PBLの再定義の時代(01)自由制限の限界を超える時代到来。忍び寄るパターナリズム。ゆえに学力のみならず人生を生み出す拠点へ。
★今回のパンデミックは、世界同時的にあらゆる自由思想を覆してきました。リバタリアンや功利主義の他者に危害を加えない限りすべて自由という危害原理は、あっさり打ち砕かれました。他者に危害を加えているかもしれないし加えていないかもしれない。感染しているかどうかわからない中づり状態では身動きがつかなかったのです。自らの身体を守るには自粛という制限を受け入れざるを得なったのです。
★コンサバの人びとも、エゴむき出しになり法の支配の中でマスクを着けない自由を叫べども、自ら感染し、マスクを装着して自粛せざるを得ないシーンを世界に見せつけました。
★リベラリズムも、福祉のために救済経済を発動すれども、それも限定的であることがわかり、経済的に自由を守る手立てがとれなくつつある焦燥感が膨らんでいます。
★コミュニタリアニズムは、自粛という行動をとるのはなんなくできるのですが、その基準である最高善を果たせるのかどうかは、パンデミックの科学的解明がまだできていないため、その信頼性・正当性・妥当性はわからないままなのです。
★今回のパンデミックの科学的早期解明への期待はされているのですが、いまだ明らかでないため、私たちの行動の自由を保ちながら最低限の規制を法制化することもできず、既成の倫理基準も定まらないまま、トリアージに突入していたり、自粛警察が暴走したり、自律神経の機能が破綻したり、精神的に困窮したり、経済困窮に陥いったり・・・・。
★世界規模で、従来の自由な判断、自由な行動を自ら行うことができないでいるわけです。
★そして、この自由な行動をとれない理由が、自己責任なのか、他者からのあるいは社会からのサポートなのか、干渉によるものなのかわからないという問題が浮上してきています。
★つまり、守らなければという思いが過干渉になる抑圧というパターナリズムがニューノーマルな生活空間に静かに広まっているのです。
★法律も倫理もここをチェックできないのです。個人の判断で自由に本当に自粛したりマスクを装着しているかどうかは実は正解がいまのところないのです。
★このまま放置しておくと、気づいたときには不自由な社会が出来上がるのがニューノーマルとなりかねないのです。
★これを回避するには、私たちはリフレクション対話を繰り返し、クリティカルシンキングを共に発動していく必要があります。特に、18歳成人未満(現状は20歳未満)である幼児・児童・生徒は、リーガルマインドのトレーニングも倫理判断のトレーニングもうけていません。道徳を押し付けられるパターナリズムはおこなわれているかもしれません。これはこれで問題ですが、これとて問題だと判断するリーガルマインドや倫理判断を養うにはどうしたらよいのでしょう。そのトレーニングの場は、リフレクションあふれるPBLが拠点となるでしょう。
★もちろん、大人も、マイクロ・プロジェクトをそれぞれ生んで、対話とリフレクションを展開していくことは重要です。
| 固定リンク
« 2021年変わる中学入試(08)BCオフショア認定校の文杉のグローバル教育の日本の教育への影響 | トップページ | PBLの再定義の時代(02)探究と教科の5つのパターン。そしてどのタイミングで外部ネットワークと組むか。 »
「創造的破壊」カテゴリの記事
- どうする東京の私立学校2024(2023.12.01)
- 【研究所ブログ第6回】教科の授業と探究の接点(2023.11.27)
- 国立大学「地域枠」6割に 都市の生活社会をどうするかも当然重要(2023.11.27)
- 2025年以降は、教育力を「外生的技術進歩」と「内生的技術進歩」と「哲学シンキングなど」の3つのスコープで学校選択ができるようになる(2023.11.24)
- 羽田国際② 人口減の未来に外生的技術進歩と内生的技術進歩を統合する人材輩出に期待(2023.11.23)
「PBL」カテゴリの記事
- どうする東京の私立学校2024(2023.12.01)
- なぜ八雲学園か!英語でミュージカルまでやってのける。(2023.11.29)
- 【速報】学校法人順天学園 学校法人北里研究所と法⼈合併に向けて協議を開始(2023.11.29)
- 東京家政大学附属女子中学校・高等学校 KASEIからSEKAIへ グローバルとICTと愛情(2023.11.28)
- 【研究所ブログ第6回】教科の授業と探究の接点(2023.11.27)
最近のコメント