズツアーはよき思い出です。

★結構、こう考えると高校時代の経験というのは、物理的な時間を過ごしてきたのではなく、時そのものを形づくってきたのかもしれません。ハイデガーが「時熟」というのはこんな感じでしょうか。プロジェクトという自己投機が時を生成していくという感じでしょうか。

★ヘッセの言葉の中に次のような書簡抜粋が載っています。

 わたしたちのこの手に包まれている一つの希望とは何か。自分自身を今日いくらかでも変えることだ。 昨日までよりも善く変えていくことだ。本当にそのことを実践する人々 にこそ、世界の幸福はかかっている。 書簡 1950

     ヘルマン・ヘッセ. 超訳 ヘッセの言葉 (Kindle の位置No.340-343). . Kindle 版.

★今、ヘッセの「アッシジのフランチェスコ」を読んでいますが、いつか生徒とフランチェスコが今も生成し続ける時を共有し、生徒自身が時を創っているということに気づける契機をもてたならなあと思っています。

★そして、その自分の創った時が、仲間のそれぞれの時と化学反応を生み出し、時代を創っていくのだと確信しています。

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GLICC Weekly EDU(29) 富士見丘の佐藤副教頭 数々の目覚ましい成果の連鎖を語る。

★昨夜9日金曜日、GLICC代表は番組<GLICC Weekly EDU 第25回「グローバル教育の拠点 富士見丘中学高等学校 佐藤一成副教頭先生との対話」>を配信しました。富士見丘は、海外大学進学実績、国内大学進学実績において目覚ましい成果を収めています。しかしながら、中3で英検準2級70%の生徒が取得するとか、数々の国際的な探究コンクールで優秀賞を受賞したり、強豪テニス部をはじめとする部活でも成果をあげています。

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★詳しくは、Youtubeをぜひご覧いただきたいと思いますが、とにかく破格で豊かなグローバル教育が確立していることを強調しておきたいと思います。

★「破格で豊か」とは、英検準1級を取得する生徒が年々増えているという結果ベースの話だけではありません。海外の大学や高校とのネットワーク、慶応や上智大学、武蔵野美術大学など大学との連携探究学習など豊かな学びのネットワークが結びつけられているということです。

★しかし、そのベースは、考えること、エッセイライティング(日本語であれ英語であれ)、共同編集作業、アート活動などなどPBLの土台があるということでしょう。

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★どうしてそうなったのか。それはSGHやWWLなどの拠点校として、富士見丘の教育を全国の学校とシェアして21世紀型教育を布教しようという覚悟と気概を理事長吉田先生のもとで教職員が皆抱いているからでしょう。

★そして、そのネットワークに富士見丘はNew Power Schoolの息吹を流し込んでいるのです。

★ですから、富士見丘の教育が豊かになればなるほど、その泉から日本全体に良質の教育の命が豊かに伝わっていくのです。

★今年から、私学人の仲間に入れて頂いた私としては、その息吹に学んでいきたいと思います。佐藤先生、ご教示ありがとうございました。

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非属の才能教育(09)エディンバラ公フィリップ殿下の意味

★昨日9日、エディンバラ公フィリップ殿下が亡くなられたとネットニュースで報道されました。99歳だったということです。数奇の運命をたどった方ですから、今後様々なところで殿下の物語は語られるでしょう。エディンバラ公システムの歴史的な経緯はよくわかりませんが、ある意味王家の名称に相当するものです。ですから、フィリップ殿下の前のエディンバラ公がいるわけです。また、今後の新エディンバラ公の話題も世の注目を浴びるでしょう。

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★私にとっては、フィリップ殿下と前エディンバラ公は、フリーダムコミュニタリアンであるクルト・ハーンに導いてくれる光です。というのも、クルト・ハーンは、その前エディンバラ公の交渉によって、ナチスドイツからイギリスに亡命できたのです。そして、スコットランドにゴードンストウン校という革新的なパブリックスクールを創設するようになるわけです。

★これが世界の私立学校が加盟する魂のエリート集団であるラウンドスクエアの一号店です。クルト・ハーンはラウンドスクエアだけではなく、国際バカロレア(IB)の創設にも力をいれました。その一号店がイギリスのウェルーズにあるアトランティック・カレッジです。これもクルト・ハーンが創設にかかわっています。

★アトランティック・カレッジには30年前に訪れて圧倒されて帰ってきました。世界にはこんな魂のエリート学校がたくさんあるのだと。日本はどうだろう。学歴エリート校はたくさんあるけれど魂のエリート校はまだまだだなと。それ以来偏差値から解放された魂のエリート校を探しました。その想いで集まった学校と共に21世紀型教育機構の創設に尽力もしました。

★いわゆる偏差値が低くても魂のエリートはありえます。それは内村鑑三も提唱しています。最近では武漢の作家ファンファンも語っています。魂のエリートとは、弱者に接する態度が違うのです。弱者を救うということではありません。弱者は実はそのかけがえのない存在価値の光を放てば、もはや世を救う光となります。希望となります。弱者だと思われている人と共同してその光を放つのです。

