才能力の時代(07)推論の用語を整理してみると創造性とか批判的思考の役割が見えてくる。田中歩先生に刺激されて。
★PBL(Project based Learning)について多くの人と対話すると、「推論」に関係する用語がたくさんでてきます。「演繹」「帰納」「仮説推理」「隠喩」「換喩」「提喩」・・・・。それぞれの人が、それぞれの推理のスタイルを持っています。同じ結論に至る場合もあるし、ズレルときもあります。同じ結論にいきつかないと気が済まない人もいますし、ズレを楽しみ遊び心を大事にする人もいます。
★これらの言葉はスタイルの違いということで、価値観の違いと置き換えることもできますが、実は次のようなまとめ方ができます。
★エっ!一体どこの教授がこういう分け方をしたの?と思うかもしれません。さあ、知りません。私なりにまとめただけです。この歳になると、だれそれがこう言っているという話はだんだん億劫になってきます。もちろん、だれそれがこう言っているということは、その方を尊重しているので、クレジットをいれることが多いですが、それはあくまで引用や参考するときの権利の問題です。
★しかしながら、ことばは人類共通の財産ですから、自由に考えていけないということはないのです。そんなことを言ったら、abductionということばをパースが「仮説推理」という意味で使ったからというのを言い続けなくてはなりません。パースだって、もともとのabducionを転用という置換を行っているわけです。人類共通の財産を活用しているわけです。
★上記の「推論」用語をどうカテゴライズしたり、つなげたりするのかは自由です。説得力があるかないかの違いがあるだけですね。大事なことは、一つの推論を絶対だと思わないことです。人類の痛みはいろいろな形で生まれてきます。それをテーマとして置き換えて、解決策という生産に到る過程は様々、つまり推論過程は様々です。むしろ、できるだけ、あらゆる推論のアプローチをすることが望ましいのです。
★ですから、対話が必要ですね。そのとき、互いのメンタルモデルを尊重し、互いの推論方法に耳を傾け合うことが肝要です。ですから、この段階で闘争してはいけません。
★それに、上記のまとめの図を英語に置換えてみると、もっとおもしろいことがわかります。
★「置き換える」という言葉を、どの英語の単語に置換えるかによって、実はどの推理の道を獲りやすいかがある程度ゆるやかに決まります。またその結論の出し方も、プロダクトなのかクリエイトなのか違いがでてきます。
★クリティカルシンキングとは、プロジェクトが動いている時に、この推理の方法が偏らないか、つまり偏狭という危機に陥らないかエッジを利かせることですね。
★他者の推理法だけではなく、自分の推理法も。すると、それぞれの主観が相互主観になり、協働主観になり、それが広く流布すると客観性を帯びてきます。
★しかしながら、限りなく客観性という限定的なものです。自然法則という客観性ですらコペルニクス的転回という置換がされてしまうときがあるぐらいです。
★このような発想を刺激してくれたのは工学院の教務主任田中歩先生なのです。結局共感的コミュニケーションとは、このような多様な推理法を尊重し合うことなのです。それには、「~duce」を使い分け、「教師型duce」をるのか「ファシリテーター型duce」するのか「コーチ型duce」をするのかマルチduceのロールプレイができるかです。
★また、この「~duce」だけではなく、「換喩」「隠喩」「提喩」に代表されるレトリックを自在に使えるかです。
★このような全体のまとめをクリティカルシンキングしながら最適なループを広げていくのがシステム思考です。
★PBLもインストラクション型は生産的ですが、コンストラクション型は創造的となるわけです。戦術的な時には前者、リベラルアーツ的なことを大切にする場合は後者となるわけです。
★大学進学実績を出すプロジェクトの場合は、インストラクション型>コンストラクション型になります。ときどきインストラクション型一辺倒になりますが、これは生徒の主体性が育たない可能性が大です。
★逆にコンストラクション型一辺倒だと、そもそも大学に行く必要があるのかに気づいてしまう生徒も出てきて、進学実績を出すという目的とは違う、生徒の人生そのものを考える時間になります。
★現状の経済システムの中で学校経営というファクターが入ると、インストラクションとコンストラクションのバランスをどこにするかがポイントになるわけですね。
★「ことば」がそんなところにも結び付いていくのかと怪訝に思われた方もいるかもしれません。しかし、元祖PBLのデューイが、一番納得してくれるでしょう。
★ことばは思考の道具であり、思考は行動に結びつかなければ、考えていないと置き換えることができるというのですから。
★そして、この考えはマーケット分析に役立ちます。どのような思考がどのような消費行動を生み出すのか、どのような消費行動がどのような思考を生み出しているのかということだからです。
★そして、政治でも同じことが言えます。公約と行動が一致しなければ、価値がないのです。
★それから、これは法律にも結び付きますね。契約は一致していなければ困ります。また刑事法の分野では、思考と行動の一致がなければ、冤罪を生みます。
★条約にも同じことが言えます。批准するかしないか迷うのは、思考と行動が一致しなければ、国際問題になるわけです。実際国際社会は、この問題が山積しています。
★さらに、最近のSNS上のフェイクニュースも、同じです。ことば=思考=言語。インストラクションだと強迫観念的になります。コンストラクションだと遊び心が生まれます。前者は事件を起こし、後者はファンタージ―を生み出すわけですね。
★すべては、置換のプラスとマイナスのダブルストーリーがあるわけです。そして、そのプラスとマイナスの間のあるいはそれを超えてグラデーションが多様にあるということなのです。この多様性を認めながら最適解を協働的に見つける田中歩先生のような共感的なコミュニケーションが、今最も大事な対話の情況なのです。
追伸:前回紹介したことばと道具の関係を外延と内包のダイアローグで捉えている田中歩先生の発想法がないと、以上の話は生まれてきませんでした。ありがとうございました。
2021年12月29日午前4時33分。2022年を迎えるにあたり記す。
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