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2020年12月23日 (水)

PBL生誕250年 ヘーゲルとベートヴェンと共に

★今年はヘーゲルとベートヴェンの生誕250年の年でした。彼らと同時代人のマリアテレジア・ゲルハルティンガーが創設した修道女会が経営するノートルダム女学院のND教育研究センター長の霜田先生とも本格的にPBL授業の協働リサーチを開始した年でもあります。昨日の霜田先生のオンライン授業では奇しくもカントとヘーゲルの倫理と弁証法の社会実装が行われたPBLでした。

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★日本ではベートヴェン生誕250年は割と盛り上がっていますが、ヘーゲル生誕250年は、一部出版社と哲学者のセミナーなどで記念祭が行われているにすぎません。しかしながら、教育の世界では、21世紀型教育を推進している先生方のみならず、経産省もPBLを広めています。

★このPBLについては、そのルーツはデューイだとかピアジェだとかドネラ・メドウズのシステム思考だとか言われています。というか私はそうだと思っています。そして、この話がされるとき、あるいはするとき、同時にアートの話がついてきます。

★STEAMの話も教育の世界ではでてきています。デザイン思考とかいう表現も広まっていますね。

Hegelbeethoven

★ですが、コレラでなくなったヘーゲルですが、市民革命やパンデミックという疾風怒濤の混乱時を生きた彼らの研究や探究こそPBLだし、ヘーゲルの美学講義は、芸術の終焉を提唱すると同時に、その限界を破れば新しい芸術が生まれるプロジェクトが立ち上がることを暗に見抜いていたとも言われています。

★Thought Leaderの次の記事“ Celebrating art 250 years after Hegel’s birth BY BERT OLIVIER ON 8 SEPTEMBER 2020”にはこうあります。

“Beyond Hegel’s lifetime art developed in a manner that bears out his expectations. Particularly in the early 20th century one notices a plethora of new art movements – abstract expressionism, cubism, fauvism, conceptualism, suprematism, futurism, metaphysical art – all of which bear overtly theoretical names, and all of which claim to reflect the true nature of reality. In his wonderful philosophical analysis of this modern art, The Meaning of Modern Art (Northwestern University Press, 1968) Karsten Harries provides an interpretation that confirms this. It is truly as if Hegel had anticipated art becoming philosophy.”

★まさに、現代美術は、ヘーゲルの時代を超えて、表現道具が豊かになるも、それを超える哲学が優越しています。そこが商業デザインと決定的に違うところですが、ヘーゲルは道具が機械的システムをつくることを懸念しておそらく芸術の終焉を提唱したのでしょう。

★同時代人のベートヴェンも、ヘーゲルと同じように自由を徹底的に追求したある意味音楽哲学者です。しかし、ヘーゲルは、モーツアルトやロッシーニを語るもベートヴェンについては生涯語りませんでした。

★ロッシーニをウィーンに聴きに行ったとき、ベートヴェンの第9とミサソレムニスとのダイジェストが演奏されていたわけですから、ベートヴェンのことを知らないはずはありません。そのとき、恩人ゲーテを訪ねているでしょうから、ベートヴェン批判を聞いていたでしょうに。もしかしたら、聞いていたからこそ慎重になっていたかもしれません。

★ヘーゲルは、実際には苦労人です。学者の道を目指しながらも、カントのような栄光の道も歩めかったし、長生きもしませんでした。やっとベルリン大学総長になっても一年で辞めます。おそらくコレラが蔓延して事実上できなかったのでしょう。結果自身もコレラに感染し、あっけなく死にますが、ヘーゲル学派は世界に広がりました。

★哲学者で、哲学以外の領域、たとえば教育や芸術、政治経済に影響を与え、デューイにも批判的超克対象として影響を与えました。プラグマティズムの根底にはヘーゲリアンウェイがあるとも言われている程です。

★ヘーゲルは、教師や新聞記者として市井哲学も論じていたのです。ですから、理想と現実をつなぐ動態的弁証法の着想が降りてきたのかもしれませんね。ですから、ジャーナリズムの姿勢もあったわけです。もし、ベートヴェンが自分と考えが違えば、論じていたことでしょう。ヘーゲルは、国政や市民社会に対してもメディアで論じているのすから、美学の対象としてベートヴェンを論じないはずがないのです。