★弱い人こそ強いのだというパラドキシカルな表現をするのが魂のエリートたちです。その魂のエリートのプロトタイプは使徒たちです。勤務校もその使途の1人の名称を冠に掲げています。

★ラウンドスクエアやアトランティック・カレッジのような学校にはなれません。世界の王家やグローバル企業の寄付でできている学校です。とてもその真似は現状ではできません。しかし、魂のエリートを育成する内面的環境は創ることができます。

★日本の文化は、コンパクトです。正岡子規の詩作の出発空間も極めて狭いですし、コルビジェの終の棲家も茶室くらいのサイズだと聞いています。茶室という狭い空間に宇宙を見出す、岡倉天心だと虚空というわけですが、小さい中に無限を見出す境地、時間なら瞬間に永遠を見出す境地。そんな内的世界の∞を感じる魂のエリートが育つ学校にしたいと。

★フィリップ殿下は、クルト・ハーンが校長時代にゴードンストウン校で過ごしました。全寮制の学校です。このとき殿下の家族の悲報が届きます。ハーンがそのことを殿下に伝えたということですが、どう伝えたのでしょう。殿下があらゆる悲しみの中で孤独であっても自主独立の自由の精神を打ち立てた教育がそこにはあったのでしょう。

★そのあらゆる悲しみは、殿下にとっては極限の体験だったでしょう。ハーン自身、ナチスと闘った極限の体験をし、極限の体験教育をゴードンストウン校とアトランティックカレッジで立ち上げたのです。極限の体験から得る気づきは、究極の問いを投げかけてくるからです。その究極の問いを引き受けるのが魂のエリートです。

★今の日本で、勤務校で、そのような体験をするのはなかなか難しいわけです。ですから、茶室的発想で、世界の痛みを感じる新しいコンパクトな体験を生み出す授業を考えたいと思います。

★そのヒントになったのが、冒険家であり文化人類学的な写真家である石川直樹さんの発想です。著書「いま生きているという冒険」のマインドを大切にしたいと思っています。

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2021年4月 9日 (金)

非属の才能教育(08)men for others 再生の時代 フランス国立行政院ENA廃止?

★日本経済新聞「マクロン氏、仏エリート養成校ENAを廃止 22年にも(2021年4月9日 5:57)」によると、「フランスのマクロン大統領は8日、仏エリート養成校の最高峰である国立行政学院(ENA)を廃止すると発表した。一握りの秀才が国を動かしているとの批判をかわすため、2019年に方針を発表していた。代わりにより開かれた養成校「公共サービス機関」をつくるという。仏メディアによると、廃止は22年。」

★もちろん、同紙は次の指摘も忘れません。「22年に次回大統領選があるが、新型コロナウイルス対応への批判などからマクロン氏の支持率は低迷している。ENA廃止は一般国民に近い大統領とアピールするためとの見方がある。」

★たしかに、そいう見方もあるでしょう。しかし、山口昌子さん(産經新聞前パリ支局長)が「ふらんす」白水社で「中央集権国家フランスの権力の象徴「ENA」の運命」2019.05.29で語っているように、ENAの当初の理念が喪失されつつあるのも事実でしょう。

<「権力の苗場」とも呼ばれるENAは、中央集権国家フランスの権力の象徴だ。出身者「エナルクÉnarque」は政財官界のトップとしてフランスを牛耳ってきた。ドゴールは、第二次世界大戦でフランスがあっけなく敗退しナチの占領を許したのは、エリートたる高級官僚にフランス共和国の理念「自由、平等、博愛」を死守する気概がなく、保身や省庁の利益を優先し、理念とは正反対のヒトラーの全体主義、人種差別、反人道主義に屈したからだと分析。官僚の社会的階級からの独立、政治からの独立などを規定した。ENAを踏み台にして政界・財界への転身を図るなど、もってのほかだった。ENA設立の政令に署名したのはモーリス・トレーズ公共相(共産党書記長)だ。親代々の炭鉱労働者階級だ。この1点だけでも、創立の精神が現在のENAとは正反対だったことがわかる。>

★日本は2022年から18歳成人がいよいよ誕生します。政権の人気取りで何であれ、未熟な民主主主義を本当の意味での民主主義を生み出す市民として育つためには、ENAのような学歴階級社会をつくるような機能は、進路選択の向こうにあってはならない。いまここで、そして未来にあるのは、NYの国連のギャラリーにも刻まれているmen for othersのよりどころである黄金律が貫徹する必要があるでしょう。

★マタイの福音に記述されている黄金律について、国連は、宗教や民族、人種、性別など超えて共通のルールだというのです。

★マクロン大統領のように決断するリーダーが、日本にもいるとよいのですが、かりにいなかったとしても、私たちは教育の中でその精神の社会的実装に取り組んでいきます。

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非属の才能教育(07)カウンセラーとオープン・ダイアローグ

★勤務校のカウンセラーの先生と対話することの重要性を実感しています。カウンセリングの部屋の扉をたたき、私の言動について自分の不安を素直に話していくと特にアドバイスとかは直接ないのですが、気づきが生まれて来ます。

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★私の不安は、私だけのものではなく、関係の中から生まれてくるわけですから、見過ごさず受け入れていくことがまずは大切だと感じています。勤務校の人間関係は良好です。とはいえ、教師も生徒も新しいメンバーを受け入れるにあたり、期待と不安は表裏一体であるのが当たり前です。

★不安は時間が解決する過程で起こる互いの感じ方・考え方・動き方などの微差異から生じるのでしょうから、見守ったり受け入れたりすることでたいていは大丈夫なはずなのですが、微差異かどうかは、人によって違うので、微差異だと思い込むのは危険です。

★それで、カウンセリングしてもらいながらモニタリングしてもらえるのはありがたいわけです。

★世の中には、いろいろな研修があるのですが、継続性や一貫性、持続可能性を考えれば、組織の内省的/内製的マスタリー研修が必要だと改めて確信しました。

★カウンセラーの先生とも相談しながら、いっしょにオープン・ダイアローグ的なワークショップをみんなで創っていく共同作業がいいのかもしれません。

★オリエンテーションのプログラムデザインも先生方が動きながら感じ・考え・創造し行動しています。レクチャーとワークショップを教師とファシリテーターのマルチロールプレイをしながら遂行していくようです。オープン・ダイアローグを作ろうとするときのカウンセラーの立ち位置に、オリエンテーションでは教頭が対話をしています。

★世の中は、教師ではなく、ファシリテーターやコーチだとかよくいわれますが、そういう点のデフォルメ的な言説はどうも違うなあと。マルチロールプレイやモードチェンジ、あるいはトポロジー的な発想が本当のところだと最近は捉え返しています。

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非属の才能教育(06)モードチェンジと関係

★高校時代の体験が、卒業後の人生の足場だったり、あるいは泉だったり、原点だったり、心の居場所だったり、創造の瞬間の記憶だったり、それぞれだとは思います。いずれにしても、将来振り返ったとき、そこから成長した自分がいるのは、高校時代のなんらかの経験が生きていると思い起こすことができればよいと思っています。

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★それからもう一つ、卒業して大学や社会に出たとき、幾つもの難題にぶつかり、難局に直面したとき、そのときにこそ乗り越える知恵を発揮できるようにトレーニングができていればと思います。そのトレーニングは、ツールとロールとルールを自在に使いこなす心身知の内的システム循環です。

★これをどういったらよいのか。心身知の内的システムは、環境の中で化学反応を起こすようにしてできあがっていきます。配線をつなぐようにしていくわけではありません。

★対話はつなぐように指示することではなく、化学反応が自発的に起こる条件設定を共にしていくことだろうと最近つくづく思うわけです。

★動きながら感じ・考え・創造し、行動していく環境を生み出す対話。以下にしたら可能か。これまた修行です。

★数学の先生と話していて、設定の仕方だなあと。心身知の関数関係が内的に構成されるようになるには、心身知が変化の中でモードチェンジをしていくことによってだと。

★麻布の平校長がモードチェンジの話をされたのは、そういうことだったのかと気づきました。そういえば、平校長も、もともと数学教師です。

★勤務校の場合、教師も生徒もどのようなモードチェンジを自然に組み合わせて活動しているのか観察し分析してみました。すると、PモードとRモードとFモードをその都度時間と空間と人間の「間」の重なり具合に応じて、モードチェンジをしながら感じ・考え・創造し・行動しているのが了解できました。

★その3つのモードが何かは、いずれ話しますが、この具体的な実存モードの経験が、ツールとロールとルールを自在に使いこなす心身知の内的システム循環を化学変化によって生成されるのだと思うようになりました。

★経験もなんでもすればよいというわけではありません。実存モードチェンジができる経験を設定するということですね。建築家や心理学者なら実存モードという経験のデザインがアフォードするというでしょうか。経済学者ならそのデザインがナッジするというでしょうか。

★しかし、実存モードの経験の設定のとき、教師の見守る情熱とユーモアとやさしさのこもった眼差しが注がれていることが大切です。この眼差しがあるとき実存モードの経験に魂が吹き込まれます。

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2021年4月 8日 (木)

非属の才能教育(05)賜物と対話

★昨日、勤務校の入学式が無事終わりました。入学式が終われば、対面式、始業式、オリエンテーション、英語の合宿、同時並行で授業、部活と立て続けに進むのが学校です。そのバックヤードで、すさまじい先生方の動きながら考え対話し感じながらプロジェクトが発動しています。しかし、すべては生徒を思う情熱と愛情と引き受ける覚悟がコアになっています。

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★式辞をつくるのに表現が生徒の心につながるのかこんなに考えたことはありません。実際に語ってみて、どうだったかはわかりません。私にとっては、修業時代に突入です。

★ただ言えることは、一発勝負ではないということです。賜物と対話をトピックに語りました。もちろん、賜物は1人ひとりのかえがえのない存在価値のことで、1人ひとりちがうのだから、それを大切にするために対話を重視しているということなのですが、それを共有できるのか。言い放つだけは、無責任だということです。