★それなのに、あえて語らなかったのはなぜでしょう。

★独断と偏見の推測ですが、コレラにかからなければ、語っていたかもしれません。というのも、ヘーゲルがオペラを好んだのは、楽器という道具を超える思想の発露を音声に見ていたからでしょう。道具が思想より優位だった時代を芸術の象徴時代と呼び、道具と思想が一致した芸術はギリシア時代で、そこがピークだと。そのあとは、思想が道具を超えて、芸術は終焉し、哲学の時代なのだと言って死んだわけです。

★第9もミサソレムニスも、ヘーゲルは直接聴いていないかもしれません。というのは、ちょっと考えれば、当時は録音技術がなく、聴くとしたらピアノでカバーした曲を聴けるだけです。第9やミサソレムニスのように大掛かりな作品は、頻繁に演奏されもしなかったでしょう。

★もしヘーゲルがこれらの楽曲を聴いたならば、歌声に、ああやはり道具を超えた思想を感じ、新たな芸術としてとらえなおしたかもしれません。絶対精神以上のものがあるなあと考え直したかもしれません。

★いずれにしても、ヘーゲルを批判的対象としたデューイは、媒介項として道具を大事にしました。しかし、ピアジェもデューイも構成主義という道具を媒介させた子供の成長論を語っているわけですから、結局はヘーゲルの弁証法の継承者であることは逃れられません。

★めちゃくしゃ影響を受けているのはヴィゴツキーです。彼は芸術論も書いているくらいですから。

★ヘーゲルの批判的対象者としてルソーがいますが、ルソーも演劇論や音楽論を書いていますし、それに作曲もしていますよね。しかも文字よりも音声を優位に考えていました。文字は、ルソーにとっては道具だったのかもしれません。

★道具と思想は、ヘーゲルにとっては、現実と理想です。その統合が絶対精神だったのでしょう。まったくもって、PBL的な発想ですね。ただし、私たちの今行っているPBLの場合は、そのプロジェクトの目標は絶対精神ではなく、人間存在の宇宙に拡大する協働世界という協働主観のはてなしない成長物語を描き続けることです。

★生徒中心主義とはそういうことです。でも、ヘーゲルもそこはみていたわけです。絶対精神なんてよんでいるけれど、そう簡単にはそこにいきつきませんから。

★いずれにしても、ヘーゲルがPBLをやっていたことは確かなんです。ギムナジウムの校長をやったときに、生徒とともに、彼の哲学をどうシェアするか教科書をつくっていたんですから。「哲学入門」がそれです。今でも手にすることができます。

★できちゃった婚もできず、20歳年下の女性と結婚する時に、そのときの息子をひきとり、家族を大事にします。ヘーゲルはカントやシェリングとは違い、決定的な経験主義者なんです。なぜなら、家族を自由に形成できない局面に立たされながら、職を探し、封建的な社会に抗いながらも、家族を守り、市民革命に情熱を燃やすも、すぐに恐怖政治に転化する現実を目にし、市民社会を超える国家とは何なのか、教師をやりながら考えていくわけです。

★ただ、考えただけではなく、革命の戦火の中で「精神現象学」の原稿が消失しないように逃げまどいながら生き抜いていく経験主義者の側面もあったのですです。そして、高邁な哲学の道を開いたわけです。現実と理想をいかに一致させるか、静態的な哲学者カントやシェリングに対峙し動態的な弁証法を確立するヘーゲル学派という壮大なプロジェクトを構築したわけです。京都学派もどっぷり影響を受けていますよね。

★総合の探究の時間は、もしかしたらヘーゲリアンウェイPBLの継承者の発想かもしれませんね。まあ、いずれにしても「美学」はPBLに必要です。なんかワクワクしませんか!ヘーゲルはアートとりわけ詩が大好きでした。親友ヘルダーリンは詩人です。互いに家庭教師の職探しに奔走した仲です。

★そして、ヘルダーリンも革命の情熱とともに狂気うち塔の中で死んでいきます。ヘーゲルよりも9年後に。実はヘーゲルと同じ年に生まれました。今年は、ヘルダーリン生誕250年でもあります。

★疾風怒濤の光と影の波は、その後夏目漱石、芥川龍之介、太宰治を襲います。京都学派を襲います。フロイトにも及んだでしょう。フッサールやハイデガーにも。それをなんとかしたい。その継承のウネリがSDGsということです。ですが、これとて光と影の弁証法を免れません。2021年はどうなるのでしょう。ミサソレムニスを聴きながら来年を展望したいと思います。

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