★先生方のバックヤードでのすさまじい対話のプロセスと授業や教育活動の対話のプロセスと生徒の対話のプロセスが重なるようにあるいはつながるようにこれから1年が過ぎていくのですが、そのたびに、リマインダーのように言い続けることが大切だと感じました。

★私の中に、ストーリーがラフにしかできていないということに気づき、大急ぎで紡ぎ始めています。しかし、それは日々の対話というつながりがないと細部まで描けません。

★動きながらの共同編集です。学校という存在はやはり秘宝の塊です。しられざる宝があります。もちろん、それぞれの賜物という宝物です。それを見出す冒険物語が学校の生活かもしれません。

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2021年4月 7日 (水)

非属の才能教育(04)Hermeneutik 3つのfer

★4月4日、復活祭がありました。クリスマスやハロウィンは多くの人が知っているでしょうが、復活祭はそれに比べてあまり知られていないかもしれません。イースターと言えば、わかるかもしれませんね。すべてキリスト教の行事です。しかし、これは、キリスト教を布教するための行事であって、根源的には、イエス・キリストの道行です。人間の痛みをすべて背負い死をもって復活するプロセスを弟子たちと共にし、弟子たちは背負いきれずに裏切ったり離脱しようとしたり、また戻ってきたりととても人間的であり霊的でもある根源的プロジェクトです。

★この根源的プロジェクトがプレイフルになると行事になり、布教活動はマーケティング活動になります。アメリカの社会は経済と宗教が結びつきていて、マックス・ウェーバーのプロテスタンティズムと経済がくっついたという理論を現実化したような国です。

★もちろんこの布教活動のもう一方には、あのスペイン艦隊がありますから、軍事力もくっついています。

★キリストの愛は、こじれると軍事力がでてくるし、命を守ろうとして戦争をしながらあるいは利用したりしながら経済が生まれてきたわけです。イエスの正当な弟子たちと裏切り者と活用組などと多様な分派が世界をつくる歴史が2000年以上あったわけです。もちろん、西洋近代化の話で、そうでない国もあり、そこの台頭がこれまた問題として浮上してくるわけです。

★聖書は信仰の書であり愛のドラマのメタファーです。恐ろしいぐらいネガティブな話もいっぱい出てきます。しかし、それをクリアする話であって、ネガティブなままではないのですが、そのプロセスの中で戸惑い恐れ不安になり、救われないまま終わることが世の中にはいっぱいあります。

★つまり、ドラマのプロトタイプの決定的な1つはやはりキリストの生き方です。またマーケティングやキリストと弟子たちから始まる組織論も組織開発の決定的なプロトタイプの1つです。弁証法やU理論の原型は聖書です。

★まさかと思うかもしれませんが、ギリシア神話をプロトタイプにつかった心理学者もいたわけです。聖書も神話の1つとしてみなす人もいるでしょう。そうするとそういうことがおこるわけです。

★かくして、聖書解釈学であるHermeneutikは現実の中で様々なものへtransferされていきます。referでとどめることができずinferによって、人間的な推理の翼を使って。

★しかしながら、知られざるキリストの解釈Hermeneutikなど、正解がまさにないわけです。エッ?!そうわかりましたね。正解がない問題が日本の教育で人気がないのは、この伝統的なHermeneutikのプロジェクトを知らないからです。ハイデガーやガダマーは現代社会でもでてくるかもしれませんが、彼らの背景にヘルメノイティクがあることは書かれていないでしょう。

★でも、クリスマスは知っているし、ハロウィンは知っている。キリスト教の宣伝力はすさまじかったわけです。そして、キリスト教のさらなる流れは、NPOと教育も生んでいるのです。ここらへ、いまはめちゃくちゃはしょっています。ごめんなさい。

★ともあれ、キリスト教は、軍事力ー経済力ー精神力(奉仕と教育)を生んでいるわけです。

★21世紀のキリスト教学校の使命は、この悪循環を断ち切り、奉仕と教育をベースに経済を考え、平和力を創ることなのです。

★また、本間は大げさなと言われるかもしれませんが、何もこれは私が言っているわけではないのです。ただ、日本の多くの学校は、そのことを知らないということです。

★しかし、一方でPBLは広がってきました。デューイの思うツボです。デユーイは、もちろんヘルメノイティークをクリティークしてプラグマティズムにトランスファーするわけですが、それは根源的PBLを求めるためだったのでしょう。

★この点に関しては、文部科学省は論じることができません。宗教は教育に持ち出せないからです。憲法でそうなっているわけです。

★よって、それは私学で背負わなければなりませんが、さてはて、どうしようということですね。グローバルという局面は、しかし、ここを見極めるクリティカルヘルメノイティークが必要かもしれません。

★ヘルメノイティークは、refer-infer-transeferの循環によって可能になります。もちろん、conferやdifferという言語と差異は、先の3つferを結ぶ媒介態です。

★高校生には、こんなわけのわけのわからない話はしませんが、すでに3つferは英語の4技能の中でよく使わエる学びのプロセスです。conferは、今やあらゆるセミナーやワークショップで活躍しているでしょう。differはあらゆる言語活動、探究活動のモメンタムです。

★まずは、「うさぎあひる」のあの図から始めることにしましょう(笑)。

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2021年4月 6日 (火)

非属の才能教育(03)伊達公子さんに学ぶコト 才能と普遍性

★かえつ有明のAjiki先生がシェアしていた記事を読みました。ありがとうございます。それは、Sports Graphic Number2021/04/05の <留学も英才教育もなし…それでも“世界4位になった”伊達公子に聞く「部活から世界に羽ばたくことは可能ですか?>」です。

★伊達さんのパイオニア的なテニス界へのデビュー。海外などエリート教育をうけたわけでなはく、同記事では「純国産選手」という表現を使っていました。規格外の世界で活躍できたトッププレイヤーは、いかにして生まれたのか?同記事はそうこに焦点を合わせています。詳しくはお読みください。

★その中で、私がなるほどと思ったのは、誰もがトッププレイヤーになることはできないけれど、それでも、その可能性に立ち臨むのはよい。とはいえ、高校時代は4Cを身に着ける普遍的な勉強もした方がよいのだというくだりです。そして、次の言葉は、極めて現実的でキャリアデザインを考えるうえで、とても参考になります。

 「テニス選手のキャリアは他の職業に比べて短く、その後の方が長い。高校時代は伸びる時期なので、テニスに費やしたいと思うのは当然です。ただ、テニス選手に求められるスキルはたくさんあるなかで、学校の勉強がコートの中にも還元される。学ぶ時間は確保する方がいいと思います」

★4Cは、私たちはPBLの中で大切にしている能力ですから、ちょっと驚きました。この能力について、同記事では次のように記述されています。

 <「教育のなかで大切な『4つのC』があるというのが、私に響いたんです」と伊達は言う。「4C教育」は、米国の教育省がアップル社、マイクロソフト社、その他20の機関および教育専門家たちと連携して提唱したロジック。

 その「4つのC」とは、Creativity(創造性)、Critical thinking(論理的/客観的思考)、Communication(意思疎通)、そしてCollaboration(協力・協調)だ。

「創造することと、自分のアイディアを伝えていくことがコートの中では必要だし、それを判断していく力も大切。どれ一つをとっても、テニスにおいても必要な要素だと思ったので、ジュニアと接するときには、同時にこれらの要素も育てていかなくてはいけないと思いました。かっこいいフォームで打つだけでない部分の大切さを、ジュニアの時から育てていかなくてはと思ったんです」

★プレイというのは、創造的だし、自分のアイデアを伝えていくことなのだというのは目からウロコでした。最近保健体育科の重要性をますます感じているだけに、同記事に勇気づけられました。Ajiki先生ありがとうございます。

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2021年4月 4日 (日)

非属の才能教育(02)西尾慧吾さんに学ぶコト イエール大学の智慧

イエール大学で哲学・人類学を学んでいる西尾慧吾さんの記事<「沖縄の基地問題は、私たち全員の問題だ」イェール大学に通う日本人学生の訴え
~遺骨を含む土地を基地建設に流用か PRESIDENT Online2021/04/04 11:00>から、日本の小中高生1200万人1人ひとりが学び、それぞれの才能を開花するきっかけにして欲しいと思いました。

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(写真はイエール大学サイトから)

★いったい何を学ぶのかというと、それは人によって違います。沖縄問題の痛みに共感し、なんとかしようと探究や活動をする生徒もでてくるでしょう。西尾さんが学生共同代表を務めている沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会に参加してみようと行動を起こす生徒もいるでしょう。

★あるいは、沖縄問題以外の世界の痛みに取り組む際に西尾さんの考え方や感じ方、構想力、行動力を参考にする生徒もいるでしょう。

★学校の教師ならば、たとえば聖学院のように沖縄探究学習を行っている場合、工学院のようにグローバルプロジェクト(幾つかの地域を選択でき、その中に沖縄プロジェクトもある)を行っている場合、上記のすべてのアプローチを生徒と共に学んでいけるでしょう。

★私の勤務校では、沖縄探究学習はしていないので、探究で、西尾さんの構想力・洞察力・行動力・寛容性・コミュニティシップなどについてそのコンパッショネイト・システム思考を生徒とモニタリングしながら学んでいくということになるでしょう。

★世界の痛みは、必ずしも遠くにあるのではなく、自分自身の中にある場合もあります。この問題意識を大事にするのに、偏差値は全く関係がありません。西尾さんのように灘で学び、イエール大学で学んでいなければできないということではありません。1200万人の生徒がみな共有できる探究の道です。

★ただ、その道はそれぞれに違う多様性があります。それが大事ですね。

★西尾さんと会ったことはありませんが、イエール大学の学生と会うチャンスは毎年のように八雲学園で頂いてきました。八雲学園の生徒の皆さんを通して、西尾さんーイエール大学ー八雲の生徒さんがシンクロしている響きを感じることができます。

★この響きを多くの小中高生が共振できるための探究。文科省がそれを直接は書くことはないですが、おそらく想定はしているでしょう。学習指導要領のもどかしさは、海外の教育については、暗黙知としてあるのでしょうが形式知として文言で示すことはないからです。

★ここらへんは、学習指導要領を丁寧に読み込み、解説動画を最大手の教育関連企業から配信している神崎史彦先生に今度教えていただこうと思います。宜しくお願い致します。カンザキジュクのスタジオではやく対話したいですね。

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2021年4月 3日 (土)

非属の才能教育(01)コンパクトな探究

★勤務校の先生方と日々対話をしています。入学式や始業式の準備、PBLのアップデート、グローバルコースのアップデート、探究の新しいデザインなどなどここでまだご紹介できないアップデートについて対話をしているわけです。

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★もちろん、アドミッション、カリキュラム、ディプロマの3ポリシーのアップデートも。アップデートですから、基盤は変わらないのです。つまり、マテリアルは変わりません。ただ、対話の中で、マテリアルをフォームに変換し、市場で認知されるように、まだ可能態である部分を見つけ一つ一つ現実態にシフトする運動態を創り上げなければなりません。

★そのとき、リベラルアーツの現代化も行っていくので、市場だけではなく、そこで評価されるような本質と未来性と教師と生徒1人ひとりの才能が開花するようにもっていく必要があります。

★これらをひっくるめて対話していきます。私は内容の提案ではなく、先生方に耳を傾け、それにフォームの提案をするだけです。

★勤務校がカトリック校であるので、アリストテレスートマス・アクイナスというヨーロッパの伝統的でいながら、近現代に影響を与えた存在論を駆使しして対話をしていきます。もちろん、先生方も生徒にも、アリストテレスがどうのとかトマス・アクイナスがどうのということは詳しくは語りません。語る必要もありません。

★私なりに現代化して語ります。その際、アリストテレスを敬愛しているサンデル教授の考え方は参考にします。独りよがりの現代化は正当性・信頼性・妥当性に欠く恐れがあるからです。

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★それから、組織づくりや、学びのシステム作りは、20年前に私が同僚と企画したHonda発見体験学習のPBLプログラムづくりのためのセミナーでお呼びした松岡正剛さんが編集した「情報文化の学校」とピータ・センゲやドネラ・メドウズのコンパッショネイト・システム思考を実装化していきます。

★特に生徒とは探究で、この「情報文化の学校」の執筆者20人の考え方を共有しようと思っています。20年前にこの本と遭遇して私の21世紀型教育の着想は芽生えてきました。今の静岡県知事の川勝平太さんが、早稲田大学の教授をしていたときに、ゼミに一度参加したことがあります。そのときの庭園国家論は、今の私のスマートスクールの構想に影響を与えています。

★灘や慶応普通部で松岡正剛さんが歴史ソフトの導入実験をした時に、私立学校の先生方と見学しに行きましたが、そのときに金子郁容さんとは対話をしました。

★お会いしたことはありませんが、起業家精神について最も影響を受けたのは、原丈人さんです。このような方々が同書で執筆しています。

★勤務校は、何せ小さな学校で、資金がありませんから、多くの学校が行っているようなリアルな外部のネットワークを活用できません。もちろん、ボランティアに甘える部分は多くあると思いますが、大きなお金をかけることはできません。

★ですから、思い切ってお金をかけないでどこまでできるか他とは違う非属の才能教育を先生方と発揮していくしかありません。

★とはいえ、書というのは、なぜか何にも勝る外部ネットワークなのです。

★もし、生徒に同書の20人の専門家に脳内で出会わせることができたなら、1億円かけてもできない探究プログラムができるでしょう。もちろん、コピーして文章を配布して読解させようなどという愚かなプログラムはデザインしません。

★対話によって、バーチャルに召喚するのです。もちろん、VRは使いません。脳内VRに働きかけます。幸いWifyネットワークは完備しつつあります。国や自治体の補助金はたいへんありがたいと身に染みています。

★しかし、資金調達に関しては補助金だけではなく、別の方法も考えています。これも新しい知的な方法が必要です。もし、応援していただける方がいらっしゃいましたら、ご寄付をお願いしたいところです。

★もちろん、教育内容によりますよね。来年には、少し実績もつくりますから、そのときにご判断いただければ幸いです。世界を変える才能者を生み出す授業になるということだけは予告しておきます。

★今先生方と共有しているのは、対話の中のファクトーオピニオンードゥーイングの関係についてです。もちろん、これは客観と主観と行動の哲学的諸関係につながっています。しかし、この難しい思想をショートカットしてまずワークショップ体験をするのが目的です。FODワークショップを行っているうちに、この深い諸関係がわかっていきます。つまり中世の普遍論争から連綿と続く解決不能な近代の矛盾を解くカギを哲学を介さずに気づいていくためです。

★それから、Doingでは、ツールーロールールールの三位一体を共有しています。これはイノベーションと物語と法に深まっていくきっかけづくりです。学校の自由と規律の葛藤解決の土台にもなります。

★生徒が理系にすすむとき、アートに進むとき、文系にすすむとき役立つワークショップになるでしょう。これは神崎先生に見破られたように、松岡正剛さんの考え方をヒントにしています。ただし、これが自然法論と法実証主義に結びつくという発想は私のオリジナルのものです。政治経済、国際関係に進むとき、この2つの法の発想法の葛藤について体験しておくことは役立つはずです。

★勤務校の探究は、研究者養成のための学びではありません。グローバルクリエイティブ市民になるための才能を現実態にシフトする「サバイバルスキル」という真理を身体化する学びです。結果研究者になろうが、教師になろうが、起業家になろうが、作家になろうが、医学の道にいこうがよいのです。選択の自由を保障することこそ探究の学びです。ただし、ツールーロールールールの枠組の中での自由です。自然状態の自由は今のところありません。

★したがって、教科の授業デザインを極めて重視しています。ただ、教科と探究が接着する部分を毎回つくる創意工夫をしていきます。それが何かはまだわからないので、そこの接着の部分は対話していくわけです。どうぞ自由にやってくださいではなく、いっしょにみんなで対話して創ろうねと。ただ、授業全部ではありません。接着部分以外は先生方の専門領域ですからそれこそ自由闊達に行うわけです。

★接着部分だけに絞って対話をするのです。

★1年後、すてきな教科と探究の授業のコンパッショネイトシステム思考ベースのPBLができあがっているはずです。バーチャルな学びの基地はクロムブックになる予定です。。。世の中の偏差値的には高い学校ではありませんが、非属の才能教育の結果がどうなるか楽しみです。異色の21世紀型教育学校になると思います。一に対話、二に対話、三に対話ですね。対話のシステムについては、この一年深めていく予定です。

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2021年度の教育動向(05)サレジアン国際学園 21世紀型入試 21世紀型教育導入へ

★ある先生がサレジアン国際学園で教師をするというメールをいただきました。驚きでした。またいっしょに協働できるねと喜び合いましたが、もう一つは私もカトリックの学校に勤務しているので、学校は違っても理念は共有できると二度驚きました。

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★同校は、赤羽の星美学園が、2022年4月から校名変更し、共学化するというのです。しかも、はやくも入試要項が公開されていて、本科とインターナショナという2コースであることがわかります。

★また、21世紀入試という思考力入試も行うというのです。21世紀型教育機構のカトリック校聖ドミニコ学園と同型の枠組でもあり、カトリックの学校の1つの在り方を示唆しているのかもしれません。

★私は21世紀型教育機構の理事ではもうありませんから、直接何かアドバイスできるということはありませんが、カトリック学校のメンバーとして微力ながら奉仕することができるでしょう。

★カトリック学校が21世紀型教育を導入していくことは、機構に加盟するしないに関係なく喜ばしいことです。

★21世紀型教育機構の正式メンバーの加盟校は、聖パウロ学園と静岡聖光学院、聖ドミコ学園です。また、大阪の香里ヌヴェール学院やアサンプション国際も21世紀型教育を導入しています。

★また目黒星美学園も、目黒の星美のように、共学化し、校名もサレジアン国際学園世田谷中学高等学校となります。全教科でPBLを行い、インターナショナルコースもつくるという、これまた同じ教育内容になるわけです。

★2021年の教育動向は、21世紀型教育機構の加盟校以外でも、21世紀型教育を導入していくわけで、ますます機構がNew Power Schoolの先頭にたつことになりそうです。

★機構は2020年度を一つの節目としてきました。そして成果もあげましたが、まさか機構以外に同じような動きが拡散したとは!驚きです。カトリック的には、神の計画と呼ぶのですが、そのような霊的働きがけがあったのかもしれません。

★もちろん、もっとプラグマティックな力が働いたのでしょうが(微笑)。

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6月8日 私立女子中学に触れる会開催 in 新都市ホール

2021年6月8日(火)、そごう横浜店9階の新都市ホールで、<shishokukai>が開催されます。もう21年目を迎えるということです。21世紀は、女性の活躍する時代ですが、日本は以前まだまだだと世界から評価されています。

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★しかし、その評価データを算出している団体は、私立学校が、このような活動を活発に実施しているということはおそらく知らないでしょう。ぜひ私立女子校は、得意の英語を生かし、Youtubeで、このような会の存在と意味を発信したらよいのではないかと思います。

★海外にいる帰国生も勇気づけられると思います。

★念のため、この記事も、DeepL翻訳で英語にしておきましょう。

On June 8, 2021 (Tuesday),“shishokukai” will be held at the New City Hall on the 9th floor of Sogo Yokohama Store. The 21st century is an era in which women are playing an active role, and the world has already assessed that Japan is not quite there yet.

However, the organizations that calculate the evaluation data probably don't know that private schools are actively engaged in this kind of activities. I think it would be a good idea for private girls' schools to use their English skills to communicate the existence and meaning of this kind of association on Youtube.

I think it would encourage the returnee students who are abroad.

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version) 

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GLICC Weekly EDU(28) 成立学園の宇田川先生 人気上昇の秘密を語る

★昨夜、GLICC Weekly EDU 第24回「学際的な新しい学びのリーダー 成立学園中学・高等学校 宇田川先生との対話」のライブ配信がありました。成立学園と言えば、この3年間で人気をどんどん盛り返している注目校です。大学合格実績もGMARCH以上200名を優に超える成果をあげています。もちろん、New Power Schoolがゆえ、大学合格実績を目当てにした教育は行っていません。

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★あくまで、生徒1人ひとりが好奇心旺盛にやりたいことを探究し、それを研究や仕事にむずび付ける時、必要な大学を選択した時にキャリアデザインの一環として先生方が応援した結果大学合格実績はでてしまうという感じです。

★アースプロジェクトなど、破格の世界的視野を獲得し、自分の内的な世界を掘り下げる環境が多様です。多様がゆえに、生徒1人ひとりの才能にマッチングする学びの環境があるわけです。しかも、この多様な環境で学ぶのは、見える学力ではなく見えない学力の領域です。深海や緑深いい森を探索する感覚でしょう。あるいはナノレベルの粒子の思考実験の醍醐味に触れたり、無限の宇宙空間に魅了されたり、文京区を巡る文学の回廊都市に迷い込むのかもしれません。

★特に大事なことは、また他校にはなかなかできないことは、中学卒業論文や高校からの探究活動で、マンツーマンで教師がチュータリングする仕掛けがあるということです。しかも1人1台のタブレット環境がゆえに、個別最適化ができているということです。

★多様な学びの環境を生徒1人ひとりにつなげる媒介者がちゃんと存在するというのは、得難いシステムです。

★具体的にどうなっているかは、詳細な資料やデータをもとに宇田川先生が語っています。ぜひ「GLICC Weekly EDU 第24回「学際的な新しい学びのリーダー 成立学園中学・高等学校 宇田川先生との対話」」をご覧ください。

★成立学園の名前の由来は、「開成」の「成」と開成が一時期「共立」という名前だったこともあり、その「立」を合体させたことによるということや日本で唯一のナショナルジオグラフィックモデル校であることなど、意外と知られていない情報が満載です。

★ナショジオ入試とは何か?ナショジオアドベンチャーとは何か?ごちゃごちゃいわず、おもしろいから学ぶんだという痛快丸かじりの成立学園物語をぜひご堪能頂きたいと思います。

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2021年4月 2日 (金)

2021年度の教育動向(04)続々ウネリの予感

★昨日4月1日は、2021年度が本格的に動き出しました。私自身も、いきなり20名以上の他校の先生方とZoom越しで出会ったり、同時並行的に、盟友の先生方から電話があって、プランも何も通り越して、Doingの話だったり急転回の話が多く、私の新しい日常の中と違う空間で起こっていることを察知しながら始まりました。メールでも移転先や異動の知らせが届き、動いている手ごたえを感じました。

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★上記の写真は、横山大観が使っていた茶室の跡地です。私はいつもここに佇み、あるいはすわりながら、日本庭園の人間の手が入りながらも自由に息吹いている小さな自然の響きに耳を傾けています。不思議と岡倉天心が、住まう空間とは壁や屋根のことを言うのではないのだ。虚空を意味するのだという旨を語っていたのを思い出します。

★この限られた物質的空間から虚数空間をイメージするように、限られた情報から外のウネリにイメージを飛ばしながら、新しい日常を過ごしています。ところが、この新しい日常には、まるで碁石をうっていくように、一瞬の永遠の点を見出していく作業があります。

★その点を見つけることが、世界をイメージすることであると実感する連続です。

★そんなホームベースから外を見ると、確かに新しいウネリが2021年度の教育の世界には生まれています。リバタリアンリバタリアンのような動きは教育の世界ではさすがにみあたりませんが、リバタリアンパターナリズムは躍動しています。

★リバタリアンでありながらパターナリズムというダブルバインドを他者に背負わせるウネリです。教育専門集団が子どもたちを今の不自由な世の中から解放してあげようという構えの運動体です。

★この動きは、生徒だけではなく、現場の教師にも救いの手を差しのべます。ですから、ムーブメントを起こす可能性があります。ただし、根本的には成功主義者ですから格差や権威主義はなくなりません。Old Powerに対するルサンチマンがエネルギーになっている場合が多く、偏差値に代わるコンピテンシー主義が厳しい序列を生みだします。

★しかし、人はルサンチマンやトラウマを共有することは共感することだと思い、いきなりムーブメントが生まれるのです。この動きは様々ですが、多くの現状の教育改革者はリバタリアンパターナリズムという点では似て非なるのものではなく、その逆です。違っている装いをしているけれど、中身はいっしょ。

★このようなリスクはあるものの、このウネリは止まることはありません。歴史のダイナミズムとはそういうものです。

★ですから、リバタリアンパターナリズムには属さないリバタリアンコミュニタリアニズムという新しいウネリも必要です。主体は専門家ではなく子供だというのがこのもう一つの新しいウネリです。権威主義ははねのけます。言うまでもなく、こちらは、大きなウネリにはなりにくいですね。しかしながら野の菫の存在は確かに必要だし、なかなかどうして生命力があります。

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